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<東京怪談・PCゲームノベル>


獣の棲む街―――悪意
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草間興信所のソファに身を沈めて、太巻はしきりにタバコをふかしている。味わっているとは思えない。フィルターのところまで煙草が灰になると、それを吸殻で山積みになった灰皿に押し付けて次の一本を探る。決して広くない室内は、たちまち煙草の煙で白く霞んだ。
太巻の隣には草間が難しい顔をして座っている。彼らに向かい合っているのは、太巻に岡部ヒロトの尾行を依頼された5人。それに彼らの足元に静かに座っている猫が1匹。何本目かのタバコに新しく火をつけて、ようやく太巻は座りなおして彼らを見回した。
シュライン・エマ、南條慧、海原みなも、五降臨時雨。最後に足元で行儀よく座っている藤田エリゴネに視線が渡る。彼らの表情はどれも浮かない。戻ってくるべくして戻らなかった人物がいるせいだ。
「さて、気を取り直して仕事の話だ」
太巻だけが相変わらずの表情で身を乗り出す。この状況下において、この男の事務的な口調はむしろありがたかった。太巻の余裕を見て気持ちを落ち着け、しなくてはならないことだけに集中できる。
「こっからそう遠くないところに、バブルの煽りを受けて倒産した会社の持ちビルがある。建設途中で、取り壊すことも建設を続けることも出来ずに放置されてるシロモノだ。岡部ヒロトが、陰陽師を連れ込んで入っていったのが確認されている」
言って太巻は視線をエリゴネに落とし、それから一同を見渡した。集まった者たちには知らされていないが、この報告をもたらしたのは他ならぬエリゴネである。
「ビルの地図なんかは手に入らないの?」
シュラインの問いに答えるかわりに、太巻は束になって折りたたまれた紙をテーブルに投げ出した。こうして会議を開くまで忙しくしていたのは、どうやらこれを手に入れるためだったようだ。乱雑に折りたたまれた紙には、コンピューターで作られたらしい四角や丸が、整然と幾何学模様を織り成している。
「外からは見えず、悲鳴が漏れる心配のなさそうな場所は…」
「部屋の多くは防音設備が入ってる」
口の端に煙草を揺らして笑みを見せ、だがな、と太巻は続けた。
「何しろ建設途中でほっぽり出されたビルだ。ドアが付いてない部屋も多い。建設済みのところだけをピックアップすると…ここと、ここ。それとこのあたりだな」
がさつな指が地図の上をすべり、幾つかのポイントを示す。
「一階に閉じ込めてるってことはねぇだろう。人質を取った場合、犯人は無意識に逃亡を恐れるからな」
その仮定で部屋はいくつかに絞られるとはいえ、もうちょっと確実な情報が欲しい。懸念の色を示した女性たちの間で、ボソリと時雨が口を開いた。
「ヒロトが…どこにいる…か。ボク……が、動物たちに…調べてくれるように………頼める」
「今行って調べてこれるか?」
太巻がすぐに頷いた。返事のかわりに立ち上がり、時雨は動物たちに話をしにいく。
「まあ、場所はいずれわかると仮定して」
時雨が戻るのを待って、太巻は続けた。
「どうやらヒロトの能力ってのは、妙な力を発動させた場合、それを感知するんだな」
「それにテレポートと、衝撃波。…ちょっと厄介ですね」
とみなも。
「目をつけられているし、かなり分は悪い。…退くつもりもないけど」
少し休んで顔色が良くなった慧が腕を組み、重い表情で地図に視線を落とす。
「しかしどうやって決着つければいいの?例え拘束できても、彼の能力では……」
「瞬間移動か」
それぞれに沈思している面々を見渡しながら、太巻はソファに背中を預けた。ゆっくりと煙草を一服させてから、再び口を開く。
「ヒロトを捉える捉えないは、この際置いておく。異論はあるかも知れんが、まずは人質の安全確保が優先だ」
笑みを消し、確かめるような視線が集まった人々の顔を撫でた。
「二つのグループに分かれて、片方がヒロトの目をひきつけている間に、もう片方が人質を救出する。問題ないな?」
問うよりは確認する口調で言い、全員が頷いたのを確かめて太巻は青写真を取り上げる。
「っつーわけで、救出組と、扇動組とに分けたいんだが」
「私は陽動の方で。霊のまま乗り込んで、ヒロトの注意を引こうと思うんだけど」
組んでいた腕を解いて、慧が顔の高さに手を挙げる。
「じゃあ、あたしは救出組で」
みなもが言い、ついで時雨も彼女に同意した。
「閉じ込められている部屋…分かったら、………早く動いて、助け出すことが……できる、と思う」
スローテンポに見える男だが、時雨は時速にして800キロ近い行動速度を持っているのだ。頷きながらも考えを巡らせる顔で、太巻は片眉だけを上げる。
「まあ、お前のスピードに常人は耐えられないからな…。だが、敵の隙を突くことは出来るだろ。じゃ、お前も救出組な。あくまで目的は人質救出。深追いするなよ?」
真面目ぶっていても、決め方は豪快である。それでも細かい指示も出すあたり、几帳面なんだか、大雑把なのだか判断に迷うところである。お前はどうする?というように太巻はシュラインに顎をしゃくった。腕を組んで何やら考え込んでいた彼女は、おもむろに顔を上げると、太巻の瞳を見返してしっかりと頷く。
「人数的に、私は救出組ね。引き受けましょ」
「よし。……さて、それじゃ作戦会議だ」
滅多にない人数の客を迎えた興信所は、いつにもまして狭苦しい。そんな中、彼らは小さなテーブルを囲んで頭を寄せ合った。


