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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


『白の魔弾』  第二章 黒の来訪者


■襲撃直後。

 草間と零が、白い銃を手にした少女に襲撃された、その夜のこと。
 まだ何も聞かされていないシュライン・エマは、こぎれいなビルの4階にある、行きつけのバーにいた。
 バーの基準に照らしてもそれほど広くない店内には、シュラインの他に30歳代の男女が一組だけ。
 驚くほど透き通った厚いガラスの嵌った窓からは、東京の夜景が見えていた。
 黒い紙の上に、ざっくばらんにパウダーシュガーをまいたよう。
 LPレコードからジャズピアノの調べが流れるその店で漫然とグラスを傾けながら、シュラインはすでに何度目になるか分からない視線を、手元の時計に向けた。
 妙に追い立てられた口調の草間から電話があり、「力を借りたい」と言われたのが今日の昼のこと。詳しいことは会ってから話すという彼と、このバーで待ち合わせをすることにした。
 どうせ時間通りに来るとは思っていなかったが、すでに一時間近く待ちぼうけを食っている。
 顔なじみの老バーテンダーが黙って目の前に置いてくれた皿の上のジャーキースティックだけで時間をつぶすのは、そろそろ限界だ。
 ルージュを引いた唇から、さすがに少し苛立ったため息がもれる。
 と。
 ようやくバーのドアを押し開けて、シュラインの待ち人が――――草間武彦が、ほの暗い店内に姿を現した。
 カウンターに座ったシュラインを見つけると、「よう」と声をかけてくる。
 古木を削りだして作られたドアの前を離れて自分の隣に座った草間へ、
「愚痴っぽいことは言いたくないけど」
 シュラインは口火を切った。
「一時間待たせた女性に対する第一声が、「よう」?」
「悪かったな。前の予定が少し長引いた」
 言葉に反して、大して悪びれる風もなく答える草間。
「前の?」
 呟くように繰り返して、草間がジャケットを着ていないのに気がついた。
「…お楽しみを抜け出してきたのかしら?」
「よせ。ふざけてる場合じゃないんだ」
 苛立ちのにじむ声を向けながら、草間は眉間に深くしわを刻んだ。
 何で私の方が怒られなきゃいけないのかしら。
 釈然としないものを抱えながら、
「いいわ。
 それで、何があったの?」
 怪奇探偵さん。と続けると、草間の表情がさらに渋くなる。
「…零が襲われた」
「ご愁傷様。相手を間違えたお馬鹿さん達は、病院行き?」
 確かに外見は、片手でどうとでもできてしまいそうなたおやかさを持った少女だ。が、零がその身の内に秘めた破壊力は尋常ではない。
 あしらうようなシュラインの言葉に、草間は黙って首を横に振ってから、
「撃たれたんだよ。右肩をな」
 硬質な声とともに、人差し指で自分の肩を指して見せた。
「…普通の相手じゃないのね」
 ようやくシュラインも、草間の話を真面目に受け取る気になってきた。
 草間の妹想いぶりは知っているが、だからといってこうまで彼の行動へ焦りの色を引きずり出すのは難しい。
 相手が「まともな」人間で、使われたのが「まともな」武器であれば。
 草間はうなずきを返し、零が撃たれた時の状況を一通り教えてくれた。
 彼の言葉がとぎれるのを待って、口を開くシュライン。
「…零ちゃんは、今は?」
「ケガ自体は、何とかなった。
 今は他の連中が付いてくれてる。
 …俺がいるよりは心強いだろう」
 本当にバカね、この人は。
 草間の言葉に胸の奥でため息をつきながら、シュラインは軽く首をかしげるようにして先を促した。
「頼みたいのは、この少女の素性と背景の調査だ。
 これはあくまで俺の勘なんだが…どうも、彼女と中ノ鳥島の一件には、つながりがあるように思えてならない」
「…懐かしい名前ね」
「ああ。もう終わったものだと思っていたが」
「中ノ鳥島とその女の子と、結びつけるものは何?」
「…通じるものがあるように思う。零と…その相手にな」
「武彦さんにしては、歯切れが悪いわね」
「勘だ、あくまで」
 それ以上の答えは出てこない。顔を背けるように、カウンターの向こうに並んだボトルの列に目を向ける草間。
 シュラインは大きく息を吸い込んでから、すとんと肩を落とすようにため息をついた。
「いいわ。引き受けましょ。
 零ちゃんは妹みたいなものだもの」
 「そうか」と短く答え、カウンターの上に折りたたんだメモを載せる草間。
「覚えてる限りの相手の特徴だ。大したモンじゃないが、今はこれだけでな」
 受け取りながら、苦笑いが浮かぶ。
「何か分かったら、武彦さんに連絡すればいい?」
「ああ。ただ、絶対に俺の興信所には近づくなよ。『白の襲撃者』とはち合わせる可能性がある」
「白の襲撃者?」
「呼び名だ。零を守ってくれてるやつらと、そう呼ぶことにした」
「…詩的ね」
「俺が付けたんじゃない」
 言って、草間は席を立った。
「じゃあな。頼んだぞ」
「ちょっと」
 当たり前のようにドアへ向かおうとする草間に、シュラインは少しとがった声を投げつけた。
 足を止めて振り向いた、ハードボイルド気取りの探偵に、カウンターの上を指でコツコツと叩いてみせる。
「ここはね、シアトル・カフェじゃないのよ。
 「来た。見た。会った」で帰るつもり?」
 挑戦的な口調を向けるシュラインの指の隣に、老バーテンダーが黙ってショットグラスを置いた。


■それぞれの行動。

 地下駐車場での『白の襲撃者』との激戦から、ほんの数時間後。
 未だに衝撃抜けやらぬままの草間達は、とりあえず彼の興信所に戻ってきた。
 零の状態は、地下駐車場にいた時よりも悪くなっていた。
 今はもう完全に意識を失ってしまって、草間に抱きかかえられている。
 ドアを抜けた草間達を、何事もなかったかのような興信所の光景が出迎えた。
 人がいないということ以外、何も変わってない。
 だからといって感謝する気になどなれないが、『白の襲撃者』はずいぶんときれいな家捜しの仕方をしてくれたらしい。
「草間様。取り急ぎ、零様を奥へ」
 海原・みそのが、興信所の奥の部屋から草間を呼んだ。
 うなずきを返し、仮眠室代わりに使っているその部屋の、少し埃っぽいソファに零を横たえた。
 もともと白い顔色が、今は青ざめてさえいる。
 みそのは零の上にタオルケットを掛け、小さくため息をついた。
 それから、
「草間様。こんな時に、申し訳ないのですが」
 同じように零の顔へ視線を落としていた草間へ、声を向けた。
「わたくし、一度あの御方のところへ戻らせていただきますわ。
 『白の襲撃者』の、あれほど強い能力なら、あの御方が何かご存じかも知れませんので…」
「ああ…」
 零を見つめたまま、生返事を返す草間。
 みそのはゆっくりと一礼すると、草間と零のそばを離れた。
 入れ替わるようにして、今度は風野・時音が部屋に入ってきた。
「草間さん。僕も、少し外に出てきます」
 ソファの上の零に向けていたまなざしを、血色を失ったその顔からようやく持ち上げて、草間は時音の方へ向き直った。
「『白の襲撃者』は、あれだけ派手なことをやっているんですから…警察のほうで何か掴んでいないか、確かめてきます」
「ああ…悪いな」
 草間の言葉に微笑みで応えて、「じゃあ、なるべく急いで戻ります」と時音は部屋を辞した。
 静かに部屋の戸を閉めてから、こぢんまりとした興信所の中を横切り、ドアを開けて表に出ようとしたところで、ほっそりした黒髪の少女にばったり出会った。
「あれ、撫子さん」
「あ、時音さんこんにちは」
 和服を着せたらさぞ似合うだろうと思わせる楚々としたその少女が、あいさつを返してくる。
「どちらかへお出かけですか?」
「うん…ちょっと、調べたいことがあってね。
 警察を捜査してくるよ」
「まあ…」
 洒落めかして答えた時音の言葉に、天薙・撫子は可笑しそうに微笑んだ。
「撫子さんは? 草間さんに用事?」
「ええ。従兄の引き継ぎで参りました」
「…彼のケガ、大丈夫?」
 撫子の従兄は、時音やみそのと同様、地下駐車場で『白の襲撃者』と激闘を演じていた。その最中に左肩を負傷して、みそのが後で応急処置をしている。
「ええ。みそのさんのおかげで、怪我は大丈夫です。
 ただ、本人の気持ちの方が許さないみたいで。
 「不覚だった不覚だった」って、そればっかり繰り返して、道場に籠もってますけれど」
 言って、撫子は小さなガッツポーズをして見せた。
「無理もないよ」
 苦笑いで応えながら、時音。
「『白の襲撃者』は、衝撃的な相手だったからね」
「…そうらしいですね」
 撫子は少し声を落とした。
「でも、まあ。撃退できたわけだし、しばらくは大丈夫だよ。
 じゃあ、僕はそろそろ」
「はい。お気を付けて」
「うん。草間さん達は、奥にいるから」
 短いあいさつを最後に、時音は草間興信所を後にした。
 とりあえず、向かう先は草間興信所のある地区を管轄する所轄警察署。
 最初に『白の襲撃者』が暴れたのがここなのだから、警察の手が入っていれば、何か遺留品が見つかっている可能性が一番高い。
 銃も使っているのだから、形式によっては薬莢が発見されている場合もある。
 時音には、少し気になることがあった。遺留品を見ればそれが確認できるという保証はないのだが、今のところそれ以外に手立てはない。
「…異能キャンセル装備…僕たちの時代のあの兵器と、関係が…?」
 呟きながら。
 時音は路地を抜ける直前で、時空跳躍した。


