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<PCシナリオノベル(シングル)>


灰は灰に、塵は塵に

「最近は胡散臭い奴が増えたものだな」
沙倉唯為はにべのない感想に視線を上げた。
 ビルの壁面に掲げられたモニターが、淡々とした表情と声とで告げるニュースの内容に果たして今どれだけの人間が気を払っているだろうか。
 先週末から、ニュースは謎の神経症を報じ続けていた。
 ある地下鉄の沿線に添うように発症し、少なからぬ死傷者を出すその突発的脅迫神経症は何等かのウィルスが原因とか、密閉空間に於ける人間の精神作用から生じるものだとか、様々な争論を戦わせながら未だに原因が確定しないまま、willies症候群と名付けられる。
 何かに追われるように突然走り出したり、周囲の人間に殴りかかったり…それが、ビルや駅、同じ施設・空間を共にする女性全てが、突如としてその症状に見舞われるのだ。
 個人差によってほんの十数分で症状が治まる者も居れば、そのまま精神に異常を来してしまう者もいる…症状を示した女性達、証言を得られる者は全て、その間にどうしようもない恐怖に襲われたのだと訴えた。
 流れる人の中、画面に注意を払って足を止めた唯為を避けるように割れていた人の流れが、踏み出す足にまた元の流れを取り戻すかに見えたが、人の内に上質の漆黒は際立って溶け込みきらない。
 肩に負った藍鼠の袱紗を担ぎ直し、唯為は地下に沈んで行くエスカレーターに足を乗せた。
 駅から縦横に伸びる地下鉄の路線…その内のひとつ、を目指して歩みを進める程に人の姿は減り、程なく唯為一人だけになる。
 それもその筈、今、最も東京で危険視されている、沿線へ伸びる地下道だからだ。
「何とも……危機感が全くない、というワケじゃないか」
 閑散と、見る者のいない広告を明々と照らし出す蛍光灯だけで資源を無駄にしている気がしなくもない空間に、踵の高い音を響かせながら唯為はごく当たり前の動作で、細長い棒状の袱紗を解いた。
 内から現れたのは、一振りの日本刀。
 鞘の濡れたような漆の黒に、拵えの緋の映え…それ以上に、旧きモノ自体の持つ存在感に目を惹く、その名を『緋櫻』という。
 街中でそんな物騒な代物を翳せば、当然の如く国家権力に任意の同行を求められる事は請け合いだ。
 が、そんな些事を案じる唯為では当然ない。
 事の始まりは、willies症候群に関するある情報からであった。
 それは噂などではなく…数多の被害者の中で、被害者に成り得なかったたった一人の女性の証言であった。
「きっとあの神父様のおかげで無事だったんです」
地下鉄の路線、その前に立ち止まる金髪の青年、どこから見ても立派な異国人に声をかけようと思ったのは、彼が杖を持っていたからに他ならないと、彼女は言う…その色は白。それが意味する所を知らぬ者は居まい。
 路線図の剥げかかった点字に指を走らせる彼だが、心ない者がガムを貼り付けていた為に読む事が出来ずにいたのを、彼女は丁寧に路線の説明をしたのだ。
 そして、日本語に堪能な彼は物見えぬ目に涙を浮かべてこう言った。
「親切な者は幸いである、彼等はそれ以上の物を与えられる…と主は仰られました。光に似た貴方の尊い心に添う物を私は何も持ってはおりません、せめて」
言いながら、懐内から小さな小瓶を取り出しキュ、とそれを開くと片掌の内に包み込み、二本の指で瓶の口を押さえるようにして、彼女に向かって十字を切った。
 僅かに開いた口から雫が彼女の額に飛沫として降りかかる…放置自転車とちらしとゴミ、そんな物の中でも行われるのが神聖な儀式だと、宗教に詳しくはない彼女にも分かった。
「神の祝福が、貴方の上にありますように」
