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詠唱
■オープニング■
…助けてくれ。
草間は悩んでいた。
悩み抜いていた。
幻聴が聞こえるのだ。
たぶん。
…幻聴だと、思う。
具体的にはよくわからない、が。
何故なら零は平気な顔をしている――いや、初期型霊鬼兵が平気な顔をしているのは当たり前と言えば当たり前とも言えるが、それにしても、零の耳にはこれと同じ変な詠唱が聞こえている訳ではなさそうだ。
零は草間のさりげない憔悴っぷりに、時折困惑した顔を見せ、心配しているだけ。
そんな零の態度につい草間は、安心させようと必死で常態を装ってしまうので余計に疲れたりもしている。
…これが聞こえているのはどうやら俺にだけ、なのだ。
≪東海姫氏国 百世代天工 右司爲輔翼 衡主建元功
初興治法事 終成祭祖宗 本枝周天壌 君臣定始終
谷填田孫走 魚膾生羽翔 葛後干戈動 中微子孫晶≫
幻聴は一向に、止まない。
低く唸るような、理解できない言葉の詠唱。ただぐるぐると同じ言葉を連ね、繰り返すその声。
≪白龍游失水 窘急寄胡城 黄鶏代人食 黒鼠喰牛腸
丹水流尽後 天命在三公 百王流畢竭 猿犬称英雄
星流飛野外 鐘鼓国中喧 青丘與赤土 茫茫遂爲空≫
…とうとう俺はおかしくなったのか。
さすがにそろそろ気が狂いそうだ。
何と言っても、今日朝、目覚めてから、ずっと。
止まない。
一時的に止まりもしない。
同じ平坦な調子でずっと続いている。
…そして今はもう、外は暗くなりかかっていた。
もう一度言う。
…助けてくれ。
そんな泣き事まで誰彼構わず口に出してしまいそうになる程――その低く唸るような詠唱は、我慢がならない。
■何事■
暫し後。
「…兄さん?」
「………………ん?」
「大丈夫ですか?」
「…何がだ」
「…ずーっと、顔色が悪いですよ?」
「…ねえ、ホントに一体どうしたの?」
あまりの顔色の悪さに見兼ねた妹の零と事務・整理のバイトであるシュライン・エマが、恐る恐る草間に声を掛ける。何だかわからないが、とにかく隠しておきたい様子だったのはわかっていたから今まで敢えて放っておいた。けれどどうも…何を隠して我慢しているのか知らないが、そろそろ限界にも見えたのだ。
自分だけバレていないと思っていた草間は、身内とも言えるふたりにあっさり看破されていると知るなり、気が抜けたのかばたんと机上に倒れ込むよう突っ伏す。…どうせ元々客――依頼人と言う意味の――は居ない。
「…ちょ、ちょっと!?」
「兄さんっ!?」
「…助けてくれ」
ぽつりと言うとそのままで動かない。だが目は据わっているように半眼だがちゃんと開いている。意識を失った訳では無く、単に起き上がるのが面倒臭いよう。額に脂汗。顔色の悪さは相変わらず。
「…なんや知らんけど、下手に意地張っとるからそう言う事になるんやないん?」
――ずず、と珈琲を啜りつつ、銀髪に青い瞳、眼鏡を掛けた日系ロシア人であるちょっとおちゃめな関西系男子高校生。
「…この面子で隠し通せると思ってましたか?」
――珈琲のカップをテーブルに起き、ちら、と草間を見る、一見、やや背丈の低い普通の日本人、だが何故か唐突に瞳だけ金色の珈琲好きバーテンダー。
「なんか具合悪そうだな、とは思ってたんですが…」
――心底心配そうに草間の方を見ている、青い髪と瞳が白い肌によく映える優しそうな女子中学生。
「無駄な事は止めておけ。草間。下手に我慢しても、この場に於いては滑稽だ」
――最後に告げたのは、英国製オーダーメイドのスーツに包まれたガタイの良い小麦色の体躯に金色の眼光も鋭い、雄々しい顔付きの会社会長。
…つまり来客用ソファからそれぞれ、ぽつりと常連組。
■■■
「ほう、幻聴が聞こえるだと?」
雄々しい顔付きの会社社長――荒祇天禪(あらき・てんぜん)は、草間の憔悴振りに面白そうに目を細めながら、彼に問う。
