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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


怨霊温泉へようこそ!


■#0 プロローグ

 とんでもない事件に巻きこまれるきっかけとは、得てして、何気ない日常の中に存在する――とるに足らない、ごく当たり前のような出来事だったりするものだ。
 この時のきっかけは、ほんの一枚の紙切れだった。

 商店街の大売出しセールで、晩飯の材料と、俺が頼んだ煙草を買い出しに行った零が、たまたま煙草屋の婆さんから渡された福引券。
 全ての事件が片付いた今になって考えると、あれはまさしく地獄の片道切符で、あれを零に手渡した婆さんは、自らの領域に新たな犠牲者を誘いこもうと目論んだ、悪魔の化身か何かだったのかもしれない。
 そして、たった一回のチャンスで、がらがらと回る福引の抽選器から、見事黄金色の玉を吐き出させた零の幸運もまた、悪魔の陰謀というしかない。
 ともかく、零は煙草と晩飯の他に、特賞である闇津(やいづ)温泉二泊三日の旅のチケットを手に、大喜びで戻って来た、というわけだ。

 闇津温泉・杏寿閣(あんじゅかく)……。
 神奈川は箱根にほど近いところにある、山間のひっそりとした温泉旅館だ。
 そこには乳白色の、肌にはとてもいいという湯が湧いているのだという。
 だが車一台通るのがやっとという道が一本きりという交通の便の悪さ故にか、行楽シーズンであっても客足は少なく、いわば隠れた名湯とも言える。
 事実俺も、そんな温泉郷の存在自体、零が買ってきた観光ガイドを見るまでは知らなかった。
「連れて行ってやりたいのはやまやまなんだが……」
 わざわざガイド本まで買ってくるとは、よほど嬉しかったのだろう。そんな零の気持ちを考えると残酷な気もしたが、探偵稼業はサラリーマンとは違う。
「この日程では無理だ、零。予定は来月頭まで詰まってる」
 予想通り、零の愛らしい表情が落胆の色に染まる。
「その代わり、今抱えてる依頼が片付いたら、改めてどこか別のところに連れて行ってやるよ。もったいないが、この特賞のチケットはあきらめよう。
 ……そうだ、どうせなら、いつも事件の調査を手伝ってくれてるあの連中にプレゼントしてやるか」

 この時ばかりは、日々飛びこんで来る厄介な依頼と、それに追いまわされる多忙な我が身に感謝しなくてはならなかったのだろう。
 ――かくして図らずも、二泊三日の温泉旅行は、闇津温泉が別名『怨霊温泉』と呼ばれていることなど、何も知らぬ者たちに委ねられたのだった。

(草間興信所事件簿より抜粋)


■#1 温泉出発!

 そして、初夏の某日。
『温泉旅行いきませんか?』
 と、やる気のなさそうなマジックの筆跡で、草間興信所の冷蔵庫に張り出されているのを真っ先に見つけたのは、シュライン・エマだった。
「ちょっと何これ、武彦さん」
 一発で武彦の筆跡と見ぬいて、デスクでやる気なさげに資料を見ている張本人を睨む。
「……ん、どうしたんだ?」
「私の許可なくこんなもの貼らないでよね。一応この冷蔵庫のとこは私が管理してるんだから」
「はいはい」
 気のない返事で、煙草をふかす武彦。
「んで、何この温泉旅行って?」
「ああ、零がこないだ町内会の福引で当ててきたんだよ。でも、日程がちょうど忙しい時期でな。俺も零ものんびりしてられないんで、代わりに誰か行かないかと思ってな」
「せっかく当ててきてくれたんだから、零ちゃんだけでも行かせてあげればいいのに……」
「俺もそうしたかったんだけどな。零がいないと何かと困るのさ。他の誰にヘルプを頼んだって、あいつの代わりは務まらないからな」
 武彦の言葉を聞いて、シュラインは微妙な気持ちになった。
(私には一言だって、そんな台詞吐いた事ないくせに……)
「興信所が忙しいんじゃ仕方ないわね……」
 はあ、と溜息をついて、シュラインは日程を見る。
 一週間後に出発、とある。
 せめて自分が手伝ってでも零を行かせてあげたかった。その思いの中には、零と武彦の間に割り込むチャンス、という打算もほんのわずかにあったのだが――。
 しかしこういう時に限って、翻訳業の〆切日と近かったりする。シュラインは己の仕事運のなさを呪った。
「ごめんね、私も手伝いたいんだけど、ちょうど本業が……」
「いいよ別に」
 資料に目を向けたままであっさりと答えた武彦に、シュラインの表情がひきつる。
(いいけどね、別にさっ……)
 ひっそり拗ねているその心中を知ってか知らずか、武彦は言葉を続けた。
「そうだ。どうせなら、君も行ったらどうだ? 温泉」
「えっ?」
「ワープロさえ持っていけば向こうでも仕事はできるだろ。どうせ書くならゆったりした気分でやったほうが、いいものが書けるだろうし」
「でも、私は……」
「遠慮しなくてもいい。どうせタダだし、美味い物も食えるらしいぞ」
 タダ、という言葉が、日頃極貧生活を送っているシュラインの耳朶には甘美に響いた。
「君にはいつも世話になっているからな。こんなことくらいしかできないが、よかったら俺や零の分も楽しんできてくれないか」
「え、ええ……」
 そう言われるとシュラインも悪い気はしない。こくり、と頷いてから、
「でもこの張り紙は別のところに移しますからね」
 と、まるで子供を叱る母親のような口調で告げた。

         ※         ※         ※

「何、二泊三日で温泉旅行!?」
 孫娘の言葉に、神主服を纏った老人が振り向いた。
「はい、エマさんが誘ってくださったんですよ」
 老人の孫娘――白と紅の巫女装束を纏った黒髪の美少女、天薙撫子(あまなぎ・なでしこ)が嬉しそうに応える。
 ふーむ、と老人は唸って、 
「それで……その、なんじゃ、その温泉旅行とやらは、男もいくのか、ん?」
「いえ……今のところ、他に参加する方ははっきりと決まってないみたいで……」
「まさか、男と同室とかということはあるまいな、んん!?」
 そう問う祖父の血走った目に気おされながらも、こくりと頷く撫子。
「――ま、いいじゃろ。エマ殿のお誘いなら、『ひとなつのあやまち』もあるまいて」
 ふぉっふぉっふぉっ、と笑う祖父。その言葉の意味が撫子にはよくわからなかった。
「それで、どこの温泉へ行くんじゃ? 熱海か、伊豆か?」
「わたくしはよく存じていないのですが、闇津温泉というところだそうですよ」
「闇津……じゃと?」
 老人の表情が、途端に複雑なものに変わった。

