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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


■恋、させて下さいませんか■

件名:最期に        投稿者:消えゆく者
初めまして。
突然の書き込みをお許し下さい。消えゆく者と名乗らせて頂きます。
突然ですが、私はもうすぐ大きな手術を受けます。成功する確率は5%もないとの告知を受けました。
こんなことを、誰もが見るこの様な掲示板で言うのは些か軽率かと思うのですが、そこが私の問題箇所なのです。
私はこの世や生きることに何の執着もありません。
誰もが見れる掲示板で、軽々しくこんなことを言えてしまうほどに…。
どうか私に、恋をさせてください。
生きることや、この世への希望や憧れを持たせて下さい。
あなたに恋をさせてください。
お願いです。この世を離れて、後悔したいのです。
もしかしたら助かるかも知れないけど…。
一週間後に私の病室は面会謝絶になります。
それまでにどなたか、私に会いに来てくださいませんか。
男の方でも女の方でも構いません。
あなたなりの方法や考え方で、私に恋をさせてください。
今ならまだ外出許可も出ます。
お願いです。
区立総合病院の615号室です。
出会い系サイトのような書き込み申し訳ありません。


■■■

面会謝絶まであと3日。結局掲示板に描き込んでも、誰も来てくれはしなかった。
あと3日で私はこの部屋から出られなくなる。
あと3日…。
今日で4日目。まずい病院食も済ませて、あっという間に消灯時間。窓から見える病院の敷地内では赤いランプが点灯している。
急患だ。
何もかもが灰色がかって、極彩色の悪夢を見ているよう。
これから眠りにつくけれど、私は起きられるだろうか。
目を開けて見ている極彩色の悪夢を、今度は目を閉じて見るのだ。
掲示板に書き込みをしてから3日目の夜。
どうせ明日もまた同じような日がくり返される。




DAY0―Night

カラカラと看護婦が医療器具セットを台車に乗せて巡回している。
看護婦の靴は消音効果を持たせるように作られているから、足音は聞こえないけど、台車を押す音は静まりかえった院内に響く。
カーテンで仕切られた相部屋のベッド。
看護婦は明かりが点いているベッドに顔を覗かせて、早く寝るように指示した。
明かりを点けていれば、看護婦が来る。
古原瞳は明かりを点けていなかった。勿論、看護婦に来られたくないからである。
台車の音が部屋の前から通り過ぎて、辺りは再び静かになった。
瞳は明かりのないベッドの上で、目を開けて空を見ていた。窓際のそのベッドは夜になるとひんやりと冷気が伝わった。
相部屋である他のベッドはとても暑そうなのだけど。
瞳はベッドからそっと降りた。右手についた点滴を運んで、体の右側に位置する窓を眺めた。
寝ている位置から左側には隣の患者が寝息を立てている。右側は窓。
院内の中庭が見えるその窓は良く磨かれていて、急患を運んできたと思われる救急車が走っていた。
声にならないよう、そっと呟いた。
「あと3日…」
あと3日で、古原瞳は面会謝絶となり、その後に手術を受けることになっていた。成功率の低い、難しい手術。
面白みのない夜の風景を視界から外して、瞳は再びベッドに入った。
目を開けていても、閉じていても何ら面白くない。
無機質な天井を見上げていると、耳に、コン、と音が届いた。
この相部屋のドアは閉まっていないからノックのしようがないし、何にしても夜だから、そんな音するはずがない。
コン。
もう一度。
音源を探そうと瞳は視界をめぐらせた。第一、あんな音が段々大きくなりでもしたら看護婦が飛んでくる。
コン。
どこだ?そう思ってふと窓を見た。
すると――――。



「…窓から入ってくるなんて」
瞳は目の前に座る長身の男に言った。
「夜の方が人目を気にしなくて良いだろう」
ベッドに座る瞳に答えた相手の名はダージエルと言った。
「そういう問題じゃなくて、ここ六階ですよ。看護婦にばれたら何言われるか…!」
そこまで言いかけて、瞳は相手が笑っていることに気付いた。
「なんですか」
「いや、掲示板の書き込みがあまりにも刹那的だったものだから、もっと淡泊なのかと思った」
「あ、そういえば何で私が消えゆく者だって分かったんですか?」
瞳が聞くと、ダージエルは茶台に置いてあるノートパソコンを指さした。
「この部屋の他の患者は持っていなかった」
「ああ、そういえば…」
僅かな月光の下で話すので、お互いの顔はきっとよく見えていない。
「来てくれてありがとう。私が消えゆく者です。本名は古原瞳」
「是非ともこの世に希望を持って貰いたいな」
「そう、させて頂けるんでしょう?」
「そのつもりだ」
瞳は穏やかに笑ったつもりなのだが、相手には見えていないだろう。
「どこに連れて行ってくれるんですか?外出許可は必要ですか?着ていく服、何かあったかな…」
そこまで言うと、ダージエルは椅子から立ち上がった。
驚いて見上げる瞳に背を向けて、スタスタと窓に寄った。
「あ、あのっ!がっかりしましたか?予想と違っていて、その、あの…」
窓を開ける長身の男が金髪だったことに瞳は初めて気がついた。
月光に少し反射した金糸が綺麗だった。
「ダージエル…さん!」
窓の桟に手を掛ける。窓が開いて夜風が吹き込んだ。
「待って、あの、あなただけなんです!あなたしか来てくれなかったんです!」
「また、明日」
必死に言う瞳を一瞥して、ダージエルは窓から落ちた。
一瞬背中に寒気が走って、瞳は慌てて窓の下を喉いた。が、元の通り中庭があるだけで、人の姿は何も見えなかった。
窓から入ってくる時点で普通じゃないことは予想できたけど、でもやっぱり吃驚する。