□―――シュライン・エマ&南條慧
「地図だけはしっかり覚えろよ。常におれたちが待機している位置を把握しておくんだ。壁を抜ける時も、一つ壁を挟んだからって油断すんなよ。衝撃波から逃れる時は、常に二つ壁を抜けろ」
「わかってる、大丈夫」
念を押す太巻に頷いて、慧は夢天憑魂を行うべく目を閉じた。霊体になって、ヒロトの気を引くのだ。ヒロトの衝撃波は霊体にも影響を及ぼすことが分かっていたが、本体が直接衝撃波を喰らうのに比べれば、威力は弱まる。霊体を直接攻撃される危険は冒さねばならないが、実体で衝撃をまともに喰らうより、いくらか安全であることに変わりはない。気持ちを固めるように息を吐いて、慧は片手を顔の前に上げて太巻に笑った。
「じゃあ、太巻さん。悪いけど私の本体お願いね」
もしもの時に、戻るべき器が側にいないと手遅れになりかねない。危険も伴うが、慧は自分の本体を太巻に任せ、魂の抜けた身体ごと、太巻やシュラインと共に侵入することを選んだのだった。
シュラインと太巻がビルの内部に罠を仕掛けるまで待ち、その後人質救出班のための時間を稼ぐ。慧に任された任務はそれである。
「女に怪我をさせるようなヘマはしねェよ」と太巻は言い、慧はそれを信じたのだった。
太巻とシュラインが見守る中、慧の体と心は分離する。慧はそのまま浮かび上がって、街の上に浮かんだ。目指すビルはまだ遠い。これだけ離れていたら、ヒロトも彼女の力の発動を感知できてはいないだろう。あとは、時間差でビルに乗り込むだけだ。


慧の魂が身体から遊離し、眠ったようにぐったりした彼女を助手席に乗せて、太巻とシュラインは目的のビルの側に停車した。
「さて、行くか」
こんな時でも、太巻の口元には煙が絶えない。車のボンネット越しに、シュラインは慧を背負った男に頷いてみせた。
「手足一、二本覚悟して行くとしますか」
「そんなことになったらおれが草間に殺されちまう」
しっかり無事に帰してやるよとシュラインの僅かな不安を笑い飛ばし、太巻はビルに向かって歩き出した。

