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<東京怪談・PCゲームノベル>


時の果てで貴方を想う

++ 時計屋の噂 ++
 草間興信所の、主に接客用に使用されるテーブルの上には、事務所の主である草間武彦の見慣れぬものが広げられていた。
「『時計屋』さんか、おもしろそうだね」
 ちょこんと小首を傾げてみせたのは、テーブルの上に散乱するお菓子の持ち主である。肩まで伸びた銀色の髪と、同じ色の瞳――そして人形もかくやと思われる整った容姿であるにもかかわらず、冷たさを感じさせない愛くるしい印象の少女である。彼女の名は海原・みあお(うなばら・みあお)といった。
「面白いわよぉ。噂なんてモンはね、本質的に面白いモンよね」
「だから凪お姉さんは都市伝説とか好きなの?」
「まあね。ダイスキよ噂話!」
 何故か両手をぐぐっと握り締めながら力説する凪。
 みあおとテーブルを挟んだ向かい側のソファに、背筋をぴんと伸ばして腰掛けた小柄な少女――橘・穂乃香(たちばな・ほのか)が二人の様子を微笑ましげに見つめた後で、事務所の奥――草間がいつも使用しているデスクの前に新たに置かれた椅子に座っている老紳士へと視線を投げかける。無言で。
 穂乃香とみあおも、年齢的にはかなり近いものがある。実際はみあおの方が三つほど年上なのだが、みあおに比べて穂乃香の持つ雰囲気や空気感といったものがひどく大人びていることと、落ち着いた彼女の言動などからも、やはり何も知らぬ者が二人を見たならば、穂乃香の方が年上であろうと思うのかもしれない。流石に若干10歳でありながら、広大な敷地を持つという屋敷『常花の館』の主であるといえよう。
「ねえねえ、どうしたら時計屋さんに会えるのかな?」
 みあおは興味津々、といった様子だ。そして穂乃香もまた『時計屋』なる人物に少なからず興味を感じているようだった。みあおに問いかけられた凪を物静かな眼差しで見つめている。
 凪はテーブルの上に広げられたお菓子の中の一つをひょいとつまみあげる。
「時計屋に会ったって連中は、ほとんど失踪しちゃってるみたいなのよ。物騒な話でしょ」
「そうでもない――『時計屋』が売る時計は時を遡ることが可能だという話だからな。彼らが自分の望む時に向かったんだろう。だから現代から、この時間から消えたと考えれば、そう悲観的になることでもない」
 草間はつまらなそうな顔で手元のファイルに目を通しながら言った。
「えー。じゃあ何も分からないの?」
 手がかりが得られないことに、ぷうと頬を膨らませるみあお。だが意味深な笑みを浮かべる凪の様子に、穂乃香は何事かを感じ取ったようだった。
「何かをご存知なのでしょう?」
「そー見える?」
 子供相手にふふん、と得意そうな顔をする凪はひどく子供っぽく見える。
「『時計屋』さんに会った方は皆失踪していると――それだけで凪さんが満足される筈がありませんもの。失踪したならば、その原因を調べようとする筈――違いますか?」
「違わないわ。まあ一応ね、時計屋と接触を取ろうとしていた当人とは連絡は取れなかったから、友人やら家族やらに話を聞いたのよ。そしたら、時計屋を見たって人が数人いてね」
 わくわくと、みあおは目を輝かせている。
「それでそれで?」
「時計屋は店を出しているわけじゃないみたい。『時計屋』を探している人物の前に現れたんだって話よ。胡散臭いけど、探す手間は省けるんじゃないかしらね」
 そこまで話を聞くと、穂乃香は椅子に深く腰掛けてコーヒーカップを傾けている老紳士の方を振り返った。
「わたくしも、懐中時計を持っていますけれど、これは大切なものなのでお譲りすることは出来ないのです。お父様、お母様の形見ですの――」