「瞳ちゃん?何してるの?」

直後、看護婦が、来た。



DAY1―Noon

良く晴れ渡った夏の空を窓から臨みながら、瞳は相変わらずベッドに座っていた。何をするでもなく、ぼんやりと、隣のベッドの見舞客や看護師の巡回の声を聞いていた。
次々と面会人がやってきて、各ベッドに散っていく。今日入れてあと3日で瞳は個室に移り、面会謝絶になる。
一人、男が入ってきた。長身で瞳よりやや年上に見える。
そういえば昨夜会った男もこれ位の身長だったか。
見ているとその男はまっすぐ瞳のベッドに近づいてきた。



少し早めに家を出た。
妙な掲示板の書き込みを見て、いざ会いに行こうと思ったのは3日経ってからだった。
何かと色々な雑用があって、直ぐに行くつもりだったのが、すっかり遅れてしまった。
門屋将太郎(かどやしょうたろう)は臨床心理士である。
諸々の理由で心理相談所の客は芳しくない。それでも時々現れる病んだ人の相手をしていればそれなりに時間は取られる。
病人が少ないのは喜ばしいが、それで食っていく身としては何とも複雑だ。
久しぶりの患者を診ていたらすっかり日暮れを三回見てしまった。
区立総合病院の周辺には花屋が多い。
見舞い用にと商売魂がうかがい知れる店がいくつか並んでいて、どこも似たような花を揃えていた。
店員が選んでくれた花は、青と白の小花をあしらった涼しげなものだった。
花束って値が張るんだなぁと思いながら支払いを済ませ、門屋は花を受け取った。
果物を見舞いに持って行くとなると病名によってものが違うというのは聞いたことがあったがそれは花束にはないらしかった。
区立総合病院はなかなかに綺麗な作りで、入って直ぐが吹き抜けになっている。正面には計算や受付、入退院の申込をするカウンターが並び、待合い用の長椅子が前に並んでいる。広いその場所をエントランスとし、そこから東西南北に廊下が延びている。一角には大きな階段が設けられ、階上への道を作っていた。
入院病棟へは南の廊下を突き進み、渡り廊下を使って行かなければならない。
入院病棟に着いたらエレベータを使って六階まで上がる。
エレベータ独特の浮遊感のあとに、チンと無機質な音が響いて、両開きの扉が開いた。
つくづく病室番号を聞いておいて良かったと思った。
まさか「消えゆく者さんの部屋はどこですか」なんて、看護師に聞くわけにいかない。
門屋は花束を持ち直すと、600〜615号室、と表記されている案内板に従って廊下を進んだ。
点滴をした子供がすれ違い、老人が手すりに掴まって歩いている。
自分と同じように見舞いなのか、大きな袋を提げた女性ともすれ違った。白い制服の看護師が何やら書類を持って急ぎ足に門屋を追い越していった。
615号室は一番端の部屋だ。
他の病室と変わらずに患者と見舞い人とで賑わうその部屋は、6人の相部屋だった。
――しまった…相部屋って事は…――
6人の患者のうち誰が「消えゆく者」なのか分からない。
年齢も性別も聞いてないから、探しようがない。
手前の二つのベッドには中年の女性が寝ている。その向こうは左が金髪の若い男、右がそれよりもう少し年下のショートカットの女。一番奥は左が空きベッドで右には黒い長髪の女。
………どれだ。
手前のベッドには女性の家族らしき人が見舞いに来ている。金髪の男には若い女が、ショートカットの女には血の繋がりがありそうな中年の女が、いる。
一番奥の黒髪の女には誰も見舞いが来ていない。
――雰囲気からしてあの女だと思うんだが――
そう思って近づいたのが、一人でぼんやりと窓の外を眺めている黒髪の女だった。

「どうも、掲示板に書き込みした人かな?」
あえてHNを出さなかったのは万が一人違いの場合を考えてのことだった。
だが、黒髪の女は間違いなく「消えゆく者」で、話の辻褄があった。
「はじめまして、古原瞳です。来てくれてありがとう」
真っ白い頬を持つ顔が綻んで、この暑い季節だというのに、まるで冬薔薇のような笑みを見せた。
門屋は差し出された丸椅子に座って同じように自己紹介した。
「はじめまして、門屋将太郎です。書き込みありがとう」
「変なの」
「退屈してたんでな。時間は遅れたけど、興味深い書き込みだったから」
「門屋さんの退屈凌ぎになればいいのですけど」
瞳はそう言うと、差し出された花束を受け取った。
「ブルースターとミニバラですね。綺麗」
「そう言う名前なのか」
「ええ、花は好きで、よく図鑑で勉強したんですよ」
門屋は正直驚いていた。この世に未練がない、死んで後悔したい、そんな風に書き込むものだからてっきりもっとすれた物言いなのかと思った。渡した花には興味を示してくれるし、表情豊かに笑うし、まるで他の入院患者と変わりない。
「恋を…したいんだって?」
単刀直入ではあるがそれが一番良い。変に捻って聞けば相手も答えを捻り返してくる。
瞳は花束を茶台に置いて、門屋を見た。その名の通り瞳が印象的で、大きな目だった。
「ええ、恋…というより未練でしょうか」
瞳は曖昧に笑った。
「掲示板の書き込み通りです。あと3日経ったら私は個室に移って手術を受けます。成功率はとても低い。覚悟処か、私は寧ろ確信しているの。だから、この世に未練を持ちたいわ」
「どうして未練がないんだ?なんで恋がしたいんだ?」
門屋の問に、瞳は答えなかった。
暫く待っていても口を開こうとしない。
黙り勝負になれば確実に患者の方が強いことを知っている門屋は、それっきり瞳に解答を求めなかった。

