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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


忘れられた王国


 ヒトが消える。ひとり、ふたり、さんにん……
 死を間近に控えた者たちが、世間から忘れ去られた者たちが、牢獄であり楽園であるこの場所からひとり、またひとりと姿を消していく。



 じめりとした湿気が肌に纏わりつく6月の終わり。森に囲まれた郊外型の療養施設『夢見の里』から、ひとりの若い看護師が草間興信所を訪れた。
 似鳥由佳が勤める施設は、いわゆる精神疾患や年齢による障害のために、ひとり暮らしや家族では看ることが困難と判断された者たちが共同生活を営む場所である。
 何十年もの間、ここを訪れたものたちは互いを支えとし、施設のスタッフに手を貸してもらいながら、共に穏やかな時間を過ごしてきたのだという。
 ところが、そこでひとつの奇怪な現象が起き始めた。
「以前から無断で離院される方もいらしたことはいらしたのですが、完全に行方不明となる事は滅多にありません。なのに、今年に入ってから、その回数がひどく目に付くようになったんです」
 彼女は細い指で記憶を辿るように自身の唇をなぞり、視線をテーブルに落とす。
「夜勤者が見回るとベッドが空になっていたり、点呼をかけるとひとり足らなかったり。夕食までは確かにいたはずなのに、いつの間にか姿を消してしまうんです」
「警察には届けたのか?徒歩だとしたら、いくらなんでも夕飯から見回りまでの数時間でそう遠くまではいけないだろ?」
 確認するように、草間は咥えていたタバコを灰皿に押し潰し、向かいに座る由佳を見る。
「警察には届けました。でも…見つけられませんでした」
 彼女は困惑と不安をその表情に乗せ、俯く。
「……消えた方たちの中には、ご自身で動くことの出来ない身体レベルの方もいらっしゃったのです……」
 初めは、痴呆による徘徊や、幻聴や妄想などによる逃走ではないかと思われた。彼らは時折、自分たちとは違う世界で物事を見、判断し、唐突にそれを行動に移す。
 だが、どれほど広範囲に渡って捜索しても彼らの行方は掴めず、物理的に動けるはずのないものまでが消えたことで、事態は深刻みと共に不可解さをも増していった。
「何とかあの方たちを見つけて、保護していただきたいんです……起こりえないはずのことが起きてしまい、私たちにはもうどうすることも出来なくて……それに……」
「それに?」
「それに……」
 由佳は草間の問い返しの前に言いよどみ、逡巡を見せる。
 その表情は、言いようのない事象を前に、それが果たして他人に信じてもらえるかどうか、思案しているように思えた。
 草間はただ静かに、彼女の言葉の続きを待つ。
 何を聞いたとしても、それがどれほど信じがたいものだとしても、けして頭から否定するつもりはなかった。
 真実がいつも常識の範囲にのみ存在するわけではない事を、自分は嫌というほど知っている。
 そんな草間の様子に気付いたのか、由佳はようやく顔を挙げ、それから意を決したように口を開いた。
「利用者さまの中には、夜中に誰かが迎えに来たとか、おかしな足音を聞いたとか……それから……犬が二本足で歩いていたと、そんな話をされる方もいるんです」
 奇妙な現象の中で囁かれる、奇妙な噂話。
 現実と夢の狭間に生きる彼らの証言に有効度はないように思える。だが、看護婦であるが故に、どこかでそれら全てを嘘だと断じることが出来ないでいた。
 草間は彼女の視線をまっすぐに受け止め、そして、頷きを返すと、
「こちらから施設の方へ調査員を派遣することにしよう」
 不本意ながらも怪奇探偵との呼び名を得た彼の経験が、この事件に尋常ならざるものへの警報を発している。



 新緑に映える白い匣――――それが、車のフロントガラスに被さってくる草葉に視界を遮られながらもようやく辿りついた『夢見の里』に対する、調査員全員の共通した感想だった。
 そして、中には明るい陽光に照らされながら森の中に佇む匣が、ある種の墓標然として映るものもいた。最後の時を過ごす、出る事は叶わないのかもしれない場所。悲壮感すらもない、ただそこに住まうものたちの頭上に掲げられるもの。
「皆様は、これから施設長より利用者様にご紹介させていただきます。その前にお願いがあります」
 施設に入る前、由佳は5人を前に、看護師の顔でいくつかの注意事項を告げる。
 入居者たちの話がたとえ明らかに妄想だとしても、それを否定しないこと。常に安定した態度で対峙すること。平等であること。不安を煽る言動は慎むこと。
 基本的なその項目を彼女が挙げていく間に、車は広い庭を抜けて、車庫へと入っていった。



