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路地裏の葬送曲 −血の呪縛−
飛ぶように軽い靴音が、狭い路地を駆け抜けた。
それに続くように、もうひとつ別の靴音が続く。
こちらは先のそれよりも、さらに軽い。
「遅れるなよ、光夜!」
「わかってるって、月兄ぃ!」
よく似た声が、互いを気遣いあう。
御崎の家の三つ子の上ふたり、月斗と光夜は、とある組織から受けた依頼をこなすため、ある繁華街へとやってきていた。
その依頼とは、悪魔召喚に失敗した能力者の抹殺。
その男の所属するギルドからの依頼だ。
嫌な仕事だとは思う――だが、選んでいるわけにはいかなかった。
月斗は、兄弟たちが生きていくためだけに、忌々しい能力を使っているのだから。
しばらくすると、路地の奥に汚い倉庫が見えてきた。
情報によると、そこにターゲットが潜伏しているらしい。
「……ったく。なんでついてきたんだ?」
物陰に身をひそめて、月斗は弟に尋ねた。
顔も体つきも全く同じ――違うのは、後ろで束ねた髪の一房が金か銀か。ただそれだけだ。
叔父と末弟なら見分けがつくだろうが、それ以外にはおそらく判断できまい。
「いいじゃん?」
壁にもたれて呆れ顔で腕組みする月斗に、光夜はニッと不敵な笑顔を見せる。
「たまには月兄ぃを手伝いたくてってさ」
「あのなぁ……」
やれやれと首を振って、月斗は嘆息した。
なんのために、小学生ながら陰陽師として働いているのか、わかっているのだろうか?
それは、弟たちを守るためである。
陰陽道の名門である生家を飛び出したのも、望みもしない能力を使うのも、すべて――。
「怪我したって知らないぞ?」
「わかってる。邪魔もしないし、危なくなったらちゃんと逃げるからさ」
光夜は、月斗にとって、自分の存在こそが弱点になりうると知っている。
さすがは生まれたときから一緒の三つ子だ。
「じゃあ、ここで結界を張っててくれ。頼むぞ」
光夜と固く頷きあってから、月斗は静かに身を翻した。
倉庫の中は、暗くてホコリ臭い。
気配を殺して、月斗は静かに侵入した。
排気口らしきものが動く音がする以外は、物音ひとつしない。
本当にここにターゲットがいるのだろうか?という疑問が、月斗の脳裏をかすめた。
(なに弱気になってるんだ、俺――)
珍しく光夜が一緒だからだろうか。普段なら考えもしないことが、次々に頭に浮かぶ。
実家からの追っ手が、跡取りである月斗を連れ戻し、光夜たち不要な弟たちを殺そうとしているのではないか――
(だからあいつらを守るために、俺はこの力を捨てなかったんじゃないか……ビビるな!)
自分で自分を叱咤して、月斗は顔をあげた。
物陰からそっと、倉庫内をうかがう。しかし、そこには誰もいなかった。
そして、なにげなく首をめぐらせると――
ガガッ!!
