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トケイ
------<オープニング>--------------------------------------
「ねぇ三下君。『からくる くるから』って言葉からどんなことを連想する?」
「はい?」
麗香の唐突な言葉に、三下は困った顔で返事をした。からくる、くるから。何だそれは?
「まじないですか?」
「さぁ、どうかしら。それを今から調査してもらいたいのよ」
そう言いながら、麗香は三下にメモ用紙を手渡した。依頼者であろう名前――「江崎和弥」、「独り言」、「からくる くるから」という言葉が麗香の字で記されている。
訳がわからず三下が黙っていると、麗香が説明を始めた。
「調査内容は、『からくる くるから』が何なのか調べて、対処すること。この音は、夜依頼者がうとうとし始めると、部屋から聞こえてくるらしいわ」
「からくる くるから。ですか」
「ええ。最初は、一緒の部屋で寝ている奥さんの独り言だと思って放っておいたらしいの。だけど翌日起きてみると――冷蔵庫には昨日食べた筈の食材が残っていて、昨日×をつけておいたカレンダーには印がなくなっていたの。つまり、時間が昨日の朝の状態なのよ」
「え!? でも、そんなことってあるんですか?」
三下には信じられない。現に、今時間は未来へと動いているのだ。その中で、依頼者の家の中だけが過去に戻っているということは――。
「何か歪みが生じそうですね」
「そうなのよ。例えば、依頼者が昨日録画したビデオがそうね。彼の家の中は過去に戻っているところから考えれば、録画した内容は消えている筈よね。でも、こちらの時間は未来へと進んでいる訳だから、もうビデオに録画された内容はテレビでは放送されない、これは明らかな矛盾よね。依頼者もそこに気付いて、まっさきにビデオの確認したんだけど――そのビデオ自体がなくなっていたそうよ」
存在の消滅ということらしい。
「それだけじゃないわ。テレビも映らないの。これが映ってしまうと、矛盾が出てしまうからでしょうね。それからラジオもネットも電話も――外との時間に触れてしまうものは全て駄目になっていたらしいわ。でも謎はここからなのよ。あのからくる くるからという音。依頼者は最初、奥さんの独り言だと思ったって言ったでしょう?」
確かに最初の話でそう言っていた。
「その日の夜にもあの音が聞こえてきて、二日目になってもやっぱり時間は戻っていたの。それで依頼者は奥さんに独り言のことを聞いてみようとしたのね。でも言い出す前に、奥さんが言いにくそうに聞いてきたの。『最近、貴方の独り言が気になるんだけど――からくる くるからって何なのかしら?』ってね」
「え? ――それってつまり、互いに無意識のうちに呟いているってことですか?」
「全く別のところから聞こえてくる音を、互いに独り言と片付けていたという可能性もあるわ。家の時間が狂ったのが三日前。その前日から当日にかけて、彼は病死した父親の遺品を整理していたらしいわ。――この父親は亡くなる前によく言っていたそうよ、『最近時間がおかしい気がする』って」
「依頼者の父親まで――まさか、死の原因も?」
「おそらくね。だって、矛盾になるビデオは存在自体消されているのよ? 外の時間から帰ってきた人間が家の中に入る時ほど、大きな矛盾が他にある?」
麗香のため息が漏れる。
「とにかく、調べて来てくれないかしら。一人が不安なら、誰か誘ってもかまわないから」
「からくる くるから、ですか」
麗香のメモを手にした青年――九尾桐伯が呟く。
乱暴に書かれたメモは、憶測を進める役すら十分にこなせそうにない。ジグソーパズルの数ピースを渡されて「組み立ててください」と言われているようなものだ。
とは言え――からくる くるからという言葉には重要性を感じる。『からくる くるから』から連想するものと言えば――。
ギイ、という音がその先を遮った。人が入ってきたのだ。
「ご機嫌麗しゅう」
と声の主――海原みそのは微笑む。白い肌と長い黒髪が、日本人形を思わせる。しとやかな雰囲気もあった。
「貴方もこの用件で?」――という意味で、桐伯は右手に持っていたメモを軽く上げる。
みそのはわずかに頷くと、桐伯の傍に立った。
「大体の事は存じております」
そこで視線を麗香へと移し、
「ですが疑問がひとつ、よろしいでしょうか」
「ええ。答えられる範囲なら何でも言って頂戴」
「ではお言葉に甘えて。――碇様はどうやってこの依頼をお受けしたのでしょうか? お話を伺いましたところ、電話などの外界との接点はすべて遮断されている筈です。それとも、この問題は既に解決されていて、その後から依頼が来たという流れでしょうか」
「依頼は外から電話で掛かってきたのよ。まだ解決されていないわ」
「江崎さんは今も外に?」
桐伯が訊ねる。これから江崎が家に帰るのなら、外の流れと家の流れとの間に矛盾が生じることになるのだ。無論、桐伯達もこれから家に向かう訳だが――江崎は毎日矛盾を生じさせている。リスクは大きい。江崎の身体に異変が起きても不自然ではない。
