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<東京怪談ノベル(シングル)>


かなしい嘲笑


 あれは、笑い声だといえるのだろうか。
 やつに、何かを嘲り、何かを楽しむ心などはあるのだろうか。
 人間にとっての定義や常識を当てはめようとするなど――ともすれば、おこがましいにもほどがあるのかもしれない。

 武神一樹は、死体を見ている。
 否、乾いた肉塊と呼ぶべきか。

「……間に合いませんでしたか」
 遅れて部屋に飛び込んできた紅い瞳の少女は、どことなく無機質な問いを一樹に投げかけてきた。彼女は、草間零。人間ではない。人間の感情は、目下学習中だ。
「……ああ」
 一樹の答えは苦渋に満ち、感情を充分に含んでいるものだった。彼は人間だ。それも、情熱的で義侠心に富む。
 ふたりは鎌倉に来ていた。
 そして凄惨な哄笑を追い、凄惨な現場を目の当たりにするはめになった。
 また、雨が降り始めた。



 つい先日伊豆で起きた地震は、震度6というかなり大きなものだった。
 しかし、これぞ不幸中の幸いか――死傷者はかなり少なく、家屋の被害も小規模ですんだ。哀しいかな、今のご時世、日本人の関心を引くには相当な衝撃が必要である。この地震はすでに伊豆の住民にとっても過去のものになり始めていた。
 しかし鎌倉地方に住む人々がこの地震の恐怖を失い始めている理由は他にあった。地震よりも恐ろしい事件が、ここのところ相次いでいるからである。あまりにも不可解で空恐ろしい事件であるがゆえに、警察もすべてを公表することはなく――情報の隠蔽には、どうやら警察以外の大きな力が働いているようだった――ただ、『変死』事件が頻発しているということで、地域住民に注意を呼びかけているのだった。
 事件の詳細は陰を通して東京に伝わり、やがて、草間興信所及び骨董品屋『櫻月堂』のもとにも流れついたのだった。
 だが、遅すぎた。
 『櫻月堂』店主であり、幽界と現界の防人たる武神一樹は、やり場のない怒りと哀しみを覚えている。……もう少し早く、情報が来ていたら……。
 身体を引き裂かれ、生き血をそっくり吸われた死体――これが、今鎌倉に影を落とす事件がもたらしているものである。ただの変死事件ではないのだ。異常な事件だからこそ、一樹の耳にも入ったのだから。
 草間興信所に足を運んだ一樹は、意外にもあっさりとことの真相を探ることが出来た。真相を知るものがいたからだ。
 霊鬼兵、草間零。

 零は目の前に機密書でもあるかのように、すらすらと説明した。ひょっとすると、その赤い目は瞬きをしていなかったかもしれない。一樹は腕を組み、ただ聞いていた。
 それは、北斗壱号。
 それは、旧日本帝国軍の更なる罪。
 それは、この国では『星の精』と呼ばれている外宇宙の生物と、人間を融合させた存在。超人となるはずであった。霊鬼兵にも勝る兵器を生み出す計画であった。全ては、失敗した。人間というものは、人間が考えているよりもずっと素晴らしく、ずっとちっぽけで、脆いものであるから。
 それは、あの呪われた『妖蛆の秘密』が旧日本軍の手に渡ったがために起きた悲劇。
「先日の地震で、封印が解けたのでしょう」
 零はそう結んだ。
「封印?」
 一樹は嘲笑う。すでに滅びた罪深き組織を嗤ったのだ。
「人間に封印出来るほど、やつらが弱いとは思えないな」
「しかし、現に57年間――」
「破られる封印は、封印なんて呼べないさ」
 一樹は立ち上がり、零の赤い瞳を見下ろした。
「……よかったら、手伝ってくれないか」


 そうして今、武神一樹は死体を見ているのである。


「また、降ってきましたね」
 零が灰色の夜空を煽ぐ。赤い瞳に雨粒が飛び込んだが、彼女は瞬きをしなかった。
 一樹は言われて、死体から空へと目を移す。
 厄介な季節だ。この梅雨が終わっても、まだなお(というより、むしろ)つらい季節が続く。じっとりと肌に汗が浮かぶ暑さに、この湿度が加わるのだ。
 星も見えない空がどこまでも続いている。
 やつらがここに留まっているのは、己の故郷を空に見出すことが出来ないからではないか――? 一樹はそう思おうとした。
「……死人が出るのは1日置き、だったか」
「はい」
「よし、明後日まで居座ろう」
 零は微笑み、頷いた。明後日まで、と一樹は言ったのだ。
 つまり、明後日でけりをつけるということ。