彼女の髪に置かれた手の温かさに涙腺が緩み、泣きだしてしまった彼女が落ち着くまで、神父は穏やかに待っていてくれた。
 申し訳ながる彼女に、彼は別れ際に告げたのだという。
「『死の灰』にお気をつけなさい」
と。
 そして、willies症候群の流行…その皮切りとなったのは、彼女が勤務する事務所の入った雑居ビルから。
 そしてそれは、神父に説明した地下鉄の沿線添いであった。
「あの方はきっとそれをご存知で教えて下さったんだと思います…そしてきっと何らかの関わりを持っていらっしゃると」
出来るなら、彼に力を貸してあげて欲しい、と彼女はそう話しを締めくくった。
 そして、流れてきた情報の最後、「『虚無の境界』というテロ組織の関与が推測される」という一文が添えられていた。
 回ってきたのは情報だけ。
 依頼、という形式ですらなく、異常現象の原因を突き止めろというのか、犯人を捕縛しろというのか、神父の前後関係を洗えというのか、はたまた警戒しろというのか…それすらもはっきりとしない。
「……まぁ、その神父様とやらを捕まえて、直接教えを受けた方が手っ取り早い」
地下鉄の沿線で発生している事態から考えれば、次の発生場所も見当がつく…当然、その移動方法も。
 唯為は階段を上ってホームに出ると、長く伸びる闇の奥から届く低い風鳴りに似た音を待ち受けた。


 緩やかな減速に止まった車両の扉が同時に開き、中からちらほらと人が下りてくる。
 背広姿の男性が多い…とはいえ、利用客自体の数が知れたものだが、何人か女性の姿も見えるのは何とも危機感に乏しい現代人らしい、と言うべきか。
 けれど、彼等は唯為の姿を目にすると一様にぎょっと身を強張らせて、反対側の出口へと足を向け直した…刀らしきものを肩に負った男が待ち受ける出入り口を利用する気になる方がおかしい。
 だが、そのおかしい人間が一組、迷わぬ風で唯為の立つ出入り口へ向かって来た。
 両者共に黒尽くめの…しかしながら、その装いは全く両極端だ。
 一方は、一見して神に仕える者と判じられる神父服、そしてもう一方は存在感の強い黒革のロングコート。
「あれ?唯為じゃん、今幸せ?」
円いサングラス越しに唯為の姿を認めた黒革のロングコートの方…ピュン・フーがヒラヒラと手を振った。
 瞬間、ズガシッと鈍い音を立てて、神父が…その、手にした白杖でピュン・フーの脛を強かに打った。
「誰かいらっしゃるのですか?」
両眼を閉じたまま盲を示す白い杖を鳴らし、声なく踞ったピュン・フーを捨て置いたまま、神父は歩を進めて正面の空間に…唯為に、存在を問うた。
「お前の十歩程先に一人ほど」
その応えに、神父はゆっくりと目を開いた。
「私共に何か御用でしょうか?」
視線の定まらぬ碧は唯為の姿を捉えない。
「教えを請いたい」
「なんなりと」
唯為の言に、神父は微笑んだ。
「お前が『虚無の境界』か?」
直球な問い掛けを、神父は見えぬ眼で受け止めた。
「はい。私共をご存知なのですね……それが何か?」
拍子抜けそうな程に明快に答え、それが然したる重要事でもない風に…その、神職のテロリストは少し首を傾げる。
「……しかし、類友というヤツか?ウチの不肖息子まで一緒だったとはな」
嘆息に一拍置き、唯為は目線を神父の後方に向けた。
 先に、ようやく立ち上がったピュン・フーがサングラスを外して目尻に浮いた涙を拭い、唯為の視線に気付くとひらひらとまた手を振る。
「神の福音を自ら捨て、然るべき時の後に永劫の業火に灼かれ続けても浄化の適わぬ穢れた魂の主…人と共に在る事すら許されぬ者と同列に称されるのは心外です」
「心外も何も、虚無の境界…心霊テロ集団だそうだな。同じ組織の者だろうが」
呆れた風な唯為の言だが、それは至極最もな正論である。