「家の外で待っている筈よ。簡単な地図がここにあるわ。そんなに遠くないから迷うことはないと思うけど」
そう言ってB5サイズの用紙を取り出した麗香の動作を遮り、
「あちら、ですね」
みそのは南を指した。
「ずっとあちらから波動の乱れを感じていて、もしかしたらと思っていましたが――こちらからそう遠くないと聞いて確信に変わりました」
「地図は必要ないみたいね」
麗香はデスクの上に用紙を置いた。
その数分後。
「こんにちは」
ドアを開けるのと同時に声が響く。
「あら」
麗香が顔を上げてこちらを――羽柴戒那を見た。
戒那は大き目の紙袋から本を三冊出した。
その本は二日前、麗香が戒那に貸した物だった。
もう読み終わったの?――という表情の麗香。どれも分厚い本で、その上文字が小さく改行も少ない本なのだ。犯罪心理学に関する物と、夢に関する物が二冊。どれも心理学の分野に属するが、特に夢関係の物は本によって掘り下げる面が大きく異なる。どちらも絶版になっていた本なだけに、戒那の心理学者としての探究心をくすぐったのかもしれない。
戒那は何でもないことのように本をデスクの上に置いた。
自然と視線は麗香のデスクに行く。
「それ、何だ?」
本の隣にある、B5サイズの用紙。地図らしきものが書かれているが――。
新しい依頼なのだろうか。
「丁度良いわ。手伝って頂戴」
麗香の言葉に耳を傾ける。
「――ふぅん」
時間が戻る、ねぇ。
「協力してくれるかしら?」
麗香の問いに答えるように、戒那は地図を手にした。
「行ってみるさ」
江崎和弥はどこにでもいそうな男だった。二十台後半、痩せ型。大して不健康そうには見えないが――。
「波動が乱れています」
みそのは断言する。
「外側からはわからぬように、内側から壊れていくのでしょう。――ですがまだ当分心配はいりません」
大体、江崎にはどの程度身体に負担をかけているのだろう。矛盾はどの程度生じているのか。
麗香の話だとビデオの消失が示すように、矛盾を生じた物は存在をなくしてはいるが――江崎はそのことを憶えているのだ。もう既に存在していないビデオのことを彼は憶えている、ここでも歪みが生じている。
歪みは数え切れないほどあるだろう。
一応、江崎は家の中に入れない方が良いのだろうか。
「どうしますか」
戒那が江崎に視線を送る。
「大丈夫ですよ。――案内役が居た方が便利でしょう。家内は今、買い物に出かけていて留守ですから」
からくる くるからと音の聞こえてくる寝室。
部屋の広さに比べ、窓が随分と大きく、庭の景色が楽しめるようになっている。
ダブルベッドの傍には、目覚まし時計が一つ、二つ、三つ、四つ、五つ。夫婦揃って朝に弱いようだ。
「目覚ましは音に慣れてしまうと、自然と起きにくくなりますからね」
さり気なく桐伯のフォローが入る。
部屋中に響く、長針の音。
カチ カチ カチ カチ カチ カチ。
「あれは?」
三人の視線の先には、子供の肩幅程の大きさの時計がかけてあった。茶色い色をしたその時計の表面には、うっすらと埃がこびりついていた。歴史を感じさせる。
「亡父の時計です」
江崎は壁から時計を外し、三人の前に置いた。
暦付きの時計だ。だが、針は動いているのに、暦は一月程前の日にちで止まっている。
「暦の方は、父の亡くなった翌日で止まっているんです。本当は短針も止まっていたのですが、修理してもらって動くようになりました。けれど暦の方は――もう古すぎましてね。――やはりこれが原因なのでしょうか?」
江崎も疑ったことはあるようだ。
「何せ、父の遺品で寝室に飾っているのはこれだけですから。とは言えおかしいところは見つかりませんでしたし、捨てるわけにも……」
戒那は自分の腕時計と見比べる。
――時間は狂っていないようだ。
みそのは時計に神経を尖らせていたが、静かに首を横に振った。
「今のところ、この時計から歪みは感じられません。――それどころかこの時計、今動いているのが精一杯のようです」
戒那が時計に手を伸ばす。記憶を読み取るためだ。
――お前の想いを受け止めてやるから……――。
カチ カチ カチ カチ カチ カチ……針の音が大きくなる。熱を帯びて物事を伝えようとしているのが判る。
――『あと一日だけ』
――『あと一日だけ、そっとしておいてくれ』
――『あと一日』
時計がカタカタと音を立てる。これ以上訊くと壊れてしまう。
――わかった。お前のことはそっとしておくから、安心してくれ――
戒那は、時計から手を離した。
「何かやり遂げたいことがあるみたいだな。――俺はそっとしておいてやりたい」
戒那は江崎を見上げる。
「かまいませんか?」
江崎は少し考えてから頷いた。
「わたくしたちは、どう致しましょうか。やはり依頼をお受けした以上、そっとしておくにしても見守る義務はあると思うのですが。江崎様、いかがでしょうか」
「ええ。――今夜は泊まって頂きたい」
「では、お言葉に甘えて」
礼を言う三人。
「とりあえず、一旦客間に移動しましょう。まだ何もお出ししておりませんし」
と、移動しかけた江崎を
「言い忘れていましたが」
と桐伯が止めた。
「貴方がたご夫婦は、あくまで普段どおりに過ごしてください」
「え? ――ああ、そうですね。その方が良いでしょう」