 一方、興信所の入り口で時音を見送った撫子は、ドアを開けて中に入ると、無人の室内に声をかけた。
「こんにちは」
 奥の部屋にも届くように、少し大きな声で。
 ややあってから、仮眠室を兼ねている部屋のドアが開けられて、草間がのそりと顔を出した。
「よう、撫子」
「こんにちは、草間さん」
 もう一度、丁寧に頭を垂れる。
 彼にしては几帳面に、出てきた部屋のドアを閉め、草間が歩み寄ってきた。
「ああ…悪いが、今日はいろいろ立て込んでてな」
「はい。従兄から聞きましたので、存じてます」
「何だ、手伝いに来てくれたのか」
「ええ。お役に立てるかどうかは、分かりませんけれど…
 あの、それで零さんは」
 撫子の言葉に、草間は奥の部屋を視線で示して見せた。
「奥だ。寝かせてる」
「怪我はされてないんですよね?」
「ああ」
 草間はうなずき、
「『白の襲撃者』には異能力を中和する力があるらしくてな。
 そんな相手と素手で渡り合ったんで、霊力を極端に消耗してるらしい」
 ジャケットからマルボロを出すと、口の端にくわえた。
「それでしたら、わたくしが霊力を補給させていただきます。
 気休めかも知れませんけれど、何もしないよりは」
 言って、撫子は奥の部屋へと目をやった。
 霊視や浄化の力を持ち、その容姿に似合わず剣術にも長けた撫子は、強い力を持つ巫女でもある。その巫術(ふじゅつ)を用いて、消耗した零の霊力を補おうというわけだ。
「…悪いな」
 肩をすくめるようにして、草間。
 撫子は微笑みながらうなずくと、零が寝かされている部屋へと入っていった。


 その背中を見送って、草間は軽く頭をかく。
 いつものことだが、怪奇探偵の何のと言われている割に、いざ怪奇事件が起きると自分にできることはほとんどない。
「…まあ、仕方ないさ」
 呟きながら、ソファに腰を落とした。
 『白の襲撃者』が吹き飛ばした右半分へ、手が触れる。
 目を向けた。
 たった一発の銃弾で、ぼろぼろにされたソファの座面。スポンジはかんしゃくを起こした子供が引きちぎったようにいびつな細切れになり、ひしゃげた奥のスプリングがのぞいている。表面のクロスには焦げ跡が残り、熟れすぎた果物の皮のように内側から引き裂かれていた。
 改めて、思う。
 こんなものをためらいなくぶっ放すヤツを相手に、時音やみその達は渡り合ってくれたのか、と。
「…さっさと解決させなきゃならんな」
 思いが、呟きになった。


 海流の沈降速度を操り、糸の切れた重りのような勢いで深海底を目指しながら、みそのは彼女が仕える『神』の眠りが浅くなっていることを感じていた。
 陽の光が届くことのない、漆のように濃密な海水のたゆたう世界の底。
 彼女の主たる『神』は、そこで永遠のまどろみに沈んでいる。みそのはその忘れられた『神』を祀る深淵の巫女であり、同時に彼の封印を保つための施術者でもあった。
 『神』の眠りには、緩やかなサイクルがある。それが、今は浅瀬に近づいているようだった。
「…いいタイミングかも、知れませんわね」
 みそのは呟いた。
 あまり世俗のことで『神』の眠りを妨げたくはない。そのことからすれば、『神』の眠りが浅くなっているのは運がいいと言えた。
 みそのは海流を操る力を強め、深海へ向かう速度を上げた。


 警察署の地下にある、遺留品保管室。
 時音はその片隅に時空跳躍で姿を現した。
 ひんやりとした、薄暗い部屋だ。人の気配はないが、電気が点きっぱなしだった。
「誰か戻ってくるのか…?」
 あまり時間をかけてはいられなさそうだ。
 時音は、無機質なスチール棚に所狭しと並べられたファイリングボックスの背表紙を、素早く確認していった。


■歴史の海に沈むもの。

 草間とバーで待ち合わせ、『白の襲撃者』の話を聞いた、その翌日。
 シュラインは早速行動を開始した。
 まずは白王社アトラス編集部へ電話を入れる。編集長の碇 麗香を出してもらうと、口火を切った。
「朝早くからごめんなさいね。麗香さん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「珍しいわね。あなたの方から聞きたいことがあるだなんて。
 固ゆでロマンチストのことかしら?」
 麗香の言葉に、小さく苦笑いを浮かべるシュライン。
「武彦さん、またとんでもないことに巻き込まれてるらしいわ」
「あら。また女難?」
「15歳。白い服の女の子。しかも今度は金髪碧眼の美少女よ」
「世界的な女の敵になったわけね。
 草間探偵の居場所が知りたいのかしら? 平手の一発でも食らわせてやるなら手伝うわよ」
「それは今度にしておくわ。
 麗香さん、中ノ鳥島のこと、覚えてる?」
 電話の向こうが、一瞬沈黙した。
「…覚えてるわ。それが、何か」
「武彦さん、今度の相手は、中ノ鳥島の一件につながりがあるんじゃないかって思ってるみたいなの」
「続けて」
 次第に口調を真摯なものにしながら、促してくる麗香。
 シュラインは草間から聞いた限りのことを全て彼女に伝え、零と草間を守るグループとは別に、自分が『白の襲撃者』の情報を集める役を引き受けたことを付け加えた。
 一通りの話を終えた時、受話器から麗香のため息が聞こえてきた。
「曖昧な話ね。あなたは、名探偵の言葉を信じてるの?」
 シュラインは軽く笑って、
「こういう時の武彦さんの勘は、信じることにしてるわ」
「ご愁傷様。深みにはまったお馬鹿さんなのね」
 自分がバーで口にしたような言葉が、今度は自分に向けられた。
「いいわ。
 それで、私に何をお望み?」
「調べて欲しいの。中ノ鳥島の一件と『白の襲撃者』のつながり。
 噂話でも構わないわ。何かあったら、教えて」
「今のところ、聞いたことはないわね。
 で、その前に、確認したいのだけれど。
 あなたは分かってるのかしら?
 あなたや草間探偵が考えてるとおり、その『白の襲撃者』とかいう美少女が中ノ鳥島の一件に関係してるとすれば…その背後には、とんでもない影響力を持った何者かがいるかも知れないのよ」
 シュラインは、口元に苦笑いが浮かぶのを感じた。
 彼女と自分の考えることは、よく似ている。いろいろ言いはするものの、結局は『ハードボイルド・ロマンチスト』のことを信じるあたりまでそっくりだ。
「分かってるわ。私もそう思ってる。
 『白の襲撃者』は、たぶん何か大きな組織の命令を受けて動いてる。
 私たちの相手はきっと、『白の襲撃者』本人よりも、その組織の方ね」
 間を取ろうとするように、電話が呼吸一つ分の間沈黙した。
「協力は惜しまないわ。できるだけの情報は集めてみる。
 …気を付けなさいよ、シュライン」
「ええ…ありがとう」
 答えて、シュラインは電話を置いた。


 麗香に電話をした後も、シュラインの情報収集は続いた。
 そして、どうにか情報が出そろった、三日目の今日。
「ま、あまり期待はしてなかったけど…」
 手に入った情報をまとめたノートを眺めながら、シュラインは小さくため息をついた。
 確かに答えは返ってきた。が、その内容はどれも、芳しくなかった。
 無理もない。中ノ鳥島は、本来的に人間のいなかった島なのだ。
 声をかけた情報屋は、「役に立てなくて悪りィな」と言って、彼の使っている特製ネット検索ソフトを貸してくれた。
 『スカベンジャー』と呼ばれる、ファイル収集傾向をフルカスタマイズできる強力な検索マシンだそうだ。
 使ってみたが、曖昧なキーワードしか設定できなかったせいか膨大な量のクズ情報が集まってしまい、ギブアップした。
「後は、これだけか…」
 ノートの最後のページを開いて、呟きをもらす。
 半ばダメもとで打診した、高峰心霊研究所の主、高峰 沙耶。彼女がシュラインに与えてくれたのは、どこに繋がるとも知れないメールアドレスだった。
 さすがにこれを使うのにはためらいがあって、今までとっておいた。
 彼女に限って悪質ないたずらをするとは思えないが、それでも見知らぬ人間のところに自分のアドレスを残すのは気が引ける。
 しかし、そうも言っていられなくなってしまった。
 シュラインは一つため息をついてから、デスクの上のPCへ手を伸ばした。
 立ち上がるのを待つ間、沙耶の言葉を思い出す。
「これで、何をしたらいいのかしら」
 アドレスを教えられ、それをメモしながら問いかけたシュラインに、決して瞳を開けることのない彼女は口元だけで笑みを刻んだ。
「そのアドレスの持ち主もまた、知るべき人間よ。知るべき人間同士は、知るべきことを教えあう。
 そのための手段が、そのアドレス」
「…もう少し具体的に言ってもらえるかしら」
「私にできる手助けは、あなたに道筋を示すことだけ。後は自分でおやりなさい」
「あらそう」
 ぱたん。とノートを閉じながら、シュライン。
 彼女と問答をする気はなかった。さんざん言葉の森を引き回されたあげく、迷子になって放り出されるのがオチだ。
 それに、ここ以外での調査が上手くいけば、このアドレスに頼らないでもすむ。
 そう思って、その場はそのまま引き下がった。
「…私が知ってることを教えてあげて、私も知るべき人間であれば、知るべきことを教えてくれる…のよね」
 ようやく起動したPCの画面を眺めながら、シュラインは確かめるように呟いた。
 メールソフトを呼び出す。
 アドレスを打ち込んで、本文にどこまで書き込んだものか少し悩んでから――――首を横に振った。
 隠す情報と伝える情報と、分けられるほどの量を握っているわけではない。
 シュラインは草間から聞いたこと全てをメールの本文に書き込み、少し考えて同じ内容の英語版を付け足してから、送信ボタンを押した。


