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<東京怪談・PCゲームノベル>


殺虫衝動『孵化』


■消えた十数人目■

 三下ほどひどい仕打ちを受けているわけでもないが――
 彼は頭痛持ちではなかった。医者によれば、ストレスによるものらしい。
 月刊アトラス編集部所属、御国将40歳は最近しつこい頭痛に悩まされている。忘れられるのは寝ているとき、趣味で帆船模型を組み立てているとき、好物の寿司を食っているときだけだ。
 いや、もしかすると、毎日のように瀬名雫の運営するBBS群の書き込みをチェックしているせいかもしれない。これは別に将の趣味ではない。雫のBBSの書き込みをまとめるのが、将の担当している仕事だった。
 この担当を外してもらえたら、頭痛の原因がストレスなのかはたまた電磁波によるものなのかはっきりするところだろう。
 しかし――
「ひぃぃぃいいッ! わわ、わかりましたぁああッ!」
 ……麗香に早退届を出そうとした三下は、どうやら今日中の取材を命じられたようだ。
 そんな様子を目の当たりにしてしまっては……。
 将は溜息をついてディスプレイに目を戻した。
 カサ。
 ――モニタ画面を、うじゃうじゃと脚を持ったムカデのような蟲が横切った――ように見えた。

 ……ムシを、見た。

 その書き込みを、将はBBSで何度も目にしていた。
 まさか自分がその書き込みをすることになろうとは。


■天狗の酒■

 骨董品屋『櫻月堂』は、本日臨時休業日。
 店主武神一樹に何かあったわけではない。別の仕事が入ったわけでもない。
 彼は昨晩、逢魔が時に呑みまくったのである。「酒は20歳を過ぎてから」、と法律は言うが――世間が言うには、「酒は20歳になる前まで」。それ以降は、老化していく身体がアルコールについていけなくなるのだそうだ。毎日浴びるほど呑むような輩は別として、一樹はそれほど酒好きでもなかったし、午前中は床から出ることさえままならなかった。時折呻いては住み込みの店員兼想い人に馬鹿にされた。散々だ。
 一樹は確かに、それほど酒好きではなかったが――仲間と酒を呑むのは好きだ。
 逢魔が時にやってきた仲間は、まさに魔であり、妖であった。
 その闇のものたちこそが、一樹の呑み仲間である。
 昨晩は(と言っても、白々と夜が明けるまで呑んでいたのだが)久し振りに高尾山から降りてきた天狗たちと、旨い酒を呑んでいた。
 昼もだいぶ過ぎてから、もぞもぞと一樹は布団から顔を出す。
「こうしてる場合じゃないんだが……」
 それも、呻き声に過ぎなかった。
 いつも通りに回転し始めた脳の中には、昨晩の(しつこいようだが、朝まで呑んでいた)天狗の話がしっかりと残っていた。一樹は、ただ呑んでいただけではなかった。ちゃんと己の役目を心得ていたのである。
 彼は、この世の歪みを正す者のひとり。



 逢魔が時のことである。
 そろそろ寝る支度でも、と一樹が腰を上げたとき、どかどかと勝手口が叩かれた。楽しげな声と笑い声が聞こえた。その声色に聞き覚えがあり、一樹の眠気はどこかに吹き飛んだ。一樹は足早に勝手口に向かい、戸を開けた。
「おう! 物部!」
「ふぉっふぉっふぉ!」
「何じゃ、また老けおった!」
「言うな次郎坊、人ノ生は50年ぞ」
「なアにを、今は80年と言うそうではないか」
「お前たちか! 久し振りだな」
「ひょひょひょ、酒じゃ、高尾の神酒を持ってきた」
「どうじゃ、一献!」
「ほうほう、答えるな。わかる、わかるぞ」
「邪魔する!」
「ふぉっふぉっふぉ!」
 一樹が招き入れる前に、8人の天狗はがやがやと櫻月堂に入ってきた。
 天狗は、心を読む。
 一樹の答えを待つ必要はなかった。

