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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


最期の華

□■オープニング■□

 ある日雫のサイトにこんな募集が書きこまれた。


すみません  投稿者:翠(スイ)  投稿日:200X.07.01 13:05

  サイトの主旨とはまったく関係がないのですが、
  書かせて下さい。
  私、小さい頃から心臓の病気でずっと入院していたんです。
  それでやっと明日退院できることになったので、
  外で思い切り遊んでみたいと思ったのですが、
  なにぶん病院暮らしが長かったものですから、
  どうやって遊んだらいいのかわかりません。
  教えてくれる友達もいませんし……。
  どなたか私に遊び方を教えてくれませんか?

  >サイトの管理人さんへ
  こんな書き込みをしてごめんなさい。
  でも私、このサイト大好きなんです。
  病院からいつも見てました。
  だから、同じようにこのサイトを見てる人なら
  気が合うんじゃないかと思って……。
  こういうのがダメでしたら削除して下さいね。

  それでは。



□■視点⇒鳴神・時雨(なるかみ・しぐれ)■□

 7月のとある週末。
 あの書きこみを見て、俺は待ち合わせ場所の新宿駅前へと足を運んでいた。
(まぁ……俺も遊びなど大して知らんがな)
 バイクに乗せて景色を楽しませてやることくらいはできるし、他にも人が来るだろうからそいつらの遊びに付き合おう。
 そういう考えでやってきたのだった。
 待ち合わせ場所は新宿だけあってかなりの人でごった返していたが、迷うことはなかった。知った顔がいたからだ。
 翠(スイ)と遊ぼうと集まったのは、俺を含めて5人。自己紹介は翠が来てから……ということになった。
「――で、俺たちはこうして会えたが、肝心の主役とはうまく合流できるのか?」
 翠は俺たちと違って、ここにいる面子の誰とも面識がない。
 それを心配に思って告げると、羽澄が答える。
「それは大丈夫だよ。目印に私の服装を指定しておいたからね」
 言われて改めて羽澄の格好を眺めてみると、よく目立つ形の帽子をかぶっていた。それに手には、ここには不似合いなピクニックバッグを持っている。
「それに、みさのコレも結構目立つでしょ?」
 続けて告げたのは、羽澄と対照的にとても女性らしい格好をした女だ。そして手には、何やら少し重そうな荷物を抱えている。
「携帯式のキーボードですか。確かに目立ちますねぇ。――もっとも、僕がいるだけでも十分に目立つと思いますけどね(笑)」
 そう告げた男は、明らかに"神父"な格好をしていた。
「心配無用だね〜」
 みあおが笑う。
 どうやら、目立つことにかけては困らない5人のようだ。
「――あ、あの娘じゃないでしょうか?」
 神父――と呼んでおこう――の視線の方向に、皆の顔が動いた。人ごみの中からちらちらと女の頭が見えている。
(あれが翠か?)
 高校生くらいに見える。
「あの……羽澄さんですか?」
 さらに近づいてきたそいつは、羽澄に向かって問いかけた。当たったようだ。
「ええ、そうよ。あなたが翠ちゃんね?」
「はいっ。今日はよろしくお願いします、皆さん!」
 勢いよく麦藁帽子が揺れた。