 メール送信から、半信半疑のまま一日半が過ぎた。
 草間にバーで『白の襲撃者』の調査を依頼され、それを引き受けてから6日目。
 シュラインの手元に返信が来た。
 今度はメールではなく、電報だった。
 差出人の氏名の代わりに、あのメールアドレスが書き込まれてある。
 シュラインはすぐさま開封して、中を確かめてみた。
 二つ折りになった厚紙に打たれた、タイプライターのようなくっきりとした黒い文字。

「神ノオルゴール宣ヒケリ。
 一九四四年 三月 六日 伯林ニテ君ヲ待ツ」

 電報の内容は、それだけだった。
 意味不明だ。
「神のオルゴールのたまいけり。1944年3月6日、ベルリンにて君を待つ…?」
 口に出して、繰り返してみる。
 何度か読み返すうち、シュラインの脳裏に閃くものがあった。
「1944年3月の、ベルリン…?」
 急いで部屋の中にとって返し、立ち上げっぱなしのPCで、思い当たった単語を検索エンジンに入力した。
 ただものの検索エンジンではない。情報屋に借りた、あの『スカベンジャー』だ。
 またしても、気の遠くなるような数のファイルが集まり始めた。すぐに一時中止ボタンを押すと、情報屋に電話を入れた。
 自分の直感を語り、ファイル収集傾向に設定すべき項目にアドバイスをもらう。電話を切り、再検索をかけた。
「これって…」
 検索結果が表示される。
 予想通りのものと、予想を超えたもの。
 シュラインはすぐにそれをプリントアウトすると、吐き出された紙をバッグにつっこみ、部屋を出た。


■海より来たる。

 太平洋上、城ヶ島沖。
 ハッチドアを完全に閉めていても、ジェットヘリの奏でる甲高い騒音は、機内にくまなく反響していた。
 なるほど、これでは手を伸ばせば肩を叩ける距離にいるパイロットと話すのに、ヘッドセットがいるわけだ。
 少しでも早く目的地に着くためには仕方ないのだと自分を納得させ、ハッチに切られている窓から外を眺める。
 厚いガラスに薄ぼんやりと自分の顔が映っていた。黒い髪と藍色の瞳の、30そこそこの男が、澄み切った空の蒼の中に浮かんで自分を見返してくる。
 それを透かして、彼はどこまでも続く海原へと目を向けた。
 ヘリが爆音とともに駆け抜けていくその先に、まだ陸地は見えない。
 この向こうに彼女がいるのか、と思う。
「ドクター」
 ヘッドセットから、声が流れてきた。
 正操縦士が、シートの肩越しにこちらを見ていた。
「ドクター、退屈でしょう。音楽でもかけますか」
 突拍子もないことを言ってくる。
 思わず苦笑いが浮かんだ。
「ありがたいけどな、あとで問題にならないのか?」
「誰が調べに来るんです?
 ドクターがペンタゴンの同僚を口説くときに口を滑らせなきゃ、バレませんよ」
 その言葉に、副操縦士が笑った。彼も口元の笑みを強める。
「かけてくれ」
 軽く手を上げて促すと、二人のパイロットが小さな歓声を上げて手を打ち合わせた。
「ああ、その前に一つ」
 と、彼は口をはさんだ。
「あいにくと俺は、国防総省の人間じゃない。
 君らのことは告げ口したくてもできないのさ」
「OK。いいですよ。ドクターがペンタゴンの人間でもアーリントンの開業医でも。
 俺らはドクターを沖合200マイルからピックアップして、ヨコスカに運び、キティホークに戻る。それだけです」
 パイロット達の言い方に、彼はもう一度笑った。
「ところでドクター。秘密指令じゃないんだったら、何しに行くのか聞いてもいいですか」
「話のネタになるようなものじゃないぞ」
 言いながら、ポケットから革のフォトケースを出した。
 二つ折りになった左右の面に、それぞれ写真が一枚ずつ。
 片方には、無機質な短衣に袖を通した少女の姿が映っている。もう片方は、切り立った岩肌をさらした島の風景だ。
 少女の写真の下の方には、黒ペンで短い走り書きが。
 彼はそれを少しの間確かめるように見つめていてから、シートの間に手を突き出してコクピットの方に差し出した。
 手が伸びてきて、フォトケースはパイロット達に渡った。
「『レナー…テ?』」
 写真そのものより走り書きの方を先に見たのか、ヘッドセットから呟きが聞こえた。
「名前ですか?」
 問いかけてくる声に、軽くうなずく。
 正操縦士は、もう一度手元の写真に目を落した。
「へぇ。可愛い子だ。ちょっと冷たい感じがしますがね」
 忌憚のない意見だった。
 彼は軽く肩をすくめると、見たなら返せと促した。
 正操縦士が、フォトケースとともに言葉を向けてくる。
「この『観光地になり損ねたアルカトラズ』みたいなのは?」
「彼女の生まれ故郷さ」
「陰気くさい島だ」
 副操縦士の歯に衣着せぬ言い方が、かえって気持ちいい。
「その島よりも刑務所の方がまだましだよ」
 フォトケースを取り戻し、ポケットにしまいながら、彼は続けた。
「居たのが人間なんだからな」
 その島には宇宙人でも居ましたか、と茶化す言葉のあとで、
「で、誰です、この子」
 正操縦士が振り向いた。
「娘みたいなモンだ」
「それにしちゃドクターは若いし、似てませんね」
「だから、「みたいなモン」なんだ」
 苦笑いが浮かぶ。
 正操縦士は、少し大げさに唇をへの字に曲げて見せた。
「もしかしたら俺たちは、お互いに秘密を握り合ったのかも」
「だとしたら、俺のは現行犯だが、君たちのはまだ未遂だ」
「確かに」
 言って、副操縦士は機内通信機の操作盤をいじった。


■それぞれの収穫。

 地下駐車場での『白の襲撃者』との激闘から、一日が過ぎた。
 草間は興信所のデスクの奥で床に座りこみ、くわえた煙草を落ちつかなげにくゆらせながら、昔の資料をひっくり返していた。
 疲れた身体をおして、昨日のうちから情報収集に動いてくれた時音とみその。
 そのうちの時音は、昨日の夜遅くにやや憔悴した表情で戻ってきた。
 彼が手にした白木の鞘の長ドスがまず目に入り、草間は「なんだそれ」と尋ねた。
「『対戦車刀』です。『白の襲撃者』が来ても、物理武器なら効果があるのは分かってますからね」
 準備してきたんです。そう言って、時音は小さく笑った。
 わずかに肩をすくめてから、肝心の収穫の方を尋ねた。
 警察には、めぼしいものが残っていなかったという。時音は徒労感を隠せないようだったが、とにかく奥で休むようにと言って、零と同じ仮眠室で寝てもらっている。
 シュラインからの連絡はない。
 従兄から後を引き受けて来てくれた撫子は、零への霊力補給を終えていったん家に戻っている。帰り際、口にしていたことがあった。
「零さんを狙ったことといい、その戦闘能力といい、『白の襲撃者』は旧帝国軍の心霊兵器と同様の、過去の遺産なのかも知れませんね。
 それも、心霊への対抗兵器なのでは…」
「その類の可能性は高いな、たぶん。
 だがそれでも、分からないことだらけだ。
 何だって今頃、零を狙う。対抗兵器なら、それを作ったのはどこのどいつだ」
「…わたくしも、調べてみますわね」
 そうして、撫子は深々と一礼して、興信所を辞していった。
 それを見送ってから、草間は『白の襲撃者』が残したものがないか自分の興信所を家捜しし、それから古いファイルをあさり始めた。
 総じて、情報収集は今のところ芳しくなかった。
 一方、いいニュースもないではない。
 零の方は、だいぶ回復してきていた。
 昨日の夜には、少し話をすることもできた。
 様子を見に奥の部屋に入ると、零が薄く目を開け、呼びかけてきたのだ。
「…草間さん…」
 意識が戻っているとは思わなかったので、不覚にも草間は少し驚かされた。
 軽く息を整えながら、妹が横たわるソファの頭側にしゃがみ込み、
「なんだ、起きてたのか」
「…はい。今、少し…」
 零が小さくうなずいた。電気は消しっぱなしなので、顔色はよく分からない。
 草間は手を伸ばし、タオルケットを肩まで引き上げてやった。
「寝てろ。しばらくは、『白の襲撃者』も戻ってこないだろう」
「…はい…」
 いつもながら、零は従順だった。
 草間にも、彼女が何か言いたいことを抱えているのが分かったが、言われたとおりに目を閉じる。
 小さくため息をもらし、草間は部屋を後にした。