いくら特殊な能力を使っていないとはいえ、生身のヒロトが物音や気配に不審を感じては元も子もない。慎重に、シュラインと太巻はむき出しのコンクリートのビルの中を進んだ。打ち出したコンクリートに、頭上を見上げればパイプや導管が入り組んでむき出しになっている。長い間打ち捨てられていたビルは、老朽が激しい。こんな無機質なビルでも、人が居なければやはり死んでしまうのだと、暗く静まり返った廊下を歩きながら思った。
罠を仕掛けるのは、主に一、二階である。ヒロトが皇騎を閉じ込めているのが三階だから、用心のためには三階を通って上へ行くことは避けねばならない。時間も限られているので、シュラインが用意した罠はごく簡単なものだった。
床に糸を巡らせ、足止めに使う。物によっては、糸を引いた瞬間に積み上げられた荷物が落ちてくるように仕込む。シュラインが提示したこの罠を、太巻は呆れるほどの器用さで取り付けた。
「手馴れてるわねぇ」
「お前、学校で習わなかった?」
習うわけがない。呆れて相手を見返すと、太巻は最後の罠を仕掛け終えて立ち上がったところだった。
「そろそろ時間だ。準備はいいか?」
「いつでも覚悟は出来ているわよ」
おう、とタバコを揺らして太巻は笑った。
不敵で憎たらしいと思う太巻の笑みは、こういう時だけは頼りがいがあった。


