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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


火曜日の水音


 音がする。雫が落下する音。水面を跳ねて走る足音。いくえにも重なりあう。
 繰り返し繰り返し、それは真夜中の静寂に響く。


「あーッ!アンタが草間だな!?頼む!助けてくれ!アンタんとこに行けば、とりあえず何とかなるって聞いたんだよっ」
 興信所に飛び込んできた茶髪の若い男…渋谷和樹は、草間を見るなり、挨拶もそこそこに己の窮地をまくし立てた。
「なんかマズイんだよ。おかしいんだよ!」
 給湯室までコーヒーを取りに行こうとした草間は、突然の訪問者にその動きを止め、応接間の真ん中で男に半ば抱きつかれる形で訴えを聞くはめとなった。
 渋谷の話によれば、この三週間で彼の友人が三人、同じ曜日の同じ時間に次々と事故に遭っているのだという。
 最初のひとりは運転を誤って電柱に激突。フロントが無残に潰れたが本人は何とか生還。
 次は、赤信号にも拘らず道路に飛び出して車に轢かれている。この時、確かに何者かが背中を押したと証言。
 そして今週、三人目が事故にあった時、渋谷はこれが偶然ではないのだと確信したらしい。
 仲間達は言うのだ。事故の直前に『あの水の音』を聞いたと。
「順番から言やぁ、来週には俺が事故っちまうんだよ。まだ死にたくねえし、痛いのもごめんなんだよ。だから頼む!俺を助けてくれ!」
 今のところ、不幸中の幸いとでも言うべきか、どれも死亡事故にまでは発展していない。だが、次も死人が出ないという保証はどこにもないのだ。
 至近距離、必死の形相で両手を合わせる男をなんとか落ち着かせるように両肩を抑えてソファに沈める。
「どうしてそういう事になったのか、どうして次は自分の番だと思うのか、こちらはその理由も知りたいんだが?そもそも、『あの水の音』ってのはなんだ」
 次は自分が喋る番だ。
 そう言いたげに、草間は内ポケットから取り出した煙草を口に咥えながら、渋谷の前に腰を下ろした。
「聞かせてくれ」
 火をともし、正面から男を見据える。
「理由…理由な……ああと…いや、なんだ。ちょっとした事なんだ」
 視線を宙にさまよわせ、急に歯切れの悪くなった彼の説明は、実にありがちな怪談じみた内容だった。

 ガソリン・メーターがエンプティに届くまであと数ミリという状況で、彼らの車は真夜中の山道を走っていた。
 目視できる範囲にスタンドの明かりは確認できない。
 そこで、渋谷を含む四名が取った行動は、近くの中古車廃棄場からガソリンをいくらか失敬するというものだった。
 だが、忍び込んだ無人の廃棄場で彼らはある音を聞いてしまった。
 傍を流れる川のせせらぎ。それを跳ねて駆け回る水音。ひとりふたりとは思えない、いくつも重なり合う足音が闇の向こう側で響いている。

「それが三週間前の火曜日、午後11時55分だったんすよ」
「で、結局ガソリンは盗んだのか?」
「盗むって、なんだか人聞き悪いじゃないっすか。廃棄物の再利用、リサイクル精神ってやつですよ」
 草間の問いかけを心外そうに訂正する。
「……………じゃあ、リサイクル、とやらをしたのか?」
「いや、怖かったから逃げた」
「…………そうか」
 この数分のやりとりで、草間の精神的疲労度は確実に増していた。
 深い溜息をひとつ。吸殻の山に煙草を押し潰して、新しいものをもう一本。火をつけ、吸い込む。そして、もう一度溜息とともに煙を吐き出すと、緩慢な動作で渋谷に向き直った。
「いいだろう。何とかしてやるよ。水音と怪奇現象の解明…ついでにあんたの安全とやらのために、この調査、引き受ける」