「それから、あらかじめ伝えておきますが、就寝時前に一旦我々は外に出ますので」
「何故ですか? ここで見張っていれば――」
「いえ、家全体の時間が巻き戻っている訳ですから、その中に私達がいると時間の渦に巻き込まれてしまい見守ることが出来なくなるかもしれません。――代わりに窓を開けて、玄関の鍵を外しておいてくれませんか」
夜が空を覆う。
星の少ない空が剥き出しになった庭で、
「完全に眠ってらっしゃるようです」
みそのは神経を張り巡らしている。
だんだんと眠りが深くなって行くのか、小さな寝息が聞こえ始めた。
その寝息も小さくなり、別の音とすりかわる。
――からくる くるから。からくる くるから。
「時計の波動が変わりました」
みそのが呟いた。
「夜になると力を発動するようですね」
――からくる くるから。からくる くるから。
音は徐々に大きくなっていく。
低い、床を踏みしめるような――歯車を回すような。
時が戻り始めたのだ。
それにあわせて、別の音も混じり始めた。
『からくる くるから』
『からくる くるから』
男の声と、女の声。江崎夫婦の声だ。
「お二人とも呟いておられたのですね」
「みたいだな。お互い無意識みたいだが」
「おそらく、彼ら自身の時をそれぞれ戻しているのでしょう。私達もあの家の中に居たら、ああやって呟いている内に夜が明けていたかもしれません」
三人の会話の内にも、時計は時間を巻き戻していた。
――からくる くるから。からくる くるから。
徐々に、寝室の中央が霧に包まれてくる。
その霧の中から、一人の老人が現れた。
椅子にゆったりと腰掛けている。
江崎の亡くなった父親――この時計の持ち主だ。
時計は時間を戻すのを止め、時を打ち始める。
カチ カチ カチ カチ カチ
カチ カチ…………カチ カチ カチ
老人は眠るように目を閉じている。
カチ……カチ……カチ……カチ
カチ……………カチ……………………
――……………………………………………。
「終わったようですね」
桐伯が、ぽつりと呟いた。
「中に入りましょう」
寝室には、時計が一つ、絨毯の上に落ちていた。
「完全に壊れているな」
戒那が元の場所にかけてやった。
「望んでいたのは、こういうことだったんだな」
老人の傍で自分の生涯を終えること。
老人の身体が悪いことに気付いた時計は、時間を少しずつ前に戻し、老人の健康を保とうとした。それが老人の身体に逆効果をもたらすことを知らずに、戻し続けた。
結果、老人は亡くなってしまった。その翌日には、時計も止まった。
だが老人の息子――江崎和弥が再び時計を動かしてしまった。
時計は願いを叶えるために――自分が壊れるまでの間、老人が亡くなった日に時を戻し続けた。
暦の止まった時計にとって、老人が亡くなった日は「昨日」。
「繰り返し続ける昨日、か」
もし戒那自身が同じ立場にいたとするなら、時間を戻そうとするだろうか?
――否。
一度亡くなった人間を自分の都合で呼び出そうとは思わない。生きて、一緒に過ごす時間を長くしたいと願っても――事実を受け止めなければならない。
今まで自分に言い聞かせてきたことだし、これからも変わることはない想いだ。
「この時計は、ここにあるべきではありませんね」
くぐもった声で、みそのが言う。
「――朽ちたのですから、一番大切なお方のお傍に置いてあげるべきです」
その言葉は、少し強い。
――もし自分がこの時計だったなら……そう考えてしまう自分がいる。
桐伯は落ち着いた口調で、相槌を打つ。
「きっと持ち主も同じように思っていますよ。――今もこの時計を待っているかもしれません」
続けて、
「大きな古時計の童謡を思い出しませんか? あれにそっくりです。あの歌の続編で、動かなくなった時計は役立たずだと解体されてしまいますが――この時計はそんなことにはならない筈です」
「――そんなことはさせません」
みそのが呟いた。
戒那はそっと時計に触れた。
時計は満ち足りた様子で、今はもう動かない。
終。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0332/九尾・桐伯/男/27/バーテンダー
1388/海原・みその/女/13/深淵の巫女
0121/羽柴・戒那/女/35/大学助教授
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■ ライター通信 ■
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「トケイ」へのご参加、真にありがとう御座います。佐野麻雪と申します。
今回は最初から最後まで非常に静かな流れになりました。
と言うのも、作中に書いてあるように「大きな古時計」がイメージの元になっていましたので――。
ずばり、当てられてしまいました。
具体的な話としては、皆様の予想から少しばかり外れた形になったかも――それが吉となっていれば嬉しく思います。
違和感を持たれた個所がありましたら、どうかご指摘願います。
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