 とりあえず近くの喫茶店に入って、互いの自己紹介を始める。最初はやはり今日の主役・翠からだ。
「改めて、初めまして! 私がBBSに書きこんだ翠です。今日はわざわざ集まって下さって、本当にありがとうございます。すごく楽しみにしてたんで……皆さんにお会いできて嬉しいです。よろしくお願いしますね」
 そして視線は隣のみあおに移った。基本は時計回りのようだ。
「海原・みあお(うなばら・みあお)だよ♪ みあおもすごく楽しみにしてたんだ〜。よろしくね」
 次にみあおの向かいに座っている俺が続ける。
「鳴神・時雨だ。よろしく」
 さらに隣の2人。
「光月・羽澄(こうづき・はずみ)よ。今日は思いっきり遊びましょ! よろしくね」
「ヨハネ・ミケーレと言います。ええと、僕もあまり外で遊んだことがないので大してお役に立てないかもしれませんが……一緒に遊ぶことくらいはできますので。めいっぱい楽しみましょう」
 神父――ヨハネはにっこりと笑った。
 最後はその向かいだ。
「ピアニストの卵、杉森・みさき(すぎもり・みさき)でーす。なんか妹ができたみたいで嬉しいな♪ 今日はよろしくね」
 一周して、翠に戻った。
「みあおさんに時雨さん、羽澄さんにヨハネさん、みさきさんですね! ばっちり覚えましたよ。――それで、今日はどんなふうにして遊ぶんでしょうか?」
 瞳を輝かせて訊ねる翠に、待ってましたとばかりにみあおが手を上げる。
「はいはーい、遊ぶことに関しては任せてっ! じゃ〜ん」
 言いながらみあおは、何かの雑誌を取り出した。
「『東京デートスポット』……? あら、そんな便利な本もあるんですね!」
 翠の瞳がさらに輝く。
「どこ行こうか? 遊園地? 水族館? 公園? アミューズメントパーク? ウィンドウショッピング? 色んな情報が載ってるよっ」
 みあおもやけに楽しそうだった。
(――そうか)
 旅行は準備をしている最中がいちばん楽しいという。それと同じ感じなのかもしれない。
「みさにも見せて〜」
「僕も見たいです」
 テーブルの上に本を広げて、皆で覗きこむように見る。
「翠ちゃん、あまり心臓に負担がかからないようなとこの方がいいわよね?」
 羽澄が問うと、翠の顔が少し曇った。
「そうですね。軽い運動は大丈夫だって言われてますが……。本当は絶叫マシンとか挑戦してみたかったけど、無理みたい」
「では遊園地は向かないな。目に入ると余計乗りたくなってしまうだろう」
 それではまるで拷問だ。
 俺の言葉に、皆は納得したように頷く。
「んじゃ、これはどう?」
 みあおは水族館のページを開いた。
(水族館か……)
 確かに、万が一翠に何かあった時でも、すぐに対応できそうな場所ではある。心臓に負担をかけるようなものはないし。
(あとは翠の意見しだいだな)
 そう思って翠に目をやると。
「わー、水族館! 一度行ってみたいと思ってました」
 翠は嬉しそうな声をあげた。
「マグロの回遊も観れるんだって。面白そう〜v」
「結構大きい所みたいですね」
「とりあえず決まり?」
 誰も文句はないようだ。
「のようだな」
 俺の言葉を最後に、皆で顔を見合わせる。改めて頷き合った。
 そして残っている飲み物をしっかり飲みほしてから、早速電車で目的の場所へと向かった。

     ★

 水族館の中では、翠を追うことで大変だった。よほど嬉しかったのか、水槽が現れるたびに走って近づき俺たちを手招きする。
「こっちこっち! 見て、私あんな魚見たの初めてですっ」
 翠にとって、"初めて"じゃない魚を探す方が難しいようだ。
「翠ちゃん、こっちもこっちも。凄いよ〜」
「どれどれ? わー、可愛いvv」
「これもなかなか」
「おっきいですねぇ」
 一緒になってはしゃいでいるのは杉森とヨハネで、羽澄と俺は魚ではなくその様子を眺めていた。
(みあおは……?)
 俺たちの近くで、どこかボーっとしている。みあお自身も水族館を楽しみにしていたように見えたので、違和感を覚えた。
「――どうしたの? みあおちゃん」
「えっ?」
 同じように思ったのか、羽澄が声をかけた。
「いつもならみあおちゃんも、"あっち"だと思うんだけど」
「うん……」
 元気がない。
「? どこか具合でも悪いのか?」
 さっきまでとはあまりにも違いすぎるので問いかけると、それでもみあおは笑った。
「ぜ〜んぜん、元気だよっ」
「……ならいいが」
 そこに館内放送が流れた。もうすぐイルカショーが始まるらしい。
「ほら、イルカショー観に行こっ!」
 急に元気を取り戻した(振りをしている?)みあおは、俺と羽澄を引っ張って3人の方へと向かった。
 イルカショーは大盛況だった。
 イルカが水面から飛び上がるたびに、わきあがる歓声。それにはみあおの声も混じっていた。
(さっきは)
 無理に元気な振りをしているのかと思ったが、どうやら本当に元気を取り戻したようだ。
 その元気が、イルカショーのあとにも持続していたので間違いない。
 俺と羽澄はこっそり顔を見合わせた。