         ※         ※         ※

「お、シュラインさん」
 不意に鳴った電話を受けて、売り出し中のオカルト作家・雪ノ下正風(ゆきのした・まさかぜ)は陽気な声を上げた。
「どう、例の原稿。もう上がった?」
 『例の原稿』というのは、今現在シュラインが抱えている翻訳の仕事だ。
 依頼先の出版社は、もともと正風がシュラインに紹介したところなので、シュラインが今どういう仕事を受けているのか、正風にもある程度の情報は入ってくるのだった。
「えっ、温泉で書くの!?……いいなあ……」
 羨ましそうに呟く。
 そして次の瞬間、電話の向こうのシュラインが告げた言葉に、歓喜と驚きの入り混じった、まるで子供のような無邪気な声を上げた。
「……いいの!? ほんとに!? うわ、嬉しいなそれは……。行く行く! 絶対行くよ! うん!」
 話がまとまって、嬉々として電話を切る。
「いいねえ温泉……。露天風呂に酒に美味い料理……そして風呂上りの色っぽい浴衣のおネエちゃん!」
 ぐっ、と、手を握り締め、シリアスな顔であさっての方向を見つめる。
「これこそ、漢の浪漫だな……」

         ※         ※         ※

「へえ、温泉なあ」
 シュラインの手によって、武彦のデスクの横腹に貼られた張り紙をのぞきこみながら、草間興信所に顔を出した淡兎・エディヒソイが呟いた。
 眼鏡の奥の端正な白い貌に、興味をそそられた風な愉しげな表情を浮かべる。
「草間さん、うちもこれ、行ってええんかな?」
「俺はかまわんよ。だが詳しくはシュラインに聞いてくれ。実質彼女が今回の旅行の幹事みたいなもんだからな」
「好きでやってるわけじゃないけれどね」
 コーヒーを盆に乗せて持ってきたシュラインが、怒ったように言う。
「なあなあシュライン姐さん、うちも行ってええやろ? うち、あれやりたいねん」
 人差し指を伸ばし、銃の形を作って、ばぁん、と口で銃声を真似るエディー。
「……射的ね」
「そそそ、うち得意やねん、あれ!」
「人数はまだ余裕あるから行けるわよ」
「おおきに! ほならさっそく、行く支度しますわ!」
 嬉々として去っていくエディーに、武彦とシュラインは顔を見合わせると、肩をすくめて小さく笑った。

         ※         ※         ※

 地上の光も満足に届かぬ、深遠の闇の世界。
 水底を統べる『神』の眠る深海の地に、人魚族の血を継ぐ深遠の巫女・海原みそのは棲んでいた。
「……温泉? 何なの、それは……?」
 長い黒髪を水の流れにたゆたわせながら、本来の人魚族としての姿に化身した海原みそのは、静かな声で、妹に問い掛けた。
「んー、なんて言ったらいいかな……要は、あったかいお湯がたくさん湧き出ているところなんだけど――」
 みそのと向かい合った青い髪の人魚――みそのの妹である、海原みなもが、わかりやすい言葉を選んで説明する。
 主に地上で人間としての生活を営むみなもと異なり、この水底の世界で『深遠の巫女』として『神』に仕える役目を負ったみそのは、まだあまり地上のことをよく知らない。
 それでも地上で異変が続発している最近は、みその自身も『神』の意思を受けて地上に上がる機会が多くなったので、だいぶ人間世界に慣れてきたようではある。
「とにかく、それに浸かるとお肌にすごくいいのよ! エマさんに誘われたんだけど、あたしはバイトでちょっと行けそうになくて。……カツオのお礼もあるし、よかったらお姉様、いってみない?」
「そうね……」
 妹の言葉に、みそのは興味を示したようだった。

         ※         ※         ※

「温泉っ!? 露天風呂っ!? しかもタダ!? なんてステキなの〜!!」
 携帯を片手に、興奮した様子で少女が叫んでいる。
 コンクリートも剥き出しの、薄暗いがらんどうな空間にその声が響き渡り、反響する。
 都心部のど真ん中に放置された、『悪霊の巣』と噂される不気味な廃ビル。そんな場所で出会うには、その少女はあまりにも場違いな存在だった。
「行く行く! 絶対かぐやは行くよ〜!!」
 顎よりも少し長い程度の黒髪、くりくりとよく動く大きな漆黒の瞳。空色のブラウスとスカートに包んだ、小柄で細身の体躯。全てが愛らしく、薄闇に覆われ、澱んだ空気に満ちた世界においてさえ、眩い光を放つような少女。
 名は、灯藤かぐやといった。
「それで、いつ出発!?……ふんふん、それじゃあすぐ支度しなくっちゃ! え!? うんうん……」
 熱を帯びた口調で話しこんでいる少女の背後で、不気味な影がもぞり、と動いた。
 虫を思わせるおぞましい動きで、影はかぐやへと迫る!
「あ、今? 今ね、妖怪退治のアルバイトしてるんだけど――」
 背を向けたままのかぐやに、影――それは、この廃ビルに巣くう邪念が形を為したものであった――が、覆い被さろうとする。
 その刹那。
「――ドリィィィィィィィィィィム!!」
 不思議な(?)叫びとともに、かぐやの身体が黄金色の閃光を帯びた。
 ごばっ!!
 少女の身体から――いや、正確には、身体を覆っていた光の中から、巨大な楕円系の物体が飛び出した!
 それは、パパイヤの形をしていた。
 光り輝く巨大なパパイヤに貫かれて、またたくまに四散する影。
「あ、ごめんね、エマさん。……うん、たった今終わったよっ♪」
 陽気に答えるかぐやの頭の中には、もはや今しがた倒した影のことなど微塵もない。
 その思いはすでに、シュラインに誘われた温泉旅行の方へと飛んでいってしまっていた。

         ※         ※         ※

 かくして、シュライン・エマ、天薙撫子、淡兎・エディヒソイ、雪ノ下正風、海原みその、灯藤かぐやの六人が温泉旅行のチケットを手にすることとなった。
「……じゃ、数日事務所を留守にしますけど、よろしくね。武彦さん、零ちゃん」
 見送る二人にそう言って、シュラインはレンタカーの軽バンに乗りこんだ。
「――それじゃさっそく、出発!!」


■#2 温泉到着!