 空調の効いた涼やかな室内。高齢者や車椅子を使用したものが多く目に付く詰め所前のホール。そこで武田一馬は藤田エリゴネと共に、着いた早々アイドルと化していた。
 大学生という年齢はこの施設ではとても新鮮だ。そして、猫という生き物も。ひとりと一匹はあっという間に好奇心に溢れた視線に取り囲まれる。
「まあまあ、猫ちゃん!かわいいね〜かわいいね〜」
「坊やの名前はなんと言うんだね?」
「あ〜あ〜。なんだ?ん?なんだ?お〜お〜そうかそうか」
 言葉にならない言葉を発しながら腕を掴むものや、顔を覗き込んでくるもの、興味を惹こうとしきりに話しかけてくるものたちに、武田は愛想良く溌剌とした笑顔で対応している。
「よろしくお願いしますね!オレ、武田一馬って言います!こっちは藤田エリゴネさん。皆さんと七夕祭りを盛り上げたいと思います」
 施設長からの紹介で、彼らは調査員ではなく、近々行われるこの施設の催し物『七夕祭り』のボランティアということになっていた。
 ホールには大きな机がいくつも並べられており、その上には鋏やノリ、マジック、細長く切られた色とりどりの折り紙、新聞紙などが広げられている。
 はじめは遠くから様子を伺っていたものたちも、武田の声掛と、楽しげな明るい雰囲気に誘われるように、そろそろと寄ってくる。
「あ、あ……」
「大丈夫ッすよ。オレ、こっちやりますから、一緒に作りましょう」
 欲しいものに手が届かず、手足をばたつかせる老女へ折り紙を引き寄せながら、武田は警戒しつつも近づいてきたものたちを手招きする。
 とにかく彼らの話し相手になり、彼らの心を知りたかった。事件の真相を掴むより先に。
 自由とツーリングを愛する青年は、敬老精神の持ち合わせも十二分だった。
「武田さん、武田さん、こっち来て、こっち!」
「はい!待ってくださいね、今行きます!」
 医療関係の実習生や地元のボランティア団体が稀に訪れる他はほとんど客のないこの場所で、調査員たちの存在はひどく新鮮で刺激に富んでいる。
 エリゴネは自身が住み着いている老人ホームにここを重ねながら、慣れた様子で彼らの手から手を渡る。身体をすり寄せ、そのやわらかな毛並と優しい温度で触れるものの心を掴んでいく。
「にゃあう」
 ここで起こっている事件は他人事ではない。
 入居者たちの顔を見、名前を覚えながら、エリゴネは思う。自分が住み着いているあの老人ホームでも、もしかしたら似たような事件が起こりうるかもしれないのだ。
 この場所特有のものなのか、それとも移動しながらいつかは別の土地へと怪異の手を伸ばすのか、今の自分には分からない。
「いい子ね〜いい子ね〜」
 久しく触れることのなかった獣の手触りに、老女はうっとりと声を掛ける。
「あなたなら犬が来ても仲良くできるかしら?」
 ぴくりと、エリゴネの耳とひげがその単語に反応する。
「なぁう」
 彼女を見上げ、話を促すように一声。自分を撫でる手に頭や顔をすり寄せ、前足でちょいちょいと軽く手の甲を押しておねだり。
「なあに?もっと触っていいのかい?」
 エリゴネの意思は伝わらない。だが、ふたりへと視線を向けた武田が、彼女の言葉を代弁するかのように、話題を掘り下げる。
「犬が来るんですか?」
「そうよ。犬が来るの。ひたりひたりとやってくるのよ」
「ゆりちゃん、ひたりひたりじゃないぞ。こつこつ、かつんかつん、だ」
 横から別のものが口を挟む。
「ええと…見たこと、あるんですか?その、犬、みたいなものを?」
「足音を聞いたんだ。5号室の豊橋はあいつらと行ったんだぞ?」
「石橋さんもだ。連れてかれた奴のこと、羨ましい羨ましいって言ってたぞ。今度こそ次は自分だってよ」
「何で行きたがるかねぇ。俺はこっちがいいぞ」
 次々と同意を表し、そうして彼らは、武田とエリゴネの理解度など考慮することなく、彼らの世界でのみ分かる言葉を発し始める。
「小林の爺さんはどうしたっけ?」
「あの人ももうすぐだそうだ。7号室の小林な。犬が迎えに来るって言ってたからな」
 武田が幾度か口を挟もうとタイミングを計るが、一度走り出した彼らの流れを止めることは出来そうになかった。
 そして、彼らの言葉の中に微妙な引っ掛かりを覚えても、それを問うことも出来なかった。
「増田だ、増田。あいつは悪いやつだったなぁ。あいつもついて行っちまったのかな」
 勢いのままに話し続けるその言葉の端々から、エリゴネの意識は必要な情報を拾い上げていくことに専念する。



