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<東京怪談ノベル(シングル)>


山を恐れた男たち


 骨董品屋『櫻月堂』の主は、火曜の夜には決まってテレビをつけた。ともすれば、テレビを持ってもいないような雰囲気を纏う彼――武神一樹は、NHKのあの番組をこよなく愛している。恋人に「渋い」「親父臭い」とからかわれようが、彼は21時15分から21時58分までの間、テレビの前を動かない。NHKはCMが入らないのも魅力だ。
 だが一番の魅力は、この番組で取り上げられる男たち。
 一樹は、取り上げられるべき男たちを知っている。この番組も長く続くだろう。もしかすると、彼らが画面に映る日が来るかもしれない。しかし――彼らが乗り越えてきたものごとの全てが、周波数に乗ることはないだろう。
 一樹はそれが口惜しい。
 しかし、仕方のないことだと妥協してもいる。むしろ、そちらの方が人間たちのためだ。
 真実の一欠けらが陽の目をみることを、一樹は願ってやまない。もしかすると、彼らを待っているためなのかもしれない――毎週、この時間にテレビをつける理由は。
 中島みゆきよ、永遠なれ。


 あれはいつの話だったか。
 そう昔ではない。つい最近でもない。
 だが、忘れられずにいる。あの闇に立ち向かったすべての男たちの脳裏に、その記憶は生々しく焼きついたまま。


 岐阜の山間にあるその村は、常に悲劇に見舞われていた。
 一番近い国道へも、峠を越して湖を迂回し、車で3時間。そのたった1本のか細い道でさえ、冬には雪で閉ざされる。
 若者たちは村を出たきり戻らない。この村に住めたら、どこにでも住めるというもの。東京などはエメラルドの都、ガンダーラ、エルドラドと言えよう。
 この村に伝わる『神隠し』の伝説さながらに、若者たちの姿は村から消えていた。
 そう――この村は、この忌まわしい環境の他に、さらに重荷を背負っていた。
 『神隠し』だ。
 湖を見下ろすその山に入ったものは、皆山の神に祟られて消えるという。最近はネットでその噂もちらほらと広まり始め、時折好奇心旺盛な若者が村を訪れた。そして、老人たちのことばを聞かずに山に入り――二度と戻っては来なかった。そのまま都会に帰ることが出来たのか、はたまた祟られたのか……誰も確かめようとはしなかった。村の老人たちは山を畏れていたのである。
 そういったわけで、村は不変であった。
 あの男たちが来るまでは。

 彼らはトンネルを掘ることだけに長けた男たちだったが、それだけのことがどれほどの輝きを持っていることか。彼らはいくつもの村を救った。山を手懐け、少しずつその身を削いでいき、山道と国道を繋げる。それが彼らだ。
 彼らはある意味、山に敬意を払っているかのようだった。人間がかなう相手ではないことを心得ていたのだ。老人たちの警告にも、しっかり耳を傾けていた。彼らはなるべく生かしつつ削り取っていく――その腕は確かなもので、老人たちも次第に彼らを認めるようになっていった。

 しかしある男が、武神一樹のもとに、1本の電話を入れた。

『はい、「櫻月堂」店長武神だが』
「……あんたの噂を知っている」
『いきなりだな』
「力になってほしいんだ」
『話による。……直接会って話をするのが俺のやり方なんだが……電話が遠いな。なかなか東京に来られないほど、遠くなのか』
「ああ。岐阜の鬼哭山だ」
『鬼哭山? 「神隠し」の山か』
「さすがは武神さんだ。そうだよ。人が消えてる」
『まあ、落ち着け。まず、あんたのことを聞かせてくれないか』
「あ、ああ、すまない。私は、鬼哭トンネル工事の現場監督をしている。林だ。トンネルを掘り続けて35年になる。今回の仕事で、何本目のトンネルになるか……忘れたな。ともかく、少なくとも、プロだと自覚している」
『ん』
「トンネルを掘って、世間と村を繋げてきた。今の仕事もそんな具合だ。ただ、順調とはとても言えない。人が消えてるんだ」
『神隠しか』
「いや……」

