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<東京怪談・PCゲームノベル>


閉じた世界

++ 午前9時 ++
「――どう?」
 背後からパソコンのモニターを覗き込む気配に、海原・みなも(うなばら・みなも)がふと顔を上げた。モニターの隅に表示されている時間は午前9時。もう一時間以上もこうしている計算になる。
 みなもは椅子の背にもたれ、両手を組んで頭の上に上げると大きく伸びをした。ぴんと背筋を伸ばすと、体の疲労も少なからず柔らいだような気がしないでもない。
 ふとデスクの――キーボードの隣を見ると、先ほどみなもに声をかけたシュライン・エマ(―)が淹れてくれたものらしい紅茶が置いてあった。
 まだ暖かいそれに手を伸ばすと、シュラインと同じように再びモニターに視線を戻す。
「浩一さんがどこの誰かは分かりませんが、少なくとも危害を加えるような方ではないと思います。だから『神隠し』にも事情があるに違いないんです」
 青い、海の色をした瞳に宿るのは真剣は光。
「事情、ね……やりたくてやっているわけではないということかしら?」
「はい。浩一さんの意思ではないと思います」
 きっぱりと断言するみなも。
 彼女は紅茶のカップを置いて、再びモニターに集中する。その背後で、出かける前に草間のデスクを片付けていたシュラインが、ふと何かを思い出したように手を止めた。
「またあの子鬼が――って怒り出しそうね」
 くすくすと、堪えきれぬ笑み。
 不思議そうな顔をしたみなもが、思わず振り返る。
「子鬼、ですか?」
「私じゃなくてね、美紀ちゃんに対して、友人の一人がそんなことを言いそうだなって。目に浮かぶわ――そうだ、ついでに帰還者のリストが欲しいんだけれど、頼める?」
「それならここに。話を伺いに行かれるのですか?」
「ええ、そのつもり。他に何か目新しいものは出てきた?」
 シュラインはファイルケースに幾つかの書類を整理していた。一つは、今みなもが調べた帰還者のリスト。そしてもう一つは、ここ何年かに事故にあったなどして死亡した『浩一』という名の子供たちのリストである。
 シュラインはどうやら、帰還者である子供たちに話を聞きに行くつもりらしい。
 みなもは、さらに幾つかのキーワードを足したり、変化を加えるなどして今回の事件についての情報を集めようとしていた。
「……森の中の神社……?」
 子供が返って来たことで、なし崩し的に終焉を迎えかけた神隠し。
 原因も犯人も分からない状況で、果たして解決を迎えたと言えるのだろうかと疑問を呼びかける形で文章を綴ったとあるサイト。
 そこには、美紀がかかわっていると思われる神隠しに関するさまざまな証言や、帰還者たちの言葉などが掲載されていた。
 その中に、みなもの目を引いたものがあった。
 それは帰還者の言葉の中に、『森の中の神社』『神様』などといった共通した言葉があるのだ。


『浩一くんは、森の中の神社に僕を案内してくれた。そこには神様がいて、浩一くんは神様と約束をしているんだと言っていた』


 そのほとんどが、そんな内容のことを口にしているとなると、それが嘘であるといった可能性は低い。
「神隠しがあった地域に、『神社のある森』があれば話は早いのですけれど――」
 呟きながらも、みなもは確信していた。
 これは、事件を解決する上で鍵になるに違いない、と。


