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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


黒い部屋へようこそ

------<オープニング>--------------------------------------

 初夏の夕暮れの日差しは強く、道に面した窓から鋭い光が差し込んできている。
 天気がよい日と悪い日の気温の落差にくらくらするような季節だ。東京の夏は気紛れで、三日雨降りで長袖を着たかと思うと、突如晴れ渡ってノースリーブになりたくなる。
 瀬名雫は額にうっすらと浮かんだ汗を指先で拭い、学生鞄の中にあぶらとり紙を入れておいたかどうかを考える。
 ネットカフェ・ゴーストネットOFFはJR池袋駅から歩いて10分ほど。サンシャイン池袋の側にある。
 土曜日は歩行者天国になっているサンシャイン池袋前の通りを早足で抜け、目的の店の前でようやく歩みを緩める。
 二階へ直通の細い階段を上る。雫のお気に入りの場所だ。
 すれ違えもしないような細い階段を上りきると、一気に視界が開ける。片方に開く自動ドアのガラスに、「ネットカフェ・ゴーストネットOFF」の文字が独特のフォントで描かれている。
 今日はまずドコへ行こう。お気に入りのサイトを回る順番を考えながら、雫は自動ドアをくぐる。
 明るい店内に、数十台のパソコンが並んでいた。
 窓に向かうカウンターに10台ほど。後は細かくパーテーションに区切られている。それでも、最近のネットカフェやマンガ喫茶とは違い、閉塞感がない。ゴーストネットOFFは、決して閉鎖的な空間ではないのだ。友達が眺めるページを一緒に覗き、ここで知り合いを作ることだって出来る。
 Onlineの関係とOfflineの関係が混ざり合うことが出来る、希有な空間だった。
 雫は首を伸ばして背伸びをし、自分の特等席が空いているかどうかを見る。残念ながら、そこは今日見知らぬ少年二人に占領されていた。
 二人とも、都内の進学校の制服を着ている。片方はふわふわとした癖毛が甘ったるい雰囲気で、小柄で華奢だ。こちらが椅子に座り、マウスを操作している。
 その斜め横に立ち、一緒に画面を覗き込んでいる少年は、対照的に背が高かった。170を少し越すだろうか。やや屈んで画面を覗き込んでいるため、伸ばした髪が顔に掛かって表情は見えない。
 肩の少し上あたりできれいに髪を切りそろえている。
 雫はちょこちょこと小股で少年二人の側に近寄る。
 二人が話していることが聞こえた。
「黒い部屋、黒い部屋。と。やっぱりロボット検索でも引っかからないですよ」
「そんな簡単に引っかかってたまるか。広告バナーが出るようなサイトをウロウロした方が早いかもな」
「またそんな、いい加減なことを」
 二人はぽんぽんと会話をしながら、あちこちのサイトを巡っている。
 「黒い部屋」という単語が引っかかった。
 最近、雫の掲示板でも聞く単語だ。都市伝説の類で、なんでも真っ黒な広告バナーが表示され、それは現れたが最後絶対に消えない。というのだ。文字も何も書かれていない、ただ黒いだけのバナー。リンクもされておらず、どこにも飛ばないのだが、つねに画面の一番上に表示されて消えることがないと言う。
 殆どの噂はこれだけだが、そういえば昨日。気になる噂を見かけていた。
 その黒いバナーは、出会えること自体が稀なのだが、更に稀な現象が起る時がある。
 どこかへ、リンクしている時がある、というのだ。
 そしてそれをクリックすると、「黒い部屋」に飛んでいくというのである。
 ブラウザの中がではなく、見た者が。
 ほんの二つばかりの書き込みだったのだが。
「二人とも、黒い部屋の広告バナーを見つけたって話の後に家出してるんだぞ。間違いないだろう」
「だからってあなたみたいに当てずっぽうにサーフするんじゃ見つからないですってば」
「他に方法があるなら言え」
 背の高い方が、小さい方を小突く。小さい方は唇を尖らせ、マウスを動かした。
 雫は猛烈な興味を感じる。あと三歩、彼らに近づく。
「ね、ね。お話聞かせてくれない?」
 明るい声を出した。 


