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浮男がもたらすもの
■序■
東京某所に、アミューズメントスポットがまたひとつ誕生した。
『パレド21』。
平たく言ってしまえば89階建てのビルであったが、このビルは只者ではなかった。ショッピングモールからコンサートホール、プールに動物園、まさに遊ぶため、喜怒哀楽の『楽』をとことんまで追求した空間だ。
『パレド』はガラス張りの美しいビルだった。どこぞの有名な建築家がデザインした斬新なフォルム、そして3階から最上階までの吹き抜けが目を引く。若者たちは『パレード』が目を覚ますオープン初日を心待ちにしていた。
が――
ここのところ、『パレド』周辺ではあまり愉快ではない噂が広まりつつあった。
吹き抜けのある建物の中で、たびたび『浮いている男』が目撃されるようになったのである。『浮男』の噂は『パレド』オープンを3日後に控えた世間の中では、非常に小さな歪みであった。が、ゴーストネットOFFのBBSに『浮男』の噂が書きこまれ続けているのは事実であり、月刊アトラス編集部の碇麗香の耳に入っているのもまた事実。
華々しい噂のまさに影。麗香は興味を持ったようだ。
「ただ見下ろしてくるだけで何もしない。何も言ってこない。まだ写真も手に入ってないわ。でも、見た人は確かにいるの――この編集部にもね」
麗香はちらりと三下に目を移した。三下は目下原稿と格闘中。どうやら彼もこの件を担当しているようだが、あの様子だとスムーズにことは進んでいないようだ。
「三下くんの近視が進んだってわけでもない限り、『浮男』が現れているのは本当みたい。取材をお願いするわ。……そうね、お礼は『パレド』2日間フリーチケットで払ってもいいわよ」
珍しいこともあるものだ。麗香がこんな晴れやかな報酬を用意しようとは。
ひょっとすると、麗香も『パレド』のオープンを楽しみにしているのだろうか?
いやいや、おそらく彼女は、おそらく面白いレポートを楽しみにしているのだろう。そうであるべき気さえするのは何故だろうか……。
■麗しのパレド■
そうして、4人(3人+1匹)の男女がアトラスの臨時雇われ記者となったのだが――
残念ながら麗香の誘いに乗った臨時記者たちは軒並み、『浮男』よりも『パレド21』に興味を抱いている始末であった。無理もない。
浮いているだけで何もしてこない男より、シビアなマスコミまでもがオープンを指折り数えて待っている『パレド』のほうが、よほど魅力的というものだ。
海原みそのはフリルがふんだんに施された黒装束を身に纏い、灰色の猫を抱いていた。目立つ。
「……嬢ちゃん、また今日は派手な格好だな」
とりあえず彼女の姿を1枚カメラに収め、控えめに言ってみたのは、武田隆之。今日のみそのは派手だが、服のセンスはそれなりだ。いい被写体を逃すべきではない。
「ま、べつに『内密にやれ』とは言われてへんしー、ええんちゃう?」
麗香から貰ったマスコミ向けの『パレド』パンフレットを眺めているのは、淡兎エディヒソイことエディー。その一言はどこか茫洋としていた。彼は17歳の高校生だ。遊びたい年頃である。
「……目立たない服を、選んできたつもりなのですが」
猫の背を撫でながら、みそのが首を傾げた。
猫が不意に小刻みに震えて、みそのの腕の中でうずくまる。
「エリゴネ様、何故お笑いになりますの?」
「……エリゴネ?」
「このお方ですわ」
猫はどうやら笑っているらしい。さらに、どうやらエリゴネというようだ。みそのはきょとんとした面持ちで隆之の疑問に答える。
……この少女はどうも、『不思議系』というか……。危うく『電波系』と思いそうになってしまった隆之は、ふるふると首を振った。それから、常備しているミネラルウォーターを喉に流し込んだ。今日の水は、南アルプス。
「おっちゃん、えっらい汗やなあ。今日て、そんな暑いか?」
「体質なんだ」
「そら問題や。暑なるの、これからやで」
「あのなあ、……それくらいわかってるって。もう35年この身体と付き合ってんだから」
しかし、エディーに言われたことで改めて「夏はこれから」だと思い出し、隆之は汗を吹き拭き項垂れるのであった。
みそのの腕の中の藤田エリゴネは、そういった人間たちの様相を見て、飽かずくすくすと笑っているようだった。
