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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


夢を囚える手

「あんた、”栄光の手”って知ってるかい?」
 草間に向かってそう切り出したのは、相当の年……としか分からない外見の老婆だ。
 場所は興信所近くの喫茶店。そこへと草間が呼び出されたのである。
 老婆の名は紅煉端(くれない・れんは)といい、新宿界隈でよく当たると評判の占い師だった。
 が、裏では仙道魔術のエキスパートとしてその名が知られており、草間は彼女から「でかい仕事を頼みたい」という誘いを受けて、ここへとやってきたのだ。
「ああ、聞いた事くらいはあるな」
「そうかい。さすがは怪奇探偵さんだ、話が早くて助かるよ」
「……俺をそんな風に呼ぶのはよしてくれ」
 露骨に顔をしかめる草間に、煉端がニッと笑う。
 栄光の手──ハンド・オブ・グローリーとは、簡単に言うと絞首刑になった死人の左手を一定の手順に従って燻製にした魔術アイテムの事だ。これの人差し指に火をつけて願うと、何でも望みが叶うと言われている。
「こいつを見ておくれ」
 と、煉端がテーブルの上に一枚の写真を差し出した。
「……これは……」
 ひとめ見て、草間が表情を険しくする。
 写っているのは、茶色に干からびた不気味な手──今の話に出てきた栄光の手らしかったが、問題はそこではなかった。
 なんと、ベッドに寝ていると思しい5歳くらいの少女の首を、その手ががっちりと掴んでいるのだ。
 ただし、少女の顔は安らかに眠っているようで、苦しんでいる風には見えない。
「その娘は、さる富豪の一人娘でね、ご覧の通り、栄光をもたらすはずの手に喉を押さえられて、この3日間ずっと眠ったままになってるんだよ」
「この娘を助けるのが、頼みたい仕事というわけだな?」
「ああ、そうさ」
「……ふむ」
 じっと写真を見る草間に、さらに煉端が説明する。
「実は、その手は呪われてるらしくてね。確かに願いを叶えるそうなんだが、その度に大事なものをひとつ奪われるって話さ」
「……奪われる、だと?」
「この娘の父親だけどね、若い頃、これに金持ちになりたいと願って、現在の富を手に入れたんだよ。けれど代わりに交通事故に遭って、一生車椅子の生活になっちまった」
「なるほど……」
「ちなみに手の出自だけど、なんでも昔、イギリスに留学してた頃に、その父親が怪しげな骨董屋で手に入れたって話だね。詳しい事はそれ以上わからない」
「そうか。で、肝心のこの娘を助ける方法は? どうすればいい?」
「ふふ、そうだね。問題はそこさね」
 草間が尋ねると、老婆が薄く笑う。なんとなく草間が不安になる、そんな笑顔で。
「親の部屋で遊んでいるうちに偶然これを見つけてこうなったらしいんだけど、この娘が何を願ってこんな状態になったのかは、まったく不明なのさ。だから、まずはそれを調べた上で、対処するしか方法がないだろうね」
「……よくわからんが……具体的には?」
「なに、簡単さ。この子の心に直接誰かが入っていって調べりゃいい」
「…………なんだと?」
「そっちで適当な人員を何人か用意しな。そいつらの心を、あたしの術でこの娘の心の中に送り込んでやるよ。この娘の精神世界を探検してもらう……とでも思えばいいかね」
「そんな事が……可能なのか?」
「もちろんできるさ。あたしの術を舐めないでおくれ。ただ……」
「……ただ?」
「あたしもそんな事をするのは初めてだから、安全は保障しないけどね。はっはっは」
「……」
 恐い事を平気で言い、豪快に笑い飛ばす煉端だった。
「……いや、それは断じて笑い事ではないような……」
「ふっ、男が細かい事気にするんじゃないよ。さ、そうと決まったら早速人を集めとくれ。その間にあたしも準備しとくからさ。ほら、行くよ」
「あ、ああ……」
「ついでにここの勘定も頼むよ。人を集めたら連絡しとくれ。それじゃ」
 一方的にそう告げると、さっさと草間に背を向けて出口へと行ってしまう。
「……」
 草間に残されたのは、いまひとつ納得できない気持ちと……勘定書きだ。
 老婆が座っていた席の前には、フルーツパフェが入っていた容器がふたつ置かれていた。もちろん中身はとっくに空になっている。
 対して、草間の前には、なみなみと水が満たされたコップがあるだけだった。
 草間が注文をする前に、さっさと自分の用件の説明を終え、自分の品はしっかり平らげていたというわけだ。しかも2人分。
 ……依頼の内容はもちろんだが、あの煉端という老婆自体、一筋縄ではいきそうもない。
 ため息をつきながら、そう思う草間であった。