 キーボードの前に頬杖を突くのに飽き、黒月焔は回転椅子に深く寄り掛かって溜息を吐いた。
 喫茶店のような明るい雰囲気のインターネットカフェだ。店の窓辺に向かってカウンター形式で机がある。液晶タイプの薄いモニタとキーボード、そして脇には白い箱が置いてある。確か、名前はハードディスク。
 そのパソコン一式が乗ったカウンターには、一定間隔を置いて「ゴーストネットOFF」と店名がプリントされている。小綺麗で、オープンで、若者向け。
 どうひいき目に見たって、自分はここから浮いている。
 唯一アダルトな雰囲気なのは、キーボードの横に置かれたアルミ製の灰皿だ。黒月は灰皿に手を伸ばし、火を付けたまま放って置いた煙草をくわえる。
 放置された煙草はもう半分ほどまで短くなっている。深く吸い込み、天井に向かって煙を吐き出した。
 焔は、このパソコンというヤツがどうにもこうにも苦手なのだ。キーボードは鬱陶しいし、キィの数が多くて訳がわからない。テレビほどシンプルでないがテレビに似た存在。焔の理解はその程度だ。そして、存在の前に「忌々しい」という枕詞が必ずつく。
 IT革命なんて言葉すら埃をかぶっている時代だぞ。友人の言葉が耳に甦る。パソコンなんて嫌いだと言い放った焔に、「オレだって扱えるぜ、パソコンぐらいな」と笑ったのは焔以上に機械が似合わない友人だった。熊みたいな図体して、ごっつい指でキーが一つ一つ押せるのかと聞いてやりたいくらいのワイルドな友人の言葉は、流石に焔を焦らせた。
 その友人が、二時間の割引チケットやるから文明の利器に触ってこい。と言うのでやってきたのがこの場所だった。何故あいつが割引チケットなんぞを持っていたかは知らない。焔以上に浮くだろう、あの図体では。
 パソコンに向かうのも飽きた焔の耳に、「事件」という単語が飛込んできたのは丁度その頃だった。
 平日の夕方と言うことで、店内には学生が多い。焔は煙草をくわえたまま、目だけ動かして声の主を捜す。カウンター席の奥まった場所に、小柄な少女と制服を着た高校生二人が会話しているのが見える。
 あと一時間半、この忌々しい箱から逃げられりゃなんでもいいぜ。
 楽しい暇つぶしが見つかったと、焔はほくそ笑む。事件と聞いては放っておけない。何しろ自分は、草間興信所登録の一流の仕事屋でもあるのだから。
 そう自分自身に言い訳して、焔は聞き耳を立てた。
 少年達が話しているのは、「黒い部屋」というものらしい。黒い部屋というところに飛ぶバナーとかいうものがあって、その特殊なバナーとかいうものをクリックすると、黒い部屋に行き着くことが出来る。黒い部屋が何か判らないが、高校生二人の友人が複数、そのバナーとかいうものを発見した後に家出をしている。
 ふむふむ。面白そうだ。ここは、本職の大人が一肌脱いでやろうじゃないか、若者よ。
 焔はにやりと笑い、煙草を灰皿でもみ消して席を立った。
 
