コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


幽霊の頼み事

●オープニング
 独り、草間が興信所で煙草をふかしていた。
 煙が、室内を満たす。
 窓から漏れ射る夕焼けの光が、煙をオレンジ色に曇らせた。
 先程から草間は、物言わずこの調子だ。自分以外の誰かがいる事を認めようともせずに。
「若いのにそんなに吸っちゃ、身体に悪いよ」
 ソファに座った男、中年を通り越して初老にさしかかろうかという男が、草間に向かって言うが、当の本人は聞く耳持たない。
 何せ、この警備員の服を着た男は、この世ならざる者なのだから。
「‥‥どうして、まっとうな依頼をしてくれる、ごく普通の依頼人が、ここに来ないんだ?」
 自問するが、誰も答えようとはしなかった。
 このままにしても仕方ない、と、煙草を吸殻入れにねじ込む、草間。
「で、どんな用なんだ?」
 やっと自分の存在を認識してくれたので、男は嬉しそうに語りだす。
「地下鉄の新宿御苑駅の近くに、私が住処にしているビルがあるのですが、ここんところ、変な影を見るのですよ」
 男の名は、高橋順二(タカハシ・ジュンジ)。
 とある廃ビル同然の居住者が全くいないビルに住み着く幽霊で、生前はそのビルの警備員をしていた。今も尚、ビルの入り口にて自縛霊として警備をしている。
 だが、ここ最近、いつものようにビルの前で立っていると、大通りから離れた暗い細道に、怪しい連れ添う二人の影を見つけた。
 酔っ払いか浮浪者か。初めはそう思ったのだが、翌日になると、その影を見かけたビルから自殺者が出た。
 いずれも、その影が入っていったビルで、自殺した者はただのサラリーマン。そのビルとは無縁の者で、自殺する動機が全くなかった。
「このままだと、私が住むビルにその影が入ってきそうです。警察の方が入ってきて騒がしくなるのも嫌なのですが、こうやって犯罪が起こっているのを黙って見過ごす訳にもいきません」
 自分は、ただ存在するだけで、何の力もないのが悔しい。そう、高橋は最後に呟いた。
「ま、要するに自殺に見せかけて殺人を犯した犯人を捕まえるか、二度とそのような事が起きないようにすればいいんだな?」
 高橋は真剣な面持ちで、頷いた。
「影は、あんたのいるビルの近くでしか見かけていない。それに、そこでしか自殺は起きてない。その通りだな?」
 念押しすると、草間は「この依頼、受けてやるよ」と、溜息混じりに呟いた。
 男が礼を言うのを背中で聞き流しながら、心当たりのある、このような依頼に適した人物に連絡を取る。
 全てを終え、草間が振り向くと、既に高橋の姿はなかった。

●幽霊の依頼
 一房の金色の髪が、夕日に輝く。
「まったく草間のおっさんも次々と変な依頼受けるよな〜」
 御崎月斗が言った言葉に、反論しようとする、草間。だが、反論の言葉が思いつかず、押し黙ってしまう。
 ネット上で退魔系のホームページをしており、その仕事で兄弟三人の食い扶持を稼いでいる。その為か、金銭的な事に容赦はないのか、次に出た言葉も、草間の胸にグサリと刺さるものであった。
「仕事なんだから、依頼人が金払えなくても、俺らには払えよ」
 何とか貯金でやり繰りできるか、と、頭の中で草間が勘定していると、更に藤井葛の悪げなく発した言葉が追い討ちをかける。
「それにしても幽霊が依頼してくるなんて、ここは噂通り変わった所だねぇ」
 自称、ハードボイルドの草間にとって、一番きつい言葉だろうか。ただでさえ、妖怪興信所と、よくない噂が立っているのに。
「それにしても、その高橋さん、いなくなっちゃったのか‥‥」
 葛は幽霊である高橋に、どうやら興味があるようだった。
 草間は苦虫を噛み潰したような顔をして、「幽霊に居座られても困る」と言った。
 草間からの連絡を受け、「わたしもこの依頼受けてみたい」と、依頼を受けた海原みなもが少し考えた様子を見せると、思いついたように言葉を発した。
「殺されたとしたら、なんらかの意味があると思うのですけど」
 他の三人は、そんな草間の様子を無視して、さっさと依頼の内容について相談しあう。
 みなもが言った言葉を暫し、皆で考え込む。
「だとしたら‥‥殺されたのはどういった方たちだったかを、まず、調べた方がいいかもしれませんわね」
 天薙撫子は、警察関係の知人がいるので、その方面から尋ねてみる、と言った。
 まずは下調べをしてからだという事で、各々ネットや図書館で調べる為に散って行った。
 行ったか、と、草間が煙草に火をつけると、パタパタと足音がし、朝生永萌が戻ってきた。
「受けたからにはできる限りの事はさせていただきますから、安心してくださいね」
 にっこりと笑った永萌に、草間も笑顔で返した。

