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<東京怪談ノベル(シングル)>


贖 罪

 カラン…。
 手元を揺らすと、グラスの中の氷が音を立てた。
 落ちた氷はアルコールと交じり合い、じんわりと広がる。
 薄暗いバーのカウンターで、一人グラスを傾ける荘は、それをじっと見つめていた。
 一年前の今日という日に、何が起きたのか…。
 それはつい昨日の事にように思い出せる鮮明な出来事であった。
 否、忘れたくても忘れる事の出来ない。
 暗く沈むその胸にあるのは、悲しみであり、絶望であり、そして後悔だった。
 どうすることも出来なかった事への憔悴感―。
 まるで落ちるような感覚に、思わずギュッとグラスを掴んだ。
 草間がバーのドアを開けたのは、その時の事だった。
 店の片隅に見慣れた姿を見つけた草間は、歩み寄ると親しげに肩を叩いた。
「めずらしいな。こんな所で。どうしたんだ?」
 荘の横に腰掛けると、微かに笑って荘の顔を覗き込む。
 その様子はどこか屈託がなくて、荘は思わず口を開いていた。
「……。少し、付き合ってもらえませんか?」
 本当なら、誰にも話すつもりはなかった。
 それでも口を開いてしまったのは、無意識のうちに救いを求めていたのかもしれない。
 自分とは違い、罪を知らない草間へと。
 この罪を聞いてほしかったのだ。
 まるで贖罪のように。
 そんな荘にいつものと違う何か感じたのか、草間は何も言わずに頷いた。
 頷いた草間に、荘は微かに微笑み口を開く。
「実は…今日が命日なんですよ。俺の友達の。その友達を殺したのは俺ですけどね」
 何も言えない草間に、荘は微かな自嘲の色を浮かべると、最後の決意を示すように一気にグラスを煽る。
 そして目を閉じると、そっと語りだした。


 荘がその友人が出会ったのは、大学時代の事であった。
 最初に話したきっかけが何だったのか、今となっては覚えていない。
 それでも、彼とはいつも一緒だった。
 大学の授業に、ようようなイベント。
 その中で、一緒に図書館に調べモノをしに行った事もあるし、終電近くまで一緒に飲んだりもした。
 いつだって二人肩を並べて歩いた。
 明るくて、愛嬌が良くて、誰にも好かれる、そんな友人であった。
 彼の髪は生まれつき色が薄く、茶色い髪をいつも気にしていたのを今でも覚えている。
 進学や面接のたびに苦労したと、彼は嘆いていた。
 いや、愚痴だけじゃなくて、いろんな話をした。
 故郷のこと、親のこと、学校のこと、これからのこと。
 二人でいつまでも取りとりとめのない話をした。
 荘はそんな時間を過ごすのが大好きだったし、そんな友人が出来た事が嬉しかった。
 ただ一つ気になっていたのは、友人が時折見せる悲しそうな顔の事。
 まるで目の前ものすべてを通り越して、遠くを見つめるその目が痛々しくて、何も言えなかった。
 出来る事なら力になってやりたかったが、荘は何も聞けずにいた。
 今となっては、聞いておけばよかったのかもしれないと思う。
 そうすれば、あんな事は起こらなかったのかもしれない。
 だが、そのまま二年が過ぎた。
 荘は大学を辞めて、何でも屋を始めていた。
 出きる事ならずっと一緒に大学で学び、共に卒業したかったのだが、それぞれ歩む道というものがある。
 荘は大学を辞める道を選び、友人は残る道を選んだ。
 道を違えはしたが、一生の別れになるわけではない。
 いつもで会える。
 荘はそう思っていた。
 あんな再会を果たすとはつゆとも思わずに。


 それは何でも屋の仕事を始めてしばらくたった頃の事であった。
 荘は依頼された一件の犯人を追って、夕暮れの町中を走っていた。
 時はすでに太陽も沈み、暗闇が訪れようという時間。
 先行して走る男を追って荘も走る。
 逃げる男の足は速かったものの、荘は迷うことなく男の後を追っていた。
 幾つもの路地を抜け、曲がり角を曲がった。
 その時である。
 荘は何かに気づいて、思わず足を止めた。
 ぐるりと周りを見渡す。
 取りあえず止まってみたものの、そこには何の変哲もない町並みが広がるばかりであった。
 しばらくいぶかしげに見つめていたが、やがてある事に気づいた。
 つんと鼻につく、鉄のようなにおい。
「これは…」
 まさか?
 何事かが起きていることは確実だった。
 荘は慎重に曲がり角に近づいて行く。
 微妙に曲がりくねった道は、まるで迷路のように入り組んでいた。
 そして、曲がりきったそこに、それは居た。
 太陽のかげる薄暗い闇の中で、何かが蠢いている。
 闇の中で何者かが、道端にかがみ込んでいるのだ。
 一体何をしているのだろうか?
 聞こえてくるのは咀嚼音。
 それは不気味にあたりに響き渡る。
 次に目に入ったのは、何か白いもの。
 その生白さがやけに目についた。
 そして広がるあたり一面の黒い染み。
 一歩踏み出すと、靴にぬるりとしみこむそれは…。
 もしや…血?
 では、あの生白いものは?
 その時である。
 立ち尽くす荘の気配を察したのが、その人がゆっくりと立ち上がったのだ。
 発せられる殺気。
 一気に緊張が走る。
 頭の隅で危険信号が点るが、それでも動けない。
 油断なく構える荘の前で、その人はゆっくりと振り返った。
 朱に塗れた歯茎をむき出しにして、口元を血で滴らせたその姿はまるで獣のごとく。
 それは人でない証のように、低くうなり、荘に牙をむいた。
 にたりと、それが笑う。
 だがそれを見た瞬間、荘は愕然と立ち尽くした。
 振り向いたその顔に、記憶が刺激される。
 変わり果てたその顔に見出した面影は、かつての…友。
「まさか!そんな…!!」
 何故彼がこんなところに?大学に残ったはずでは…?
 いくつもの疑問が一気に頭を走った。
 それは一瞬であったようにも思えたし、永遠であったようにも思えた。
 狂喜に満ちた瞳には理性の欠片もなく、かつては友だった者の目に荘は映らない。
 まるで獣のような殺気が荘に向かって放たれる。
 二人は正面から対峙した。
 じりっと、それが一歩を踏み出す。
 強い予感に、荘はぎゅっと目を閉じた。
 ピーンと張った空気があたりを包み。
「……っ!」
 それはほんの一瞬の事であった。
 気づいた時、荘は血に濡れた己の手を見つめていた。
 目の前には、息絶えたかつての友の姿。
 この手で殺した、友の姿があった。


 荘は、その手をそっと見つめた。
 友を殺した、その手。
 あれからどれほどの時が過ぎたのか…。
 消して消えることのない荘の罪を示すかのように、今なおその手が赤く染まっているような錯覚を覚えて、荘はサッと目を逸らした。
 忘れたくても忘れられない思い出。
 あれほど楽しかった学生生活が嘘のような、悪夢の出来事であった。
「なんでああなったのか、分からないんですけど…。切ないですね」
 そう言った荘の瞳から、一粒の涙がこぼれ落ちる。
 草間はそんな荘を声もなく見つめていた。