|
最期の華
□■オープニング■□
ある日雫のサイトにこんな募集が書きこまれた。
すみません 投稿者:翠(スイ) 投稿日:200X.07.01 13:05
サイトの主旨とはまったく関係がないのですが、
書かせて下さい。
私、小さい頃から心臓の病気でずっと入院していたんです。
それでやっと明日退院できることになったので、
外で思い切り遊んでみたいと思ったのですが、
なにぶん病院暮らしが長かったものですから、
どうやって遊んだらいいのかわかりません。
教えてくれる友達もいませんし……。
どなたか私に遊び方を教えてくれませんか?
>サイトの管理人さんへ
こんな書き込みをしてごめんなさい。
でも私、このサイト大好きなんです。
病院からいつも見てました。
だから、同じようにこのサイトを見てる人なら
気が合うんじゃないかと思って……。
こういうのがダメでしたら削除して下さいね。
それでは。
□■視点⇒海原・みあお(うなばら・みあお)■□
7月のとある週末。新宿駅前にて。
あの書きこみを見て、翠(スイ)と遊ぼうと集まったのはみあおを含めて5人。自己紹介は翠が来てから……ということになったので、皆まだ名乗ってはいない。とは言っても、みあおは全員顔見知りだったりするけど(笑)。
「――で、俺たちはこうして会えたが、肝心の主役とはうまく合流できるのか?」
心配そうに口を開いたのは時雨。それに羽澄が答える。
「それは大丈夫だよ。目印に私の服装を指定しておいたからね」
言われて改めて羽澄の格好を眺めてみた。確かに、ウェスタンハットだけでも十分に目立つ服装だ。手には、都会には不似合いなピクニックバッグを持っているし。
「それに、みさのコレも結構目立つでしょ?」
続けて告げたみさきは、羽澄のカッコイイ服装とは対照的に、とても可愛らしい服装をしていた。そして手には、何やら少し重そうな荷物を抱えている。
「携帯式のキーボードですか。確かに目立ちますねぇ。――もっとも、僕がいるだけでも十分に目立つと思いますけどね(笑)」
そう告げたヨハネは"いつもの"格好。「違いない」と、皆が笑いながら頷く。
「心配無用だね〜」
みあおも笑いながら告げた。
目立つことにかけては困らない5人のようだ。
ちなみにみあお自身も、よく手入れされた自慢の銀髪が日光を反射してよく目立つ。
「――あ、あの娘じゃないでしょうか?」
ヨハネの視線の方向に、皆の顔が動いた。みあおも当然見るけれど、背の小さいみあおには人ごみが邪魔でよく見えない。
それでもやがて、人ごみの中から1人の女の子がまっすぐこっちに向かって歩いてきているのがわかった。
(あの子が翠?)
みあおよりは年上のようだ。16歳くらいかな?
「あの……羽澄さんですか?」
さらに近づいてきたその子は、羽澄に向かって問いかけた。
(ビンゴ★)
「ええ、そうよ。あなたが翠ちゃんね?」
「はいっ。今日はよろしくお願いします、皆さん!」
言葉と一緒に、翠の麦藁帽子がみあおに近づいて遠ざかる。揺れる髪に、ふと。
(あ……)
病院の、においがした。
とりあえず近くの喫茶店に入って、お互いの自己紹介を始める。最初はやっぱり今日の主役・翠からだ。
「改めて、初めまして! 私がBBSに書きこんだ翠です。今日はわざわざ集まって下さって、本当にありがとうございます。すごく楽しみにしてたんで……皆さんにお会いできて嬉しいです。よろしくお願いしますね」
そして視線は隣のみあおに移った。どうやら時計回りでいくようだ。
「海原・みあおだよ♪ みあおもすごく楽しみにしてたんだ〜。よろしくね」
「鳴神・時雨(なるかみ・しぐれ)だ。よろしく」
みあおの向かいに座っている時雨が続けた。次はその隣の。
