コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


男と薔薇と素適な薬〜CMにはアザラシを起用してみたりして〜


 その日、草間興信所の入り口前に、一人の男が立った。
 すらりとした長身によく似合った、見るからに高級な仕立てのスーツ。長い金色の髪と、静かな光を宿すブルーの瞳は、彼が他国の血を持つ人間であることを顕示している。
 名を、ケーナズ・ルクセンブルク。絵に描いたような美青年で、つまり、この廃ビル寸前の建物からはひどく浮いている。そしてその手には、ジュラルミンのトランクと小さな紙袋、そして目も覚めるような深紅のバラの花束を抱えていた。
 空いている方の手を優美に伸ばし、呼び出しブザーを押す。―――しばし待ち、応答がないことを確認して、ドアノブに手を掛けた。施錠されていないことは、予想していた。
「失礼」
 軽く声を掛け、足を踏み入れる。ざっと室内を見回し―――来客用のソファに視線を留めた。
 そこには、この事務所の主、草間武彦が身体を丸め、毛布をかぶって寝転んでいた。ブザーの音は聞こえていたようで、こちらを見てはいるが、身体を動かすのは辛いらしく、起き上がっては来ない。咳き込みながら苦しそうに、ケーナズか、と言った。
「何の用だ。仕事なら今日は―――」
 草間はそこで言葉を切り、また咳き込んだ。
 ケーナズは秀麗な眉を下げ、気の毒そうな顔を作って見せる。
「苦しそうだね。風邪をひいたと聞いたから、お見舞いに来たんだけど」
 草間は脂汗の浮いた額を手で拭い、厭そうに顔を歪めた。
「聞いたって、どこからだよ」
「私の情報網を侮らないで欲しいね。特に、君に関する話は、聞き逃すはずがないだろう。―――ああ、これはほんの手土産。銀座で評判の店のチーズケーキと、花屋で一番綺麗だったバラだ」
 そう言って紙袋と花束を示したケーナズに、草間は更に厭そうな顔をして、うう、と呻いた。
「そんなもん、男に持ってきてどうすんだ。あんたなら、そういうのが似合いそうな美人ともお近付きになれるんだろうが」
「心外だな。私がお近付きになりたい相手は、一人だけなのだけれどね」
 土産を近くの机に置き、すっと流し目を送る。草間は僅かに怯えたように、かけていた毛布を更に引っ張りあげた。
「美人と言えば、あの可愛い妹君はどうしたんだい?」
「……零は、野暮用で出てる。夜まで帰らん」
「それは結構。つまり、二人きりの時間は、誰に邪魔されることもないんだね?」
「よし、それ以上近付くな。風邪がうつるぞ」
「君の風邪なら、光栄だよ」
 ケーナズは両手を広げ、草間の寝ているソファへと近付いた。草間は、動けないながらも必死の形相で腕を伸ばし、逃げようと足掻いている。
 ケーナズは笑いを堪えながら、草間の向かい、もうひとつの椅子に腰掛けた。あからさまに安堵した顔になった草間に、愉快さと、少々の残念さを滲ませ、目を細める。
 ケーナズはバイセクシャル―――いわゆる両刀遣いで、草間のことを気に入ってもいるが、しかしストレートの男に対しては絶対に手を出さない、という主義の持ち主でもある。何も本気で弱っている彼を押し倒し、まあ、不埒な行為に及ぼうなどと考えていた訳ではない。ただ、ここぞとばかりにからかって遊ぼうと思っただけだ。
 ―――そして実際、ここまで判りやすくビクついてくれると、楽しくて仕様がなくなってしまう。
 草間本人が聞けば目を吊り上げて怒りそうなことを考えながら、ケーナズは、持参したジュラルミンケースを開いた。緩衝材によって保護されたポケットから、あらかじめラベルを剥がしておいた小瓶を取り出す。と、その手元に草間の視線が注がれていることに気付き、ケーナズはにっこりとそちらへ微笑みかけた。ガラス製のその瓶を掲げて見せる。
「これはね、未承認の新薬なんだ。私の最高傑作だよ」
 言い終えた途端、元より青かった草間の顔から、更にざあっと血の気が引くのが見て取れた。彼は、ケーナズが製薬会社に勤めていることを知っている。
 ケーナズは美しい笑顔を維持したまま、続けた。
「―――人体実験してみる気はあるかい?」
 草間は死にそうな顔で無理矢理上半身を起こし、ソファから落ちかけた。すかさずケーナズは腰を上げ、それを抱きとめる。草間は何やらうめきながら何やらわめき、何やら暴れ出した。何やら忙しい男である。
 その隙にケーナズは、片手で器用に瓶の蓋を開いた。白いカプセルを一錠取り出し、なお暴れている草間に押し付ける。
「さあ、飲んで―――」
「阿呆かお前は! 誰がそんな、聞くだに怪しげなもん飲むか! やめろ、おい。離れろって、どこ触ってるんだお前は!」
「おや、妙なことを言わないで欲しいな。君が暴れるから、押さえているだけだよ―――ほら」
 一瞬の隙を突いて、カプセルを草間の口の中へと放り込む。草間は刹那、全ての動きを止め、まばたきすることすら忘れたようだった。
 たっぷり一分ほど置いて、草間は、ぽつりと呟いた。
「―――なんなんだ、今の薬は」
 ケーナズは、瓶の蓋を閉めながら、にこやかに答える。
「言っただろう、私の自信作だよ。君の身体に素適な変化が起きる成分が」
「いや、それ以上は聞きたくない」
 草間は額を押さえ、なんだか絶望的な表情で項垂れた。ケーナズは慰めるように、ぽん、とその肩に手を置く。そして、宥めるように言った。
「詳細な経過をレポートにして提出してくれれば、医療ボランティアとして謝礼を出すから」
「……お前、涼しい顔でこの野郎……」
 うめきかけた草間は、しかしへたりとソファに沈んだ。本当に、かなり体調を崩しているらしい。ケーナズは乱れた毛布を掛け直してやってから、トランクを抱え、立ち上がった。
「お大事に。もう暴れたりしないで、安静にするんだよ」
「……俺だって安静にしてたいんだよ」
 唸った草間に背を向け、入り口へと向かう。その近くの机に置いた土産の側に、もうひとつ、先程の薬の小瓶を置いた。―――自社製の、先日許可が出た、風邪薬を。
 開発に携わったことは本当で、効能にも自信がある。まだ市販はされていないが、特別に社から貰い受けてきたものだ。
 鎮痛効果もあるが、カフェインを配合しているため、眠気を催すことはない。一日二錠、空腹時を避けて服用すれば、胃への負担もほとんど掛からない―――その旨を明記したメモも添える。
 外へと出て行きざま、ケーナズはひらりと片手を挙げた。
「また来るからね」
 もう来るな―――という草間の叫びを、ドアを閉めて遮る。
 髪を掻きあげ、微笑を浮かべながら、ケーナズは階段を降りた。
 今度訪れた時は、何をして遊ぼうかと考えながら。