 草間は肺の奥から荒っぽく煙を追い出しながら、デスクに載せた灰皿に煙草を打ち付けた。
 もっさりと積み上がった吸い殻の上に、小指の第一関節ぐらいまで伸びていた灰が、腐った木の枝のようにボロリと落ちる。
 と、
「おはようございます」
 デスクの向こうから声がした。
 首を伸ばして、そちらを伺う。
「おはようございます、草間様」
 その視線の先で、入り口のドアを背に立っていたのは、二人の少女。
 一人は、清楚な和装の天薙 撫子。
 もう一人は、
「…みその。改めて聞くのもイタいものがあるが、何だ、その恰好は」
 毛皮ブラとパンツのみで身体を包んだ海原 みそのだった。
 ブラ、ビキニ、そして腰からななめに下げられて右の太ももにまといつく超ミニの腰巻きのような部分まで。
 すべてが艶めいた黒豹の毛皮で、その濡れたような光沢は、たった今水から上がってきたかのようだ。
「何かおかしいでしょうか」
 いつぞやと同じように、のどかな表情で胸元に手をあてるみその。
「…いや、いい。納得してるなら、俺は何も言わん」
 草間はそれ以上の追求を断念した。
 うれしそうに微笑んで、
「そうですか。気に入って頂けて良かったですわ。
 今日の装いは『南洋系野生児少女』ですの。殿方を――――」
「ぎんぎんでももんもんでもいい。
 みその、今度お前にそういうことを吹き込んでるやつを連れてこい。
 話がある」
 みそのの言葉を遮り、険のある口調で、草間。
 とりなすような笑みを浮かべながら、撫子が割って入った。
「まあ、可愛らしくていいじゃないですか。
 それよりも草間さん。その後何か進展ありました?」
 その言葉に、草間は憮然として首を横に振る。
「いや。古いファイルをチェックしてみたんだがな。
 『白の襲撃者』に結びつきそうなものは、何も」
「そうですか…」
「そっちの方はどうだった」
 問い返す草間に、撫子とみそのはちょっと顔を見合わせた。
 撫子が先に口を開く。
「正直に言って、あまり芳しい成果は…中ノ鳥島と心霊兵器、それにその対抗兵器について探ってみたのですけれど」
「五里霧中、か」
「対抗兵器が中ノ鳥島で研究されていると考えるのは矛盾があるのではないか、という感触が掴めただけでした」
 申し訳なさそうに視線を落とす、撫子。
「…図らずも、霧が深くなっちまったわけだな」
 言いながら、草間はデスクのそばを離れ、ソファにどさりと身を沈めた。
 「ま、座ってくれ」と二人を促してから、
「お、そうだ。
 零、時音を起こして――――」
 いつもの癖で言いかけて、言葉を止めた。
 ほうき片手にまめまめしく立ち働いていてくれた妹の姿は、今はそこにない。
 鼻から小さく息を抜く草間に、
「わたくしが」
 撫子が声をかけて立ち上がった。
 奥の部屋のドアを開けて、中に声をかける。すぐに時音と、そして零が部屋から出てきた。
「すみません。休ませてもらいました」
 少し照れたような顔で言う彼と一緒に、撫子がソファに戻る。
 零もその後についてやってきた。昨日までと比べれば、ずいぶん回復したようだ。
「…大丈夫なのか」
 尋ねる草間に、「はい」と微笑みを返してくる。
 草間はうなずきで応えて、空いているところに座るようにと目で促した。
「さて」
 シュラインをのぞく全員がそろったところで、草間はしきり直すように口にした。
「疲れてもいるだろうが、みんなが集めた情報を出し合っておこう。
 まずは撫子。さっきの話、もう少し詳しく聞かせてくれ」
 水を向けられ、一つうなずくと、説明を始める撫子。
「わたくしは、『白の襲撃者』が零さんと同じ世界大戦の頃の遺産で、それも心霊兵器の対抗兵器として生み出された存在なのではないかと考えました。
 そこで、実家や親類の伝手をたどって中ノ鳥島の情報を集め直してみたのですが…
 結論としては、中ノ鳥島で対抗兵器の開発が行われていた可能性は薄い、ということでした。
 何しろ、『白の襲撃者』は異能力を中和してしまいますから。
 そんなものが中ノ鳥島で研究されていたとしたら、周囲の霊気がかき消されて、怨霊機は満足に霊力を吸収することもできなかった公算が高いんです」
 言葉を切り、撫子は問いかけるような視線を零に向けた。
「そうですね…私も、あの島で心霊兵器以外を見かけたことはありませんでした」
 うなずいて、零が撫子の言葉を裏付ける。
 続いて、「じゃあ、僕が」と時音が口を開いた。
「警察署の資料室や遺留品保管室に潜入して、『白の襲撃者』の残したものを探ろうとしました。
 ですが…結果は、ゼロです。何もありませんでした」
「そりゃあ、何かあるより怪しいな」
「ええ。証拠のある黒よりも怪しい、灰色の空白です。
 この興信所を所轄に含む警察署も、ホテルや地下駐車場の所轄警察署も、皆同じでした。
 ただ、被害届は出ていましたけどね。
 アスファルトの破片で怪我をしたとか、地下駐車場にあった建築機材を壊されたとか」
「警察の反応は?」
 草間の問いかけに、時音はため息をつくように答えた。
「うやむやにするつもりらしいです。本腰を入れるより、世間が納得しそうな説明をでっち上げる方に力を入れようとしてるようでした」
「…中ノ鳥島の時と同じだな」
 かみつぶすような声の、草間。
「『白の襲撃者』は、何かと後に空白を残していくようですわね」
 みそのは冷ややかな口調で呟きをもらした。
 草間が彼女の方へ顔を向ける。
「みそのは何か掴めたか?」
「あの御方に、お知恵をお借りしました。
 あれだけ特異な力ですから、何かご存じなのではないかと。
 残念ながら、あの御方のお知恵にも、『白の襲撃者』に直接結びつくものはありませんでしたが…ただ一つ、あの御方がおっしゃるには、物事の理には陰陽のみならず、虚と実というものがある、と」
「もう少し分かりやすく言うと、どうなる」
「常に一方向にしか流れない力がある、ということですわ」
 はっきりと、みそのはそう答えた。
「陰と陽の力は、互いに行き来します。これは世界が安定している時に多く見られる相互作用。
 その一方で虚と実においては、力は必ず実から虚へ流れ込み、その逆はあり得ない。これは世界の均衡を崩し、不安定にさせる流れですの」
「…示唆的な話だな」
 苦笑いの草間。
 教訓話としては納得できるものがあるが、そこから『白の襲撃者』の正体や背景を知るのは無理があるようだ。
 どうして『神』がそんな話をみそのにしたのか分からない。
 『神』の御心は深くして知れず、ということだろうか。
 草間は小さく首を横に振りつつ、
「どうにも話が見えてこないな。
 まあ、かくいう俺も、声をかけてたヤツからの返事がなくてな。
 資料の中にもめぼしい情報はなし、事務所の中にも遺留品はなしだ。
 『白の襲撃者』は、ソファを壊した銃弾まで、丁寧に取り出して持って帰ったらしい」
 頭をかく。
 テーブルを囲んだソファのまわりに、沈黙が降りた。
「手詰まりですね…」
 時音が口惜しそうにうめく。
 そんな一座を見回して、
「…お茶にいたしましょうか。
 少し気分転換が必要ですわ」
 口を開いたのは、撫子だった。
 「手伝います」と零がソファから立ち上がった。
「…悪いな。ちょっと休憩するか」
 草間の言葉に、撫子も微笑んで席を立つ。
 と、ちょうどその時、草間の携帯電話が鳴った。
 ジャケットから引っ張り出す。シュラインからの着信だった。
 皆の視線が、草間の手元に集まる。
 目配せをしながら通話ボタンを押して、
「草間だ」
 手短に応じた。
「武彦さん? 今、どこにいるの」
「興信所だ。いったん『白の襲撃者』を撃退できたんでな。
 今は興信所に戻ってる」
「そう…みんな無事なの?」
「人死には出さずにすんだ。それ以上は聞くな。
 それで、何か分かったのか」
「分かったって言えるのかどうか…でも、掴めたことがあるわ。
 興信所に行けばいい?」
「そうしてくれ」
 分かったわ。の言葉を最後にして、シュラインからの電話が切れた。
 草間は携帯電話をソファの前のテーブルに載せた。
 もの問いたげな皆の視線を受けて、煙草に火を付ける。
「シュラインからだった。調査を頼んだのは彼女なんだが、何か掴んでくれたらしい」
 言いながら、ゆっくりと天井へ紫煙を吐いた。