「これ、よかったら使ってくださいね」
 と、みなもが持って来た霊水を皆に配った。
「幽霊さん相手だとねぇ。目薬にすれば弱い幽霊さんでも見えるかな?」
「どうだろう。確かに見えるかもしれないどね‥‥」
 早速、葛が霊水を目にさして見る。そして、怪訝そうに辺りを見回すと、驚いたように目を見開く。
「あははっ。ここは新宿だよ。人が多ければ、それだけ死に向かった人も多い。だから、弱い幽霊なんてそんじゃそこら中にいるんだから」
 可笑しそうに月斗が言うと、あまり目にさして使わないようにと注意する。
「遅いよ!」
 目をごしごしとこすって、葛が怒るが、月斗はただ笑い顔を見せるだけであった。
「これで目をすすぐといいかもしれませんわ」
 撫子が持って来たミネラルウォーターを葛に渡すと、「ありがと」と言って受け取った。
 水を手の平にすくい、瞳を洗う。霊水がやっと落ちたか、今度は大量に蠢く亡者の姿は見えなくなった。
 それにしても、普段は見えないだけでこれ程まで幽霊が多かったのか、と、変なところで感心する。
 では、調査に向かおうか、と、みなもと撫子、月斗の三人はインターネットを通して調べる為に近くの喫茶店へと向かう。
 永萌と葛の二人は現地へと向かった。
「ところで、葛さん。そのビルのある新宿御苑はどう行きます?」
「そうだね‥‥」
 永萌の問いに、葛は悩む。
 ここからだと、徒歩で十分も経たないうちにつくだろう。だが、先日梅雨明け宣言されたばかりだ。
「地下鉄で行こうか」
「そうしましょう。暑いですし」
 たかが一駅かもしれないが、この猛暑の中少しでも歩くのは大いに躊躇ってしまう。日焼けや化粧が汗で落ちるなど、女性にとっては大変な季節なのだ。

●死を選びし果ては何処へと
 ネットカフェ、『桜並木』。
 最近、新宿の片隅にできたインターネットができる和風喫茶店だ。落ち着いた店内で、装飾やメニューは和風で統一されている。店員も、明治時代の女生徒が着ていたような服装で、噂によると何だかコアのファンがいるとかいないとか。
 撫子のお勧めでこのネットカフェで調べものをしにきたのだが、じっくりと調査できそうだ。ただ、店の雰囲気から騒がしくできそうにもないが、別に騒がしくする必要もないだろう。
「妙な噂は特にありませんわね‥‥」
 湯飲みに手を伸ばし、撫子は呟いた。
 高橋の噂どおりなら、まだ犠牲者が出続けるかもしれない。そう危惧し、せめて本日中の間に解決したいと思っているのだが、思うように情報は集まらない。
「裏づけの方は‥‥取れました」
 隣に座ってる、みなもが報告する。
 高橋が言ってた事に対する裏づけ調査を行っていたのだが、結果は肯定するものばかりであった。
「既に三人の方が亡くなっています。同じビルではなく、それぞれ異なるビルから投身自殺を図った、と記事にありました」
「そうですか‥‥。こちらの方は全然でしたわ」
 撫子の方はというと、問題のビル近辺で怪しい噂がないかを、その手の都市伝説を扱っているサイトで調べていたのだが、何もなかった。
 誰も興味をひかず、噂さえにもなってないのかも知れない。不況だ、リストラだと、自殺する者は最近ではそうそう珍しくないのだろう。
「でも、絶望するにはまだ早すぎますわ‥‥」
 哀しくなって、気が沈んでしまう。自殺者が珍しくなくなった事も、それを気にしない人々が多くなった事も。
 撫子の翳った表情を見て、何を思っているのかがわかり、自分も悲しみの色を見せる、みなも。
 何も言わず、身動きせず。
 少し重くなった空気を振り払うかのように、月斗の大きな声が響いた。
「こっちは大体わかったぞ」
 店の中の様子を統一させていた静寂さを打ち破った。周囲の客に睨まれ、月斗は申し訳なさそうに顔を引っ込めると、小声で二人に言った。
「‥‥で、ビルの事なんだけど‥‥。単なる雑居ビルなんだよなー。何の因縁もないなだよなー。ただ、関連性があるとすれば‥‥」
 雑居ビルの中に構えている会社の種類に統一性があった事。
 それは、企業向けのソフトウェアを開発している会社だという事だ。
「あ‥‥被害者さん達も、そういう会社に勤めてる人達ばかりです」
 自殺されたされる、投身自殺者の関連性を調べていた、みなもが声を上げた。
「なるほど‥‥ようやく何か見え始めてきたな」
 ニヤリと笑うと、月斗は「次は現地調査だ」、と言って、外に出る支度を始めた。
 その前に、撫子が警察関係の知人のところで、詳細を聞いてみたい、というので、新宿署へと向かった。
 中へ入る前に、見知った中年の刑事を見かけたので声をかける、撫子。
 久々に顔を見て喜んだその刑事は、近くのビルの喫茶店に誘うと、一服する。
「何か、大変そうですね」
 疲れた様子の刑事を見て、撫子が心配そうに言うと、苦笑して答える。
「まぁ、な。連続して起こっている自殺事件の担当となったんだが、どう調べても自殺にしか見えなくてな」
 遺書もなく、自殺する素振りも見せなかった死者。だが、自殺する原因は充分にあった。
 仕事が煮詰まっていたり、度重なる深夜までもつこれむ残業、追い詰められるばかりのスケジュール。心労は溜まっていくばかり。遺族は過労死と言うことで会社を訴えると言ってるらしいが、これは事件には関係ないだろう。
 事件――。
 警察は単なる自殺とは見てなく、何らかの事件だと思っている。
 毎晩のように起きる、自殺。完全に施錠されているはずのビルに侵入して屋上から飛び降りる。普通でない事ばかりだ。