■ともあれ調査を■
武田隆之は、この4人の中で唯一、この仕事を仕事として引き受けた人間だった。35歳という年齢がそうさせたのかもしれないが、『パレド』にはあくまで取材対象としての興味を抱いている。
――要するに遊園地なんだろ、『パレド』ってのは。いいトシした野郎が行ってもねえ……
彼は『パレド』に興味はなかった。誰もとらえたことがないという『浮男』、それを自分ならフィルムに収められるかもしれないと考えていた。不本意ながら、隆之が撮る写真のほぼ3割は心霊写真だ。今ではすっかりアトラスも得意先だし、碇麗香や三下とも縁がある。
手分けして情報を探ることにし、4人はアトラス編集部前で別れた。
隆之は編集部内にとんぼ返りをすると、とりあえず顔見知りの記者を探した。……どうも、皆忙しそうだ。三下も居たが忙しそうだった。だが所詮は三下である。
「頑張ろうなー、三下くん!」
隆之は三下の猫背をぶっ叩いた。踏まれた猫のような悲鳴を上げて、三下は背筋を伸ばす。それから若い記者は、おどおどと隆之を見上げてきた。
「は、はい、頑張ります」
「『浮男』の調査を、か。有り難いね、さすがだね」
「え、ええぇ?! 僕、いま没にされた『人面猫』の記事を……あうっ」
三下の抗議は途切れた。隆之ががっきとその首に腕を回したからだ。
「そんな時代遅れなネタより、パレドだ、パレド。もともとお前が担当してるネタだろうが。俺は写真を引き受けるし、チケットもやるからさ。情報集めてくんねーかなー」
「う、うーん……」
この三下が華々しい『パレド』のフリーチケットに釣られたとはなかなか考えにくいが、とりあえず、隆之は三下に聞き込みを手伝わせることに成功したのだった。
みそのは相変わらずエリゴネを抱いたまま、街へと繰り出す。
(貴方は、私の思いを読めるのね)
エリゴネは『言う』。
「ええ、思いも気の流れのひとつ。ただ、貴方様と同じいきもの……ねこ、と申しますの? 人間と同じような思い……そして人間よりも強い力をお持ちなのは、エリゴネ様だけのよう」
みそのは『答える』。
みそのはこの猫又と、白王社ビルの前で出会った。そこらの猫とは及びもつかぬ、強い思いの流れを感じたのである。ひょっとすると、人間以上かもしれない。
エリゴネもまた、この道化のような黒衣を纏った少女が只者ではないことを、鋭い感覚で読み取った。この少女は、深い冷たい水の匂いと共にある。そして、何か大いなるものの加護と呪いを受けている――巫女、とでも呼ぶべきだろうか。猫を知らずに育つほど、彼女は遠く暗い処に囚われている。しかし彼女自身は、自らを『囚われの身』だとは思うまい。エリゴネがそうとらえただけに過ぎないのだ。
(そう、私は少しだけ変わった猫。でも、今は貴方と同じ気持ち)
「同じ――」
(いやな予感がするのよ。けれど、『浮男』よりも『パレド』に興味があるの)
みそのは柔らかな笑みを大きくした。
エリゴネも微笑んでいた。
「ふたり」は今、目覚めを間近に控えたガラスの塊、『パレド21』を見上げている。
「何でしょう、この『流れ』……変わった建物ですのね」
(屋上からの眺めは、素晴らしいでしょうねえ)
ガラス張りのビルは、周囲の無機質で無愛想なものと違い、どこか活き活きとしており――そしてなぜか、言い様のない不安を感じさせる佇まいで聳え立っていた。
エディーは2人+1匹と別れた後、『パレド』近くのビルに入り、適当なベンチに座っていた。彼はいま鞄を抱えて、こくりこくりとうたたねをしているところだ。ロシアの血が混じった容姿は、時たま女性の視線を浴びていた。根元まで完璧に銀色のその髪が、白い肌に映えているのだ。
ここは洒落たショッピング関係のテナントが入った、比較的新しいビルである。エディーが弁当を広げたベンチは、吹き抜けの下にあった。
目当ては『パレド』のフリーチケットではあるが、それ相応の働きを見せなければ貰えるものも貰えない。『浮男』の調査はするつもりだ。ただし今は寝ている。というのも、待ちくたびれたからであった。
『浮男』は『パレド』周辺の拭き抜けのある建物に現れる。
それは今現在エディーたちが持っている最低限の情報である。とりあえず、エディーはその情報に従った。
しかしかれこれ2時間半、エディーはここにいる。そしてそのうちの1時間ばかり眠っていた。