 ――そして今、一樹と零は、北斗壱号と対峙していた。
 笑い声、気配、空虚と邪悪が混じり合った意思を追い、ふたりはその存在を見出すことが出来たのである。場所は閑静な住宅街の中にある中学校の裏。ふたりと北斗壱号の他に動く気配はない。そして、雨が降っている――
 また、北斗壱号はゲタゲタと耳障りな笑い声を上げた。その歪んだ姿は明滅している。しかしそこに確かに存在しているのだ。雨のおかげで、姿が消えているときでも、その輪郭が視界に入る。雨粒が何もない空間で跳ね返り、捻じ曲がった哀れな姿を浮かび上がらせるのだ。
 しかしこの存在は、本当に人間がもとになっているのだろうか。
 鉤爪のついた手は、おそらく5本ある。牙が飛び出した口などはいくつあるのか見当もつかない。目も鼻も耳も失われている。ヒトの面影はすでになかった。
 無数の口が一挙に笑う。耳障りで、歪んだ悦びのようなものを含んだ哄笑だ。
「待て、手を出すな」
 身構えた霊鬼兵を、一樹は手で制した。かすかに戸惑ったような表情を浮かべて、零は一歩退く。目は、一樹に訴えかけていた。
 ……何故?
「こいつは普通、地球に長く居座らない――やつをこの場に留まらせているのは……」

 ひひひ……たすけてくれ。
 きしし……こわいんだ。
 うひひ……はらがへってるんだ。
 くすす……どうしたらいいんだ。

 一樹は十種の神宝の一、八握劔をその手に握る。
 しずしずと後退しながら、ゆらゆらと古い剣を振り動かし――
「ひ」ぎしし、「ふ」ぎゃはは、「み」けけけ、「よ」うはは、「い」くすくす、「む」うぎぎ、
「な」がはああ、「や」う、うぐるううふふ、「ここ」ぎっ……
「たり!」ひぎゃあああぁあッ!

 ずばん、と北斗壱号の身体が炸裂した。
 一樹と零の足元に、草むらに、土気色になった人間の部品が落ちていく。生気と血液を失ったその腕や足やはらわたは、しゅうしゅうと煙を上げて縮れていき……消えた。
 残ったのは、不可視の生命体である。ゼリー状の不定形な身体には、相変わらず雨が当たっている。その生物は口吻を上に突き上げて、嫌らしい音を立てながら雨を吸っていた。さきの悲鳴はこの生物のものではなかった。一樹が引き剥がし、解放した哀れな人間のものだ。この星から呼び寄せられたものは、相変わらず嗤っているのである。
 八握劔をジリと構えたまま、一樹は見えない怪物を睨みつけた。
 さて、この化物を、宇宙へ追い返せるか……
 妖とも霊とも違う相手を前にして、一樹の額からは一筋の汗が流れた。それも、強い雨脚によって洗い流されている。
 しばらく、鉤爪を持つ星の精は黙りこんでいた。
 一樹は敵を見据えたまま、懐から古い鏡を取り出した。
 其は、沖都鏡。
 邪悪を制する剣を突きつけ、太陽を映す鏡を天に掲げ、ゆらゆらと振りつつ、
「ひ」「ふ」「み」「よ」「い」「む」「な」「や」「ここ」「たり!」

 零が空を仰ぐ。
 雨は降っている。
 だが、一樹と零と怪物の頭上の暗雲だけがさっと引き、煌く星と月の光が現れた。
 怪物は故郷を見出した。
 このものにとって、57年という歳月などは取るに足らないものであっただろうが――それでも、ふるさとへの道を見出せて、それなりに嬉しかったのかもしれない。
 ぎゃははははははは! うひゃはははははは!
 凄まじい烈風を生み出しながら、見えない怪物は飛び立った。こんなちっぽけな星に長居は無用だと言わんばかりに、けらけらと笑い声を上げながら――。
 しかしあれは、笑い声だといえるのだろうか。
 やつに、何かを嘲り、何かを楽しむ心などはあるのだろうか。
 人間にとっての定義や常識を当てはめようとするなど――ともすれば、おこがましいにもほどがあるのかもしれない。



「どうして、私を止めたんですか?」
 零は少しだけ納得出来ない様子で、首を傾げた。一樹は腕を組んで微笑む。
 霊鬼兵の力は強大だ。あの哀れな魂を捻じ伏せ、星から来た生物から引き剥がすのは造作もないことだったろう。一樹の助力と成り得たはずだ。今回の仕事で零が駆使した力は、追跡のための霊視くらいのものだった。北斗壱号は彼女に似た存在である。その波動を読むことは容易く、おそらくどの霊能者よりも迅速に、やつの居場所を突きとめることが出来た。
「もう、戦う時代は終わったからさ」
 一樹の穏やかな答えにも、零はやはり納得出来ないようだった。俯くと、愚痴のように反論した。
「でも、武神さんはいつも戦っていますよね」
「俺は、それが役目だから」
 立ち止まる。
 赤い目と、優しく強い茶の目が合った。
「お前の役目は終わったんだ。『兵士』としての役目は」
「……」
「お前の今の、これからの役目は、草間を手伝うことだよ」
「……はい」
 零は機械的に微笑んだ。
 空虚で、哀れな笑みである――しかし、いつもの笑みよりも、それは少しだけ幸せそうだった。
 一樹には、そう見えた。

「帰ろう。……ああ、止んだな、雨」



(了)