 興信所に飛び込んできたこの依頼者にコーヒーを出しながら、シュライン・エマは、電話をかけている草間の代わりに、彼から詳細を聞く役目を負った。
 ここの事務整理がバイト(ただし最近はほとんどボランティア)の彼女は、時折自ら事件調査に乗り出す。食指が動くのは、決まって奇妙な依頼の時だ。
「渋谷さん。その、四人で立ち寄ったという場所を教えていただけるかしら?」
「うおぅ!いい人だ!しかも美人だ!助けてくれんだな!?有難う」
 凛とした空気をまとうシュラインの視線を受け、渋谷は今にも抱きつかんばかりに勢いよく立ち上がる。
「マジ怖い感じのとこなんだよ。ヤバイ感じなんだよ!車ねえと行けねえし、遠いんだよ。2時間くらいは掛かるしな。アンタ、車ある?俺、もってないんだけど」
 彼が聞いたという水音の正確な位置、そして足音の詳しい情報を得たいところだが、こちらの一言に対して返ってくる言葉とそれに付随する感情の多さに圧倒される。
 この相手に心の準備もなく襲撃された草間に同情すら覚え、そしてシュラインもまた、確実に疲労を蓄積していった。草間が連絡をつけた調査員の到着を待たなければ、自分も行動を開始する前に消耗してしまうかもしれない。
 深い溜息をひとつ。
「とりあえず、その付近で何か問題が起きていないかリストアップしてみるから。もう少しここで待っていてくれるかしら?」
 そしてシュラインは、渋谷を興信所のソファに残し、自分は件の廃棄場周辺の情報を得るためパソコンの前に座った。
 ネットはこんな時、本当に便利だと思う。

「邪魔するぜ…と、なんだ?随分とお疲れのようだな」
「こんにちはぁ…と、どうしたんっすか?やけにぐったりしてますね」
 程なくして調査員が2人、橋掛惇と武田一馬がこの興信所を訪れる。彫師と大学生がここに到着するその間にシュラインと草間にもたらされた心労は計り知れない。
 武田一馬はどちらかといえば正義感の強い青年であるのかもしれない。自分が力になれるなら出来る限りのことをしたいと思うし、目の前に困っている人間がいれば見過ごしたりは出来ない。
 たとえ大学の授業を自主休講したとしても、それはそれ、人助けともなれば致し方ない選択だ。
 その彼の背後から顔を覗かせている男は橋掛惇。スキンヘッドに筋肉質の巨躯。それだけでも十分注目を浴びる材料となっているが、彼を人の中にあってさらに際立たせる要因は、両腕に施されている刃物を模したタトゥであろう。
「お疲れ様。そして、よろしく」
 大体の事情説明が繰り返される。ただし、シュラインによって。渋谷に話をさせては無駄が多すぎる。
 彼女が検索した中に、件の土地に関する事件の報道はそう多くは含まれていない。ただ、廃棄場建設には地元住民の反対があったこと、時期を前後して一時的に水難事故や交通事故がその数を増やしていたことは分かった。だが、少なくとも彼女がリストアップした中では、事故発生時における曜日に一貫性はなく、また、長期的に見て、それは異常と呼べる現象ではなかった。
「ふぅん……じゃあ、まずは周辺の情報収集がてら、現場に行ってみるって事でいいっすかね?」
 人好きのする笑顔で、武田は橋掛とシュラインを見る。
「OKだ。この手のもんはその場に行って初めて解決できることの方が多いからな」
 出来ることなら時間も選びたいというのが橋掛の意見だった。
 一定の条件を満たさなければ発動しない怪異がある。条件を近づけることで、より根本的な解決が得られる可能性は高かった。
「実際に自分の眼で確かめた方がいいだろう」
「全員、まずは移動ね?」
「車なら俺が出そう。今乗ってきている」
 そして視線は、眠たそうに何度か自分の眼を擦る少年へと向けられる。彼は音もなく気配も感じさせずに応接間に入り込み、いつの間にか部屋の隅で話しの一部始終を聞いていた。
「ああと……ボーズ、お前さんはどうする?」
「………行く。」
 来栖麻里は気だるげな様子でソファから立ち上がった。
 彼は、草間の呼びかけに応じたものではないらしい。
 自分自身の意思でここにいるわけではないのだと、その眼差しが語っている。
 どこか険を含む視線は、周囲の人物を一人一人確認しているようにも見えた。滲み出る不信感。
「それから、俺をボーズと呼ぶな。来栖麻里だ」
 同行の意思表示をした以上、彼もまた調査員として動くということだろう。だが、そこに隠された真の目的に気付くものはいない。知られざる世界の理に触れられるものがここにはいないのだから。
 しかしそれでも、彼らは違和感を感じることが出来る。
 武田はその霊能力ゆえに、シュラインと橋掛は職業と経験にとって培われた観察眼ゆえに。
 どこかで警告の声がする。ある種の危険を孕む存在であると告げる音。
 一瞬の沈黙。気まずい雰囲気となり桁ところで、武田がそれを払う明るさで言葉を発する。
「あ、オレはバイクでいいっすか?渋谷さん乗せて、道案内代わりに先走りますから」
「はう?俺も!?ついてくのか!?マジで!?」
 その提案に対し、既に傍観者となりつつあった渋谷は悲鳴じみた声を上げて立ち上がる。
 彼は今、カップを両手で持ち、ソファで3杯目のコーヒーを大人しく飲んでいるところだった。
「マジです。でも大丈夫です。オレがついてますから!」
 胸を張って笑顔で即答する武田に、渋谷はとてつもなく情けない表情を浮かべ、見上げた。
「……兄ちゃん、その自信はどこからくるんだよぅ」
「えっと。オレ、これでも結構強いっすよ?もちろん渋谷さんの護衛もばっちりこなします。事故が予測される火曜日にだって、渋谷さんの傍にいてちゃんと頑張りますって」
「そうか!?有難う!アンタはいい奴だ!大船に乗った気持ちでいるからよろしくな!」
 ばしばしと景気よく背中を叩かれる武田は、それに応える前にふと深刻そうな表情で渋谷を見返した。
「渋谷さん……」
「お?なんだ?やっぱりヤだと言ったら泣くぞ、俺」
「いえ…あの、大船に乗った気持ちってどんなもんなんッスかね?そもそもどの辺からが大船だと思います?豪華客船クラスだと、逆にオレは落ち着かないと思うんスけど……」
「うお?俺に難しいこと聞くなよ、兄ちゃん」
 その場に軽い笑いが洩れる。
 どうやらこの青年のお守は武田が適任者らしい。
 そうした認識が出来上がりつつ中、来栖は一人、距離を置いた場所から四人を眺め、そして、小さく舌打ちをした。
 


