コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


片割れの龍の音色

 観音開きの重い扉を開けると頬にひんやりとした空気を感じた。
「全くあのくそじじいが」
 扉を開けた少女はぶつくさと悪態を吐きつつずかずかと扉の中へと押し入っていく。
 なにやらいわく有り気な神社の神殿内の倉庫。だというのにその少女はまるで神性を感じていないらしい。無造作な足取りは豪胆を通り越して無神経なほどだった。
 実際彼女はこの空間に神性などと言うものを感じない。幼い頃近所の神社の境内で悪さをしてその晩眠れなくなるといったような他愛もない幼児経験は彼女には一切無かった。否――ありすぎた。
 何しろ彼女、月杜・海央(つきもり・みおう)は神社で生まれ育ったのである。
 境内の木によじ登ってその枝を追ってみたり、走っていて勢い余って賽銭箱に激突するなど日常茶飯事。その都度眠れなくなっていたりすれば今頃は立派に衰弱死している。今更倉の一つや二つで恐れをなす海央ではなかった。それどころか時折こそこそと祭られている宝剣を持ち出して祖父仕込の剣技で暴れる始末である。
「全く……」
 その罰当たり娘は、悪態を吐きつつもごそごそと倉の中を探っていた。
 神社は季節に何某かの儀式を行うものだ。周期や内容は祭られているものによって様々だが、祭事が執り行われる事には違いはない。海央の生まれ育ったこの神社も無論例外ではなく、年に一度神楽舞と奉納試合が執り行われる。その神楽舞に使う鈴をとって来いと命じられて、海央はこの倉に入ってきたのである。
「毎年毎年同じことをやるならこんな奥にしまい込む必要なんかないだろうがあのくそじじいめ」
 積み上げられた御物を一つ一つ探ってはまた元の場所に戻す。御物はこの倉の中でのみ管理されていて、出しては仕舞いまた出しては仕舞うを繰り返している。つまり一年前に使ったものなど最も奥まった所へ押しやられている可能性が高い。御物に神性の一切を感じていない海央には悪態の一つも吐かなければやっていられない作業ではあった。
 幾度それを繰り返しただろう。額に薄っすらと汗が滲み始めた、ちょうどそんな頃合だった。
 それはふと海央の視界を掠めた。
「……?」
 倉の隅。尤も奥まった場所に古ぼけた桐の箱が置かれている。
 かなり色々と乱雑に積み上げられている倉の中で、その箱だけが上に何も置かれず下に何も敷くこともなく、静かに鎮座していた。これまで目に付かなかったのが不思議な程である。
「なんだ?」
 海央はその箱を無造作に取り上げた。
 古ぼけて変色した桐の箱は、やはり色あせた朱房のついた紐で丁寧に閉じられている。
『御物を勝手に弄るな』
 祖父の声が耳に蘇る。
 そして海央は迷わずその紐を引いた。そのいい付けを守るには海央は機嫌が悪すぎたのだ。
 はらりと紐が落ちる。そっと蓋を開くとそこには何か細長いものが油紙で包まれて鎮座していた。
「……なんだこれは?」
 ガサガサと油紙を取り払い、海央は中のものを取り上げた。
 艶やかな漆で覆われた筒状の細長いもの。随所に穴のあけられているそれを海央は見たことがあった。そのものではなく同じ名で呼ばれるものを、だが。
「……竜笛……」
 大ぶりの横笛。同じ年頃の娘なら見分けなどつかないだろうが海央は神楽の行われる神社で生まれ育った。幼い頃から雅楽器には慣れ親しんでいる。
「……なんだってこんな所に……」
 如何にもいわく有り気に。
 首をひねりつつ、海央はその竜笛をまじまじと見つめた。



 そんなつもりなど無かったはずが、手にしたそれを口元へと運んだのは何故だったのだろう?



 たどたどしいが、音が出た。
 海央は目を閉じ、その音に耳を傾けながら更に息を吹き込む。
 竜笛は強く吹き込めば高音を、柔らかく吹き付ければ低音を出す。だがそんな知識は海央にはない。見たことはあっても、触れた事はない楽器だ。
 けれど音は響く。
 気付けば高く低く、海央は竜笛を自在に奏でていた。

 龍の鳴き声の如き鋭い音色。地の響きの篳篥と離れずしかし絡まず、天からの光である笙の音色の中を泳ぐ。その名の如く天と地とを結ぶ龍の音色。



 知るはずのない竜笛の奏法。そして耳に馴染むこの音色。
 馴染んでいるはずだ、神楽では毎年聞いている。だが、そう言い聞かせても納得は出来なかった。
 海央は御物の箱に腰掛け、目を閉じ竜笛を奏でながら、奏でつつも混乱していた。
 知っている、知っているはずだ。
 毎年のお神楽で、竜笛はなくてはならぬ楽器。雅楽に於いては重要な位置をしめる楽器なのだから。
 だから知っている。
 だが、そういう『知り』方ではない気がする。いや、ないのだ。

 胸の奥から呼び覚まされる何かの情景。
 己の奏でる音色は何処かへ己の意識を飛翔させる道標。
 嘗てどこかで、こうして竜笛を奏でた事はなかったか?
 どこか、そうどこかで、

 ――誰と?



 どのくらいそうしていただろう。
 海央はふと我に返った。
「……なんなんだ一体……?」
 手の中の竜笛に視線を落とし、海央は独白した。
 妙な自体には慣れている。妙な事体が起きてくれるからこそ宝剣など持ち出して暴れるはめに陥っているといってもいいほどだ。
 だが、それはあくまで『外』の出来事だった。自らの『内』から来るこんな思いにはついぞ縁がない。
 もう一度そっと音を出してみる。やはり不思議と音は出る。扱いの簡単な楽器ではないにも関わらずだ。
「私、は……」
 沈みかけて、海央は慌てて頭をふった。何時の間にか周囲が暗くなっている。この暗がりで再び御物を漁るのは不可能に近い。小言を覚悟で戻るしかない。
「――参ったな。まあ、仕方ないが」
 苦笑して海央は倉を後にした。
 その手に、竜笛を握ったままで。
 不思議とその笛について祖父に問いただす気は無かった。問いただした所で小言が増えるだけだというところもあるが、それ以上に聞く事などない気がしていた。
 決して、聞いても分からない。

「――誰、だろうな」
 ポツリと海央は呟いた。微かに、胸が押された。