|
【悪魔の種】 夢見る者
●オープニング
悪魔の種、と呼ばれるドラッグがある。
このドラッグを服用すれば、簡単に力が手に入り、誰よりも自信をつけれるようになる。そう、誰よりも強く。
その誘惑に耐え切れる若者は多くない。
多くの者が服用し、世界を征したような気分になる。だが、反動も凄まじく、ほとんどの者が死に至るという。
だが、死した者は誰もが幸福そうな顔をしていた。弱いと思っていた自分が、力を手に入れたという夢を見て、満足し得れたのだろうか。
数少ない者は、反動に耐え切り、力を手に入れたという。そう、その名が示すように悪魔のような力を。
その者は今までと――人間とは違った外見、そう書物に示されるような悪魔の姿となった。
そして、新宿の廃ビルを住処とし、人間を襲い、喰った。
「そいつを倒して欲しい」
「おぃおぃ、機動隊とかの出番だと思うぞ?」
警察関係だと思われる、男――矩音(クオン)と名乗った――に、草間は苦笑する。
「まぁ、いいだろう。報酬は弾んでもらえるんだろ?」
「期待してくれてもいい。その男の生死は問わない。何せ、もう人間ではない。人としての意識もあるかどうか疑わしいしな」
矩音はそう言うと、席を立ち、興信所の外に出た。
はぁっ、と溜息をつく、草間。
「いつからここはそういうとこになったんだ」
ともかく、引き受けた仕事はやらなければならない。
戦いに向いた、心当たりのある者に連絡を取るべく、受話器を取り上げた。
●戦う者
「んー‥‥見事に私に出来る事ってなさそうなんですけどー。手元不如意ですしー」
心底嫌そうに村上涼は草間に文句を言った。感情を全く隠そうともせず、表情に自分の心が素直に表れている。
「‥‥ほら、飴あげるから」
「ちょっとぉっ! 子供じゃないのよ! それとも、子供の使いで終わるような簡単な仕事なんですか!?」
切れた涼を草間は宥めようとするが、火に油を注ぐようなものだった。
その2人の様子を、月杜海央は呆れたように眺める。だが、呆れていても困った様子の草間を見かねたか、話題を変える。
「それよりもだな‥‥。そのドラッグについて聞いても構わないか?」
海央が尋ねてきたのを幸いにと、草間は「わかる範囲ならな」と、答えた。
「その薬、どれぐらい持つのだろうか? 一生、元に戻らないのか?」
「俺が聞いたところだと、死ななかった者――つまり、薬によって力を得た者は時間が経つと元に戻るという事はなさそうだ」
一度薬を受け入れた者は姿が悪魔のようなものに変幻し、元の人間の姿に戻る事はない。もしくは、耐え切れずに死亡するかのどちらかだ。生き残った者はその姿と力、そして狂気を得る。
「悪魔に魂を売った、みたいなものですね」
草間の説明を聞いて、海原みなもは溜息をつく。
「麻薬とかはいけないとは思いますが、逃げたくなるのも判らなくはないです。悪魔になって人を襲うのは本心ではないと思いたいので、がんばってみます」
みなもの言葉に、一人の男が頷く。
岐阜橋矢文。
言葉通り、山のような印象を受ける大男で、見た目を裏切らない力の持ち主だ。
「ところで‥‥住処は廃ビルなんだな? ‥‥なんだったらビルごと壊したら‥‥」
その矢文の物騒な発言に、ケーナズ・ルクセンブルクは苦笑する。
「危ないのでやめておきなさい」
ドイツ貴族の末裔だから、と言う訳ではないのだが、気品を醸し出す端正な顔に笑みが浮かぶ。だが、澄み切った青い瞳は鋭く刺すような輝きを見せた。
この依頼の話を聞いた時、自分向きの依頼だと感じた。
――ドラッグ絡みか。
裏の顔は諜報員であるが、表の顔は生化学が専門の製薬会社の研究員である自分にとって、もっとも適した依頼だ。
