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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


チョコレートアイスクリーム
「ナナシの髪は薄い茶色で、こげ茶色の優しい目をしてるんです。鳥が好きで、公園に散歩にいくと何時間でも座ってるの。身軽で、とても真直ぐに人の目を見ます。チョコ味のアイスクリームが大好きで」
「……ちょっと待って」
ようやく、碇は手を上げて少女を遮った。思いつめたような顔で、向かい合った少女は口を噤む。
「貴方の話だと」
「はい」
「その、ナナシというのは」
犬です、とあゆみは華奢な顎を引いて頷いた。
「一年前に、失踪した、犬なわけね」
「はい」
小さな拳を膝の上で握り締めて、あゆみの黒くて大きな瞳は滲んできた涙で潤んでいる。
中学校の授業の帰り道、教科書のたくさんつまった鞄を抱えて姫川あゆみはやってきた。そして、ぴょこんと頭を下げて言ったのである。
一年前に居なくなったナナシを探してください、と。
「一年経ったら諦めなさいって、おとうさんにもおかあさんにも言われました」
たちまち形のいい眉がへの字になって、あゆみはちょっと乱暴に目を擦った。唇をぎゅっと噛むけれど、堪えきれずに肩が揺れる。
「そうは言っても、ここは探偵事務所じゃないんだけど……」
言いながらも、困り果てた顔で碇は腕を組んだ。いくら敏腕果断な碇でも、子どもの涙には弱いわけだ。
あゆみのしゃくりあげる声をしばらく聞いて、碇は諦めたように振り返った。
「君、雑用は三下君に回していいから。ちょっとこっちへ来て手伝ってちょうだい」


□───月刊アトラス編集部
碇のこの注文に、雪ノ下正風は喜んで従った。
アトラス編集部を思いつめた顔で訪ねてきた女の子は、華奢だがすらりとした体つきをしている。その上はっきりした顔立ちの美少女だ。そんな子が、助けを求めてやってきた。しかも依頼は霊がらみ。編集部で退屈なペーパーワークを続けるより、目の前の女の子。依頼にかこつけて彼女とデートするほうがいいに決まっている。
正風の様子を見て碇は黙って眉を上げる。もしかしたら人選を間違ったとでも思っているのかもしれないが、碇の表情に気づかないふりをして、正風はあゆみを覗き込んだ。
「ナナシを探したいんだね」
正風が問いかけると、あゆみはこくんと頷き、少し硬い顔をしながら、真剣な表情で正風を見つめる。
「一緒に探してくれますか?」
「もちろんだよ」
にっこり、あゆみを安心させるように微笑んで見せた。
「君がナナシとよく出かけていた公園に行ってみよう。何か手がかりがつかめるかもしれないよ」
用心する必要もないだろう。あゆみの話から判断する限り、危険な依頼だとも思えない。公園に行って、霊視をして、彷徨っている霊を空に送って、一件落着。
本業のオカルト小説のネタにはならないかもしれないが、デートをするなら、足が透けている人たちよりも目の前の可愛い女の子、だ。正風だってたまには生身の人間とデートがしたい。勿論、思いつめた彼女の表情に心動かされたのも、立派に理由の一つである。
(うまくすれば、夕方から映画館とかにもいけるかもな〜♪)
気楽に考えながら、正風はあゆみを公園に誘うのだった。
「雪ノ下君。未成年者に手を出すのは……犯罪よ?」
背中に受けた碇の言葉も、あまり気にならなかった。

