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褌よさらば
「それで一体なんなのそれは」
黙って話を聞いていたシュライン・エマ(しゅらいん・えま)は、開口一番そう問うた。いみじくもそれが先刻己の雇い主である所の草間が麗香と三下に発した質問と同じである事になど無論気付いていない。気付くまでもなく普通そう問い掛ける。
草間は憮然とした顔で、もっとはっきりいってしまうならばきっぱり嫌そうな顔でうんざりと天を仰いだ。残念ながらそこに天はなく、あるのは脂の染み付いた天井だけだったが。
「三下が言うにはだ」
「うん?」
不自然に言葉を切った草間を促す。口にするのも嫌らしいことはわかるがだからといって口を噤まれたのではいったい何のことやらさっぱりわからない。
草間ははあと大きく溜息を落とした。何の因果でとその顔にしっかり書いてある。
「白くて細長くて紐がついているものだそうだ」
「……白くて細長くて紐がついてるものなんか掃いて捨てるほどない?」
小首を傾げたシュラインに、草間はもう一度息を吐き出した。本気で言いたくないらしい。
「武彦さん?」
「…………………………」
沈黙の果てに、草間は漸く口を開いた。
「加えて、男の下半身を包むもの、だ」
「はい?」
思わず問い返しかかったシュラインは次の瞬間『あっ』と声を上げた。
白くて細長くて紐がついている男の下半身を包むもの。
それは気がつくと視界の端にある。『それ』はふわふわと宙に浮きそしてふっと視界から消え去る。
消え去る。行き成り男性の下半身に巻き付いてくるのだ。そして次の瞬間本当に消え去る。被害者の耳には『……違うのぅ……』と言う恨めしげな声が聞こえる、という。
「………………………ふ、褌?」
「…………………………」
またしても草間は沈黙した。その沈黙が何より雄弁に肯定を示していた。
件のマンション近くまで足をはこんだシュラインは見知った顔に足を止めた。
信号機の向こう側に派手な風貌の男が立っている。それと一目で知れる容貌は、付き合いが長くなくともシュラインに彼を彼と教えただろう。昼の街中、しかも住宅街では浮き立つ事この上ない。
信号が変わってもシュラインは足を踏み出さなかった。するとその男がシュラインに気付く事無くつかつかと近付いてくる。程近くになって初めて、シュラインはその男に声をかけた。
「真名神くん?」
「ん?」
真名神・慶悟(まながみ・けいご)が涼やかなその声にようやくシュラインの存在に気付いた。普段であればもっと早くに気付けたのであろうが、アトラスで負って来たダメージが事の他大きく少々ぼんやりとしていたようだ。ほんのついさっきまで行動を共にしていた連れは、まあ悪い人間ではなし嫌っている訳でもないのだが、慶悟の気力を根こそぎ奪うという特技を保持していたので。
シュラインはその活力のなさに気付かないフリを決め込んで、何気なく慶悟に話し掛けた。
「寄寓ね。――真名神くんも調査、なのね」
「ああ、まあな」
言葉にも歯切れがない。それもまあ無理もないだろう。相手が女性である以上、褌の調査をしていますとは少々言い辛い。相手もまた目的を同じくしていようともだ。
そもそも男性用下着の話など男女間(そこに色気があろうとなかろうと)でするものでもないのである。さっきまでの何でもかんでも面白がる連れはまあ別としてだが。
シュラインはその躊躇を察して微笑んだ。
それほど若くもないのだし今更男モノの下着の一つや二つで怯むシュラインではないが、こうして自分を『女性』として扱ってくれる『若いオトコの子』(シュラインの視点で見れば間違いなくそうだ)の存在は心地良かった。
「褌の所有者……高齢者か、独特な信念を持った男あたり……褌が探す奴だと思うんだが……」
言いかけて慶悟はふと気付いたようにシュラインの顔を見返した。
「方向が逆ってことはあんたはもう聞き込んできたわけか?」
「まあね。……なんて言うか、三下くんじゃお気に召さなかった訳はわかったわよ」
今から行っても二度手間になると暗に示して、シュラインは信号の先を促した。そこからもう少し進んだ所に件のマンションはあるのだ。
「行った方が早いわね。どの道行かないとどうしようもない見たいだし」
「……いや俺はもうちょっと……銭湯の番台にでも聞き込みに……」
尻込みする慶悟のスーツの端をしっかりと捕まえ、シュラインは苦笑した。
「気持ちはわかるし悪いとは思うんだけど。私は『女』だしね。とりあえず来てもらわないと困るのよ」
自分では囮にもなれない。