 一行を乗せた軽バンは都内を抜けて神奈川方面の道へ。
 車内は和気藹々とした雰囲気に包まれていた。
「楽しみだねー、温泉!」
 一行の中で最もテンションを上げているかぐやが、後部座席でしきりにはしゃいでいる。
「ええ、わたくしも楽しみです。お料理も気になりますけれど、やはり温泉が一番! 情緒のある景色を見ながら、ゆったりとお湯に浸かって……」
 撫子も、彼女にしては珍しく、いつも以上に舞いあがっているようだ。
 一方、みその――もちろん、ここでは人間の姿である――は車内をきょろきょろと見まわしたり、窓の外の景色に見入ったりしている。
 その様子を見て、かぐやが陽気な声で問いかけた。
「みそのちゃん? どしたの?」
「わたくし、『車』というものに乗ったのが初めてですので……」
「うそぉ!?」
「『バイク』という乗り物には、この間乗せていただいてたのですが、あれとはまた全然違うのですね……」
 そう言って嬉しそうに微笑むみその。
「しかし、闇津温泉なんて初めて聞くが」
 軽バンの運転手を務める正風が呟く。
「せやせや、うちも聞いたことないなあ。どういったとこなん?」
 後部座席のエディーも身を乗り出して聞いてくる。
「あ、いや、それは……」
 助手席に座したシュラインは言葉を濁した。

 つい昨夜のこと。
 『闇津温泉』の名にうっすらと不吉な予感を伴う聞き覚えを感じていたシュラインは、ふと気になって、友人である碇麗香に電話を入れて、尋ねてみた。
《闇津温泉……ねえ》
「知らない? どこかで聞いた覚えがあるんだけど、思い出せないのよ」
《私も聞き覚えはあるのよね。……待ってて、社のデータベースに当たってみるから》
 白王社から出版されている『月刊アトラス』の編集長でもある麗香の元には、日々数え切れないほどの情報が蓄積されている。こと怪異がらみのことに関して、手に入らない情報はないほどであった。
 しばらくして、麗香が情報を見つけ出してきた。
《……多分これね。闇津温泉のある奥闇津っていうのは、戦国時代、『闇津衆』と呼ばれた武家一族が根城にしていた土地だったのよ。武家とは言っても、その実体は盗賊の群れのようなものだったらしいけれどね。
 闇津衆は戦国の争乱に乗じて、金次第でどの家にも味方した。敵に対しては容赦なく虐殺の限りを尽くし、その非道ぶりは味方にすら恐れられ、忌み嫌われていたそうよ。
 そして徳川家康が江戸に幕府を開く少し前、家康は後顧の憂いとなりかねない闇津の里に手勢を送り、闇津の一族を女子供問わず皆殺しにした。それから長い間、そこに人が住むことはなかった》
「じゃあ、今の闇津温泉は……」
《明治に入ったくらいの頃から、また人がいつくようになったらしいわ。だけど険しい山の中だから、結局過疎化して、今はふもとの村からかなり離れた場所に温泉宿が一軒あるっきり。杏寿閣、とかいったかしらね》
 それはまぎれもなく、今回の旅行で泊まる予定になっている宿の名であった。
《でもこの杏寿閣、別名なんて呼ばれてるか知ってる?》
「……何?」
 シュラインの胸の中にわだかまっていたイヤな予感が、次第に明確な形をとりはじめてゆく。
《ここを訪れた泊まり客は、決まって虐殺された闇津衆の霊を見るらしいわ。
 ……そこからついた別名が、『怨霊温泉』》

(――なんて話、皆には言えない……)
 ひきつった笑みを浮かべながら、シュラインは車内を見回した。
 皆上機嫌で、これから向かう温泉旅行への期待に、胸を弾ませている。
 そんな呪われた噂の立つ温泉宿だからこそ、このシーズンにも関わらず、貧乏町内会が無料ご招待なんて賞品を出せたわけなのだ。
 そんな彼女の苦悩も知らず、後部座席では相変わらずかぐやがテンションを上げている。
「生のシシャモなんて食べれないよ〜!」
「ちゃんと乾燥させてありますよ」
「でも、かぐやは火を通したやつのほうが好き〜!」
 どうやら、かぐやはみそのが持ってきた道中のおやつを貰おうとしているらしい。
「ほな、ライターで軽くあぶったらどないや? 持ってきとるさかい、ほれ、貸してみ」
「レンタカーの中で火を使うのはおやめになられた方が……」
 ポケットからライターを出してきたエディーを、撫子が優しくたしなめる。
 シュラインは一人、海よりも深い溜息をついた。

         ※         ※         ※

 東京から神奈川に入り、奥闇津までおよそ半日。
 ふもとの村で一時間ほど食事休憩した後、軽バンは細い山道へと入っていった。
 辛うじて車一台ほどが通れる舗装道路は、山の斜面に沿って蛇のようにまがりくねっている。
 道の両側を覆うのは鬱蒼とした深緑の森。
 車を走らせれば走らせるほど、緑は深く、濃くなってゆく。頭上へと伸ばされた梢が陽光をも遮り、まるで薄闇に包まれた緑のトンネルの中を走っているような気分だ。
「……本当にこの道であってるのか?」
 走っても走っても変わりばえのしない――というよりも、どんどん人の世界から離れていくような道程に、ハンドルを握る正風もさすがに不安そうな声を漏らす。
「地図ではこの道で間違いないはずよ。このまま行って」
「行くだけ行って、何もないところで行き止まり、とか勘弁してくれよ。こんな道じゃUターンもできや――」
 正風の言葉が不意に途切れた。
 前方の緑が晴れて、遥か向こうの木々の合間に、うっすらと黒っぽい建物が姿を見せ始めたのだ。
「あれよあれ! 間違いない!」
「ようやく着いたか……」
 嬉々とするシュラインと正風。後部座席の四人も、それぞれ安堵の表情を浮かべる。

 細い道の終点には、苔むした石造りの門がそびえたっていた。
 その間を抜けると、先ほどまでの森の中とはうってかわって開放感あふれる駐車場のスペースと、その向こうに大きな二階建ての建物が建っている。この場所に建てられてから相当年季が入っていると見えて、木造の壁や柱は濃い焦げ茶色にくすんでいる。
 がらんどうの駐車場にバンを止めて、六人がそれぞれの荷物を手に車を降りると、屋根から、ばさばさばさ、と飛び立つ鴉の群れの羽音と、薄気味悪い鳴き声が響いた。
「ここが、杏寿閣――」
 まるでのしかかってくるようなその雰囲気に気おされながら、
(……こいつはいかにも、やばい宿だな)
 と、内心呟く正風。
(お祖父様のおっしゃった通り、すごい妖気……)
 撫子も建物を見上げながら、ここがただの温泉宿ではないことを感じ取っていた。
(まあ、皆さんを不安にさせないよう、何か出てきたらこっそりと片付けるだけのこと……)
 祖父から闇津温泉の由来を聞いたときから、呑気な温泉旅行では終わらないと、撫子はすでに悟っていたのだった。
「それじゃさっそく、温泉温泉!!」
「せやせや!! うちも射的コーナー探さなっ!」
 隣ではしゃいでいるかぐやとエディーは、そんな不安など全く感じていないかのようだ。