「‥‥にしたってドラッグで外見変貌するって辺り、かなり胡散臭いわよね。変貌したと思い込むじゃなくて、変貌しちゃってる訳でしょ。気色悪い」
嫌そうに、涼は己の身体を抱きしめる。
そのような異形となってまで力が欲しいのか。自分にはわからない。
己がままの姿で、自由に気ままでいられる方がずっといいのに。
「まぁ、頑張ろうか」
海央が涼の肩をぽん、と叩いた。
苦笑いを浮かべる彼女に、「そうね」と、涼は笑って答えた。
「それで、私に聞きたい事があるのではなかったのかね?」
「「あっ」」
応接間のソファにいた男――依頼人の矩音が、咳払いをし、皆に問いかけた。この場に集まった者は、草間を含めて、彼の事をすっかり忘れていた。
●悪魔の種
その部屋は薄暗く、机の上には所狭しとコンピューターが並んでいた。照明はただディスプレイから放たれる光のみ。
「‥‥ふぅ」
いつもは涼やかな表情だが、今は疲れが見える。青年は顕微鏡で拡大した薬の成分を調べていたマシンから離れると、ブラインドを指二本で開き、外の景色を眺めた。
青年の名は、宮小路皇騎。
日本有数の由緒正しい財閥の御曹司だが、本人はそれを微塵にも見せない。その財閥は、奈良・京都を本拠とする陰陽師一族でもあるが、その事は表の世界に出ない。
その実家の裏の――陰陽師としての仕事を某所から請けており、皇騎はその仕事を一任されていた。
『悪魔の種』と呼ばれるドラッグの解析――それが、皇騎に任された仕事であった。
そのドラッグはそう多く市場に出回っておらず、入手は困難であるはずだったが、密かにとあるルートで入手した。そして、今現在、ラボにて解析中である。
だが、どのような角度から、手法を使っても完全に解析する事はできなかった。科学分析では、ごく普通に出回っているドラッグと変わりはない。ただ、一つの成分が分析できないだけであった。
自分が持ちしコネを使って情報を集めていたが、それも限りはある。解析に行き詰まり、調査の方向性を変えようと、皇騎は草間興信所を訪れた。
そこには既に何人かの人がたむろっていた。
「おや、皇騎か。どうしたんだ?」
草間が、入ってきた皇騎に気づいて声をかけた。
幾多もの視線を気にしながらも、己が訪れた理由を話すと、ニヤリと草間の瞳が笑ったように見えた。
「丁度いい。この男の依頼で、その『悪魔の種』を使って悪魔となったものを退治しに行くわけだが‥‥勿論、行くだろ?」
肩に置かれた手を、ゆっくりと取り払いながら、皇騎は溜息を吐いた。
「まぁ、構わないが‥‥実地で確かめるのも私の仕事の手助けになるだろう」
そして、依頼人に気づく。
「‥‥この男は?」
「依頼人の矩音さんだ」
草間が答えると、矩音は軽く礼をした。
「ところで、みなもさん。質問とは?」
「あ、はい。その問題の場所に水道は残ってますか?」
残念ながら廃ビルゆえに、水道はとうの昔に止められている、と、矩音は答えた。みなもは少し残念そうな表情を浮かべる。
水があれば自分の力を充分に発揮できるのに。
「まぁ、雨水が多く溜まっている場所があると思われる。それが何か重要なのかね?」
「はい。私にとっては‥‥」
「君はどのような力を‥‥」
矩音の質問を遮るように、涼が「今度は私の番!」と、質問で質問を封じた。
何か鋭い視線で自分の中を荒らされそうになった感じがしていたので、みなもは、ほっとする。
「まず実物が見たいわねそのドラッグ。悪魔の種‥‥買えるとこはあなたが知ってそうね」
「それなら私が持っている」
答えたのは、皇騎。
サンプルとして使った薬の他に、まだ何もしていないカプセルがいくつか手元に残っていた。