「光月・羽澄(こうづき・はずみ)よ。今日は思いっきり遊びましょ! よろしくね」
「ヨハネ・ミケーレと言います。ええと、僕もあまり外で遊んだことがないので大してお役に立てないかもしれませんが……一緒に遊ぶことくらいはできますので。めいっぱい楽しみましょう」
ヨハネはにっこりと笑う。
その向かいは。
「ピアニストの卵、杉森・みさき(すぎもり・みさき)でーす。なんか妹ができたみたいで嬉しいな♪ 今日はよろしくね」
一周して、翠に戻ってきた。
「みあおさんに時雨さん、羽澄さんにヨハネさん、みさきさんですね! ばっちり覚えましたよ。――それで、今日はどんなふうにして遊ぶんでしょうか?」
待ってましたとばかりに、みあおは手を上げる。
「はいはーい、遊ぶことに関しては任せてっ! じゃ〜ん」
昨日購入して熟読してきた本を取り出した。
「『東京デートスポット』……? あら、そんな便利な本もあるんですね!」
翠が瞳を輝かせる。
「どこ行こうか? 遊園地? 水族館? 公園? アミューズメントパーク? ウィンドウショッピング? 色んな情報が載ってるよっ」
翠がどこを選んでもいいように、みあおは色々と構想を練ってきた。まるで遠足の前日みたいで、それだけでも十分楽しかった。
「みさにも見せて〜」
「僕も見たいです」
テーブルの上に本を広げて、皆で覗きこむように見る。
「翠ちゃん、あまり心臓に負担がかからないようなとこの方がいいわよね?」
羽澄が問うと、翠の顔が少し曇った。
「そうですね。軽い運動は大丈夫だって言われてますが……。本当は絶叫マシンとか挑戦してみたかったけど、無理みたい」
「では遊園地は向かないな。目に入ると余計乗りたくなってしまうだろう」
時雨の言葉はもっともだった。乗るつもりがなくても、乗りたくなってしまう。遊園地の中にいたら、音だって声だって聞こえてくるだろうから。そんな拷問みたいなことはしたくない。
「んじゃ、これはどう?」
みあおは水族館のページを開いた。
何かあった場合すぐに救急車を呼べたり、対応の早い場所――ということで、昨日から目をつけていた所だ。それに水族館なら、静かで落ち着けるし、衝撃なんかない。
「わー、水族館! 一度行ってみたいと思ってました」
翠が嬉しそうな声をあげる。
「マグロの回遊も観れるんだって。面白そう〜v」
「結構大きい所みたいですね」
「とりあえず決まり?」
「のようだな」
お互いの顔を見やって、頷く。
残っている飲み物をしっかり飲みほしてから、早速電車で目的の場所へと向かった。
★
水族館の中では、翠を追うことで大変だった。よほど嬉しかったのか、水槽が現れるたびに走って近づきみあおたちを手招きする。
「こっちこっち! 見て、私あんな魚見たの初めてですっ」
翠にとって、"初めて"じゃない魚を探す方が難しいようだ。
「翠ちゃん、こっちもこっちも。凄いよ〜」
「どれどれ? わー、可愛いvv」
「これもなかなか」
「おっきいですねぇ」
一緒になってはしゃいでいるのはみさきとヨハネで、羽澄と時雨はその様子を微笑ましく眺めていた。
(……じゃあ、みあおは?)
「――どうしたの? みあおちゃん」
「えっ?」
「いつもならみあおちゃんも、"あっち"だと思うんだけど」
そう、みあお自身もそう思う。
みあおだって。
(心がワクワクいってる)
でも素直にはしゃげない。
「うん……」
(なんでだろう?)
自分でもわからずに曖昧な返事しかできなかった。
「? どこか具合でも悪いのか?」
時雨の問いに首を振る。
「ぜ〜んぜん、元気だよっ」
「……ならいいが」
そこに館内放送が流れた。もうすぐイルカショーが始まるというものだ。
(これはぜひ見なきゃ!)
