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<東京怪談ノベル(シングル)>


Farewellwind


 さやさやと、風が揺れていた。
 木々はまるで波の音のように梢を揺らしざわめく。
 ざわざわと、人の声。
 誰かが何処かで転んだのだろうか、凄い音と「痛っ」と叫ぶ声。
 明るい陽射し。
 お昼の校内放送では、今日はどういう選曲なのかショパンが流れている。
 穏やかな、優しい時間。
 けれど。

(……ああ、此処は何処だったっけ?)

 優しい、本の匂いと遠くから誰かが判を押す音。
 何処だったろう?
 何だか、凄くこの時間は眠くて。
 夜に起きて仕事をしている自分にすれば当然なのだろうけど。
 …いや、眠くなる原因はもしかしたら他にあるのかもしれない――でも。

 だけど、今は。
 そう、今は。

 ―――凄く、眠くて。


◆回想〜夕暮れ〜

『何が見えているの?』

 一ノ瀬・羽叶の一番ふるい記憶は此処から始まる。
 屋根裏部屋の埃の匂いと共に。
 何が見えているの? そう聞かれて初めて自分の視点と人の視点がまるで違う事に気付いた。
 けれど。

 ―――何で、見えないの?

 幼いながらに、そう尋ねてみたかったのもまた本当。

 でも、言えない。
 言ったって絶対に伝わらないんだもの。

 この『家』にいられるのも何時までだろう。
 明日?
 それとも明後日?
 それとも―――もっともっと、長い期間いられる?

 何度も何度も『能力』の所為で今の親のところに来るまで色々な所を転々としていたけれど。
 何処も同じ。
 結局最後には気味悪がられて、また養子に出される。

 ねぇ。
 どうして私は、色々な家をぐるぐる回らなければいけないんだろう?
 まるで家畜のようだね。
 必要でなければ捨てられる、それだけの『存在』


『私の目に見えているものが見えているだけ。なのに、どうして?』


 言葉は再び物言わぬ化石となる。
 飲み込んだ言葉、飲み込まなくてはいけなかった言葉。
 自分が『ここ』にあること。
 全てが不思議で全てが、また自然で。
 自分では、どうしようもない事でしかないまま、決して動かない。

 何度も場面は夢特有の自由さでくるくると回る。


『一ノ瀬さんは本当に良い子で助かるわ…お父さんとお母さんも喜んでるでしょう、一ノ瀬さんみたいな良い子なら』

 ……夕暮れがただ紅かった、職員室へ続く廊下。
 隣に立ち一緒に歩く先生の言葉に軽く微笑う自分の姿。
 一緒に運んで欲しい、といわれた書類を運ぶだけの、自分。

『そんなこと…無いと思いますけどね』

 苦笑気味の羽叶に対しそう言うところが、またいい所ね、と先生は言ったけれど。

 本音なんて言わないよ。
 誰に対しても同じ対応、同じ反応。
 それでも『良い子』と言える?
 いつだって、良い子で居て欲しいと言うのなら、そうするだけ。
 面倒が無いし―――ある意味、楽だし。
 何より……バレないもの。

(体から、こう言うものが出せるって事も夜の仕事の事も――何もね)

 誰も居ない教室。
 手をかざし念じることで体から妖刀『氷翠』を取り出すと羽叶は、ふっと微笑う。

 『氷翠』の冷たい刀身そのままの様な、何処か冷たい笑みで。



◆回想〜夜〜

 珍しく湿気の無い夜だった。
 空気は、ただ冷たく…空には見事といわんばかりの月が煌々と輝き。
 その冷たさに誘われるかのように羽叶は氷翠で自分の皮膚を少しだけ切る。
 そのまま流れていく――血は、温かい。

 流れたら、それが生きている証になる。
 けれど、また一つの誘いへの有効手段でもある
 夜の冷えた空気と血の温かさが羽叶へと伝える。

(…………近くに居る)

 敵が。
 何かが――自分の中で沸き立って行くのがわかる。

 目の前に居るのは『敵』
 滅して、なお闇から生まれ顕れる者を『退魔』する。
 その瞬間は、ただ彼らを倒す事しか考えられない。
 氷翠を振りかざし、突き立てて引き抜く。
 時に傷を負う事もあるが、それさえも気にはならない。

(…私は、おかしいのか?)

 戦闘が済み、考えるのはその事ばかり。
 今の両親に逢う前からこれを『仕事』としてきたけれど…なんで、戦うのか。
 何故、滅せなくてはならないのか。
 戦ってる時は疑問にすら思うことは無いのに……おかしいのかもしれない、学校の自分と余りに違いすぎて。
 時折戦闘中に混じる映像も自分が自分でさえない様で。
 訳がわからなくなる。
 どちらが、本当の私?
 そして――どちらが、より私の居るこの場所で私を必要としてくれるのか。

 自分にとっての自分の意味。
 他人にとっての自分の意味。

 どちらが、より―――強い?

 ぽつりと。
 芽生えてきそうになる感情に羽叶ははっとして瞳に手をやる。
 眦に、何故か温かな水滴がたまっていた。


「……おかしいね、私……こんな風に考えるなんて、さ」


 指についた水滴を払い、朝がくればやがて消えるだろう『敵』を冷めた視線で見ながらその場所を後にした。
 本日の仕事が終了したと、伝えるために。



◆そして、『現在』


 遠くで昼休み終了のチャイムが鳴っている。
…けれど、まだ。
凄く眠いから……もう少し、もう少しだけ。

「力はね、あっていいのよ」

 そう、自分に言い切ったのは。
 優しい今の両親。

 力はあれば、色々なものが見えたり時に困るかもしれないけれど―――けれど人に見えないものが見えるということは。
 貴方にとって特別な色が存在すると言う事だから、と。

 正直、どう反応を返していいか解らなかった。
 だって、この力は。
 今まで共に生きてきた、この力は。

 誰に対しても認められるべきものではなかったから。
 認めてくれたのは唯一、退魔師と言う仕事をする人たちだけで。
 この力は余計なもの、人にとって必要の無いものとしてしか考えられなくて。

 きっと、絶対に。
 今の両親も気持悪がるだろうと踏んでいたのに。

 ああ、こう言うときはどう返せば良いんだろう。
 ありがとう、と言うのもおかしいし、にっこり笑って見せるのも何か違う気がする。
 どう、言葉にすればいい?
 ただ、戸惑うような微笑を浮かべるばかりの自分に両親は何を考えているのだろうか。

 ―――そして、気付く。

 自分の中に、何も育つべき感情が無かった事を。
 伝えるべき、言葉を封印してしまったがゆえに今までの自分に対し『寂しい』とさえ考える事もなかったことに。
 自分を護るだけで精一杯だったと。


 何が変わるわけでもない。
 今までの自分を捨て去るわけでもないが、だが気付いた事に対し――その日から、少しばかり羽叶は変わった。
 この、持て余す感情の名を。
 気付く事さえなければ永遠に知らなかったであろう感情を携えて。


 さわさわと風が吹き窓から優しく室内へと届き眠る羽叶の髪を撫でる。
 それは、予兆の風。
 今までと、これからの日常への変化の為の。


 ……思うことは色々とあるけれどさ。
 でも、きっと私は。


 この知りえた『寂しさ』と一緒にこれからをこの街で。


 ―――生きていく、ずっと。




―END―