 海原みなもは、カンファレンス・ルームの机にノートパソコンを開き、その前に座った。
 青い髪が背を滑り落ち、彼女の頬にかかる。
 中学生である自分ができること。
 彼女はいつもそれを考える。
 水上とステラは、消えたものたちの身辺調査を中心にそこから類型化を図ろうとしている。それぞれのルートから導き出す答えが収束したとき、そこにはどんな真実が描き出されるのだろうか。
「まずは2本足で歩く犬さん……こちらの関係から調べようかしら?」
 はじめこの話を聞いたとき、彼女の脳裏に一瞬閃いたものはエジプトの神『アヌビス』だった。山犬かジャッカルの姿で描かれるかの者は、薬と毒を司り、死者の審判でもある。
 この地に伝わる民話や伝説の中にもしかしたらこれに類するものが存在しており、それが何らかの理由で今の事態を引き起こしている可能性が考えられる。
 みなもの指がキーボードをはじき、マウスが幾度も画面を変える。
 そうした作業を繰り返しながら、頭の中では由佳や施設長から聞いた話を反芻し、整理を行う。
 由佳はこの事件が起き始めたのは今年に入ってからだと言う。正月が過ぎ、節分が過ぎ、ひな祭りが過ぎ……さまざまな月毎の行事を経ながら、気付くと半年で行方不明は十件にも及ぶ。
 だが、中にはごく普通に離院を繰り返す例もある。
 警察から保護の連絡が来る。近隣の住民から通報を受ける。遠く離れた家族から、本人が訪ねてきたと連絡が入る。さまざまな形で、この施設を抜け出したものたちは行方が見つかるのだ。
 だから、異変に気付くのに時間がかかったのだと施設長は言う。
 また、その時期と一致して何か起きたかといえば、この療養施設『夢見の里』を設立したものが、65歳の誕生日を前に急死したことくらいであろう。
「ステラさんたちは何かわかったのでしょうか……」
 みなもはその部屋を後にした。
 結局、ネットの検索システムは自分に何の情報も与えてはくれなかった。この土地特有の民話なども、あるかもしれないが少なくともそれがweb上で公開されるほどの知名度はないらしい。
 手掛かりは、ここに住まうものたちの中か、あるいはこの建物を取り巻く森に存在するのかもしれない。



 水上巧の視界は安定しない。過去の映像や異形のものを鮮明に映すこともあれば、何かあるはずの空間に何も見ないこともある。
 そして現在、彼の霊視能力はほとんど発動していない状況だった。ただちりちりと、神経を微かに刺激するものを感じるばかりだ。
 手掛かりを求め、施設内を巡る。左手に小さなトランクを持ったまま。目撃者がいるのならその話を聞くために。
 ざらついた白い壁と、すべり止めの利いた床。木目を基調とした床頭台やサイドテーブル。蛍光灯で切れているものは一本たりともない。清潔な環境と整った設備の中で、なに不自由なく暮らしていける。
 だが、ここの空気は歪んでいる。
 水上の硬質な銀の瞳には、緑の隙間を縫って現れたこの施設が墓標のように写った。それはどこか不吉で予感めいたものであったのかもしれない。
 開け放たれた扉から見える一室。壁に掛けられたネームプレートには『106号室 清水昭二』と言う表示。
 ベッドに横たわったまま、じっと天井を見据えるその男は、2つ連結された点滴の管に繋がれていた。
 祖父のことが不意に頭を掠める。続いて両親。そしていずれは年老いていくであろう自分。
 軽く頭を左右に振って、浮かび続ける思考を打ち消す。これ以上内面を掘り下げ無用な感情を呼び起こす前に、水上はその場を離れようとした。
 だが、踵を返したその足を男の声が引きとめた。
「おやおや、今度は俺のとこかい」
 あまりにも明瞭な発音は、弱々しく横たわっていた老人が発したものとは思えないほど張りのある声だった。
 天井に固定されていたはずの視線は今、窓の向こうに注がれている。
 サイドビジネスとして調査を引き受けたジュエリーデザイナーは、厳しい表情で窓の向こう側に広がる深緑を見つめた。
 不意に視界を一瞬、黒い塊がよぎった。犬かなにかだろうか?そうも思ったが、そのものが放つ気は、今の水上にも尋常ならざるものだと分かる。
「……あれは…」
 唐突に水上の視界が清明となった。澄んだ水のように、世界は揺らぎ、鏡のごとくに幻惑の相を映し出す。
 ひとつに束ねた黒髪が背を跳ねる。
 水上は音も立てずに、深緑の裏庭へと足を踏み入れるための扉を目指した。
 


 エリゴネは入居者達に寄り添いながら、気配を探る。薄青のガラス玉を思わせる猫の瞳。その瞳孔が、針のように細く切れる。
 ここは、自分が住まうあの老人ホームとは似て非なる場所。だが、この失踪事件を解決できなければ、いつかあの大切な場所もここと同じ空気に染まってしまうかもしれないほどには、近しい存在。
「迎えに来るの。すこぉしずつ、すこぉしずつ……悪いヒトも弱いヒトも」
 二つに折った身体の間にエリゴネを抱きこんで、彼女は哀しげに呟いた。
「寂しいのよ。」
 腕の隙間から顔を覗かせ、届く頬にそっと鼻先をすり寄せる。そうしてざらつく舌で、自身の感情をコントロールすることの出来ない彼女がこぼす涙を拭う。
「ここに居たくないって言うの。私達と一緒なのに、置いて行っちゃうのよぉ」
 『闇』を感じる。人が内に飼い、獣であるこの身には測りえない暗くひずんだ気配。
 奇妙な違和感のわけを、エリゴネは彼女達の膝の上から覗いた、窓の向こうの庭先に見た。
 黒い影が、列を成してこの建物を取り巻いている。
「にゃん!」
 通じないのかもしれない。それでも彼女は声を上げる。するりと柔らかく彼女の膝を踏んで、床へ降り立つ。窓ガラスを、開けて貰わなくてはいけない。
「にゃ、にゃ」
 テーブルへ跳躍。着地と同時に武田の肩へ器用に飛び乗る。
「わっ!?なんだ!?」