■ 結集、サイコダイバー

「……どうやら、揃ったようだね」
 その場に並んだ顔ぶれを見て、煉端が頷いた。
 時は夕刻、場所は都内の某一流ホテルのスイートである。
 この1フロアを全て依頼主が借り切っているとの事で、掃除やルームサービスなども、こちらが呼ばない限りは絶対に近づかないようにと厳命しているらしい。無論、ホテル側には詳しい説明など一切ナシだ。まあ、これから行われるであろう事を考えるならば、それも当然だと言えるだろうが……
「その子が、問題のお姫様ってわけね?」
 挨拶もそこそこに、ミニスカートの少女が天蓋付きのダブルベッドへと近づき、覗き込む。
 朧月桜夜(おぼろづき・さくや)、それが彼女の名だ。
 ベッドでは、今回の依頼の目的である少女が、安らかな寝息を立てている。
 ただし、その首元には、天使のような寝顔とはおよそ不釣合いなものを付けて……
「これは……無理に外すのは、あまりにも危険ですね」
 静かな声音で、別の1人が言った。
 やや細められたその瞳には、かすかに不思議な色の光が宿っている。
 ──アストラル視。
 物体の本質を看破する聖なる視線が、少女の喉元に食い込む邪悪な左手へと向けられ、端正な表情にわずかな翳りを帯びさせていた。
 灰野輝史(かいや・てるふみ)、若きドルイドの末裔である。
「……このような状態になって、3日目という事でよろしかったでしょうか?」
 落ち着いた声が、続く。
 黒曜石の輝きを持った長い髪と、同色の瞳。そしてそれとは対照的な、白く整った相貌……
 ひとたび微笑を浮かべれば、ジュリアス・シーザーですらたやすく篭絡できそうな美貌であるのだが、その表情は恐ろしいまでに変化がなく、一種近寄り難い雰囲気すら漂わせている。
 ──ステラ・ミラ。それがこの妖しき麗人の名だ。
 傍らには、彼女の影のように、1匹の獣が寄り添っている。
 一見すると中型サイズの犬なのだが、詳しい者が目にすれば、すぐに狼であると知れるだろう。実際は狼ですらないのだが……その辺を説明すると一大サーガを展開せねばならなくなるので、ここでは割愛する。名はオーロラ。ステラの忠実なるしもべにして、頼りになるパートナーだ。
「ああ、それは間違いない。保証するよ」
 と、煉端がこたえた。
「なるほど。それでここまで……ですか。急がねばなりませんね」
「なにしろ子供だからね。体力はもう限界に近いさ。一応対術結界を張っちゃいるが、こんなのは所詮時間稼ぎにしかならないしね」
 ステラの台詞に、あっさりと煉端も頷いた。
 それはすなわち、少女に残された時間があまりにも少ない事を示しているに違いない。
 その証拠に、眠りに落ちている彼女の顔は白蝋の如くに白く、寝息もかなり細かった。
 忌まわしい左手の呪いが確実に命を蝕み、永遠の眠りへと誘っている……という事に他ならないだろう。
 ベッドのあちこちには、煉端が施したと思われる札が貼られていたが、それも呪いの進行を遅らせる役目にしか立っていないようだ。
「……彼女自身の願いを知り、それをやめさせるか、手の魔力を内部から断ち切るか……そのくらいしか対処がないという事ですね。しかも性急に行わねばならない」
「その通りだよ、色男さん」
 輝史の言葉に、煉端は出来のいい生徒を見る教師のような微笑を浮かべた。
「待っててね、あたし達が今助けてあげるわ。可愛いお姫様」
 語りかけながら、少女の頭を優しく撫でる桜夜……
「ジャぁ、サッソク夢のナカにイコーー! レッツらゴーーーー!!」
 と、いきなり場違いな程に元気な声。
 何のつもりかVサインをした両手を大きく掲げてピョンピョン跳ねているのは……十代半ばくらいと思われる少女だった。着ている服は、背中に小さな羽のついた黒のドレスだ。
 ──彼女はミリア・S(みりあ・えす)、という名前らしい。
「ええいうるさいっ! びっくりしてこのコが起きたらどーすんのよ! おだまりっ!」
「ホェ? そのコ、オコすノガ、コンドのシゴトじャなイノ? ダッタら、シゴト、もウオワリ?」
「んなわけないでしょ! ものの例えよ! それくらい理解しろっ!」
「……サクヤ、ナニ怒っテるノ? アンモニア、タリてナい?」
「それを言うならカルシウムでしょーがっ!」
「アハハ、そッカ。ン〜、キオク……データべーすにホゾン……OK。サクヤはカルシウムが、タリない、ト」
「ンなモン記憶するな〜〜〜っ!!」
 叫ぶ、桜夜。
 どうやらこの2人は旧知の間柄らしいが……詳しい事は他の面々には分からない。
「あ、あの……それはそうと、もう少し詳しい状況の説明などをお願いしたいのですが……」
 おずおず、といった感じで、最後の1人が口を開いた。
 ミリアと同じか、それよりちょっと若いくらい……と思われる少女である。
 海原みなも(うなばら・みなも)──皆にはそう名乗っていた。
 怖い目でミリアを睨んでいた桜夜も、それで一旦咳払いをして、居住まいをただす。
「まあ、そうするのが筋だろうね。いいよ、実際に仕事に入る前に、聞きたい事があったら聞くといい。全員こっちに来てかけな」
 みなもの言葉を受けて、顎で応接セットを示す煉端だ。
 とりあえず、それに従う一同であった。