そう言うシュラインに、慶悟の顔からざっと血の気が引いた。
「ちょっと待て! それは俺が囮になるということか!?」
「今私の目の前にはあんたしかいないでしょ」
「ちょ、本気で待て俺は御免だぞ!」
「大丈夫よ痛くないから」
「そんな問題じゃないっ!」
怒鳴った所で聞くシュラインではない。そのままずるずると慶悟を引っ張って歩き出す。本気で抵抗すれば逃げれない事もないのだろうが、本気で抵抗するとなれば手荒になる。シュラインに手荒な真似をしたとなると某探偵事務所の敷居はそれだけ高くなってしまう。
それでは御飯の喰い上げ。金欠赤貧貧乏神さまこんにちは。
無論それはシュラインも先刻承知のことだろう。
「ちょっとまてあんた! 本気でタチ悪いぞ!」
「友人には影響を受けるものなのよ」
誰の事を指しているのか即座に思い当たってしまった慶悟はなす術もなくシュラインに引きずられる事と相成った。
鬼頭・なゆ(きとう・なゆ)と海原・みあお(うなばら・みあお)、そして冴木・紫(さえき・ゆかり)の三人はマンションの前の植え込みに腰掛け、みあお持参のおやつセットを広げていた。
なゆとみあおには人目を気にする必要も分別もまだありはなしないし、紫は人目より最低摂取カロリーを気にしなければならない立場である。
通りを行く人の奇異の目も何のそのだ。
「やーなかなか気が利くわねー幼女!」
すっかり紫が復活している辺り流石に貧乏神と年間契約を交わしているだけのことはある。
「幼女じゃなくってみあお!」
「うんうんみあおでもなゆでも!」
わしわしとみあおの頭をかき回し、なゆを膝に乗せた紫はかなりご満悦である。
この三人が何故こうして仲良くおやつを広げているのかといえば、この三人では件の幽霊にコンタクトを取る術がないからだ。
つまるところ来るはずの紫の元連れを、獲物を待っているのである。
そしてその獲物は背の高い女に引きずられて程なくやってきた。
「あらあらおそろい?」
片手で慶悟を引きずりながらやってきたシュラインは、三人を見咎めて軽く笑んだ。それになゆがにこっと笑って紫の膝から飛び下りる。
「うん。紫お姉ちゃんが『待ってれば必ず来るわよエサが』っていうから皆で待ってたの」
ほんわりと笑いつつ立派にロクデモナイコトを言ってくれたなゆに、慶悟の顔色がまた変わる。
「ちょっと待て、だから待て! 子供になにを吹き込んだんだあんたは!」
噛み付かれた紫はといえば手についたクッキーのクズを丁寧に舐め取ってから立ち上がった。実に悠然とした態度である。
「何をもなにも事実」
「しかたないよーおにいちゃん。みあおたちじゃ出てきてくれないんだもん。聞いたらマンションの人たちはもうみーんな確かめられちゃった後で、新しい人じゃなきゃどうしようもない見たいだし」
ねーと三人は声をあわせて小首を傾げてみせる。実に微笑ましいが慶悟には悪魔が三匹居るとしか思えなかった。
囮という事はつまりである。
つまり公衆の面前で行き成り褌姿を(衣服の上からなのだろうが)披露せねばならないと言うことなのだ。
そりゃー考えるまでもなく嫌に決まっている感覚が普通の男なら。
シュラインはふっと気の毒そうに慶悟を見やったが勿論その手は離さない。
「じゃあいきましょうか。調度良く日もくれてきた事だしね」
慶悟を除いた四人のおー! という掛声が唱和した。
「よいこは早く寝なきゃダメなの。だから早く出てきてね?」
なゆが虚空に向けて小首を傾げればみあおもまた、
「はーい補導って言うかみあおのばあい保護になると思うけどされたくないのでちゃっちゃといきましょー!」
やたらと元気に拳を振り上げる。
「……つまり誰も俺の身の上に付いては考慮のうちじゃないんだな?」
低く吐き出した慶悟は、右腕をシュラインに、左腕を紫にがっちりと捕獲されていた。何というかアレである、重傷参考人を逃走させないようにする時の手段と言うか何というか。ノリはそれだ。
「あー大丈夫大丈夫。害はないから」
「そうねえ、ここのマンションの男性皆同じ目にあってても死傷者は一切出てないんだし問題はないわよ」
「俺の心の傷はどうなる!?」
怒鳴った慶悟から視線を逸らし、紫はふっと意味ありげに微笑んだ。
「……男はそうやって大人になっていくのよ」
「……そうね。いい男になって頂戴真名神くん」
シュラインまでもが調子を合わせる。
「……あんたらそうやってもっともらしいこと言ってるが絶対顔笑ってるだろう?」
慶悟がジト目で呟いた、その時だった。
あっとなゆが叫ぶ。その視線の先を追ったみあおがそれを指差した。