 時刻は既に昼を回っていた。
「そろそろおなかが減りましたねぇ」
 もらしたヨハネの声に、皆同意する。
「ご飯どうしよっか? どこかお店に入る?」
「折角だから、外で食べない? お菓子とお茶なら持ってきたんだ」
 杉森に羽澄が答えた。
(ピクニックバッグの中身はそれか)
 だが菓子だけでは、さすがに身がもたないだろう。
(何か買いに行ってくるか……)
 幸いバイクは、いつでも使えるように呼び出してある。
「確か外におっきな公園があったよね」
 先に外へ出ようかとも思ったが、みあおがそう告げた時には既に、皆の足は出口へと向いていた。
「私外で食べるのも初めてです」
 翠の発言はすっかり決まり文句だ。
 水族館の外へ出ると、高くのぼった太陽がさんさんと照りつけていた。雨の心配はなさそうだが、ずっと外にいるにはかなり暑そうでもある。翠の麦藁帽子は正解と言えるだろう。
 向かいに見える公園へと行こうとする皆に、立ちどまった俺は告げた。
「俺は飯になるようなものを何か買いに行ってくる。先に公園へ行っていてくれ」
「え? お1人でですか?」
 俺がバイクを用意していることを知らないからだろう。翠が不思議そうに問った。
(ちょうどいいな)
 この機会に乗せてやるか。
「貴様も来るといい。絶叫マシンとまではいかないが、それなりに面白いと思うぞ」
「? ?」
 首を傾げる翠に、羽澄は笑って。
「行ってらっしゃい、翠ちゃん。なかなか体験できないことだと思うわよ?」
「? そうなんですか?」
「ええ」
 ちなみに首を傾げているのは、羽澄以外の全員だったりするのだが。
「わかりました。じゃあ時雨さんと一緒に買出し行ってきます!」
「日陰に用意して待ってるわね」
「はいっ」
 翠の元気のいい返事を聞いてから、俺は先に歩き出した。翠がそのあとを追ってくる。
 俺は水族館の裏手に回ると、しっかりと駐車スペースにとめてあったバイクの方へ歩み寄った。
「――え?! そのバイク時雨さんのなんですか?」
 ここへは皆と一緒に電車で来たのだし、行き先も来る直前に決めた。だから余計に驚いているのだろう。
 俺は翠にヘルメットを手渡すと。
「こいつは俺の相棒だからな」
 バイクへとまたがった。
「あはは。なんかかっこいいですねぇ」
 翠は笑いながら、慣れない手つきでヘルメットをかぶり、俺の後ろにまたがる。
「ちゃんと掴まっていろ。あまりスピードを出すつもりはないが、一応な」
「はいっ!」
 発進して水族館の前に回りこむと、4人はまだ出口の所にいた。翠が手を振る。
(なかなか余裕じゃないか)
 それから俺たちはわざと少し遠くの方へ買い物に行き、帰りには翠を前に乗せてやったりした(買ったオードブルを手に持っているのは翠なので、実はそっちの方が安全だったのだ)。
 翠は始終声をあげていた。どうやら喜んでくれたようだった。それだけで、今日俺が来たかいがあった。
 満足して公園へ向かうと、既に宴の準備は整っていた。
 羽澄が持ってきたアイスティーを紙コップに注いで、翠の退院を祝して乾杯。
 翠は好き嫌いがないようで、何でもよく食べた。
「大勢でわいわい食べると美味しいって聞いてたけど、ホントですね!」
 嬉しそうに笑う。
(そう)
 1人ではどんな美味い料理も味気なく感じてしまう。ましてや翠がいたのは病院だ。誰かと一緒に食べることはあっても、騒ぐことなどできなかったのだろう。
(今日は好きなだけ)
 騒げばいい。
 ここならば、誰に迷惑をかけることもない。
 食事が終わったあとは、少し休んでから皆で走り回った。手始めに鬼ごっこから。
 実は俺も、翠並みにその手の遊びを知らなかった。何故ならそんなことをする機会がなかったからだ。
(――いや)
 俺自身でさえ憶えていない遠い昔に、もしかしたらやったことがあったのかもしれない。しかし今の俺には未知の世界であり、名前も知らないの遊びのルールを聞くだけでも興味深かった。
 疲れたら木陰に戻って、羽澄が作ってきた菓子をもらう。クッキー、マドレーヌ、シフォンケーキなど、焼き菓子がたくさん並んでいた。