 ……説明する、とは言ったものの、ソファにかけた一同の周りをゆっくりと歩きつつ、肝心の依頼主の事は、詳しい事を煉端は口にしなかった。
 もしかしたら煉端自身も、あまり依頼人のプライベートに関する事などは聞かされていないのかもしれないが……それも不明だ。
「では、せめて、あの子がどういう環境にいるのかはわかりませんか? 父親や母親が彼女にどう接しているかとか、家で毎日どのように過ごしているのか、とか。その辺から彼女の願いに関する事が推測できるかもしれませんし……」
 みなもが、煉端に問う。当然の質問だろう。
 少女の家に赴き、家人なり使用人なりに自分で聞いてみたいと思っていたみなもだったが、家の場所なども含めて情報は一切知らされなかったので、事前に何ひとつ調べる事ができなかったのだ。
「……依頼人の意向でね、その辺はあんまり触れてほしくないらしいよ。ただ……」
「ただ?」
「これだけは言えるね、その娘が家で誰かに苛められているとか、辛い目にあっているという事はないさ。大事にされてるようだよ」
「どうして、そんな事が?」
「……その娘の親父さん、娘のそのありさまを見たショックで、倒れちまったらしい。ここのすぐ近くの総合病院に担ぎ込まれて、今も気を失ったままさ。時々うわごとで、娘さんの名前を呼びながらね」
「そうなんですか……」
 煉端の台詞に、みなもがすっと絨毯へと視線を落とした。
「父親はそうだとして……他の者はどうなんです? 例えば母親とか……」
 代わりに、輝史がそう尋ねる。
 ただし、その視線は煉端には向けられてはいない。
 スイートルームの奥、今いる部屋とは別の一室へと通じる通路をじっと見ていた。
「あたしもそれは聞きたいね……どうなんだろうねえ」
 他人事のように呟きつつ、ただ皆の周りを歩き続ける煉端。
 他の面々の視線も、一様に輝史と同じ方向へと向けられた。
 そして、まさにそこから……
「……奥様は……2年前にご病気で亡くなられました」
 沈んだ声と共に、初老の男が物陰からすっと現れる。
「この娘の家の執事さんだよ。どこの馬の骨とも知れないあたしらに大事な家の娘を任せるわけにはいかないから、お目付け役としてここにいるってわけさ」
 煉端が、そう説明した。
 もっとも、他の面々も、自分達以外に誰かがいる事など、既に気配で察していたらしいが。
「……いえ、決して手前共はそのような……皆様を信頼しております」
「ふん、なら必要な情報は、前もってきちんと聞かせて欲しいもんだね」
「……そうしたいのは山々ですが……仕えさせてもらっております家の事は、私などがみだりに口にするわけにはまいりません」
「ああそうかい。職務に忠実で結構なこった」
「恐れ入ります……」
 まさしく恐縮したように、煉端へと頭を下げる老紳士。
「あの、執事さん、お聞きしてもいいですか?」
「はい、なんでしょうか」
 すぐに、みなもが彼に尋ねる。
「その、”手”があの子に取り付く前に、何か変わった事はありませんでしたか? 何か彼女が言っていたとか、普段とはちょっと様子が違っていたとか……」
「そうですね……」
 老執事は、しばしじっと考える表情をしたが、
「……残念ながら、何も。私が知る限り、普段と変わった様子はございませんでした。私以外の家の者も、皆そのように申しております」
「そう、ですか……」
 疲れきったような表情を見る限り、その言葉に嘘はないようだ。
 倒れたという父親はもちろんだが、彼もまた、今回の事では胸を痛めているのだろう。全身から漂う雰囲気が、無言のうちにそう告げている。
「……あたしからも、聞いていいかな。煉端さんになんだけど」
 やや重い空気になりかけた所で、今度は桜夜が口を開いた。
「なんだい、お嬢ちゃん」
「あのさ、これから行くその子の精神世界なんだけど、何かを持っていく事はできるの?」
「……ふむ、まあそれも一応説明しないと駄目だろうね」
 歩きながら、煉端が話し始めた。
「今更だとは思うが、あんたたちがこれから行くのは人間の心の中であり、精神の世界だ。実際に行くのも、あんた達の精神だけであり、物質なんかは一切存在する事はできない。つまり何も持って行く事なんかはできないわけだが……まあ、実際はあんた達の心の強さ次第さね」
「……どういうこと?」
「精神世界は、その名の通り精神──心こそが全てです。その物の存在を強く望めば、そこにある物として顕在化させることが可能……そういう事ですね?」
「ああ、その通りだよ。伊達に綺麗な顔してないね、あんた」
「はい、よく言われます」
 煉端の言葉に、大真面目な顔で小さく頷いてみせるステラだ。
「……えーと……」
 それを聞いても、いまひとつ掴みきれていない様子の桜夜だったが、
「要するに、強く想えば、例え今持っていないものでも、持参する事が可能というわけですね」
 輝史にそう解説されて、ニヤリと微笑む。
「……そっかぁ、なーるほど、そういう事なんだね。ふっふっふ……」
「イヤラしいモノ、モッテいく気、ダナ、サクヤ……」
「あに言ってんのよ!」
 速攻でミリアにジト目でツッコまれ、声を荒げた。
「……あんまりおかしな物想像するんじゃないよ。なにしろ相手は幼い女の子なんだからね」
「サクヤとチがッて、ケガレてナいンダゾ。キャハハハ」
「あの……そればかりはどうかお許しを」
「うるさいうるさい! しっつれいねあんた達!!」
 煉端、ミリア、老執事に口々に言われて、ますます頬を膨らませる桜夜である。
「……さて、質問はこの辺でいいかね。そろそろ頃合だしね」
「え?」
 ふと、煉端がそんな事を言い、桜夜が目を細めた。
 ……どういう意味? と聞こうとした時、パタリと小さな音がして、みなもの手が力なく垂れ下がり、ソファの上に落ちる。
 間を置かずに、隣で笑っていたミリアが急に倒れこんできて、膝の上で寝息を立て始めた。
「こ……れは……」
 立ち上がりかけたが、足に力が入らない。
 何の前置きもなく、いきなり全身を襲う強力な眠気と倦怠感……
「……わずかですが、香の臭いを感じました」
 静かに呟いたのは、ステラだ。
「それと、我々の周りを回っていたその足運び……それは禹歩(うほ)ですね。仙道魔術における呪術的歩行法と聞き及んでいますが……違いましたか?」
 と、これは輝史。
「へえ……緊張させちゃまずいんで何も言わなかったんだが、まいったね。気付いてたのかい」
「見事なお手並みだと思います。術自体も、非常に興味深いですね」
「まったくです」
「やれやれ、たいしたもんだ。気を使う必要もなかったかねこりゃ」
 こともなげに言うステラと輝史に、煉端が苦笑した。
「ずっこい……けど……後は…………任……せ………」
 何事かを言いかけた桜夜も、かくりと肩を落として、眠りへと落ちていく。
「ああ、後は任せたよ。あたしは術の制御で手一杯だから、大した手助けはできないしね」
「では、私も参ります」
「俺も続きましょう」
 と、2人もまたソファに背を預け、目を閉じる。
「気をつけて行くんだよ」
 煉端の言葉に送られて、やがて一同は動きを止めた。
 魔術の誘いにより、少女の精神世界へ……
「……面白い顔ぶれが集まったもんだ。恐らくは実力も申し分ないだろうさ。だけどね……人の心って奴は、それだけじゃ救えない……頼んだよ……」
 真面目な顔でそう呟いた後、背後の執事へと振り返り、
「そんな辛気臭い顔してるんじゃないよ。気が散るから奥へ引っ込んどいとくれ。あんたはあたしらへの謝礼の計算でもしてるがいいさ。大船に乗ったつもりで待っときな」
 とたんに、そんな不躾な台詞を吐くのであった。