「…ああ。『じー』だの『つー』だの低い声で唸ってる」
漸く頭を上げた草間のその答えによると、ひとりの声では無く、複数の声だと言う。…だから余計に正体がわからないのかもしれない。声の特定も出来ない。勿論言語は初めっからわからない。
「それが、朝からずっと、なんですか?」
青い髪と瞳の女子中学生――海原(うなばら)みなもが確認する。
「………………ああ」
たっぷり数秒の沈黙を経てから、草間。
「…ホンマか?」
呆れたように日系ロシア人な関西系高校生――淡兎(あわと)エディヒソイ。
「…よく今まで我慢できたわね」
これもまた呆れたように、シュライン。
と、そこに。
ドアがノックされる音。
…こんな時に客か。
そう思ったが、ドアの隙間から顔を出した人物に一同は安堵した。彼女もまた、ここに居る面子と同じ常連組。
「こんにちは、草間さん。…って、どうしたんですか? 凄く顔色悪いですよ」
興信所のドアを開けたパンツルックの似合う司書のお姉さんは開口一番そう言った。
「ああ、綾和泉(あやいずみ)…」
新たな訪問者に即、看破され、草間は改めてがっくりと項垂れる。
来訪した司書のお姉さん――綾和泉汐耶(せきや)は差し入れの飲茶セットをテーブルに起き、そこに居た面子から仔細を聞いた。
「…何かが何かをずっと唱えてる、と。そう言う訳ですか」
ふむ、と汐耶は頷く。
「私の力でお役に立てるかどうかわかりませんが、この場に居合わせてしまった以上、気になりますね」
「…ちなみにここに居る面子、皆、同感です」
金の瞳のバーテンダー――真咲御言(しんざき・みこと)は、宜しかったらどうぞ、と自分の座っていた席を譲りがてら、勝手知ったる他人の事務所とばかりに奥の台所へ向かい、汐耶の分の珈琲を淹れに行く。
■読み解け■
そして戻ってきた真咲が座っている汐耶の前に珈琲を出した頃。
シュラインが草間に声を掛けていた。
「理解出来ないって事は日本語じゃない、と考えて良い?」
「…極端に標準語と違う地方の方言だったら知らないが…多分違うと思う。日本語じゃないだろう」
「そう…じゃあ、そうね、なるべくその幻聴の発音に忠実に言ってみて。文字を書き出してみるわ。聞けば何処の国の言語か…それとその意味もわかると思うから、そこから何の為の言葉なのか調べましょ。取り敢えずは意味がわかるようになれば多少は楽かもしれないし」
「そうだな。幻聴の内容がわからなければ対処のしようもない」
シュラインに続き、重々しく頷きながら天禪にも促され、草間は顔を顰める。
この幻聴、復唱せよと言われても、いまいち言い難い発音。
けれどふたりの言う事ももっともと思い、渋々ながら草間は口を開く。
「…じゃあ言うぞ。あー、『さん、きんきぅゆ、ち、つ、まんまんすい、えいこん――』」
たどたどしくも復唱してみるが、一同むしろ困惑顔。
うーん、と考えながらシュラインが草間に指示を出す。
「もう少し…平坦だとか抑揚が付いてるだとか音の上がり下がり、伸ばしてるだとか切ってるだとか…その辺もできる限り忠実に…無理?」
草間はまた眉間に皺を刻んだ。
やはり上手く行かない。
「…できんようならお前の額に手を当てて俺が読み取るが?」
ぽつりと天禪。
「…いや、もう一回やってみる。ええとな…『ばぁあい、し、だぁいてぃぁあんごん、ゆぅしっ、うぇいふぅ――』」
少し聴き、シュラインは今度は納得したように頷く。天禪も同様に頷くと、目を閉じ、聞き入るかのように再びソファに深く沈み込んだ。
同刻、横から小さな声で真咲が口を挟む。
「一応、中国語のようですね」
「御明察」
答えながらもさらさらと紙に書き出す。
「…漢文、ですか? 五行絶句とか…その辺り?」
書き始めたシュラインの手許を、横から覗き込んだみなもがやや引き気味に言う。
…曰く、彼女は漢文やら中国系の話がちょっと苦手と言う事らしい。