 言いながら、穂乃香がそっと掌の上に乗せた懐中時計を老紳士に見せる。それは白銀に薔薇の細工が施された懐中時計だ。白銀の美しさ、そして流線を幾つも幾つも丁寧に掘り込んで構成された薔薇の見事さに老紳士も、そしてみあおや凪も思わず息を呑んだ。
「その時計は確かに見事だ。だが残念ながら、私が探しているものではないようだ」
「おじいさんは、どうして懐中時計を集めていらっしゃるの?」
「私が本当に欲しているのは、たった一つの時計なのだよお嬢さん。それはかつて私が持っていた私の時計だ」
「なくしちゃったの?」
 みあおは老紳士の膝の上にちょこんと手を乗せた。その姿に目元を緩ませながら、老紳士は頷く。
「半分は当たりだよ。あれは失われてしまった――けれど私にはあれが必要だ」
「じゃあその時計を探してるんだよね。あ、お菓子食べる? この事務所『火の車』らしいから、みあお自分で自分のおやつ持ってきたの。分けたげる」
 火の車云々、のところで草間が苛立たしげに煙草に火をつけた。その横では凪が愉快そうににやにやと笑みを浮かべている。
 自分は何かおかしなことでも言っただろうか、とみあおは首を傾げてみるが思い当たるようなことはない。
 とりあえず持参したお菓子を穂乃香や凪、そして老紳士に勧めてみるが、草間だけは頑として手に取ることはしなかったのは大人としてのプライド故なのかもしれない。
 ありがとうございます、頂きます――そう答えお菓子を手に取った穂乃香は、ふと何かを思いついたように顔を上げた。
「おじいさんの懐中時計についても興味はありますけれど、『時計屋』さんという方も面白いとは思いませんか?」
「うん思う思う! あのねみあおね、もしも過去に戻れるなら助けたい人がいっぱいいるの!」
 にっこりと、満面の笑みを浮かべる彼女の姿からは、みあおがかつて自分が望んでいなかったにもかかわらず改造を受けたという過去の暗さは微塵も感じられない。
 そして、もしも過去に戻れるのであれば、自分のほかに改造を受けた仲間たちを助けたいと――みあおはそう考えていた。だがしかし、彼女は自分が元に戻る手段をそこに求めようとは考えてはいない。自分は自力で元に戻ってみせる――それが、この幼い少女が持つ強さであることは疑いようがない。
「で、どーするつもりな訳、お嬢さんたちは?」
 ぽりぽりとみあおのお菓子を食べていた凪の問いかけに、みあおと穂乃香は顔を見合わせた。
「時計屋さんという方に、会ってみたいと思っています。おじいさんの探している時計の特徴を教えてもらえませんか? 時計屋と呼ばれる人ならば、何かをご存知かもしれませんし」
「そうだね。みあおも興味あるし、時計屋さんって人に会いたいな」
 どうやら二人は『時計屋』を探すつもりらしい。
「……アンタら二人だけで大丈夫なの?」
 いつもは言いたいことははっきり言い過ぎる凪が、何故か今日に限って歯切れが悪い。
「へいきー! みあおこーゆーの得意だし」
「いやそーじゃなくて……」
 ぱたぱた、と手を左右に振ってみせた凪は、救いを求めるように草間を振り返る。だが草間はしばし悩んだ末に一冊のファイルを穂乃香に手渡した。それは『時計屋』に関する情報がまとめられたものだ。
「とりあえず読んでおいて損はないだろう」
「ありがとうございます――」
 ゆっくりと、年齢には不相応なほどに洗練された仕草で頭を下げる穂乃香。
 凪はばしばしと穂乃香とみあおの肩を叩く。
「いーい? アメくれるって言われても知らない人についてっちゃ駄目よ?」
 つまり凪はそういう心配をしていたらしい。
「はーい!」
 元気よく手を振りながらドアの向こうに二人の姿が消えると、凪がちらりと草間に視線を向けた。
「あんな二人連れがてふてふ歩いてたら、私なら絶対誘拐するわよ」
「真顔で言うな真顔で」
 呆れたような草間の呟きに、凪なふんとそっぽを向いた。