++ 浩一 ++
 神社のある森――地図を探してみても、それは見つからなかった。
 だが神隠しのあった地点は、そのほとんどがそう離れてはいない場所で起きている。そしてそこから一番近い、森と呼べそうな場所は今みなもが立っているこの地点しかない。
 幾つかに折りたたまれた地図と、目の前に広がる鬱蒼と茂る木々を交互に見比べるみなもの顔には、少しの緊張が見て取れる。
「失礼ですが、もしかして浩一くんの件を調べていらっしゃるのですか――?」
 かさりと、草を踏む音と鈴の音を思わせるような耳に心地よい声に、みなもが振り返った。そこには眼鏡をかけた、秀麗そうな容貌の少女が優しげな笑みを浮かべている。
 声をかけられた場所が場所だけに、相手に対して不信感を抱いてもおかしくはないところだ。だがみなもがそれをしなかったのは、何よりみなもが人を疑うといったことがあまり好きではなかったということ。そして少女の雰囲気がそういったマイナスの感情全てを打ち消すような、優しげなものでったというのが主な理由であろう。
 少女は、天薙・撫子(あまなぎ・なでしこ)と名乗った。
 話を聞いてみると、彼女もみなもと同じように浩一についての事件を調べており、この森に行き着いたのだという。
 そしてみなももまた、草間興信所からここに至るまでの出来事を話しながら、森の中に足を進めた。時間を、例え一秒たりとも無駄にはしたくなかったのだ。
 今すぐ何が起こるというわけではないだろう。だが、森を前にしたときからひどく胸の動悸が激しい。左胸の上で、みなもはぎゅっと拳を握り込んだ。激しい動悸が少しでも軽くなるようにと。
 そして、少し歩いたところでみなもが立ち止まると、撫子も足を止めてぐるりと周囲を見渡した。
 視界が悪い。
 鬱蒼と茂った木々は、慣れぬ者にとっては皆が同じに見える。そしてそれは方向感覚すら麻痺させてしまうことだろう。実際、撫子たちとて注意して進んでいるから、自分たちがどの方向からやってきたのかが分かっているが、闇雲に歩きまわれば戻るための道などすぐに分からなくなってしまうに違いない。
 みなもも同じことを感じたのだろう。小さく息をつく。
「あてもなく歩くのは、危険かもしれませんね」
「――……」
 みなもの言葉に、撫子は答えない。
 否――彼女の言葉以上に、撫子に訴えかけるものが、そこにはいた。
 木々の間に落ちた影の中に、それはじっと立っていた。存在そのものが希薄で、まるで今にでも闇に溶けて消えてしまいそうだと撫子は思う。
 撫子が見ていたもの――その視線の先にあったものに、みなもも気づいた。
「浩一くん、ですね――?」
 僅かな逡巡の末に撫子が問いかけると、白い影はこくりと頷いたように見えた。
 白い、ぼやけた影のようなものだったそれは、少しずつ人へと形を変えてゆく。もやもやと、やがては小柄で大人しそうな――けれど眼差しには聡明な光をたたえた少年の姿へと。
『神サマのところへ行こう――そして美紀をつれて帰って欲しいんだ』
 穏やかに、少年――浩一は語る。
「神って……本当にこの森には、そう呼ばれる存在がいるんですね?」
 撫子が問いかけると、浩一がゆっくりと頷いた。
『神と呼ばれる存在はいるけれど、それが本当なのかどうかは僕には分からない。そしてそれを判断できるものは、きっとこの森にはいないんだ。さあ、神社に行こう。そこに、美紀がいるから』
 滑るように歩き出す浩一の前に、みなもが立ちふさがるような形で回りこむ。
「神社って……神様って一体……そして浩一さんは何故神隠しなんてことをなさったのですか?」
『寂しかったからだよ――友達が欲しかったんだ』
 ひどく簡単に、浩一が言い切った。
 だがその後彼は、自分の足元に視線を落とす。
『そして神サマはきっと、忘れられたくなかったんだ――本当はそれだけの、とても簡単なことの筈だったんだよ。けれど人はうつろいゆくものだから、だから神サマは決めたんだ。僕のわがままを叶えるかわりに、僕を側に置いておこうとね』
 けれど、それは。
「人々の記憶に残ることを諦めて、浩一くん一人に覚えていてもらおうとした、ということですね――?」
 何かが違う――違和感に苛まれながらも発した撫子の言葉に、浩一は何も答えない。だがその沈黙が肯定であることを彼女は悟っていた。
 みなもがはっと顔を上げる。
「でもそれでは……浩一さんはこれからもずっと、この森でたった一人で……」
『うん、そうだね』
 神がそれを望む限り、浩一は自由にはなれないということだ。
 浩一は小さく笑う。
『けれど僕は、神サマの力を借りないとこの森から出られないから、元々自由なんかじゃなかった――だから、僕はいいんだ』
 ならば――外を見てしまったことは。外の世界で、一時とはいえ同年代の子供たちと遊んだその記憶は、かえって自由にならぬ現在の自分にとっては辛いだけなのではないのだろうか?
 みなもはそんなふうに思う。
 どちらが幸せなのだろう?
 何も知らずに、森の中で漂い続けること。
 幾度の別れを繰り返し外の世界を知りながらも、自らの力ではそこに行けないもどかしさを抱え続けることと。
 どちらが幸福で、そしてどちらを浩一は求めるのだろう。
「外に出たいのでしょう? だから、あたしたちの前に現れたのでしょう?」
『外には憧れるけれど、でも僕の友達を助けて欲しかったんだ』
「友達って、もしかして美紀ちゃんのこと?」
 撫子がその名を口にすると、少年が森の奥を指差す。
『そう――美紀は優しいから、僕をここから自由にするまで帰らないと言っているんだ。このままじゃ、神サマがきっと怒ってしまう。そしたら、美紀が危ないから』
 ふわりと、浩一の輪郭が周囲の光景ににじんでゆく。白く、ぼやけていく。