「『じゅん、ちぃぇんでぃん、しぃ、つぉん――』」
草間は言われた通り極力発音を似せているつもりで復唱を続ける。
そして暫し後。
「『――ぃゆ、ちぃ、とぅ、まぁん、まぁんすぅぃうぇぃ、こぅぉん』…で、一回り、だと思う」
草間はどうにかこうにか言い終えた。
曰く、今復唱した部分がぐるぐると回っているらしい。朝からと言えば何周目なのか気が遠くなる程の回数になるだろう。
書き上げた百二十文字程の漢字の羅列――漢詩に、シュラインは改めて目を通し、今度は自分で――草間の声より確り特定の言語に聴こえる発音で読み上げる。
「――ジォンジィジィフゥチェン、フゥヮアングジィダァイレンシィ――」
と、草間が思いっきり頷いた。
「…ああ、そうだ、そんな感じだ」
そんな中、シュラインの手によって書き出された文字をひょっこり覗き見て淡兎エディヒソイこと、エディーは叫ぶ。
「それって、野馬台詩の原文やん!」
その声を聞き、次いで汐耶もシュラインの手許を覗き込んだ。
「…そうね。…確かに野馬台詩よね、これって」
「なるほど」
同様に覗き見て、何処となく面白そうに呟く天禪。
が。
「『やばたいのし』?」
「…なんだそれは?」
どうやらその『幻聴』の正体らしい名称に、みなもと草間のふたりだけは疑問符付きの科白で答える。
「…それでいいんか怪奇探偵」
その様子を見てぽつりとエディー。
「…好きでなってる訳じゃない」
憮然と草間。
「えーと、『やばたいのし』って、なんですか?」
疑問に思い、素直にみなも。
「簡単に言や、昔の中国の宝志って坊さんが書いた、日本が滅びるっつう予言書や。まぁ、ノストラダムス程は有名やないし、知らんでも無理あらへんけど…やっぱ怪奇探偵っつぅんならマークしとかなあかんて」
「いや、だから…」
好んで怪奇探偵やってる訳じゃない。
「ま、それにこれは、とっくにハズレで終わった予言やけどな」
「そうなのか?」
「でも色々解釈があるとも聞きますよ。中にはまだ外れてないと言えそうな解釈もあります」
「お、あんたは真咲の兄ちゃんやったな。そんなんあるんか?」
「…越前から出て新王朝を建てたと言う継体天皇を一代目と数えれば、昭和天皇が九十九代目になるんですよ。つまりこの解釈なら今の世、平成天皇が百代目、と。まあ、一番有力と見られていた、素直に考えた場合の第百代天皇――後小松天皇の即位後、って解釈は外れてるんですから、こじつけに近い気もしますけどね」
「…平成っつーたら…そりゃ今が真っ只中やないけ」
「まあ現在の世も色々破滅的な事は起こってますが…それにしても『UFOが地球を襲う』だの『宇宙的規模の戦乱』がどうのと言うのはちょっと考え難いか、と」
「確かに。えっと、それの出典って、『耶馬台の詩』、だったわよね?」
「御存知でしたか綾和泉さん」
「一応目を通した事はあるわ。まあ、予言ブームの最中に出た解釈だから確かに眉唾だけど、解釈のひとつには間違いないわね」
「…ところでどんな意味なんだ、その『野馬台詩』ってのは」
草間がぽつりと呟く。
そこが肝心だろう。
言われてすぐにシュラインが答えた。
「大意としては『古代中国の周王室――姫姓の人たちの流れをくむ東海の国――これは日本ね――は百世にわたって代々栄える。けれども、戦乱の世に入ると、皇室は絶え、かつての大臣、その内実は猿や犬のような輩――これは申年や戌年生まれの人という解釈もあるけど――が国を奪って相争う。で、その結果、国中ことごとく焼土となり、あとかたもなく滅びる』って感じかしら」
それを聞き、草間が少し思案顔になった。
「日本が、滅びる…か」
ぽつりと言い、シュラインの書き取った『野馬台詩』の原文を手に取ると、草間は改めてそれを見る。
考え込んでいる草間に、真咲が補足した。
「…この『野馬台詩』は、吉備真備が入唐留学した際、そのあまりの学識に恐れをなした唐人が、吉備真備を陥れる為に使った難題のひとつ、わざと配列の乱してある暗号詩と伝えられているものです」