 翼やら面やらでかさばる彼らではあったが、このすし詰めの状態が何やら嬉しい。一樹はとりあえず肴になりそうなものを探そうと台所に向かったが、ひとりの天狗が笑いながら一樹を引きとめた。彼が懐から包みを取り出した途端、強烈な匂いが居間に充満した。
「うぉ、それは……」
 その匂いにまったく臆さず、むしろ一樹は身を乗り出した。
 ほれ、と誇らしげな天狗の手にあるのは、紐で綴られた青ムロアジのくさやだ。
「大島の海坊主から譲り受けたのじゃ。良い酒には、良い肴よ」
「こりゃあいい。すまないな」
「さ、座れ。肴も酒もたんとある」
 この部屋に入ることが出来るのは、天狗が居ると言うことを差し置いても、一樹くらいのものだろう。酒とくさやの強烈な匂いは、窓を開ければ近所迷惑になるのではないかと思えるほどだった。
 こんがりと焼けたくさやと高尾の神酒を囲んで、宴は朝まで続くことになった。

 酒は呑んでも呑まれるな。
 一樹は結果的に翌日二日酔いに悩まされることにはなったが、天狗たちの話は残らず記憶していた。宴は明るかったが、話題の中には暗いものもあった。彼らはこの世の影を人間よりも知っている。影の中に手を入れても、それ以上黒く染まることもないからだ。人間はどこまでも透明であり、黒にも白にも成り得る存在。それでいて、染まりきることの叶わぬ者。一樹はそんな人間の一人だ。闇のものたちからの情報は、いつも有り難く頂戴していた。
「蟲に憑かれた輩が現れ始めておるのう」
「ムシ?」
「蟲は何処にでも巣食うものよ」
「左様、人の心の中にもな」
「ああ……」
 一樹は、納得した。
 虫の知らせに、癇の虫、腹の虫。虫の居所が悪ければ、ちょっとしたことでも腹が立つ。天狗の言う通り、蟲というのは一番人間と近しい異形なのである。
「それに憑かれてるとは、どういうことなんだ?」
「ほっほ、気づかぬか。蟲がこの帝都で暴れ回っておるぞ」
「『しんぶん』を読まぬのか、『にゅーす』を見ぬのか」
「何も見読まぬ我らでも、知っておる」
「帝都は血の海じゃ」
「……そう言えば、最近、この辺りで事件が多いな……物騒だとは思っていたが……」
「そう、それよ」
「蟲の仕業じゃ」
「ゆめゆめ喰われるな」
「蟲を手懐けて初めて、人は人であるのだ」
 難解な謎のようでありながら、天狗たちは実に事実だけを言っていた。一樹はまだそれが抽象的なものなのかもしれないと思い、その場では心に留めておくだけにしておいた。
「すこうし前までは、人も蟲をよう上手いこと飼うておったがの」
「土が消え、草が刈られ、風が巻き、火が剣戟と成ってからは、とんと人も不器用になった」
「酒も肴も余るほどだが――」
「人の心は緑青塗れじゃ」
「お主は心配も無さそうじゃが、ひとつまじないをかけてやろう。お主は蟲に呑まれず、喰われることもない」
「待て待て太郎坊、蟲は己で御すものぞ」
「固いことを言うな、三郎。戯れじゃ、戯れじゃ」
 言うと、天狗のひとりは紅い手を一樹の頭にずしりと乗せた。
 ただそれだけではあった。一樹も、何も変化を感じなかった。
 それは、まじないであったから。まじないというものは――信じることで初めて効果が現れるもの。今はまだ、一樹は信じるものが何かを知らない。
 蟲が何であるかを、漠然としか理解していなかった。

 天狗たちは夜が明ける頃に、一本歯の下駄を履き(どれも同じ下駄に見えたが、彼らは少しも迷ったり揉めたりせずに、自分の下駄を見つけ出していた)、からからと楽しげに笑いながら骨董品屋を出ていった。
「物部、忘るるな!」
「蟲を御すのじゃ!」
「蟲はうぬの後ろにおるぞ!」
「また会おう!」
「ふぉっふぉっふぉ!」
 ばさばさという羽音――
 風――
 天狗の姿はかき消えた。高尾山に帰ったのだ。
 残された一樹は、重くなった頭を振って、家に戻り――床に直行した。
 居間にはまだ中身の入った徳利や、食べ残したくさや、土産のくさやが転がったままだった。一樹には片付ける気力など勿論なかった。



 それが、天狗がもたらした夜。
 一樹はもそもそと居間に行った。すでに、宴の跡は無い。きれいに片付けられ、匂いもあまり残ってはいなかった。戸棚を開けると、丁寧にラップに包まれたくさやがあった。それにほっとして、一樹はようやく身支度を始めたのだった。