「んじゃ、おっさん。伝手くらいあるんでしょ、どっかの医療関係者に持ち込んで調べてもらってくんない?」
おっさん、と呼ばれ憤慨する草間。まだそう呼ばれる年ではない、と怒鳴るが、涼は軽く聞き流す。
「成分とか効用とか‥‥一般的でないならその部分も徹底的に洗うべきよね。おっさんとこなら医療のみならずそういう伝手もあんでしょキリキリ吐かんか!」
「それも私が既にある程度解析している」
またしても、皇騎が答えた。
襟元を掴まれていた草間は安心した表情を見せ、「あっちに聞け!」と、涼の手を振りほどいた。
皇騎の話を聞いて、裏の世界で一般的に出回っている精神を高揚させる成分以外に、未知の成分が含まれている。
「なるほど‥‥。その未知の成分に人を悪魔化させる力があるのですね」
ケーナズが呟いた。
矩音から聞き出す手間も、諜報員絡みの独自のルートを頼る手間も省けた。自分でその薬を調べてみたいという欲求に駆られはした――目の前の皇騎以上の分析をしてみせる、という勝負事な感情がなかったとは否めない――。
「とりあえず、いくつか渡してもらえないでしょうか? 何、私が考えてる事は『悪魔の種』の解毒剤を作れはしないか、という事だけですよ」
職業柄、ドラッグのことは人一倍知っている。ああいう代物を流通させる連中のことは絶対に許せない。
更に、矩音に尋ねる、ケーナズ。
「それと、今度は悪魔化した男と悪魔の種について教えてもらえますか?」
5W1H――Who・誰が、What・何を、When・いつ、Where・どこで、Why・なぜ、How・どうやって――を聞く。
矩音はその質問に丁寧に答える。
「悪魔化した男の名は佐伯了(サイキ・リョウ)、ドラッグの売人から悪魔の種を入手したようだ。その売人の行方は不明だ。どうやら渋谷で買ったようだな」
悪魔の種自体の事は、まだ調査段階である為、その薬がもたらす作用までしかわからない。
「この事は我々が調査する事だ。君達には『退治』を依頼しているのだから、こんな事は教える必要はないのだがな」
知りたければ、自分の足で調べろ。そう、暗に言っていた。
「最後に、私の方から一つ――」
言葉を切ったのは、皇騎。
「依頼を受ける代わりに全てをこちらに任せて頂きましょう。それが条件です」
皇騎の思惑は、薬の正体究明、そして撲滅とその被害者の治療方法を探す事。その為に薬の被害者者を確保して治療可能かを調査する必要がある。だから、このように交渉しているのだ」
「はっ。自分だけで全て成し遂げれると思っているのか?」
小馬鹿にしたように、矩音は言った。
「‥‥一人じゃない。俺達がいる‥‥」
矢文が前に出て、言った。涼も海央も怒ったような目つきで睨んでる。みなもは、困ったような表情をしていたが、その瞳の光は強い。その様子を涼しげな視線で眺めてるのは、ケーナズ。様子を見ているようだが、挑戦するような笑みを浮かべている事から、その心のうちは窺い知れた。
「‥‥まぁ、いい。好きにしろ。但し、この依頼だけだ」
ふぅ、と軽く息を吐く。
「だが、忘れるなよ。自分達が今直ぐ何を為せねばならない事を」
その言葉を最後に、矩音は静かに興信所を出て行った。
●夢見せる者
草間興信所を出て、ケーナズと海央の2人は渋谷へと向かった。
「ドラッグとはやっかいだな‥‥」
電車に揺られている間、海央は誰ともなく呟いた。
ドラッグは違法のものだが、誰となく手に入れようと思えば容易く手に入る。遊び半分で手出しして、その快楽に溺れてしまう。大切なものと引き換えに。
出来ることなら、中和剤を作れないだろうか。