「ほら、イルカショー観に行こっ!」
2人を引っ張って、3人の方へ向かう。
その自分の些細な"ズレ"に気づいたのは、イルカショーを見ている時だった。
イルカが水面から飛び上がるたびに、わきあがる歓声。それにはみあおの声も混じっていた。皆と一緒になって、可愛いイルカに声援を送っていた。
(ああ――そっか)
素直に楽しめる自分に、気づいた。
(みあおはガラスが、ダメなんだ)
ガラス管の中にいた頃の自分を思い出す。ガラスを通してこちらを見る魚たちの視線が、みあおは気になって仕方がなかったのだ。
(きっと皆)
あの中にいて自由なのだろうけれど。
可哀相と思ってしまうのは、みあおがホントの自由を手に入れたから。
(いつか自由になれるよ)
みあおみたいに、自由になろう?
そう考えてから。
イルカショーを見終わったあと水槽の前に戻っても、皆と一緒にはしゃげるようになった。
時刻は既にお昼を回っていた。
「そろそろおなかが減りましたねぇ」
もらしたヨハネの声に、皆同意する。
「ご飯どうしよっか? どこかお店に入る?」
「折角だから、外で食べない? お菓子とお茶なら持ってきたんだ」
みさきに羽澄が答えた。ピクニックバッグの中身はそれか。
「確か外におっきな公園があったよね」
思い出しながらみあおが告げると、皆の足は既に出口へと向いていた。
「私外で食べるのも初めてです」
翠の発言はすっかり決まり文句だ。
水族館の外へ出ると、高くのぼった太陽がさんさんと照りつけていた。ピクニック日和ではあるけれど結構暑そうだ。
「俺は飯になるようなものを何か買いに行ってくる。先に公園へ行っていてくれ」
すぐ手前に見える公園へ向かおうとしたみあおたちに、立ちどまった時雨が声をかける。
「え? お1人でですか?」
きょとんとした翠に、時雨は。
「貴様も来るといい。絶叫マシンとまではいかないが、それなりに面白いと思うぞ」
「? ?」
首を傾げる翠に、羽澄は笑って。
「行ってらっしゃい、翠ちゃん。なかなか体験できないことだと思うわよ?」
「? そうなんですか?」
「ええ」
ちなみに首を傾げているのは、みあおとみさき、ヨハネも一緒だ。
「わかりました。じゃあ時雨さんと一緒に買出し行ってきます!」
「日陰に用意して待ってるわね」
「はいっ」
元気よく返事をしてから、翠は先に歩き出した時雨を追いかけるように歩いていった。そのまま目で追っていると、2人は水族館の裏手へと消えていく。
「何の話なの?」
不思議そうに問うみさきに、羽澄はまた笑って。
「今通るわよ。――ほら」
羽澄の視線を追うと、裏からバイクに乗った2人組みがゆっくりと出てきた。運転しているのは時雨で、後ろに乗って手を振っているのは翠だ。
「なるほど。あれは僕も乗ってみたいなぁ……」
羨ましそうに告げたヨハネに、皆で笑った。
それからみあおたちは公園に移動して、木陰にレジャーシートを広げた。羽澄は最初から予定していたらしく、色々と持参してきていたのだ。
紙コップやお皿、割り箸などを並べて、2人の帰りを待つ。ケーキなどのお菓子類は、一応ご飯のあと、ということになった。
やがて戻ってきた2人が買ってきたのは、オードブルとおにぎりだ。
羽澄は魔法瓶に入れて持ってきたアイスティーを皆に振る舞う。そして翠の退院を祝して乾杯! 楽しい昼食兼お茶会が始まった。
翠は好き嫌いがないようで、何でもよく食べた。
「大勢でわいわい食べると美味しいって聞いてたけど、ホントですね!」
嬉しそうに笑う。
(そうなんだ)
食事をいちばん美味しくするのは、誰かの笑顔。翠はこれまでそれすら、体験したことがなかったのだろう。
(今日は思い切り)
楽しんでほしいな。
改めてそう思った。
食事が終わったあとは、少し休んでから皆で走り回った。手始めに鬼ごっこから。翠はその手の遊びも何も知らないというので、変形版も次々と教えこんでゆく。色鬼や缶蹴り、滑り台鬼。ついでにトイレの花子さんや丸学校などもやってみた。
皆もお互い知らない遊びなどがあって、かなり面白かった。