 ×
 
「よう」
 聞き慣れない声が響き、雫はぽんと肩を叩かれた。
 背の高い、黒ずくめの男がすぐ後ろに立っている。萌えるような赤い髪で、店内だというのにサングラスを賭けている。
 ヤクザだ!
 ピコーンと雫の直感がそう告げる。ヤクザはにやにや笑いながら、雫たち三人を見回した。
「黒い部屋、俺も少しばかり興味があってね。何か教えて貰えないか」
 余裕の様子でそう言う。高校生の片方、巻き毛の方が首を傾げた。彼の名前は西原ユウ。先ほど聞いた。ちなみにもう一人の態度が大きい方は氷川ユキヒトという。
「おじさん、何ですか?」
 ユウが問うと、ヤクザは黒川焔と名乗った。なんでも、探偵をやっているという。ヤクザではないようだ。
 探偵、と聞いて雫の胸がときめく。
 あるところに頼まれて、家出少年二人を極秘に捜している。と俄然格好良く見え始めたヤクザ改め黒月氏は説明した。黒い部屋のバナーを見つけたいのだが、粘っても見つからない。協力をしてもらえないだろうかという申し出だった。
「正確には、バナーじゃありません。ポップアップだという話です」
 ユウはそう答え、パソコンに向き直る。あの手この手で三人とも頭を絞って黒い部屋を捜しているのだが、全く見つからない。
「当てずっぽうしかない、か。どうにも雲を掴むような曖昧な話だな」
「パソコンの履歴は膨大ですから見つけ出せませんよ。一応、それっぽいのをピックアップしてきてあるんですけどね。一人でやった方が早いんですけど、この人一人だと怖いっていうもので」
 ユウはモニタを熱心に見つめているユキヒトを指さす。ユキヒトががつんとユウの頭に拳骨を落とした。
「余計なことを言わなくていい」
 不機嫌な声で言う。
 黒月氏が唇をへの字に曲げ、ふんふんと頷いた。
「運任せ、ってわけか」
 呟いた。
 運。
 運、か。
 雫は画面を睨んでいるのにも飽きて、伸びをしながら店内を眺める。時間が遅くなってきて、顔見知りがちらほらと入店している。パソコンに向かわず、身体を寄せ合うようにして楽しく話し合っている学生もいた。
 ピン! とひらめきが訪れたのはその時だった。
 雫はぱちんと指を鳴らす。
 あの子がいたじゃないか。
「名案、思いついちゃった☆」
 雫は小さく呟くと、彼女に近づいていった。
 
 ×
 
 今日は、何となく家に帰りたくない気分だった。
 海原みあおは、お気に入りのサイトを回りながら時計をちらちらと確認する。小学生が入店しても大丈夫な時間は六時まで。あと一時間もある。流石に六時になったら帰ろう、と思うのだが。
 今日は帰りたくない気分、なのだ。
 何があった、というわけではない。そして、誰にでもあるだろう。今日は何となく、寄り道をしたい。今日は何となく、することもないが外にいたい。そんな日が。
 微かに憂鬱な日、というべきだろうか。
 みあおはそんなもやもやした気持ちを慰めるように、ネットサーフィンをしていた。
 ことん、と肘の脇にオレンジジュースが置かれたのはその時だった。振り返ると、みあおに負けず劣らず大変小柄な知人が、にこにこしながら立っていた。
「みあおちゃん、おひさしぶりぃ」
 ゴーストネットOFFのヌシ、とも呼ばれる瀬名雫だ。明るくてよく喋る彼女は、人嫌いでない大抵の客と顔なじみだ。もちろん、みあおもその一人。
 雫の持ってきてくれたオレンジジュースに口を付け、みあおはにこにこと彼女を見上げる。
「あのねぇ」
 甘えた声で雫は言った。
「みあおちゃん、スッゴイ運良かったよね。そんでね、ちょっとお願いがあるのよ〜」
 にこにこしながら雫はいい、それから秘密を打ち明けるようにウインクした。
「とっても楽しいこと。近頃話題の『黒い部屋』のポップアップ広告探し。やってみない?」
「やる!」
 みあおはさっと挙手する。
 雫がぴょんと飛びはね、みあおを手招いた。
 奥の方のパソコンの前に、黒ずくめで髪を赤く染めたおじさんと、高校の制服を着たお兄さんが二人、待っていた。