□―――宮小路皇騎
もっと濃い色をしているはずのコンクリートには埃が溜まって、その床を本来よりも白く見せている。部屋には装飾品どころか電気も窓も壁紙すらもなく、ひたすらに平らにならされたコンクリートばかりが四方を取り囲んでいた。
身体が軋む。身じろぎすることで怪我の具合を確認するために、皇騎は身じろいだ。ヒロトの衝撃波によって壁に叩きつけられた時のダメージは、まだ身体の節々にしぶとく残っている。それでも、動けないほどではない。
問題なのは後ろ手にロープで縛られた手首のみだ。
この部屋で唯一家具とよべる椅子に腰を下ろし、ヒロトはアーミーナイフを弄んでいる。皇騎を縛り上げたことで優位を確信しているのか、その態度に緊張感はない。手の中でナイフを光らせながら、ひたすらに皇騎の反応を観察しているようだった。
「お前にだって、大事なものがあるだろう?好きな女とか、大事な人とかさぁ」
機嫌の良いヒロトは、謡うように語った。
「死にたくないって思うよな。誰だって、こんな汚いところで、よく知らない男に殺されたくはないものな」
まるでそれが楽しいことででもあるかのように、喉の奥でヒロトが笑う。
「だけどあんたはもう駄目さ。いくら好きな奴がいても、会いたい人間がいても、もう会えることはないんだよ。助けてくれって俺に泣き叫びながら、切り刻まれて殺されるんだ」
白い狂気を湛えた瞳は、恐怖を期待してきらめき、皇騎に向けられる。
「運がよけりゃ、痛みでもがき苦しみながら死ぬ前に、自分の内臓くらい見られるかもしれないぜ。嬉しい?」
「…生憎、そういう変態嗜好に興味はないな」
答える皇騎の声は自然冷ややかなものになった。殺されるかもしれない恐怖よりも、目の前の青年に対する嫌悪の方が強くなった結果である。それを聞いたヒロトは意外そうに瞬きし、ゆらりと椅子から立ち上がった。
ナイフを持った手が、床に転がされた皇騎の頬に触れる。白い切っ先は、思ったよりも生温かった。スイとナイフが頬をすべると、皮膚が切れて血が溢れる。
満足げにその血に魅入り、ヒロトはわざとらしく声を潜めた。
「ガキを殺した時のことを思い出すよ。小さいからすぐに死ぬかと思ったら、結構しぶとく生きてやがった。おかあさんおかあさんって、うるさかったな。あまりにうるさいんで目を抉ってやったら、サルみたいな声で泣き叫びやがった。…見ものだったよ」
外道が…という言葉が喉まで出掛かり、皇騎は唇を引き結んでそれを堪えた。その言葉は、ヒロトを悦ばせるだけだとわかっている。
とにかく、ヒロトのスキを突いて逃げるのが先決だ。答えを期待するヒロトから視線を逸らして、皇騎は考えを巡らせた。
ヒロトのことは、シュラインも慧も追っている。どこまで信用できるか分からないが、太巻も居る。今頃彼らがヒロトを捕まえる算段でもしていることだろうことは、皇騎も疑っていなかった。
このままじっとしていても助けは来るかもしれないが、運悪くその前にヒロトに殺されてしまうのでは意味がない。何もしないで助けを待つのも、あまり気乗りのしない話である。
(スキを見せてくれれば逃げることもできるが)
新しい玩具を見つけた子どものように、ヒロトは皇騎にかかりきりだ。子どもと呼ぶには、あまりに性質が悪いが。
うんざりした気分になりながら、皇騎は後ろに回った手首を動かした。
まずはこのロープをどうにかしないことには、いくらスキを見つけたところで満足に逃げることも出来ない。ヒロトに気づかれないよう、器用に手首を捩ってロープを緩める。
「何か言ってみろよ。それとも、怖くて声も出ないか?」
ヒロトの声が弾む。狂気に彩られたその口調は、皇騎の動きを察知してはいないようだ。
「呆れて声もでないだけだ」
ロープの結び目はきつく、少し手首を動かしたくらいでは皮膚に食い込むだけである。ヒロトに返事を返しながら、それでも我慢強く皇騎はロープを緩めにかかった。
両手さえ自由になれば、印も結べるし式神も使える。ヒロトの隙を突くことも、格段に易しくなる。
「そのザマでそんなことを言っても、無様なだけだぜ」
冷たい皇騎の返答に、ヒロトが笑ったまま目を細めた。その表情には、思い通りにならない相手に対する苛立ちが覗いている。
(危険も伴うが……このままでは埒があかない。感情を煽ってみるべきかな)
「他人を縛り付けておかないと、まともに話も出来ない臆病者に言われたくないな」