□───七月十六日:公園
公園手前に出張アイスクリーム屋が出ていた。桜色のヴァンに描かれたアイスクリームの三段重ねが人目を引いている。
公園の入り口にあゆみを待たせておいて、正風はチョコレートアイスクリームを三つ注文した。ナナシの好物だったというアイスクリームである。三つともをコーンで受け取ってから、せめて一つはカップにしておくべきだったと後悔した。
「チョコレートアイスクリーム、買って来たよ」
柵に寄りかかっていたあゆみが顔を上げる。
「三つ目は、ナナシの分だ」
「……ありがとうございます」
ちらっと笑って、あゆみはアイスクリームを受け取った。アイスクリームが零れないように、早速口を付けるあゆみの仕草は、制服を着ていないせいもあってかまだ幼い。そうしていると、彼女はやっぱり年相応に見えた。はたから見ていたら、仲の良い兄妹くらいに思われているかもしれない。歩こうか、とあゆみを誘って、正風は公園を歩き出した。
あゆみは不安そうな顔でついてくる。正風の態度に怪しいものを感じているわけでは……ない。あっては困る。幾らなんでも、そこまで怪しいことを考えているわけではない。
あゆみの心配顔の理由は他にあった。今日が、あゆみが両親と約束した一年目なのである。今日ナナシが見つからなかったら、あゆみは約束を守って彼のことを諦めなくてはいけない。
(碇さんも、ナナシはもういないんじゃないかって言ってたし…な)
あゆみが居ないところで、碇が正風にそう漏らしたのだ。ナナシは死んでいる可能性が高い、と。
「彼女のご両親の話だと、ナナシが失踪した数日後、ナナシに良く似た犬が車に跳ねられて死んでいたらしいのよ」
恐らくそれが、ナナシではないかということだった。どこかで元気に生きてくれているのならそれに越したことはないけれど、と碇は息を吐く。それに同感しながらも、やはりその可能性は低いだろうな、と正風は思う。
今日、正風が公園にやってきたのは、いなくなったナナシを探すためではない。いまだに迷っているかもしれないナナシを、あの世へ送り出してやるためだ。

天気のいい土曜日で、初夏の日差しは強かった。
「雪ノ下さんは、作家さんなんですか?」
「そっ。オカルト小説を書いてるんだ。俺の名前、どっかで聞いたりしたことないかなぁ?」
「えっと…ごめんなさい。怖いお話って、苦手だから読めないんです」
「そっか。あ、そんなに恐縮しなくても」
申し訳なさそうに首を竦める姿がやっぱり可愛い。気にすることないよ、とあゆみに笑って、正風は周囲を見回した。
(なんか…ざわざわするな)
まだ霊視を始めたわけではない。だが、正風の鋭敏な能力はいつもと違う空気を感知していた。なにかが「いる」気配。それも、一つや二つではない。
(悪意があるわけじゃないんだよなー)
成仏しそこねている霊の気配とも、ちょっと違う。ただ、気配が濃厚なのだ。霊の人口密度が高いとでも言おうか。
「どうしたんですか?」
「うーん、いや。なんでも」
熱い日差しで、手にしたアイスクリームはみるみるやわらかくなっていく。
霊視をすることをどうやって切り出そうかと、正風は迷った。死んでしまったナナシを呼び出す前に、彼が死んでいることをあゆみが理解していたほうがいい。
だが、正風が結論を出すより先に、相手のほうからやってきたようである。
(あ……)
木漏れ日の落ちた公園の遊歩道を、一人の青年が歩いてくる。薄い茶色の髪をしていて、とても優しげな顔立ちだ。高校生くらいに見える。正風と目があうと、少年は片手の人差し指を口にあて、「黙って」と言うように小さく微笑んだ。