そう思い、悪魔の種子に抗する薬を作ろうとしているケーナズと行動を共にする事にした。出回っているルートを調べ、そして薬の成分を突き止める。
『もはや人間じゃない』とはいえ、やはり元は人間だ。出来ることなら、元に戻してやりたい。
「貴女は優しい心を持っているのですね」
開閉扉に身をもたせて、移り行く景色をぼんやりと物思いながら眺めていた海央に、ケーナズは声をかけた。
「え? 私がか?」
突然の言葉に驚きはしたものの、言葉の意味に気づき苦笑する。自分は優しくない、と言おうとするが、ケーナズが先する。
「悪魔の種に身も心も囚われた男の事を思っているのでしょう? 助けてあげたいと」
「それは‥‥単に放っておけないだけだ」
「それが『優しさ』というものですよ。不器用な現し方ではありますが」
クスッ、と笑うケーナズ。
「そういうケーナズこそ‥‥」
「さて、着きましたよ」
渋谷駅に到着し、電車から降りる二人。
「私は薬を悪用する者を許せないだけですよ」
ハチ公の前の交差点を渡り、センター街へと向かう。
やっと陽が沈みだした頃だが、ちらほらとカタギそうではない者が見られる。ドラッグの売人を見つけ、『悪魔の種』について尋ねる。時には静かに、時には脅しが入った言葉で。
そうして二人のもとに残った情報は、大して得られるものではなかった。
普通の売人は悪魔の種を扱わない。何故なら、薬はその常習性にこそ商品価値があるからだ。何度も何度も。薬に溺れてずるずると買い続ける。そのようなリピーターが多いからこそ、薬を売るという事は儲かるのだ。
だが、悪魔の種は違う。
一発で客が壊れてしまうからだ。壊れなくても、もう常人ではない為、薬に手を出すとは思えない。だから、悪魔の種を売る価値も理由もないのだ。
「じゃぁ、客はどうやってその薬を買うんだ?」
海央に尋ねられ、売人は苦笑する。
「なんっつーかな。そう、『力を欲する者』がいれば、自ずと現れる、という噂らしいな」
そして、悪魔の種をその者に渡す。受け取った者はその際に悪魔の種が作用する事象について説明を聞くが、それでも服用する。
「それでは、大元締めの事はさっぱりわからないとう訳ですか」
先程までの情報では足りなかった為、わざわざここまで出向いてきたと言うのに。ケーナズは溜息を大きく吐いた。
「ま、あいつらを追っている奴らがいるみてぇだがな‥‥あんたらとは違うみたいだが」
それ以上得られる情報はなかったので、新宿に戻るべく、足を進める。
「ここで何をしている」
駅に向かう二人に、聞き覚えのある声がかけられた。声の方を向くと、そこには矩音。
「矩音こそ、どうしてここにいるんだ?」
海央が尋ねると、矩音は「調査の為だ」と、短く答えた。
「私達は、悪魔の種を服用した者を救う手立てはないかと、ここに着たのですよ」
調べたければ、自分で調べろと言ったのはあなたでしょう、と、その鋭い瞳が語っていた。
「ふんっ。それは偽善というものだ。そうやって、あいつを放置している間、あの者は更に人を殺しているのかもしれん。もしかすると、貴様らの仲間が殺されてしまってるかもしれんぞ」
「それなら、貴方も同じでしょう。ここで、こうしているのですから」
「我々には‥‥あいつと戦う力も術も‥‥ない。だから、あの興信所に頼んだのだ」
その言葉を聞き、海央は「私、行ってくるな!」と言うと、走り出した。向かうところは実家の神社。そこには、ご神体である宝剣がある。
そう、自分には戦う為の力も、術もある。
「いいのか、貴様は行かなくて」
走り去る海央を見送るケーナズに、矩音は言った。
「構いませんよ。私には私ができる事をするまでですから」