女性に対しては敬意を持って接する皇騎だが、その気になれば辛辣な台詞に困ることはない。何よりも相手は男である。一旦感情を煽ると決めてしまえば、なんの遠慮も必要なかった。
それに、皇騎の鋭敏な感覚は、このビルに侵入者がやってきたことを察知している。ヒロトはまだ気づいていないようだが、これは慧の気配だ。思っていたよりも早く、助けはあらわれたらしい。
「お前、自分の立場が良くわかってないようだな。殺す前に舌を半分にしてやろうか」
ヒロトは不快な表情も露わに顔を歪めている。皇騎はあえて鼻で嘲笑った。
「言い負かされるのが怖いなら、その方がいいかも知れないな」
言葉にはならない言葉を喚いて立ち上がると、ヒロトは皇騎の腹を蹴りつけた。青いバスケットシューズのつま先が、容赦なく皇騎の身体にめり込む。身体を縮めて、皇騎はその衝撃を堪えた。
皇騎に三発目を見舞ってやろうと足を引いたヒロトの動きが止んだのは、気が済んだからではない。
「……誰かきやがったな」
ようやく慧の気配を察知したヒロトは、動きを止めて耳を済ませている。皇騎には、ヒロト以上に慧の存在を感じることが出来た。近づいてくる。自分たちがどこに居るかまで、確かに分かっている動きだ。
隣の部屋の壁を、慧が通り抜ける。
薄青い半透明の慧の身体が、壁から覗いた。
「南條さん!」
慧が名前を呼ばれて振り返る。その瞳が皇騎の無事を確認して、安心したように頷いた。
「あの時の馬鹿女が……何しに来たんだよ」
ヒロトの声に、振り返る。歯軋りの音が聞こえてきそうなほど強く歯を噛み締めて、ヒロトが慧の存在する空間を睨みつけていた。
慧は一瞬顔に緊張を走らせたが、敢えて落ち着いた声を繕った。
「おしおきをしに来たのよ」
「偉そうに!まずはお前から殺してやる」
子どもをあやすような言い方にプライドを傷つけられて、ヒロトの顔が青ざめた。空気が揺れる。それを予想していた動きで、慧が壁の向こうに消える。
ズシンと大きな衝撃があり、皇騎は壁際まで吹き飛ばされた。
「く……っ」
軋む身体に無理を言って身を起こした皇騎の手に、冷たいものが触れた。鉄パイプだ。先ほど部屋の隅に投げ捨てられているのを発見したが、ヒロトが注視していたので、手に取ることは不可能と考えていたものである。
(しめた!)
指でそれを招きよせて、手のひらに収める。ヒロトに見つからないように壁を背にし、気絶したフリをする。自由に動かない手首だけを動かして、皇騎はロープを断ち切りにかかった。
慧が戻ってくる。無事を確かめるように向けられた視線に、大丈夫だと皇騎は頷いて見せた。
顎を引くだけでそれに返し、慧はヒロトに向き直る。
「あんまりあんまりおイタをすると、ビルが崩れちゃうわよ?」
今でも、天井からは、ヒロトの衝撃波の余韻でパラパラと埃と砂が落ちてきている。慧の言葉はあながち脅しでもなかった。うるせえ!と喚いて、ヒロトが第二撃を繰り出すべく、慧に向き直る。慧が壁を抜けた。
その後を追うように、ヒロトの姿も掻き消えている。
慧が再び壁をすり抜けることを予想して、移動したのだ。
ズシン、とまた衝撃。すぐ後に、何もない空間から突然ヒロトの姿が現れた。ちくしょう、チクショウ、と呪文のようにそればかり唱えている。怒りに濁って血走った目は、皇騎の上を一度撫でただけで見向きもしない。再び、ヒロトの姿が消えた。
慧を追いかけているのだろう。
皇騎は身体を起こした。これでヒロトの視線に気兼ねせずに縄を解くことができる。鉄パイプを利用すると、ほどなく皇騎の両手は自由になった。
皇騎は立ち上がる。すぐに式神を呼ぼうかと思ったが、すんでのところで思いとどまった。慧たちには、彼女らの仕組んだ計画があるのかもしれない。
かわりに、皇騎は閉じ込められていた部屋を抜け出し、廊下を走る。ビルの各所に、式符を配置するのだ。
「宮小路君」
慧の声が近づいてきて、式符を配置し終えた皇騎に声を掛ける。自然に、皇騎の顔に笑みが浮かんだ。
「早かったですね」
「遅刻するような野暮はしないわよ」
ぼんやりと背景を透かす慧は、彼に向かって眉を上げて見せる。それからすぐに真顔に戻って表情を引き締めた。
「階段を使って、まっすぐ一階まで降りてちょうだい。みんなと合流できるから。罠が張ってあるから、二階の廊下は一人で歩かないようにね」
わかりましたと頷くと、慧は再び床をすり抜けて姿を消した。これから、身体に戻るのだろう。

