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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


巡る風

 ざわ、ざわ、ざわ。
 あの時、風の音が妙に胸を抉っていたのを覚えている。ただ、その静寂の空間ではただ風の音だけがその場を支配していたようにも思えて。
 ざわ、ざわ、ざわ。
 あの風の音は、果たして本当に実際吹いていた風なのかどうかも上手く思い出す事すら敵わない。確かなのは、あの時の風の音が今も尚胸を抉っているという事だ。
 ざわ、ざわ、ざわ……。

(しくった)
 口の中に鉄の味が広がり、守崎・北斗(もりさき ほくと)は眉間に皺を寄せた。咄嗟に喰らってしまった攻撃で、口の中を切ってしまったらしい。ペッと口に溜まった血反吐を吐き、ぐい、と口の周りを乱暴に腕で拭った。壁に背をつけ、辺りを窺う。すっと気配を消している今、相手は攻撃対象がいなくなってさぞかし戸惑っている事だろう。
(いい気味だ)
 口元を小さく歪めながら、北斗は思う。茶色の髪の奥にある青の目は、油断無く辺りを窺っているままだ。そっと懐からナイフ型の手裏剣を取り出し、ぎゅっと握った。
(兄貴、心配してるかもしんねーな)
 ふと、兄である守崎・啓斗(もりさき ほくと)の顔を思い浮かべる。茶色の髪に、緑の目。それが心配そうに自分を見ているような映像が、脳裏に浮かんだ。
(一人で受けたのがいけなかったかな)
 依頼を聞いた時、それが危険なものであると北斗は気付いていた。気が付いたが、それを受けたくないとは思わなかった。依頼者が、切羽詰まっていたから。
(それにしても、相手が悪かったかもな)
 依頼者を襲うものを倒す。それが一番手っ取り早かった。しかし、それは意外にも力が、そして執念が強かった。即ち、依頼者を殺そうとする執念が。
(それを阻む者も殺そうとしやがるとは……大した執念だな)
 殺そうとしているからと言って、殺される義理は全く無い。だが、その義理でさえ押しのけようとする強い力。北斗の頬に出来た痣が、ずき、と響くように痛んだ。
(殺意が伝わってくる。強い強い、殺意)
 依頼者に向けて……今は北斗に向けて。北斗は一つ息を吐き、ぎゅっと奥歯を噛み締めながら手裏剣を構えてその場から飛び出した。攻撃目標を捕らえ、それは「にい」と笑った。気味悪い笑みで。
(気色悪ッ!)
 北斗は手裏剣を放ち、相手との間合いを計る。案の定、相手はそれを軽々と避けて、尚且つ北斗に向かって飛び掛ってきた。北斗は放たず残していた手裏剣でそれを受けた。キイン、という涼やかな音が辺りに鳴り響く。続いて、ギリギリという音をさせながら鍔迫り合いが起こった。
「……っこいんだよ!」
 北斗はそう言って力押ししようとするが、その途端相手が力をすっと抜いてしまった。押していた力が急に空振り状態となってしまったために、思わず北斗は体勢を崩してしまった。
(しまっ……!)
 気付いた時には、相手の腕が北斗の体を吹っ飛ばしてしまっていた。北斗は思わず受身を取るものの、あまりに強い力で吹っ飛ばされてしまった為に体勢をすぐに整える事は敵わなかった。そこを更に狙い、追い討ちをかけてきた。
「くそっ!」
 北斗はポケットから煙玉を取り出してその場に投げつけた。途端、白い煙があたり一面に広がっていった。突然白くなった視界に、相手は戸惑ったようだった。慌てて大きく腕を振り、その煙を押しのけようとする。北斗はそっと煙に紛れてその場を後にした。
(立て直しだ……!)
 決して、逃走ではないのだと自分に言い聞かせる。逃げはしない。ただ、体勢の立て直しの為の準備をするだけだと。相手が殺す事に執着しているのならば、自分は生き延びる事に執着しているのだから。
(そう……絶対に、死なねぇ)
 それは決意。ずっと昔からの、強い強い思い。
(あの時、決めたんだ。あの瞬間に、俺は……)