戦うのは他の連中に任せた。この件は悪魔化したヤツを倒せば済む話じゃない。ドラッグを製造・販売している連中を見つけて始末しない限り、悪魔は次々に登場するだけだ。
だから、自分は彼らを追う事を、解毒剤を作ろうとする事を選んだ。
●コンクリートの墓標
「さて、と」
携帯電話を閉じ実家への連絡を終えると、皇騎は三人に向き直った。
「皆の用意はもういいかな?」
「あたしはもう大丈夫です」
草間から借りたノートパソコンでネット検索を終えた、みなもが言った。
悪魔の種について自分なりに調べようとしたのだが、特に裏の世界にコネや情報網があるわけではない。だから、一番手っ取り早く情報を集める事ができるインターネットを使った。
ここ最近の麻薬事情――発生時期と価格――と、奇怪な姿の目撃情報に重点をおいて調査する。噂程度の信憑性しかないと思ったが、やはりその程度であった。
別に市場――ただのカタギの人間が、ごっこ遊びをしてドラッグを売買している程度だ――特に変動はない。限られた場所でしか入手する事はできず、しかも限られた人間しか入手できないのだから。
真偽はともかくとして、渋谷のセンター街周辺で歩いていると、突如気の良さそうな青年に声をかけられるという。『力が欲しいか』と。
答えれば『悪魔の種子』を渡される。そして、その者の末路は――矩音から聞いた事と変わらなかった。
「こっちもいいわよ」
大学の授業で使う為に持ってきていたノートパソコンからLANケーブルを引っこ抜くと、涼は草間に投げ渡して言った。
涼も、みなもと手分けしてネットで情報収集をしていたのだ。こちらは悪魔の種を使って成り果てた姿となった男のいるビル近辺の情報を。当初、みなもが一人で調べるつもりだったのだが、涼が手伝いを申し出たのだ。
「大丈夫でしたか?」
「バッチシ♪」
地図を調べようとしていて、ふと思い立ってビルの間取り図のデータがないかを調べてみた。すると、面白いようにビルの攻略に必要な情報がどんどん出てくる。
別にいつもと変わった事は、寝ている矢文の短く刈り込んだ頭を、「あ、何か触ってて気持ちいい」と撫で遊んだだけのだが。
それが――矢文の頭を三回撫でる事で――『小さな幸せが訪れる』事を涼は知らない。
そこからは涼の本領発揮だ。
脳内でシナプスが活発にリンクを張るような感覚に襲われる。知識と情報、思考が目まぐるしく回転する。
そして、プリントアウトした地図にベストルート、悪魔と為りし男が潜むと推測した場所、戦闘に適した場所などを速やかに書き込んだものを皆に見せた。
「‥‥はぁぁ〜っ。んー、もういいのか?」
矢文が寝そべっていたソファから身を起こし、大きく伸びをする。
「ったく、気楽なものね」
「‥‥まぁ、向こうではこき使ってくれ‥‥」
皮肉を言う涼に対し、矢文はニヤリと笑った。
泡の時代が過ぎ去り、豪華なビルはただの墓標と成り果てた。涼、みなも、皇騎、矢文の四人が目にしているビルも、そういうものの一つであった。
さて、入ろうか。
その時、突如として音楽が流れ始めた。慌てて皇騎が胸元から携帯を取り出すと、音楽は鳴り止んだ。
来日した時に色々と世間を騒がせるだけ騒がせて、結局ステージに立たなかった外国のユニットの曲だったので、意外だった。
みなもが、その曲を何となく口ずさみ、涼が初めて見せた皇騎の慌てぶりに笑った。矢文はただ、その曲が持つ意味、歌手の事について全く知らなかったので、きょとんとした表情を見せるだけであった。
「――あ、はい。‥‥なるほど。わかった」
電話は実家の者からであった。携帯を切ると、皆に調べてもらった事を話す、皇騎。