横殴りの衝撃が、月斗を強襲した。
とっさに体をひねり、受け身をとる。だが、こともあろうに軽々と5メートルくらい吹き飛ばされていた。
すぐさま身を起こし、構える。
そして、自分を殴り飛ばしたのがとんでもない怪物だということを知った。
「オ前――ぎるどノ追ッ手カ」
声帯がおかしくなっているのだろう、人間の声とは思えない怪音を発するそれは、グズグスに崩れ落ちた肉片を体中にまとわりつかせた化け物だ。
召喚した悪魔に体を乗っ取られた、元人間。
強打された頬に張り付いた肉片をぬぐい取り、月斗は眉を跳ね上げた。
「大人しく退治されろ、屑野郎」
高らかに言い放つと同時に、地を蹴る。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前!」
早九字を切り、力一杯符を投げつけた。
本来、薄い紙であるはずのそれは、裂くように宙を疾り、怪物に到達する。
「縛!!」
裂帛の気合いとともに月斗が気を放つと、電撃が怪物を襲った。
「グガッ!」
体をのけぞらせる怪物に、さらに月斗は追いすがる。
だが、怪物は意外にも身軽な身のこなしで、倉庫からの脱出を謀った。
「ちいっ!」
外に出れば、光夜に危険が及ぶ可能性が出てくる。
なんとしても、この中で仕留めなくてはならない。
「ナウマク・サンマンダ・バザラダン……」
いちばん得意な十二支の式神を召喚すべく、月斗は逸る気持ちを抑えてその場で立ち止まった。
複雑な印を結びながら、真言を唱える。
「センダ・マカロシャダ・ソハタヤ……」
あと一息で真言が完成する。
しかし――外に向かっていると思っていた怪物は、そこで急に進路をかえた。
手近にあった鉄パイプを振りかざし、月斗に再び襲いかかってくる。
「――ッ!」
とっさに反応が遅れた。
目の前が暗くなり、鉄パイプが空を切る音がする。
だが、いつまでも衝撃は襲ってこなかった。そのかわりに、別の所から鈍い音が聞こえてくる。
「つき、にぃ……?」
外で待っていたはずの光夜が、頭から血を流して倒れるのを、月斗は見た。
その瞬間は、まるでスローモーションみたいだった。
「う、あああああああああああああああっ!」
その瞬間、月斗の理性は吹き飛んだ。
ボロボロになるまで怪物をめった打ちにし、ありったけの術をたたき込む。
気がつけば怪物は、腕の一本だけを残して跡形もなく消えていた。
「弟に手を出す奴は、容赦しねぇよ……」
絞り出すように呻くその瞳は、太古の氷よりも冷徹だった。
そのあと、月斗はすぐに病院に駆け込んだ。
幸いにも、光夜の怪我はそれほど酷くはなかった。
上手い具合に衝撃を逸らしたようで、血はたくさん出たが骨には異常はない。
「なんで言ったとおり、外で待ってないんだ」
精密検査のために一日だけ入院することになった光夜を、月斗はきつく叱る。
光夜はさすがにバツが悪いのか、表情を曇らせた。
「ごめん。でも俺がいかなかったら、月兄ぃだって」
「俺はいいんだ!だけどもしお前に何かあったら、俺はどうしたらいいんだ!?」
光夜の肩を両手で掴み、月斗は柳眉を逆立てる。
「お前たちを守るって決めたのに……」
「でも俺だって、月兄ぃを守りたいんだよ」
「光夜……」
真っ直ぐに見据えて言う光夜に、月斗はしばし言葉を失った。
「たった3人きりの兄弟だろ。生まれたときから一緒の三つ子だよな?俺だって、月兄ぃばっかり危険な目に遭わせるのは嫌だよ」
光夜の言葉に、月斗は思い出した。
月斗の影武者として、さんざん危険な目に遭ってきた弟たちを。
だからもう二度と、彼らをそんな目に遭わせまいと思ってきた――。
「悪かった、光夜」
きっと、ふたりとも願うことは同じなのだ。
3人の内誰一人として欠けることなく、幸せに暮らしたい。ただ、それだけのこと。
「別にいいよ、月兄ぃ。いつもありがとう」
微笑む光夜を置いて、月斗は病室をあとにした。
なぜだろう――目の前が霞んでよく見えない。
みんなで幸せになりたい。
ただそれだれのことが、とても難しいことに思える。
月斗が血の呪縛から解き放たれるのは、いったいいつになるのだろう?
(弱気になってんじゃねぇよ……)
頬を叩いて、月斗は天井を見上げた。
深く息を吸って、心を落ち着かせる。
(大丈夫だ、俺たちは大丈夫――)
呪文のように何度も何度も唱え、目を閉じる。
3人ならきっと、どんな壁でも乗り越えていける。そう、信じて――。
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