「チョコレートアイスクリーム、溶けちゃうよ」
あゆみの目の前で立ち止まると、少年は涼やかな声で言った。びっくりしてあゆみが顔を上げる。
「食べないの?」
少年は重ねて聞いて、あゆみの手で溶けかかっているチョコレートアイスクリームを指差した。ナナシのためにと、買ったものだ。
「これは……」
少年からアイスクリームを守るように手を引いて、あゆみは困った顔で正風を見た。自分より少し低い位置にあるあゆみの顔を見返して、正風は苦笑する。
「あげてもいいと思うよ。そのままもってたら、溶けちゃうものな」
あゆみは迷ってからおずおずとアイスクリームを少年に差し出した。
「どうぞ。あの、溶けてるけど」
「ありがとう、あゆみちゃん」
あゆみが目をぱちぱちさせた。少年は、あゆみの顔を見て首を傾げてにっこりする。その仕草はやっぱり犬みたいだ。
少年はあゆみに笑いかけると、正風に視線を向けた。
「あなたには僕のことがわかるんですね」
初対面の人間が交わすには不可思議なその台詞の意味を、正風ははっきり理解した。躊躇ってから頷く。
この少年は、人間ではない。生きてもいない。彼は、もう死んだ存在だった。霊視を使わなくても、正風の感覚がそれを確かに伝えている。
「彼が、きみが探してたナナシだよ。見た目は人間だけど」
怪訝そうにしているあゆみに、歯切れ悪く説明する。あゆみの大きな目が余計に大きく見開かれて、弾かれたように少年を振り返った。
「ナナシ?」
「うん」
あゆみから受け取ったアイスクリームを舐めながら、少年はこっくり頷いた。
「きみに会いに来たんだ」
と言う。
「でも、なんでだ?あんた、成仏してるじゃないか」
そう、目の前にいるこの少年…ナナシは成仏している。あの世へいけなくて迷っているわけではないのだ。
たちまちアイスクリームを食べ終えて、少年はコーンを齧る。
「迎え火が焚かれていたから」
「あ……」
ナナシに言われて、正風は思い当たった。今日は、七月十六日……。
「……そうか。盂蘭盆会」
迎え火を頼りに、死者がこの世に戻ってくる日である。十三日にやってきて、十六日に、送り火とともに帰っていく。思い当たらなかったのは不覚だった。
「うらぼんえ?」
不安そうにあゆみが正風を見上げている。その瞳が泣きそうなので、ちょっと困った。
「一般にはお盆って呼ばれてるね。死者が……家族に会いに戻ってくる日だよ」
「ごめんね、あゆみちゃん」
チョコレートアイスクリームを食べ終わったナナシの掌が、優しくあゆみの頭を撫でた。
「一年間も、泣かせてばっかりでごめんね」
「ナナシ、もうあたしと一緒にいれないの?行かないで」
あゆみがついには泣き出して、ナナシの胸に飛び込んだ。
ああ、霊を成仏させてあゆみちゃんを慰めるのは俺のはずだったんだけどなあと、正風はその様子を微笑ましく眺めながら苦笑した。
「送り火が絶えないうちに、僕はまた帰らなくちゃいけないんだ」
すがりつくあゆみの背中を撫でて、ナナシは言い聞かせるように言った。
「あゆみちゃんに一言伝えたくて、今日は戻ってきたんだよ」
「ナナシ」
「ぼく、あゆみちゃんが大好きだったよ」
言うなりあゆみの鼻面にキスをして、ナナシは笑って「わん」と言った。
彼女の背中を撫でていた手が離れ、ナナシの身体は次第に透き通っていく。
「チョコレートアイスありがとう」
突然顔を向けられてにっこり笑われたので、正風は片手を上げてそれに答えた。人間にあゆみちゃんを横取りされたのなら腹も立つが、相手はナナシだ。怒ってもしょうがない。
ナナシは二人に背を向けて、公園の遊歩道を歩いていく。木漏れ日に紛れるように、ナナシの姿は薄くなって消えてしまった。
「あゆみちゃん、帰ろうか」
細い肩にそっと手をかけて、正風は促す。
「夕方ごろに家に帰って、ナナシのために送り火を焚いてあげよう」
そういうと、ようやくあゆみはこっくりと頷いた。


□───再び編集部
「と、まあそういうわけで事件は無事解決しました」
報告を聞き終えた碇が、端正な唇を綻ばせて彼を労う。
「お疲れ様。頼んだ時は大丈夫かと心配したけど、どうやら杞憂だったみたいね」
そりゃあね、と正風は苦笑する。
「何にも出来ないですよ。あんなとこ見せられちゃ」
「あゆみちゃんには、新進気鋭のオカルト作家より、愛犬のほうが魅力的だったみたいね」
「まあ、今回は俺の負けってことで」
よく言うわ、という碇の声を背に受けて、正風は歩き出した。
手の中には二枚の映画のチケット。
勿論、ホラーやスプラッタものではなく、感動もののハリウッド映画である。
「フラれたら、早くも二連敗だなぁ」
編集部を出て、盂蘭盆会に出会った少女と連絡を取るべく、正風は電話ボックスを探すのだった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
・0391/雪ノ下正風/男/22/オカルト作家

NPC
・姫川あゆみ:14歳。一年前に居なくなったナナシという犬を探してもらうために編集部にやってきた
・ナナシ:犬。ゴールデンレトリバー。

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■         ライター通信          ■
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こんにちは。ご依頼受理ありがとうございます!
なにやら恋愛風味じみて…よかったんでしょうか。よくなかったらすいません!(事後承諾)
プロフの幽玄道士という響きが懐かしかったです。昔よく両手を突き出して死後硬直状態でピョンピョンしたアレですか?
今回はほのぼのっぽくなってしまいましたが、将来ホラーとか怪奇な話を書く折には、また正風君のことを書かせていただきたいと思います。修行しときます!
では、またどこかで遊んでいただけることを願っております。

在原飛鳥