 音がする。鉄の塊が発する軋んだ悲鳴。川のせせらぎの代わりに訪れた騒音は、淀みとともにあらゆる穢れを呼びこむ。



 草間興信所を出てから2時間半。麓の民家が立ちならぶ舗装されていない道で、一度橋掛は車を止めた。
「ごめんなさい。近隣での情報収集、いいかしら?」
 そう切り出したシュラインに応えるため、橋掛は武田にも停止の合図をウインドゥ越しに送る。
 知りたいこと、知らなくてはいけないことが多すぎる。
 この隣家を訪ねるのに15分以上掛かりそうな土地の中で、聞き込み調査を行うのは至難の業だ。
 だが、現場に直接向かう前に、自分達が関わるものを知るのは必要なことである。
 情報は時に自分の命を護るのだから。
「ええと…オレは渋谷さんについてますね。一緒に回ってみます。」
「手分けした方がいいだろうな。ああ、ちょっと待ってくれ」
 そうして胸ポケットから橋掛は携帯電話を取り出す。電波状態を確認。感度は良好だ。
「OKだ。分かれよう。連絡は随時ケイタイを使用。一応時間も決めておくか?」
「そうね……じゃあ、とりあえず6時にここでいいかしら?ただし、何らかの変更を生じた場合はケイタイへ連絡。それでいいかしら?」
 打ち合わせの間、その確認行為の中で、来栖はその輪にひとり背を向ける。
「ちまちま調査するつもりは俺にはない。ここで降りる」
 だが、不意に思いなおしたように、武田の隣に佇む渋谷の前にするりと近づき、そして目を細めて彼を見上げる。
「禁を犯したものは報いを受ける。理を外れれば抹殺される。気をつけるんだな。お前からは腐った水の臭いが染み付いてる」
「な、何?なんだよ、何のことだよぉ?」
「来栖?」
 訝しげな橋掛に対して切り捨てるように見返した瞳は、明らかな拒絶の意思を含んでいた。取り付く島もない。
「お前らも好きに調べればいい。俺は俺のやり方でいく。じゃあな」
 橋掛とシュラインの間をするりと抜けて、事情を聞く隙さえ与えず、来栖は森の奥へと踏み込んでいった。
「あ、おいっ!?」
 鬱蒼と茂る木々や、突き出た枯れ木の枝すらもまるで意に介さず、一種野生の獣じみた身のこなしであっという間に彼らの視界から遠退いていく。
「来栖!?待て!」
「来栖くん!?」
 対応までに多少のタイムラグを生じながらも、橋掛が彼の後を追って森に踏み込む。続いて武田がその後をついて走る。
 だが、来栖は一切の痕跡を残さず、この空間から消失していた。神隠しのごとくに。あるいは人ではない能力の発動がそこにあるとしか思えない消え方。
 釈然としないものを感じながらも、二人は引き返すしかなかった。
 日の暮れかけたこの時間、情報を得るためには彼を追うことは諦めるしかない。
「彼、なんだったんスかね……」
「さあな。だが、只者じゃねえな。下手すりゃお前さんや俺以上に、この森を制限なく動けるのかもしれん」
 来栖の一件の後、ようやく調査は開始された。