■親愛なるコネクション■

 裏路地に佇む影法師、
 酒屋の裏のゴミバケツを漁っている猫又、
 チャット中のくちさけ、
 公園の物置で居眠りしている付喪、
 家具店に就職した枕返し、
 一樹はその日の午後、おおよそ近場に居る妖を訪ねてまわった。
 誰もが蟲のことを知っており、危惧するものもいた。問題は一樹が知らないうちに深刻なものにまで発展していたようだ。人の問題は人で解決するべきだが、妖の助けが入っても誰も咎めることはあるまい。
 一樹は蟲に憑かれている者を見つけたら知らせるよう、妖たちに頼んでおいた。彼らは一樹の頼みならと、快く(もしくは渋々と)引き受けた。
 しかし、蟲というものは、大概が夜に目覚めるもの。そして、光と獲物を求めてさまよい歩く。
 日があるうちは、収穫が無かった。
 ただくちさけからは連絡があった。
「ゴーストネットOFF、知ってるでしょ」
「ああ。管理人も知ってる」
「そこでムシのスレッドが立ってるほど、ネットじゃ有名になってきてるのよ。しかも『ムシを見た』って感じのカキコしたひとは、皆消えてるか死んでる」
「皆? 本当か?」
「信じるのも信じないのもあんたの自由。でもね、月刊アトラスで『ムシ』の記事を担当してた記者も消えてるのは確かよ。あすこの編集長がその記者を探してるの」
「碇が……」
 それは、大事だ。信憑性もある。一樹は思わず唸った。
 マスクをしているくちさけだったが、すん、と匂いを嗅いで顔をしかめた。
「……ねえ、なんかあんたちょっとクサイんだけど……お風呂入ってんの?」
「なに? 俺が臭い? それは嘘だな!」
「自分じゃ気がつかないのねー……」
「やめろ、そんな目で見るなよ」
 くちさけは肩をすくめて、帰っていった。あの目は――確実に笑っていた。


 日が沈み、魔が目覚める。
 身を隠していた闇より這い出で、光と人に牙を剥く。
 骨董品屋『櫻月堂』の勝手口を、小さな手が叩いた。
「おう」
 それは小さな子の姿をしていた。口の中で何かを転がしながら、一樹に言う。
「蟲に喰われそうなやつ、近くの公園に居たよ」
「そうか!」
「行くの? 危ないと思うけどなあ」
「ほっとけないだろ」
「おいら、とめたかんね」
 子供はぺろりと舌を出した。旨そうに舐めていたものがちらりと見えた。
 牛の目玉だ。羊の目玉かもしれない。瞳孔が楕円形だった。
 仕方のない奴だと呆れながらも、一樹はその目玉が人間のものではなかったことに安心してしまっていた。

 一樹は目玉しゃぶりの言った公園に行き、戸惑うと同時に驚いた。
 男がひとり――くたびれた格好の中年がひとりいた。スーツはよれていて、シャツも汚れている。何日も家に帰っていない様子だ。
 その顔にどことなく見覚えがあるような気がしたが、一樹は思い出せなかった。どこにでも居る男だ。見覚えがあっても、単なる勘違いかもしれない。
 しかし、
「……あんた……ああ……見たことが……誰だったかな……」
 呻き声のようなものをあげて、男はこめかみを押さえた。
「武神一樹だ。『櫻月堂』の店主だよ」
「ああ……そうか。そうだった……」
「あんたは?」
「俺は……アトラスの……」
 一樹の中で、情報と記憶ががっちりと噛み合った。
 この男は、碇麗香が探している男だ。ムシを追ううちに蟲に憑かれたか、それとも、麗香の下で働くことに疲れてしまったのか。
 どちらにせよ、この男は正常な状態にはなかった。
 街灯がふたりを照らしているのに、一樹が見つめるこの男の下にある影は、揺らめき、ときには消え、ときにはささくれていた。男は頭を抱えたまま立ち尽くしている。街灯は当然動かない。だが、影は蠢いているのだ。
「来るんだ」
 男の腕を掴んで、一樹はずんずんと歩き始めた。
 男は目を見開いて抵抗した。
「よせ、い、今俺は……」
「普通じゃないんだろ? そんなことは影を見たらわかる」
 言われて男は自分の影に目を落とし、うう、と呻いた。
「で、出てきちまう……やめろ、逃げろ」
「あんたは休め。酒でも呑んで飯でも食って、休むんだ」
 男は疲れのためか足腰に力が入っておらず、ずるずると一樹に引きずられるようにして――『櫻月堂』に連れこまれたのだった。


