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花火
浅い眠りの中で、夢を見た。
窓からは光が差し込んでいて、休日の朝を彩っている。
あたしは霧のかかった記憶を手繰り、さっき見た夢のことを考えた。
――ぼんやりと浮かぶ少女のシルエット。
(あれは確かにあたし)
周りは暗くて……。
(何処?)
あの場所には覚えがあるんだけど、思い出せない。
(写真に残っているかな?)
あたしはアルバムを手にとって、ベッドの上で広げた。そこには、小さい頃のあたしが幾人も映っている。バースデーケーキを持って笑っているあたしの隣の写真では、涙を浮かべているあたしがいる。
懐かしいような恥ずかしいような――頁をめくっていく。
一枚の写真に、目を留めた。
夜の中で、幼いあたしが浴衣を着て佇んでいる。お祭りの最中らしい。提灯の光が、蛍のように散らばっていて、空の星と交じり合い、プラネタリウムを連想させる。
その写真は、純粋に綺麗だった。
外が暗いのと、屋台から漏れる光とで、あたしの肌は普段よりも透き通っていた。浴衣の色が深海に近く、所々に白く細い花を散りばめていたことも、その効果を強めている。
(いつの頃のかな……)
幼さに溢れている表情から――七、八年前かな。
夜の帳の中で、あたしは照れのせいかお祭りの熱気のせいか頬に少し熱を宿して微笑んでいる――けど。
(陰りがある……気がする。怯えみたいな――)
何を怖がっているんだろう。夜だから?
(何があったんだっけ)
手元に目を留める。幼い頃のあたしの手には、小さなキーホルダーのような物が握られている。
――水時計だ。デパートなんかで売られているようなちゃんとした物ではなくて、夜店でのみ売られている小さな物。水車みたいなものが中で回って、水飴みたいな液体が動く。一つの夢みたいな玩具だった。
――そう、水時計。
(思い出した)
あの時の出来事。水時計みたいにくるくると引き込まれて、夢みたいに終わっていった。
(変な出来事だったなぁ)
仄かに明るい通り。
ぶつかり合う人の群れ。
子供のはしゃぐ声。
叱り付ける大人の声。
笑顔。泣き声。
――視線……。
反射的に振り返る。
――誰かが見てるの?
「みなも」
カメラをバッグにしまったお母さんが、あたしの手を握る。
「手を離しては駄目よ」
それから、小さなキーホルダーのような物をあたしに渡して、
「あげる」
両手で包んで目の前にかざしたら、中の水のようなものがとろりと流れた。
「水時計っていうのよ」と母は言った。
「綺麗でしょう? ――だから怖いことなんて何もないのよ」
お母さんはあたしの手を引っ張って、人の波をかき分ける。あたしがずっと感じている視線を突き飛ばすように。
(怖くないよ)
(怖くないよ)
(怖くないもん)
カチャリ、と音がした。
――あ……。
水時計を下に落としたのだ。
――拾わなくちゃ。
そう思った。拾わなくちゃいけない。
あたしはお母さんの手を離して、しゃがみこんだ。
「みなも?」
お母さんはあたしを探しているみたいだった。でも、大勢の人の中ではしゃがみこんでいるあたしの姿なんて消えてしまう。
その、一瞬の隙を突かれた。
水時計を拾い上げた時、あたしの身体は誰かに抱き上げられていた。
視界がゆれて、水もゆれる。くるくる、とろん。意識が飛んでいく。
暗くて冷たい場所。ひんやりとした空気が顔を撫でて――あたしは意識を取り戻した。
――声が出ない。
口の中に布のような物が入れられていて、喋ることが出来ない。
身体は空中に浮いている。手を後ろで交差させられて、縄で縛られていた。太い縄で、突き刺さるように手首が痛い。
一体、何が起きたの?
苦しさと、事態の飲み込めなさ。喉がゴクリと鳴った。
暗闇にだんだん目が慣れてくると、幕が上がるようにして人影が見えてきた。
何人いるだろう――五人はいるようだけど……。
「叫べないだろ?」
影の中の一人が言う。喉を潰したような声。地の底から這い出てくるみたいに、響く。今思い出せば――この男の声の反響から考えて場所は多分、ビルか何かの地下倉庫。
「猿轡を噛ませてあるからな」
――何でこんなことに。
「お嬢ちゃんに罪はないんだけどねェ〜」
今度の声は妙に細く震えている。猫なで声。
「仕方ないだろ。文句ならこいつの親に言うんだな!」
さっきの低い声が反発する。
「でも子供に手を出すことないだろォ。泣いているんじゃないか?」
猫なで声が近づいてくる。ふいに闇の中から手が出てきて、あたしの頭を撫でた。
「可哀想に。いい子なのにねェ」
――全身の気が逆立つ。気味の悪さにあたしは目を瞑った。
「ほら、こんなに怖がっているだろう?」
「お前が怖がらせてんじゃねーか」
――どっちも怖い。
「とにかく、あと少しだ。こいつを人質に取ればあいつらだって――!!」
男が声を荒げた瞬間だった。
ドアを蹴破るような大きな音が、室内に響き渡った。
「な、何だ!?」
男たちが慌てた時にはもう遅かった。
だってもう、爆竹音よりもずっと大きな音が倉庫の端から中央へ鳴り響き始めていたんだから。
断末魔の声もなく、ゴム毬のように男達は弾けていった。例えるなら、赤い水風船を割っていく図――それを一分ほどあたしは見ていた。
やがて水を打ったように静まり返った倉庫のドアが開き、お母さんが現れた。
――いくら何でもやりすぎ……。
そんな思いを込めて、縄を解いてもらったあたしはお母さんを見上げたのに――お母さんはこれ以上ない程の笑顔で、
「おかえり、みなも」
家に帰ってから、あたしが浴衣を脱ごうとすると、お母さんが呼び止めた。
「待ってみなも。こっちへ来なさい。花火が見えるわよ」
――こんな時間に?
窓際に近づいたあたしの目に、大きな爆発音と共にほおずき色の炎が上がった。
それは――あたしがさっき帰って来た道の方向。
――これって……。
少ししてから帰って来たお父さんは、あたしに飛び切りの微笑を見せた。
「ただいま、みなも」
数日後の新聞には、どこかの企業が、巨額脱税と集団食中毒と不運な連続ガス爆発で倒産、解散したことが書いてあった。
それをお父さんは、やっぱり満面の笑みで読み上げてくれた。
「偶然は重なると言うか……。こんなことが起こるなんて世の中は怖いなぁ。なぁ、みなも?」
――うん。お父さん、やり過ぎだから。
あの時は、両親は海外で仕事をしているとしか知らなかったけど――どうやら裏組織を敵に回すものだったらしい。だから、当時のあたしは誘拐だの暗殺だので、組織から狙われる存在だったのだ。
もっとも、今回のことで、組織は完全に怯えてしまってあたしを襲うことはなくなったんだけど。
とは言え、これで解決した訳じゃない。困ったこともある。
例えばあれから数日間、ハンバーグが食べられなくなったりとか――。
(――思い出してきちゃった……)
あたしは机の上に飾ってある水時計を手に取ると、窓の光に当てた。
小さな水車は回り、記憶を絡め取らずに引き出していく。
――今日の夕飯は肉料理以外のものがいいって、お母さんにお願いしてこようかなぁ……。
終。
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