 カルテの開示はされない代わりに、ステラ・ミラは医師と施設長の許可の下、看護師を通していくつかのファイルと資料を受け取っていた。
 この施設の入居者名簿には、現住所がここになっており、連絡先が記載されていないものがいくつも目に付く。一度もここを出ないまま、何十年と過ごしてきた者もけして少なくない。
 羅列されていくデータを目で追いながら、ステラの指は消えたもの達の名前の前にチェックを入れていく。
 名前、年齢、入居年数、疾患名、経歴。施設側から提示されたデータの中で、消えたものたちの中で特にこれといった共通点は見つけられそうもない。
 あるとすればむしろ、看護側からもたらされる記載されない記録の方ではないだろうか。
 彼女達はいう。彼らは夢に生き、夢に引き摺られ、現実からは遠く隔離されたものなのだと。そして、亡くなった設立者もまた、どこかで彼らの想いに共鳴していたのだと。
「こわいはなし、ですよね」
 無表情にそれらの記録を眺めるステラに対し、資料を抱えて入ってきたみなもはそう小さく言葉を洩らした。
「由佳さんが話してくれたんです……行方不明になった皆さん、ご家族からの捜索願は出されてないんですって」
 事件前後の背景を調べていく中で、眼前に突きつけられた現実。暗澹たる気分を引き摺ったまま、自分は彼らの記録をなぞる。
「……連絡をしたら、迷惑そうにもう電話をしてくるなって言われたこともあるって」
 ステラは彼女をその深淵なる夜の瞳で見つめ返す。
 みなもの表情は明らかに沈んでいる。
 感受性の強いこの少女は、
 目の前の少女に、先程ここへ来た由佳の姿が重なる。
 彼女もまた、ステラを前に独白にも似た呟きを洩らし、その表情を曇らせていた。

「あの方たちはもういないものとされて、存在を永遠にないものにされてしまって……何十年もこの白い匣の中だけで過ごしていくんです」
「私の友人が勤める精神病院では、たった150歩で一周できてしまうような狭いフロアで40年も過ごされている方がいらっしゃるんだそうです……何をするでもなく、ただ、食べて寝て…そこだけで彼らの日常は繰り返されるんです……」
「…あの方達の人生って…幸せって……なんなんでしょうね」

 世界の何たるかを知るために長い時間を過ごしてきた自分の前で、時にヒトは答えの出せない問いを繰り返す。
 ヒトは惑う。ヒトであるが故に。だからこそ興味深い。
 ステラの何千分の一にも満たない時間を生きる、あの年若い看護師も、そして海の色を映したこの人魚の末裔である少女もまた……
 視線を変えると、窓ガラスの向こう側では、入居者達が武田と共に楽しげに折り紙の輪を繋げてはそれを両手で広げ長さを競っている。それはとても穏やかで温かな日常風景。
「もしも彼らが自分の意思で行動し、この施設を出て行ったのだとしたら、みなも様はそれを連れ戻そうと思いますか?」
 ステラは表情を変えないままに、問いを投げ返す。
「………あたし……」
 逡巡。そして、
「あたし、本人達が帰りたくないなら、帰さない方がいい様な気がしてしまって……」
 みなもは視線を床に落として、呟く。
「いけませんよね……消えた方の保護を依頼されたのに、こんなふうに考えてしまうなんて」
 ステラの手が、みなもの肩に置かれた。慰めと労わりであったのかもしれない。あるいは、同意であったのかもしれない。言葉では語られないままに温度だけがみなもに伝わる。
「消えた方たちの想いも、大切にしましょう。一方的にこちらの都合を押し付けるばかりが仕事ではないのだから」
 古書店の店主ではありえない、ヒトでない者の瞳が、彼女に注がれる。
「二人も一緒に飾り付け、参加しませんか!?」
 唐突に飛び込んできた青年の声が、ふたりの間にわだかまっていた暗い空気を打ち払った。
 窓枠から身を乗り出し、武田が笑いかけてくる。後ろには、期待と好奇心に満ちた視線を二人に注ぐ十名近い利用者の姿もあった。彼らを引き連れだ武田の姿は微笑ましく、どこかツアーの添乗員を彷彿とさせる。あるいは引率の教師だろうか。
「これから笹をホールに立てて、あれこれ飾り付けするんですよ。皆さんの力作です!折角だから、一緒に短冊書いたりしましょうよ」
 一息でそれだけの言葉を告げ、ニコニコと屈託なく笑いかけながら、さらに身を乗り出す。そして、武田は、みなもとステラにだけ聞こえるようにこっそりと言葉を付け足した。
「エリゴネさんと黒い影を見ました。犬の話も聞けます。何か手掛かりが掴めるかもしれません」
 彼女達を見上げる青年の黒曜石の瞳。
 見つめ返すのは闇色の瞳と海色の瞳。
 視線が交わされ、そして頷きが返される。