 玄関で、旅館のはっぴを纏った中年の男と、数人の仲居が慇懃に一行を出迎えた。
「ようこそいらっしゃいました」
 はっぴの男がこの旅館のオーナーらしい。滅多に来ない客ということもあってか、すっかり禿げ上がった頭をふかぶかと下げて、愛想よく一行を奥へと案内する。
 外観の不気味さとは一転して、旅館の中はよく手入れされ、居心地のよさを感じさせた。
 廊下を先導しながら、オーナーは旅館内部について説明してくれた。
 旅館は大きく二つの棟に分かれ、西側に位置する棟は客室が八室と、さらに宴会用の広間が一室。中庭を挟んで渡り廊下で結ばれた東棟には、男女別の内風呂と、そこから表に出た混浴の露天風呂。そして、遊技場と休憩室。
「今回は六名様のお越しということで、お部屋を二つ用意させていただいております」
 そう言ってオーナーが案内した部屋は、隣り合った八畳ほどの広さの和室だった。木製のテーブルとざぶとん、コイン式の小さなテレビ。壁には申し訳程度に額に収まった絵画が飾られている程度の質素な部屋だが、清潔でいい雰囲気だった。
 窓の外からは、初夏の緑に包まれた山々の景色が一望できる。
「いいながめー!」
「秋口ですと、紅葉でより綺麗なんでしょうね……」
 素直に喜ぶかぐやと、感心したように呟く撫子。
「……んで、部屋割りはどうするんだ? 男部屋と女部屋で分けてもいいが、そうすると女性陣は少し窮屈だな」
 正風が腕組みをしながら言った。本当は三人ずつがベストなのだが、今回の面子は女性四人、男性二人だ。
「なんだったら、男部屋に女の子を一人来てもらっても……」
 嬉しそうに言葉を続ける正風に、女性陣の冷たい視線が突き刺さる。
「じょ……冗談だって……」
「でも確かに、せっかく二部屋あるのに、四・ニで分けるのはいまいちよね。八畳の部屋に四人、寝れなくはないけど」
「いっそ、女の子二人、男の子一人ずつで分かれればいいんじゃない?」
 かぐやが提案する。
「そうね。それなら万が一何かあっても頼もしいし」
 シュラインも同意する。
「でも、殿方とご一緒と言うのは……」
 祖父の形相を思い浮かべながら、戸惑う撫子。
「みそのさんはどう思います?」
「わたくしは、どちらでも」
 みそのはそう言って微笑んだ。部屋割りの話題に興味がないというわけではなく、ちゃんと当事者として聞いてはいるが、自分はあえて流れに逆らわない、というスタンスでいるらしい。
 話し合いの結果、かぐやの提案を採用することにして、シュライン・みその・正風、撫子・かぐや・エディーの組み合わせで部屋を使うことになった。


■#3 温泉満喫!

 夕暮れの陽光に照らされた、旅館の中庭で。
 エディーはひとり、たたずんでいた。
 無言のまま、精神を集中させ――数メートル先に、空き缶で即席に作った『的』を睨みつける。
「――やっ!」
 目にもとまらぬスピードでエディーの腕が動いた、その刹那――5本並んでいた空き缶は、ほぼ同時に甲高い音を立てて吹っ飛んだ。
 エディーが手中にある水鉄砲で、早撃ちをやったのだ。
 にっと笑みを浮かべて、続けざまに水鉄砲の引き金を引く。宙を舞った5本の空き缶が、地面に落ちる猶予さえ与えられずにことごとく撃ちぬかれて弾け飛んだ。
「……ま、こんなもんやな」
 ふう、と息を吐いて、かざした水鉄砲を下ろす。
 背後から、ぱちぱちぱち、と拍手の音が聞こえた。
「雪ノ下……さん」
「正風、でいいよ、エディー君」
 正風は感心したように、転がった空き缶を拾い上げた。
「たいしたもんだなあ……でも、何でこんなとこでこんなことを?」
 正風の問いに、エディーは先ほどまで浮かべていた不満そうな表情を甦らせて、
「うち、射的がやりとうて、さっき遊技場いったんや。温泉旅館って、射的がつきものやろ? せっかく景品全取りしたろ思うて楽しみにしとったのに、ここの遊技場、射的とかないねんて。あったのは卓球の台だけや。せやさかいくさって、ここで気ィ紛らわしとるっちゅうわけ」
 はあ、と落胆の溜息をつくエディー。その肩をぽん、と叩いて、正風がしみじみと言った。
「気持ちはよーくわかるっ。俺も秘宝館が見たくて、さっき仲居さんに聞いてみたら、そんなものはないと言われて落ちこんでいたとこなんだ。場末の旅館に秘宝館はつきものなのにっ」
「なにその秘宝館て?」
「あるんだよ、そういう男女のいろんなことが学べるところが……」
「はあ……」
「まあ、射的や秘宝館だけが温泉旅館の魅力でもないさ。やはり温泉旅館の魅力といえば、温泉だしな」
「そらまあ、そやけど……」
「気を取り直して、エディー君も一緒にどうだ? ここの温泉、露天風呂は混浴らしいぞ」
 嬉しそうにそう語る正風の横顔を見ながら、エディーは内心呟いていた。
(ずっと真面目な顔してはったから気ィつかへんかったけど……この人、もしかしてかぐやちゃん以上に盛り上がっとったんちゃうか……?)

 他の五人が出払ったがらんどうの部屋で、シュラインはひとり、テーブルに辞書と原本、ノートパソコンを並べて翻訳の仕事に没頭している。
 窓の外の空は茜色に染まり、部屋にも夕刻の薄闇が落ちつつある。シュラインはひとまずきりのいいところで仕事を中断して、部屋の照明をつけた。
「たまには、こういう落ちついた場所もいいものね……」
 窓の外の景色を見ながら、穏やかな気持ちで呟く。
 時計を見ると、そろそろ時刻は六時半を回っている。ここにきてからまだ数時間も経っていないが、ずいぶん仕事が進んだような気がした。
「夕食が運ばれて来る前に、私も一風呂浴びようかしら」
 シュラインは備え付けの浴衣を手に、浴場へと向かった。

「うわぁ……!」
 かぐやの声が浴場内に反響する。
 白い素肌の上にバスタオルを巻いて、かぐやと撫子は浴場内を見まわした。
 内風呂だけでも相当な広さがある。一行の他にこの宿に泊まっている客はいないらしく、浴場にも他に人影はまったくない。
「こんなお風呂が貸し切り状態だなんて……贅沢ですね……」
 嬉しそうに撫子が言って、湯船に足をつける。
 湯は、ミルクを思わせる乳白色をしていた。
「お肌にすごくいいんですって。ここのお湯」
「いっぱい浸かって、つやつやにならなくちゃね」
 あははは、と笑い合う二人。
「そう言えば、みそのちゃんは? 先に入っていったと思ったんだけど……」
「もしかすると、露天風呂の方に行かれたのではないでしょうか?」
「露天風呂って、混浴でしょっ!? みそのちゃんって意外と大胆……」
 かぐやは悪戯っぽく笑って、
「ねえねえ、私たちも行ってみない?」
「え……」
 まだ湯にのぼせたわけでもないのに、撫子の顔がみるみる赤くなる。
「でも、殿方とご一緒するなんて……」
「私、ちょっといってみてくるねっ」
 照れながら戸惑っている撫子を内風呂に残して、かぐやは露天風呂の方へと足早に歩いていった。
「あっ、走られたら危ないです!」
 慌ててその後を追う撫子。