『神サマはきっと強いから。だから美紀を助けてあげて欲しいんだ――』


 声だけが、二人の耳に残る。
 そして浩一の姿は幻のように消え――森の木々の間から遠く小さく、古ぼけた神社がゆっくりと、姿を現しつつあった。


++ 偽りの神 ++
「あれが、『森の中にある神社』ですね……浩一さんは……?」
 森の木々の間に、小さな社が見えてくる。もはやそこを人が訪れることがなくなってからかなりの年月が重ねられたのだろう。社は老朽化が激しく、今すぐにでも修復作業が必要であるようにみなもには思えた。
「どうかしましたか?」
 社が近づいているからだろうか? 心なしか撫子の表情に緊張が見てとれるような気がしたが、みなもはそれについては触れることはなかった。緊張しているのは彼女だけではない、これから何が起こるのか、美紀を捕らえているのは何なのか? 不安は尽きることはない。それはみなもも同じだ。
 みなもはきょろきょろと周囲を見回す。だがそこには鬱蒼と茂った木々が見えるばかりで、つい先ほどまで二人を案内していた浩一の姿は見られなかった。
「浩一さんは何処に消えてしまったのでしょう……?」
「消えてしまったようですね」
 巫女であり、昔から人には見えぬモノ目にしてきた撫子も、そして人魚の末裔であるみなもも、普通の人々よりも霊といったモノたちの気配には敏感だった。だが今、二人が注意して回りを見回してみてもやはり浩一の姿はない。
 そうやって浩一の姿を探していたその時だった、少女のものらしい声が二人の耳に届く。
「だからなんでよ! 忘れられたくないなら美紀が覚えていてあげるって言ってんでしょー馬鹿馬鹿馬鹿!」
 その声は遠く見える社の方から聞こえてくるようだった。みなもと撫子は視線を合わせ、無言で頷きあうと足音を殺しながら社への距離をつめる。
 二人の位置からは、社の正面は見えない。だが小柄な少女が胸を張るようにして社の正面を睨みつけている様子だけは見てとれることができた。
 少女は黒曜石のような黒い瞳と、同じ色の瞳をしていた。抜けるように白い肌と、日本人形もかくやと思われる整った顔立ち。だが、彼女が人形では在り得ないのは、眼差しに力があるからだとみなもは思う。
 そう――少女の瞳には感情という名の、強い力が感じられた。
「あれが美紀ちゃんですね」
 撫子はそっと小さな声で呟いた。
『人の心はうつろいゆくものだ――』
 美紀のものではない、声が響く。森の木々をざわざわと揺らすそれは、まるで森全体から響いているような錯覚を感じさせる。
 だがその声は誰のものなのだろう、二人は首を傾げた。
 みなもが見た限りでは、この場所に存在するのは美紀と、みなもたちだけだ。だが明らかに男のもののような声がする。
 そして美紀は猛然とその『声』にくってかかった。
「だから美紀ってば変に長く生きてる人外って大っキライなのよ! ヒネクレてて絶対人の話なんて聞きゃしないんだもの! たまには信用とかしてみやがるといいんだわ人外!」
『お前は、この場に長く滞在し過ぎた――浩一がどうしてもと言うから見逃していたが、そうもいくまい。お前がここに長く滞在すればするほどに、お前の肉親が捜査の手を広げるだろう――それは、喜ばしいことではない』
 その声に、美紀がふと、不審げに顔をしかめた。
 そして一歩、後ろへと下がる。社から距離を取るように。
「変よ。だって忘れられたくないけど、人間はすぐ心変わりするからって浩一をここに縛ってたんじゃないの? オバケの浩一ならもう変わったりしないからって自由を奪ったんじゃないの? でも、忘れられたくないならいろんな人にここの存在を知ってもらえるのはいいことなのに、どうしてそれが駄目なのよ! 変! 絶対絶対絶対変!」
 美紀がそう指摘した途端、嫌な予感が胸をついた。
 予感、と呼ぶよりも意思と呼ぶべきなのかもしれない――それまでは無職の、ただそこに『在る』だけの気配だったそれが、みなもたちの場所にも届くほどの邪念を――あるいは殺気に似た感情を露にしたからだ。
 美紀が危険だ――。
 咄嗟にみなもは動き出そうとした。だがそれよりも早く、茂みから飛び出した二人の女の影がある――一人はシュライン、そしてもう一人は村上・涼(むらかみ・りょう)だ。 美紀がはっと顔を上げる。シュラインはすかさず美紀の手を掴むと社を背にして走り出した。
 だが、そこにあった『存在』が美紀たちを逃がすはずもない。
 ざわりと、森がざわめいた。そこかしこに浮遊していた悪意ある怨念や霊たちが、ぐるぐると渦巻きながら集まり、融合し、一つの形をつくってゆく。それは巨大な腕の姿をしていた。
 腕は幾つにも分裂し、そして再び融合を繰り返しながら逃げ出した美紀たちを森の中で追い詰めようとしている。
 三人を追いかけるべく伸ばされた巨大な手。霊力に秀でたものが見れば、それらがこの森を漂っていた悪意ある霊たちの集合体であることが見て取れただろう。そしてそれらが、忘れられることを恐れ、浩一をこの森に縛り続けていたもの――偽りの神の正体なのだと。
「非常識にもホドがあるんだわ――あっ!!!」
 悔しげに言った美紀が、木々の根に足を取られて大きく転倒する。美紀の手を引いていたシュラインも必然的にその場に立ち止まった。
 膝を地面につき、美紀を立ち上がらせる。その間も巨大な手は着実に三人との間合いをつめていく。
 そしてそれは、一つではなかった。
 手は幾つにも分裂しては合流し、さまざまな角度から三人を追い詰める。
「逃げ場ナシ?」
「そうみたいね」
「冗談じゃないわよ美紀はこんな手みたいなのにやられるなんてゴメンなんだわ!」
 だが美紀がそう言ってみたところで、追い詰められてしまったという現状を変えられようもない。
 無言のままに、巨大な拳が迫る。
 美紀が目を閉じてシュラインと涼にしがみついた。
 そこに、撫子たちが飛び出す。
 

