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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


最期の華

□■オープニング■□

 ある日雫のサイトにこんな募集が書きこまれた。


すみません  投稿者:翠(スイ)  投稿日:200X.07.01 13:05

  サイトの主旨とはまったく関係がないのですが、
  書かせて下さい。
  私、小さい頃から心臓の病気でずっと入院していたんです。
  それでやっと明日退院できることになったので、
  外で思い切り遊んでみたいと思ったのですが、
  なにぶん病院暮らしが長かったものですから、
  どうやって遊んだらいいのかわかりません。
  教えてくれる友達もいませんし……。
  どなたか私に遊び方を教えてくれませんか?

  >サイトの管理人さんへ
  こんな書き込みをしてごめんなさい。
  でも私、このサイト大好きなんです。
  病院からいつも見てました。
  だから、同じようにこのサイトを見てる人なら
  気が合うんじゃないかと思って……。
  こういうのがダメでしたら削除して下さいね。

  それでは。



□■視点⇒ヨハネ・ミケーレ■□

 7月のとある週末。
 僕は待ち合わせ場所である新宿駅前に向かっていた。
(あの書きこみを見た時)
 どこか自分と重なるものを感じたから。
 僕は入院していたわけでもないし、どこかが悪いわけでもない。けれどほとんど親を知らず育ってきたせいか、知っている娯楽といえば音楽と読書くらいだった。入院していた翠さんでも、それくらいは知っているだろう。
(つまり、同じ)
 多分同じくらい、遊び方が下手なのだ。そして同じくらい、それだけで満足していたろうけれど。
(それにもう1つ――)
 僕は職柄上、多くの人の死を見てきた。だからこそ知らぬ人といえども、元気になってくれたことはとても嬉しい。共に遊ぶことでもっと元気になってくれるのならなおさら。
 そんなわけで、僕も一緒に遊んでみようと思ったのだった。
 待ち合わせ場所に集まったのは全部5人。自己紹介は翠さんが来てから……ということになったので、皆まだ名乗ってはいない。と言っても、友人がいたからこそ無事に合流できたのだけど。
「――で、俺たちはこうして会えたが、肝心の主役とはうまく合流できるのか?」
 心配そうに口を開いたのは、僕とは対照的にがっしりとした体格の男性だった。それに、鮮やかな緑の瞳をした銀髪の女性が答える。
「それは大丈夫だよ。目印に私の服装を指定しておいたからね」
 どうやらこの人が翠さんと連絡を取り合っていたようだ。かぶっているウェスタンハットは確かになかなか目立ちそうだし、手に持っているピクニックバッグもこんな喧騒の中では不似合いだった。
「それに、みさのコレも結構目立つでしょ?」
 続けて告げたみさきさんは、持ってきた大きめのケースを示す。みさきさんがピアニストの卵であることを考えると、中身は……
「携帯式のキーボードですか。確かに目立ちますねぇ。――もっとも、僕がいるだけでも十分に目立つと思いますけどね(笑)」
 僕は自分の格好を示して笑った。いつもどおりの神父服。「違いない」と、皆も笑ってくれる。
「心配無用だね〜」
 みあおさんが付け足す。
 目立つことにかけては困らない5人のようだ。
(そろそろ来る頃かな)
 と、何気なく人ごみに目をやっていた僕は、ふと周りとは違う空気を纏っている女性に気づいた。
「――あ、あの娘じゃないでしょうか?」
 口に出すと、皆の視線が動く。
(何だろう……)
 別に禍々しい空気を纏っているとかいうのではないし、もちろん悪魔がついているわけでもない。むしろ彼女の周りが、ひどく澄んでいるように見えたのだ。
 彼女は見守る僕たちの方へ近づいてくると。
「あの……羽澄さんですか?」
 どうやら見事に当たったらしい。
「ええ、そうよ。あなたが翠ちゃんね?」
「はいっ。今日はよろしくお願いします、皆さん!」
 言葉と一緒に、彼女の麦藁帽子が勢いよく揺れた。