++ 時計屋 ++
 商店街を抜けると、中央に大きな噴水のある公園に出た。
 みあおと穂乃香は、しっかりと手を繋いでいる。すれ違っていく大人たちは愛らしい少女二人が仲良さそうに手を繋いでいるさまを微笑ましく見守っていた。
 当初、二人は手を繋いではいなかった。
 それが何故今に至るのかといえば、『知らない人について行くな』『声をかけられたら逃げろ』などという凪の執拗なまでの注意が、みあおの中にとある義務感を生じさせたようだった。いくら大人びて見えるとはいっても、みあおと穂乃香では穂乃香のほうが年下である。この妹のように可愛く美しい少女を守るのは、この場には自分しかいないのだ。「ゆーかいまが来ても、みあおが守ってあげるからね」
 細く華奢な手をぎゅっと握り締めたみあおは、きょろきょろと周囲に怪しげな人がいないかを確認する。みあおの過剰とも思える用心ぶりは、逆に彼女を挙動不審にしていることにみあお自身気づいていない。
 穂乃香はそんなみあおに淡く笑みを返すと、公園の隅に見えるベンチに腰掛けた。日は傾きかけているとはいえ、やはりまだ外の空気は暑い。だがこのベンチは丁度公園の隅に植えられた木々のおかげで涼しい木陰になっていた。少なくとも何もない場所よりも多少は涼しく過ごせることだろう。
 ちょこんとベンチに座ると、穂乃香は草間興信所で入手してきたファイルを太股の上で開いた。それは草間が何かの役に立つだろうと持たせてくれた、時計屋に関する情報がまとめられたファイルである。
 みあおも時計屋という存在に興味があるらしく、隣に腰掛けるとまるで宝物を見つけた子供のような目でファイルに視線を落とす。
「時計屋さんと会った人が、ゆくえふめいになってるってホントなのかな?」
 きょとんと首を傾げたみあおに、穂乃香はファイルに視線を落としたままで答えた。
「このファイルにはそのように書かれているようですね……時計屋さんに直接会ったという方の証言は取れていないのですが、その知り合いの方々からの話によれば、時計屋さんは『ある日当然現れた』のだそうです」
「時計屋さんって、どこかにお店出してるのかと思ったんだけど違うんだ……ねえねえ、じゃあ時計屋さんは自分を探している人のことが分かるのかな? だってそうじゃなかったら、そんなヘンな時計を欲しがっている人の前に上手く現れたりできないもんね」
 あくまで無邪気に告げるみあおであったが、穂乃香は反対することはない。それどころか、彼女――みあおの発言は的を得ているとさえ思う。
 まっとうに時計を売っているとは思えないが、顧客があってこその商売だろう。ただの時計ならばともかくとして、みあおの言う通り『時を遡ることの出来る時計』を欲している客というものはきっとさほど多くはない。そしてそういった客に偶然だけを頼りに会えるといったことは考え辛い。
「そうですね――それならば、お爺さんの前にも現れてくれるかもしれません」
 ぱたんと、音を立てて穂乃香はファイルを閉じた。その時――影が動いた。いや正確には、二人の背後にいた人物が立ち上がったのだ。
 だが、みあおも穂乃香もそれまで背後に人の気配など感じてはいない。
 はっとみあおが後ろを振り返ると、そこに人の姿を見つけるなり穂乃香の手を取ってベンチから降り、たたたと数歩走って振り返った。
「ひとさらいひとさらいひとさらいーーー!!」
 時刻は夕方。
 閑散としてきたとはいえ、まだ人の姿もちらほらと見られる公園で、ひとさらい呼ばわりされた方はたまったものではないだろう。
 だが、その人物はまったく動じたそぶりを見せなかった。
「おや、嫌われてしまいましたか」
 穂乃香は強く掴まれた手の痛みも忘れ、まじまじとその人物を見つめた。
 細いチェーンのついた片眼鏡の向こうに覗く、穏やかな光を浮かべる眼差し。きっちりとネクタイをした身なりと柔らかな物腰。
 アルミ製のアタッシュケースを手にした男は、少しも残念ではないような口ぶりだ。だがみあおは更にびしりとその男に指をつきつける。
「ゆーかいま!!」
「残念ながら、そういった職業の者ではないのです。私はこちらにお客様を探しに来たのですが――どちらにいらっしゃいますか?」
「じゃあ人さらい!」
「さらいませんよ人なんて。私が売るのはもっと別のものです。お分かりになりませんか?」
 わからないもんそんなのー! とみあおが頭を抱える。だが再び開いたファイルの中身と男とを交互に見比べた穂乃香が信じられない、と言いたげに呟いた。
「……時計屋、さん?」
「ご名答。では、お客さまのことを聞かせて頂けますか――お嬢さんがた」