実家の者には、矩音の背後関係の調査を頼んでいた。どうやら、矩音は警視庁の特務九課というところの課長のようだ。
特務九課――。その名を聞いても誰もピンと来ない。皇騎の説明によると、幽霊や妖怪、その他が関わっている事件で、一般の警察の手に負えない事件を扱うところだという。
「それでも、手に負えないから私達に任せたのですね」
納得したように、みなもが言った。霊水が入った瓶を強く握り締め、ビルを見上げる。それだけ、今回の敵は手強い、という事だ。
四人はビルの中に足を踏み入れた。中に入る前に空を見上げると、夜空に星は見えなかった。
――雨が降りそうな気配がした。
●夢見る者
崩れ落ちた壁から漏れ射る街灯の灯りを頼りに、薄闇の中、静かに階段を昇る一同。この経路を通っていけば、敵に気付かれる事なく、その居場所に辿り着けるはずだ。
矩音から聞いた話、そしてそれをもとに、みなもがネットで調べた情報によると、敵は――悪魔は鋭い牙と爪、そして黒き翼を持ってるようだ。弱点はというと、聖なる月の力としかわかっていない。
今のままでは決定打がないにしろ、それなりに何とか対処はできそうだ。
最後の階段を昇り終える。ゴミや埃が散乱している廊下を真っ直ぐ突き抜けると、だだっ広い部屋に出た。出たところは丁度裏口で、窓際に人影がいるのが見えた。
その部屋に入ると、異臭が鼻につく。何か腐ったような――そう、腐敗臭がした。肉片が腐りきった。目を凝らして床を見れば、古いものは白く乾いた骨片、新しいものは恨めしそうに瞳を見せている女性の頭部が転がってるのが見えていただろう。
しかし、一同は男に視線が釘付けとなっていた。
その男は、ホラー映画や小説の挿絵、宗教画に出てくるような悪魔そのものな外見をしていた。頭にはねじくれた一対の角、禍々しき翼。
男が気づくよりも早く、皇騎が踊るように駆けた。右手に白い光が集い、棒状に延びたかと思うと、一振りの刀と為る。
その刀の名は、『髭切』。鬼を斬ったと言う謂れがある、刀。
刃光が暗闇の中、鋭く軌跡を描く。
「――くっ!」
刃は男の腕で喰い止められ、身体に届かない。逆の腕の拳が皇騎を襲うが、間一髪避ける。
皇騎は一旦間合いを取り、刀を構える。吠え声を上げ、男は突進するが、みなもの放った霊水が阻んだ。
霊水は生物の如く、男の身体に纏わりつく。腕を、脚を、身体を拘束するがの如く。水に触れた部位から、燃えるように薄く煙が昇った。
「とぉりゃぁっ!」
矢文が男の――悪魔の身体を取り押さえる。悪魔は振りほどこうとするが、矢文の方が力が強く、身体を震わせるのみ。だが、取り押さえる矢文は余裕と言うわけでもなく、こめかみに汗が流れる。
皇騎は不動明王の『羂索』を召喚すると、矢文に加勢すべく向かわせる。
二人がかかりだと、その力に抗することは難しく、完全に取り押さえられてしまう。
皇騎は刀を悪魔に突きつけるが、まだ迷っていた。
元の人間の姿に戻せないようであれば、浄化して永遠の眠りにつかせるつもりだった。今まで得た情報では戻す事ができない。あったとしても、その手段を探している間に、この悪魔は人を襲い続けるであろう。
現在の一人の人間を救うか、それとも未来の数多の人間を救うか。
「‥‥しまった!」
その躊躇った一瞬の隙に、悪魔は全力を持って衝撃波を周囲に向けて放った。その力に押し出され、弾き飛ばされる矢文と、羂索。
すぐ間近にいた皇騎までもが、壁に身体を叩きつけられる。
「‥‥皇騎、しっかしろ」
頑丈な身体ゆえ、少々弾き飛ばされても自分はまだ何ともない。頭を打ったのか、手を押さえている皇騎の前に立って、矢文は言った。
自由となった悪魔がその鋭い爪を薙ぎ払うが、矢文が腕をクロスさせて、攻撃を一手に引き受ける。