 高校入学。その喜ばしい筈のものは、喜ぶ隙を与えられる事は無かった。辺りに漂う線香の香り。細くたどたどしい、それでも途切れる事の無い線香の煙だけが目に強く焼きついている。
(何だよ……)
 突如訪れた、父親の死。突然の、事故死。但し表向きの。
(表向きの事故死、表向きの葬式……くそっ!)
 漠然とした苛々感に苛まれながら、北斗は助けを求めるように啓斗を見た。啓斗は、無表情だった。じっと何処かを見据えたまま、凛とした姿で葬式に臨んでいた。
(……兄貴?)
 何も映していないかのような目。それは一直線に空っぽの棺桶を見つめていた。
「……ほら、あれ。双子の」
 ひそひそと話す、親戚の声が耳に飛び込んできた。親戚とは名ばかりの、ただの他人。好奇心旺盛な、人の不幸の大好きな他人。
(胸糞悪いぜ)
 北斗は心の中で毒づく。
「話し掛けても、愛想笑いの一つもしないのよ」
「まあ、時期が時期だから……」
「でもねぇ。……何と言うか」
 それは北斗も小さく感じていた。全く笑わない啓斗。愛想笑いどころか、表情一つ変えない。まるで感情を失ってしまったかのように。
「泣きもしないじゃない?」
「気丈……というか……ねぇ?」
(何だって言うんだよ)
「冷徹、よね」
(冷徹?)
 北斗は思わず目を大きく見開く。
「そうそう。何を考えているのか、全く分からないというか」
 その時、ガタンと音がした。噂話をしていた他人達は思わずびくりとして体を強張らせた。そこには他ならぬ啓斗が立っていたからだ。
「け、啓斗君……」
 恐る恐る、一人が話し掛ける。もしかしなくても、聞いていたよね?と言わんばかりに。だが、啓斗はぺこりと頭を下げてその場を後にしただけだった。怒りもせず、泣きもせず、皮肉げに愛想笑いもせずに啓斗はその場を後にしてしまったのだ。
(兄貴)
 北斗はぎゅっと手を握り締めた。悔しくて、悲しくて。そしてそれ以上に何も言わなかった兄に対して、小さな怒りを覚えながら。
 その後、何事も無く初七日は過ぎていった。名ばかりの親戚達とも、やっと当分顔を合わせなくて済むのである。北斗はほっと溜息をついた。後で振り返ると、結局はばたばたしてしまっていたから。全てが終わったのは、結局夜になってしまっていた。
「兄貴、今日はもう寝てしまおうぜ」
「そうだな」
 北斗の提案に、啓斗はこっくりと頷いた。相変わらずの無表情だ。北斗はあえて何も言わず、ただ黙って布団を敷いた。疲れは確実に溜まっていたのであろう。電気を消してすぐに意識は遠のいてしまっていた。

(……ん)
 ふと目が覚め、北斗は起き上がる。時計を見ると、まだ真夜中であった。北斗は半分夢の中のまま、隣で寝ているはずの啓斗を見る。
「兄貴……?」
 そこに、兄の姿は無かった。眠りを欲していた頭は、一気に冴えてしまった。最悪の考えまで出てくる始末。
(冗談じゃない)
 父親に続いて、兄まで失う事だけは避けなければならない。北斗は慌てて家の中を走った。
(いた!)
 啓斗は父親の位牌の前に、ちょこんと座っていた。微動たりともしないその背中に北斗は半分安心し、また怪訝に思う。
『何を考えているのか分からないのよ』
 前に聞いた、誰かの声が響いた。北斗はぐっと奥歯を噛み締めてから口を開く。
「兄貴、辛くないのか?」
 啓斗は、答えなかった。答えも無ければ、振り向く事さえなかった。北斗の中に、小さな苛立ちが生まれる。
「兄貴、あいつらになんて言われてたか知ってるのかよ?」
 それでも、啓斗は答えない。苛立ちは増す。
「あいつら、兄貴の事冷徹って言ってたんだぜ?」
 啓斗は、答えない。
「兄貴!」
 北斗はたまらなくなり、啓斗を覗き込む。……怒りは、後悔へと変わってしまった。啓斗は泣いていた。微動たりともせず、声も出す事なく。ただ位牌を目の前にし、目から止め処なく涙を流し、静かに静かに泣いていたのだ。
(兄貴……)
 北斗はぎゅっと手を握る。悲しくない訳が無い。辛くない訳が無い。愛想笑いすらしなかった啓斗、殆ど無表情になっていた啓斗。
(……俺が、守るから)
 北斗の中に生まれた、決意。
(どんなに危険な依頼でも、俺が庇ってやるから)
 悲しい思いなど、辛い思いなど。決して二度とさせないように。


「……決めたんだからな」
 北斗は小さく笑う。煙は徐々に治まっていっていた。煙から漏れた日の光に、ぎらり、と手裏剣の刃の部分が反射した。
「その為に、俺が死ぬなんていうヘマだけは絶対にしないってな」
 北斗は手裏剣を構え、振りかざす。相手に向かい、相手が煙に惑っているその隙を狙い。ぐおお、と相手が叫んだ。狙いどおりに進んだ攻撃。それはきっと相手にとっては致命傷ともいえるものであったのだ。北斗は小さく微笑む。あの日の決意は、未だ破られてはいない。否、これからも破られる事はないだろう。決して。

 ざわり、と風が吹いた。あの夜の、風のように。

<決意は揺らぐ事もなく・了>