……何か気がかりな夢を見た気がする。悪寒にも似たものに叩き起こされて、エディーは碧眼を開き、溜息をつきながら肩をすくめた。
「……何や、ええ気持ちで寝てたのに」
誰にというわけでもなく愚痴りながら、エディーは持ってきた弁当を広げた。
■浮いている男■
みそのとエリゴネが『パレド21』を見上げたとき、
隆之が『パレド21』をフィルムに収めたとき、
エディーがお手製の弁当を広げたときに、
「悪い予感」がその腕を広げて、『パレド』周辺に覆い被さる。
言い様のない焦燥感と不安を急に感じ取りながらも――人々はそれをいつも、気のせいだと片付ける。そう、全ては気のせいだ。その目に映り、記憶に留まることがなければ、その思いは何の事象とも結びつけられることはない。それでいいのだ。いちいち気にかけていては生きるのにも苦労するほど、「悪い予感」は溢れているものだから。
エディーの料理の腕は別の方向で素晴らしいものだったが、今日のサンドイッチは例外的に、良い出来だった。エディー以外の人間でも食べられそうなものだ。
或いは、人間以外のものでも口にするかもしれない。
妙な視線を感じて、サンドイッチを食べようと口を開けたまま、エディーは顔を上げた。
求めているものがそこに居た。
この場で拭き抜けを見上げているのはエディーだけだ。若い女性客は服や雑貨やクレープに気を取られている。その方がいいだろう。あんな、異様な、『浮男』など、見ないに越したことはない。
エディーには、男が物欲しそうな顔をしているように見えた。
実際男がそのような顔をしていたかどうかは疑わしい。
何しろ、男に顔はなかったからだ。
逆光ではあったが、男の顔はまるで意図的に隠しているかのように暗く翳っていた。衣服も漆黒だ。まるで影のようだった。
「欲しいんか?」
微笑みかけて、エディーは軽く手を上げた。
下ろしてやる。
彼の力ならば、それも容易いことだ。この星の重力という呪縛から、すべてのものを解放する。惜しむらくは、エディー自身がその力の対象にはならないこと。彼はあの男のように浮くことが出来ない。
しかしエディーは、眉をひそめた。
男を下ろすことが出来なかったのだ。
「アイツ、生きもんちゃうんか――」
その影の顔を見つめていると、エディーの肌は粟立ちはじめていた。
■パレドの功罪■
数日後執り行われた『パレド』オープニングセレモニーは、目覚めの儀式とはならなかった。
今、現場は立ち入り禁止。消防はおろか自衛隊まで出張る騒ぎだ。
しかし――現場は、日の光を受けて、美しくきらめいている。
少なくとも、4人(と、三下)が行った調査によって、月刊アトラスの記者に被害は出なかった。報告を受けた麗香が、記者が『パレド』及びその周辺へ行くことを禁じたからである。『浮男』が伝えてきた警告は、小規模ながらも、とりあえず役には立ったといえるだろう。
エディーの存在もまた、少しばかりの人を助けた。
それは、始めは事故として伝えられた。
華やかなオープニングセレモニーの中で花火が打ち上がり、人々が歓声を上げた。びりびりと空気は震え、『パレド』を祝福したのだ。
そのとき空に浮いていた男は、あまり多くの人々の目に止まることもなかった。小さな『悪い予感』は、気のせいだとして片付けられてしまっていたからだ。特に、こんな賑やかで楽しい場では。
『パレド』の入口が開き、人々をごうごうと飲み込む。
それは流れである。
出し抜けに、その流れは途切れることになった。
しゃん、
『パレド』の外壁とも言えるガラスが砕け散り、破片はきらめきながら、人々の頭上に降り注いだ。割れないはずのガラスであり、また、もし割れたとしても、破片は粒状になる加工が施されていた。最先端の技術のおかげで、人間がミンチになる惨劇だけは何とか免れたが、その混乱は筆舌に尽くし難いものとなった。
淡兎エディヒソイはそこにいた。あの『浮男』を見たことで、さすがの呑気なエディーの気持ちも変わっていたのだ。『パレド』への期待は消え、代わりに悪い予感を抱くようになっていた。その気持ちが、彼を『パレド』のオープニングセレモニーへと導いたのである。
降り注ぐガラスの粒を、出来るだけ引力から解放した。その混乱の中では、たった直径10メートルの安全地帯に人々は容易に気がつかなかった。