 ×
 
 出ない。
 雫はうーんと考え込んで腕組みする。みあおはどうやら、ユウの方を気に入ったらしい。膝の上に座り込み、足をぶらぶらさせながらユウに話しかけている。
 面白く無さそうな顔で、ユキヒトが頬を膨らませている。中中求める部屋に到達できないことが不満なのか、それともユウがみあおを愛でているのが気に入らないのかは判らない。凄く整った綺麗な顔立ちをしているのに、拗ねたような表情ばかり浮かべている。
「ふぅ〜〜ん」
 不満そうな声を、みあおが上げる。
「結構当たる確率低いのかなぁ。こういうの自信あるんだけど、見つからないね」
「運だのみ、ね。まあ面白いけどな」
 みあおの言葉に、黒月が感想を漏らす。雫は時計を見上げた。そろそろ、みあおや雫は店から出なければならない時間になってしまう。
 今日、今すぐ、出来ることなら速攻で、黒い部屋に到達したい。
 雫は内心で爪を噛む。みあおちゃんで駄目なら、駄目なら。
 閃いた。
 雫はユウとみあおの足の方にかがみ込み、机の下に置いてある学生鞄に手を伸ばす。カーペット敷きの床に座り込むようにして鞄を引っ張り出し、携帯電話を掴む。
 アドレス帳から、求める番号を選び出す。
 迷わずコールした。
 
 ×
 
 南宮寺天音は、どかんどかんと大股でゴーストネットOFFへと続く細い階段を上った。
 今夜はメッチャクチャ幸運! っていうのが入れ替わりに面倒引っ張り込んできた感じやわ。
 ふくれっ面のまま階段を上りきる。
 ゴーストネットOFFから歩いて5分程のところにある、大型パチンコ店でフィーバーを出していたところだったのだ。そんな至近距離にいたことが仇になり、パチンコを打つ手を休めなければならないような剣幕で
「一生のお願いだから超特急でゴーストネットOFFに来てよう天音ちゃあんっ」
 と壊れたCDのようにリピートされたのだ。雫め、あのおこちゃまめ。
 天音の剣幕に押されて、店から出ようとしていた大学生風の青年が慌てて道を空けてくれる。意外に優男風で顔立ちが繊細だ。
「おおきに」
 天音はにこっと愛嬌を振りまいてやり、キッと店の奥に視線を投げる。
「わぁお! 早い早ぁい♪」
 雫がぴょんぴょんと飛びはね、天音を手招きする。
 幸運が自分の回りをピヨピヨ取り巻いてくれている時に飛込んできた誘いは、断るな。これが天音流の「幸運を無駄遣いしない鉄則」だった。目先の幸運にしがみついて他人を邪険にすると、心が狭くなって運は結局目減りする。正解かどうかは不明だが、天音の経験ではそうなっていた。
「なんやねん」
 天音は雫に詰め寄る。雫はにこにこしながら、彼女の特等席であるパソコンを指さした。
 そこには、中中に愛らしい同い年ぐらいの高校生が一人座っている。その膝の上には、小学生ぐらいの女の子だ。快活そうに見える。そして、その二人の隣には、ちょっとうっとりするくらい美形の高校生と、やや剣呑な雰囲気だが強靱そうな黒ずくめの男性が一人。
「今ね」
 雫は機嫌良く説明を始める。黒い部屋探しをしていて、運を分けて欲しいこと。時間が無いので早急にお願いしたいこと。などなど。
「んもー」
 天音は呆れて首を振る。何だろうか、黒い部屋なんて。
「そう言わずに、手伝え」
 尊大な態度で、美形の方の高校生が言う。天音がぽかんと見上げていると、名前を聞かれたと思ったのか「氷川ユキヒトだ」とぶっきらぼうに答えた。名前なんて聞いてない。
 とりあえず名乗られてしまったので、天音も名乗る。つられて、全員が自分の名前を明かした。
 西原ユウ。黒月焔。海原みあお。
「なんか、うちに特典とかあるん?」
 天音は雫にそう言う。雫は首を傾げた。
「特典ね」
 黒月が頷く。にや、と笑った。
「俺は新宿で、ちょっと洒落たバーをやってるんだが。招待しようか」
「ほんま? うち、バーって一回入ってみたかったねん」
 好奇心を刺激され、天音は思わず笑顔を浮かべてしまう。
「でも、うち未成年やで」
「ノンアルコールカクテルくらい、作れるさ」
 黒月は大人の余裕を感じさせる声でそう言う。探偵で、バーの経営をしている背の高い美形。ちょっとわくわくするような相手だ。
「ユキヒトがほっぺにチュウしてくれますよ」
「はあ!?」
 ユウの方がそう言う。ユキヒトが素っ頓狂な声を上げた。
「バカか。特典は女の子からに決まってるだろう!」
 そう言う頬が心なし赤い。そっちも捨てがたい、と天音はうきうきする。うきうきやわくわくは、幸運を引き寄せる。ポジティブな気持ちでいないと、幸福の女神は微笑んでくれない。
「どっちでもええよ」
 にこにこしながら、頷く。お祭りのようだ。
「じゃあ、この場で出来る方で」
 ユウがユキヒトを小突く。ユキヒトははっきりと頬を赤くした。
「黒い部屋、行きたいでしょ。あ、もしかして南宮寺さんがカワイイからって照れてます?」
「べ、別に!」
 ユキヒトは首を振る。天音の方に向き直り、「頼む」と消え入りそうな声で言う。
 そっと身を屈め、唇の先が一瞬掠めるくらいのウブなキスを頬にしてきた。
「よっしゃ。やる気出たっ」
 天音はにっこり笑い、モニタに向かう。変わるようにユウに言い、もう一人の幸運の女神であるところのみあおを膝に乗せ、自分の手に重ねるようにマウスを握らせる。
「次のページで、出したる。黒い広告」
 自信を持ってそう言う。
 インフォシークに文字を打ち込み、表示された結果にさっと目を走らせる。閃いたモノをクリックした。
「じゃん!」
 黒いポップアップ広告が。
 画面に。
 表示された。
 
