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心残り
■オープニング
六月に入って、とあるモノが都内の宝石店を騒がせていた。
若い娘の幽霊である。
全身血みどろ。頭は割れ、目は飛び出し、両手は手首から先が潰れていると言う。
それが日夜問わずフラリと入ってきて、ガラスケースを一つ一つを食い入るように見つめた後、「……無いわ」と、言って消えていくのだそうだ。
被害目撃報告は、すでに数十件。
怪奇探偵の出番と相成った訳だが、当の草間はこうである。
「荒らすでも、盗るでも無し。一度出たら二度と出ないと言うのだから、放っておいても良かろうに」
など、気乗りしない顔で煙草など吹かす始末。
つまり、忙しいのだ。
娘の念は強く、現れれば誰の目にも触れると言う。大きな心残りがあるのかもしれない。
誰かこの、哀れな娘を助けてやってくれないだろうか。
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とは言うものの──
これだけではあまりにも、素っ気ないではないか。
草間は、ああ言っているが、実は一つだけ考えている事がある。
そこでそれをヒントとして記しておこう。
情報が寄せられた宝石店だが、共通点があった。
『ジュエリー・ツツミヤ』と言う、チェーン店にのみ現れていたのだ。
ツツミヤは関東近県をメインに出店しており、東京にはおよそ二十店舗ある。
うち十六店舗が、今回の事件の舞台となっていた。
一番新しい情報が寄せられたのは『池袋店(豊島)』だ。
その前は『赤羽店(北)』、『北千住店(足立)』とさかのぼって続く。
そして以下、四店舗が残っていた。
・新宿店、渋谷店、上野店、三軒茶屋店
草間はすてに、次回出現場所を掴んでいるようだ。
娘は一体どこへ現れるのか。
ご一考願う。
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ッコン──
音がした。
娘は確かに見たのだ。
赤く染まり傾いた視界に、コロコロと転がる何かを。
手を、伸ばそうとした。
だが、体を動かす事は出来なかった。
意識が遠のいて行く。
娘が最後に見たものは、駆けつけたドライバーのつまさきだった。
1 出現 真昼の幽霊
『それ』が現れた時、店には二人の店員の他、若い女性客が二人いたと言う。
午後も過ぎたばかりで、店内はゆったりとしていたようだ。
客がケースを覗き込んで微笑み合うのを、店員は声もかけずに見守っていたらしい。
まず異変が起きたのは、出入り口となる自動ドアだった。
店員、客はおろか、通行人さえ近寄っていない。
そのドアが、突然スライドしたのだ。
店員は新しい客が無いことに、「変ね」と、目で話し首を傾げた。
だが、次の瞬間、その眼差しは異形を捉えて固まる事となる。
全身から血を滴らせ、手と頭を垂れて浮遊する女の霊が、目の前を通りすぎて行ったのだ。
客は店員の異変に気づき、振り返って硬直した。
音もなく横切っていく横顔に、声を発する者はいなかった。
『それ』は、とあるショーケースの前まで来ると、ガラスに手をつき中を覗き込んだ。両手は潰れて原型を留めていなかった。
かろうじてぶら下がっていた目玉が、ギョロつく事に耐えきれず、音を立てて落ちた時、客は腰を抜かし、店員は口元を抑えた。
やがて『それ』は、顔を上げること無く呟いたそうだ。
「──ナイ……」
と。
ケースに赤い手形だけを残し、『それ』は消え去った。
2 これまでの足取り
北千住、赤羽、池袋と言う三つの店を地図で辿ると、『それ』は南西に向かって移動していた。しかも、区は必ずピタリと寄り添っている。
残るは新宿、渋谷、上野、三軒茶屋の四店舗だ。真っ当な順番から行けば、豊島の隣。つまり、新宿店と言う事になる。
「だからといって、そこに彼女の望みの物があるとは限らないわけよね……」
シュラインは、眺めていた地図をキーボードの横に置き、カチリとマウスをクリックした。
世の中は便利になった物だ。過去の事件も事故も、メディアで取り上げられた物なら、画面を覗けば調べられる。
目の前には全国で起きた六月の交通事故が、びっしりと並んでいた。一ページ五十件が、十七ページもある。この中から、彼女が巻き込まれたと思われる記事を、探しださなければならない。
(服装や身体の状態を見ると、交通事故のようだけど……。とにかく五月末から六月初めに亡くなった女性を調べてみましょ)