「『江談抄』や『吉備大臣入唐絵巻』に収められている話ね。解読した吉備真備は、これを日本に持ち帰った」
汐耶もそれにまた補足する。
「…でもそれでこの詩、ですか? それが何かはわかりましたが…ですがどうして草間さんにこれが聴こえ出したんでしょう? いったい何なんでしょうね…それも日本が滅びると言う予言詩なんて、何か不吉です」
皆の話を聞きつつ、うーん、と悩むみなも。
「確か吉備真備はこれを玄宋皇帝の前で読む時、観世音…御厨子観音?…に祈り蜘蛛に化身した観音様に助けて頂いたとか。阿倍仲麻呂に助けられたって説もあるけれど」
考えながら、シュライン。
「草間さん、今出てきた御厨子観音、蜘蛛、吉備真備、阿倍仲麻呂…と、この辺りで何か思い当たる事はないでしょうか?」
黙ったままの草間に、シュラインの科白を受けて汐耶が問う。
けれど草間は厳しい顔で黙ったまま。
考え込んだまま、答えない。
「…吉備真備がしたように祈ってみるか…蜘蛛を探してみましょうか?」
恐る恐る、シュラインが提案する。
けれどやっぱり草間は考え込んだまま。
何か、変だ。
「今朝からなのよね…昨晩とか、何か変わった事したの…?」
心配げな顔で、シュライン。
それでも草間は黙ったまま。
「…武彦さん?」
改めて名を呼ばれ、やがて草間はぼそりと口を開く。
「…なあ、少し気になるんだが」
「何か心当たり見付かった?」
「…零が関係している、と言うか関らせられそうな何か、って事は、ないか」
「――」
草間の声に弾かれたようにみなも、汐耶、シュライン、真咲の四人は零を見た。
零の素性を思えば、草間が気になるのは当然かもしれない。
何故なら彼女は――かの悪名高き大日本帝国の、最終兵器である初期型霊鬼兵。
…言わば「日本」が「滅びる」「滅びない」の騒ぎとは、一番、身近とも言えそうな。
「うちもそないな気がしとったんやけど…どやろ? 他に心当たりらしい心当たり、ないやんか」
草間に続き、ぽつりとエディー。
思えば彼もまた、いつからか黙ったままだった。
例えば。
本当はこれが聴こえるべきは零――彼女に与えられた命令信号か何かで、
側に居た現在の「兄」こと草間に間違って、それが受信されてしまった――とか。
「もし万が一、そうだったら…ここで間違って良かった、って事にはならないか?」
零への信号を、草間が受けてしまったのなら、
それは結局何もできないだろう。
大日本帝国最終兵器としての零への命令と同じ事を、草間が代わってできる筈もない。
「兄…さん」
零が思わずと言ったように声を漏らす。
いつも穏やかな微笑みを絶やさない筈の、その顔が、何処となく違って見える。
…心配しているような、落ち込んでいるような、ショックを受けているような。
それを受けて草間は、安心させようとしてか小さく笑った。
「仕方無い、もう少しこのまま様子を、見てみよう」
「ってあの草間さん!」
「…ちょっと武彦さん」
「――それでいいのか、草間よ?」
「今、この幻聴の内容がわかっただけでも、楽になったようなものさ」
慌てて呼び掛けて来るみなもとシュライン、こちらの意向を何も言わず汲んでくれそうな天禪に向け、草間は、ふ、と力無く笑む。
「…ならばまた明日にでも、もう一度仕切り直すか? お前の言う通り、それから改めて、解決策を考える」
少し考え、天禪が草間に言う。
「そう、だな。…そうしてくれ」
■一転■
そして有耶無耶なまま、次の日。
天禪の提案した通り、昨日居合わせた面子がそのまま興信所に来訪していた。
やはり皆、草間が心配なのは変わらない。
が。
驚きの新事実。
「…止んだ?」
「…ああ」
「特に何もしてませんよね?」
「…ああ」
昨日より更に渋い顔で草間は言う。
――『野馬台詩』を詠唱していた声――幻聴が、止んだ。
「…訳がわからん」