「外で遊ぶのって、こんなに楽しかったんですね! よく今時の子供はテレビゲームばかりやってて外で遊ばないって聞くけど、それって凄く勿体無いんだな〜って、思いました」
 クッキーを美味しそうに頬張りながら、翠が感想を述べた。その翠は、これまで外で遊びたくても遊べなかったのだから、そう思って当然だろう。
「ね! 次はサッカーしようよ。さっき草むらで見つけてきちゃった」
 そう言って杉森が取り出したのは、汚れたサッカーボールだった。どうせ手で触るわけではないのだから、汚れていても問題ない。
「え〜カルチョですか?」
「なぁに? 苦手なの?」
「見るのは割と好きですが、やるのはちょっと……」
 自信ないです、とヨハネが呟く。
「大丈夫よ〜。別に公式ルールでやるわけじゃないんだし。テキトウにボール蹴り返せばいいのよ。ね? やろ、翠ちゃん」
「はい! やってみたいですっ」
 ――というわけで、有無を言わさずサッカー大会に突入した。
「ほらヨハネ君! こんなふうに――えいっ!」
 見本を見せるように、杉森がボールを蹴る。結構なミニスカートをはいているが、当人はお構いなしのようだ。
「わわわ。あのーみさきさーん……」
 焦ったヨハネが訴えるような声を出す。
(――いや、むしろ)
 杉森はわかっていてやっているようだ。
「こっちこっち!」
「いったよ〜」
「皆なかなかうまいわね」
「えーん、変な所にいっちゃうよ〜」
「つま先でなく、足の内側で蹴ったらどうだ」
「あ、なるほどー」
 何度かボールを回しているうちに、全員がうまく蹴れるようになった。
「うんっ、いい調子」
 それに蹴っているだけなのだが、なかなかどうして飽きないものだ。
「――皆して僕をいじめてませんか?」
 顔を真っ赤にしたまま蹴るヨハネに、羽澄は笑って答える。
「何のことかな?」
「みさきさんにボールが渡る回数が多いような気がするんですけどー……」
「それは多分みさがうまいからよ!」
「うー」
 そのように反応するのが問題だと思うのだが、当のヨハネはまったく気づいていないようだった。まぁ気づいた所で、それを直せるとも思えないが。
 そうしてしばらく遊んでから、また座って休んだ。陽はもうある程度傾いてきていて、だんだんと涼しくなってきた。
「翠ちゃん。こんなに身体動かしたの初めてでしょ? 結構疲れたんじゃない?」
 新しく注いだアイスティーを手渡しながら、羽澄が問いかけた。翠は苦笑して。
「ええ。でも、凄く気持ちいいんです。運動がこんなに気持ちいいなんて知らなかった。一度でも、体験できてよかったです」
「何言ってるの! これから何度でもできるじゃんっ」
 退院できたのだから、普通はそうだろう。
 けれどそのみあおの言葉に、翠は何も応えなかった。
「――まさか……」
 誰かが呟く。
(やはり――そうなのか?)
 薄々感づいてはいた。
 だからこそ"遊びたい"と思ったのもあるのだ。
「気づいてる方もいますよね。どうして私が退院できたのか」
「治ったからじゃないの?」
「治る見込みがないからよ」
「?!」
 はっきりと告げた翠に、覚悟をしていても驚いてしまう。
(これが最初で最後の)
 自由なのか?
「――でも、そんなに悪いなら、こんな運動もできないのでは?」
(認めたくない)
 というようなヨハネの問いに、翠は軽く頷いた。
「ええ。今日は特別強い薬を飲んできたから。……どうしても遊びたかったの。皆と同じように」
(それは切実な願いだ)
 俺には二度と訪れない。
 怪我をしてもすぐに治ってしまう。機械の身体ゆえ病気もない。
(壊れたら取り替えればいい)
 俺は戦闘機械だから。バックアップの補助脳や予備の心臓すら、持っている。
(そんな俺には)
 決してわかりえない、翠の痛み。
(それならば)
 翠が俺に、近づけばいい。
「――人工心臓で、なんとかなるかもしれんぞ」
 それくらいの知識と技術を、俺は持っている。
 しかし――
「! ホント?!」
 俺の言葉に反応したのは、翠ではなかった。当の翠はゆっくりと、首を横に振る。