昼食の時間になって、遠くで食事を運んでくるワゴンの音がした。
取りに行かなきゃ、とベッドを立とうとする瞳を遮って、門屋は自分が取りに行くことにした。
同階でテレビのある、少し開けた場所にワゴンは止まっていて、一つ一つ盆に料理が並んでいる。
古原瞳と書かれた札が乗っている盆を取って、薄い色のみそ汁を零さないように、門屋は再び部屋に戻った。
魚の煮付けとみそ汁、白飯に酢の物、それに緑茶。
「…味、薄そうだな」
「薄いですよ。美味しくないです」
瞳は言いながら食事を片づけていく。食べ始めに、失礼します、と一言挨拶をして。
「結構食うんだなあ」
「ええ、食べないと叱られますから」
病弱で大手術を控えている者とは思えないくらい、まして掲示板にあんな書き込みをするような者とは思えないくらい、瞳は手際よく箸を進めた。
他のベッドでも食事の音がして、より一層騒がしくなった。
「外出許可、取ろう。で、遊びに行こう」
突然の門屋の申し出に瞳は少し箸を止めて相手を見た。
「取るのにどれくらいかかる?」
「あ、今日の夕方の検診の時に言って、明日の昼には、多分」
「じゃあ明後日だ。おまえさんが面会謝絶になる直前。遊びに行こう」
「は、はい…」
いきなり進んだ事の次第に瞳は少々吃驚したようだった。




DAY1-Night

門屋が来て、帰ったその夜、真夜中にダージエルがやってきた。
また明日と言っていたのできっと来るだろうと予想してのことだった。
「やっぱり窓から入ってくるんですね」
瞳は言いながら彼を迎え入れた。
看護師の巡回が過ぎたのを待って、瞳は明かりを点けた。
黄色い光の中に、ダージエルの金髪と不思議な雰囲気が広がった。
左目に大きな傷、右目は見えない。額にキラと光る宝石が見える。
「怖いか」
「いいえ」
「…珍しいと思うんだが」
「いえ、病院にいれば片手のない人や片足のない人が沢山いますもの」
なんとなく、ちょっと違うんじゃ…とダージエルは思ったのだが、とりあえず口にはしないでおいた。
「今日はもう一人掲示板の書き込みを見て来てくれた方がいたんですよ」
「ほう?」
「門屋さんとおっしゃるそうです。そこに活けてある花を持ってきてくださいました」
「趣味のいい男だな」
他愛ない会話が続いて、時間が少し経った頃、看護婦が巡回に来た。
台車の音が聞こえ、慌てて明かりを消した。
帰ろうとするダージエルの裾を掴んで瞳は引きとめた。
台車の音が病室の前で止まる。看護婦が懐中電灯で室内を照らした。
影が映る!と、瞳は掴んだ裾を何とか隠した。
暫くして、台車の音は遠ざかり、元の暗闇が戻ってきた。
「………。」
「すいません」
ベッドの下に隠れていたダージエルが瞳を無言で見上げた。
申し訳なさそうに謝る瞳に、いや、と言葉を返して、改めて椅子に座りなおした。
黄色い光が再び点って、瞳の黒い髪も、ダージエルの金髪もお互いの視界に入った。
「手術は、怖くないのか」
「ええ。実は父も母ももう別世界に行きました。私を見舞う途中事故に遭って。だから怖くないんですよ。死ぬことも、手術も」
「だが、父母だけがこの世に留まる理由ではないだろう?」
「いいえ、それだけです。遺伝の胸患いで、物心ついた時からこの病院にいました。あの二人だけが唯一、私の存在を認めてくれる人達でした」
実の親子の話をしているはずなのに、どこか他人行儀なしゃべり方が、耳についた。
暫くの沈黙があり、ふと気付くと瞳がうつらうつらと傾いているのが分かる。
「寝た方が良い」
「せっかくもう少しお話できるかと思ったのに…」
「明日も門屋という奴は来るのだろう。だったら休め」
虚弱な瞳の体を支えて、ベッドに横たわらせようと、ダージエルは立ち上がった。
「素敵な…朝焼け色の服ですね…」
半分瞼を落としながら、寝言のように瞳が言った。
「ダージエルさんは…朝からやって来られたのですね…だから、いつも夜明け前に帰られるのですね…」
「分からぬことを…」
言いながら、毛布を掛けてやった。
「金の髪、と、綺麗な宝石…ダージエルさんはきっと、朝焼けの天使なのですね…」
「……私は天使ではない」
「大きな…朝焼け色の翼をお持ちでしょう…?」
「…なぜ手術を受ける事にした?」
会話が成り立たないのは百も承知、返事が返らぬことも承知で、ダージエルは問うた。
黒く長い髪が白いシーツに流れて、縞模様を作った。
段々と、瞬きの間隔が長くなり、今にも瞳の目は閉じてしまいそうだった。
無回答を覚悟して、窓を開けたとき―――。
「親、の…遺言です…」
それで、瞳は眠ってしまった。



DAY2−Noon

門屋は昼過ぎに来た。
午前中はまだ眠気の残る体でベッドに座り、回診やら点滴の交換やらを受けて過ごした。
アナウンスが鳴って、昼食を取りにいこうとベッドから足を下ろした時、門屋が瞳の盆を持って現れた。
「ありがとうございます」
「いーえ。点滴つけたままの移動って大変だろ?」
「あはは、分かりますか?実はこれ意外に動きにくいんです。ちょっと振動があると大きな音が鳴って看護婦が飛んでくるんですよ」
なるほど、瞳の点滴はよく見かけるものとは少し違っていて、吊り下げられ養分が入った袋の先から細い管が出ている。
普通はその管が腕まで伸びて針を介して体に流れ込むのだが、瞳の場合は袋から腕までの間に箱のような機械を通している。
小さなボタンが幾つか付いていて、電光板には養分(薬?)の落ちる速度が赤い数字で示されていた。
瞳の話によれば、この機械を通して規則正しく体に送り込むようにセットされているのだそうだ。
だので、少しの振動があるとその動作が狂い、危険になりかねない。
その場合は大きな音が鳴って、それがナースステーションまで聞こえ、誰か飛んで来るというわけだ。
瞳は相変わらず手際よく食事を片付けた。
食器を返しに行くのも門屋が行い、瞳はベッドから降りずに済んだので、いつもとてつもない音量で響く点滴の音は今日は静かだった。
戻ってきた門屋と一緒に入ってきたのは看護師を連れた回診の医師だった。
「橘先生。私の主治医さんです」
瞳は初老の男を門屋に紹介し、門屋も名前だけ名乗った。