□―――合流:救出組&宮小路皇騎
隅に埃のたまったコンクリートの階段を、いくつもの足音が交錯する。
「宮小路さん!!」
「海原さんか」
上から降りてきたものと、下から上がってきた者。双方は一階の廊下で顔を合わせることになった。先頭に立っていたエリゴネが皇騎に気づき、にゃあ、と無事を確かめるように鳴いた。駆け寄ったみなもに遅れて、時雨も近づいてくる。
「怪我はないですか?」
「私は平気だ。迷惑をかけたようで済まない」
怪我がなくてなによりですと、みなもは笑顔を見せる。それから心配そうに表情を翳らせて二階を見上げた。
「太巻さんたちがヒロトを引き付けているんです」
そう言って、思い出したように携帯電話を引き出した。
「……ケイタイ?」
「皇騎さんを救い出せたら、電話するようにって太巻さんに言われてるんです」
怪訝そうな顔をした皇騎に、こちらも困ったような顔でみなもは言い、丁寧にボタンを押してケイタイを耳に宛てた。何度目かのコールで、相手が出たらしい。
「もしもし、太巻さん。あたしですけれど……。……あの、宮小路さんは無事にこちらに合流しました。…はい、……では」
通話が切れる。電話の理由がよくわからずに、佇んだ三人と一匹は顔を見合わせた。
「今、太巻さんたちはヒロトと対峙しているそうです」
急いた口調でみなもが言うが、それだけでは果たして太巻たちが安全な状態でいるのかどうかも分からない。
「……行こう」
やがて、ぽつりと時雨が言葉を洩らし、みなもと皇騎を促した。それに答えてエリゴネが廊下を身軽に駆けていく。
「行きましょう」
とみなもも皇騎の手を引いた。
「太巻さんたちと合流するんです。二階ですから」