 とりあえず近くの喫茶店に入って、お互いの自己紹介を始める。最初はやっぱり今日の主役・翠さんからだ。
「改めて、初めまして! 私がBBSに書きこんだ翠です。今日はわざわざ集まって下さって、本当にありがとうございます。すごく楽しみにしてたんで……皆さんにお会いできて嬉しいです。よろしくお願いしますね」
 そして視線は隣のみあおさんに移った。どうやら時計回りでいくようだ。
「海原・みあお(うなばら・みあお)だよ♪ みあおもすごく楽しみにしてたんだ〜。よろしくね」
 続いて、みあおさんの向かいに座っている男性・女性と口を開く。
「鳴神・時雨(なるかみ・しぐれ)だ。よろしく」
「光月・羽澄(こうづき・はずみ)よ。今日は思いっきり遊びましょ! よろしくね」
 その隣は僕だ。
「ヨハネ・ミケーレと言います。ええと、僕もあまり外で遊んだことがないので大してお役に立てないかもしれませんが……一緒に遊ぶことくらいはできますので。めいっぱい楽しみましょう」
 にっこりと笑って告げた。
 僕の向かいはみさきさん。
「ピアニストの卵、杉森・みさき(すぎもり・みさき)でーす。なんか妹ができたみたいで嬉しいな♪ 今日はよろしくね」
 一周して、翠さんに戻る。
「みあおさんに時雨さん、羽澄さんにヨハネさん、みさきさんですね! ばっちり覚えましたよ。――それで、今日はどんなふうにして遊ぶんでしょうか?」
 瞳を輝かせて訊ねる翠さんに、待ってましたとばかりにみあおさんが手を上げる。
「はいはーい、遊ぶことに関しては任せてっ! じゃ〜ん」
 言いながらみあおさんは、何かの雑誌を取り出した。
「『東京デートスポット』……? あら、そんな便利な本もあるんですね!」
 僕はそのタイトルにギョッとした。
(でぇとっ?!)
 こ、これも集団でぇとというものなんだろうか……?
 けれど皆は、そんなことなどまったく気にしていないようだ。
 翠の瞳がさらに輝く。
「どこ行こうか? 遊園地? 水族館? 公園? アミューズメントパーク? ウィンドウショッピング? 色んな情報が載ってるよっ」
 みあおさんもやけに楽しそうだった。
(そういえば)
 旅行などには、計画を立てる楽しみも含まれるという。きっとそれと同じコトなんだろう。
「みさにも見せて〜」
「僕も見たいです」
 一緒になって、テーブルの上に広げられた本を覗きこむ。
「翠ちゃん、あまり心臓に負担がかからないようなとこの方がいいわよね?」
 羽澄さんが問うと、翠さんの顔が少し曇った。
「そうですね。軽い運動は大丈夫だって言われてますが……。本当は絶叫マシンとか挑戦してみたかったけど、無理みたい」
「では遊園地は向かないな。目に入ると余計乗りたくなってしまうだろう」
 時雨さんの言葉はもっともだった。行ったら乗るつもりがなくても、乗りたくなってしまうだろう。
(それに僕自身、絶叫マシンはちょっと……)
 いやかなり、無理かもしれない。
「んじゃ、これはどう?」
 とみあおさんが開いたのは、水族館のページだった。
(水族館かぁ……それなら安心だ)
 見るだけなら気軽に楽しむことができるし、僕が足を引っ張る……なんてこともないだろう。
(何より)
 行ってみたいと思っていた。
「わー、水族館! 一度行ってみたいと思ってました」
 翠さんも嬉しそうな声をあげる。
「マグロの回遊も観れるんだって。面白そう〜v」
「結構大きい所みたいですね」
「とりあえず決まり?」
「のようだな」
 お互いの顔を見やって、頷いた。
 残っている飲み物をしっかり飲みほしてから、早速電車で目的の場所へと向かった。

     ★

 水族館の中では、うっかり翠さんと一緒になってはしゃいでしまった。
「こっちこっち! 見て、私あんな魚見たの初めてですっ」
 呼ばれればすぐに駆けつけ、面白いものを見つけたら呼ぶ。
「翠ちゃん、こっちもこっちも。凄いよ〜」
「どれどれ? わー、可愛いvv」
「これもなかなか」
「おっきいですねぇ」
 大きな水槽に囲まれた空間は、まるで本当に海の中にいるようで。世界の雄大さを、改めて思い知らされた。
(そして神の偉大さを――)
 その後イルカショーの開始を知らせる館内放送が流れて、僕たちは急いで外のプールへと向かった。
 大きな丸いプールの中を、イルカたちは自在に泳ぎ飛び芸をする。初めて見たそれは、僕を満足させるには十分なものだった。そして翠さんを満足させるにも。