++ 時を越える時計 ++
 身なりのよい青年と、愛らしい子供二人。
 本来であれば、三人の関係にやましいところなどは微塵もない。だがつい先ほど、人目のある公園で『ひとさらい』『ゆーかいま』などと連呼してしまったせいで、流石に周囲の視線が痛いほどに突き刺さるのを感じていた。
 そのため、公園で話をすることを取りやめて草間興信所へと向かうことにする。
 いつか時計屋と老紳士とを会わせることになるのであれば、結局のところそれが一番手っ取り早いだろうと考えてのことだ。
 草間興信所に向かう道中で、みあおと穂乃香はかわるがわる今までの出来事を時計屋に話して聞かせる。
「懐中時計のみを欲している老紳士、ですか」
 ふむ、と男は何やら考え込むようなそぶりを見せた。その片腕に半ばぶら下がるようにして捕まっていたみおあがポケットから何かを取り出す。
「そうなの。それでそのおじいさんの欲しがっている時計持ってないかなって。二人ともアメ食べる?」
「女性に勧められて断ることはできませんね――頂きましょう」
「穂乃香も、はい」
 ちょこんと、白い掌の上に乗せられた小さな飴の包み。
 穂乃香は『ありがとうございます』と礼を言ってから、時計屋を見上げた。
「時間は河のようなものです――」
 遠くに視線を彷徨わせた穂乃香。それはまるで彼女には、みあおには見えない何らかの景色が――あるいは時の流れというものが見えているかのように思える。
 穂乃香はもう一度口を開く。ゆっくりと。歌うように。
「時間は河のようなものです。無理にせき止めたり、逆流させたりしていいものではないですよね。きっとその場は臨む結果を得られたとしても、最終的に良い結果は残せないと思うのです――……」
 それは、暗に時計屋が売っている時計を指しての発言だった。
 時計屋はしばし考えた末に、上体をかがめるようにして穂乃香とみあおの顔を覗きこむ。
「ですが、老紳士が既に『時からはじき出された存在』だとしたらいかがでしょう?」
 笑みは――穏やかそうな笑みは相変わらずだった。
 だが、穂乃香はその表情の中に――否、漆黒の瞳の奥に、何か得体の知れない感情が見え隠れしているように思えてならなかった。
 かすれる声で、それでも穂乃香は問う。
「――何を、ご存知なのですか?」
 答えはあっけないほど簡単にもたらされた。
 片方の眉だけを上げて、得意そうな顔をすると時計屋は手にしていたアルミ製のジェラルミンケースを少し持ち上げて見せる。
「おそらく全てを」
 草間興信所の事務所が少しずつ見えてくる。時計屋はそのドアのあたりを指差した。
「あそこだよ」
「岸本様については、私にお任せください」
「――?」
 穂乃香とみあおが、ふと顔を見合わせた。
 おそらく時計屋の言う『岸本』とは、今までの会話の流れからして草間興信所を訪れた老紳士のことなのだろう。
 だが、どうして。
 自分たちですら知らない老紳士の名前を、彼は知っているのか?
 はて、と首を傾げた二人の頭を順番に撫でると答えた。
「私の名が、好事家の間で噂されるように、一つの時計にまつわる噂が、私どもの業界でも流れているということです。過去に帰るために、自分の名が刻まれた時計を探し続ける男の話が」
「過去にかえるため?」
 鸚鵡返しに問いかけると、時計屋がゆっくりと頷く。
「そう。なんでも残してきた病気の細君のために、時計を質に入れようと家を出たところで彼は時からはじき出されたのだと――これを、彼に渡していただけますか? やはり私はまだ彼には会ってはならないような気がしますので」
 ジェラルミンケースをみあおに手渡す。それは思っていたよりもだいぶ軽い。
「来られないのですか? それに時計の代金は……?」
 恐らくみあおに渡されたケースの中には、老紳士が求めるという時計が入っているのだろう。そう推測した穂乃香の言葉に、時計屋はふと自分の掌を開いてみせる。
 そこには、つい先ほどみあおから渡された小さな飴の包み。
「これを頂きましたから、お代はそれで結構ですよ。ただ一つだけ、岸本さまにお伝え下さい。もしも自分の望む過去に戻ることが出来たら、その時は時計の蓋に刻まれた名前を削り取ってください、と」
「みあおよく分からないんだけど、そーすると何か得するの?」
「彼が、無事に元の時間に戻った証明になるでしょう。私は切に願っているのですよ――彼が、長い長い旅を終えて元の時代に戻ることを」
 いつ終わるとも知れない長い旅。
 それが終わるのか、あるいは再び始まるのか――。