「止んだ、イコール解決した、つーならそれでええんやろけど…なんや不安やな」
「その通りだ」
エディーの科白に草間は頷く。
このまま解決ならそれに越した事はないが、昨日出てきた零に対するひとつの不安は――解決していない。
無論ただの取り越し苦労ならそれで良いのだが、それにしては妙な説得力があったのだ。あの説は。
「本当にただの幻聴だったと考えて…いいのかしら?」
沸かした烏龍茶を皆の前に置きつつ、疑わしげにシュラインが言う。
珈琲でないのは昨日汐耶が持って来た飲茶セットに合わせて、だ。それらは現在、蒸かし直したり温め直してテーブル上に並べられている。
「でも草間さん、あの…野馬台詩でしたっけ、聞こえていましたそれ、知らないんですよね?」
煎れてもらった烏龍茶に口を付けながら、みなもが問う。
「元々知らないものが…それも知らない言語でなのに、語学に長けているシュラインさんにもちゃんと一通り詩文として理解出来るようなはっきりした聞こえ方をしていたのって…やっぱりどう考えても変だと思うんですけど」
「何かの意図がありそうよね。…昨日は一日中、そして今日は止んだ、となると…具体的にいつごろ止んだのか、わかります?」
みなもの科白を受け、汐耶が問う。
草間は少し考えた。
「…朝方、三時半…いや、四時に近いくらいだったか」
「それは…今の季節ですと夜明け、と考えても良いですね」
ぽつりと真咲。
「ひょっとして、聞こえていたのは『丸一日』の間だけ、だったりしますか?」
考えてみれば昨夕の時点で、朝方からずっと、と草間は言っていた。
「そう…だな?」
「…単なる勘なんで聞き流して下さって結構なんですが、その事も何か意味あったりしますかね?」
■そのこころは■
「改めて整理してみましょう。この『野馬台詩』、聞こえ始めたのは昨日の朝方で、今日の朝方――だいたい丸一日経って止みました。で、その内容は中国語――原文の大元の読み方なんでしょう――で声は複数、唸るような低い声、と」
春巻を小皿に取ってから、真咲が言う。
そこに胡麻団子を突付きつつ、汐耶が続けた。
「そしてこの『野馬台詩』は『江談抄』等に収められているように、吉備真備が入唐留学した際に課された『文選』の読解、当時日本に伝えられていなかった『囲碁』での勝負、に続き三度目に唐人から出された難問の課題になるわね。禅僧・宝志が書いたもの…と言われてますけど、吉備真備を遣り込める為に唐人に呼ばれたって言うこの宝志、実際には当時もう死んでた筈なのよね。史実を考えれば時代が合わない」
「そもそも史実を考えるなら当時の唐人はろくに日本人相手にしてなかったとも言いますから…学識に恐れを為して、なんてそんな滅茶苦茶試されるような事も無かったみたいですけどね。後世、この『野馬台詩』が宝志作、とされたのは…讖――予言詩としての説得力の為って話もあるみたいですから」
次には春巻に醤油を掛けつつ、真咲。
「その『予言』て部分がうちは気になったんやけどな。…零ちゃんに何かあったら大変やん」
今度は肉まんを頬張りつつ、エディー。
「淡兎くんのその連想は…確かに説得力あると思ったのよね。私も」
烏龍茶を注ぎつつ、シュライン。
「そう思ったから怖かったんですよ。そこでいきなり止んだ、なんて言われたら…むしろ不安です」
小龍包を小皿に取りつつ、みなも。
「皆さん有難う御座います。私なんかの事を心配して下さって」
草間に小皿に取り分けてもらった焼売を受け取りつつ、零。
「なんか、なんて言わないの。零ちゃんは武彦さんの妹なんだから」
「その通りだ」
シュラインに同意し、重く頷く草間。
「…ところで、この『野馬台詩』、が使われたのは…吉備真備の学識を試す為ですよね」
「そうだったわね」