 時刻は既にお昼を回っていた。
「そろそろおなかが減りましたねぇ」
 ついもらしてしまった僕に、皆も同意してくれる。
「ご飯どうしよっか? どこかお店に入る?」
「折角だから、外で食べない? お菓子とお茶なら持ってきたんだ」
 みさきさんに羽澄さんが答えた。ピクニックバッグの中身は、どうやらそれのようだ。
「確か外におっきな公園があったよね」
 みあおさんがそう告げた時には既に、皆の足は出口へと向いていた。
「私外で食べるのも初めてです」
 翠さんの"初めて"発言はすっかり決まり文句だ。
 水族館の外へ出ると、高くのぼった太陽がさんさんと照りつけていた。ピクニック日和ではあるけれど結構暑そうだ。
(もっと薄い素材のを選んでくればよかったかなぁ)
 神父服でも神父服なりに選択肢はある。自分の今日のチョイスをちょっと後悔した。
「俺は飯になるようなものを何か買いに行ってくる。先に公園へ行っていてくれ」
 すぐ手前に見える公園へ向かおうとした僕たちに、立ちどまった時雨さんが声をかける。
「え? お1人でですか?」
 きょとんとした翠さんに、時雨さんは。
「貴様も来るといい。絶叫マシンとまではいかないが、それなりに面白いと思うぞ」
「? ?」
 首を傾げる翠さんに、羽澄さんは笑って。
「行ってらっしゃい、翠ちゃん。なかなか体験できないことだと思うわよ?」
「? そうなんですか?」
「ええ」
 ちなみに首を傾げているのは、僕やみあおさん、みさきさんも一緒である。
「わかりました。じゃあ時雨さんと一緒に買出し行ってきます!」
「日陰に用意して待ってるわね」
「はいっ」
 元気よく返事をしてから、翠さんは先に歩き出した時雨さんを追いかけるように歩いていった。そのまま目で追っていると、2人は水族館の裏手へと消えていく。
「何の話なの?」
 不思議そうに問うみさきさんに、羽澄さんはまた笑って。
「今通るわよ。――ほら」
 羽澄さんの視線を追うと、裏からバイクに乗った2人組みがゆっくりと出てきた。運転しているのは時雨さんで、後ろに乗って手を振っているのは翠さんだ。
「なるほど。あれは僕も乗ってみたいなぁ……」
(絶叫マシンは無理でも)
 あれなら景色や風を楽しめそうだ。
 そんな僕の言葉に、何故か皆笑った。
 それから僕たちは公園に移動して、木陰にレジャーシートを広げた。羽澄さんは最初から予定していたらしく、色々と持参してきていたのだ。
 紙コップやお皿、割り箸などを並べて、2人の帰りを待つ。ケーキなどのお菓子類は、一応ご飯のあと、ということになった。
 やがて戻ってきた2人が買ってきたのは、オードブルとおにぎりだ。
 羽澄さんは魔法瓶に入れて持ってきたアイスティーを皆に振る舞う。そして翠さんの退院を祝して、乾杯をした。楽しい昼食兼お茶会の始まり。
 翠さんは好き嫌いがないようで、何でもよく食べた。
「大勢でわいわい食べると美味しいって聞いてたけど、ホントですね!」
 嬉しそうに笑う。
(そうなんだ)
 僕も神父になるまでは、それを知らなかった気がする。知らなかったのに、精一杯知っている振りをしていたような。
(そんなことをしたって)
 どんな寂しさも、紛らわすことはできないのに。
(でも今は、楽しい)
 美味しい。
 皆と同じモノを共有している。そしてそれは、翠さんも一緒だ。
(今日は一緒に、楽しもう)
 改めてそう思った。
 食事が終わったあとは、少し休んでから皆で走り回った。手始めに鬼ごっこから。
 実は僕、神学校時代体育の成績だけはズタボロだった。だから走ることですら、あまり得意ではない。
 それでも(戸惑いながらも)参加したのは、翠さんのためでもあり自分のためでもあった。
(簡単に逃れる僕ならば)
 神のご加護すら、受ける資格はないから。
 疲れたら木陰に戻って、羽澄さんが作ってきたお菓子をいただく。クッキー、マドレーヌ、シフォンケーキなど、焼き菓子がたくさん並んでいた。
「外で遊ぶのって、こんなに楽しかったんですね! よく今時の子供はテレビゲームばかりやってて外で遊ばないって聞くけど、それって凄く勿体無いんだな〜って、思いました」