何時の間にかそれはふわふわと視界の端を漂う。
真っ白なものが視界を掠めて去る瞬間、去られた者もまた真っ白になる。
拒否するのだ――脳が色々。
それは素早く飛んだ。逃げる暇も避ける暇もありはしなかった。
そして――
沈黙。
真っ赤なスーツに、その白は真に良く映えた。(冴木紫のルポより抜粋)
『……しくしく、これも違うのぅ』
少女のような少年のような声が、その沈黙を打ち破った。
はっとしたシュラインが鋭く叫ぶ。
「今よ真名神くん呪縛して!」
「この状態でか!?」
ばっちり絞まっている状態です念のため。
勿論というように、女二人と幼女二人はこっくりと頷く。躊躇するよりも本能的な恐怖が慶悟を動かした。
――古今東西女の集団ほど敵に回して厄介なモノはないのである。
破れかぶれの慶悟の呪縛が、褌の自由を奪った。
しくしくという鳴声は慶悟から響き続けている。慶悟の何処から響いているのかは描写しないでおこう。
「そんなに泣かないで、ね? なゆがお話聞いてあげるから」
『でもでもぉ、違うんですぅ。もっとぉ、垂れててしわしわなんですぅ」
「……何がだ」
遠い目をする慶悟に誰も構いつけない。
しくしくという声は更に言い募った。
『幸せだったんですぅ。でもなくなっちゃったんですぅ。僕をほんとにほんとに大事にしてくれたのにい』
「垂れててしわしわで褌を大事にしてくれるって言う事は……」
ふむと考え込んだ紫に、シュラインが大きく頷いた。
「ええ、近所で聞き込んできたんだけど――愛褌会っていう愛好会所属のおじいちゃんだったそうよ。享年89歳。大往生だったんですって」
「……頼むからあんたら平然と話を進めるな」
妙齢の女性二人から視線を外しつつも慶悟が突っ込む。
しかし立派に黙殺される。紫など俯いたまま顔も上げない。悲しんでいるのでも哀れんでいるのでもない事は、肩が小刻みに震えている事からも明白だった。
みおあはそっかあと頷き、褌を撫でようとして流石に手を引っ込めた。
「残念だったねえ。でも大丈夫、みあおに会ったんだから運はいいって。これからまた大事にしてくれる誰かにも出会えるよ?」
優しく微笑むみあおに、褌はふと泣く事をやめた。
『そう、かなあ?』
「うん、なゆもそう思うの」
純真な子供二人の説得は、時に大人の詭弁より効果的だ。純白だった褌は目に見えて薄くなり、その下にある赤を映し出してピンク色になっていく。
『うん、そうだね。また垂れててしわしわな人を一生懸命探すのぅ』
瞬間、辺りに光が満ちた。
そして褌は慶悟から跡形もなく消え去ったのだった。
「なゆおねむなのー」
袖を引いてくるなゆを抱き上げて、シュラインはにっこりと笑んだ。
「それじゃ帰りましょうか。送ってって上げるわね」
「ありがとうー」
ぐしぐしと目を擦りながらもなゆはきちんと礼を述べる。それにまた微笑んでシュラインはマンションを後にした。
「……よかったね、ちゃんと『きぼう』がとりもどせて☆」
うつらうつらとしながらもなゆが言う。その言葉にふと考えたシュラインだった。
「……結局、心に傷を残しただけでなんにも解決してないんじゃないかしら」
全くもってその通りだったが、今はそれ以上考えない事にした。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0969 / 鬼頭・なゆ / 女 / 5 / 幼稚園生】
【1415 / 海原・みあお / 女 / 13 / 小学生】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【1021 / 冴木・紫 / 女 / 21 / フリーライター】
【0389 / 真名神・慶悟 / 男 / 20 / 陰陽師】
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■ ライター通信 ■
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再度の発注ありがとうございました。里子です。
そしてお久しぶりになります。
作中に登場した愛褌会は実在します。
中々濃いサイトですので、どうぞ一度ご覧になってください。私のココロのバイブルです。<待ちなさい
今回はありがとうございました。ご意見などありましたら聞かせていただけると嬉しいです。
機会がありましたら、またよろしくお願いいたします。
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