疲れたら木陰に戻って、羽澄が作ってきたお菓子をいただく。クッキー、マドレーヌ、シフォンケーキなど、焼き菓子がたくさん並んでいた。
「外で遊ぶのって、こんなに楽しかったんですね! よく今時の子供はテレビゲームばかりやってて外で遊ばないって聞くけど、それって凄く勿体無いんだな〜って、思いました」
クッキーを美味しそうに頬張りながら、翠が感想を述べた。その翠は、これまで外で遊びたくても遊べなかったのだ。自由に外で遊べるはずの子供が外で遊ばないのは、やっぱり何だか哀しいことだとみあおも思う。
「ね! 次はサッカーしようよ。さっき草むらで見つけてきちゃった」
そう言ってみさきが取り出したのは、汚れたサッカーボールだった。どうせ手で触るわけじゃないのだから、汚れていても問題ない。
「え〜カルチョですか?」
「なぁに? 苦手なの?」
「見るのは割と好きですが、やるのはちょっと……」
自信ないです、とヨハネが呟く。
「大丈夫よ〜。別に公式ルールでやるわけじゃないんだし。テキトウにボール蹴り返せばいいのよ。ね? やろ、翠ちゃん」
「はい! やってみたいですっ」
――というわけで、有無を言わさずサッカー大会に突入した。
「ほらヨハネ君! こんなふうに――えいっ!」
見本を見せるように、みさきがボールを蹴る。しかしみさきはフリフリヒラヒラのミニフレアースカートだ。
「わわわ。あのーみさきさーん……」
別の意味でヨハネは混乱している。
「こっちこっち!」
「いったよ〜」
「皆なかなかうまいわね」
「えーん、変な所にいっちゃうよ〜」
「つま先でなく、足の内側で蹴ったらどうだ」
「あ、なるほどー」
何度かボールを回しているうちに、皆うまく蹴れるようになった。
「うんっ、いい調子」
それに蹴っているだけでも、何だか楽しい。
(だからサッカーって、世界中でやられているのかな?)
「――皆して僕をいじめてませんか?」
顔を真っ赤にしたまま蹴るヨハネに、羽澄は笑って答える。
「何のことかな?」
「みさきさんにボールが渡る回数が多いような気がするんですけどー……」
「それは多分みさがうまいからよ!」
「うー」
実際に見えているわけでは当然ないのだけれど、ミニスカートだけになかなか凶悪なのだった。ちなみに時雨はまったく動じていない。
そうしてしばらく遊んでから、また座って休んだ。陽はもうある程度傾いてきていて、だんだんと涼しくなってきた。
「翠ちゃん。こんなに身体動かしたの初めてでしょ? 結構疲れたんじゃない?」
新しく注いだアイスティーを手渡しながら、羽澄が問いかけた。翠は苦笑して。
「ええ。でも、凄く気持ちいいんです。運動がこんなに気持ちいいなんて知らなかった。一度でも、体験できてよかったです」
「何言ってるの! これから何度でもできるじゃんっ」
(退院できたんだもん、できるはずだよね?)
みあおが告げると、翠は何も応えなかった。
「――まさか……」
誰かが呟く。
(まさか?)
「気づいてる方もいますよね。どうして私が退院できたのか」
「治ったからじゃないの?」
「治る見込みがないからよ」
「?!」
きっぱり言われなければ。みあおは多分気づかなかっただろう。
(治る見込みがないから?)
最期に思い切り遊ぼうって?
「――でも、そんなに悪いなら、こんな運動もできないのでは?」
(認めたくない)
というようなヨハネの問いに、翠は軽く頷いた。
「ええ。今日は特別強い薬を飲んできたから。……どうしても遊びたかったの。皆と同じように」
「………………」
何も言えなかった。
自由なみあおたちには、何を言う権利もないから。
そのまま少しの時が過ぎて、やがて。
「――人工心臓で、なんとかなるかもしれんぞ」
「! ホント?!」
その時雨の言葉に、反応したのは翠――以外だった。当の翠はゆっくりと、首を横に振る。
「いいんです。私はもう決めてるから。私、さくらになりたいんです」
「さくら?」
「さくらって、人の思惑なんて無関係に、勝手に咲いて勝手に散っていくでしょう? そういう潔さが好きなの」
(潔く、散りたいの?)