 カチリ。

 (ザッ)……リ……(ザザッ)『おい、聞こえたか』(ザッ)……リリ……『シッ! 静かにしろ』『聞こえたぞ、録ってるか?!』(ザザッ)テ……リ……『静かに!』テ……リ……『あっちだ』リ『行ってみよう』(ガサガサ)(ゴトゴト)リ(ガタガタ)『おい、何かいる!』テ……リ! テケ・リ・リ! テケリ=リ!『な、何だ、この音――』テケリ=リ!(ガタッ、ゴトガタッ)『うわあッ!!』『どうした?!』テケリ=リ! テケリ・リ! テケリ=リ!! 『あがぁあああああぁあッ!』『徳間さん?!』『逃げろ! 瀬戸、逃げろおおォおおおお!』『徳間さ――』(ガサ、ザザッ、バタガタバタ)『ひゃああああア!』テケリ=リ!! テケリ=リ!!
 テケリ=リ!!
『はあ、ひいっ、ひいいいっ……ぎゃああああぅ!』
 (ブツッ)

 カチリ。

「……瀬戸っていう若いやつだけが、戻ってきた。テープを持ってな。あいつは……入院してる。怪我はしちゃいなかった。精神科だ。何を聞いても、もう喚き声しか上げない。それか……この、『テケリ=リ』としか喋らないんだ」
『……』
「何で黙ってるんだ、武神さん。……何とか言ってくれ!」
「山を舐めたことは一度もない。でも、こんなに山が怖いのは初めてなんだ!」
「助けてくれ! いや、教えてくれ! 何なんだ、何なんだよ、何がこの山に居るんだ!!」

『……知らない方がいい』

「え? な、何だって?」
『知らない方がいい。その、瀬戸と同じ道を辿ることになる。すぐ、そっちに行こう。任せろとは言えないが、何とかしてみようと思う』
「ほ、本当か」
『トンネルを繋げる――それが、あんたの仕事だろう? 村を救うのも、金が入るのも、二の次なんだ。とにかく、山を削るのがあんたの仕事なんだろう』
「……」
『俺は、あんたの仕事を手伝うのが今回の仕事だ。そういうことさ』
「あ……有難う……」
『礼を言うのは、終わってからにしてくれ。ああ、それと――』
「な、何だ?」
『あんたは、山を恐れなくていい。神隠しの原因は、山じゃないからな。全く別のものなんだ。その――「テケリ=リ」と鳴く生物が原因なのであって――山じゃあ、ない。あんたは、いつもの通りに構えていればいい』
「生物……そうか――」
『いいな? 監督のあんたがしっかりしないと』
「わかった。わかってる」
『工事はしばらく休んでくれ』
「そうしよう。……待ってる」
『ああ』
「じゃあ」

 武神一樹は、約束を守った。
 彼は単身トンネルに入り、そして、戻ってきたのである。顔色は良くなかったが、安堵の表情を林たちに向けてきた。
 そして男たちは、この眼鏡の優男がトンネルから出てくる前に、光を見たのである。
 雲を裂いて山に降ってきた、一条の光があった。まばゆい光だったが、不思議と目は痛まなかった。
 虫と梟の鳴き声は、光が訪れている間も止むことはなかった。
 そうして、武神一樹はトンネルから無事に戻ってきたのである。
「俺の仕事は終わりだ」
 彼は微笑んだ。
「ここからは、あんたたちの腕の見せ所だよ。俺からも頼む。トンネルを完成させてくれ」
 そのしっかりとした言葉と微笑みに、林たちはようやく表情を取り戻した。
 だが、林の目は真っ赤だった。
「武神さん、あんたもこのトンネルを造った人間のひとりになる」


 武神一樹は、古びたねじ巻き時計で時刻を確認した。
 おっと、21時13分だ。あの時計はたまに遅れる。
 テレビをつけると、まさに、番組が始まったところであった。今日はダムに沈んだ村の話だ。
 人間は万能ではない。救える村と、救えない村がある。
 一樹は21時58分までの間――いや、その後も――しみじみと、想うのであった。


(了)