「今日は食事は取れた?」
「はい」
「そうかそれは良かった」
「瞳ちゃん偉いんですよ。二日続けて食事全部食べたんですから」

妙な違和感があった。
二日続けて、ということはいつもは残しているのか食べないのか。今日は、という言い方からして、毎日食事の摂取量が変わっているような雰囲気が感じ取れる。
考える門屋の目の前で、回診は手早く終わり、医師は外出の許可を瞳に伝えていた。
あとで看護婦が、門屋に人が来ると積極的に食べようとする、と教えてくれたのだけど。
「門屋君と言ったかな?一緒に出かけるなら行き先を教えておいてくれないか」
「あ、はい、えーと」
決めていなかった。単純に考えていたことといえば単に出かけるということだけ。
言葉に詰まった門屋を差し置いて、瞳が口を開いた。
「先生、野暮なこと聞かないで下さいよ。門屋さんと私はデエトするんですから」
「はっ?!」
「ハハハ、分かった。じゃあ行き先は聞かないから、具合が悪くなったらすぐに病院に連絡入れるんだよ。分かったね?」
「勿論です」
門屋を無視して医師と瞳は会話を進め、笑いあっていた。
外出の際の注意事項を聞いて、瞳の今日の回診は終った。
「……………でえと?」
顔をひくつかせて訪ねる門屋に、瞳は笑って答えた。
「だって、橘先生いつも気の毒そうな顔するんですよ。私に身寄りが無いこと知ってからいつも心配そうに私を見るんです。だから、私にだってデートできるような人がいるんですーって。それだと橘先生の心配そうな顔も和らぐでしょ?」
「俺はダシか」
「ごめんなさーい」
突っ込みながら、医者にまで気を遣っていることを知り、更に身寄りの無いことまで分かって、それでも気丈に笑う瞳に、健気に近い言葉が浮かんだ。
読心の術を使うまでも無く、痛々しい姿がありありと見て取れた。
「さて、今日は早めに帰るよ」
「え?」
「明日、出かけるから、早く帰って休むよ」
「変なの。門屋さんは健康なのに。あ、もしかしてもうそろそろ年…」
「俺はまだ二十代だっての」

自分より、瞳を休ませてやりたかった。
今日で二日目。明日でたぶん終わり。明日出かけて、別れて、それで終わり。
だから、色々話とか、答えを聞くことになって、疲れさせてしまう。
だから、今日はゆっくり休んで欲しかった。



DAY2−Night


「それで、外出許可が取れたんです。明日遊びに行ってきます」
看護師の巡回を避けながら、瞳は今夜もダージエルに昼間のことを報告していた。
「あまり無茶をしないように」
ダージエルも、聞き役に徹して瞳の話に相槌を打っていた。
あ、と瞳が突然間抜けな声を出して、思い出したように言い出したこと。
「あの、昨夜私変なこと言いませんでしたか?眠くなると思考回路おかしくなっちゃって、変な事を言うと思うんです。失礼なこと…言いませんでしたか?」
「私の服の色を見て、朝焼け色だと言った」
「そ、それから?」
「私は天使なのだそうだ」
「うわあ」
電波っぷりも良い所だと自分を嘆く瞳に、ダージエルは付け足した。
「親の遺言で、手術を受けることにしたのか?」
「あああ、そんな事も言いました?!本当のことなんですよ。親が残した遺産が手術とかの医療費なんです。それで、親の遺言には“瞳は次の手術を受けること”とか書いてあったらしくて、だから手術受けるんです。受けたくて受けるわけじゃないんです。でもお父さんとお母さんの願いだから、受けないわけにはいかないんです」
勢いよくしゃべって、最後に早く二人のところに行きたいんですけど、と瞳は苦笑した。
「父母の事故死になぜ遺言があるんだ?事故死は唐突にやってくるものだ。遺言など普通用意しておくはずがないだろう?」
ダージエルのその問いに、瞳は一瞬体を堅くして、その傷のある目を見た。
吸い込まれそうな青い目。
次に、観念したように瞳は項垂れた。伏し目がちに目線を落とし、顔を下に向けた。
「あ…はは…ダージエルさんって、あったまイー…」
「真面目に聞いている」
「…事故死に見せかけた自殺だったんです。なんか、相当私の病気が二人とも精神的にキてたみたいで、それで、見舞いに来る途中、ガードレールに突っ込んだらしいです」
長身のダージエルは椅子に座ると、ベッドに座る瞳を見下ろす形になる。
その位置関係のせいで、深く俯いた顔の表情は伺えない。すると、急に顔を上げて、瞳は笑った。
「嫌ですよねぇ、子供一人残して先に死んじゃうなんて。遺された方の身にもなってみろって感じですよねえ。大体私も両親の事故を病院で人から聞くかー?って自分で突っ込んじゃ…」
「お前が無理に笑うのは親から貰った名前に負けない為か」