飛び散る血が――紅が、悪魔を更に歓喜させ、攻撃を更に激しくさせる。
「ちょっとぉっ! 大丈夫なの?」
涼が皇騎に駆け寄り、その身を起こすのを手伝う。
「矢文さんっ、手伝います!」
みなもが、手持ちの霊水全てを悪魔に向けて飛ばす。霊水が螺旋となり、その巨躯を縛る。
その身が傷つこうとも、攻撃する手を止めない悪魔の様子を見て、部屋の片隅にあった水溜りの方を見る。
「でも‥‥足りない」
「‥‥ちょっと待って。水がそれだけしかなくても――みなもちゃんは、触った水なら自由に操れるのよね?」
頷く、みなも。
「じゃぁ、そこの水を使って、近くの水溜りに接触させれば、一塊の水になるじゃない? それを繰り返せば――ビル全体の水を使える」
涼の言葉に目を輝かせる、みなも。
「やってみます!」
操る霊水に注意をしながら、水溜りに駆け寄ると、みなもは水を爆発させるかのように無数の糸にして彷徨わせる。
●月光
皇騎がふらり、と立ち上がった。
「大丈夫?」
「何とか‥‥」
そう言うと、髭切を構え、悪魔に向けて駆けて行った。
みなもが、順次に集まった水を使って、更に拘束の力を強める。
浄化の光を煌かせ、皇騎の刀が悪魔を傷つけるごとに肉片が黒い霧となって宙に消える。悪魔の鋭き爪は矢文が一手に引き受け、その凶刃を仲間に向かわせない。
「‥‥だが、これではキリがないな‥‥」
矢文が呟いたように、これでは互いに消耗するだけだ。どちらが力尽きるのが早いか――。目まぐるしく頭の中で何か手はないのか、と考えていた涼の耳に、みなもの声が聞こえた。
「海央さん!」
「すまない、遅くなった」
息荒くする海央の手には、一振りの宝剣があった。その剣からは月のように輝く光が発せられている。
「キミ、それは?」
「これか? 実家の月を奉る神社のご神体である宝剣だ」
「そう、なの‥‥」
みなもと涼は顔を見合わせる。
「あの悪魔の弱点は――」
「――聖なる月の力です!」
早く、と二人に急かされて、海央は宝剣を悪魔に向けて精神を集中させる。
自分が出せる気を可能な限り、宝剣に込める。次第に宝剣から漏れる光は、晴れていたならば天に輝いていたのが見えただろう、月の輝きのように強く煌く。
「はっ!」
大きく縦に宝剣を振ると、光の刃が三日月状となって、悪魔の身体を両断した。
「やったか?」
光が悪魔を貫くのを見て、皇騎は様子を見届ける。
「‥‥な、なんだ!? 触手が灰のようにボロボロになっていく‥‥」
途中、悪魔の身体から延びて、己が身を拘束していた触手が崩れ落ちるのを見て、矢文が言った。
その灰は何かの文字のような形をしていたが、誰もそれを読み取れるものはいなかった。
崩壊は数分の間続き、最後の黒い文字が飛び散ると、そこには裸の男が転がっていた。
●黒き文字
最後の未知の成分――それがわかれば、解毒剤を作る為の手段が抗ぜれよう。自宅の設備よりかは、会社の設備の方がいいので、こっそりと持ち込んで顕微鏡でその成分を覗き込む。
ただの黒い粒にしか見えなかったが、ふと気になって、電子顕微鏡で見てみる事にしてみた。
会社にある電子顕微鏡は高性能で、日本に二つあるかないか、と言われるものだ。その分、購入金額もこれ以上あるのか、と言ったものだったが。
徐々に拡大していくと、一粒一粒が何かを現しているのがわかった。注意深く一つの粒を最大化してみる。すると、何らかの文字に見えた。
「これは――ラテン語!?」
粒の数が膨大なので、全てを解析するには膨大な――無限に近い時間が要されよう。だが、これでわかった。
「文字が呪文となって、人を悪魔と化させているのか」