 黒い異形の影が見えた場所まで、水上はひとりやってきた。
施設の裏に面した庭は、丁寧に芝が刈られ、石などの危険物が全て取り払われている。踏みしめた土の意外な柔らかさに、慣れない感覚でわずかな戸惑いを覚えた。
 周囲を見回すが、尋常ならざる気配を秘めたあの獣はどこにも見当たらない。
 冷静な観察眼が、溢れる木々や草の葉の緑を透かし、反射する白い壁の死角を探る。だが、歪な空気だけが残り、自分の眼にはその形も軌跡も辿ることが出来ない。
 溜息をひとつ。それから、手に提げていた小さなトランクを地に置き、開いた。そこに並ぶのは、美しくディスプレイされたアクセサリーと、台座などに嵌めこまれていない加工前の裸石である。
「これにしましょうか」
 その中のひとつ、紅水晶をそっと手の中に握り込む。霊視能力を高めるために必要な石。秘める力を解放させるように呼吸を整え、そして空間を凝視する。
 能力の発動。水上の視界が、世界を二重映しに変える。

 黒い影が列を成す。
 施設のどこからも見ることの叶わない、裏庭の死角。
 草葉が被さり、土に塗れてほとんど地面と同化した錆付いた扉。地下へと続く通路の入り口。
 虚ろな目をした壮年の男がその上に立つ。
 何かを呼び込むように、男は儀式めいた真似をする。その行為が示唆するものは……
 
「なぁう」
 灰色の獣がするりと足元に忍び寄る。いつの間にここへ来たのかは分からない。だが彼女が何を求めこの場へ降り立ったのかを水上は察していた。
「あなたにも、これが見えるようですね」
 一瞬和んだ視線で、足元で自分と同じ空間を凝視するエリゴネに声を掛ける。
 今の水上には、彼女もまた、ある種の異形として映っていた。猫でありながら猫ではなくなったもの。そのうちに秘める思いと力。ともすれば人すらも凌駕する。
 問いかけに応えるように、彼女は彼女の視線で答えを返す。
 
 黒く歪な異形の影が見える。列を成し、ゆらりゆらりと不定形な輪郭で匣を取り巻く。あるものは踊り、あるものはただ項垂れながら、錆付いた扉の上から這い出ては、白い匣の中へと消えていく。その先頭を行くものは、この場所に彼らを呼び込んだ壮年の男。
 闇色の行進。過去であり未来であり暗示である、奇妙な影絵映像。

さみしいここではないどこかへさみしいここではないどこかとおくにいきたいとおくここではなく

 影がまとう思いの渦を肌に感じながら、エリゴネは思う。施設に住まう彼らが囁く、夜の訪問者。この行進についてゆくことが出来たなら、真実により容易く辿りつくことが出来るのではないか。
 寂しいと泣く彼女のためにも、為せることを為す為に。



 夢見の里に夜の帳が下りる。
 
 非常灯だけが転倒する廊下を、武田は一人、懐中電灯片手に巡回している。
 時折彼の胸で閃くのは、水上が用意した蛍石のペンダントだ。
 夕食の時間を前に、調査員達で一度カンファレンス・ルームに集まった。互いに得た情報を公開し、今夜取るべき行動を打ち合わせるために。
 今夜、訪問者が現れるとすれば、対象となるべき人間は3人。由佳の代わりに巡回の意思表示をしたのはひとりと一匹。
「では私の方でひとつ手を打ちます。事前準備といきましょう」
 水上が取り出したペンダントは、次に消える可能性の高いもの達に渡されるべきもの。
「万が一、巡回の間でついていったとしても、我々が訪問者の撤退に間に合わなかったとしても、この石が持ち主の居場所を私に囁いてくれます」
 ようは発信機とか迷子札とかそういうもんの代わりなんだな、といった自分の言葉に、水上は穏やかに微笑んで肯定の頷きを返した。
 そして、彼は、施設の許可と協力を得て対象者3名の身に付けさせ、そして武田とエリゴネの首にもこれを掛けた。全ては『万が一』のために。
「……あれ?」
 カンファレンスの回想から意識を浮上。廊下の隅に蹲る影を発見する。
いつからそこにいたのか、老人がひとり、窓から差し込む明かりの中で床に座りこみ、虚ろに天井を見上げていた。リネン庫の表示が、壁に取り付けられている。
「ええと…」
 宿直用の懐中電灯を向けながら、武田は記憶の中の人物と照合し、
「小林、さん?」
 驚かさないように、刺激しないように、思いがけない反響で周囲の迷惑にならないように、極力抑えた声で武田は彼の名を呼ぶ。
 昼間の老人達の言葉がよみがえる。
 彼にはもうすぐ迎えが来る。
 ひたりと寄り添う黒い影。人口の光に照らされたそれは、ゴムの質感を供えた肌をもつ異形。落ち窪んだ虚ろの瞳が、闇の中から小林を挟んでじっとこちらを見つめている。
 武田の足と言葉が止まる。瞬間。後頭部に重い衝撃。無防備となっていた背後からの不意の一撃。
 目眩。激痛。小さな呻き。
「……小林…さ…ん……」
 視界の暗転。呟きを残して、武田の身体がどさりと床に崩れ落ちる。
 武田の意識を奪ったそれは、揺らぎながら非常灯だけがともる暗闇の中をこつこつと歩いていった。