 クッキーを美味しそうに頬張りながら、翠さんが感想を述べた。僕もまったく同感だ。
「ね! 次はサッカーしようよ。さっき草むらで見つけてきちゃった」
 そう言ってみさきさんが取り出したのは、汚れたサッカーボールだった。どうせ手で触るわけでないのだから、汚れていても問題ないのだが。
「え〜カルチョですか?」
 さすがの僕も、それには口を挟む。
「なぁに? 苦手なの?」
「見るのは割と好きですが、やるのはちょっと……」
 自信ないです、呟いた。
 ボールに遊ばれる自信はあっても、ボールで遊ぶ自信はない。
「大丈夫よ〜。別に公式ルールでやるわけじゃないんだし。テキトウにボール蹴り返せばいいのよ。ね? やろ、翠ちゃん」
「はい! やってみたいですっ」
 ――というわけで、有無を言わさずサッカー大会に突入した。
「ほらヨハネ君! こんなふうに――えいっ!」
 見本を見せるように、みさきさんがボールを蹴る。しかし忘れてはならないのは、みさきさんの格好。彼女はフリフリヒラヒラのミニスカートをはいていた。
「わわわ。あのーみさきさーん……」
 僕は自分でも意識しないまま真っ赤になってしまう。けれどみさきさんは一向にお構いなし。
「こっちこっち!」
「いったよ〜」
「皆なかなかうまいわね」
「えーん、変な所にいっちゃうよ〜」
「つま先でなく、足の内側で蹴ったらどうだ」
「あ、なるほどー」
 何度かボールを回しているうちに、皆うまく蹴れるようになった。
「うんっ、いい調子」
 それに。
(サッカーって、意外と楽しい?)
 ただ蹴っているだけなのに、そんなふうに感じた。僕なりに一歩成長したようだ。
 ……ただ。
「――皆して僕をいじめてませんか?」
 訴える僕に、羽澄さんは笑って答える。
「何のことかな?」
「みさきさんにボールが渡る回数が多いような気がするんですけどー……」
 そのたびに僕は気が気じゃない。
「それは多分みさがうまいからよ!」
「うー」
 顔色一つ変えない時雨さんが、羨ましいというか恨めしいというか。
 そうしてしばらく遊んでから、また座って休んだ。陽はもうある程度傾いてきていて、だんだんと涼しくなってきた。
「翠ちゃん。こんなに身体動かしたの初めてでしょ? 結構疲れたんじゃない?」
 新しく注いだアイスティーを手渡しながら、羽澄さんが問いかけた。翠さんは苦笑して。
「ええ。でも、凄く気持ちいいんです。運動がこんなに気持ちいいなんて知らなかった。一度でも、体験できてよかったです」
「何言ってるの! これから何度でもできるじゃんっ」
 退院できたのだから、普通はそうだろう。
 けれどそのみあおさんの言葉に、翠さんは何も応えなかった。
「――まさか……」
 誰かが呟く。
 僕はふと、彼女を取り囲んでいた澄んだ空気のことを、思い出した。
「気づいてる方もいますよね。どうして私が退院できたのか」
「治ったからじゃないの?」
「治る見込みがないからよ」
「?!」
 きっぱりと告げた翠さんの瞳も、同じように澄んでいた。
(どうして?)
 どうしてそんな瞳をできるの?
 彼女の言うことが本当なら、できるはずのない瞳。
「――でも、そんなに悪いなら、こんな運動もできないのでは?」
 それを確かめるように、僕は問いかけた。翠さんは――軽く頷いた。
「ええ。今日は特別強い薬を飲んできたから。……どうしても遊びたかったの。皆と同じように」
「………………」
 僕にはわからなかった。
 それは懺悔に来た人が、するものと同じ瞳。
(僕が悟りに導く)
 神の言葉を借りて、許す。
 そんな許された人々が、僕に向ける瞳だ。
(ならば彼女は)
 一体何に諭され、許されたのだろう?
 そのまま少しの時が過ぎて、やがて。
「――人工心臓で、なんとかなるかもしれんぞ」
「! ホント?!」
 その時雨さんの言葉に、反応したのは翠さん――以外だった。当の翠さんはゆっくりと、首を横に振る。
「いいんです。私はもう決めてるから。私、さくらになりたいんです」
「さくら?」
「さくらって、人の思惑なんて無関係に、勝手に咲いて勝手に散っていくでしょう? そういう潔さが好きなの」