「なあ、ほんまに行くん?」
 全裸にタオル一丁という格好で、エディーは心配そうに正風に尋ねた。
「当たり前だ」
 一方の正風は完全に隠さず全裸である。タオルは腰に巻く代わりに、首に巻いていた。
「温泉に来たのに、露天風呂に入らなくてどうするんだ」
「目当ては混浴やろ」
 エディーの冷めたつっこみにも動じることなく、正風は露天風呂に通じる浴室の引き戸を開けた。
 外は、すでに日も落ちていた。初夏の涼しげな夜風が、内風呂の湯で上気した肌に心地よい。
 男風呂と女風呂のそれぞれと繋がる形で、内風呂よりもさらに大きな、岩で造られた露天風呂が目の前にあった。満たされたお湯は内風呂と同じ乳白色のさらりとした肌触りの湯。
 そのまま渋るエディーを内風呂に残して、ずんずんと露天風呂の方へと近づいていく正風。
(ありゃ、誰もいないのか)
 周囲を見まわして人の姿がないことを確認し、がっかりしたような、少し安堵したような気分で、湯の中に身体を沈める

(まあ、いくらなんでもそりゃそうだよなあ……)
 乳白色の湯に肩まで浸かる。全身を心地よい熱が覆い、身体の中にたまった疲れや緊張を解き放ってくれるような気がした。
「はあー、極楽、極楽」
 そう言ってタオルで滲む汗をぬぐう。
 目元をぬぐったタオルが離れると、次の瞬間、視界に不気味なものが映って、緩んでいた正風の表情が凍りついた。
 乳白色のお湯の中に、どす黒い何かがゆらゆらと動いている。
 それはまるで命を持つもののように、湯の中をゆっくりと移動していた。
 次第に……正風の元へと。
「……うおッ!」
 驚愕の表情で、迫ってくる黒いものから逃れようと、正風が湯の中から立ちあがったその時――。
 ざばあっ、と湯飛沫が上がって。
 湯の中から姿を現したのは――長い黒髪をなびかせたみそのだった。
 白い豊満な肢体には、何も纏っていない。
「あら、雪ノ下様」
「み……その……ちゃん?」
「まあ……」
 自らの身体を隠そうともせず、みそのはしげしげと、眼前の正風を見つめた。
 その時、女風呂の方から戸口の開く音が響いて――
 仁王立ちのまま表情をひきつらせて、正風の思考が停止する。
 次の瞬間、後頭部に重い衝撃を受け、正風は湯の中へ沈んだ。
「大丈夫!? みそのちゃん!」
 かけよってくるかぐや。
「なんて不埒な……」
 ぶくぶくと沈んでゆく正風を見つめながら、風呂桶を投げつけた姿勢のままで、撫子が呟いた。

「……なにやってんだか……」
 遅れて内風呂に入ってきたシュラインが、湯に浸かりながら、騒がしい露天の方を見やって、呆れたように呟く。
「のんびり湯に浸かりたいなら、あっちへは行かないほうがいいわね……」
 肩をすくめると、シュラインはゆったりと、貸し切り状態の温泉を楽しんだ。

         ※         ※         ※


 夕食は、山菜と猪肉の鍋、それに鮎の塩焼きを中心とした豪華なメニューだった。
 二つの部屋のテーブルをくっつけて、同じ部屋で六人が食べる。
「これ、すっごくおいしい!」
「ほんまや……猪の肉いうんも、初めて食べたけど、美味しいんやなあ」
「これだけ豪華なお料理がタダなんて、なんか信じられないわね」
 食べながら感嘆の声を洩らす一同。
「それにしてもひどいな。別に悪いことをしてたわけじゃないのに……」
 食事しながらも、まだ痛む後頭部を冷たいおしぼりで冷やしながら、恨めしそうに正風が呟く。
「充分不埒ですっ」
 ぷいっ、とそっぽを向く撫子。
「殿方の勇ましさはよいものです……」
 お茶を飲みながら、みそのは穏やかに微笑んだ。


■#4 異変発生!

「う……」
 身体にのしかかってくる重みを感じて、エディーは眠りの中からゆっくりと覚醒した。
 まだ朦朧としている意識の中で、途切れた記憶の糸をたどる。
(風呂に入って、みんなで夕食を食べて――それから、シュライン姐さんと正風さんが酒を飲み出して、どんちゃん騒ぎになって――で、みんなでおおはしゃぎしながら枕投げやって、力尽きて寝たんやったっけ)
 記憶を取り戻していくと共に、霞がかかったような意識も、次第に明確になってくる。
 目を開けると、部屋はまだ暗かった。窓から、淡い月明かりが差しこんでいる。
 横たわったエディーの身体に上から覆い被さるように、黒い影がのしかかっていた。
(な、なんや……誰や……?)
 正体を見極めようにも、暗い部屋の中で、しかも眼鏡を外している今のエディーに確認することはできない。
(ま、まさかこれは……)
 エディーの心臓が早鐘のように鳴った。
(いわゆる……『夜這い』っちゅうやつちゃうんか……?)
 脳裏に閃いたその可能性に、妙な興奮を覚えつつ。
 エディーは、自分の胸に重ねられた相手の手に触れた。
 ――ぬるっ、という感触がした。
 そしてみずからの手を見る。べっとりと、どす黒いものがついている。
 瞬間的に、エディーはそれが血であることを悟った。
 のしかかってくる影の、だらりと垂れた黒い髪の合間から怨嗟に満ちた目がのぞいて、エディーの全身が総毛立った。
「……誰や、おんどれッ!」
 エディーは叫んで、影を払い除けようと、その重みに抵抗するように渾身の力を込めて跳ね起きた。
 布団から上半身を起こして、周りを見まわすと、影は消えていた。
「う……うん……。なぁ……にぃ……?」
 少し離れたところで眠っていたかぐやが、目を擦りながら、寝言のように尋ねた。
 エディーは手のひらを見た。先ほどの血は消えている。
 全身が汗でべっとりと濡れていた。
(なんやったんや、今の……夢にしては、なまなましすぎるで……)
 荒い息を吐いて、エディーは小さく呟いた。