腰を落ち着ける前に入れたアイスティーは、琥珀と透明がグラデーションを作りかけている。シュラインが、作業に集中してグラスに手を付けないせいだ。
「トラック横転、薬局に突っ込む。六十二歳女性が軽傷──これも違う……」
全国で今年に入って起きた死亡事故は、六月末日までに三千件。東京だけを見ると、約百四十件だ。月平均、二十人が事故で命を奪われている。
子供、年寄り、主婦などの歩行者が犠牲となる事が多く、主な原因は禁止場所での横断や、信号無視だ。そこに前方不注意の車が突っ込むケースが、群を抜いていた。
酒酔いに居眠りなど、一方的にドライバーが悪い場合も多々ある。
シュラインは小さな溜息をつき、次のページへ移動した。
六月二十八日の一項目で、その目が止まる。
『無惨! 帰宅途中のOL、事故死──東京(毎朝新聞)』
と、ある。シュラインはタイトルを押し、内容に飛んだ。
写真も何も無い、素っ気ない記事だ。
被害者は大田区大森の三上洋子、二十四才。
同じ二十四才の若者が運転するトレーラーに、跳ねられた挙げ句、後輪に巻き込まれて頭と手を潰された。
「状況は一致しているわね……。この名前で、各店舗に問い合わせをかければ、何かわかるかも」
シュラインは、『ツツミヤ』のサイトから店の連絡先を抜き出し、まず彼女が立ち寄りそうな地元、大田の店を当たった。
理由を話し、顧客データの中に『三上洋子』の名前を探してもらう。
待たされている間、単調な機械音で『アマリリス』がかかっていた。三度目の初まりは、店員の声によって中断した。
『ありました。五月の始めにご本人様のお名前で、指輪をお買いあげ頂いております。当店で、一番の人気商品となっております品です』
「指輪ですか。それがキャンセルになっていたり、持ち込みを受けたような事はありませんか? 下取り、リフォーム、何でも良いのだけれど……」
『いいえ。ご注文から一週間後には、お名前入りの物をお引き取り頂いております。引換証もございますし……。それに、当店では買い取りは行っておりませんので』
店員は淡々と語っている。持ち主が死に、それが霊となって店を騒がせているとは思っていないようだ。
「そうですか……」
『はい。ご婚約指輪で、お名前も入っておりますし、まだ買われてから、さほど経っておりませんので、もしいらっしゃれば、私共も覚えているはずなのですが。お役に立てず、申し訳ございません』
シュラインは目を細めた。
彼女が血眼になって探しているのは、小さなリングだった。それも約束の証しと身につけていた物。
店員は、一番の売れ筋と言った。だとすれば、どの店に行っても常時、同型の物は置いてあるだろう。
シュラインは、どこか物悲しい気分になった。
「代わりの物じゃ、納得できない訳が分かる気がするわね」
グラスを持ち上げる。
ポタリと雫が落ちた。
それは、彼女が流す無念の涙に見えた。
3 張り込み
「買い物に来た訳じゃなさそうね」
「それはお互い様だろう」
店の前で鉢合わせた二人──シュラインと慶悟は肩をすくめあった。
ツツミヤ新宿店は、駅に近い商店街の一角にある。左右を靴屋に挟まれ、正面にはコンビニがあった。オーナーは油の乗りかけた若い男で、話を聞くなり二人をバックルームへと導いた。話の通りがやけにスムーズだ。二人は思わず顔を見合わせた。
だが、その疑問は、ソファーに腰を下ろしていた人影を見るなり氷解する。
三人目。
蓮がそこにいた。足下に、ヴァイオリンケースを携えている。
一行は、目で小さな挨拶を交わした。
「お話は、この方から伺いました。あの幽霊が、次はここへ来るとか」
「ええ。指輪を探しているようなの」
と、シュラインは頷く。
オーナーは二人にソファーを勧めた。
事務員の女性が、お茶を置いて行く。
綺麗な緑の中で、氷がカランと音を立てた。店内に流れているクラシックは有線だろうか。それがここまで聞こえていた。
事務所にはデスクとソファー、それにステンレス製のラックが一台あり、上にモニターが乗っていた。モノクロの画面が映し出しているのは、影の多い店内だ。監視カメラの映像だろう。今のところ、特に異変は無かった。
蓮はそこに目をやりつつ、切り出した。
「事故で手を潰された時に、紛失してしまったようだが、それはどんな──」
語尾が鋭い声にかき消された。
店員が悲鳴を上げたのだ。
「来たか」
慶悟は、モニターに目を走らせた。
女がゆっくりと画面奥の入口から、中央へと移動している。歩いているのではない。ダラリと垂れたつま先は、宙に浮いていた。
シュラインが、声を潜めて言った。