 翻訳家でもあるシュラインのもうひとつの顔は、幽霊作家。ものを書くという行為に付随し、彼女は取材能力も高い。
 必要な話を的確に掘り下げ、角度を変えて問う。いつどこで誰がどうしてどうなったのか。
 冷静な聞き手である事は重要な美点だ。
「あれが出来てからか?こっちも困ってるんだよ」
「廃棄物はどんどん増える。柄の悪い余所もんが出入りする。川は汚れるし、異臭もひどい。何であんなもん作っちまったんかね……」
 シュラインを前にして、男達は迷惑と呆れを7対3の割合で混ぜ込んだ顔でそう言い放った。
「わ〜おじちゃん、カッコい〜」
「これなに、これなに?すごい!自分で描いたのか?」
 シュラインが聞き込みをしている横では、橋掛が子供達にたかられていた。
「おう、ボーズたち、元気だな」
 足や腕にぶら下げながら、威圧的な容姿に似合わぬ穏やかな笑みを浮かべて子供らの相手をする。
「おじちゃん、お姉さんと何しに来たの?」
「ん?ちょっとな。秘密の調べものをしてるところだ。」
「すげぇ、カッコいいな、おじちゃん!探偵か?スパイか?」
「おじちゃん、川に出るお化け調べてんのか?」
「川にお化け?」
「アブねえんだぞ?子供はすぐつかまるから行っちゃいけないんだ」
「車のお化けが出るんだ。」
「ひかれちゃうんだぞ?おじちゃんも気をつけろよな!」
 わいわいと聞こえてくるその言葉に、シュラインは真偽を確かめようと年配者に向き直る。手掛かりに通じるものではないのか?
「ああ、あの辺スクラップで危険だろ?子供らが遊ばんように脅かしてるのさ」
 それだけの話だと、彼らは笑う。
「では皆さんの中で、あの廃棄場で真夜中に変な音を聞いたとか、そういう噂話などはありませんか?」
「町のもんは誰もあそこには近づかん。よしんば近づいたとしても、それはお天道様が顔出してるうちだけだ」
 シュラインはひとつの仮定に行き着く。
 彼らの生活時間に、怪奇現象は起こらない。廃棄場に対する不満は確かに存在している。だが、影は落ちていない。彼らの日常は脅かされていないのだ。
 だが、子供達は信じている。廃棄場には化け物が住んでいるのだと。それは時に強い念を生み出すものではないのか?
 何か裏づけが欲しい。
 橋掛とシュラインの視線が交わる。アプローチする場所を変更した方がいいだろう。


 武田は近くの民家の庭先でなぜか渋谷とともに老夫婦に冷たい麦茶を振舞われていた。縁側に腰掛け、のんびりまったりとした空気が流れている。
「まあまあ、こんな所までよく来たねぇ」
「うわ、有難うございます。すみません、いきなりお邪魔してしまって」
 恐縮して頭を下げる武田。
「いいんだ、いいんだ。で、兄ちゃんたちは何を知りたいんだね?」
 退屈していたのだろうか。珍しい話し相手を得て、どこか楽しげである。
「ええと…実は山の中にある廃棄場について調べてるんです。何か変わったこととかありませんか?どんな些細なことでも構わないんですが……」
 情報収集を始めた武田の横で、渋谷は縁側で大人しく麦茶をすすっている。
「おや、あれを調べとるのかね?」
「町のものは皆迷惑しているのよ?変なものを建設されたって」 
 彼等は自然破壊を嘆く。
 汚水に穢れていく川、年々ゴミが撒き散らされていく山道、マナーの悪い者たちの侵入。それが哀しいのだと彼女達は言う。
 時折別の方向へ脱線していく老夫婦の話をなんとかまとめ、
「古い地方紙とか、この辺で起こったことが書かれた資料って残ってますか?」
「そんなら郷土館はどうだね?あそこの館長さんならなんか知ってるかもしれんしな」
 詳しい住所を聞くと、その足で2人は郷土資料館へと向かった。
 シュラインたちに連絡をつけると、彼女らもまたそこに向かうつもりだったらしく、4人の待ち合わせ場所は町の入り口から資料館へと変更される。