         ※         ※         ※

 からから、と引き戸を開いて、内風呂から露天風呂に顔を出した撫子。
 湯煙で曇る眼鏡越しに、おそるおそる辺りを見回して、誰もいないのを確認してから、露天風呂にその身を浸した。
 折角露天風呂を楽しみにしていたのに、昨日の夕方はあの騒ぎで、結局露天の方へは入っていなかったのだ。
 その欲求不満を晴らすために、皆が寝静まっている隙に、一人でやってきたのである。
「そうそう、念の為に――」
 撫子は、左の手首に輝く銀色の腕輪のようなものをかざした。
 ……いや、それは腕輪ではない。手首に幾重にも巻きつけられた神鉄製の糸――『妖斬鋼糸』であった。
 撫子は湯の中に身を浸したまま、舞うように動く。振るわれた左手から、四方に放たれる糸。そして瞬く間に――まるで蜘蛛が糸を織り成して巣を作るかのように――結界を完成させる。
「これでよし、と」
 そして肩まで乳白色の湯に浸かり、ふう、と満足そうな溜息をつく。
 丑三つ時もとうに過ぎ、まもなく夜明けに近いこの時間、露天風呂から見える山々の景色も静寂に包まれ、聞こえてくるのは岩を重ねて造られた浴槽に響く水の流れる音ばかり。
 瞳を閉じて、ゆったりした気分で水の流れに耳を澄ませていると。
 ざざっ……。
 不意に、異音が混じった。
 風が木々の梢を揺らす音にも似ているが、何かが違う。
 音にはあきらかな、『意思』があった。
 ざざざざざざ……。
 瞳を開けて、外してタオルと一緒に浴槽のそばに置いておいた眼鏡をかけると、撫子は音のする方を見た。
 ぼんやりとした小さな影が浮かんでいた。それも複数。
 霊視能力を持つ撫子には、たとえ眼鏡をかけていなくてもわかっただろう。それはぼろぼろの着物を纏った、子供たちの霊だった。
 出発前に祖父から聞かされた、奥闇津の伝説が脳裏に甦る。祖父がしきりに『妖斬鋼糸』を持っていけ、と撫子に勧めたのはこの事を予測してのことだろうか、と撫子は思った。
 浴槽を中心とした結界の外で、子供たちの霊が蠢いていた。結界へと踏みこんでこようとはせずに、周りを取り囲むように、様子をうかがっている。
 撫子が浴槽から出てくるのを待っているのだった。
(ど……どうしよう……)
 もうこれ以上湯に浸かっていられない、というぎりぎりのところで、諦めたように子供たちの霊は消え、それと同時に東の方角から空が白みはじめてきた。
 あわてて浴槽から出て結界を解くと、ふらつく足取りで内風呂へと逃げ込んだ撫子。
「痛イ」
「苦シイ」
「助ケテ」
「嫌ダ」
 子供たちが消えてゆく瞬間、そんな声が聞こえたような気がした。
(あの子たちに悪意は感じられなかった……でも、死の間際の苦痛から逃れたくて、生ある者にしがみつこうとしている)
 そう胸の中で呟いた刹那――。
 湯に浸かり過ぎた撫子は、目を回して浴場の床の上にへたりこんでしまった。

         ※         ※         ※

 数時間後。
 朝食の席で、エディーと撫子から話を聞いて、シュラインは心配していたことが的中したことを悟り、頭を抱えた。
(やっぱり、タダより高いものはなかったって事ね……)
「まあ、来た時から、何かあるとこだとは思ってたけどな」
 正風がさして驚いてもいない口調でそう答えた。
「わたし、ぜんぜん気がつかなかったけどな。エディー君と同じ部屋にいたのに」
「そら君は、ぐっすりとよう眠っとったしなあ」
 能天気なかぐやを、半ば呆れ、半ば羨むようにエディーが見る。
「それで、どうなさいますか?」
 みそのが静かに、居並ぶ一同に問いかけた。
「厄介事がお嫌であれば、このまま帰るのが一番かとも思いますが……」
『まさか!』
 残る五人の声が見事に重なる。
「まだ一泊しかしてないんだぜ」
「そうそう、勿体無いよ!」
「私も、翻訳の仕事、まだ片付いてないし……」
「うちも、結局まだ露天風呂入れてへんしな」
「わたくしも、できることなら風呂場に現れたあの子たちの霊を、鎮めてあげたい……」
「……では、決まりですね」
 みそのが微笑む。
 それに応えるように、五人も頷いた。


■#5 怨霊浄化!

「また、出没ましたか……」
 シュラインの話を聞いて、禿頭のオーナーは沈んだ声で、うめくように呟いた。
「もう何度もこの宿じゅう、お払いや供養をしてもらっているのですが……」
「ここには、何か霊が出るような因縁のようなものはあるんですか?」
「この旅館も昭和の初期に建てられた古いものですし、それなりの歴史というものはあるのですが……やはり、この土地そのものが関係しているのかもしれません」
「……ということは、闇津衆の?」
「ご存知でしたか」
 ふう、とオーナーは力のない溜息をついて、
「この宿に来られる時に、石造りの門がありましたでしょう。あれはもともと、この地に闇津衆が砦を築いていた時にすでにあったものなのです」
 つまり、この宿は闇津衆の砦の跡地に建てられたもの、ということだ。
「闇津の砦が落ちた時、徳川の手勢によって、酸鼻を極める虐殺が行われたといいます。それも、闇津衆がやってきたことに比べれば当然の報いではあるのですが、それでも罪のない女子供たちにしてみれば、さぞ無念なことだったでしょう」
 エディーが見た霊は女、そして撫子が見た霊は子供だった。
「ともかく……せっかく来ていただいたのに、なんとお詫びすればよいか……」
「オーナーさん、ものは相談なのですが」
 シュラインの言葉に、オーナーが顔を上げた。
「この温泉の霊、私たちに鎮められるかもしれません。その代わりに、お願いが――」

         ※         ※         ※

 杏寿閣の周辺の地図を見ながら、撫子とかぐや、エディーは鬱蒼とした山の中を歩き回っていた。
「離れないでくださいね。下手にはぐれると、迷ってしまいますよ」
「だいじょうぶ! でもその地図で、何を探してるの?」
 撫子の手元をのぞきこみながら、尋ねるかぐや。
「わたくしとエディーさんが見た霊は、はるか昔に滅ぼされた闇津の女と子供たち――夫、あるいは父が犯してきた罪をともに背負わされ、苦痛にあえぎながらこの土地に縛られてきた霊たちなのです」
「なるほどな……」
 昨夜遭遇した女の霊のことを思い返しながら、エディーが頷く。
「でも、助けを求めているだけで、必ずしも悪意を持っている霊ではありません。ですから、この奥闇津の土地そのものに宿る、山神様の助けを借りれば――」
 その言葉が、不意に途切れた。
 眼前にそびえ立つ大樹の幹に、巨大な白い蛇が巻きついて、樹上から三人を睥睨していた。
 霊視能力を有する撫子、魔導学校で思念を視る手ほどきを受けているかぐやはともかく、エディーにはその姿は見えないが、二人の様子と、大蛇が放つ凄まじい気の流れから、そこに『何か』があることは感じ取れた。
「敵なんか?」
 身体を強張らせるエディーと身構えるかぐやを手で制して、撫子は大蛇に想いを伝えようと瞳を閉じて手を差し伸べた。
 その白い大蛇こそ、大闇津命(おおやいづのみこと)と遠い昔に呼ばれた、この地の主の末裔であった。