■ 潜航、メルヘンメイズ

 気がつくと、世界は柔らかな光に包まれていた。
 抜けるような青い空に、ぽっかりと浮かんだひつじ雲。
 どこまでも広がる草原に渡る風は、頬に優しく触れつつ通り過ぎていく。
 遠くに聞こえる鳥の声に、ほのかに漂う花の香り……
「……ここは……」
 あたりを見回し、みなもがぽつりと言葉を漏らした。
 確かに一瞬前までホテルの部屋にいたはずなのに……今はまさに別世界に立っている。
 すぐ側に水音が聞こえて、思わずそちらに目が行った。
 そこには小川が流れており、水面には、少しだけ不思議そうな表情を浮かべた自分が映っている。もちろん、普段と何の変わりもない、自分の姿だ。
 そのあまりの現実感に、ここが他人の精神世界だとは、簡単に信じる事ができなかったが……
「きゃーーー! やったーーー!」
 と、傍らから誰かの声。
 そちらに目を向けると、
「おっしゃぁ! あたしの想像力の勝利よ! やっぱヒロインはこうじゃなくちゃ駄目よね!」
 拳を握って会心の笑みを浮かべている黒いエプロンドレスの少女が1人。
 ──桜夜だった。
 靴やカチューシャにまでフリルがついた可愛らしいデザインの服なのだが、少々スカートがミニ過ぎるようだ。色とデザインを合わせた全体の印象は、少々イケナイ感じのアリス……といった風かもしれない。
「アァァぁぁぁーー! ズルいゾズるいゾサクヤーーー! アタシもソーユーキャワユイのキるーーーー!!」
 その姿を見て、ただちに目を輝かせる者もいた。ミリアだ。
「ふふーんだ。もう遅いわよん。あんたはちょーっと想像力が足りなかったようだわねー。おっほっほー♪」
「ムー! ダッタらモウイッカイはイリなおス!! ヤリナおシをヨーキューすルーーー!!」
 空に向かって、叫ぶミリア。桜夜の格好がよっぽど羨ましいらしい。
 精神世界においては、意思の力がものを言う。桜夜はこの衣装を強く望み、そして手に入れたというわけである。
 ……他になんぼでも望むものがあるだろうという話もあるが……まあ、それはこの際置いておこう。
「なるほど、着替えにまでは考えが及びませんでした……不覚ですね」
『……ちなみに可能ならば、一体どんな服を着るおつもりですか?』
「秘密です」
『……』
 相変わらずの鉄面皮でそんな事を言うステラに、足元からオーロラが冷ややかな目を向けていた。この両者は言葉など発しなくとも、意思の疎通が可能だったりする。
「それはさておき……早速来ましたよ。可愛いお迎えが」
 輝史の台詞に、全員の顔が同じ方向へと向けられる。
 草原の彼方に見える赤い屋根のお城から、何かが砂煙を上げつつこちらへと迫ってきていた。
「なにアレ……?」
「トリさンみタいダネ、トリさン」
 ミリアの言葉の通り、それは大きな嘴と逞しい2本の足で大地を駆ける陸の鳥だった。
「……ドードー鳥、ですね。不思議の国のアリスにも確か出てきたはずです」
 輝史が、あっさり正体を見破る。
 15世紀末までモーリシャス島に実際に生息していた鳥なのだが、開拓者達の食料となったり、卵、雛が次々に彼らの持ち込んだ犬やネズミの餌食となっていったため、ほどなく絶滅してしまった種である。
 そして、今こちらへとやって来るその背中には、ひとつの小さな影が乗っていた。
 あっという間にこの場へと走り着くと、全員の目の前で土砂を巻き上げつつ、ドードー鳥が急停止する。通常ではありえない速度なのは、やはり精神世界ならではのものだろう。
 立ちこめる砂煙が流れ、やがてその姿があらわになってくると……
「あはっ、ほんとにかーわいいー♪」
 桜夜が、とたんに嬉しそうな声を上げる。
 大きな目をした、どことなくユーモラスな顔の鳥の背には、1人の少女が跨っていた。
 頭には大きなリボンが揺れており、白と青を基調としたエプロンドレスのデザインは、桜夜のものとどことなく似ている。
 もちろん肌の露出という点ではまったく違っているが……問題はそこではない。
 彼女の顔は、ホテルの部屋で見た、あの眠ったままの少女のものだったのだ。
 ほどなく、少女はひらりとドードー鳥から舞い降りると、居並ぶ全員の顔をじっと見つめた。
「こんにちわー、あたし桜夜。お嬢ちゃんのお名前はー?」
 ニコニコ微笑みつつ、まったく無防備で愛らしい少女へと近づいていく桜夜だったが……
「……うるさいブス」
 肝心の少女が、桜夜に向かって放った第一声が……それだった。
 しかも、思いっきり愛想のない表情と声で、だ。
「へ……?」
 思わず桜夜の足が止まり、頬のあたりがひくりとひきつる。
「なんか変な人達が出たっていうから来てみたんだけど……とりあえず、あんた達はどうでもいいわ」
 さらにミリアと桜夜に指を突きつけ、少女が言う。
「あなた達は、綺麗な顔してるわね。でも負けない。5年後を見てらっしゃい」
 みなもとステラには、そんな言葉を投げかけ、
「あなたとは……仲良くしたいな。よろしくね」
 輝史の方を向いた時、初めて笑顔を見せた。
「……はぁ」
 少々困ったように、輝史が微笑を浮かべる。
「わかりました。では5年後、正々堂々と戦いましょう」
「あの、そういう事ではないと思うのですが……」
 静かに頷くステラに、みなもが言った。
「……」
 そして、桜夜は……
「このお子様……たぶん悪者よね。この場で速攻やっつけちゃって……いいんだよね」
 肩を震わせ、そう呟く。
「キャハハハ、ブースブース、サクヤのコト、ブスだっテー!」
「おのれは黙っとれーーーー!!」
 追い討ちをかけるミリアに、歯を剥き出す桜夜である。
「さ、こんな人達なんかほっといて、行きましょ。お城に案内してあげる」
「……それはどうも」
 少女は少女で、さっさと輝史の腕を取り、そんな事を言っている。結構積極派のようだ。
 が……幸か不幸か、少女のその願いは、叶う事がなかった。
「……」
 全員の視線が、すっと上に上がる。
 いつのまにか青空に黒い点がひとつ、ぽつんと現れていた.
 金属質な獣の雄叫びと共に、それがぐんぐんこちらへと近づいてくる。
「あれは……竜ですか?」
「いえ、形は似ていますが、ジャバウォッグですね」
 みなもの問いに、ステラがこたえた。
 四肢が鱗で覆われた巨大な爬虫類といった外見を持つその生物もまた、鏡の国のアリスに出てくる住人だ。
 長く伸びた鋭い爪に、口から覗く巨大な牙、そして爛々と輝く血の色をした瞳は……少々メルヘンという言葉からは程遠いかもしれない。
 風をまといつかせて、一同の前に舞い降りてくる異形の巨体。
「……お嬢様、女王様がお呼びです。どうか城にお戻り下さい」
 地響きを立てて着地すると、すぐにそんな声がした。
 その主は、無論ジャバウォッグではない。背中に乗った、別の影が言ったのだ。
 ずんぐりむっくりした丸い身体に、にこやかな笑顔を浮かべた彼は……ハンプティ・ダンプティだった。
「ナんカ、たベタらオイしそウなヤツ……」
 ぽつりと、ミリアが呟く。
「そうなの? じゃあ、この人も一緒に連れて行っていい?」
「いえ、とり急ぎ、お1人でお戻りください。こちらの方々は私が後からお送り致しますので」
「んー、わかった。じゃあお願いね、ハンプティ」
「……はい」
 タマゴ男が、少女に向かってうやうやしく一礼する。
「そういう事で、また後でね、お兄ちゃん!」
 輝史「のみ」に愛想良く手を振ると……後は来た時同様、ドードー鳥の背に乗り、少女が去っていく。
「……面白い子ですね。興味深い存在です」
 遠ざかる背中を見送りながら、そんな感想を述べるステラ。
「向こうは灰野さんだけに興味があるみたいですね」
「……いやはや」
 みなもの台詞に、輝史が苦笑する。
「あたしの目の前でいい男に手を出そうとするなんて……いい度胸じゃない。教育が必要のようね……」
「……サクヤ、目がコワイぞ……」
 ……一方では、なにやら不穏な空気も漂っていた。
「さて、では貴方達の処遇ですが……」
 十分に少女が離れると、あらためてハンプティが一同へと振り返り、口を開く。
 相変わらず微笑していたが、先程まで少女へと向けられていた優しげな印象とは違い、冷たい雰囲気を感じさせる顔へと変化していた。思わず、みなもの表情が曇る。そんな顔だ。
「貴方達は、幸せな夢への不法侵入者であり、侵略者です。お嬢様にはああ申し上げましたが、城へとご案内するわけにはまいりません」
 淀みなく、彼はさらりとそう言ってのけた。
「……つまり、貴方は少女の意思に反するというわけですか?」
「不本意ながら、そうです」
 ステラが尋ね、すぐに短い返事が返ってくる。
「なら、貴方こそ、この夢の住人にはふさわしくありませんね」
「……何ですと?」
「この精神世界の主は、あの少女のはずです。その言葉に従えない貴方は、俺達同様、この世界にとっては異分子となるはず……違いますか?」
「……」
 輝史の問いかけには、すぐにこたえが返ってこない。
 つまり……その通りだという事だろう。
「……やはり、貴方達は大変危険な存在のようです。排除させて頂きましょう」
 ハンプティの片手が上がり、指が鳴らされた。
 と同時に、周囲の草むらでザワザワと無数の気配が湧き上がる。
 そこから次々に現れたのは、トランプの兵士の大群と、数頭の四つ足の獣だった。
「バンダースナッチですか、なるほど」
 獣の方に目をやり、ステラが頷く。
 見た目は体中に斑点のある大きなライオン、といった風な感じだ。
 もちろん、爪と牙は肉食獣の猛々しさを持っており、人間などは容易く引き裂いてしまうに違いない。言うまでもなく、この怪生物もまた、鏡の国のアリスに出てくる怪物のひとつである。
 一瞬にして、5人を取り囲む敵の大群。
 が……そんな状況になっても、慌てる者などは皆無だった。
 というより、むしろやる気満々の人物が約1名……
「上等じゃないのさ、あんた達!」

 ──ドコォッ!