「いいんです。私はもう決めてるから。私、さくらになりたいんです」
「さくら?」
「さくらって、人の思惑なんて無関係に、勝手に咲いて勝手に散っていくでしょう? そういう潔さが好きなの」
 潔く散りたいと。
 ふと、ヨハネが何かを唱える。
「"No temptation except what all people experience has laid hold of you.
God will not permit you to be tempted beyond your ability but will, at the time of temptation, provide a way out, so that you will be able to stand it."」
「!」
 反応したのは羽澄だけだ。
 俺は訳すことができても、意味がうまくとれなかった。きっと普通の文ではないのだろう。
「それなぁに?」
 問い掛けたのはみあお。しかしヨハネは、翠の方を向いたまま答える。
「聖書の一文です。神はあなたを、耐えられないような試練にあわせることはない。むしろ耐えられるように、逃れる道をも用意して下さっているのです。――逃げても、いいんですよ?」
 助かる道があるのだから、と付け足した。
 けれど翠は、もう一度首を振る。
「私はこれまで、十分に逃げてきたの。もうこれ以上、逃げたくはない」
「――あなたは……死にたいんですか?」
 続けてヨハネは、翠の核心を突こうとした。しかしそれは翠の心とは食い違っていたようだ。
「違います! 死にたいんじゃない。諦めたわけでもない。私はそれを、受け入れる決心をしたの。――きっと、自由になりたいんだわ。そして皆を、自由にしたい」
 決して「生きたい」とは言わない翠に、俺はそれ以上すすめられなかった。たとえ人工心臓で生き長らえることができたとしても。
(翠にとってそれが)
 幸せであると言えないのなら。
 何の意味もないように思えた。
 翠の言葉の重さに、他の言葉が耐えられない。静寂の世界が続き、陽はさらに傾いてゆく。
「――それ、キーボード、ですよね? よかったら聴かせてくれませんか?」
 不意に、杉森の脇に置いてある物を指差して、翠が告げた。そこから急に時間が動き出す。
「もちろんよ。何が聴きたい?」
 ケースから取り出しながら訊ねると。
「"さくら"が聴きたいの。今流行ってますよね、ちょっと時期外れだけど」
「あら、それなら私、歌おうか?」
「いいですね〜」
 さっきまでの暗さが嘘のように、明るい空間へと戻ってゆく。皆必死なのだろう。
(翠のために)
 翠が、楽しめるように。
 歌と伴奏が、同時に始まった。羽澄のよく通る柔らかな声と、ピアノの音を模した優しい電子音。サビに差しかかる頃には、誰もが皆口ずさんでいた。
(この場所も)
 きっと春には、さくらが満開だったのだろう。今ではその名残は何一つないけれど。
(それは確かに咲いていた)
 散りゆくさだめだからこその、圧倒的な存在感。
(人の命も、それに同じか)
  ――ドサッ
 まだ歌い終わらないうちに、傾いた翠の身体をとっさに支えた。
「翠?!」
 音はやみ、皆の視線が翠に集まる。
 翠は、目を閉じていた。
 俺は手を伸ばし、レジャーシートの上に落ちている翠の手を拾う。
「寝てる……の?」
「脈はある」
 翠の手首は、確かに脈打っていた。
「初めてでこれだけ動き回ったんです。きっとかなり疲れているんでしょう。しばらくこのまま、寝かせてあげましょう?」
 ヨハネの言葉に反対する者など当然いなかった。
「じゃあみさたちは、もうひと遊びする?」
「賛成!」
「元気だな。俺はここにいよう。起きた時傍に誰もいなかったら、驚くだろうからな」
「そうね。よろしく、時雨さん」
「次は何をしますか?」
 誰も、疑っていなかった。
(翠が)
 もう一度目を覚ますことを。
 楽しそうに嬉しそうに、笑いかけてくれることを。
(けれど誰も)
 疑えなかった。
 冷たいそれに触れた時。
 命をまっとうした翠のことを。