 閉館の札を手にした初老の男性を玄関口で捕らえ、彼等4人は郷土資料館への入館に成功した。
 だが、情報は既に失われていた。
 この町の成り立ちやそこから派生するさまざまな言い伝えはある。館長も詳しい話を聞かせてくれた。しかし、廃棄場の怪異に関するものは、橋掛が子供らに聞いた『車のお化け』という『大人たちの怖がらせ』のみだ。
 気になる点は幾つかある。
 来栖は渋谷に告げた『腐った水の匂い』ということあの言葉も引っかかっている。
 だが、解決の糸口となり、正体を突き止める決め手となるものは得られていない。
「ええと……一切の資料がもう存在してないんだとしたら、オレ、何とか出来るかもしれません」
 車に戻ってきたところで、武田はそう切り出した。
「やってみます」
 にこ、と笑って見せて、意識を両手に集中。
 ふわりと短い光の筋が両手を取り巻くように幾本も立ち上がる。柔らかく弱い色。
 もしこの場に来栖がいたならば、彼のみがそれを『見る』ことが出来ただろう。
 能力者がその力を発動させる瞬間。
 わずかなスペースに召喚される力場。
 はらりはらりはらり……色褪せ、所々破れかかった大小様々な新聞の切抜きが何もないはずの空間から舞い落ちてくる。
「すげっ!触れんのか、これ?」
 興味心身といった体で、覗き込んできた渋谷がその一枚を取ろうと手を伸ばす。だが、確かの存在しているはずの紙が指をすり抜け触れることは叶わない。
「ほお……面白い能力を持ってるな、兄さん」
「あ、駄目ッすよ。こんな風に召喚しできたものってオレしか触れないし使えないみたいで……見ることだけは出来るんっすけど」
 照れ交じりに能力の一部を説明する。
 彼が召喚した今はもうない地方紙の幽霊たちは、音にならない囁きで大切な秘密を打ち明ける。
 調査の足がかりとなる情報。情報を得るための調査。
「武田くん、読み上げてくれるかしら?こちらで聞き取りをするから」
 シュラインは手持ちのノートパソコンを起動。彼が告げる幽霊達の囁きを打ち込んでは、それをデータとして整理していく。

 水難、行方不明、山火事…そして彼が召喚したものの中に、圧倒的な数となっているのが、この土地に訪れた者たちが別の地で見舞われた交通事故である。
 どれも小さな事故だ。ここから距離があればあるほど、被害は小さくなっていく。
 そして、彼等は気付かなければならなかった。

「これって…」
「怪談というよりも、都市伝説に近いわね」
 地霊などの精霊や、そこに宿る神格者たちの怒りという可能性はむしろ低いと考えていいのかもしれない。矛盾が多すぎる。
「さて、そろそろ現場に向かうとするか?」
 町の人間達から情報を得られない原因の一端を見た気がした。
 真夜中にあの廃棄場を通り抜けたものがいたとして、その中の誰かがなんらかの一線を越えたが故に事故を起こしたとしても、この町から遠くはなれ、時期もまちまちであればそれを関連付けて 考えられるものはそういない。
 分かるとすれば、それは事故を起こした本人だけなのかもしれない……



 来栖は川岸に佇んでいた。人の足では辿りつくはずのない時間で、彼はここに存在している。
 鋭敏な嗅覚が、ここに宿る陰湿な気配の正体を自分に知らせている。
 淀みに交わる、溶けた思念。動物や森の凝固された気、車についた生き物たちの暗い念、血糊に呼び寄せられた闇の破片……それら全てが不定形に揺れている。
 この寄せ集めがひとつに凝集して一斉に動く気配は今はない。
 何かの条件を満たさなければ、形を成さない。……形を成せない。
 流れの溜まる場所はいけない。
 淀みも淵も全て陰の気を纏う。
「あげくに変な噂で余計に膨らみやがった」
 忌々しげにどす黒い水を睨みつける。
 人の想いは危険な代物だ。
 今はただのか弱く力ない存在だとしても、本体から遠く離れた所へ移動するだけで力を磨耗する程度のものだとしても、信じるものがいればそれだけで成長していく。
 いずれは、入り口となる人間の存在がなくとも、コレは自由に空間を渡ることが出来るかもしれない。闇とはそういうものだ。
「放っておけば…仇なすか……」
 狩るのなら、完全なるカタチに結集した瞬間を待たなければならない。
 ならば、その時まで自分は身を潜めていよう。
 獲物は大きい。そして数も多い。
 任務を果たすには多大な力を有するのだから。
「財団も回りくどいことを言いやがる……」
 彼の像がこの空間から揺らぎ、廃棄場から消える。
 来栖はここに生まれ出でた異形と同じように、橋掛たちをも調査の対象としていた。
 彼が世話になり、生きる場と意味を提示する『財団』の命によって。