■シュライン合流。

 携帯電話を切ってから、ちょうど30分ほど経った頃。
 シュラインはわずかに息を弾ませながら、草間興信所のドアをくぐった。
 入るなり、カモミール・ティーの落ち着いた香りが鼻腔をくすぐる。
「あ、シュラインさん。早かったですね」
 ティーカップ片手に、いるとは聞いていなかった顔見知りの少女が声をかけてきた。
「撫子ちゃんも巻きこまれてたの?」
 口をついて出た言葉に、眉間にしわを寄せる草間と可笑しそうに微笑む撫子。
「人聞きの悪いこと言うな」
「従兄のピンチヒッターです」
 シュラインはうろんな視線を怪奇探偵に投げてから、確かめるようにぐるりと室内を一瞥して、
「…みそのちゃん…あんた、なんてカッコ…」
 がくりと肩が落ちるのを感じた。
「何かおかしいでしょうか」
「何かって…」
「…それについては不問にしろ」
 草間の声もどこか疲れたていたが、シュラインは聞かずにはいられなかった。
「武彦さんのシュミ?」
「断じて、違う」
 きっぱりと。
 シュラインが半ば自分を納得させるように小さくうなずくと、零が「どうぞ」とティーカップを持ってきてくれた。
「ありがと。
 零ちゃん、元気になったみたいね。良かったわ」
 気を取り直し、受け取りながら言葉を向ける。零はにこりと微笑んだ。
「で、何が掴めたんだ」
 立ったままカップにひとくち口を付たところで、草間がそう聞いてくる。
 シュラインはテーブルの方に歩み寄り、その上にバッグを置いた。
「サイドポケット。プリントアウトが入ってるわ。
 それ、見てみて」
 促されるままに、バッグに手を伸ばす草間。
 彼の指が、サイドポケットから適当に二つ折りにされた数枚の紙切れを引っ張り出してきた。
「これか?」
 確かめてくる言葉にうなずきで応える。
 草間がプリントアウトを開いた。
 まわりのソファに腰を下ろしている皆が、のぞき込むようにして首を伸ばす。
 草間の手の中に握られた紙は、三枚。一枚一枚をじっくりと見つめていてから、草間はそれをテーブルの上に戻して顔を上げた。
 座ったままの彼と目が合う。
「…これは?」
 間を取るようにカップを口元に運び、それから、シュラインは答えた。
「この6日間の全収穫」
 草間の視線が、再びテーブルの上のプリントアウトに落ちた。
「これ…」
 そのうちの一枚を、零が手に取る。
 そこに印刷されているのは、画質の荒い、白黒写真だ。
「アメリカの国立公文書館所蔵のデータベースの中からすくい上げた写真よ。
 第二次世界大戦当時の、資料写真の一環として収蔵されてたわ。
 写真の撮影年月日は、1944年2月だと考えられてる。
 写真の現物には、裏書きがあってね。意味不明のアルファベットが並んでいたそうよ」
 手短な説明に少しの間シュラインを見つめていてから、零はまた手元のプリントアウトに目を落とした。
「…ここに写ってるの…『白の襲撃者』ですか…?」
 尋ねるというより、確かめるように。
「綺麗な女の子が写ってる。ハーケンクロイツの軍服を着た男達と一緒にね。
 はっきりと言えるのは、それだけよ」
 シュラインは固い声で答えた。
 その写真に写っているもの。
 それは、棺のような荘重な木箱に横たえられて目を閉じた端正な面差しの少女と、鈎十字の軍服に身を包んだ十人あまりの男達だ。
 横合いから時音が手を伸ばし、零からプリントアウトを受け取った。
 まじまじと見つめていてから、
「…間違いないですよ、この顔」
 絞り出すような声とともにうなずく。白黒写真の閉じた瞼の奥に、翡翠色の瞳を見ているのだろうか。
 ふん。と鼻を鳴らしながら、草間が別の一枚を手に取った。そちらは特に珍しいものではなく、第二次世界大戦末期の年表だ。
「こっちは、何だ?」
「歴史のお勉強よ。武彦さん、現代史はお得意?」
「…物知りではないが、そこそこ知ってるつもりだぞ」
 草間の答えに、軽く肩をすくめるシュライン。
 それから、テーブルの上に最後に残った厚紙を視線で示して見せた。シュラインに届けられた、あの電報だ。
「読んだ?」
「ああ。
 神のオルゴールのたまいけり。1944年3月6日、ベルリンにて君を待つ。
 ずいぶんと遅刻してるみたいだが、大丈夫なのか?」
「いつも待たされてばかりだもの。
 たまには待たせるのも、ね」
 軽口にやり返してやると、草間は少し鼻白んだ。
 「ふふん」と笑うシュラインを見上げながら、
「1944年って…第二次世界大戦終結の、1年半前ですね」
 確かめるように口にする撫子。
 シュラインはうなずきで応え、
「その通り。
 そしてその年の3月6日は、アメリカ第8空軍による、ベルリン大空襲の日。
 しかも――――」
 と、そこで言葉を切って、再び顔を草間に向けた。
「武彦さん。
 『神のオルゴール』と呼ばれた暗号機、知ってるかしら」
「どこのロマンチストが暗号機に愛称なんか付けるのか知らないがな、ハーケンクロイツと暗号と来たら、エニグマしかないだろ。
 第二次世界大戦中、ナチスドイツが絶対の信頼を置いていた暗号機だ。
 皮肉なことに、電撃侵攻したポーランドで最初に解読法を突き止められ、しかもそのことにナチスドイツは最後まで気付かなかった」
「ご名答」
 良くできました。と微笑むシュライン。
「それが、どう繋がる」
「写真の裏に、意味不明のアルファベットがあったって言ったわね」
「…ああ」
「エニグマ暗号機にかけると、それが解読できるの。
 意味するところは、『大日本帝国 中ノ鳥島 より 第三帝国独逸 伯林へ。 3月6日入都す。』」
 シュラインが言い終えると、部屋の中が一瞬静まった。
「…なるほどな」
 深々と紫煙をたなびかせてから、草間が呟く。
「零が目覚めるより前に、ずいぶんと大事な何者かが、ベルリンに移送されたって訳だ」
「そこに時空跳躍すれば、何か分かるでしょうか」
 少し勢い込む時音を、草間が制する。
「まぁ、落ち着けよ。
 シュライン、どうやってこの情報にたどり着いた。
 もったいぶらないで、全部順番に話せ」
「いいわ。その代わり、みんなが調べたことも教えてちょうだいよ」
 答えて、シュラインはソファの肘掛けに腰を預けると、彼に調査の依頼を受けてからのことを話し始めた。