 拳が、三人に向けて叩きつけられようとした直前――細い、細い糸のようなものが三人の視界を真横に薙いだ。
 拳の一つが、その糸の流れにそって綺麗に分割される。切断面から小さな霊たちがばらばらと分裂し、怨嗟の声を上げながら森の中を飛び回った。
 その糸は撫子の操る『妖斬鋼糸』である。妖を捕縛したり、結界を張ることの出来る神鉄製の細い糸。その糸が、霊体を切り裂いたのだ。
「結界を張ります。森からの脱出時間くらいは稼げるはずですから、シュライン様――早く脱出を!」
 鋼の糸を指先の小さく複雑な動きで操り、銀色に光る蜘蛛の巣のような結界を作り上げていく撫子。その結界はどうやら、霊たちを一時的にその場から移動できないようにするためのもののようだ。
 みなもは、結界を前に緊張した面持ちをしていたが、振り返って小さく笑う。
「待っている人がいますから、無事な姿を見せてあげてください」
 シュラインたちは、結界の向こうにいる霊体とみなもとを交互に見比べると、ゆっくりと頷いた。だがその中に僅かな躊躇を読み取り、さらにみなもは口を開く。
「あたしたちは大丈夫ですから。どうか、美紀さんをよろしくお願いします」
 そして今度こそ、シュラインたちは迷いはしなかった。
 森の出口へと向けて走り出す彼女たちの背が消えるまで見届けると、みなもは視線を霊体へと戻す。
 結界は、ぎりぎりと音を立てて軋んでいた。
 糸の末端は、撫子の指先に集まっている。束ねれらたそれを操るのは、撫子の細く白い指先だ。
 相手がただの低級霊であれば、撫子の敵ではなかっただろう。だが今二人の前にあるのは、それらの霊が融合し、形を成したものだ。ぎりぎりと軋みをあげる結界を見ても分かるように、これを押さえ続けるのは並大抵のことでなない。撫子の類稀なる能力あって始めて可能なことだろう。
 それもいつまでも続く筈はない。人の力には限りがある。
「…………」
 撫子がちらりと、みなもの方を振り返った。
 蜘蛛の巣にも似た結界を構成する糸の中の数本が、立て続けに千切れ飛ぶ。その途端、撫子にかかる重圧が増し、彼女は僅かに膝を落とした。
 長くは持たない――それは撫子とみなもに共通した予感だった。
 そしてみなもは考える、この状況を打破できる手段を。ただひたすらに。
「その糸は、結界を張るだけではなくて霊を切断することも可能ですよね?」
「この状態からだと少し辛い作業ですね。一度結界を破棄するということですから、その間に霊たちに接近を許してしまいます。相手の数を考えると、やはりわたくしたちの不利は変わらないのではないかと思いますが……」
「体勢を立て直すだけの時間があれば……?」
「神ならば、とても切れなかったことでしょう。けれど霊――それも浩一くんのような幼い霊の自由を奪うような姑息な霊を切るならば、造作もありません」
 きっぱりと告げられた言葉は、自信に裏打ちされたものであると同時に、怒りなのではないかとみなもは思う。
 撫子は顔にこそ出さないが、霊たちの浩一への所業に怒りを感じているのだ、静かに。
 そしてそれはみなもも同じだった。
「時間は、あたしが作ります。結界をといてください」
 決然と言ったみなもの目は真剣そのものだ。
 撫子はみなもが何を行おうとしているのかを問いかけたかった。だが、ぎりぎりと結界を圧迫している霊たちの力に、もはやそれすらままならない。
 みなもには自信があるように見える。ならば――今の自分に現状を打破する力がないのであれば、彼女の策に頼るべきだろう――撫子はそう考え、小さく頷いて見せた。