     ★

 翠は1枚の紙切れを握っていた。
 それは翠の母親のケイタイ番号だった。
 もう陽が沈みかけた頃、やってきた母親は駆け寄ってきたりはしなかった。生か死かを確かめるように、触れもしなかった。
 まるでまったく、哀しんでいないように。
(なんだ……?)
 そんな様子の母親に戸惑う俺たちに、告げる。
「――今日は、娘と遊んで下さって、本当にありがとうございました。自由に遊ぶことができて、この子も満足だったと思います」
 深く頭を下げた。けれどその言葉は、あまりにも棒読みだった。
「子供が死んじゃったのに、哀しくないの?!」
「みあおちゃん……」
 叫んだみあおの気持ちはよくわかる。俺だって問いただしたいくらいだ。
『皆を自由にしたい』
 そう言っていた翠の言葉には、きっとこの母親も入るのだろうから。
(それを裏切るのか?)
「この子の遺言なの」
「え?」
 思いがけない言葉。
「家に手紙があったんですか?」
 問った羽澄に、母親は首を振る。――横に。
「違うわ。家を出る時に、言い残したのよ」
「?!」
「それって……!」
「あの子が今日飲んだ薬、とても強い薬だったの。心臓はしばらく安定する。軽い運動も平気。その代わり……副作用がね」
「そんなっ」
「最初から、そのつもりだったわけか」
「とめなかったんですか?!」
「――とめられるわけないじゃない!」
「!」
 杉森の言葉に、それまで冷静を保っていた母親が叫んだ。
「私はこれまでずっと、この子が病気と闘っているところを見てきたの。どれくらい苦しんできたかも! それに――どうせそのまま生活していても、数週間しかもたないだろうと言われていたわ。それなら私は、ただその日を待つよりも、この子の夢を叶えてあげたかった」
「………………」
(どちらが正しかったのか)
 きっとそれは、誰にもわからない。
(だが――)
 翠を喜ばせたという意味では、母親の選択は確かに正しかったのだろう。
「――翠さんの遺言は、なんだったのですか?」
 切り出したヨハネに母親は頷く。そして一字一句丁寧になぞるように、言葉を紡いだ。



 どうか誰も哀しまないでね。
 私は自分の人生を後悔なんかしていない。
 だって精一杯生きた自信があるんだもの。
 多くの人が私のために尽くしてくれた。
 それだけで私は、十分幸せだったわ。
 それにこれから、最期の願いを叶えるもの。
 とても幸せよ。
 怖くなんかない。
 覚悟なら、毎日してきたから。
 むしろ嬉しいくらい。
 皆に平穏を返せる。自由な時間を返せる。
 私のために使ってくれたすべてを、やっと返すことができるの。
 だから哀しまないでね。
 旅立つ私を祝福してね。
 笑顔で手を振ってくれたら、私はもっと幸せだから――



 告げ終えた瞳から、一筋の涙が落ちた。












                             (了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/ PC名      / 性別 / 年齢 / 職業                 】
【 1415 / 海原・みあお   / 女 / 13 / 小学生                】
【 1323 / 鳴神・時雨    / 男 / 32 / あやかし荘無償補修員(野良改造人間) 】
【 1282 / 光月・羽澄    / 女 / 18 / 高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員 】
【 1286 / ヨハネ・ミケーレ / 男 / 19 / 教皇庁公認エクソシスト(神父)    】
【 0534 / 杉森・みさき   / 女 / 21 / ピアニストの卵            】



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■         ライター通信          ■
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 散りゆくさだめの華だから、せめて楽しく美しく――。

 こんにちは^^ 伊塚和水です。
 『最期の華』にご参加ありがとうございました。いかがだったでしょうか?
 今回は多くの方が予想なさっていたように、最初から『死』をテーマにしたものを書こうと思っていました。死ぬとわかっていても感動できるようなお話が書きたかったんですね。実際はそれに失敗したような気がするのですが(笑)。少しでも翠に同調して下さったら嬉しく思います(同情ではありませんよ!)。
 ところであんまり関係ないお話ですが、電車で移動する時雨さんがなんだか凄く新鮮でした(笑)。本当は電車内の描写も入れたかったんですけどね(翠は電車も初めてでしょうから)。伸びまくるのが目に見えているので遠慮しておきました。ご自由に想像して楽しんで下さいませ〜。
 それでは、またお会いできることを願って……。

 伊塚和水 拝