 完全なる闇に同化した灰色の猫は、6号室に入り込むと、上品なフランスの貴婦人へとその姿を変えた。そうして、死の影を色濃く落とす男のベッドサイドにそっと佇む。
 これは彼女の予感。
 不意に足音が近づいてくる。ナースシューズでも、スリッパでも、運動靴でもない音。例えるならばそれは、限りなく蹄のそれに似ている。
 真夜中の訪問者。全身の神経を張り詰めて、エリゴネは扉へと視線を向ける。
「おやおや、ようやくお出ましかい」
 それまで深い眠りに落ちていたはずの清水が、ぱちりと目を開き、唐突に言葉を発した。その先にいるものに微笑みかけてすらいる。
 禍々しきゴムの肌とロバのような蹄を持つ異形。入居者たちが囁いていた、二本足で歩く犬。……犬などでは断じてない。裂けた口と異様なほどに大きく尖った耳、突き出た鼻梁、わずかな光の中で閃く瞳が、老人達の世界で犬の姿をなしたに過ぎない。
 無言のままに、訪問者は清水をベッドから担ぎ出す。脚力の衰えたその男を支えるように。
 ついて行きたいとエリゴネは望む。
 それに応えるように、列に連なる別のものが、当たり前のようにエリゴネの手を取った。
 彼らの虚ろな目に殺意も悪意も存在していない。機械的ですらある、感情のない瞳。
 エリゴネは胸にかかる蛍石をそっと手の中に握り込み、彼らの住まう王国へと歩みだした。


「武田さん、大丈夫ですか?武田さん?」
 覚醒を促すように、水上が軽く何度も頬を叩く。声を掛け、肩を揺する。
「ううっ……」
 後頭部に走る鈍い痛みに顔をしかめながら、武田はようやく身体を起こす。自分を伺うように屈み込む由佳の姿もあった。
 どれだけの間、自分が気を失っていたのかは分からない。だが、こうして仲間が駆けつけてくる程度には時間は経過しているのだろう。
「小林さんがあいつらの迎えについていったみたいです」
 何とか頭を振って、意識の明瞭化を図る武田。
「エリゴネさんと清水さんも、です。石橋さんはまだいらっしゃいました」
 1号室から8号室が並ぶ廊下から、みなもがステラとともに懐中電灯を手に歩いてくる。
 彼女達はこのフロアの部屋をひとつひとつ確認してきたらしい。
「……では、追いましょうか」
 彼に手を貸されながら、武田も立ち上がる。
「あの……」
「似鳥様も、ご同行願えませんか?」
 戸惑うように手を伸ばしかけた由佳に、ステラは静かに声を掛ける。それはどこか、覚悟を促しているかのようにも聞こえる。
「安全はお約束します」
 全員の目が彼女に注がれる。白衣をまとうが故に、彼女は一瞬の迷いのみでステラたちを見つめ返した。
「もうひとりの夜勤者に声、掛けてきます。皆さんと一緒に消えた方を探しに行くと……」


 蛍石の囁きが、水上に彼らの住まう世界への道を示す。
 ヒトの耳には聞こえない、遠い歌。遠い呼び声。同胞となるべきものにだけ届く音。
 ひそやかな気配だけが、あたりを取り囲んでいる。
 辿りついた先は、昼間、水上がエリゴネとともに黒い列を幻視したあの裏庭の扉である。
 地面に張り付いたそれは、武田と水上両名の力を以ってしても口を開こうとしない。僅かな軋みも上げず、沈黙を保つ。
 何らかの呪術的な効果が、そこには施されているのだと考えた方がよさそうだった。
「私が扉を開きます」
 ステラは厳かにこの世のものではありえない旋律を紡ぐ。声なき声。言葉なき言葉。時空を超えて作用する、彼女の力。
 捩れ、閉ざされた世界が、彼女の声を前に再びその扉を開く。