「詩の意味、ではなくその使われ方、の方に原因となる意味があるって事は…ないでしょうか。阿倍仲麻呂に助けられたって説もある、とエマさんが仰ってましたが、阿倍仲麻呂が吉備真備を助けられたのは確か『文選』と『囲碁』までで、『野馬台詩』は鬼――この場合は阿倍仲麻呂――の入れない結界の中に閉じ込められて解かされた、とも言われてませんでしたっけ?」
「そうも言うのよね。『野馬台詩』に関しては『鬼』は手を出せなかった、と」
真咲に言われ、相変わらず考えつつ、シュライン。
と。
ずっと沈黙を守っていた天禪が口を開いた。
「これ以上無言を通すも悪趣味か」
ふ、と天禪は息を吐く。
「荒祇さん」
「草間よ、お前誰かに『囲碁』の勝負挑まれなかったか?」
「囲碁?」
「そう…じゃなかったら、『文選』、に匹敵するような何かややっこしい依頼と言うか『頼みごと』を断った事はないか? 別に昨日今日じゃなくて良い。もっと前の事でも構わない」
言いながら立ち上がり、草間の前まで来る。そして草間の目の前に片手を翳して、数度ゆっくり横に動かした。
「…こんな男に、だ」
天禪が手を止めた時、草間の視界に、老人めいたひとりの小柄な男が映し出される。幻視。天禪が昨日、ここで感じた気配、残留思念の主――『視』えた姿の、投影。
草間は凍り付いた。
記憶にある。
「………………こいつが、どうしたと言うんだ」
「恐らく、原因だ」
「――」
草間は息を呑む。
「心当たりあるの武彦さん!?」
「あのジジイ…」
「ジジイ? …って誰?」
「知らない。名前も何も聞いてない。ただ前にここに来た事のある奴だ。その時は…俺以外誰も居なかった」
「そりゃ珍し」
この興信所、いつでも大抵誰か居る。それも大勢が基本。
「…居たらどんな依頼であっても受けろって発破掛けられてる筈ですもんね」
この草間興信所、財政状況の逼迫振りは常連組にはバレている。
そもそも仕事を選んでいられる状態なら怪奇探偵の名は返上可能だろう。
「…正式な依頼じゃない。報酬の交渉なんぞ無かった。そもそもあんな依頼無いだろ」
「じゃあお金にはならない依頼――じゃなくて頼みごと? その時何があったの?」
「囲碁の相手してくれって言われた」
「は?」
「…それって荒祇さんの言った通り、になりますね?」
「ああ」
ち、と舌打ちをしそうな顔で草間は言う。
そこに天禪がまた口を開いた。
「…もうひとつ。『鬼』に心当たりは無いか」
「さっき言ってた阿倍仲麻呂…?」
「まあ、それを意識してはいるな。『野馬台詩』を持ち出した以上」
「…じゃあ荒祇さん御本人とか?」
「俺ではない。…そもそも俺でどうする?」
「…あのすみません、今荒祇さん、『囲碁』に『鬼』と仰いましたよね、それから草間さん、『ジジイ』、と」
はた、と何かに気が付いたように、真咲。
「ああ」
天禪が答える。
「…どうした? 真咲」
草間は訝しそうな顔で真咲に問うた。
「荒祇さん、御面倒かもしれませんが今草間さんに『視』せた人物の姿、俺にも『視』せてくれませんか」
考え込んだまま、真咲。
「…構わんが?」
言って、天禪は真咲の前で同様に手を翳す。
直後、真咲は思い切り溜め息を吐いた。
「…やっぱり」
「…何か心当たりあるのか?」
「いつの間に油烟墨(ゆーいぇんもー)と面識持ってるんですか草間さん…」
「ゆーいぇんもー?」
「こちらの世界での名乗りは大抵『鬼(くい)油烟墨』ですね」
「…あのそれってひょっとして、鬼凋叶棕(てぃあおいえつぉん)ってひとと関係あります? 以前そんな名前の人がこちらに居たり、真咲さんと一緒に行動してたりした事ありますよね?」
ふと思い付いたようにみなもが言う。
疲れたような顔で額を押さえつつ、真咲が溜め息混じりに答えた。
「…油烟墨も凋叶棕も同じ鬼家の仙人です。特にこの油烟墨は筋金入りの囲碁…と言うかその手の戦略ゲーム好きで、相当の気難し屋。好んで老人の姿を取ってますね。ちょうど今荒祇さんが『視』せて下さった通りの姿です」
「…そんな名前聞いてないぞ」
箸を置きながら草間はぼそりと言う。