■蟲の宴■

 男は、御国将と名乗った。
 一樹が知らなかったのは、今まで話したこともなかったからだ。見覚えがあったのは、一樹が何度もアトラス編集部を訪ねていたから。
 そう言えば、いつもつまらなさそうに仕事をしていたような気がする。
 将はひどい頭痛を抱えているようで、会話もままならないほどだった。頭を抱えてうずくまり、唸り声のような呻き声を上げ続けていた。
「この酒を飲め。いい神酒だから効果があるかもしれない」
「頭が痛いのに、酒か……本気で言ってるのか」
「本気だとも。大丈夫だ、ご利益もあるから」
 そう言って強引に杯を渡し、昨晩の残りの酒を注ぐ。将はためらいがちにその酒を呑んだ。――途端に、驚いていた。
「……旨いな」
「そんな旨い酒、始めてだろ」
「ああ」
「いい肴もあるぞ。さあ、呑んだ呑んだ」
 将は薦められるままに、くいと杯を空けた。一樹は笑って酒を注いだ。
 注ぎながら、男の影を注意深く見守った。
 神酒にどれほどの効果があるかはわからない。天狗は高尾山の神だが、人が抱える人の闇と歪みを正せるのは、人の力だけなのだ。事実、男の影の揺らめきはまだ治まっていなかった。若干大人しくはなっているようだが。
 一樹は戸棚を開けた。くさやが残っているはずだ。ラップに包まれた、本場の青ムロアジのくさやが――
「う! 臭ッ!」
 最高級のくさやだからこそ、ラップごときでは匂いを閉じこめておけない。戸棚を開けた途端に臭いが流れた。一樹はこの臭いの向こう側に至高の美味があることを知っているが、将はどうか。
 この臭いに顔をしかめて、ぱたぱたと手を扇いでいる。
「くさやだよ。食ったことは?」
「見たこともない」
「旨いぞ」
「やめてくれ……」
 将は呻いた。
「う、くそ、また……頭が、痛く、なってきた」
 影が、ざわざわと蠢いている。それに気がつき、一樹はものも言わずに戸棚を閉めた。

 かさこそ……

 遅かった。

 将の影が、わらっとささくれた。べりべりと畳から剥がれて、膨らみ始める。
 蟲だ。一樹が知らない異形の生物。だが大抵の人間は一樹同様その蟲を知らないにちがいない。ただ、例えるべき不快害虫を知っている――ムカデ、ヤスデ、ゲジゲジだ。
 かさこそ、
 それは脚と脚がぶつかりあいながら畳を這いずる音だった。多足の蟲は将の影そのもの。居間の明かりが照らしているというのに、将の下から影が消え失せていた。否、影はここに在る。影は今や百足のような形に変じ、将の意識を離れ、己の意思で動いている。
 蟲は一樹の姿をその複眼にとらえて、大口を開けた。この世の虫のあぎとではなかった。口の中にはびっしりと牙が植わっていた。卵塊を思わせる整然さだった。吐き気をもよおすほどの統一性だ。
 脚がわらわらと将の身体を撫ぜた。将がぞっとしたように身体を強張らせる。途端に何故か、蟲の身体は一回りも大きくなった。それまで冷蔵庫ほどの大きさだったが、今や蟲は軽自動車ほどにまで膨れ上がっている。
 押し潰す気だ。蟲にそのつもりが無くとも、放っておけばこの蟲は確実に誰か殺すし、己の本体そのものをも殺す。
 一樹は落ち着いていた。真っ向から、蟲の紅い複眼を見つめた。
 蟲はもう一度、威嚇するかのように牙を剥いた。そしてだらだらと涎を垂らしながらうねうねと這いずり――その動きは、電光石火と言うに相応しかった――戸棚に飛びつき、ばりばりと木戸を噛み砕いた。くさやの匂いが再びたち込めた。臭いが部屋に流れた途端に、蟲の大きさは更に大きくなった。
 蟲はくさやを咥えると、窓に向かって放り投げた。凄まじい勢いだったため、くさやは窓を破って外まで飛んでいってしまった。
「あ! 何てことする!」
 思わず一樹は声を荒げたが、それで理解した。
 蟲は、将のものなのだ。
 天狗の言う通りだった。
 将の負の感情が暴走しているだけなのだ。不快感の元凶を排除しているだけだ。封じたり、殺したりすることは出来ない。制御出来るのは将だけだ。
「御国! この蟲はあんたの心だ!」
 一樹が叫ぶと、うずくまったまま動かないでいた将が、ぴくりと反応した。
「俺は何もしないぞ。あんた以外に、こいつを止められる人間はいない! あんたが、あんたを救え!」
「それが……出来てたら……苦労してない……」
 将は弱々しく首を振った。
 蟲はぎらりと一樹を睨んだ。
 不愉快だ、不可能だ、余計なお世話だ、お前に何がわかるんだ。
 紅の瞳はそうがなりたてている。次に排除すべきものを、みつけた。
「いいか、俺は何もしないからな!」
 一樹は叫ぶと、蟲を前にして身構えた。
「あんたが俺を救え!」

