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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


勝者の笑みと氷の微笑

――それは何気ない朝の風景だった。

 初夏の日差しが肌に暑さを覚えさせる頃。新緑が深く青く瑞々しい輝きを与えていた。明け方に振った雨もすっかり上がり、爽やかな風が辺りを和やかに包む。
 『十桐』と重々しい表札が掛けてある右下の出入り用小口から、帯まできちんと締め上げた少女が出てきたのは、ちょうどその頃。黒い髪に黒目がちの大きな瞳。帯止めに入れた鈴が小口を潜るとシャン、と小さく鳴った。
 右手に竹箒を携えた桐守凛子は日に日に夏を待ち侘びる太陽に目を細める。今日は御主様の稽古の日。あまりの蒸し暑さは大切な御主様の体力を奪ってしまうのではないだろうか……――。
 慣れた仕草で、サッサ…と箒(ほうき)を動かし始めた凛子は、道行く人に会釈と挨拶を交わしながら、縁側で庭の櫻を見上げていた御主のことを思い起こす。否、彼女の存在理由が彼と云っても過言ではない。
 彼女の一族――桐守家は能のとある流派の分家・十桐家の一族でもあり、同時に裏稼業として、代々言霊を使役する十桐家に仕える結界師の家系でもある。凛子が帯に入れた鈴が結界師・桐守家である何よりの証拠――その鈴が彼女の意思を伝えるとき、そこには補佐的な美しい結界が現れる。

 幾代の時を経て、19という若い凛子が桐守の結界師に、そして十桐家の当主に従事している。彼女は先代の頃から――生まれた時から『御主様の為に』という教育を受けてきた。別にそれが彼女自身の苦痛でも何でもなく、外の世界を知って『普通』ならば己の定めに嘆きを感じるかも知れない。だが、凛子は正しく文字通り『御主様の為に』だった。その想いは淡い恋心と重なっていた、と云えば俗物的だろうか。

 周りにどう映ろうと、凛子にとっては何も変わりは無かった。御主様だけ守れればそれでいい。
 漆黒の大きな瞳をやや伏せて、埃を集めては駆け抜ける風に、通り過ぎる人に、凛子は穏やかだった。確かに。確実に。恐ろしいほどに。
 それが、完全に凍りつく瞬間が訪れようとしていた。ある意味、彼女がこの世で1番嫌い――否、『敵』として見なしている存在かも知れない。
 遠くからマフラー音が近づいて来る。凛子の耳はそれをいち早く察したのか、顔を上げた。深紅のThe BMW Z3roadster――何処のスカした男が乗っているのか嫌でも想像出来る。挨拶を交わした後の笑顔が凛子の顔から一切合財消えていた。

「これは本家の当主様、このような朝早くから……」

――お出でになられるなんて、相変わらず非常識なこと。

 思っていても口には出さない。羽のついた黒ピカな生物よりも、足が100本あると云われる害虫よりも、果てしなく嫌いだったとしても――彼は『一応』、御主様の仕える方なのだから。

「御苦労。アレは起きてるか?」

 凛子のトゲトゲしい雰囲気を男――沙倉・唯為も知っている。知っている…と云うよりも、あまりに単純で幼稚な凛子など唯為の眼中にも入らない。まぁ暇潰し程度にからかうのが関の山か。
 サングラスを外し、肌蹴られたシャツに引っ掛けると男は十桐の扉を開こうと、足を動かした。されど、ここでこの要注意人物を簡単に通しては結界師・桐守の名が廃る。
 凛子は思いっきり笑みを貼り付け、

「唯為様、まだ稽古の時間にも余裕があることですし…」

――朝日で灰にならないうちに山へお帰り下さい、狼さん。

 彼女の笑顔は凍てつくように…否、本気でこの黒いスーツの男を撃退したい。白いまっさらな御主様に近づけては毒…。
「…………」
 短い沈黙を経て、その凛子の心の内を読み取った唯為は、フフンと鼻を鳴らし全てを察した後、

「アイツは朝が苦手だろうからな…」

――灰になったら風に乗ってウサギが襲えるな。

 余裕綽々の笑みを口元に含む。門を潜ろうとする唯為にあからさま…ではないにしろ――箒で足を引っ掛けようとしたり、ワザと埃を掛けようとしてみたり……幼稚と云えば幼稚な迎撃を試みる凛子に、男は逆に余興ついでにカラかってみるか、と腹黒い心のうちで嗤ってみる。

 冷たい黒い瞳と笑っていない笑顔を称える凛子と暫しのバトルを交わした後、唯為は彼女の不意をついて、そっと凛子に歩み寄ってみる。凛子としては――正直、「男」に対して面識がない。幾ら御主様を守る為に育てられた、という理由が彼女に付き纏うとも、ヘタに大人の男に近づかれる機会など全くもってない。故に――上手く交わせないのが彼女の大いなる欠点とも云えるだろうか。

「…!」

 長身の男が靴を鳴らして近づいたかと思うと――屈んで彼女の耳元に吐息が掛かる近さで――囁く。
 御主様とは、また違った色香と腹黒いこの男の科白に、弾かれるように凛子は顔を上げた。勿論、顔と云わず耳まで真っ赤だ。――何を囁かれたのか……恐らく彼女が甲斐甲斐しく仕える御主のことであろうが、あまりにもアレなのでここでの記述は避けておく。

 赤面し、硬直した凛子に唯為は勝者の笑みを作る。もともと勝負事云々になれば、凛子には勝ち目が無い。色んな意味で純粋過ぎる彼女に男は喉の奥で嗤って屋敷の扉を開き、姿を消す。――凛子がハッと我に戻ったのは、その重厚な扉が閉ざされた音で、だ。

――………。

 悔しさが込み上げるのと同時に、凛子はまた怒りを覚える……そう、氷の微笑を。
 凛子の視界に入ったのは紅い車――ターゲットはこれしかない。

「…ブレーキ」

 唇を僅かに動かして不穏な言葉を呟く。
 こうして、彼女のリベンジは静かに、そして冷酷に始まった。
 記述したいのは山々だが、あまりにもピピーでピピピーな内容故に、ここで筆を置くことにする。


Fin