 雄叫びと共に地面が裂け、衝撃でトランプ兵多数と獣がまとめて空へと吹き飛ばされる。
「こうなったらあんたらで気晴らしさせてもらうわ! 四の五の言ってないでとっととかかってきなっ!!」
 怒りに震える美少女は……桜夜である。
 その身体の回りには、今、薄紅色の淡い花辺が多数、ひらひらと舞っていた。
 彼女が己の敵へと向けて指を突きつけると、瞬時にして風に乗り、地面を砕きつつそれを粉砕する美しくも恐ろしい津波と化す。桜夜の操る式のひとつ、華雪であった。
「オーシ! イッけェー! ダいカイじュウサクヤー!」
「誰が怪獣だー!!」
 とか言いつつも、目の前にいる正真正銘の怪獣達を戦闘不能に陥らせていく桜夜である。
「くっ、お、おのれ! いけっ!」
 ハンプティがジャバウォッグの首を叩いた。
 巨竜の頭が一旦上を向き、長い首の途中がぼこりと盛り上がる。
 それが口へと向かって移動していき、そして──

 ──ゴオォォォッ!

 ジャバウオッグが、紅蓮の炎を吐き出した。
 その前に立つ人影は……輝史。
 凄まじい勢いの火炎に対して、あまりにもちっぽけな人影が、たやすく飲み込まれようとしたまさにその時、彼の片手がゆっくりと上げられる。
 手にしているのは、1本の樫の杖であった。
 輝史がわずかに目を細めると、淡い色彩が杖全体を包み込む。
「な、なにっ!?」
 ハンプティの目が、ほぼ限界まで見開かれた。
 圧倒的なジャバウォッグの炎が、輝史の杖に飲み込まれるようにして消えていく。
「……煉端さんの説明の通り、こちらの術は問題なく使えるようですね」
 一方の輝史は、まるで落ち着いたものだ。
 ──エーテライズ。
 輝史は、自らが望む物質をエーテル界(アストラル界、または幽界と同意)へと送り込む事により、その物をアストラル化させる事が可能なのだ。アストラル界とは、全ての物、事象すらも純粋なエネルギーとして存在している世界の事であり、物体をこれと同一化させる事で、ありとあらゆるものに干渉する事ができる武器、あらゆる物を防ぐ盾とする事ができる。
 今回の場合は、杖を防壁とするのと同時に、炎のエネルギーをアストラル界へと送り、拡散させたのであったが、無論そこまではハンプティには分からない。
「……」
 一方で、素足になり、小川に入っていくみなもの姿があった。
 深さは、それほど深くはない。せいぜい足首のあたりまでだ。
 そして……冷たい。
 冷たいが、彼女には『彼等』の息吹をはっきりと感じる事ができた。
 ……これなら、いける。
 そう思い、目を閉じる。
「お願い……あたしに力を貸して」
 小さな、言葉。
 それと同時に、鏡のような水面にいくつもの波紋が生まれ、弾けた。
 水の表面が盛り上がり、ちょうど拳大くらいの水の珠が多数、ふわりと空中に浮き上がる。
「……」
 目を開き、視線を相手へと向けた。
 水の珠は彼女の意図を感じ取り、唸りを上げて目標へと飛んでいく。
 狙いは、一切外れない。
 一撃を受け、弾き飛ばされたトランプの兵隊達が、面白いようにぽんぽんと空中に舞い上がっていた。
 ただし、彼らの身体を傷つけるような威力はないし。みなもにもそのつもりはない。
 水を操る能力を持った優しい少女……それがみなもなのだ。
「さて、では私も及ばずながらお手伝い致しましょう」
 相変わらずまったく変わらない表情で言い、懐から何かを取り出すステラ。なにやら、30センチ四方くらいの平べったい物体だ。
『……なんですか、それは』
「パイモンの鏡です」
 オーロラに問われ、説明を始める。
「ソロモン王72柱神の1体である悪魔の名を冠したこの鏡は、見聞きしたものを内なる世界に記憶すると伝えられています。そればかりか、記憶したものを実体を伴って具象化する事も可能だとか」
『……そんなもので、一体どうしようというのですか』
「今回の依頼に合わせて、これには古今東西の色々な物語を読んで聞かせてきました。目には目を、物語の住人には物語の住人をぶつけるのが摂理というものでしょう」
『はあ……』
 静かに語られる内容に、なんとなく不安を覚えるオーロラであった。
「では早速、ふさわしい存在を呼び出してみましょう──」
 と、ステラの口から、何か理解不明の言葉が流れた。古代ヘブライ語らしいが、意味まではわからない。
 少しの間を置いて、鏡の表面がうっすらと曇り、妖しげな光を淡く放ったかと思ったら……何かがぬっと出現してくる。
 ……ボロボロの服を身にまとい、ホッケーマスクで顔を隠して、手には唸りを上げるチェーンソーを携えた筋肉隆々の大男……
「…………」
 無言でステラがそいつの頭を押さえ、鏡の中へと押し戻した。
『……あの……今のは……』
「呪文の音韻を少々間違えました。もう大丈夫です」
『そうですか……』
 オーロラの声は、どこか遠い。
 再びステラが力ある言葉を詠唱し、鏡の魔力を解き放つ。
 そこから現れた、新たな存在とは……
「ほーほっほ。わらわに血を捧げよ! 魂途切れる瞬間の苦鳴と苦悶の表情こそ天上の甘露ぞ!」
 美しい着物を血で染め上げ、残忍な表情で哄笑する美女。
「殺す……殺す殺す殺す! 我が恨みは、それでしか晴らせぬ! 自らのはらわたを引きずり出さん程に苦しみ! 悶えるがいい! そして我が恨みの深さを知れ!」
 もう1人が、白装束に身を包み、頭に火のついたローソクを立てた金輪を被った、狂える瞳の女性だ。
「紹介しましょう、こちらが戸隠山で平維茂(たいらのこれもち)に成敗された鬼女の方で、もうお1人が宇治の橋姫の名で有名な、嫉妬に狂って鬼と化した女性の方です。それぞれに「紅葉狩」「金輪」の題で能舞台にもなっている有名な鬼女の方々ですね」
『………………』
 さっきのホッケーマスクとどう違うのですか、と尋ねようとしたが……やめた。おそらくは聞けば疲れるだけだろう。
 しかし……こんなものを精神世界に次々と呼び出したりして、果たして少女は平気なのか……
 そちらの方がよほど気になるオーロラであった。
「……くっ、こ、この者達は一体……」
 あっという間にこちらの軍勢が戦闘不能に陥っていく様を目にして、顔色を失うハンプティ。
「フッフッフ〜♪ オまエ、おイシそウ〜♪」
「……は、はい?」
 低い声に気づいて振り返ると、いつのまにかミリアがすぐ後ろに立っていた。
「とイウわケデ、おリョウりカイし〜♪ キャハハハハハ♪」
「どわりゅみぎぃぉあえ%&$*+#/¥@&#〜〜〜〜!!!!」
 ぺたんとミリアが手を触れると、凄まじい高圧電流が駆け抜ける。
 まばゆい光がハンプティどころか乗っているジャバウォッグまで一緒に包み込み、ギャグアニメみたいに骨まで透かして明滅した。
 ……その光景は、まさしく夢にふさわしい決着の仕方だったかもしれない。