■来訪者からの電話。

 30分ほどかけて、お互いの情報を交換し合った後。
「ふん…」
 小さくうなりながら、草間がマルボロに火を付けた。
「どうにも、スッキリしないな」
 もとの図柄が分からないジグソーパズルに挑戦しているような気分だ。
 草間は唇にはさんだ煙草を揺らしながら、テーブルに額を付き合わせて意見を交わし合っている時音・撫子・みそのの三人を見つめた。
 彼らの興味はプリントアウトの写真に集まっているようだった。
 ナチスドイツと『白の襲撃者』。確かにインパクトのあるつながりではある。ナチスは旧日本帝国軍とともに中ノ鳥島で心霊兵器の研究に携わっていたのだから、自分が感じた中ノ鳥島と『白の襲撃者』との間の関連にも、一応は合致する。
 それはそうなのだが。
「浮かない顔ね、武彦さん」
 声がかけられた。シュラインだ。
「旧帝国軍が零、ナチスドイツが『白の襲撃者』…分かりやすい構図だよな」
 ちらりと彼女に一瞥を投げて、口を開く。
 シュラインは壊れた方の座面の背もたれに後ろから両肘をつき、草間の顔をのぞき込むようにして、尋ねた。
「気に入らないのかしら」
 シュラインの言葉に、ため息をつく草間。
「『白の襲撃者』をナチスが作ったってことには、一応納得がいく。
 だがな、何でそれが今頃、零を襲いに来るんだ?」
 そこまで言ったとき、デスクの上で黒電話が鳴った。
 うるさそうに振り返ってから、渋々ソファを立つ草間。
「ナチスも旧日本帝国軍も、過去の亡霊だ。
 だが、零も『白の襲撃者』も、今この時代を生きている。亡霊じゃない。
 『白の襲撃者』の行動に動機を与えた背景があるとすれば、それは今生きてこの時代のどこかにいる存在のはずだ」
 シュラインの方を向いて言葉を続けながら、受話器に手を伸ばす。
 視線の先で、長身の美女は静かに目を伏せた。
「そうね…」
 呟くような声が返ってくる。
「私も、零ちゃん達にしたことは許せないけど、私たちが憎むべき相手は『白の襲撃者』本人じゃないって気がするの…
 『白の襲撃者』の背後には、ナチスの遺産を引っ張り出してきた組織がいる。
 私たちが本当に戦うべき相手は、きっとその組織の方…」
 シュラインが顔を上げた。その顔には、少し困ったような微笑み。
「どうにも、その子が島にいた頃の零ちゃんとダブって…甘いのかな?」
 その言葉に答えることなく、視線を外すこともしないままに、草間は受話器を取り上げた。
「草間興信所だ」
 あまり愛想のよくない声で応える。
 電話の向こうから男の声がした。
「Mr.クサマか?」
「…そうだが」
「おっと。こいつは光栄だ。
 自己紹介をしたいところだが、それは会ったときにとっておこう。
 娘のことで話がしたいんだが、時間は取れないか」
 いきなり何を言っているんだこいつは。
 草間は声にせずに毒づいた。
 何の依頼か知らないが、こんな馴れ馴れしいやつにかかずらっているヒマは、今はない。
「いま手が離せない件がいくつもあってな。
 娘さんが誰だか知らんが、他を当たってくれ」
 つっけんどんに返す。
 だが、電話の相手は軽く笑って、続けてきた。
「いや。知ってるはずだと思うがな。
 15歳で、琥珀色の髪に翡翠の瞳の可愛い子なんだ」
「…なんだと」
 自分でも、声が1オクターブ低くなるのが分かった。
 室内にいた皆の視線が自分に集まる。
 だが、肝心の電話の男は草間興信所から電車で5つほどの駅の名前を出してくると、
「その駅の中にオープンテラスのカフェがある。急いでる。1時間後でどうだ?」
 変化した草間の口調になど全く気を払っていない風にそう続けた。
「何をたくらんでる」
「敵対するつもりはない。力を借りたいんだ、Mr.草間」
「…悪いが、あんたのところの娘さんには、いろいろとえらい目に遭わされてな。
 あまり紳士的な対応をしたい気分じゃないんだが」
 大人げないとは思いつつ、口をついてしまった。いよいよみんなの視線が食い入るようなものになってくる。
 電話の向こうで男は――――楽しそうに笑っていた。
「じゃじゃ馬だろう? 詳しいことは会った時に聞かせてくれ。
 それじゃ、1時間後に」
 一方的に言い置いて、電話が切れた。
 鼻を鳴らし、受話器を電話に戻す草間。
 皆の方に向き直ったところで、
「「娘…?」」
 シュラインと撫子が、刺すような視線を向けたまま異口同音に声を上げた。
 零はソファの向こうで、困ったようにうつむいている。
 片手を頬にあてがって、熱っぽいため息をもらす、みその。
「草間様、今度はどこの令嬢を陥落させましたの?」
「…草間さん、相変わらずスゴイですね…」
 時音の目が、何故か輝いてる。
「お前らな…」
 草間は一同をじろりと睨み渡した。


「なるほど…」
 草間に電話のやりとりをリピートさせた後。
 みそのはもっともらしくうなずいた。
「うさんくさい話ですね…」
 眉間に軽くしわを寄せ、呟くように口にする時音。
 草間はため息とともに「そうだな」とうなずくと、
「無視することもできる。カフェに行かなきゃいいだけの話だ」
 軽く肩をすくめた。
 怪奇探偵のその言葉に、
「信頼するしかありませんわ」
 とみその。
 撫子もうなずいた。
「そうですね。素性は分かりませんが、この状況では鍵を握る人物に違いないでしょうから」
「…決まりみたいね」
 シュラインが、テーブルの上のバッグを取る。
 時音はいつものやわらかい微笑みのまま、背中を預けていた壁から身を起こした。
「心配ありません。何があっても、僕が皆さんを守ります」
 頼もしくそう請け合う彼の手には、あの白木の鞘の長ドス。
 「それは?」と尋ねてくる撫子に、
「『白の襲撃者』が来れば、今度こそ決着を付けてみせます」
 鯉口を切って白刃をのぞかせながら、答えた。
「誰か一人ぐらい、尻込みしてもいいんだぞ」
 呆れ半分の口調でそう言いながらも――――草間は笑いながら、ソファを立った。
 それから、零の方を振り返る。
「…留守は頼んだって言っても、納得はしないんだろ」
「…はい」
 珍しく、決然とした表情でうなずく零。
 「やれやれ」と言うように少し肩の力を抜き、
「それじゃ、行くか」
 草間は先に立って興信所のドアに手をかけた。


■黒の来訪者

 電話の主が言っていたカフェは、すぐに見つかった。
 駅構内の、かなり広いスペースに渡って、イスとテーブルが何組も出されている。
 肝心の電話の人物を見つけられるのか少し危惧したが、それも杞憂だった。
「Mr.草間」
 オープンスペースになっているカフェのテラスに足を踏み入れると同時に、横合いから落ち着いた声がかけられた。
 足を止め、そちらを振り向く。
 顔を向けた先にいたのは、一人で占領するにはずいぶんと大きなテーブルに、ゆったりと陣取った男。
 手にしていたハードカバーの本を静かに閉じ、テーブルの上に置くと、草間達の方へ笑みを向けてきた。
 険のない黒スーツに身を包み、襟元からのぞくシャツは淡いブルー。パステルイエローのニットタイ。
 ざっくばらんに短くまとめられた黒髪が、色の白い肌に良く映えていた。
 歳は30前後だろうか。何の冗談なのか、おもちゃのような丸い黒サングラスをかけている。
 草間はちらりと一緒に来た仲間達の方を振り向いた。
 皆一様に首を横に振る。見覚えのある相手ではない。もちろん、草間本人も知った相手ではなかった。
 視線をテーブルの男に向け、
「あんたが、電話の相手か」
 歩み寄りながら、そう尋ねる。
 男は口元の笑みを深くして、ななめに首をかしげた。「まあね」と言うように。
「一人なの?」
 警戒心――――と言うより、敵愾心のにじむ声で、シュライン。
 男は肩をすくめてから、今度ははっきりとうなずきを返した。
「そっちは、ずいぶんと大所帯だな」
「知ってたんじゃないのか」
 二人で掛けるには広すぎる丸テーブルを見やって、草間。
 かすかに破顔して、それから、男は静かに立ち上がった。
 草間よりもわずかに背が高い。
「初めまして、だな。
 おれはリヒテ・ルルキア」
 言って、サングラスを取る。
 深い藍色の瞳が、草間達に向けられた。
「君たちに会えて光栄だよ」
 促すように手をさしのべながら。
 黒スーツの男――――ルルキアは、そう続けた。