 緊張だろうか? 僅かに指先が震える。
 撫子は一瞬、小さく目を細めた。次の瞬間、結界がぱあっと霧散したかに見える。だがそれは蜘蛛の巣を描いていた糸が、その形を解いただけのことだ。
 それまで行く手を阻まれていた霊たちが、雄たけびにも似た声が上げながらみなもたちへと飛来する。腕の形はもはや崩れかけており、ところどころから先んじた霊たちがぼこぼこと飛び出しているようだった。
 撫子が疲労からか地面に肩膝をついた。みなもがそんな彼女に駆け寄り、手の中に持っていた小さな容器の蓋を取り、その中身を周囲の霊へとぶちまけた。
 それは、みなもが万が一のために容易していた霊水だ。清められた水が、悪意ある霊たちにとって無害である筈がない。霊たちがさあっと周囲から引いた。
 そしてその瞬間を、撫子は見逃しはしない。
 解かれた結界を形作っていた糸は、今撫子の手の中にある。撫子は立ち上がると、真っ直ぐに霊たちを見据えた、糸は木々や、霊体などを捕縛している。
「神である筈がありません――」
 言葉とともに、撫子が右手を引いた。鋭い糸は捕縛した霊たちをいとも容易く切断していく。散り散りになった霊たちは断末魔の悲鳴を上げながら霧散していった。
 いつまでも続くかと思われた耳障りの声、そして悲鳴。
 それらの末に訪れたのは、静寂だ。
『僕に少しの勇気があったら、よかったのかもしれない』
 光が差し込まぬ森に、仄かではあるが光が見える。それは浩一だ。
『僕が、外に飛び出していればよかったんだ。そうすれば友達はきっとできた。あんなことをしなくとも――』
 けれど、とみなもは思う。
 彼は限られた選択肢の中で、それでも子供たちに書置きを残させたりと、できるだけ家族を心配させぬようにとの配慮はした。それが相手に伝わらずとも。
 その思いは、その優しさは、きっと子供たちも覚えていることだろう。
「無駄ではありませんから。全て――」
 浩一はきっとこの森を出て行くだろう。
 もう彼を縛るものは何もないのだ。
『友達、できるかな――?』
 呟いた声に、撫子が笑う。
「勿論です。だってわたくしたちだって、もう友達ですから」
 すると浩一は驚いたような顔をして――そしてすぐに笑った。


『ありがとう』


『いつかまた会おうね』


 そんな言葉だけを残して、浩一は消えた。
 だが、二人には浩一の笑みが、今も見えるような気がした。



―End―

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0328 / 天薙・撫子 / 女 / 18 / 大学生(巫女)】
【0381 / 村上・涼 / 女 / 22 / 学生】
【1252 / 海原・みなも / 女 / 13 / 中学生】

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■         ライター通信          ■
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 発注ありがとうございました。久我忍です。
 今回こちらのノベルではカミサマ処理話をメインに、もう一方(シュラインさま、村上様)のノベルでは美紀救出をメインに話を進行しております。その他、微妙に時間軸がズレているものの舞台は同じだったりということがありますので、他の方のノベルを読むと心の中でほくそ笑んだりすることが出来るのではないかと思います。


 ではでは、またどこかでお会いできるのを楽しみにしております。