 静寂の中に沈みこみ、地下へと続くその行進は、病んだ心と夜の眷属が織り成す奇怪な光景であった。
 闇よりもなお深い闇。
 あらゆるものを包括した真黒ではなく、あらゆるものを排除した凍れる虚無。
 雪炎に似た光が、闇色の空間に踊る。
 ひとつの王国。ひとつの世界。夢幻に彩られた深い闇の底。
 石造りの塔が無造作に林立し、灰色の影を乾いた地に落とす。
 逆巻いて揺れる暗い草原。連なる山。頭上にあるのは、まぎれもない天上。
 エリゴネは厳かな闇の行列の一端から外れることなく、歩き続けた。
 彼女の中に恐怖はない。
 居場所を知ることで、依頼は遂行される。自らの意思で彼らに手出しすることなく、その深みへと進むその姿は、どこか巡礼者めいたその中で不可思議な同化を果たしていた。
 そうして、黒き列は、巨大な石が環状に立ち並ぶその奥へと吸い込まれていく。
 どこか祭祀場めいた雰囲気に、むせ返るような腐臭が漂っている。
 眉をひそめ、エリゴネは続く。
 サークルの中央には、祭壇と思しきものに横たわる影がひとつ。その傍に立つのは、異形の内にありながら衣を纏い司祭らしき振る舞いをするもの。
 先頭から順に、彼らはその塊を引き千切り口にしてはその影に深く頭をたれる。
 エリゴネは自分の番が近づくにつれ、それが何であるのかを知る。
 神への贄であるかのように横たわるそれは、かつて人であったものの残骸とも言うべきもの。喰いかけの死体。手足は引き千切られ、乾いた赤黒い液体のこびりつくそれらは既に原形を留めてはいない。
 死肉を口にして、彼女の前で男が異形の一歩を踏み出していく。肌の一部、顔の一部、腕の一部がここに住まうものに近づく。
 彼女は息を呑み、そして列を乱した。儀式に参加する意思は彼女にはない。仲間になるつもりもない。
 それが怒りに触れたのだろうか。
 それまでいっそ厳粛ですらあった者達が、司祭の恫喝とともに粛清を与えるべくエリゴネに襲い掛かってきた。
 突然動き出した世界。押し寄せ、取り囲み、牙を剥く。それは統率された意思である。
 エリゴネは人から獣へと姿を変え、彼らの手を逃れて走り出す。



 延々と続く階段が終わり、降り立った場所は、地下室でも地下通路でもない異界。土があり、淀んだ空があり、風が舞い、遠くにはどこまでも続く山脈と岩場。
 高く澄んだ雫の落ちる音。
 光の波紋が空間に広がる。
 静寂の中のかすかな共鳴。
 覚醒から精神世界の深淵へと降りていく緩やかな階段。周囲を照らすほのかな明かり。
 闇のなかでひたすら繰り返される、美しい光景。
 永劫の時を渡るステラだけは、そこがいつかどこかで見た景色であることに気付いていた。
「ええと…こっちでいいんですか、水上さん?」
「間違いありませんよ。大丈夫です」
 周囲を見回しながら問いかける武田に、水上は自信を持って頷く。蛍石の囁きは、徐々に強くなっている。 あの、環状列石を目指した先に、彼女と、そして2人の老人達がいる。これは予想ではなく、確信。
「きゃっ」
 何かに躓き、みなもが前に倒れ掛かる。
 全員の目が彼女とそして原因へ向けられた。
「っ!」
 呼吸が一時停止する。
 由佳は口元を押さえ、ニ三歩あとずさり、よろめいてその場にへたり込んだ。
 何かに縋り付こうと伸ばされた由佳の手を取り、みなもは震えを止めるように強く抱きしめる。
 どろりと黒く変色した残像が、網膜に焼き付いて消えない。
 武田の身体が、みなもと由佳の視界を遮るように立ちはだかる。水上が彼女達を護るようにすぐ後ろについた。
「ひどい……」
 不意に静寂を破る唸り声と怒号、言葉にならない言葉を発し、黒い塊が押し寄せてきた。
「な、なんですか?」
「あ。あれはエリゴネさん!?」
 目視できる範囲に、灰色の猫を認めて声を上げる武田。
 すでにヒトであることをやめた者達、一度たりともヒトであろうとしなかった者達が、邪気と悪意を孕んで攻撃を開始する。
「やめて!やめてください!!」
 由佳が悲痛な叫びを上げる。
 彼女はその中にかつて知る穏やかな老人たちを見ていた。自分が看護し、何年も関わってきたもの。それが、見知らぬ何かに変容している。
 異様な光を秘めた虚ろな瞳は、彼らが既に自然外の存在であることを物語る。
「オレ、行きます!」
 武田の周囲に光の柱が幾条も立ち上がり、力場を召喚。ごごご…と地響きを上げてバイクがその地中から姿を現した。
 彼が相棒とするそれは、一見すれば、廃品間近の錆付いたバイクであり、その能力は実際に動くのかどうかさえ疑わしい。だが、武田が手を掛け、跨った瞬間から、750ccのそれは間違いなく力ある存在へと変貌するのだ。
 クラッチを踏み、セルモーターのボタンを握り締め、アクセルを回す。
 空気を震わす爆発音。エンジン点火。闇を切り裂いて疾走。
 どうしてこんな状況に陥っているのか、今の自分には分からない。だが難しいことはともかく、武田は彼女をあの黒い異形から助け出すことを選んだ。
 エリゴネの爪が腐臭の漂うそのゴムのような肌を引き裂く。取り囲むものたちが呻き声を上げて、それは濁った血液を周囲に撒き散らす。
 覆い被さって来るものの中心にバイクを突撃。
 車体をギリギリまで倒し、腕を伸ばして、埋もれ喰われる寸前だったエリゴネの身体を左腕で拾い上げる。
「お待たせ!」
「にゃん」
 その全てを見据えながら、怯えて座り込む由佳とみなもにステラは問いかける。
「あの方たちを連れ戻したいと思いますか?」
 この世界にありながらも、彼女の表情はどこか超然として、一切の感情がそこにはないかのように落ち着いていた。
「望むのなら、私はそれに応えることも出来ます。けれど、それで本当に構いませんか?」
 由佳は何も言わない。みなもがそっと彼女の肩を抱く。
 遠くで、武田の操るバイクが見える。
 呻き、なお喰らいつくその異形のものたちに、なぜこんな理不尽な真似を自分達にするのかと、問いかけられている気がするのはなぜだろうか。
 長い沈黙。ステラは彼女の答えを待っている。みなもは何も言わない。水上は、そんな彼女達を静かに見守っている。
「…………」
 消えてなお、家族から捜索の依頼も不安を訴える声も届けられぬままでいる彼らを、この世界から呼び戻す権利が自分にあるのか、彼女は自分自身に問い直す。
 由佳は、ただ一度、首を横に振った。
「では、争いを止め、交渉といきましょう」
 チカラある声。言霊の発動。
 ステラが身に纏うものは、この世界のどこにも存在しない神の衣。
「無用の争いはよしましょう」
 ゆっくりと歩を進める。
 彼女に気圧され、異形のものを支配していた感情の昂りの波がすっと引いて行く。人であり人でない者たちは一歩、また一歩と後ずさり、彼らの長に続く道をあける。その光景はまるで、聖書の中に語られるモーゼの一説を思い起こさせる。
 エリゴネを抱く武田もまた、彼女の声が届くと同時にバイクを止め、視線を注ぐ。
「今後一切の干渉をなさず、このまま地下世界で生きていくのなら、私はそれを容認します……我々もまた、あなた達の世界への干渉を今後一切いたしません」
 彼女のための道を歩みながら、ステラはこの異形の住民を束ねる中心に向かい、力を込めて言葉を発し続ける。
「なにごとかの契約が為されているのなら、今この瞬間にその破棄を」
 司祭の衣をまとう異形は、彼女の意図を、そして彼女を取り巻く力を凝視する。
「これ以上の行為を続けるのであれば、私はあなた達をこの力で以って滅ぼさなければならない。ですが、それは無意味であると知っています」
 けして脅しではない、真実、チカラあるものだけが持つ凍れる瞳で魔物を射抜く。
 闇の中で光が揺れる。
 司祭は、仲間達に向かい、彼の歪な右手を上げた。そして、ゆっくりと背を向けた。
 彼らもまた、それに続くように、仲間の屍骸を残したままゆらりゆらりと歩き出す。
 戦意は既に喪失している。
 彼らは列を成し、巡礼者の相を呈して地下の王国よりもなお深き世界へと連なる。
 それは彼らが内に秘める望みゆえなのか、それとも人外と化した本能がそうさせるのか……
 人でありながら人ではなくなった者たちの背を、みなもはただ、由佳の手を握り、見送ることしか出来なかった。
 武田も水上も、そしてエリゴネも、引き止めることはしない。ステラと彼らの間で交わされた約束に異を唱える真似はしなかった。
 