■『レナーテ』

 ルルキアの視線が、零に注がれていた。
 兄の隣でイスに腰掛け、藍色の瞳に見つめられながら、それでも顔をまっすぐに上げてそのまなざしを受け止める、零。
 丸テーブルの周りには、ルルキア、零、草間の他、シュライン、時音、みそのと撫子も座っていた。
 ややあってから、
「…ずいぶん印象が変わったな」
 呟くように口にするルルキア。
 少し気をそがれたように。零は首をかしげた。
「あんた、零ちゃんに会ったことあるの?」
 問いかける、シュライン。
「と言っても、資料の上だがな」
 ルルキアが答える。
「資料って…あんた、いったい…?」
「案外、もう分かってるんじゃないのか」
 悠然とカップを口に運び、ルルキア。
「…IO2? でも、それにしては…」
 シュラインは言いよどんだ。
 その様子に、藍色の瞳が面白そうに細められる。
「その名前を、白昼のカフェテラスで聞くことがあるとは思わなかった」
「それは否定ですの? 肯定ですの?」
 草間に命じられて彼のジャケットを羽織っているみそのが、わずかに詰問口調で。
「疑わしいものを信じようとするのは、裏付けが足りないことを認めたくない人間の心理がもたらす罠だよ。
 美しいお嬢さん」
「…ずいぶんキツいこと言ってくれるじゃないの」
「君のパーソナリティの話じゃないさ、Ms.エマ」
 ルルキアはそう返して、屈託なく微笑んだ。
「いいわ。あんたの正体は、一時保留にしましょう。
 ルルキアさん。あんたは『白の襲撃者』を、自分の娘だって言ってたわね」
 撫子から向けられた言葉に、男の口元がニヤリとつり上げられた。
「『白の襲撃者』、か。詩的だね」
「同感ね。
 で、そんなことよりも」
「レナーテ」
 シュラインの言葉を遮って、ルルキアが口を開いた。
「…レナーテ?」
「あの子の名前だ」
「いいわ」
 軽く咳払いをして、しきり直すシュライン。
「レナーテは、あんた、ルルキアさんの娘だと言うのね」
「Ms.零がMr.草間の妹であるのと、似たような意味でね」
「…それって」
 わずかに言葉を詰まらせるシュラインに、ルルキアは意味深な笑みを投げかけた。
 そしてスーツのポケットから煙草を出すと、
「忠告しておくが」
 火を付けながら、続ける。
「この会話におれたちが使うことができる時間は、恐ろしく短い」
「…『白の襲撃者』は、まだ来れないさ」
 草間の言葉に、ルルキアは煙草をくわえたまま唇の端をつり上げて見せた。
「レナーテとおれたちだけじゃない。このゲームに参加しているのはな」
「ゲーム?」
 と時音。
 ルルキアは一服大きく吸い込んでから、
「チェス盤の上のポーンは、目の前のナイトを倒すことばかりに集中する。
 だがプレイヤーの意図は、そのナイトの奥にあるものさ」
「言葉遊びはたくさんだ」
 吐き捨てるような草間の言葉。
「同感だ」
 軽く腕を広げながら、ルルキア。
「ルルキアさん。あなたは、闇の業種に関わりのある方なんですか」
「ほう?」
 問いかけた時音へ、怪訝そうに眉を動かす。
「不思議な言い回しだな」
「白の――いえ、レナーテは、銃器を持って襲撃してきました。
 そんなものを日本で調達したにせよ、持ったまま密入国してきたにせよ…」
「なるほど。後ろ暗いつながりのある人間の手引きがなければ難しいだろうな。
 だが、おれは真っ当な米国市民だよ。社会保障番号を得て、米国政府にしかるべき税金も支払ってる」
「…あなたとレナーテの襲撃の間には、直接の関係はない…?」
 伺うような、撫子の言葉。
 ルルキアは苦笑いを浮かべた。
「そう言えれば話は早いよ。
 君たちに力添えを願う必要さえなかったろう」
「国籍じゃなくて、信念の話をしたらどうなるのかしら?」
 今度はシュラインが。
 振り向いて、肩をすくめるルルキア。
「日本語は堪能なつもりだが。意味がよく分からないな」
 シュラインは彼の顔を呼吸三つ分ほどの間、じっと見つめていてから、口を開いた。
「…『神のオルゴールのたまいけり。1944年3月6日、ベルリンにて君を待つ』」
 自分に向けられた深い藍色の瞳の奥を、抜き身の刃にも似た鋭い光が走るのが分かった。
「…驚いたな」
 ややあってから、ルルキアは彼女の顔から視線を逸らし、煙草の灰を灰皿に落として、
「その一文を、君たちの口から聞くことがあるとは思わなかった」
 感慨深げに、とさえ言える口調で続けながら、深く紫煙を吸い込んだ。
「大空襲当日のベルリンで、レナーテを待っていたのは、いったい誰なの」
「その答えを、おれたちも探している」
 短く答えるルルキア。
 それから、
「ただ、二点だけ訂正だ。
 一つ。その時ベルリンに向かったのは、レナーテではない。
 二つ。大空襲当日に誰かが待っていたのではない。誰かが待っていたから、その日が大空襲になった」
「一つ目は、本当にそうでしょうか」
 指を立てながらのルルキアに、撫子は穏やかな声で異を唱えた。
 そして、藍色の瞳が自分に向けられると、静かにあのプリントアウトを差しだした。
 ハーケンクロイツと、眠るような表情の美しい少女を写した、白黒写真。
 ルルキアはその紙に一瞥を投げてから、
「繰り返そうか。レナーテでは、ない」
 藍色の瞳に宿る光を鋭いものにして、はっきりと告げる。
「そんなはずは…」
 食い下がろうとする、時音。
 だが、当の撫子は、「そうですか」とあっさりプリントアウトを引き下げた。
「それは、あなたの娘ではない、という意味においてですね」
 その言葉で、「やれやれ」というように口元をゆるめる、ルルキア。
「…その写真の少女は、『アイン』と呼ばれている。
 今はそれだけだ。それ以上深入りするのは、おれたちの仕事だよ」
「深入りしようとすると、どうなるのでしょう」
 淡々と問う撫子に、ルルキアは腰掛けたイスの背もたれへ上体を預けた。
 そして芝居がかった仕草で両腕を大きく広げ、
「おれの仕事がなくなる。路頭に迷うから勘弁してくれ」
「あんたの仕事って? ナチスドイツの遺産を引っ張り出してくること?」
 険を含んだ口調を向けるシュライン。
 ルルキアはくわえた煙草を指先に移し、目を伏せるようにして二・三度軽くうなずいた。
「信念の問題ってのは、それか」
「質問にちゃんと答えないのなら、娘さんを助ける手助けもできませんよ」
 穏やかだが言い逃れを許さない迫力の込められた声で、みその。
 ルルキアは目元にかすかな笑みを浮かべながら、撫子とシュラインと、みそのを見つめた。
 誰一人として視線を逸らすことがないのを知り、何度か首を小さく横に振ると、
「…おれは――――」
 紫煙を深く吸い込んでから、口を開いた。
「おれの仕事は…そうだな。君たちが正しい。
 レナーテは、ナチスドイツが研究を進めていた、『神聖兵器』の成果の一つだよ」
 自嘲を感じさせる笑みとともに。
「おれは…大戦末期の眠れる偉業を、甦らせた」
 最後の言葉は零を見つめながら、ルルキア。
 テーブルの周りに沈黙が降りた。
 草間が黙ってマルボロをふかす。
 ややあってから、
「…やれやれ。肝心なところは秘密にしてしゃべりたかったんだがな。
 君たちはへたな諜報機関より有能だよ」
 いっそさばさばしたとでも言うように首を横に振って苦笑いを浮かべ、ルルキアはポケットからキーホルダー式の小さなアーミーナイフを取り出した。
 そしてその刃先を、持参の本の裏表紙へすべらせる。
 何事かと見守る草間達の前で手際よくハードカバーを二枚の厚紙に分けると、ルルキアはその間から数枚の小さなスライドを取りだした。
「マイクロフィルム。
 スパイ映画みたいだろ」
 ウインクとともに、それを草間達の方へ差し出す。
「『神聖兵器』ってのは、何だ」
 受け取りながら、草間。
 ルルキアは肩をすくめた。
「心霊兵器への対抗兵器、ですのね」
 と撫子。
 ルルキアは苦笑いを浮かべた。
「生徒がこうも何でもかんでも知ってると、教えることがなくなってくる」
「質問に――」
「答えてないよな、お嬢さん。
 その通りだよ。『神聖兵器』は、心霊兵器への強烈な対抗力を持つ。
 ただし、それは結果論だ」
「開発意図は違った、と?」
 シュラインが問い返す。ルルキアはうなずいた。
 そしてさっきのアーミーナイフの尻からルーペを引っ張り出すと、それを草間に投げた。
「ここから先の話は、フィルムを見ながら聞く方がいい」
 皆の視線が、怪奇探偵の手元に集まる。
「時間がない。結論から行こう。
 『神聖兵器』は、あらゆる異能力を中和する。『神聖兵器』とその周囲1メートル前後の空間に対しては、異能力は全く効果を持たない」
「…知ってるよ」
 歯ぎしりの聞こえそうな声で、時音。
 ルルキアは彼の方へ目を向けて小さく顎を引くと、
「体験済みだそうだな。それについては。
 さて、その『神聖兵器』だが。その能力の顕在の仕方には、フェイズが二つある」
「どういうこと?」
「ディヴィニゼーションと呼ばれる力の現れ方が、二段階に分かれてるのさ」
「ディヴィニゼーション…"神格化"?」
「語学堪能だな、Ms.エマ。
 ただし、神格化ってのは、詩的な意味で使われている。『神聖兵器』って呼び方もそうだ。
 『神聖兵器』は神様じゃないし、どんな奇跡も起こしやしない」
「つまり?」
「虚飾を剥がすだけだ」
 ルルキアは軽く腕を広げた。
「神聖兵器は、世界をゆがめるあらゆる力を排除する。それが心霊兵器の対極にある力のように見えるから、『神聖』と呼んだだけのことだ」
「それが、二つのフェイズで顕在化する、とは?」
 先を促すように、みその。
「一つは、単純なものだ。
 神聖兵器には異能力は届かないし、神聖兵器に触れるもの――――その服や、武器や、立ってる床やら吸い込んでる空気やら、そういうものも含めて、異能力の影響から完全に切り離される」
「それで…」
 呟く撫子。
 従兄の語った謎の一つが解けた。
 五行童子の結界から、かき消すように存在感を消滅させた『白の襲撃者』。
 異能の一種である陰陽五行の力を遮られたのだ。
「もう一つの現れ方は、何なの」
 シュラインが問う。
 ルルキアの視線が、草間の手元に向けられた。
「見覚えがあるんじゃないか、Mr.草間」
「…ああ」
 苦虫を噛み潰したような表情で、草間はマイクロフィルムから顔を上げた。
「零を撃った銃だ」
 横合いから手が伸びてきて、スライドとルーペがシュラインに渡る。
「これが…」
 呟くような言葉。
 フィルムの中で、無機質な短衣に身を包んだ少女が構えている、手に余るほどの大きな純白の銃。
 だがその銃弾がダミー標的を寸分の狂いなく捉えているのを、フィルムは克明に写しだしていた。
「それが、二つ目のフェイズだ。
 レナーテは、彼女に宿る『神聖力』――――反異能力を、銃の形に顕現できる。
 異能者にとっては洒落にならないぞ。全ての異能力を無効化する弾丸だ。
 物理的破壊力も秘めていると来ている」
 ルルキアの言葉に、零はうつむいて下唇をかみしめた。
 うずきが走った右肩を、そっと押さえる。
「…大丈夫か?」
 隣から、兄の声がした。はっとして顔を上げ、どうにか笑顔を返す。
「…はい」
 「ん」と草間が短くうなずく間にも、ルルキアの話は続いていた。
「しかも、弾丸そのものもさることながら、撃発の瞬間に、顕現化した銃から反異能力の波が広がる。
 発射音に異能を打ち消す力があるみたいなものだと思えば、まあだいたい正しい効果が想像できるだろ」
「それって…」
 シュラインは手の平に顔を埋めるようにして、うめいた。
 うなずきを返してから、
「レナーテの前では、あらゆる異能者が一般人と同じになる。
 彼女は万人を平等なフィールドに引きずり出す。
 その意味では――――神だと、言えるかもな」
「つけいる隙がないってことか…!」
 時音が、吐き捨てるように。
 が、ルルキアはそれに対して首を横に振った。
「一つだけ、ある。
 レナーテは、銃の顕現化と反異能力フィールドの発生とを、同時に行うことはできない」
「…つまり、防御と攻撃を、切り替えなきゃいけないってことか」
 時音の言葉に、今度はうなずいた。
「そういうことだ。白の銃を顕現化している間、彼女自身には異能力の効果が及ぶ。
 反面、自分の身体を異能力の効果から切り離そうとすれば、彼女は白の銃を消して、通常兵器で戦うしかない」
「なるほど、な」
 フィルター近くまで灰になったマルボロを灰皿に投げ、草間が口を開いた。
「よく分かったよ。
 ただ一つだけ、まるっきり分からないことをのぞいてな」
 ルルキアの表情から、笑みの色が薄れた。
「おれが君たちを呼んだ、目的だな」
「そうだ。愛娘の生い立ちやら趣味嗜好やら、狼たちに教えるってのは、親として間違ってるんじゃないのか」
 その言い回しに少し困ったように首を振り、ルルキアもまた煙草を灰皿に放る。
「Mr.草間。おれはレナーテの秘密を、君たちに話した。
 その目的は一つ。レナーテを救って欲しい」
「どうやってだ。
 あんたが電話でもすれば、済むんじゃないのか」
「言っただろう?
 プレイヤーの意図は、目の前のナイトの奥にある」
「具体的に言えよ」
「レナーテは、Ms.零を処分するように命令を受けている。あいにくと、それをおれが取り消すことはできない。
 レナーテは任務を完遂するまで決して諦めない。文字通り、死んでもだ。
 だから――――」
 ルルキアはそこでいったん言葉を切り、それから、
「それ以上の任務遂行が不可能になる程度に、撃退してほしい。
 決して、殺さずに」
 真摯な瞳を向けて、そう続けた。
「…ムシのいい話だな」
「分かってる。だが、Mr.草間。
 君たちがMs.零を守りたいと思っているのと同じように、おれもレナーテを守りたい。
 君たちとおれの違いは、大切な相手が自分の声の届くところにいるか否かだ」
「…断ったら、どうなるのです?
 レナーテの強さはなまなかではありません。手加減して勝てる相手かどうか」
 みそのの言葉に、ルルキアがうつろな笑みを見せた。
「プレイヤーの思惑が、最悪の形で外れる。
 その後にあるのは、恐怖の連鎖だ」
「デカイ話だ」
「世界には、均衡を破る力の流れってものがあるんだよ、Mr.草間」
 奇しくも『神』が語った言葉に似たものが、ルルキアの口からつむがれた。
「心霊兵器と神聖兵器は、痛み分けにならなきゃいけない。
 どちらかが優でどちらかが劣。そのレッテルが付けられたとたんに、世界は転げ落ちていく」
「…どこへ?」
「果てしないパワーゲームへ、だよ。
 君たちの国にもなじみ深いドキュメンタリーだろ。
 第二次世界大戦が終わった後、人類には『全てをたたきつぶす力』のレッテルを受けたものが残った。
 それが生み出した世界は――――」
「…東西冷戦…」
 呟くような、撫子の言葉。
 うなずくでもなく、首を振るでもなく。彼女の目を見据えたまま、ルルキアは続けた。
「プレイヤー達は、自分のポーンが相手のナイトより強いのかどうか、知りたがってる。
 それに答えを出させてしまうわけにはいかない」
 彼が静かにそう言いきった時、腕時計のアラームが鳴った。
 ちらりと視線を走らせて、
「時間だ」
 立ち上がるルルキア。
 イスに掛けたまま探るような視線を向ける草間に、
「君たちが来てから15分。
 あと1分ほどで、ここに警察がなだれ込んでくる」
「問題があるのか。やましいことがある訳じゃないぞ」
 ルルキアは苦笑いを浮かべ、時音の携えた長ドスを、手にした本で指し示した。
「現実感覚を忘れたのか、名探偵。
 君たちの国には銃刀法ってものがある」
「…鞘走らせちゃいないぞ。誰が通報する」
「警邏中の巡査が「たまたま」現行犯逮捕することを、君の国の人間達はそこまで珍しいことだと認識するか?」
 草間は舌打ちをし、立ち上がった。
 仲間達もそれにならう。
 「ナイフとフィルムを」と促すルルキアにそれを渡し、
「おい」
 草間は口を開いた。
「最後に一つ答えてくれ。
 俺たちやあんたや『白の襲撃者』がこのチェスの駒だとしたら、プレイヤーは――――アメリカなのか?」
 ルルキアはなんとも言い難い笑みを見せ、答えた。
「Ms.エマはいいところを突いた。IO2。あれはアメリカが母体になった。
 だが、今やIO2は世界的な組織になろうとしている。
 Mr.草間。『世界警察』なんてものに満足する国は、どこにもないんだよ。
 おれの国も、君の国もまた、同じだ」
 そこまで言って。
 ルルキアは本を携え、あのおもちゃのような丸サングラスを掛けた。
「相手のないチェスはできない。
 心霊力を利用しようとする者と、神聖力に賭けようとする者と。
 プレイヤーは、一人じゃない」
 言い残し、ルルキアはきびすを返すと、カフェを後にした。