 寂れた中古車廃棄場は、薄闇の中で無残な姿を晒していた。
「これは……確実に事故車が混じってんな」
 不自然に押し潰された車体を眺めならが、橋掛は小さく呟いた。
 調べればどこかに手形や血糊も発見できそうな勢いだ。
 彼はいわゆる霊感というものを持っていない。それはシュラインも同じだ。だが、それでも肌に纏わりつくこの禍々しさに無関心ではいられない。
 捩れた世界を具現化する、奇怪なオブジェ。
 それは、彫師として絵に携わり、芸術の分野に身を置く橋掛の感性によって導き出された感想である。
「兄さん、よくこんな場所に盗みに入ろうなんて思ったな……」
 呆れ半分、関心半分で橋掛は渋谷を見やる。
「だから人聞き悪いっすよ。盗みじゃなくてリサイクルだって言ってるじゃんよぉ」
「無断で失敬するのは盗みと一緒でしょ?」
 シュラインの冷静な一言がぐさりと心に刺さったらしい彼の視線は、積み上げられた車を覗き込んでいる武田へ、助けを求めるように向けられた。
 それを察したかのようなタイミングで顔を上げる武田。
「あ、言い忘れてましたけど……駄目っすよ、渋谷さん。やって良いことと悪いこと、悪い中でも許される範囲と許されない範囲があるんです。盗みはどんな理由でも駄目です」
 武田は別に特別信心深いわけではない。ただ、科学的に証明されていない世界の存在、踏み込んではいけない領域があることをその肌と感覚で知っているだけだ。
「ああ、心の友にまで諭されちまった……」
 渋谷は肩を落とし、哀しげに遠くを見た。
「ところで…本当にこのあたりで足音を聞いたの?」
 シュラインが彼の証言に対し、懐疑的となっても無理はなかった。
 それは既に川と呼べる代物ではなかった。
 おそらく廃棄場から流れ出たのだろう汚物に塗れ、淀み、悪臭が立ち上っている。どす黒く変色した汚水の中には、空き缶やビニール袋などのゴミも浮いている。
 あのどろりとした液体に踏み入れる気には到底なれない。
 まして清らかなせせらぎなど望むべくもない。
「さてと…悪いが時間前に俺は渋谷の兄さんから離れたい。もろともに事故るというのは勘弁願いたいからな」
 太陽が沈み、月が訪れた夜の時を刻む。
「人を疫病神みたいに言うなよぉ。傷付くじゃんかよ」
「痛いのは御免なんだろ、兄さん?俺だって御免なんだ」
 苦笑しつつ答える橋掛に、全員の視線が無言のままある箇所に注がれる。そこにあるのは、剥き出しの腕に描かれた刃物を模したトライバル・タトゥ、そして、シャツの襟首から覗くのは何事かを刻んだレタリング・タトゥである。
「………ええと、橋掛さん?」
 代表として、武田が彼を伺うようにおずおずと意義申し立てを口に出しかけたが、
「………ツッコミはなしだ」
 それはあっさりと棄却された。
「俺は出来る限り回避できるリスクは回避しておきたい性質なんだよ」
 たとえば、橋掛の能力は『攻撃』という悪意あるものに対し『自動的』に発動するものだ。それが人の拳であろうと鉛の玉であろうと、そしてこの世ならざるものの力だとしても、彼はおそらく無敵でいられる。
 だが、裏を返せば、それを含まない事故に対し、彼は自身を護る術を持たない。
 己の能力の欠点は、誰よりも自分自身が理解している。
 そしてなにより問題なのは、下手をすれば、自分の車が彼を傷つける凶器となるかもしれない可能性の存在だ。
 自分の意思ではなくとも、殺人者になれる。
 渋谷の仲間が遭ったという事故の状況がそれを示唆していた。
「大丈夫ッスよ。渋谷さんの身はオレがばっちり護りますから!それに問題の日時までにはまだ猶予もありますしね」
「……妖の類がルールを厳守してくれるとは限らないけれど、ね……」
 シュラインの指摘は的を得ている。
 今日は火曜日ではない。だが、自分達はここに踏み込んだ。車とバイクで。そうすることでここに住まう怪異が別の標的としてこのメンバーを捉える可能性も考えられるのだ。



 来栖は静かに夜の訪れと、闇の条件が揃っていく様を監視し続けている。
 木々のざわめきに混じり、世界の断りから外れた異形が息づいているのが分かる。
 活動が活発化していく。
 日が暮れ、月がゆっくりと闇の中に冷たい光を投げかける時間。
 狩りが始まる。