         ※         ※         ※

一方、旅館に残った正風、みその、シュラインの三人も、オーナーから借り受けた、杏寿閣の敷地の見取り図を見ながら、それぞれの作業に没頭していた。
 三人が手にした見取り図には、黒のマジックで、何やら線が引かれている。
 旅館内を走る、霊たちの通り道――すなわち、『霊道』である。『万物の流れ』を感じ取ることのできる能力を持つみそのが、旅館じゅうを歩き回ってその妖気の軌跡をたどり、書き記したものであった。
 そのルートには、予想通り、撫子が子供たちの霊と遭遇した露天風呂や、エディーが女の霊に襲われた客室も含まれている。
 そして三人は、撫子の残していった指示に従って、その『霊道』に沿うように、『妖斬鋼糸』を張り巡らせていった。
「こっちは終わったぜ」
 正風が額の汗をぬぐいながら言った。
「わたくしの方も完成いたしました」
 みそのは恐るべき手早さで、最も早く担当分の作業を済ませていた。
「私の分も終わったわ。……後は、あの三人がうまくやってくれるのを待つしかないわね」
 シュラインが腕を組んで、窓の向こうの森を見つめた。

         ※         ※         ※

「どうするつもりなんや、撫子さん!」
 『山神』の巻きついた大樹から放たれる、渦のような凄まじい気。
 その中にあえて無防備なまま歩を進めていく撫子に、エディーが叫んだ。
「この地に染みついた闇津衆のおびただしい血と悲しみを浄化するためには、土地そのものの穢れを、霊たちの通る『霊道』ごと浄化してしまう他ありません」
 それはつまり、霊を浄化するのではなく、霊を縛る土地そのものを浄化して、霊が現世に残してきた無念の思いを立ち切り、成仏させようということ。
「そのためには――『山神様』のご助力が必要なのです」
 自らの『気』に怯むことなく近づいてくる、人間の娘――撫子に、白い大蛇はゆらりと動いて、その鎌首をもたげた。
そして、その細い身体に食らいつこうと、襲いかかった!
「――撫子ちゃん!!」
 かぐやが叫ぶ。
(……わたくしの心を受け入れてください、闇津の地の神よ)
 迫り来る大蛇の顎に恐怖の色ひとつ浮かべることなく、撫子は両の腕を開いて抱擁を迎え入れるかのように佇む。
 白い閃光が、森を貫いた!

 清浄な輝きを放つ無数の青白い稲妻が、閃光の中心から生まれて地面の中をあらゆる方向へと走り、鬱蒼たる森に覆われた大地を、山の斜面を、小川の水底を駆け抜けてゆく。
 そして大地に染みついた怨念を、まるで洗い落とし本来の姿に戻してゆくかのように浄化してゆく。

 杏寿閣中庭。
「来たぞ!!」
 東の森から生まれた眩い閃光を確認して、正風が叫んだ。
 地を這う稲妻のひとつが、森を貫いてこの杏寿閣へと走ってくる。
「本当に大丈夫、みそのちゃん?」
 杏寿閣の『霊道』じゅうに張り巡らせた『妖斬鋼糸』――それに連なる一辺を左腕に巻きつけたみそのに、シュラインが声をかける。
 みそのは特に不安がる様子もなく、いつも通りの風情で穏やかに微笑んだ。
「『山神』の神力――あの光の流れは、必ずここを通ります」
 そして身をかがめると、白い左手のひらを、そっと地面に重ねる。
 次の瞬間――まさしく迅雷の速さで地の中を駆け抜けてきた稲妻が、みそのへと迫った!
 みそのは微動だにせず、稲妻を自らがアンテナ役となって、地に添えた左手で受け止める。
 みそのの身体を伝い、その腕に結ばれた『妖斬鋼糸』を伝って――杏寿閣じゅうの『霊道』を、青白い稲妻がことごとく浄化していく。
 オーナーも旅館の仲居たちも、その驚くべき様に目を奪われながら。長年共に過ごしていた杏寿閣に宿っていた、まがまがしい威圧感のようなものが嘘のように消えていくのがわかった。

 気がつくと撫子は、エディーの腕に抱きとめられていた。
「エディー様……」
「大丈夫か? 今の光は、一体……」
 巨大な思念体である『大闇津命』との接触で、気を失ってしまったらしい。
 白い大蛇の姿をした山神は、すでに姿を消していた。
「ほんと、はらはらしたよ〜! あの蛇に撫子ちゃんが食べられちゃうかと思っちゃった」
 安堵の溜息をついて、かぐやが言う。
「……でもなんだか、あの蛇……撫子ちゃんに触れた瞬間、嬉しそうに哭いたように見えたよ」
 撫子は無言のまま、かぐやと、こちらは『蛇』の姿が見えなくて困惑顔のエディーに向かって、微笑んだ。
《人の娘よ》
 接触した瞬間、撫子は白い大蛇の声を聞いたような気がした。
《人の世の理に興味はないが、久方ぶりに見た心清き客人の願い、叶えてやらねばなるまい。禍いを招き、生み出すのも人なれど、地の禍いを嘆き、癒すことを願うのもまた人の業、か》

         ※         ※         ※

 その夜は、前の晩を越える能天気などんちゃん騒ぎとなった。

 美味い料理に酒を楽しんだ後、唐突に始まった余興は、遊戯場の卓球台で、六人が2チームに分かれての卓球勝負であった。
「……君のような素敵な人と敵同士とは……神様も残酷だ」
 ラケットを構えて向かい合ったかぐやに、正風はシリアスな表情で呟く。
「……だがッ! 愛ゆえに、全力で君を倒すッ!」
「かぐやだって負けないからねっ!!」
 すっかり勝負に熱の入っているかぐやが応える。
「まけるな、かぐやちゃん!」
「頑張って!」
 その横で二人の戦いを見守る四人が、陽気に声援を上げる。
 ふっ、と笑って、正風は白球をかざし、宙に放った。
「唸れ神気!!――ドラゴン・サァァァァーブッ!!」
 そして大げさなモーションでラケットを振りかぶる。
「いくよっ!!――ドリィィィム・スマァァァァッシュ!!」
 迫る白球に、かぐやも謎の必殺ショット名を叫んで、ラケットを閃かせる!
 どごっ、という鈍い音とともに正風が床に倒れるのと、白球が乾いた音をたててかぐやの足元に転がったのは、同時だった。
「――あ。」
 興奮したかぐやが、ボールを受ける代わりに思わず放った、パパイアの形をした『夢想魔導(ナイトメア)』が、倒れ伏した正風の頭にめりこんでいた。