 ×
 
 わあっと歓声が響き、帰ろうとしていた御崎光夜は足を止めた。レジへ差し出した伝票をさっとひったくり、店員に手で「ちょっと待って」と示す。
 部屋の隅、いつもなら瀬名雫が陣取っているパソコンの前に、人だかりが出来ていた。男と、高校生の男女が三人と、小学生。妙な組み合わせだが、全員がぱちんぱちんと手を叩いて喜んでいる。
 やかましいが、ゴーストネットOFFではままあることだ。大人気サイトのキリ番を踏もうと粘った後や、懸賞マニアのグループが陣取っている時などにもよくある光景だ。
 何だろうかと光夜が思っていると、椅子に座っていた高校生くらいの女子が立ち上がった。制服は着ていないが、雰囲気が高校生ぐらいだった。
 黒い部屋、という言葉が耳に飛込んでくる。
 光夜はハッとして一同を見た。
 クラスメートが、兄が家出をしたと騒いでいたのだ。黒い部屋のポップアップ広告を見つけたその夜に。と。
 何とかしてくれと頼み込まれ、彼のなけなしの千円を握らされ、光夜は今日学校帰りにここによって黒い部屋探しに明け暮れていたのだ。結局黒い部屋は見つからず、やや落ち込んで帰ろうとしていたところなのである。
 あそこに、表示されてるのか?
 光夜は驚き、伝票を握ったまま一同へ近づく。
 雫の肩越しに覗き込むと、本当に……
 真っ黒なポップアップ広告が、表示されていた。
「すげえっ」
 思わず声を上げる。雫が振り返った。
「あ、光夜クン。こんちわ」
 雫が軽い調子で言う。光夜は「おう」とぶっきらぼうに返し、モニタを見つめた。
 本当に、真っ黒なポップアップだった。
「光夜クンも、黒い部屋に興味あるの?」
「ある」
 光夜は勢い込んで頷き、事情をかいつまんで説明する。モデルのように顔立ちの整った高校生の方が、ふぅんと呟いた。
「意外とみんな、捜してるモンなんだな」
「あなただけじゃなくて良かったですね」
 すかさず、もう一人の高校生がツッコミを入れる。フンと突っ込まれた方が鼻を鳴らした。
「ま、見つかったからうちはお役ごめんやな」
 女子高生の方がにこにこと言う。黒ずくめの男が、「これが俺の店」と洒落たカードを渡した。
「地図書いてある」
「わ。ほんまに行っていいんやね?」
 女子高生が問うと、男はあっさりと首肯する。
 それじゃ、と女子高生が手を挙げる。
 光夜は誰も触れていなかったマウスに手を伸ばした。
 黒い広告に触れる。
 リンクが……
 されている。
 ステータスバーに、異様なURLが表示されている。文字が、小さく震えているように見えるのだ。目の錯覚でも、モニタのせいでもない。
 光夜はごくんと生唾を飲み込む。
 クラスメートの兄のことが浮かぶ。クリックしなければ、始まらないか。
 ま、なんとかしてみせよう。
「クリックしていい?」
 そう言い、マウスをダブルクリックした。
 