 蟲は鎌首をもたげ、その牙を剥いた。
 びっしりと並んだ牙が狙うは、一樹の首。
 一樹は動かなかった。
 自分が動いても、将のためにはならない。この蟲が消えることもない。
 そして信じているのだ、人の心はこれほど禍々しいはずはないと!

「やめろ!」
 将が叫んだ。蟲がびくりと仰け反った。
 神酒の入った徳利が、柱に叩きつけられて割れた。
「やめろ! お前を殺すぞ!」
 将は徳利の欠片を掴み、蟲を睨んだ。次の瞬間には、自分の首筋に徳利の欠片を押し当てていた。
「戻れ! その人を殺すな! 戻るんだ!」
 蟲は、わずかに抵抗するような素振りを見せた。苦しげに身をくねらせた。
 だが、抗いもそこまでだった。蟲はするすると縮み、ざぶりと畳の中に潜るような動きを見せ、かさこそと音を立てながら、あるべきところに帰った。将の――足元へ。今や、蟲は影であり、影を踏み潰しているのは、将だった。
 将は息を弾ませながら、欠片を取り落とした。
「……出来たじゃないか」
 一樹は微笑み、歩み寄って、将の肩を叩いた。
「……悪かった」
「何で謝るんだ?」
「くさやは外に投げちまったし……酒はこの通りだ。全部俺がやった」
「いいさ。気にするな」
 実は少し気にしているのだが、一樹はそう言ってまた微笑んだ。
 将は笑わなかった。
 彼が踏んでいる影は、まだ不自然に揺らめいていた。


■呑まれるな■

 天狗のまじないは効果覿面であった。
 一樹がそれに気がついたのは、ことが片付いてからだった。まじないというのはそういうものだ。後で、結果に結び付けられればいい。まじないは人の心が成就させる。
 将にも、このまじないの力を分けてやりたい。
 その御国将は、明日にでも仕事に戻るようなことと、礼を言って『櫻月堂』を去っていった。一樹は彼が落ち着いてから編集部に顔を出すことに決めた。
 あれは、病なのだ。
 この時代で生まれた新たな病のひとつ。
 一樹と将はそれに気がついた。気づいていない者が多い世の中だから、警鐘を鳴らさねばならないのは、当然気づいた者である。
 人の世は、人の心で正されなければならない。
 それを一樹は心得ている。それ故、彼の影は、揺らめかない。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0173/武神・一樹/男/30/骨董屋『櫻月堂』店長】

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■         ライター通信          ■
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 モロクっちです。お待たせいたしました。
 この度はゲームノベル『殺虫衝動・孵化』にご参加頂き、有難うございました。武神様、いつもご贔屓にして下さり、有難うございます!
 この『孵化』は武神様のプレイング内容に添って制作したため、他の『孵化』とはまた違った展開となっております。わたしは日本の妖怪にはあまり明るくないのですが、努力しました&お陰様で勉強になりました(笑)。天狗様が好きなので思わず登場させてしまいましたが、いかがでしたか?
 ちなみにわたしは魚の干物が大の苦手なので、臭わなくともくさやはきっと食べることが出来ません(笑)。日本酒もだめです。本当に日本人なのか?! 将は魚介類が大好きなのですが、くさやは合わなかったよーです。

 第2話である『影の擬態』にもご参加いただけるととても嬉しいです。この『殺虫衝動』シリーズ、1ヶ月ごとに新シナリオを追加していく予定です。
 それでは、ご縁があればまたお会いしましょう。