■ 真実、トゥルードリーム

「……まったく、無茶してくれるよ、あいつらは……」
 ベッドの脇で、顔をしかめる老婆が1人。
 現実世界に残り、術を振るう煉端である。
 精神世界での破壊行為は、度が過ぎればそのまま直接少女の心に伝わって本人のダメージとなりかねない。
 そうならないために、煉端が術による干渉をかけているわけだが……予想したよりも、少々彼等の行動は派手だったようだ。
 ……とはいえ、
「ま、それくらい元気がある連中の方が、あたしは好きだけどね」
 呟いて薄く笑った所をみると、まだ余裕がありそうではある。
「……そう言って頂けて幸いです。何かお手伝いする事はありませんでしょうか?」
「…………」
 いきなり、何の前置きもなく、背後から声をかけられた。
 振り返らなくとも声でわかる。ステラだ。しかしこの気配は……
「……なるほどね、分身を残していったのかい」
「はい、ご明察です」
「あたしが信用できなかったか、あるいは最初から無茶する事を読んで、手伝いのために残ったか……それともその両方か……そんな所だね」
「私はただの分身ですので、そういった事は本体の方に聞いて頂きませんと、何とも……はい」
「ふん、ああそうかい、わかったよ。じゃあこっち来て手伝ってもらおうか」
「承知致しました」
 一礼し、ベッドを挟んで対面に回る分身のステラだ。
「見事なもんだね。どういう系統の術かは知らないが、外見は本体と見分けがつかないじゃないか」
「頭の脇にダッシュ記号をつけようという話もあったのですが、連れの者に止められました」
「そりゃまた、洒落の分からない連れだね」
「私もそう思います」
 大真面目な顔で話しながら、横たわる少女へと向けて手をかざす2人。
「さて、ここからが大詰めだよ。こっちも気合入れていくからね」
「了解です、ボス」
 そして、柔らかな力が、小さな少女の身体を包み始めたのだった……

「どうしてあたしを呼び戻したの? 面白そうな人達だったから、もっと遊びたかったのに」
 広い部屋に、やや不満そうな少女の声がこだましていた。
「いいえ、あの人達は危険です。遊んではいけません」
 続いて、優しげな響きが、少女にこたえる。
「でも……」
「わたしは、あなたが心配だから言っているの。お願い。もうあの人達には逢わないで頂戴」
「……う〜ん……」
 もうひとつの声音は、本当に心配しているようにしか聞こえなかった。
 しばし、少女は悩んだようだが……
「うん、わかった。じゃあそうするね」
 元気に、そう返事をする。
「……あなたは本当にいい子ね……大好きですよ」
「うん。あたしも大好きだよ……ママ……」
 信頼し、甘えきった少女の声。
「……」
 この時、誰にも聞こえない声で、何者かが低く笑っていた。
 少女のすぐ近くで……
 彼女が母と呼んだ、その相手が。
「……なるほど、やはりそういう事だったんですね」
 新たな声が、響く。
 石造りの城の一室に、5人の人影が忽然と現れていた。
 今のはその内の1人、輝史のものだ。
「貴様達! 何故ここに!?」
 驚きと共に玉座から立ち上がったのは、赤の女王の姿をした女性だった。
 どことなく、顔の雰囲気が少女と似ているのは……やはり母親だからだろう。
「手下なら、もう全部やっつけたよ。でもってあんた、やる事汚いね。まあ、だからこそ呪いのアイテムなんだろうけどさ」
「……」
 桜夜の台詞に、女王の瞳が鋭くなった。
 そう、この女王……母親の姿をしたこの者こそが、少女の精神世界を蝕む存在に違いない。そして、その正体とは……
「あー! そっちのお兄さんはともかく、お前なんか呼んでないぞ! ブスは帰れ!」
「キャハハハ、マたブスってイワレたー。やーイ、ブスブスー」
「いいとこなんだから黙ってろーーっ!!!」
 少女の方は置いといて、手近なミリアに向かってわめく桜夜だ。
 一瞬、さすがに女王もそちらに気を取られ……
「ここから先のお話は、この子には聞かせない方がよろしいでしょうね」
「な……」
 はっと気がつくと、自分の隣にいたはずの少女の姿が消えており、代わりに黒衣の麗人が立っている。
 少女は今、彼女の腕の中で、安らかな寝息を立てていた。
 ステラという名の、謎多き女性の元で……
「まったく、あんたは本当に妙な術を使うね。器用なもんだよ」
 さらにその隣に立つ、ひとつの影。
「……えーと……」
「……ウサギさンダ」
 桜夜とミリアが、揃って目をぱちくりさせた。
 燕尾服を着て懐中時計を手にした白いウサギがそこにいる。
「煉端さん、ですね」
 さすがに輝史は、すぐに正体を見破ったようだった。
「ああそうさ。誰かさんが手伝ってくれたおかげで、あたしもなんとかこっちに意識を飛ばす事ができたよ。最後くらい、あたしもひと暴れしようじゃないか」
 そう言って、ニヤリと笑う。顔も姿もウサギだったが、どこか人を食ったみたいな表情は、確かに煉端の面影を持っていた。
「馬鹿な事を……この世界は、その子供が望んだ夢そのものだ。貴様等がそれを壊すというのか……」
 低い声で皆を見渡す、赤の女王。
 この期に及んでも威厳を崩さないその態度は、まさしく女王の名にふさわしいと言えたが……
「……いいえ、それは違います」
 ひとつの声が、はっきり否定する。
 部屋の片隅にある水場……石造りの獅子の口から絶えず溢れ出る水流に片手を伸ばしたみなもが、じっと赤の女王へと視線を向けていた。
「その子が望んだのは、おそらく亡くなられた母親にもう一度会いたいという事でしょう。その想いを歪んだ形で叶えようとする貴方には、夢を語る資格などありません」
 真正面から女王を捉えた瞳には、強い意志が窺える。
「叶わない夢なら、それはいつか思い出になる……その邪魔はさせません。絶対に!」
 凛とした言葉と同時に、水場の水が意思を持ち、空中へと持ち上がった。
 天上近くで一旦大きな球体を形成すると、そこから無数の槍となって女王へと降り注ぐ。
「く……っ!」
 対して、女王は瞬時に自分の周囲に不可視の力場を形成したようだ。
 彼女の身体にあと数10センチの距離まで迫ると、黒い稲妻が走り抜け、次々に水槍を打ち砕いていく。
 が、まさに激しい雨のような容赦のない攻撃は、その障壁をも打ち破り、いくつかは直接女王の身体を捕えていた。みなもも、今度は一切手加減をしていない。
「おのれ……小癪な真似を……」
 が、それでも決定的なダメージにはなりえなかった。
 髪が乱れ、ドレスのあちこちが破れ、目には剣呑な光が宿り、その上……
「正体見えたわね」
 桜夜が、言った。
 いつしか女王の左腕の手先だけが、醜く干からびたミイラのような姿に変貌している。
「これしきで……勝ったと思うな! 出ろ! 我が下僕共よ!!」
 その左腕を振り上げ、叫んだ。
 すると、部屋のあちこちの影から滲み出るようにして、大小さまざまなもの達が現れる。
 トランプの兵隊、ジャバウォッグ、バンダースナッチ、ハンプティ・ダンプティ……
 既に見た顔ぶれ達が、あっという間に部屋を埋め尽くしていく。
「ふふふ……この世界には私の下僕などいくらでもいる。貴様達がいかに強い力を持っていようが、無限に沸き出るこいつらの相手を永遠に続ける事はできまい! 夢の中で死ぬがいい!」
 多数の軍勢を前にして、笑う女王。
 しかし……
「……わかっていませんね」
 輝史の漏らした言葉には、むしろ哀れみの響きさえこもっていた。
「既に、貴方の呪力はその大部分が無効化されています。となればどうなるか……」
「なに……?」
 そこで、ようやく彼女は気づいたようだ。
 自分を守るべきはずの存在が、残らず自分を取り囲み、じっとこちらに目を向けている事に。
「夢は、それを見る本人のものです。貴方のものなどではありません。呪縛から解き放たれた彼等が、本当に守るべき主と、傷つけようとする敵が誰なのかを正しく理解した……ただそれだけの事です」
 そう告げたのは、ステラだった。
 彼女の腕の中では、他の誰でもない、この夢の主が安らかな寝息を立てている。
「そんなわけで、あんたはもう裸の王様ってわけよ。あ、いや、女王様か。あはは」
「……ハダカなのカ、サクヤ? ゲヒンだナ……」
「だ・か・ら! 余計な事言わないの!」
 ……こちらは相変わらずのコンビである。
「馬鹿な……」
 呆然と呟き、思わず力を失って王座へと寄りかかる女王。
「あんたはもう終わりだよ。さあ、夢を返してもらおうかね」
 最後に、ウサギが煉端の声で言い渡す。
 勝敗は……既に決していた。