空気を震わせて、ひときわ大きくビル全体が揺れたのは、彼らが一階と二階の間にある踊り場に差し掛かった時である。圧力の波が頬を撫でたかと思うと、ズゥンと重い音がして、地震に見舞われたかのように足場が揺れた。
バラバラと、コンクリートの軋みから埃や小石が舞い落ちる。
ヒロトの衝撃波だ、と理解するのにやや時間を要した。
しかし、今までとはその規模が違う。
「一体……!」
「先、行く」
一瞬見えたのは刀を抜きかけた時雨の姿で、それはまるでテレビの電源を切った時のように、ふつりと見えなくなる。声だけがその場に残り、砂を巻き上げる小さな竜巻を残して、時雨の身体は忽然とその場から姿を消していた。
衝撃の名残りも立ち去り、ようやくビルが揺れを止めると、弾かれたように三人は走り出す。すでに、時雨の姿はどこにも見えない。
「これは……」
二階へ続く階段を上りきった三人は、唖然として足を止めた。
ビルを貫くように、廊下はまっすぐに伸びている。…はずである。しかし、この階だけ、まるで爆弾に吹き飛ばされたかのように、部屋と廊下とを遮る壁が崩れ、廊下の半ばに円形の広場を作っているのだ。

□……瓦解
ひっきりなしに、壊れた瓦礫やコンクリートの破片が落ちていく音がする。ヒロトの衝撃波はコンクリートを瓦解させ、周囲の壁すらも吹き飛ばしていた。大して広くなかった廊下は、左右の壁が崩れたせいで面積が広がり、妙に広々としている。
太巻たち三人がいたところも、壁が崩れ、鉄筋が剥き出しになって無残な姿を晒していた。
ヒロトの姿はない。そのかわり、ヒロトが居た場所には赤黒い血溜まりが残っている。
その惨状に、駆けつけたみなもと皇騎は息を呑んだ。足もとにはエリゴネもいる。彼女らは衝撃からはだいぶ離れたところに居たため、被害を免れたのだ。
「五降臨さん!?」
渦巻く埃で視界の悪いビル内を見回すと、それに答える声がある。文字通り、弾丸のごとく飛び出していった時雨だ。姿を見せた彼は、僅かに頬を切って血を流していたが無事なようだ。その手には、切っ先に血のついた刀が握られている。
「ひどいな、これは。太巻さんたちは無事なのか?」
さすがに表情に危惧を滲ませて皇騎が呟いた。
「ヒロトの…傍に……居た。……そこ」
のろのろと腕を上げて、時雨が瓦礫の山を指す。
「埋もれてしまったの!?」
みなもが思わず口に手を宛てる。瓦礫の下に人の気配を感じるように皇騎はじっと目を凝らしていたが、やがて息をついて首を振った。
「……いや。そこに彼らはいないようだ。気配がしない」
「じゃあ、一体どこに」
言いかけたみなもの言葉を遮るように、ガラリと瓦礫が音を立てた。コンクリートの小山ではない。衝撃によって壁がなくなった、隣の部屋である。ニャア、とエリゴネが鳴いた。動物の嗅覚が、いち早く生存者を確認したのである。
壁が衝撃で横倒しになり、その上をいくつものコンクリートの欠片が覆っていた。壁が持ち上がるのに合わせて、それらがパラパラと落ちている。みなもたちが聞いた音は、それだった。
キングサイズのベッドほどもあるコンクリートの壁が、内側からの力で持ち上がった。バラバラと音を立てて小石が滝を作る。人の身長ほどもそれが持ち上がると、崩れたコンクリートを支えている腕が見えた。
崩れた壁に遮られて、中は人が入れるほどの空間が出来ている。人が通れるほどにできた隙間から、二人の人物が這い出してきた。
シュラインと慧である。コンクリートの下から這い出して、大きな一枚のコンクリートを支えている男に文句を言っている。
「いたた…。太巻さん、もうちょっとやりようはなかったの!?」
「ホント、これじゃ全然護衛になってないわよ」
二人とも洋服は埃まみれだが、どうやら怪我一つなく無事らしい。
「ご無事ですか?」
みなもが声をかけると、二人は揃って振り向いた。
「なんとかね…服は汚れちゃったけど」
「そっちこそ、無事みたいね。……宮小路君も」
「どうも、お世話をおかけしました」
皇騎が苦笑し、彼らは束の間、無事を喜び合った。ズシン、とその背後で、地響きを鳴らして太巻がコンクリートの板から手を放す。こちらも心配する余地がないほど無事である。
にゃーんと鳴いて歩み寄ったエリゴネを小脇に抱き上げ、太巻は彼らと合流した。
「ヒロトは?し損じたのか」
服の袖で顔を拭いながら、時雨に声を掛ける。少し前に見せた素早い動きが嘘のように、時雨は頷いて血溜まりを振り返った。
「また……飛ばれたから………」
衝撃の余韻を残して方々でコンクリートや小石の落ちる不吉な音がしているが、その存在すら幻ででもあったかのように、ヒロトの姿は見当たらない。
「岡部ヒロトの怪我は、ひどいんですの?」
みなもが懸念に顔を曇らせる。犯罪者とはいえ、人は、人だ。人である以上、彼女たちの裁量でヒロトを殺すことは、してはならないはずである。みなもの問いにゆっくりと首を横に振って、時雨は刀を鞘に戻した。
式神を放ち、ビルの内部を探らせていた皇騎が、ふと息をついて天井を仰いだ。黒いパイプが、衝撃で捻じ曲がり、所々落ちかけている。
「式神が彼を見つけました。……ヒロトは屋上に居るようですね」