…凋叶棕ならよくここに居るが。それに彼なら依頼を手伝ってもくれている。
が。
「じゃあ名乗らなかったんでしょうね」
真咲は即答。
つまりこの油烟墨とやら、元々そう言う奴だ、と。
「…」
「鬼家の仙人、って言ったわよね」
「はい」
「鬼、に通じるわね」
「…ええ」
「じゃあ…真咲の兄ちゃんの言った通り『野馬台詩』の『意味』じゃなく『使われ方』の方を考えるとして、それプラス荒祇の旦那のヒントで行くと…吉備真備が『野馬台詩』を解読しとるとこには『鬼』は入れんかった…つまり草間はんの頭ん中でこれ詠唱されてた時にはもう、その油烟墨とか言う『鬼』家の仙人な爺さんは『ここには居らんかった』つぅ意味になるんか?」
杏仁豆腐の器を持った状態で、エディー。
「ひょっとして…囲碁の相手もしてくれないんじゃもうこんなところに来るもんか、って言う、単なる『鬼』からの嫌がらせ?」
烏龍茶の湯呑みをテーブルに戻したところでぽつりと汐耶。
「俺は物凄くそんな気がするんですけど…あの人の迂遠過ぎる中々読めない行動パターンからして…」
がっくりと俯きつつ、真咲。
「いやがらせ…」
烏龍茶の湯呑みを持ったまま、何処か呆然と呟く、みなも。
…それは心配しただけ損であるような。
「それ程悪い『気』も何も感じないと言うのに皆して大風呂敷広げ出すからな。そろそろ止めた方が良いと見たんだが…それにしても随分…」
天禪は言いながら苦笑い。
「…ったく。こちらの身にすれば笑い事じゃないぞ」
それを見て、苦々しげに、草間。
…正直、この一日と少しでかなり神経が磨り減った。
■大山鳴動して以下略/シュライン・エマ■
「結局、零ちゃんとは関係なかった、と」
ほっ、と安心しつつシュラインは溜め息を吐く。
「すみませんね、本当に。鬼家の仙人連中が紛らわしい事をして御迷惑掛けているようで」
こちらは疲れたように溜め息を吐く真咲。
「どうして真咲さんが謝るの」
「いや、あそこの仙人がこの近辺にぞろぞろ居るようになったのは…俺のせいだと思いますんで。元を辿れば…今回のあの人に草間さんが目を付けられてしまった切っ掛けは俺になりそうな気がします」
「え?」
「俺は元々春梅紅(ちゅんめいほん)にさっきも海原さんから名前が出ました凋叶棕(てぃあおいえつぉん)、と言う鬼家の仙人ふたりと知り合いでして、そこから…俺の居付いているこの近辺が、『彼ら』にとって居心地良い場所だと気付かれてしまったんだと思います」
「ふぅん、そうなの…でもね、それで真咲さんのせいになるんだったら、風が吹けば桶屋が儲かる、って話になっちゃうんじゃないかしら? 具体的に何にも関係ないし、遠回し過ぎるわよ?」
「そう言って頂けると有難いんですが…何だかエマさんとはいつもこうですね」
真咲は苦笑い。
「真咲さんが悪いんじゃなくて真咲さんの周りに厄介な人が多いって事なんじゃないの?」
言いながらシュラインは草間を流し見る。
「まあ…他人の事は言えない気はするけどね」
「…おい、シュライン」
その視線に気付き、皆まで言わずぼそりと抗議する草間。
「だってそうじゃない? 『怪奇探偵』さん?」
そんな姿ににこりと笑い、トドメのひとこと。
…草間はがっくりと項垂れた。
【了】
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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■整理番号■PC名(よみがな)■
性別/年齢/職業
■1252■海原・みなも(うなばら・みなも)■
女/13歳/中学生
■1449■綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)■
女/23歳/司書
■1207■淡兎・エディヒソイ(あわと・えでぃひそい)■
男/17歳/高校生