瞳。
澄んだ目の色をした子だからそう名付けたのよ。いつもその目でいてね。
悲しくて泣く事が無いように。
いい名前だわ。瞳、綺麗なお目々ねぇ…


「だって、目に見える形で残されたものはこの名前しかないんですよ。だから、守りたいと思うでしょう?」
「名を守るのは良い事だ…が、辛い時に胡散臭い笑顔を貼り付ける事を父母が望んでいたかどうかは分からんな」
ダージエルは立ち上がって瞳を更に高い位置から見下ろした。
そして続ける。
「父母が死んだから自分も死ぬという考えならば、瞳、君は世界を知らなさ過ぎる。明日はしっかり楽しんでくると良い」
はい、と返事をして、落涙する瞳の頭に手を置いて告げた後、ダージエルは静かに窓を開けた。
「いつも、どうやって帰るんですか?」
涙をぬぐいながら、瞳は金糸の後姿に聞いた。
振り向いた刀傷の青い目は、月光に反射して、その色を増していた。
「飛んで帰る。私には朝焼け色の翼があるからな」
ダージエルは答えた。



DAY3−Noon

看護師達に見送られて、門屋と瞳は午前中に病院を出た。
駐車場を横切って、停まっているタクシーに乗り込んだ。門屋は一番近い公園を指定した。
車は一旦大通りを走った後、直ぐに脇道にそれて、小さな公園前に二人を運んだ。
「酔ってない?大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
料金を支払い、門屋と瞳は公園内に入った。
平日だったせいか園内は遊ぶ子供の姿も少なく、閑散としていた。
「ポケットパークって言うんですよ。こういう小さな公園」
言いながら瞳は少ない遊具を見て周った。あんまりはしゃぐなよ、という門屋に大丈夫だと一言言って、ブランコに腰掛けた。
それを追って門屋もブランコに座る。
「おい、大丈夫か?」
胸を抑えて苦しそうにしている瞳に慌てて声を掛けてやると、瞳は額に汗を浮かばせて、苦笑いした。
大丈夫でないことくらい、門屋には直ぐ分かる。
表情でも気持ちでも、瞳は“苦しい”と言っているのだから。
「ブランコは初めて?」
「記憶に残る限りではこれが一回目」
「素直に初めてと言え。押してやるよ」
門屋は瞳の表情が元に戻るのを待って、その背後に立った。台座の端から上に伸びる鉄臭い鎖を握り、ゆっくりと背中を押してやる。
普通はもっと大きく揺れるものなのだが、瞳の乗ったブランコはかなり小ぶりに揺れた。
「門屋さんの手、大きい」
瞳は嬉しそうに黒髪を靡かせて言う。
「男なもんでネ」
「お兄ちゃんみたい」
「何とでも」

まだ緩い日差しが公園に植わった木に遮られて、丁度良い温度になる。
緑の木の葉から所々に光が差し込んで、影は二人を斑に染めた。
ブランコに乗り終わった瞳は次に滑り台へと足を向けた。
背丈の低い滑り台は、背の高い門屋の目線にすべり始めの場所が来る。
階段を上って、瞳は狭い場所に座った。
「そんなに珍しいのか?」
「はい。初めてですから」
それだけではないような気がする。
短い急斜面を嬉しそうに滑ってはまた階段を上る瞳を見ながら、門屋は何とはなしに考えていた。
珍しいだけの態度ではなく、むしろ人と一緒にいられることを楽しんでいるような…。
「あのさ」
門屋は既に何度か滑り降りてもまだ足りないのか、また滑り始めようとする瞳に声をかけた。
「お前、他に身寄りとかねえの?見舞いって俺以外にはこねえの?」
「…来ませんよ、誰も」
少し顔を曇らせた後、瞳はそう答えると、斜面を滑った。着地点で立ち上がり、今度は門屋の正面に立つ。
「門屋さん、旋毛が左巻きなんですね」
「え?」
「嘘ですよ」
「真面目に…!」
「真面目ですよ。見えない事を他の人から知らされると信じちゃいません?それが嘘か真か分からずに、人から言われたことって信じそうになりませんか?」
瞳はその名に恥じない綺麗な目で、門屋に問い掛けた。
ああ、この子は信じたんだな。親の事故死を一番に知らされて、その後に自殺だと知らされて、二重の傷を追ったんだな。
門屋は入り込んでくる瞳の心に耳を傾けた。
「私の親は自殺しました。私の病気が苦になって、私に手術を受けるようにと遺言を残して、遺産を残して、それで、自殺しました」
…私を助けたかったのかな、それとも…
…邪魔だった?生きても死んでもいいから、早く片をつけて欲しかった?…
「早く、お父さんとお母さんのところに行きたいです」
瞳は呟いて、もう一度階段を上り始めた。
そして滑り降りる。また階段を上って、滑って、上って滑って、上って滑って…。
「止めろ!死ぬ気か!」
また階段を上がろうとする瞳の腕を門屋が掴んだ。
既にそのサイクルは急ぎ足になっており、このまま何度も滑り降りていたら体に障る。
腕を掴まれた瞳はぼんやりと門屋を見上げた。
自分より背の高い相手。
「おい、聞いてんのか!」
「聞いてますよ。門屋さんこそ、聞いてました?私、早く両親のもとに行きたい」
…手術なんて受けたくない…
「娘に死んで欲しい親なんてどこにいるんだよ」
「娘の幸せを願う親はたくさんいます。私の幸せは親と共にある事です」
じゃあどうしてこの世に恋がしたかったんだ、そう聞きたかったが、一度答えてくれなかった問いは簡単に再度質問していいものではない。
「日が高くなってきた。どこかで休もう」
門屋は瞳の腕を引いた。
ダイレクトに流れ込んでくる瞳の気持ちに、休みたいのは門屋の方だった。
着いた先は小さな喫茶店で、窓際の席に案内された二人はそれぞれコーヒーとアイスティーを頼んだ。
「帰院は何時だっけ」
「午後3時です」
それだけ会話して、暫くの沈黙。
飲み物が届いたのを合図に瞳が口を開いた。
「一昨日持ってきてくださった花、看護婦に少し分けてあげたんです」
「へえ」
「綺麗な青い色がフェルメールブルーみたいで、綺麗」
フェルメールはオランダの画家だ。36点の傑作が世界中に拡散していることでも知られている。フェルメールの作り出す青は独自の方法で生成され、時が経っても劣化せず、鮮やかな色を保つことで通称“フェルメールブルー”として有名だ。
中でも、代表作は「ターバンの女(真珠の耳飾の女)」。
門屋が持ってきたブルースターはそのフェルメールブルーに似ている、と瞳は言った。
「博識だな」
「ええ、少しでもこの世に未練を持ちたくて、いろいろ勉強してみたんです」
ただ花は枯れてしまいますけど、と言って、瞳は笑う。
この二日間で瞳は病人だという意識がすっかり定着していた門屋は、椅子に座って、私服で紅茶を飲み、窓の外を肘をついて眺めるその姿に意外感を持っていた。
「俺、臨床心理士なんだ」
突然の門屋の告白に瞳はびっくりしたようだった。
アイスティーの氷が溶けて、カランと音が鳴った。
「臨床心理士って、あの、人の心を扱うお医者さんですよね」
「ああ」
「わあ、私何話しましたっけ?つじつま合ってないところが沢山あるかも」
「いや、構わない。それが普通だから。過去と現在の話のつじつまが合わないことは問題じゃないんだ。話を始めて、その時のその話題を出すということ、その話題を今現在本人がどう思っているか、そんなことが大切だから、矛盾は問題じゃないんだ」
少し語り口調に言ってやれば、瞳はため息を吐いて、プロなんですね…と感嘆した。
「だからさ、帰りまでに教えてくれ。なぜ恋がしたいのか」
「そうですね、帰りどころか、今教えても構いませんよ。心理士さんなら」
瞳は一口紅茶を飲んでから、答えた。
そして、話し始める。
「私がこの世に未練をもてない理由は、早く両親のもとに行きたかったから。でもそれと同時に声が聞こえる。この世に恋をしなさい、未練を持ちなさい、って。その声ってね、誰だと思います?私自身の声なんですよ。声が聞こえると言うより、テレパシーがあるならこんな感じかなって。手術を受けることが決まってからその声が酷くなって、だから掲示板にあんな書き込みをしたんです。……信じてくれますか?」
「勿論」
心も嘘は言ってない。門屋はコーヒーを飲んだ。
「自分が人形になってしまったような気になるときはある?」
「あります。しょっちゅうです。両親が自殺したことを知った時、死んだ人に遺言でまで生かされつづけるのか、って。私は人形じゃないかって。病室の中にいて、まるで外の世界と隔離されたような気分になって…あれ、何だか私さっきまでと両親への評価が違う?」
「ほらね、辻褄が合わないだろ」
門屋は笑った。