そんなことは訊けなかった。
ふと、ヨハネが何かを唱える。
「"No temptation except what all people experience has laid hold of you.
God will not permit you to be tempted beyond your ability but will, at the time of temptation, provide a way out, so that you will be able to stand it."」
「!」
反応したのは羽澄だけだ。
「それなぁに?」
問い掛けたのはみあお。でもヨハネは、翠の方を向いたまま答える。
「聖書の一文です。神はあなたを、耐えられないような試練にあわせることはない。むしろ耐えられるように、逃れる道をも用意して下さっているのです。――逃げても、いいんですよ?」
助かる道があるのだから、と付け足した。
けれど翠は、もう一度首を振る。
「私はこれまで、十分に逃げてきたの。もうこれ以上、逃げたくはない」
「――あなたは……死にたいんですか?」
次にヨハネが告げたのは、みあおが訊けなかった言葉だった。ヨハネがそれを言えたのは、神父だからなのかもしれない。
「違います! 死にたいんじゃない。諦めたわけでもない。私はそれを、受け入れる決心をしたの。――きっと、自由になりたいんだわ。そして皆を、自由にしたい」
その言葉に、みあおは深く捕らえられた。
(自由になるために)
みあおも――みあお"たち"も、自由を望んでいた。ガラス管の中で。自由になるために、決心した。
(翠も同じ?)
翠が自由になるために選べることは。翠自身の力だけでできることは。もうそれしかないから。
(なら、みあおは)
見守ろう。
そう思った。
陽はさらに傾いてゆく。
「――それ、キーボード、ですよね? よかったら聴かせてくれませんか?」
みさきの脇に置いてある物を指差して、翠が告げた。そこから急に時間が動き出す。
「もちろんよ。何が聴きたい?」
ケースの中から取り出しながら訊ねると。
「"さくら"が聴きたいの。今流行ってますよね、ちょっと時期外れだけど」
「あら、それなら私、歌おうか?」
「いいですね〜」
さっきまでの暗さが嘘のように、明るい空間へと戻ってゆく。皆必死なのかもしれない。
(翠のために)
翠が、楽しめるように。
歌と伴奏が、同時に始まった。羽澄のよく通る柔らかな声と、ピアノの音を模した優しい電子音。サビに差しかかる頃には、誰もが皆口ずさんでいた。
(誰かが言っていた)
さくらは散りゆくさだめだからこそ美しい。もしさくらが散らずに長くとどまる華ならば、人はこれほど愛したりしないだろう。
(そしてそれは)
きっと人間も同じなんだ。
死に逝く瞬間があるからこそ。
(自由に想うことができるんだね)
――ドサッ
まだ歌い終わらないうちに、翠の身体が崩れた。
「翠?!」
とっさに支えたのは時雨。
音はやみ、皆の視線が翠に集まる。
(もしかして……っ)
悪い方向に、想像は傾いてゆく。
翠は、目を閉じていた。
「寝てる……の?」
「脈はある」
翠の身体を支えたまま、手首を捉えた時雨が告げた。その言葉に、ホッと胸を撫で下ろす。
「初めてでこれだけ動き回ったんです。きっとかなり疲れているんでしょう。しばらくこのまま、寝かせてあげましょう?」
ヨハネに皆が賛成する。
「じゃあみさたちは、もうひと遊びする?」
「賛成!」
「元気だな。俺はここにいよう。起きた時傍に誰もいなかったら、驚くだろうからな」
「そうね。よろしく、時雨さん」
「次は何をしますか?」
誰も、疑っていなかった。
(翠が)
もう一度目を覚ますことを。
楽しそうに嬉しそうに、笑いかけてくれることを。
(けれど誰も)
疑えなかった。
冷たいそれに触れた時。
命をまっとうした翠のことを。
★
翠は1枚の紙切れを握っていた。
それは翠の母親のケイタイ番号だった。
もう陽が沈みかけた頃、やってきた母親は駆け寄ってきたりはしない。生か死かを確かめるように、触れもしない。
(哀しくないの……?)