■ 覚醒、そしてグッドモーニング

「……」
「……」
 静かに、一同の目が開かれた。
「おはようさん。ご苦労だったね」
 煉端が、彼等へと声をかける。
「あの、どうなりましたか?」
 みなもが、真っ先にそう尋ねた。
 それに対して、煉端が無言でベッドへと目を向ける。
 彼女もまたそれに倣い……不安そうな表情がみるみる安堵のそれへと変化した。
 そこで寝息を立てる少女の首から、不気味な手が消えている。顔色もまた、幾分良くなっているようだ。
「成功、ですね」
「ああ、お姫様もそのうち目を覚ますだろうさ」
 輝史の言葉に、頷く煉端。
「……よかった」
 優しい瞳で、みなもが微笑する。
「み、皆様、無事お戻りで……それであの、お嬢様は……?」
 話し声を聞きつけたらしく、老執事も駆けつけてきた。
「もう大丈夫だよ。手はやっつけたからさ」
「タノしかっタゾー♪」
「……そうですか……それは何よりです。旦那様が聞けば、何よりもお喜びになる事でしょう。本当に……良かった……」
 桜夜とミリアの返事を聞いて、思わずハンカチで目頭を押さえる執事。
「そういや、その旦那様って、このコの父親なんでしょ? そいつが”手”の管理をしっかりしてなかったからダメなんじゃない。その辺、いっぺん本人にもガツンと言ってやんなきゃね」
「……ナぐリコみ、だナ、サクヤ?」
「あのね……そこまではしないわよ」
 などと、2人が話していると……
「まだ動いてはいけません! 病室に戻って下さい!」
「ええい! 自分の身体の事は自分が一番分かっておるわ! 貴様らは黙っておれ!!」
 なにやら、廊下から騒がしい声が聞こえてきた。
「……まさか……」
 それを聞いて、老執事の顔が少々引きつる。
「……知り合いかい?」
「いえ、というより……」
 と、煉端の問いに何事かを言いかけたまさにその瞬間、
「娘は! 娘は無事かぁぁ〜〜〜〜〜!!!」
 大音声と共に、部屋のドアがどばぁんと乱暴に開かれる。
 そこから入ってきたのは、キコキコと車椅子を操る初老の男性と、それを必至に取り押さえようとしている複数の看護婦達だ。
「ですからっ! まずはご自分の身体を心配してください! まだ動ける状態ではないのですから!」
「やかましい! 娘の一大事に寝てなどいられるか! 離せ馬鹿者!」
「駄目です! 戻って下さいってば!」
「黙れ! 貴様等の病院に毎年多額の寄付をしているのが誰かわかっておるのか! 院長に言って首にするぞ!!」
 車椅子の、しかも老人を数人がかりでも止められない様子で……それだけを見ると、到底相手が病人とは思えない。
「……」
 大騒ぎをする一団の姿に、小さく嘆息する老執事。
「あれが……娘を心配して倒れたっていう、あんたのご主人かい?」
「……はい。旦那様は、ことお嬢様の事になりますと、その、何と申しますか、回りが少々見えなくなるきらいがございまして……」
「要するに過保護って事だね」
「はあ……なにぶん、お年を召してから授かった事もありまして……私からはそれ以上はなんとも……はい」
「あんたも大変だね」
「……恐れ入ります」
 先程まで涙を拭いていたハンカチで、今は額に浮かんだ汗を押さえている老執事だった。
「どうします? あの人にガツンと言いますか?」
「……やめとく。あんまし係わり合いになりたくないかも」
 輝史に言われて、やや顔をしかめる桜夜。
「ふむ……少々場を外した隙に、面白い事があったようですね」
 と、今度はステラが、部屋の入口から入ってきた。
「あれ? いつの間に出ていたんですか?」
「はい、これを取りに行っておりまして。季節柄ですし」
 首を傾げるみなもに、ステラは手にもったものを示してみせる。
「……竹飾り……七夕、ですね?」
「そうです。ちょうど願い事を短冊に書くという意味でも、今回はふさわしいかと思いまして」
 部屋の中に置くには丁度良いくらいの大きさの竹には、既に色とりどりの飾りが付けられていた。恐ろしいまでの用意の良さだ。
「短冊も皆様の分を用意しました。ご希望の方はどうぞ」
「あ、そうなんだ。じゃああたしもなんか書こうかな」
「コレ、しっテル。枝にムすンでオクと、ヤクバライになるンダよネ?」
「……それはおみくじよ」
 桜夜とミリアが、一番最初に短冊とマジックを受け取った。
「それと……このようなものも入手しましたので」
 さらに、懐から何かを取り出してみせる。
「……それは……」
 彼女の手にあるものを目にして、執事が驚きの声をあげた。
 ステラが持っているのは、ハードカバーの2冊の本だ。
 それぞれ題には『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』とある。
「ちょっと失礼いたします。おお……やはり……」
 執事が手に取り、頁をめくると、すぐにまた目を見開いた。
 表紙の裏の部分には、似顔絵が描かれている。
 子供がクレヨンで描いたと思われるそれには、不思議の国の方が『パパ』、鏡の国の方が『ママ』と記してあった。
「……間違いありません。これはよく奥様がお嬢様に読んで聞かせていたものです。しかし……奥様が亡くなられた折に、これらの本もどこかに行ってしまい、以来見かける事がなかったのですが……一体どこで?」
 心底から不思議、といった顔で、尋ねる執事。
 一方のステラは、相変わらずの無表情で、
「精神世界の城の中です。よほど大事なものらしく、奥にしまってありました」
 簡単に、そうこたえる。
 淡々とした調子は、まるで近所から豆腐でも買ってきたくらいにしか思えない。
「……あんたね……現実のものを精神世界に擬似的に持ち込むことは可能でも、向こうのものを現実空間に持ち帰って存在させるなんて事は、事実上不可能のはずだよ。少なくとも、あたしにだってそんな事はできゃしない」
「そうですか……不思議な事もあるものですね」
「あんたがやったんだろ、あんたが」
 他人事のように語るステラに、煉端が苦笑した。
「まあ、いいさ。細かい事を気にしてもしょうがない。あんた、この娘が目を覚ましたら読んでおやり」
 と、みなもを見る。
「あたし……ですか?」
「ああ、この中じゃ、一番の適役だろうさ」
「……え? あたしは?」
「おまえさんじゃ、目を覚ましたとたんに喧嘩になるに決まってるだろ」
「むぅ……なによぉ…………多分そうだと思うけどさ」
 頬を膨らませつつ、それでも認める桜夜である。
「マた、ブスってイワれルんダネ」
「うっさい! あぁーん、テルちゅあーん。可哀相なあたしを慰めてー」
「……は、はぁ……」
 言いながら、輝史の胸へと倒れこむ。
「アー、うワきダー!」
「あに言ってんのよ! 地球上のいい男はぜーんぶあたしのものなの! 法律でそう決まってんのよ!」
「……なんでもいいけど、子供に変な事教えるんじゃないよ、あんたら」
 冷たい瞳で、ややこしい会話を始める一同に釘を刺す煉端である。
「……う……」
 ちょうどその時、ベッドの中の少女が、小さな声を上げた。
「おおおおー! 娘よ! 娘よーっ!! パパはここだーー!!」
「落ち着いて下さい! 血圧が上がりますから!!」
「鎮静剤5本も打ってるのになんで効かないのよこの人ー!!」
 とたんに、父親が声を荒げ、看護婦をまといつかせたままベッドへと突っ込んでいく。
「目を、覚ますみたいですね」
「……そうなったらなったで、またひと騒ぎありそうだけどね」
「それもまた、いいんじゃありませんか」
 微笑みつつ、輝史が言った。
 やがて……少女が目覚めた時、この場に夢の中で見た人物達が揃っている事に彼女は驚き、同時に喜んだという。
 母親ともう一度逢いたいという少女の夢は、残念ながら叶える事はできない。
 けれど、確かに彼等は少女の『夢』を守ったのである。