「目的を同じくしても、根本の志が違えば別でしょう」
小さく十字を切り、神父は懐から出した聖書を胸に抱く。
「人は何れ神の御手に帰ります…けれど、今の世の人々はあまりにも罪深い。天の門に受け容れられるには、現世に於いての贖いも、必要なのですよ」
辛苦がそれに値する、というヒューの言葉は穏やかで、憎しみは欠片もなく…それどころか慈しむ気持ちすら感じさせる。
「魔女狩りをご存知でしょうか…中世に於ける忌むべき習慣、幾人の女性が謂われのない罪に陥れられ、生きながら火刑に処された事か」
ヒューは懐から小さな箱を取り出した。
 粗末な木のそれはたどたどしい削りで両手で包み込める程度の大きさだ。
「これは、その被害者の灰です。火刑に処された骸は弔いすら許されずに川に流される。これらは血縁者が流された川岸を咎められぬよう深夜に探って回って得た、骸です」
ヒューは蓋を開いた。
 それが人だったというにはあまりに小さく、そして冷たく白い。
「彼女たちもただ生きていただけです。それすらも咎とされて受けた責め苦は地獄のそれに値する…けれど、それによって彼女たちは本来の罪が拭われているとは思いませんか?」
 謂われのない恐怖で心の内から蝕む救い。それを恩恵として、現代の人々にも。
「…救いの為と言って、貴方は信じるでしょうか?」
「そんなものは知らん」
唯為はずっぱりと切り捨てた。
「お前達がどんな信念で動いているかは知らんが、ココには俺の大事なものがあるんでな。傷でも付けようものなら、明日の朝日は拝めんと思えよ、ピュン・フー」
「俺かよ!」
唐突な個人攻撃にピュン・フーがお約束に声を上げる。
「ひでェやママ、愛がねェ!」
「何を言う。グレるような軟弱な子には、ママの愛の鞭だ」
「グレるってのは髪を染めたり酒や煙草に手ェ出したり……」
バシン!と音高く、神父の聖書の角がピュン・フーの額に穴を穿った。
「……まだお名前を伺っていませんでしたね。私はヒュー・エリクソンと申します」
「沙倉唯為だ」
何故だか名乗りに胸を張る唯為。
「唯為さんですか……覚えておきます」
そう笑んで、神父…ヒューは短く背後に立つ名を呼ばわった。
「ピュン・フー」
暫時、影が低く飛び出した。
 その動きを読んでいたかのように、唯為は喉を狙って突き出された手…鋭利な刃と化した爪を持つ五指を、『緋櫻』の鞘で受け止めた。
「勤労に励む息子にグレてるってぇ表現は相応しくねェ、とか思わねェ?」
「親に手を挙げるような息子に育てた覚えはないな」
拮抗する力に、未だ鞘の内に納められた『緋櫻』がチリリと鍔鳴りを起こす。
「あれじゃん、親子のコミュニケーションってヤツ」
「アットホームな語らいからは逸脱しているように思えるがな」
軽口を叩きながら、柄と鞘の二点を支える手で加えられる力に抗するに、踵が微細な砂利に床と擦れた音を立てる。
 ふ、と唯為は力を抜いた、否、引いた。
 けれどそれは予測済だったか、動ずる事なくピュン・フーは全く同時に迫り合いに込めた力を抜き、軽く『緋櫻』の鞘を引く。
「唯為、遊ぼーぜ♪」
軽い口調でのおねだりに、唯為は口許に笑んだ。
「仕様がないな」
ピュン・フーの手に『緋櫻』の鞘が残され、白銀に蛍光灯の光を滑らせる刀身が顕わになる。
「櫻、唯威の名の元に、汝の戒めを解き放つ」
同じ音の中に隠された真名は、妖刀を封じ、また支配する血の名。
「目覚めろ、『緋櫻』」
名の、言霊に呼び覚まされた『緋櫻』の気配が一変した。
 白銀の刃の美しさはそのままたが、溢れるような血臭の如き妖気を纏う様がいっそ禍々しく、封じの解けた歓喜にか、それとも血への期待からかリリリと鈴に似た音で鍔が鳴る。
「あ、いーなーそれ。すげぇ別嬪さんじゃん♪」
楽しげに言い、ピュン・フーは距離を詰めた。