 ×
 
 目が、回る。
 貧血を起こして、世界が白く見える時に似ている。
 ぐるぐると、世界が回る。
 歪む。撓む。捻れる。
 身体の中から、自分が引っ張り出されるように感じる。
 世界が捻られ、黒く染まる。
 
 ×
 
 硬い床の上に落ち、雫は悲鳴を上げた。
 あちこちから、小さな呻き声が聞こえてくる。
 貧血でも起こしたのだろうか。雫は身体を起こし、目を開いた。
 世界が、黒い。
「えええっ!?」
 雫は飛び起き、声を上げた。
 黒い。黒い。どこもかしこも真っ黒だ。
 天井もカベも床も、境目が判らないほどの黒。
 電球がないのに、全てが黒いと判る黒い空間。
「ここ、どこっ!?」
 すぐ横で転がっていたみあおが驚いたような顔を上げる。
「黒い部屋……」
 口々に黒い部屋と言いながら一同は立ち上がる。
 相手の姿は見える。しかし、壁や床の境目は見えず、世界は全て黒い。
 黒ずくめの黒月など、手首から先と首から上だけが世界に浮いているようにすら見える。
「うわ、本当に黒い部屋に……来ちゃったんですね」
「みたいだな。黒い部屋としか、表現のしようがない。確かに」
 ユウとユキヒトが身を寄せ合い、囁き合っている。
「うちはっポップアップ呼ぶだけのつもりやったのにぃっ」
 不機嫌な声で天音が言う。雫はあちゃーと頭を掻いた。
「どうしよう」
「さあて」
 それほど動じていない様子で、黒月が微笑む。
「壁を壊してみるところから、始めるか」
「賛成」
 光夜がすかさず頷く。
「壊すって」
 ユウが不思議そうな声を出す。そっと手を伸ばし、壁に触れた。
「硬いですよ、かなり」
「殴ったら痛いだろうな」
 黒月はなんでもないような顔で言う。
「分厚いとちょっと困るか」
「確かに」
 光夜が短く頷く。
 細い脚を上げ、どかんと壁を蹴りつける。
「肉弾じゃ無理だ……な!?」
 光夜が声を裏返させる。
 雫は悲鳴を上げた。
 壁から、天井から、床から。
 凹凸が、膨らんできている。
 それは、顔に似ていた。
 柔らかいビニールに、顔を押しつけるように。黒い顔の凹凸が、壁一面に。
 床一面に。
 天井全体に。
 浮かび上がる……!
「いやああっ!」
 天音が絶叫した。
「わーっ! 僕こういうの苦手なんですけどっ」
 ユウが叫び、ユキヒトにしがみつく。
「オレだって苦手だ!」
 誰だって苦手だ。
 雫は飛び上がり、みあおと抱き合う。
 その足の裏にも、顔の凹凸が浮かんでくる感触が伝わる。
「いやーっ!」
 みあおが叫んだ。
「悪趣味だっ!」
「同感っ!」
 黒月の吠える声に、光夜の声が被さる。
 壁を、炎が舐めた。
 黒月が札のような紙切れを宙に飛ばし、炎上させる。
「発火!」
 光夜がかけ声をかける。小さな掌から、さあっと細い炎の筋が伸び、床を走る。
 火にあぶられた顔が、苦しげに口をぱくぱくさせる。
 こっちも、熱い。
「熱いわよおっ」
 天音が叫ぶ。ぶうぶう言いながら、みあおと雫を抱き寄せる。守ってくれようとしているようだ。
「雷より、マシだろ」
 光夜が冷静に言い放つ。雫はうんうんと内心で頷いた。
 雷は怖い。
 突然、膝の下の感触が柔らかくなる。
 ビニール袋を突き破るように、雫は床に沈んだ。
「きゃああああっ!」
 みあおと天音と絡まり合うようにして、落下する。
 ぼすん、と柔らかい感触が雫の身体を受け止める。
 ずしん、と身体の上に天音とみあおが落ちてくる。
「ぐえ」
 雫は呻いた。
 天音が飛び起きる。
 そこは。
 やっぱり黒い部屋だった。
「何なんだ……」
 少し離れたところで、柔らかい床に横たわったままのユキヒトがうんざりしたように言う。
 違うところがあるとすれば、床がひどくぶよぶよと柔らかいことと。
 部屋の中央に、古くさい大きなブラウン管タイプのモニタと繋いだ、パソコンがあることだろうか。
 ブラウン管には、物凄いスピードで画像が流れている。誰かのネットサーフィン記録を超高速で見せられているようだった。
 少し、宙に浮いている。
 光夜が、黙ってパソコンに近づいた。
 これかな、とか。
 壊すよ、とか。
 そういう言葉は一切なしに、モニタと本体を見事な蹴りで、粉砕した。
 