         ※         ※         ※

 翌朝。
 清清しい朝の光の中で、朝食を済ませ、名残を惜しむように各々が杏寿閣での最後のひとときを過ごして。
 六人は、再び車上の人となった。
「なんかドタバタしとったけど、楽しかったなあ」
「うんうん」
「温泉も山の幸も、生まれてはじめてでしたけど、とても素敵でしたわ」
 東京へと向かうバンの中で、満足そうに頷く六人。
「オーナーさんも、霊が出なくなって大喜びしてくれて、お土産までいろいろつけてくれたしな」
 バンのトランクには、オーナーのはからいで持たせてもらった土産物、たくさんの温泉饅頭が積みこまれている。そして助手席のシュラインの手元には、今回の謝礼としてオーナーから受け取った、二名様分の杏寿閣・無料宿泊券。
 今回の旅行に来れなかった、武彦と零の顔を思い浮かべながら、シュラインはチケットを、バッグの中に大切にしまいこんだ。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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整理番号/   PC名     / 性別 / 年齢 / 職業
 1388 / 海原・みその    / 女性 / 13 / 深遠の巫女
 1207 / 淡兎・エディヒソイ / 男性 / 17 / 高校生
 0328 / 天薙・撫子     / 女性 / 18 / 大学生(巫女)
 0086 / シュライン・エマ  / 女性 / 26 / 翻訳家&幽霊作家
 0391 / 雪ノ下・正風    / 男性 / 22 / オカルト作家
 1536 / 灯藤・かぐや    / 女性 / 18 / 魔導学生

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■         ライター通信          ■
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 どうも、たおでございます!(≧∇≦)/
 『怨霊温泉へようこそ!』楽しんでいただけましたでしょうか?
 今回は結局予想通り(?)コメディ・タッチのお話になりましたが、よい温泉の旅を満喫していただけたなら嬉しいです。
 そして今回もまたえらくお待たせしてしまって申し訳ございません。
 ……最近はもう謝りたおしですが。反省しております、ほんとに。(ノ_<。)めそめそ

■海原・みその 様

 僕の書かせていただいたこれまでの作品でのみそのさんは、ちょっとしっかり者すぎるかなあ……というところがあったので、今回はどちらかというと、世間知らずでちょっと天然(ぉぃ)っぽいところに焦点を当てた描写にしてみました。
 お風呂場でのシーンとか、書いててとても楽しかったです(でもビジュアル的には読者サービスみたいな感じですよね、あれは^^;)。
 でもクライマックスのシーンでは、やはり頼れる人なんですよね。『万物の流れを見ぬいて自在に操れる』という能力は東京怪談の世界でも相当強大な能力なのではないでしょうか。それを好き好んで濫用しないところが、みそのさんらしいところなのかな、という気がします。

■淡兎・エディヒソイ 様

 今回のエディー君は、少年っぽい無邪気さが結構全面に出てたような気がします。僕のイメージの中でのエディー
君というのは、どちらかというともっと大人びていて、なんかしれっと裏でいろいろやってそう(なにをだ)な感じだったりするんですが(笑)。
 今回は温泉旅行に同行した面々が、どちらかといえば精神的に大人な方が多かったので、役割的にそうなっちゃったのかな、という感じがします。そういうエディー君も好きですしね。
 でも、得意の射撃能力を、もう少し発揮させてあげたかったな、と。
 
■天薙・撫子 様

 はじめまして、たおの調査依頼(というか温泉旅行)に参加してくださり、真にありがとうございましたヾ(≧∀≦)〃 。
 今回の騒動では、結果的に撫子さんが一番事件解決に重要な役割を果たしたんじゃないかと思います。プレイングにあった『妖斬鋼糸』が、まさか最後の決め手になろうとは、書いてる僕もびっくりです(ええんかそんなんで)。
 おしとやかなようでなにげに行動力があるので、書き手側としては、撫子さんは動かしやすかったです。ボケもツッコミも両方リバOKですもんね(ぉぃ)。
 お祖父様については、かなりキャラ捏造しちゃいました。すいません。僕いつも情報が手元にないキャラは、勝手に捏造して出しちゃう癖が……。イメージあわなかったらどうしよう。うわーん。

■シュライン・エマ 様

 参加者さんがひととおり決まって、この作品の執筆に入る前に、「物語の中で六人をどのように絡ませようか」と考えながら、それぞれの相関図を見てびっくり。
 参加者さんがほとんど、エマさんと相互になんらかの関係を持っている(笑)。エマさんの驚くべき顔の広さに唖然としつつも、よし、それなら幹事扱いにしちゃれ( ̄ー ̄)ニヤリ と、出来あがったのがこんなお話です。
 幹事というか、引率の先生というか……とにかく、一番この旅行で苦労された方となりました。お疲れ様でした(笑)。
 個人的にはエマさんと、「恋人未満」という関係で繋がっている草間武彦氏とのやりとりというのが、書いてて楽しかったりします。零ちゃんに対する淡い嫉妬心とかは、僕の勝手な想像だったりするんですが。 

■雪ノ下・正風 様

 前回の『ゴースト・チャンネル』に引き続き、ご参加ありがとうございました!(≧∇≦)/
 前回のシリアスっぷりとはだいぶ異なり、今回の正風さんはプレイングを反映して(?)相当のコメディー・リリーフ扱いになってしまいました(笑)。
 でもそういう正風さんもなんだかとってもキュートだったりして。(/ω\) キャ
 本当は亀子さんも友情出演(?)させてあげたかったんですけどねー。『ゴースト・チャンネル』よりわずかに前の出来事という設定なので、まだ亀子さんは守護霊になっていないのです。うん、そういうことにしとこう。(いいかげんだな)

■灯藤・かぐや 様

 かぐやちゃんも、はじめましてですね! 参加してくださってありがとうございました!(≧∇≦)/
 もう底抜けに明るいかぐやちゃんは、書いてて本当に楽しかったです。パワフルだし、意識しなくても勝手にキャラが動くような感じで。でも放っておくと暴走してどんどん物語を違う方向へ持っていきそうになるような気もします(笑)。
 今回の物語では、正風さんと一緒にコメディ・リリーフ的な役割が強かったですけど、最初の廃ビルでの登場シーンのような、夢想魔導を使いこなす(というかフルーツをぶつけまくる?)アクションというのももっと書きたかったなあ、と思います。

 それでは、今後もより一層頑張りますので、どうかよろしくお願いします(≧∇≦)/
 ご意見、ご要望、ご不満などありましたら、是非聞かせてやってくださいね。
 また、たおの調査依頼へのご参加をお待ちしております!ヾ(≧∀≦)〃

たお