 午前11時28分。
 警視庁特別機動隊の一小隊が都内鉄道駅構内の喫茶店に強行突入した時。
 店内にはすでに、連絡を受けた6人の姿はなかった。


                 ――――To Be Continued.


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0328/天薙・撫子(あまなぎ・なでしこ)/女/18/大学生(巫女)
1219/風野・時音(かぜの・ときね)/男/17/時空跳躍者
1388/海原・みその(うなばら・みその)/女/13/深淵の巫女
0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト

 ※受注順に並んでいます。

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■         ライター通信          ■
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 草村悠太です。
 『白の魔弾』第二章 黒の来訪者をお送りいたします。

 えー…また長ッ! Σ( ̄□ ̄ノ;ノ
 またしてもものすごく長いです。
 第二章からは謎解きに入っていきます。とか言いつつ、解かれた以上に新たな謎が出てきてますが… (^^;
 いよいよ陰謀の気配がしてきた『白の魔弾』。
 第三章では、もっといろいろなことが判明するでしょう。
 しなきゃ困るので。

 それでは、各PCさんのプレイングについてコメントをさせていただきます。

天薙 撫子 さん
 従兄の引き継ぎご苦労様でした。
 おかげさまで、零ちゃんはだいぶ回復しております。
 惜しむらくは調査期間の短さですね…従兄の引き継ぎというプレイングでしたので、事実上、事前調査にかけられる時間はわずか1日。
 もっと早めに動ければ、もう少し分かったこともあったかも知れませんが…
 ただ、プレイングの流れとしてはとても自然だったと思います。


風野 時音 さん
 連続参加、ありがとうございます。
 草村の東京怪談では、もはや常連さんの感がありますね。
 さて、その時音さんですが…今回もいまいち影が薄いです。が、警察に目を付けたのは時音さんだけで、その部分は技ありだと思います。
 今回の作中であまりダイレクトに語られてはいませんが、この着眼は大切でした。
 ただ…未来のことから現在のことを辿るっていうのには、若干無理があったかも知れません。


海原 みその さん
 こちらもまた連続参加、ありがとうございます。
 プレイングを見て、なるほどあの人なら知ってるのかなと思いましたが…相当昔のことでないとご存じないようなので、作中での描き方はあのような抽象的な形になりました。
 それにしても、南洋系野生児少女ですか。
 読者サービスですね(笑)。


シュライン エマ さん
 初めまして。ご丁寧なあいさつをいただきましてありがとうございます。全然おおざっぱじゃないと思いますよ。o(^−^)
 さて、前章からの連続参加の方が多く、第二章に与えられた時間をフルに使えたのは、実はシュラインさんだけでした。
 プレイングでの着眼点もすばらしいと思います。
 そんなわけで、今回はホームズも裸足で逃げ出す名探偵ぶり。
 草間さん要らないじゃんってな感じでした。
  

 以上です。
 次章以降で、または次回作で、お会いできることを祈っております。

 なお今後、草村悠太の受注開始の案内や受注の空席情報は、個人HPの方でもご案内します。
 特に受注開始については、最低でも1日前にはWhat's Newにて詳しくご案内の予定です。
 「どうしても参加したいっ!」て方(いるのか? (^^;))は、チェックしてみてくださいませ。

 今回はご参加ありがとうございました。
 (第三章 灰色の計略 のオープニングは、今週末頃の公開を予定しております)


               草村 悠太