■ END ■


◇ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ◇

※ 上から応募順です。

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0444 / 朧月・桜夜 / 女性 / 16 / 陰陽師】

【0996 / 灰野・輝史 / 男性 / 23 / 霊能ボディガード】

【1057 / ステラ・ミラ / 女性 / 999 / 古本屋の店主】

【1177 / ミリア・S / 女性 / 1 / 電子生命体】

【1252 / 海原・みなも / 女性 / 13 / 中学生】


◇ ライター通信 ◇

 どうもです。東京怪談では約3ヶ月ぶりのライターU.Cでございます。はぐれメタル並みの出現率となってしまったという実感がありますが、倒しても幸運の靴は出ません。ですので倒さないで下さい。(何の話やら)
 久々という事で、ここはいっちょメルヒェンな依頼でも立てて、頑張ってみるかと思ったのですが……いざ書き始めてみると、なんだかノリがメルヒェンにはなってくれませんでした。どうも自分というものをよく理解していなかったと、今日の日記に反省をしたためたりする私です。我ながらまだまだ修行が足りません。

 桜夜様、お久しぶりでございます。
 メルヘン世界で狂喜乱舞するお姿を描こうとはしたのですが、なにやらちょっと違う方向性で乱舞してしまったような気も致します。少女の性格、ああいう娘だったのですね、実は。いい男に甘く、同性には敵意剥き出し……将来が実に楽しみな娘です。おかげさまで、いいライバル(?)として描く事ができました。ありがとうございます。そしてすみません。(深礼

 輝史様、お世話になっております。
 相変わらずの実力で、怪物退治はもちろん、少女の心もついでにゲットです。親玉の”手”はもうちょっと強くなる予定だったのですが、この顔ぶれではやはりかないません。大宇宙の悪の意思とか、そういうのでも倒せてしまいそうな気がします。次の依頼はそれでしょうか。(ぉぃぉぃ)

 ステラ様、ご機嫌麗しゅうございます。
 華麗に謎でしかもお強いという姿は、いつもながらお見事というより他ありません。本を持参で……との事でしたが、本は持ち帰る方向にしまして、代わりに謎な鏡をご用意させて頂きました。きっと文中で紹介した登場人物の他にも、素敵なキャラクターを多数呼び出したものと思われます。オーロラ様にも、いつもお世話になっている感謝の旨、お伝え頂ければ幸いです。

 ミリア様、今回もご参加ありがとうございます。
 桜夜様が微妙に浮気していたと某パパ様に報告をすると、なにやら楽しい事が起きるかもしれません。とはいえ、多分最後は某パパ様がやっつけられてしまうと思いますが……それはいつもの事かもしれません。とはいえ、男女の仲はいつもと同じように見えて、その実同じではない事が多いのもまた事実です。いえ、私も良くは存じませんが……

 みなも様、はじめまして。
 水を扱うという事で、持参のご用意もあったようですが、とりあえず水は現地調達という事で行動をして頂きました。少女を助けたいと思ってのご参加という事で、その目的は達成できたわけですが……それは同時に、まやかしとはいえ、少女が心地良さを感じていた夢を覚まさせるという事でもありました。あの性格ですし、今は少女も余計な事をしてくれたとしか思わないかもしれません。しかし、成長して本当の意味を理解できるようになった時は、きっと感謝してくれるはずです。


 最後に、参加して頂いた皆様、並びに読んで頂いた皆様には深く御礼申し上げます。ありがとうございました。
 なお、この物語は、全ての参加者様の文章が全て同じ内容となっております。その点ご了承下さいませ。
 ご縁がありましたら、またどこかでお会い致しましょう。
 それでは、その時まで。

2003/Jul by U.C