だがエディーは、親からはぐれてしまった小さな兄弟を救うことが出来た。
麗香がすんなりと『悪い予感』を受け入れたのには、もうひとつわけがある。
『パレド』オープニングセレモニーには、三下の他に2名ほど取材に行かせるつもりだった。麗香にそれを思い止まらせ、『パレド』周辺への立入り禁止令を下させたのは――エリゴネと名乗る婦人であった。
年齢不詳、国籍不明の貴婦人だった。日傘、手袋、灰のドレス、どことなくフランスを思わせる風貌の。
「モスマン、と云うのをご存知ですか?」
不可思議な蒼い瞳で、エリゴネは麗香をじっと見つめながら言ったのだ。
まるで猫のような見つめ方であった。
「ええ。アメリカによく現れるっていう……」
「おそらく『浮男』はモスマンの一種。モスマンとは、啓示のようなものですの。事故が起きる現場に現れる。人々の『悪い予感』が具現化したもの」
「『パレド』で事故が起きると?」
「おそらくは、近いうちに。予感が事故を引き起こすこともありますでしょう?」
謎めいた貴婦人の忠告に、麗香は黙りこんだ。
「建築屋の話だと、あのビルはかなり無茶な造りだったらしい」
三下とともにかき集めた情報は、隆之を逆に安心させた。自分の撮った写真にはちゃんと意味があったし、悪い予感も的中してくれた。何も起きないことに越したことはないのだが、そう思ってしまったのである。
「きっとマスコミはそのことを嗅ぎつけるだろうな。で、調査団にも気合が入る。『パレド』の計画は……どうも、夢に終わりそうだ」
麗香は報酬代わりの『パレド』ペアフリーチケットを取り出して、溜息をついた。チケット代は全て払い戻されるそうだ。
みそのは妹たちと約束してしまった手前、かなり残念であった。そして、この不幸が起きることを予知できていたにも関わらず、それでも『パレド』を目覚めさせようとした世間が信じられなかった。……またひとつ、神への問いが増えたのだ。
「あなたたちにはよく働いてもらってるし」
麗香がまたしても珍しいことに、気の利いた真似をした。
「そうね、ディズニー・シーのチケットを代わりにあげるわ」
「ホンマに? やった!」
「『でぃずにー・しー』……ああ、妹が行きたがっていたはずですわ。よかった、これで妹たちにも顔向け出来ますわね」
「……ペアで?」
ただひとり渋面を作っているのは、隆之。
「要らないの?」
「遊園地なんて歳でもないし、相手もいない」
隆之はぼりぼりと頭をかき、ふと三下を見て、苦笑いをした。
「ま、三下と行くってのもありか?」
「えええ、武田さんとですか?」
「……おい、その反応は失礼だろ」
「では、わたくしと行きましょうか? 隆之様」
みそのは微笑み、三下と隆之の掛け合いに割って入ってきた。
(了)
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1207/淡兎・エディヒソイ/男/17/高校生】
【1388/海原・みその/女/13/深淵の巫女】
【1466/武田・隆之/男/35/カメラマン】
【1493/藤田・エリゴネ/女/73/無職】
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■ ライター通信 ■
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モロクっちです。お待たせいたしました。
『浮男がもたらすもの』をお届けします。
ちなみに今更ですが、「うきおとこ」と読みます(笑)。友人から「うきお」と読まれたので一応。うきおと読むと一気にコメディ路線になりますね。タイトルって大事です……。
■淡兎エディヒソイ様
はじめまして!
このたびはご参加有難うございます。描写等、ご満足いただけたでしょうか。
浮男とコンタクトを取ろうとされたのはエディー様だけですが、一応人でも幽霊でもない相手ですので、こういう結果となりました。
それとも、浮男にはエディーさんのサンドイッチに『悪い予感』を感じたのかも、です(笑)
それでは、またご縁がありましたらお会い致しましょう。
ご参加有難うございました。
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