 異形の世界と現実を結ぶ幻想的な階段を上り、地上に辿り着くと、ステラは錆付いた扉を前に静かに封印の呪文を詠唱した。
 永久にこの場所が開かれることのないように。
 
 事件は終焉を迎える。

 王国の扉は閉じられた。
 彼らの人生とはなんであったのか―――――
 彼女がこぼした問いの答えが見つかったのか、それは定かではないけれど、あの白い匣から人が消えることはもうないだろう。
 それが本当に正しい選択であったのか、その答えを知るものもいない。

 忘れられた者たちが織り成す、忘れられた王国の物語。
 もしかすると、いつかまた、別のどこかで、この物語は形を変え綴られるのかもしれない。




END


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1057/ステラ・ミラ/999/女/古本屋の店主】
【1252/海原・みなも(うなばら・みなも)/13/女/中学生】
【1493/藤田・エリゴネ(ふじた・えりごね)/73/女/無職】
【1501/水上・巧(みなかみ・たくみ)/32/男/ジュエリーデザイナー】
【1559/武田・一馬(たけだ・かずま)/20/男/大学生】

【NPC/似鳥・由佳(にとり・ゆか)/25/女/看護婦】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、こんにちは。新米ライターの高槻ひかるです。
 この度は当依頼にご参加くださり誠に有難うございます。
 大変お待たせ致しました、『忘れられた王国』をお届けいたします。
 今回、初めての5名様同時描写ということで、予定よりも随分と長いお話となってしまいましたが、いかがでしたでしょうか?
 少しでも皆様のPCイメージに近い描写、楽しめる展開であればと思います。


<海原みなもPL様
 二度目のご参加有難うございます。施設における現実を前に、13歳という感受性の強いみなも様には、色々と由佳とともに悩んでいただきました。
 プレイングの中で、みなも様の考え方や疑問に思われることはとても印象的です。

 それではまた、別の事件でお会いできますことをお祈りしております。