++ 時の果てで貴方を思う ++
「私が、過去からやってきた人間だと言ったら信じるかね?」
 ジェラルミンケースを抱えて戻ってきた二人が一息つくと、ソファに腰を沈めたままの老紳士はそう問いかけた。
 ささやかな冒険をしてた二人は――みあおは誇らしげな顔をしている。穂乃香は微笑ましく思いながらも老紳士の言葉に首を傾げた。
 ケースが草間の手によってゆっくりと開かれる。その中には銀色の、古い懐中時計があった。
 穂乃香の持つ時計のように、流麗な細工が施されているでもないシンプルなものだ。だがそれがかなり古いものであり、同時にとても大切にされてきたのだろうということは、たやすく想像できる。
 草間から時計を受け取った老紳士は、蓋の表面に刻まれた名前の部分を確かめるようにして指で何度もなぞっている。
「私は、過去からやってきた人間だ。私には病床の妻がおり、父から譲りうけたとある懐中時計を質に入れて、治療費を捻出しようと自宅を出たのだよ――」
 それは、冬の寒い日の出来事だったのだという。
 そして、その日に始まったのだ。
 彼の長い長い、気の遠くなるような旅が。
 気がつくと、手に握られていた懐中時計は消え、知らない街に放り出されていた。だが時間を越えたのだということを知り、そして納得するのにかなりの時間を要した。
 何が原因で時を越えたのかを、彼は執拗なまでに考え続けた。何故ならば老紳士は戻らなければならなかったのだ――病に苦しむ妻の元に、彼は一刻も早く戻らなければならない。
 焦りの中、彼はとある可能性を思いつく。
 手にしていた時計が消えていたということを。もしかして、あの時計に秘密があるのではないだろうか、と。
 そして彼は見知らぬ町で、消えてしまった時計を探し続けた。いつか元の時に返れることだけを信じて――。
「時計屋さんからの伝言です。もしも無事に望む過去に辿り着くことができたら、蓋に刻まれた名前を削り取って欲しい、と」
 彼は帰れるのだろうか? 元々自分が過ごしていた時に。
 長い長い孤独な旅に、果たして終わりは来るのだろうか?
 たった一人で時を越え続ける老紳士の孤独を思い、穂乃香は沈黙する。果たしてどんな言葉をかけたらいいのかが分からない。
 みあおは、しばし考えた末に小さな青い羽を老紳士へと手渡す。
 それは、幸運の象徴。
 みあおがもう一つの姿をとったときに、羽を一枚だけとっておいたのだ。せめて、彼に幸運が訪れるようにと。
「これお守りなの。きっといいことあるから、持ってって」
 本当のことは言わない。みあおが改造されたといったことは、老紳士には関係ないのだ。ただみあおは純粋に彼の長い旅路を心配し、羽を――幸運を与えた。それだけのことなのだから。
 老紳士はみあおと穂乃香を交互に、ゆっくりと見つめた。
「感謝する――いつか、時の果てで約束は果たそう」
 手にした懐中時計の蓋を、音を立てて開く。かちかちと、秒針が動く音――規則正しいその音が、少しずつ少しずつ歪んでいくのがみあおと穂乃香にも分かった。
 そして何十秒かを数えた末に、不意に秒針の音が止まり興信所内が静寂に包まれる。時計の文字盤に視線を落とした老紳士の優しげな顔を、決して忘れることはないだろうと――二人は思う。
 理由などは分からない。ただ全てに理由などなくとも良いと思う。
 ただ自分たちは感じたのだ――だから、それで構わない。