(だから諦めているの?)
 助かる道は、用意されていたのに。
「"No temptation except what all people experience has laid hold of you.
God will not permit you to be tempted beyond your ability but will, at the time of temptation, provide a way out, so that you will be able to stand it."」
「!」
 僕が告げた言葉に、反応したのは羽澄さんだけだった。
「それなぁに?」
 問いかけたみあおさんではなく、翠さんの方を向いたまま答える。
「聖書の一文です。神はあなたを、耐えられないような試練にあわせることはない。むしろ耐えられるように、逃れる道をも用意して下さっているのです。――逃げても、いいんですよ?」
 助かる道があるのだから、と付け足した。
 けれど翠さんは、もう一度首を振る。
「私はこれまで、十分に逃げてきたの。もうこれ以上、逃げたくはない」
(逃げてきた?)
 生き長らえることが、逃げだったと言うのか。
(けれど生きなければ)
 他に選べるものなど、たった1つしかない。
「――あなたは……死にたいんですか?」
 僕はそれを口にした。けれど予想外に、彼女はそれを否定する。
「違います! 死にたいんじゃない。諦めたわけでもない。私はそれを、受け入れる決心をしたの。――きっと、自由になりたいんだわ。そして皆を、自由にしたい」
(!)
 その言葉は、あまりにも衝撃的だった。
(ああ――そうなんですね)
 彼女があんな瞳をしているのは、すべてをありのままに受け入れる決心をしたから。
 そしてそこに導いたものは、他でもない。
(彼女自身)
 彼女自身の優しさだったのだ。
 僕はそれ以上、何も言えなかった。
 静寂な空間の中、陽はさらに傾いてゆく。
「――それ、キーボード、ですよね? よかったら聴かせてくれませんか?」
 みさきさんの脇に置いてある物を指差して、翠さんが告げた。そこから急に時間が動き出す。
「もちろんよ。何が聴きたい?」
 ケースから取り出しながら訊ねると。
「"さくら"が聴きたいの。今流行ってますよね、ちょっと時期外れだけど」
「あら、それなら私、歌おうか?」
「いいですね〜」
 さっきまでの暗さが嘘のように、明るい空間へと戻ってゆく。皆必死なのかもしれない。
(翠さんのために)
 翠さんが、楽しめるように。
 歌と伴奏が、同時に始まった。羽澄さんのよく通る柔らかな声と、ピアノの音を模した優しい電子音。サビに差しかかる頃には、誰もが皆口ずさんでいた。
(散りゆくさだめのさくら)
 でもさくらは、散るために咲くんじゃない。
(生きるために)
 また来年も美しく咲くために咲くんだ。
(それは翠さんも同じだね)
 だからこれは、自分を殺す行為とは違う。
  ――ドサッ
 まだ歌い終わらないうちに、翠さんの身体が崩れた。
「翠?!」
 とっさに支えたのは時雨さん。
 音はやみ、皆の視線が翠さんに集まる。
(もしかして……っ)
 悪い方向に、想像は傾いてゆく。
 翠さんは、目を閉じていた。
「寝てる……の?」
「脈はある」
 翠さんの身体を支えたまま、手首を捉えた時雨さんが告げた。その言葉に、ホッと胸を撫で下ろす。
「初めてでこれだけ動き回ったんです。きっとかなり疲れているんでしょう。しばらくこのまま、寝かせてあげましょう?」
 僕の提案に、皆が頷いてくれた。
「じゃあみさたちは、もうひと遊びする?」
「賛成!」
「元気だな。俺はここにいよう。起きた時傍に誰もいなかったら、驚くだろうからな」
「そうね。よろしく、時雨さん」
「次は何をしますか?」
 誰も、疑っていなかった。
(翠さんが)
 もう一度目を覚ますことを。
 楽しそうに嬉しそうに、笑いかけてくれることを。
(けれど誰も)
 疑えなかった。
 冷たいそれに触れた時。
 命をまっとうした翠さんのことを。