「とにかく、行きましょう」
ゆっくりとドアを開ける。
ショーケースに囲まれたレジの前で、店員二人が動けなくなっていた。
確かに女は、腰を抜かしそうなほど、凄まじい様子をしている。
噂通りに頭は潰れ、目は飛びだしている。全身を血で汚し、肘から下の手は原型を留めていない。吐き気を催しそうな姿だ。
女は店員に近いケースの前で立ち止まり、ベチャッと音を立てて手をついた。必死の形相で、ガラスの中を覗き込む。どこか悲壮感さえ感じられた。
ギョロギョロと動いていた目が、やがて動かなくなる。
女はポツリと言った。
『──ナイ……』
消えてしまう。
三人は一斉に飛び出した。
女はギリリと顔を傾ける。
『……ナイ』
ボタッ。
眼球が落ちた。
気を失った店員がくずおれ、ショーケースの足下に隠れて見えなくなった。
「そのまま眠っていてくれ」
慶悟は、外界と遮断するべく結界を張った。水を上げて場を整え、女に符を打つ。
「!」
ビクリとした後、女の気が突然柔らいだ。
「正気鎮心の符だ──少しは落ち着いただろう」
女は項垂れたまま、小さく頷いた。
『……ナイ』
と、また言う。
シュラインは、女の横顔に目を細めた。
「ええ。無いわ。どの店を探しても、貴方が探している指輪は無いの」
女は微動だにしない。顔を向けようともしない。声だけで、返事を返した。
『ナゼ?』
「貴方が彼から貰ったエンゲージリングは……二つとして無い──代用品では意味の無いものだからよ。お店で売っているような物ではないの」
シュラインの言葉をどう受け止めたのか。女は黙っている。
長い沈黙だった。
やっと口を開いた女は、同じ言葉を繰り返した。
『ナイ……。ナイ……ナイ、ナイ』
悲しげな声。
同じ形の物で気が済むのなら、買い求めてでも、それを持参したのだが。
シュラインの唇から、憐れむような吐息が漏れた。
理由を知った蓮の手が、ヴァイオリンケースを握りしめる。
諦めさせるほか、無いのだろうか。
不意に自動ドアの開閉音が聞こえた。
二つの人影。
突然の侵入者に、場が乱れた。
女が俯いたまま、消えかける。
「待った! 話があるんや!」
「幽霊さんが、探している物を見つけました!」
篤旗と、みなもが女を呼び止めた。
その声に反応したようだ。女は僅かだが、首を傾げた。
「家族の人に話を聞いてきたんやけど、探す必要なんて最初から無かったって言うてはった」
「ずっと一緒にあったんです」
「……ど、どういう事?」
二人の話に、シュラインと慶悟は顔を見合わせた。
蓮も呆然としている。
「だが、彼女は無くしたと──」
「思い違いしてはるんやて。現場検証の時、警察が見つけて、家族の手に渡ったそうやし」
「ちゃんとお墓の中に入れたって、お母さんも言ってました」
女は、一つしか無い目で、二人を睨み付けた。信じていないのだろう。『ウソ』と唇が動いた。
「『2003.5.14 M to Y』、指輪に掘ってあった文字も聞いてきた。間違いあらへんやろ?」
篤旗を見据えたままの背中に、慶悟が諭しの声をかける。
「確かめる事は簡単だろう。信じられないと言うのなら、見てくれば良い」
「そうね。ここでこうして問答しているより、早いかも」
と、シュラインも促した。
女は口を噤み、なお一層項垂れた。
じきに、女はゆるゆると首を振った。
やがてゆっくりと顔を上げた女から、鬱々としていた気は抜けていた。
『刻んだ文字は、誰にも見せていません。母がそう言ったなら、リングを見たからでしょう』
まるで別人の声だった。生前のものなのだろう。濁ったイヤな雰囲気の無い、普通の娘の声に変わっていた。
女はクルリと振り返った。
いつのまにか、落ちたはずの目が戻っていた。
『昔から、そそっかしいと母によく笑われました。死ぬ直前に指輪が転がっていくのを見たんです。咄嗟に、手を伸ばそうとしました。でも、動かなかったんです。気がついた時は、こんな状態で……。事故現場を探したんですが、見つかりませんでした。せめて同じ形の物をと思ったのですが』
女は寂しげな笑いが浮かべ、シュラインを見つめた。
『あなたが言った通り、納得出来なかったんです。それに何軒か回るうち、私の中から正常な思考が消えてしまったようです。店に行けば、文字さえもまるで同じの指輪が手に入る。そう思いこんでしまいました』
五人は黙って女を見つめた。
女は潰れてしまった指先を見下ろした。
痛々しさを誘う、悲しい目をしていた。
『この指じゃ、無理かな』