 人に適わぬ速度で薙ぐように払われた手の動きだが、唯為はそれに過たず『緋櫻』の刃を合わせて硬質の金属音を立てた。
「いいだろう」
答えて爪に合わせた刃、その接点を支点に反転させ切っ先がピュン・フーの喉へ突き出される。
 ピュン・フーはその一撃に首の皮一枚裂くに止めて避け、傾けた均衡をそのまま片手を地につくと、足払いを繰り出すが素直に食らう唯為ではない。
 攻守は共に刃と技、相手の出方を読み、その裏をかく心理戦にも似た闘り取りに交える何合目かの刃に、それまでは静かだった…すっかり忘れ去られていたヒューが嘆息混じりに声をかけた。
「……大概になさい、ピュン・フー。戻りますよ」
そのまま、祈りの言葉を紡ぎ出す。
「ちぇッ、もうかよ」
心底残念そうに、ピュン・フーは舌打つと腕を払った…戦意の喪失を示すかのように、その爪が崩れる。
「あの神父の言う事には随分、聞き分けがいいじゃないか」
「それが仕事ってモンだろ?」
 その間、ピュン・フーの背後で神父が天に静かな祈りを捧げる。
「…憐れみによって、御許に召された同胞の亡骸を今御手に委ね、土を土に、灰を灰に、塵を塵に還します」
唱うような聖句が空間に響き渡る。
「主は与え、主は取り賜う。主の御名は誉むべきかな」
額から胸へ、肩を右から左へと指で示すように十字を切り、神父は大切な名を呼ぶように「aman」と祈りの言葉を唱えた。
 その掌の上に乗った小箱が自然に蓋を開いたかに見えた…内の灰をヒューは一息、空気の流れに乗せた。
 ピュン・フーの背から突出した皮翼の漆黒を背景に、微細さに光るような灰は、自体が動きを持たない物のまま漂うばかり。
 変化が生じたのは、ピュン・フーの皮翼が遮る影の領域から。
 湧き出す霧は瞬く間に地を這い周囲を埋める…中から手が、伸びた。
 剥がれた皮膚、筋肉の組織が血にすら見えない体液を滴らせ、人である、事をどうにか判別のつく程度に赤黒い、腕。
 力を込めたを懸かりに、肩が、上体が姿を現す…腕と同じく醜く焼けただれた肌、熱に溶けて濁った眼、大きく開いた口腔は叫びの形のままに、けれど声はない。
 呪いの源、魔女狩りによって命を落とした哀れな女達の死霊。
 幾つも、幾つも漂う霧から湧き出すようなそれ等は、這いずるように唯為へと向かう。
 唯為は怖じたように、一歩、退いた。
 炎に焼かれた女…全く以て何の洒落だ。
 皮肉な思考は健在なれど、生理的な嫌悪感から…自己防衛の本能が過去の記憶に繋がる、常とは別の鍵の存在から逃れようとするまま、背が壁に当たった。
「アレ、ママこーゆーの苦手だった?」
呪いに実体を与えたピュン・フーは意外の面持ちで軽く肩を竦めた。
「可愛く『お願い♪』してくれりゃとっぱらうけど♪」
気分としては毛虫を女の子にけしかける悪戯小僧な感触で、宣うピュン・フーにその場唯為にとってある意味の救い、でヒューが再度促す。
「足は止まったのでしょうピュン・フー。行きますよ」
「へーい」
軽く答えてバサリ、と皮翼が動く。
 地を這う霧はその動きに巻き上げられ、ピュン・フーと神父の姿を視界から隠しまがら更に濃度を増し、黒いばかりの姿さえも覆い尽くし…そして通路の奥に吸い込まれるように、流れて消える。
 同時、唯為の周囲を埋めていた死霊の群れもまたかき消えた。
 唯為は強張った肩の力を抜く。立ち合いの時とは別の汗で背中にじとりとシャツの張り付く感触がし、肌と着衣の間に空気を入れる為、襟元を軽く指で引く…手に、胸元に下げた涙滴型の真紅が冷たい感触で触れた。
 相手が去った事に対して、安堵を覚えている自分に苦笑する。
「ピュン・フー、お前に会ってから退屈知らずで流石に老体には応えるぞ」
唯為は軽口に、掌の内に真紅の石を握り込んだ。