     ★

 翠さんは1枚の紙切れを握っていた。
 それは翠さんの母親のケイタイ番号だった。
 もう陽が沈みかけた頃、やってきた母親は駆け寄ってきたりはしない。生か死かを確かめるように、触れもしない。
(哀しんでいない……?)
 むしろ僕たちの方が、翠さんの死に打ちのめされていた。覚悟は現実には勝てない。
(僕は祈らなかったから)
 誰も責められない。
 そんな僕たちに向かって、母親は口を開く。
「――今日は、娘と遊んで下さって、本当にありがとうございました。自由に遊ぶことができて、この子も満足だったと思います」
 深く頭を下げた。けれどその言葉は、あまりにも棒読みだった。
「子供が死んじゃったのに、哀しくないの?!」
「みあおちゃん……」
 叫び母親を睨みつけるみあおさん。けれど母親の表情は変わらない。
 変わらないまま。
「この子の遺言なの」
「え?」
(遺言?)
 予想外の言葉だった。
「家に手紙があったんですか?」
 問った羽澄さんに、母親は首を振る。――横に。
「違うわ。家を出る時に、言い残したのよ」
「?!」
「それって……!」
「あの子が今日飲んだ薬、とても強い薬だったの。心臓はしばらく安定する。軽い運動も平気。その代わり……副作用がね」
「そんなっ」
「最初から、そのつもりだったわけか」
「とめなかったんですか?!」
「――とめられるわけないじゃない!」
「!」
 みさきさんの言葉に、それまで冷静を保っていた母親が叫んだ。
「私はこれまでずっと、この子が病気と闘っているところを見てきたの。どれくらい苦しんできたかも! それに――どうせそのまま生活していても、数週間しかもたないだろうと言われていたわ。それなら私は、ただその日を待つよりも、この子の夢を叶えてあげたかった」
「………………」
(どちらが正しかったのか)
 きっとそれは、誰にもわからない。
(でも――)
 翠さんを喜ばせたという意味では、母親の選択は確かに正しかったんだろう。
「――翠さんの遺言は、なんだったのですか?」
 それを知りたくて、僕は問いかけた。母親は頷くと……一字一句丁寧になぞるように、言葉を紡いだ。



 どうか誰も哀しまないでね。
 私は自分の人生を後悔なんかしていない。
 だって精一杯生きた自信があるんだもの。
 多くの人が私のために尽くしてくれた。
 それだけで私は、十分幸せだったわ。
 それにこれから、最期の願いを叶えるもの。
 とても幸せよ。
 怖くなんかない。
 覚悟なら、毎日してきたから。
 むしろ嬉しいくらい。
 皆に平穏を返せる。自由な時間を返せる。
 私のために使ってくれたすべてを、やっと返すことができるの。
 だから哀しまないでね。
 旅立つ私を祝福してね。
 笑顔で手を振ってくれたら、私はもっと幸せだから――



 告げ終えた瞳から、一筋の涙が落ちた。

     ★

 彼女の手の平に、僕は握らせた。
 僕が次に指揮をする予定の、聖歌隊の公演会チケット。
 母親へ繋がる紙を握っていた彼女の手は、簡単に僕のそれを受け入れた。
(それも神の)
 導きなのかもしれない。
 どこへでも、その音が届くように――












                             (了)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/ PC名      / 性別 / 年齢 / 職業                 】
【 1415 / 海原・みあお   / 女 / 13 / 小学生                】
【 1323 / 鳴神・時雨    / 男 / 32 / あやかし荘無償補修員(野良改造人間) 】
【 1282 / 光月・羽澄    / 女 / 18 / 高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員 】
【 1286 / ヨハネ・ミケーレ / 男 / 19 / 教皇庁公認エクソシスト(神父)    】
【 0534 / 杉森・みさき   / 女 / 21 / ピアニストの卵            】



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■         ライター通信          ■
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 散りゆくさだめの華だから、せめて楽しく美しく――。

 初めまして(笑)。伊塚和水です。
 『最期の華』にご参加ありがとうございました。いかがだったでしょうか?
 今回は多くの方が予想なさっていたように、最初から『死』をテーマにしたものを書こうと思っていました。死ぬとわかっていても感動できるようなお話が書きたかったんですね。実際はそれに失敗したような気がするのですが(笑)。少しでも翠に同調して下さったら嬉しく思います(同情ではありませんよ!)。
 ところで、聖書の引用が得意とあったので、私の大好きな一文を引用してみましたが……最初これのラテン語を探していたのですが見当たらず、結局英語のままの引用となりました。英語でもよかったんでしょうか? そんな所が心配になっております(笑)。
 それでは、またお会いできることを願って……。

 伊塚和水 拝