独り呟く、ケーナズ。
今日は休日なので、周囲に誰もおらず、人の耳に入る心配はない。
「つまり、この文字――呪文を無効化する手立てがあれば、解毒剤を作れるという事だな」
これは医学のレヴェルでは解決できないものだ。しかし、呪文を中和する魔術的な要素を薬の精製に盛り込めば可能だ。
「問題は、中和する力が何なのか。そして、何が適しているか。それを見つけなければ――」
これからは、皆と情報をあわせてやっていった方が無難だろう。
会社を出て、空を見上げる。黒い雲が天を多い、星の光も月の光も見る事がかなわない。
そろそろ終わった頃だろうと、興信所に顔を出すと、既に皆の姿があった。待ち合わせの場にされて、主の草間は不貞腐れた顔をしていたが。
涼に「珈琲ぐらい入れてよ」と急かされ、小さな台所に草間が向かうと、互いに報告しあう。
「そうか、やはりあの文字が影響していたのだな」
確信して、皇騎は呟いた。
男の命を奪う事なく、悪魔を倒す事ができた。その力は海央の月の力によるものが大きい。弱点が聖なる月の力だと知り、その力を解毒剤の精製に使えないか、と、ケーナズは尋ねるが、海央は見当がつかず、「さぁ」と戸惑うだけであった。
ビルを出た後、男は矩音の部下達の手によって回収されたようだ。彼らが来る前に皇騎は何か残ったものはないかと探索したが、呪文は灰となって飛び散っているし、男は何も纏ってない裸だった。部屋に残されたのは喰い残しのみ。
唯一の手がかりは、一枚の紙。『ペテロを蔑する者』と書かれただけ。
一応、ラボに送りはしたが、どのような結果が出るのやら。その紙自体からは何も出ないだろう。問題は言葉の意味だ。
表向きは全て戦闘により消失した、と報告したので、矩音ら、特務九課の連中にはこの情報は渡っていない。
「それにしても、あの人の命を奪う事をしなくて、よかったですね」
微笑んでみなもが言うと、海央が頷く。
「あぁ、あの力だけを吹き飛ばす事ができるのを知ってたなら、初めから暗い気持ちでいなくてよかったのにな」
海央が苦笑する。
「‥‥だが、『悪魔の種』を造ってる奴らがいる限り、こんな事はまだ続くぞ」
ぼそっと言った矢文の言葉に、皆、深刻な表情を浮かべた。このまま放っておくのは決して許されない。この事件の背後には組織か、個人か。それさえもまだ判別できなかったが、何としてでも彼らの企みを阻止したい。
その思いは皆、共通する事であった。
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【0381 / 村上・涼 / 女 / 22 / 学生】
【0461 / 宮小路・皇騎 / 男 / 20 / 大学生(財閥御曹司・陰陽師)】
【1252 / 海原・みなも / 女 / 13 / 中学生】
【1481 / ケーナズ・ルクセンブルク / 男 / 25 / 製薬会社研究員(諜報員)】
【1544 / 月杜・海央 / 女 / 18 / 剣道場の師範代】
【1571 / 岐阜橋・矢文 / 男 / 103 / 日雇労働者】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
月海です。
皆様にお届けするのが遅くなりまして、申し訳ありませんでした。
気づけば梅雨が明けて、やっと夏本番ですね。暑いです(苦笑)。
シリーズ、という事ですので、まだまだ若干の謎は残されていますが、今回得た情報をもとに、次回へ充分活用する事ができますので、次回発注時に発注文章の助けになれば、いいなと(汗)。
またの皆様のご参加、心待ちにしております。
|
|
|