蓮は膝をつくと、ケースから『グァルネリ・デル・ジェス』を取り出した。コピーだが、弾き手の腕は確実。蓮はそれを手に提げた。
「元に戻してやろう」
蓮は鎮魂歌を奏でる事で、霊を浄化する。
元に戻した所で、生き返れはしない。行くべき道は、一つしか残されていないのだ。
女は少し考えた後、コクリと頷いた。
何もかもを悟ったようだ。
『ありがとうございます。これ以上、お店に迷惑をかけるつもりはありません。お願いできますか?』
と、ハッキリと言い切った。
慶悟が一歩進みでる。
「なら、俺も手伝おう。生憎、貧乏な身だ。宝石と言う訳にはいかないが……祈念で良ければ最高のものを贈ろう」
慶悟は静かに指を立てた。
蓮はヴァイオリンを顎に挟む。
二人の送別の儀を、シュライン、篤旗、みなもが見守った。
女は、心地よさそうに目を閉じる。
血にまみれていた体が、失ったはずの手が、落ちかけていた瞳が、心残りの払拭と同時に、完全に元に戻って行く。
『家族と、あの人に、今までありがとう、と伝えて下さい』
それこそが、本当の心残りだったのかもしれない。
鎮魂歌に包まれ、女は寂しげな微笑を残した。
4 草間興信所にて
「良かった。土地の人『ならでは』なルートがあるんやないかって心配してたんやけど、皆と同じ場所で」
シュラインの入れたお茶を啜りながら、篤旗はホッと胸を撫で下ろした。ここに『豆もち』があれば最高なのだが、贅沢は言えない。
「『ならでは』って何なんだ」
シニカルな笑みの慶悟に突っ込まれて、篤旗は頭を掻いた。
篤旗は西の育ちである。東京で迎える春は、まだ三度目だ。
地図から得られないような、地元ネタには弱い。
思わぬところから、隣接区へ移動するより早いルートがあるのかもしれないなど、そんな事まで考えたのだ。
「例えば──」
「例えば?」
みなもはクッキーをつまみながら、篤旗を見やった。
このクッキーはシュラインのポケットマネーで買ったものだ。草間は今月の煙草代にさえ、苦戦している。
『貧乏暇無し』とは、まさにこの事だろう。
そして、忙しさと懐の豊かさは比例しないと、ここにいる皆は知っていた。何故なら『生き証人』が、机の向こうで蠢いていたからだ。
「豊島区の隣は、異次元……とか」
と、篤旗はおどけてみせた。だが、何故か皆の反応は神妙だ。各々頷いて、眉根を寄せている。
「あり得るわね」
「ああ、ここに来る依頼なら」
シュラインと蓮が頷き合うと、慶悟も涼やかな顔で笑った。
「何せ、草間自身が『怪奇』の異名を取るぐらいだしな」
「そんな事言ったら、草間さんが可哀相です」
「でも、もしかしたら本当は、そっちが正解だったとか」
誰も庇うものはいない。
そして、一同は笑い飛ばした。
談笑をする輪の外で、草間がいじけている事に気がついたのは、シュライン一人だったと云う。
終
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 (年齢) > 性別 / 職業】
【0086 / シュライン・エマ(26)】
女 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
【0389 / 真名神・慶悟 / まながみ・けいご(20)】
男 / 陰陽師
【0527 / 今野・篤旗 / いまの・あつき(18)】
男 / 大学生
【1252 / 海原・みなも / うなばら・みなも(13)】
女 /中学生
【1532 / 香坂・蓮 / こうさか・れん(24)】
男 / ヴァイオリニスト(兼、便利屋)
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■ あとがき ■
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こんにちわ、紺野です。
大変遅くなりましたが、『心残り』をお届け致します。
この度は、当依頼を解決して下さりありがとうございました。
そしてまたもや、遅い筆……。
ごめんなさい、反省はいつもしています。
今回、場所に戸惑われた方がおりませんでした。
ですので、そのパートのみ一人一人の描写とさせて頂いております。
苦情や、もうちょっとこうして欲しいなどのご意見は、
喜んで次回の参考にさせて頂きますので、
どんな細かい事でもお寄せ頂ければと思います。
今後の皆様のご活躍を心からお祈りしつつ、
またお逢いできますよう……
紺野ふずき 拝
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