 午後11時50分。
 携帯電話の液晶に映るデジタル表示の画面が時を刻む中、それまで森が生み出す微かなざわめきのみだった静寂の世界に、せせらぎが入り込む。
 はじめは耳を済ませても聞き取れるかどうか分からないほどに微かな音。
 だが、1分2分と時が経つにつれて、明らかな水流となり、そして、
「来た」
 それは足音としか言いようのないものだった。水面を跳ねて走る。幾重にも重なり合うそれはヒトのようであり、またヒトではありえないようでもある。
 滞っていたはずのドブとしか言えない場所から生まれるせせらぎと足音。
「武田、こっちは引き受ける!渋谷の兄さん、頼むぞ!!」
 橋掛の怒声が飛ぶ。段取りは既に打ち合わせている。
「了解です!」
 デジタル表示が午前0時丁度に切り替わった瞬間、淀みは大きく膨れ上がり、牙を剥いた。
 渋谷が三週間前のあの時、仲間達と逃げ出したのは正解だったのだ。もし留まっていれば、おそらく今この場にいることは出来ない。
「渋谷さん、いきますよ!」
 声もなく硬直してしまった渋谷を半ば引き摺るようにしてバイクの後ろに乗せると、武田は一気にアクセルをかける。
 不定形な異形はシュラインでも橋掛でもなく、バイクで疾走する彼ら2人にその全神経を注ぎ、反応する。
「………真夜中のエンジン音…それが一線を越えるための条件………」
 ならば、自分にはこの自称を逆手にとってひきつける事も出来る。
 シュラインは静かに息を吸い込み、そして――――
「―――――っっ!」
 大音量で空に弾けたのは、車の急ブレーキと激突音の声帯模写。
 バイクのエンジンを追いかけていた異形が、内部分裂を起こし、彼女へ攻撃を開始する。
「話し合いの余地はなしか!?」
 攻撃も防御の術も持たないシュラインをとっさに両腕で抱きかかえ、橋掛は右斜め後方へ飛ぶ。 そして、振るわれた悪意の力を彼は自身の広い背中で受け止める。
「橋掛さん!?」
 肩越しに、鮮赤が飛び散るのを目撃。
 だが、同時に黒い刃が空を裂いてヘドロの塊を一閃する映像もその目に飛び込んできた。
「思い切ったことをするな、姉さん。しかもそんな特技まで持っているとは知らなかった」
「……あなたの能力を聞いていたから。でも、驚かせたわね」
「いいや問題ない。実にクールだ」
 にやりと口元をゆがめて笑う。
「さて、兄さん達も頑張っている。こっちも全力で行こうか」
 彼女が発する音が、異形をひきつける。
 地面にばしゃりと跳ね、ねっとりとスクラップに纏わりつき、鉄の残骸をまとっては、橋掛たちに向かう。
 自動的な力は、それら全ての悪意ある攻撃を受け止め、切り裂き、鉄に同化する異形の破片をも切り刻んでいく。
 右に、左に、後方に。エンジン音やブレーキ音に惑わされ、機械的に反応する妖は、それゆえに彼の刃の餌食となって、その力を縮小させていく。
 音ではない。声ではない。カタチを持った水は、残骸になりながらも、ようやく己を不利を悟る。それは、おそらく思考による結論ではなくあらかじめ備わった自己生存本能であったのだろう。
「逃げるのか!?」
 根元から断たねばこの怪異は解決しない。
 シュラインと橋掛は、スクラップを体内から吐き出して逃走する異形を追った。
 逃すわけには行かない。
 だが、
「――――!?」
 足を止め、息を呑む。2人は目撃したのだ。この淀んだ闇の中で金の瞳を閃かせた四足の獣が悪意の残骸をずたずたに引き裂いて消滅させる瞬間を。
 肌を刺すこの空気の痛みを橋掛は知っている。
 獣の唸り声。その強靭な四肢により跳躍。
「……アブねえ!」
 咄嗟にその場にシュラインを庇って伏せる橋掛。
 獣は自分達をも狙っている。
 追撃をかわしながら、再び廃棄場の広い敷地へと走り出す。
「橋掛さん!シュラインさん!」
 そこには武田の姿もあった。
「……え…?狼?」
 明確な殺意を叩きつけられる。シュラインの全身に走る緊張は、先程対峙した不定形にして様々な思念が入り混じる寄せ集めの異形の時とは比べ物にならない。
「武田!渋谷から離れるんだ!身を護れ!気をつけろ!気を抜いたらヤられるぞ!」
 橋掛の声が飛ぶ。
 獣の標的は自分達だ。そして、相手は仕留めるつもりで襲い掛かってきている。これは確信。
「渋谷さん、逃げて!」
「武田くん!」
 渋谷を突き飛ばす武田にシュラインの悲鳴が重なった。
 鋭利な爪が空を裂き、獣は一瞬の隙を見せた武田の目を狙う。
「くっ……!」
 とっさに召喚したのは、あちこちに弾痕と皹が刻まれた防弾ガラスだった。
 嫌な音を立て、狼の凶器が弾かれる。
 空で反転し、体勢を整えて着地。その足で再び飛びかかる獣と武田の間に橋掛が割ってはいる。
「防げ!」
 乾き切らない傷口から、鮮赤が吹き出す。自動的反撃。
 黒刃が薙いだ。
「―――――っっ!」
 肢体を捻り、首元ぎりぎりを掠めて飛ぶ刃をやり過ごす。
 互いが距離をとって離れる。
 敵意を含んだ金の視線に銀の視線が交わる。
 一切の音が止む。
 動機と乱れた呼吸音。
 そして。
 獣は一度大きく跳躍すると、そのまま森の奥へと姿を消した。
 橋掛は大きく息を吐き出し、そしてゆっくりと前進の緊張を解いていった。
「だ、大丈夫ッすか、橋掛さん!?」
「いや、怪我じゃねえから心配はイラねえよ」
 軽く手を上げ、口の端をあげて笑ってみせる。
 水音が止み、獣の慟哭も消え、今はただ、森のさざめきだけが四人を包み込んでいた。
 今度こそ全てが終わった。
「さっきの獣……」
 ポツリと呟いた武田に、橋掛は静かに頭を振った。
「渋谷の兄さんは護れた。水音の正体もなんだかわかんねえがカタがついた。だからもう終わりだ」
 あの視線の主に心当たりはある。だが、今それを口にする気にはなれなかった。
 シュラインの視線は、2人の戦士から依頼者へと向けられる。確認するように、そして気遣わしげに彼女は問いかける。
「渋谷さん……踏み込んではいけない領域、分かって頂けたかしら?」
「力いっぱい学んだ……気をつける」
 時計の表示は午前0時45分。1時間に渡る衝撃を前に、渋谷はどこか茫然となりながらも頷きを返した。
「ありがとう…ございました」
 深々と頭と下げる。
「帰りましょうか……良かったら私が運転するけど、どうする?」
「頼む。折角の愛車を血で汚したくねえからな」
 シュラインの申し出に冗談めいた口調で橋掛が返し、そして、彼等はゆっくりと車に向かって歩き出した。
 事件の幕は下りた。
 だが、運命の歯車は思わぬ方向へと動き出している。