離人症という病気がある。人格障害の一つで、自分の中にもう一人(といっても「一人」とはっきり区別できない場合が多い)自分がいるような気がして、常に客観的に自分に何かしらの言葉を投げてくる。
はっきり口調のある言葉を投げてくるのではなく、言いたいことの意図を脳に直接訴えるような感じでもう一人は喋る。
患者は自分が人形や機械になったような気分になり、ガラスの箱に入れられて周りと隔絶したような感覚になる。
視界がパノラマ写真のように平面的に見え、まるで霞がかったような雰囲気を感じる。
そして、この離人症が、一番自殺率が高いのだ。
人は誰しも客観的に自分を評価する部分と主観的に自分を評価する部分を持っているが、この場合は両者の距離が異常に開きすぎている。
そして、客観的に評価する部分は、大抵誰でもマイナスの評価しかされない。
それが転じて最終的に「自分は居ない方がいい」という結論に至ってしまうのだ。

門屋はあえて瞳にその話をしなかった。
病名を告げて自覚しさせてしまい、更に悪化するケースも少なくないからだ。
「そいういうことは誰にでもあるんだ。辛い時や苦しい時、もう一人の自分が直ぐ傍で見ているような気分になったりする。気持ちが落ち着けばもう一人の自分は現れなくなる」
嘘ではない。多少真実と離れているが、門屋はそこまでに言葉をとどめた。
未練を持て、恋をしろ、と言っている人格が消えてしまえば、瞳は真っ直ぐに死を選ぶ。
普通は逆の関係にあるはずなのだが。
「じゃあ…門屋さんはもう一人の私の言葉を聞いてくださったんですね。掲示板に書き込みをしたのはもう一人の私…でも書き込んだ記憶はあるのに…」
呟くように言う瞳に門屋は言った。
「コラコラ、もう一人も何もない。何人いようがお前はお前、古原瞳だろ」

それから暫くして、二人は喫茶店を出てゆっくり道を歩き、途中の店で昼食を取った。
病院まで休み休み戻りながら歩くことにした。
日差しの強い時間帯なので、休む回数はかなり多い。
歩道の並木を見ながら、病院への帰り道。
タクシーに乗ろうと門屋は言ったのだが、瞳はそれを拒否した。並ぶ店々が珍しく、ゆっくり見て帰りたいとの事だった。
小さな公園、小さな喫茶店。行動範囲の狭い外出。
それでも、こんなにもの珍しそうに辺りを見回す瞳は本当に病院内から殆ど出ないのだなと思わせる。
聞くところによると、外出は一年半ぶりとの事。
なくなった店や新しい店が沢山できていて、面白いらしい。
道端に座ったり、イチョウの並木を見上げたりしてゆっくり道を歩けば、時間は大分進んでしまった。
病院の建物が見えてきて、近づいてくる。
「牢獄に帰るような気分?」
「あはは、何ですかそれ」
「この世に恋は出来ましたか」
「どうでしょう」
門屋は一足先に病院の敷地内に入り、瞳を通せんぼした。
「もっと積極的に生きようとしろよ。お前の世界は両親だけじゃないだろ。今日見て周ったのはこの病院から500メートルの範囲だ。世界を知ったほうが良いよ。何があってどんな人がいるのか、とかさ。ちなみに心理士としての意見じゃない。門屋としての意見だ。ホラ」
そう言って、門屋は瞳に手を差し伸べた。
「大丈夫だよ。世界は面白い。お前今日はこんな狭い範囲で色々面白いもの見つけただろ。もっと広い場所に行けばもっと面白いものが見られる」
中々手を出そうとしない瞳に、門屋は更に付け足す。