 また世界が
 回る。
 
 ×
 
 背中に電流でも走ったように、全身が痙攣する。
 びくんと身体を震わせ、雫は目を開けた。
 明るい光が見える。
 ネットカフェ・ゴーストネットOFF。
 その店内だ。
「はぁ〜」
 一歩ばかり離れたところに突っ立っていた天音が、気の抜けた声を出した。
「出れた……かな」
 黒月の低い溜息が聞こえる。
 ぶるぶると、ユウとユキヒトが首を振っている。二人とも額に汗を浮かばせている。
「良かった〜……」
 みあおが呟き、ぼすりと光夜の肩に寄り掛かる。
「はー。無事、だな」
 光夜が疲れたような声で言う。
 モニタの横の時計は、もうすぐ六時。
 光夜がバナーをクリックする寸前と、一分ほどしか進んでいない。
「解決したような気がするな」
 黒月が呟く。
 光夜とユウ、ユキヒトが同時に携帯電話を引っ張り出す。
 三人がどこかに電話をかける。ユウとユキヒトは、居なくなった二人のクラスメートを呼び出しているのだろう。何か手振りで意思の疎通をしている。
「あ、岸辺? お兄ちゃん、もしかして帰ってきてないか?」
 光夜が繋がるのが一番早かった。心配そうな顔が、すぐに安堵、そして喜びの表情へと切り替わる。
「そっか! 良かったじゃん! お前オレに感謝しろよなー? それじゃ、また明日。ん、説明も明日してやるよ」
 光夜が上機嫌でそう言う。
 通話を切った。
「帰ってきてた」
 三人が、にこりと笑う。
 ユキヒトが、一瞬表情を硬くする。
 ユウがユキヒトの脇腹を小突く。ユキヒトは一瞬困ったような顔をし──
「ありがとうございました」
 二人揃って、みあおたちに頭を下げた。
 
 雫は、黒いポップアップを捜してモニタを覗き込む。
 そこに表示されているポップアップ広告は、
 もう黒くも何ともない、ただのアダルトサイトの広告だった。
 
 END


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

 1415 / 海原・みあお / 女性 / 13 / 小学生
 0576 / 南宮寺・天音 / 女性 / 16 / ギャンブラー(高校生)
 0599 / 黒月・焔 / 男性 / 27 / バーのマスター
 1270 / 御崎・光夜 / 男性 / 12 / 小学生(陰陽師)

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■         ライター通信          ■
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 和泉基浦です。こんにちは。
『黒い部屋へようこそ』をお届けします。
 インターネットの広告はスパイウェアが入ってたり結構危険ですよね。
 違う意味での危険をお楽しみ頂けたら幸いです。
 関西弁間違ってたらごめんなさい;
 ご感想等はお気軽にメールくださいませ。
 またご縁がありましたらお会いしましょう。では。