 文字盤から、光があふれ出す。


 その先に、光の中に蜃気楼の如く見え隠れするのは灰色のビル郡。そこが、彼――老紳士が次に旅する場所なのだろうか?
 穏やかな光が事務所内を満たした。それは眩しい、というほどに強烈なものではなく、包み込むような優しい光。そして、その光が消えるのと同時に、その場にいた老紳士はまるで宙に溶け込んでしまったかのようにして消失していた。


 そう、まるで光とともに消えてしまったかのように――。


++ ねじれた時間 ++
 あの日、初めて時計屋とあった公園で、三人は再び顔を合わせた。
 それが偶然であったとは思えない。
 あるいは、時計屋は『それを求める者の前に現れる』のだから、自分たちの心の中に、あの老紳士のことを、彼がこの時間から去ったということを、報告したいという気持ちもあったのかもしれないと、穂乃香はそんなことを考える。
「戻れたと思いますか?」
 全てのことを語り終えた穂乃香に、時計屋がそんなことを問いかける。
 本来ならば、そんなことは分からないと答えるだろう。だが、確信があった。
 そして、みあおにも。
「戻れたよ」
 驚くほど簡単に断言するみあお。そして同じ思いだった穂乃香も頷く。
「おじいさんには、『青い鳥』がついていますから――必ず」
 くすくすと、秘密を共有した二人が視線を交わして笑いあう。
 そこで何事かを思い出したのか、みあおが顔を上げた。
「ねえねえ、そいえばどうしてあの人の名前が岸本だとか、あと奥さんのこととか知ってたの?」
 問いかけるみあおに、時計屋は笑う。
「簡単なことですよ――」
 その視線は遠く――まるで目の前の穂乃香たちを通り越して、その先にある何かを見ているかのように思える。
 それをよく似た視線を、どこかで感じたことがあると思った。だがまさか、とも思う。
「本当は『時計屋』と呼ばれ続けるのも良かったのですがね。私の本当の名は岸本時近と申します。前にお話した細君の、息子でして――まあ、つまり親子揃って時というものに翻弄されているという訳です。可笑しな話だと思いませんか?」
 ざわざわと、風が木々の枝を揺らした。
 ひときわ強い風に、二人が思わず目を閉じる。


「可笑しな話だと、思いませんか――?」


 笑みを含んだ問いかけ。
 二人が目を開いた時には、既に時計屋の姿はそこにはなく。
 ただ、いつも見慣れた公園の、ごくごく当たり前の日常の風景が広がっているだけだった。



―End―


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0405 / 橘・穂乃香 / 女 / 10 / 「常花の館」の主】
【1415 / 海原・みあお / 女 / 13 / 小学生】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちわ。久我忍です。ゲームノベルへのご参加ありがとうございました。
 今回の『時計屋』のノベルは一応完結してはおりますが、いつかまた関連した依頼をあげたいと思っておりますのでお楽しみに。

 では、まだどこかでお会いできることを楽しみにしております。