この手を取れば、病院内に戻る。
でも手の持ち主は病院外を知れと言う。
ブランコを押してくれた大きな手。正確には、ブランコではなく、自分の背中を押してくれた。
ゆっくり、負担がかからないように。
ブランコはかなり小さく揺れたけど、それでも浮き上がる視界が楽しかった。
今日見たのは、とても小さい世界。
この手を取れば、もっと大きな世界が見れるかもしれない。

ああ、今夜もまたダージエルが来るのかも。

瞳は細い手を差し出した。
それと同時に一瞬眩むような感覚を覚え、体が揺れた。まるで、ブランコに乗った時みたいに。
タクシー、ブランコ、滑り台、紅茶、並木…いろんな物が頭に思い浮かんだ。
患いとは違う胸の痛みがキリリと走って、その場に蹲った。


「あんた!大丈夫か?!入院患者か?」
頭上から声が降ってくる。
顔を上げると、男が一人自分を見下ろしていた。
赤い目に長身。
「すいません…歩けます」
瞳は知らぬ男に会釈して、院内に入った。


後姿を、門屋はその場から見送った。




DAY3−Night

記憶消去法だ。直ぐに分かった。
瞳はすっかり今日一日は一人で遊びに行ったと思っている。術者本人の都合を考えて、ダージエルはあえて門屋の話題を出さなかった。
身振り手振りで話す瞳は時々胸の痛みに顔を顰める。
「それで、とても狭い世界なのに、私すごく楽しかった」
「この世に未練は持てたかな」
ダージエルは聞いた。少し言葉に詰まった瞳に、もう一息かと言うと、点滴の針を抜いた。
今日の外出時でさえ、カバンに入れて携帯していた点滴を抜かれて、瞳はびっくりした。
「あ、あの!ダージエルさん?!」
「夜の世界も見てみないか」
慌てる瞳をよそにダージエルは手を引いて窓を開けた。
先に窓の外に立ち、瞳もこっちへ来るよう促した。
恐る恐る足を一歩出せば、まるで透明な板があるような感触。
平らな地面の感覚。
「本当は、歩いてくるんですね」
瞳は言うと少し背伸びした。
そのまま二人で中空を歩いて、一番大きな地図である真下の景色を眺めた。
夜の電飾に彩られた眼下の夜景は息を飲むほどに綺麗で、その場所は一番の特等席だった。
「昔一度だけ博物館に行ったことがあるんです」
瞳はポツリと話しはじめた。
「ガラスの中に収まった美術品がとてもかわいそうになって、次に怖くなった。ガラスケースの中の美術品は昼も夜もその場所にいて、ずっと私たちを見ているような気がした。狭い狭い箱の中で、自分を見に来る客を、見ているような気がした。私だったら耐えられないナとか、こんな狭い箱の中に一生いつづけるなら誰かに盗まれでもするほうがずっと幸せなのにナって」
瞳は、ビルの上でしゃがみ込んだ。
何も言わないダージエルに、変なこと言ってごめんなさい、と言うと、それきり口を噤んだ。
「瞳…は、生きていたいか」
「どこかで、そういう気持ちはあります。でも助かるはず無いっていう気持ちに時々負けそうになる。それが早く両親のもとに行きたいって言う気持ちと手を繋いで、世界が灰色に見えるんです」
「世界を知ろうとは思わないか」
「…同じ事を他の人から言われたような気がします」
立ち上がって、遠くを見る瞳の目はきっと何も見えていないのだろう。
彼女の視線の先にはいつも父母がいて、それは追う対象なのだ。
「でも今日出かけて良かった。色んなものが沢山見れたから。あ、ダージエルさんにも会えてよかったです。素敵な夜景を見せてくれてありがとう。点滴もなしにこんなに動けるなんて信じられない」
瞳は嬉しそうにくるくるその場を走り、まとめた黒髪を揺らした。
病院着がふわふわと風に遊んで少し寒そうだった。
「父母の元に行くことなどない。私は天使だから、瞳が望めばその胸の患いも癒そう。手術を受ける必要も無い」
自分の上着を、瞳に着せて、ダージエルは言った。
「………ダージエルさん、かっこいいなぁ…」
朝焼け色の上着は、瞳には大きすぎる。
剥き出しの素足も、腕も全部包んで尚余る。
「私に惚れていただいて結構。それで瞳がこの世に未練を持てるなら」
ダージエルはそう言って笑った。いつもの紳士的な笑みではなく、子供っぽい笑み。
「今日、世界は綺麗だと思いました。日の光も、木の葉の緑も、この夜景も…でもそれは私が明日から外に出られないから余計にそう思うんでしょうね。ダージエルさんがかっこよく見えるのも、きっと明日になれば誰にも会えないからだわ。焦ってる私。何とかして恋をしなきゃ、未練を持たなきゃって」
更に続ける。
「両親から沢山愛されて、多分私は幸せでした。胸はいつも痛んだけれど、それは病気のせいだと思っていました。でも違ったんです。両親が早く良くなってねと笑うたびに、胸の奥が痛くなって、その痛みは薬を飲んでも引かなかった。面会時間が終わるときにはそれがピークになって、でも引き止めることが出来なくて、それで我慢していました。その気持ちが孤独だと言うことも知らずに」
小さく、もう一人を実感するのは嫌だと、瞳は言った。
ビルの谷間を吹き抜ける風が二人の髪を撫でていき、眼下の景色からは引っ切り無しに都会の喧騒が耳を突いた。
「約束しよう。病気が治ったら、遊びに行こう」
ダージエルは約束をつなげるべきだと思った。次に会う約束をしておいて、それで希望をもってもらいたかった。
「ダージエルさん背が高いから、一緒に歩くと置いていかれそう」
「歩幅を合わせて歩く」
「私小さいから、直ぐ迷子になりますよ」
「そうなったら空から探すことにしよう」
「すごく目立ってしまう」
「魔法をかけて、透明人間になるのも悪くなかろう」
「死にたくないです」
唐突に吐かれた言葉に、ダージエルは返すことが出来なかった。
本当なら、魔法とか、あらゆるものを使ってもっとはっきりした事の次第を知りたかった。
だが、そうしてしまえば、彼女の見えていない部分を壊すことになるようで、どうしても思いとどまらざるを得ない。
「今日遊びに行って、大切なことを知って、怖くなりました。死ぬことなんて何でも無いって思っていたのに。両親に会いたいのは今も変わらないのに」
「未練を持ちたい、恋がしたい、死にたくない、そう思うだけで立派だ。大抵の人間はそんなこと考えずに生きているのだから」
大きな上着を羽織った瞳を見下ろして、ダージエルは言う。
「一人にならなくて良い。いや、人間は一人になれない。両親や恋人、友人や嫌いな人…そんな人達に大抵の人間は囲まれているものだ」
「私は生きても良いんでしょうか」
「当たり前だ」
至極当然だと言うようにダージエルが答えるのと、直ぐ傍のビルの明かりが消えるのは同時だった。