「能力者を三名確認した……『森』に辿り付けそうな奴が混じってやがった」
 忌々しげに低く呻き声を洩らし、来栖は『上のもの』に守護者たる任務遂行のための報告を行う。
 今回は仕留め損ねた獲物。だが、草間への協力という形を取ることで、これからもあの異能者たちと接触する機会は多くなるだろう。
 次元を渡り、怪異と触れ、神獣が住まう『森』を護る。そのために自分はここに存在している。
 人狼であるこの身で、この手にある力で。
 己に課せられた任務に忠実であるが故に、危険因子の完全除去に彼は臨む。
「いずれやつらを始末する……」




END


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ/26/女/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【1503/橋掛・惇(はしかけ・まこと)/37/男/彫師】
【1559/武田・一馬(たけだ・かずま)/20/男/大学生】
【1627/来栖・麻里(くるす・あさと)/15/男/『森』の守護者】

【NPC/渋谷・和樹(しぶや・かずき)/24/男/映画会社スタッフ】

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、こんにちは。駆け出しライターの高槻ひかるです。
 この度は当依頼にご参加くださり誠に有難うございます!
 大変お待たせ致しました、「火曜日の水音」をお届けいたします。
 ちなみにタイトルの「水音」は「すいおん」と読んでいただけると私が喜びます(笑)
 今回はNPCからしていつもとノリが少し違ったりします。やや掛け合い重視の軽め設定です。
 なので所々でうっかり笑っていただければ幸いです。
 なお、廃棄場午後11時50分から一部シナリオが分岐しております。もしお時間がございましたら分岐点別に他のふたつも合わせてご覧下さいませ。

 少しでも皆様のPC様の魅力や設定が生かされた描写でありますように。


<シュライン・エマPL様
 二度目のご参加、そしてプレイングにてわざわざご挨拶くださり有難うございました!
 シュライン様は素敵なツッコミ属性にて、出だしから精神的に疲労させてしまいましたが、楽しく描写させていただきました。
 情報収集能力の高さが伺えるような足場固めをしっかりなさるプレイングは本当に素敵です。

 それではまた別の事件でお会いできますように。