□―――屋上
建設中だったビルの屋上には、柵も何もなく、平坦なコンクリートの大地には風が吹き抜けている。
ビル風は強く、傾きかけた落陽に灰色の床が赤い色を帯びていた。バタバタと屋上へと辿り着いた者たちの服を、風が鳴らしていく。
屋上のはずれに、ヒロトは立っていた。埃に服は薄く汚れ、こめかみから伝った血が乾いて、頬に黒くこびりついている。白かったシャツの脇は、時雨から受けた刀傷のせいで赤黒く汚れていた。
見晴らす東京の街並みは排気ガスにぼやけ、夕日が黒と赤のコントラストを織り成している。
変な形に口を曲げて、ヒロトが耳障りな笑い声を立てた。
憎悪と狂気に歪んだその顔は、妄執を張り付かせているさまが地獄の餓鬼を連想させる。
「実際あんたらはよくやったよ」
男にしては高い声で、ヒロトはへらへらと笑みを浮かべた。
「正義感ぶって、おれを追い詰めてさ。ああ、本当に大したもんだ」
傷が痛むのか、その顔が歪む。それでもヒロトは狂ったように笑うのをやめなかった。
「何おまえら、関係ないことに首を突っ込んでんだよ。あれか?お得意の正義感ってヤツ?言っとくけどな……」
芝居ぶって言葉をとぎらせたその瞳には、憎悪よりも狂気が強く宿っている。
「ツイてないやつが早死にするのは運命だろ?もっと生きられたかもしれないなんて思うのはバカげてる。そこでそいつの人生が終わるなら、それはそいつの運命だよ。俺に殺される運命だったんだよ」
「バカな。そんな運命があるわけがない」
喚くヒロトに、不快そうに皇騎が眉を寄せた。ヒロトは喋り続けている。
「早死にするヤツは、この世に必要ないから死んでいくんだ。俺はその運命に少し手を貸してやっただけだよ。なのに俺を憎むのは逆恨みってやつだろう?」
「運命をあなたが弄っていいとも思いません!」
みなもが眉を寄せる。
けたたましくヒロトは笑った。不快感を露わにした者たちを眺め、それが楽しくてたまらないと言うように笑い続ける。
笑い声は、突然ぴたりと収まった。狂気に占領されていたヒロトの瞳に、憎悪の暗い炎が再びちらつく。
「俺の邪魔をするな。俺がバカな人間どもを何人か殺したからなんだっていうんだよ。お前らだって俺に腹を立てたんだろう?だからここに居るんだよな?俺だって同じだよ。いざとなっちゃヒィヒィ泣き喚くしか能のないヤツらに嫌気が差したから殺したんだ。お前らに、偉そうに俺を糾弾する権利があるっていうのか!?」
屋上へと追い詰められたヒロトは、唾を飛ばして吐き捨てる。その顔に罪悪感は見られなかった。
息を吸い込んで、ヒロトは再びだらしなく口を開き、顎を上げて集まった者たちを見下した。
「俺とあんたらと、一体どれだけ違うっていうんだよ」

東京の街には、夕暮れ前の涼気を含んだ風が吹いている。
遠くに望む東京湾にともり始めた明かりは、場違いなほどに綺麗だった。







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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
 ・0461 / 宮小路・皇騎 / 男 / 20 / 大学生(財閥御曹司・陰陽師)
 ・1549 / 南條・慧 / 女 / 26 / 保健医
 ・0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
 ・1493 / 藤田・エリゴネ / 女 / 73 / 無職
 ・1252 / 海原・みなも / 女 / 13 / 中学生
 ・1564 / 五降臨・時雨 / 男 / 25 / 殺し屋

NPC
 ・太巻大介(うずまきだいすけ)/ 紹介屋
  年齢不詳。バカ力。男も女も結構平等。
  


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■         ライター通信          ■
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あわわ、お待たせしました!なんだかんだと付き合っていただいてありがとうございます!!感謝の言葉もありません。
痛い目見せてしまってすいません!なんとなく女性は守るんだろうなあというヒラメキから慧さんのかわりに捕まえてしまいました…。
ヒロトと追いかけっことかする暇なくてごめんなさい!(期待されていたのかどうか)
著者の能力不足で、色々プレイングが反映されていないところがあって申し訳ないんですが。
書いているほうはとても楽しかったです。
それぞれの行動を時間にあてはめるのはパズルみたいでした(アホだから)
なんだかこんなヤツですが、もしよろしかったらまた遊んでやってください!
ちなみに式神を使っての撹乱は、文にしないのが惜しいくらいステキな作戦でした。くぅ。

あ、メッチャ分かりにくい話の時間軸ですが。
シュライン&慧>宮小路皇騎>救出班>合流>瓦解>屋上
            >囮:南條慧
とこんな順番でございます。(それでもわかりにくいのはどうか)
慧さんの幽体離脱、太巻とシュラインさんのビル潜入、慧さんの囮作戦、救出班、とこんな順番でビルに入った模様です。

次回のアップは、来週以降になるかと…すいません〜!一体どれだけ待たせるのか……(殴)
ちょっとでも楽しんでいただけていたら幸いです。
では!

在原飛鳥