それから空を歩いて病室に戻ったのは一時間も経った頃だろうか。
点滴を付け直して再び横になった瞳に、点滴のつけ方知ってるなんて、と笑われながらダージエルは上着を着直した。
巡回の看護師から隠れた後、活けてある花について聞いた。
「どうしてあるのか分からないんです。でも多分看護婦が持ってきてくれたんだと思います」
首を傾げて考え込む瞳にダージエルが笑う。
「一人じゃないだろう?こうして誰かが花を持ってきてくれるのだから。きっとこの花を持ってきてくれた者も瞳の回復を望んでいるだろう。そんな者を置いて逝くわけには行くまい?」
ホラこれで未練が出来た、と言って瞳の頭を、前みたいに撫でてやれば、小さく頷く動作が伝わった。
「それに、ダージエルさんとの約束もありますものね」
「そうだ。この花をくれた者にも礼を言いに行かねば」
「誰だか分からないけど」
「ああ」
貼り付けではない笑顔に、ダージエルはほっとして右手を掲げた。
ほんの少し散った光が、瞳の胸に吸いこまれていった。
「消えゆく者よ、私はお前を癒そう」
「ありがとう、朝焼け色の天使様」
「本当は、もう少し偉い立場なんだが」
光が全部胸に落ちて再び灯りはスタンドライトだけになった時、瞳の胸はとても澄んでいた。
なんとなく言葉を濁した相手に、瞳が笑い、じゃあ神様?と言った。
そうだ、とダージエルも笑う。
「さようなら、朝焼け色の神様」
窓辺に立つダージエルに、瞳は横になったまま告げた。
「ああ、退院したらまた会おう」
それだけ言うと、ダージエルは窓の外に消えた。
夜明けにはまだ時間があって、瞳はそれまで眠ることにした。



DAY4−Noon

門屋は区立総合病院に来ていた。
今日からはもう会えないことを承知で入院病棟に向かった。勿論、会ったとしても相手は自分のことなど覚えていない。
昨日、別れ際に記憶を消してしまったのだから。
南の廊下を行きついでエレベータを使う。
エレベータを降りて直ぐ、目の前を移動式ベッドが通過した。
「あ…」
そのベッドに寝ているのは、古原瞳だったからだ。
今日から面会謝絶で病室を個室に移るらしい。薬で眠っているのか、瞳は目を閉じていた。
後を追う看護婦が花瓶を持って現れた。
その花瓶には、自分があげた、白と青の花。
看護婦は門屋に気付き、会釈した。
門屋もそれを返して、廊下の先に消えてゆくベッドを見送った。

結局、自分が瞳に未練を持たせることが出来たのかは分からない。
昨日遊びに行って様子を見る限りでは、楽しそうだったし、生きる気力とか、そういうものも伺えた。
………自分に恋をしてもらったかどうかは別にして。
他人の自分についての記憶を消した以上、こちらもこれ以上詮索するわけには行かない。
門屋はくるりと背を向けて、降りたばかりのエレベータに乗り込んだ。


「ねえ看護婦さん、私助かるかな」
「嬉しそうに言うのね。助かるわよ、きっと」
「うん、そうだよね」


だって、私の病気はもう治ったんだから。
だって、私は世界に恋できたんだから。


…一人じゃないね…




<終>



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1416/ダージエル・−/999/正当神格保持者/天空剣宗家/大魔技】
【1522/門屋・将太郎/28/臨床心理士】


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■         ライター通信          ■
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お二方とも今回は「恋、させてくださいませんか」にお付き合いありがとうございました。
へっぽこ新米ライター相田命の拙い文章にご参加いただき、本当に嬉しく思います。
対照的なお二人が集まってくださったので、場面も昼と夜に分けさせていただきました。
しかしヘタすれば瞳の睡眠時間がなくなる…と焦ってもおりました(笑)
瞳にとって、お二方の存在が世界を知るきっかけとなるように志した次第です。

フェルメールのくだんや離人の話は本当に私の雑学を混ぜ込んでしまい、大変楽しく書かせていただきました。
また、ダージエルさんのクールな設定に惹かれ(笑)描写もとてもやりがいがありました。

大変お待たせしてしまってごめんなさい(叩)
長くなってしまいましたが、書いていてとても楽しかったです。
また機会がございましたら、どうぞ相田の相手をしてやってくださいませ。

ありがとうございました。