■0086■シュライン・エマ(しゅらいん・えま)■
女/26歳/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
■0284■荒祇・天禪(あらき・てんぜん)■
男/980歳/会社会長
※表記は発注の順番になってます
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■ ライター通信 ■
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※オフィシャルメイン以外のNPC紹介
■原因?■鬼・油烟墨(くい・ゆーいぇんもー)■
男/606歳/囲碁好き仙人
■居合わせ暇人■真咲・御言(しんざき・みこと)■
男/32歳/珈琲好きのバーテンダー(居る時は家人そっちのけで客用珈琲さえ手ずから淹れます)
■話にだけ出てきた仙人その一■鬼・凋叶棕(くい・てぃあおいえつぉん)■
男/594歳/現在探偵下請けで実は草間興信所常連組
■話にだけ出てきた仙人その二■鬼・春梅紅(くい・ちゅんめいほん)■
女/578歳/現在IO2所属のオカルティックサイエンティスト
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さてさて。
最近何故か生傷の絶えないライター、深海残月です(だから何)
荒祇様、初めまして。
海原様、綾和泉様、淡兎様、エマ様、いつもお世話になっております。
このたびは御参加有難う御座いました。
ちなみに当ライター作ノベルの場合、各タイトルと共にPC様の名前が書いてあるパートのみ個別で、他は共通になっております。
即ち今回は、最後の部分です。
…綾和泉様と淡兎様のみ、共通になっております。
内容としましては…皆様殆どの方が御指摘の通り件の詩は『野馬台詩』で御座いました。
…ヒントも何も、そのまんまでしたね(笑)
けれどそこまでわかっても解決策がわからないと言うプレイングも頂いてしまい…ああそりゃそうだろうなあとライターも思っておりました(オイ)。出るかもしれないNPC、として名を上げた中に『鬼』凋叶棕が居たのも一応ヒントのようなもの(!?)だったつもりなんですが…それは隠し過ぎとも言いますね(汗)
…すみません先が読めないオープニングで(いや、いつもの事…)
そんなわけのわからん状況だったにも関らず、皆様御参加有難う御座いました…。
ところで漢字の中国読みの平仮名・片仮名は漢和辞典の発音記号から拾って適当に音訳したものなので現実に即していない可能性が高い事を白状しておきます。ライターがそこまで細かく音の違いがわかってません(ついでに音の表記ができません/汗)
エマ様
日本語ではないと察して下さって有難う御座います。実はオープニング提示時点でそこがこちらでも引っ掛かっていたところでして(え)。意味を重視させると音がおろそかに、音を重視させるとどうしようもないくらい意味不明になるだろうと思ってましたんで…そこはPC様に察してもらおう(他力本願)!と原文持って来てそのまま書いてしまった訳で…。
いえ、この場合むしろ『江談抄』や『吉備大臣入唐絵巻』とでもヒントを出した方が良かったような気もしています…(苦)
相変わらずプレイングを作るのが難しいオープニングですみません…。
それから、司書の綾和泉様が参加なさってらっしゃったので、アトラスの麗香さんでは無く出典の確認はそちらにお願いした…ような形になってます。
…こんなん出ましたが、楽しんで頂ければ、御満足頂ければ幸いなのですが…。
気に入って頂けましたなら、今後とも宜しくお願い致します。
毎度毎度、本文も本文以外も長引きましてすみません…。
深海残月 拝
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