むしろみあおたちの方が、翠の死に打ちのめされていた。涙がとまらないのだ。
そんなみあおたちに向かって、母親は口を開く。
「――今日は、娘と遊んで下さって、本当にありがとうございました。自由に遊ぶことができて、この子も満足だったと思います」
深く頭を下げる。けれどその言葉は、あまりにも棒読みだった。
「子供が死んじゃったのに、哀しくないの?!」
「みあおちゃん……」
(つい昨日まで他人だった)
みあおたちでさえこんなに哀しいのに。
母親を睨みつける。表情は変わらない。
変わらないまま。
「この子の遺言なの」
「え?」
(遺言?)
でも"その"時、傍にいたのはみあおたちだけだ。じゃあ翠は、自分がいつ死んでもいいように遺言を書き残していたの?
「家に手紙があったんですか?」
問った羽澄に、母親は首を振る。――横に。
「違うわ。家を出る時に、言い残したのよ」
「?!」
「それって……!」
「あの子が今日飲んだ薬、とても強い薬だったの。心臓はしばらく安定する。軽い運動も平気。その代わり……副作用がね」
「そんなっ」
「最初から、そのつもりだったわけか」
「とめなかったんですか?!」
「――とめられるわけないじゃない!」
「!」
みさきの言葉に、それまで冷静を保っていた母親が叫んだ。
「私はこれまでずっと、この子が病気と闘っているところを見てきたの。どれくらい苦しんできたかも! それに――どうせそのまま生活していても、数週間しかもたないだろうと言われていたわ。それなら私は、ただその日を待つよりも、この子の夢を叶えてあげたかった」
「………………」
(どちらが正しかったのか)
きっとそれは、誰にもわからない。
(でも――)
翠を喜ばせたという意味では、母親の選択は確かに正しかったんだろう。
「――翠さんの遺言は、なんだったのですか?」
切り出したヨハネに母親は頷く。そして一字一句丁寧になぞるように、言葉を紡いだ。
どうか誰も哀しまないでね。
私は自分の人生を後悔なんかしていない。
だって精一杯生きた自信があるんだもの。
多くの人が私のために尽くしてくれた。
それだけで私は、十分幸せだったわ。
それにこれから、最期の願いを叶えるもの。
とても幸せよ。
怖くなんかない。
覚悟なら、毎日してきたから。
むしろ嬉しいくらい。
皆に平穏を返せる。自由な時間を返せる。
私のために使ってくれたすべてを、やっと返すことができるの。
だから哀しまないでね。
旅立つ私を祝福してね。
笑顔で手を振ってくれたら、私はもっと幸せだから――
告げ終えた瞳から、一筋の涙が落ちた。
(了)
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号/ PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 】
【 1415 / 海原・みあお / 女 / 13 / 小学生 】
【 1323 / 鳴神・時雨 / 男 / 32 / あやかし荘無償補修員(野良改造人間) 】
【 1282 / 光月・羽澄 / 女 / 18 / 高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員 】
【 1286 / ヨハネ・ミケーレ / 男 / 19 / 教皇庁公認エクソシスト(神父) 】
【 0534 / 杉森・みさき / 女 / 21 / ピアニストの卵 】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
散りゆくさだめの華だから、せめて楽しく美しく――。
こんにちは^^ 伊塚和水です。
『最期の華』にご参加ありがとうございました。いかがだったでしょうか?
今回は多くの方が予想なさっていたように、最初から『死』をテーマにしたものを書こうと思っていました。死ぬとわかっていても感動できるようなお話が書きたかったんですね。実際はそれに失敗したような気がするのですが(笑)。少しでも翠に同調して下さったら嬉しく思います(同情ではありませんよ!)。
ところでマグロの回遊……どんなものなのか想像できなくて、結局描写カットになってしまいました(爆)。PCの皆さんが水族館へ行くたびに取材に行きたくなってしまう今日この頃。もっとマシな描写をできるよう頑張ります(>_<)
それでは、またお会いできることを願って……。
伊塚和水 拝
|
|
|