●死者の呼ぶ声
「連添う二人組ということは片方が犯人、片方が被害者、ですよね、普通」
 地下鉄で新宿御苑駅から降り、地上に出て歩き出すと、永萌は呟いた。
 日差しが強く、暑い。ビルの間に吹く風は強くとも、涼しくは感じられない。大きな通りを四谷に向けて歩いていると、カフェと一緒になっているパン屋があったので、そこで一息いれる。
「高橋さんは入る姿を見たと言ってましたが、出てくる所はどうなんでしょう?」
「何も言わなかった、という事は見なかった、という事かね」
 クロワッサンに齧りつきながら、葛が答えた。
「幽霊と言っても、コンビニみたいに24時間同じところにるわけじゃないんだしさ」
「そうですね‥‥。あと気になっているのは、その影を見る時間はいつ頃だったのか、という事なんです」
「影、か。二人の影っていうとやっぱり霊絡みかね。影が入っていったって言う表現が引っ掛かるんだけど‥‥」
 アイスカプチーノを啜り、何か考え事をする、葛。そして、飲み終えてストローから唇を離すと、立ち上がった。
「さっさと、実際に高橋さんのいるビルに行ってみようか。動いてみれば、何かわかるかもしれないしね」
 高橋がいるビルの場所は草間から聞いているのでわかっている。
「そうですね。でも、幽霊が出るにはまだ時間が早すぎだと思いますけど」
 天の陽はようやく真ん中を過ぎた頃か。夏の日差しは落ちるのが遅い。闇に属す者達が現れやすい闇が来るまでには時間がたっぷりある。
 そうか、と苦笑する葛に、永萌はまだ何か言いたげな表情をする。
「どうしたんだ?」
「いえ‥‥。よく食べたのですね、と‥‥」
 空になった皿は四枚ほど。とうにお昼は食べてるのに、と視線が言っていた。

 近くに図書館とかそういうものはなかったが、区役所がすぐそばにあったので、永萌の提案で郷土史とか調べる事にした。
 役員に尋ねると、肝心のビルの事とか、言い伝えにそれらしきものはなく、落胆するだけであった。
 地図を見て、事件が起きた場所を点にして、その点を結んでいくと何かあるのでは、と思ったが、無造作に発生しているのがわかった程度だった。無造作、と言っても、この一帯のビルを狙ってるかのように集中している。
 そのビルの事を調べてみると、少し何かがわかってきたような気がした。
「葛さん、これ‥‥」
「そうだね。何かあるかもしれないね」
「えぇ。ビルの中にある会社が、ソフトウェアを販売している会社が必ず入ってますし、自殺された方も、その手の職業の方‥‥」
 その事を踏まえると、自殺事件が起きたビルの順番性に関連が見えてきた。
「大体新宿方面から四谷に向けて、ビルを移動してますね。これだと、次に起きるビルは‥‥ここに」
 永萌が示したビルを見て、このビルは高橋がいるビルだと教える。
「これで、何とか予防はできそうだね」
「それにしても‥‥何を思って行動しているんでしょうね。この犯人は」
 捕まえるにしろ、理由は知りたいような気がする。
 どうして、このような事をするのか。
 ふと、借りてきた新聞の記事に目が行く。
「『プログラマー集団自殺』‥‥?」
「何だ、これ」
 記事に目を通すと、五年前に似たような事件が過去に起きていた事があった。だが、一斉に示し合わせたかのように数人が同じ時刻に違うビルで飛び降り自殺していた為、調査の中で見落としてしまったらしい。
 原因はストレス。
 仕事に追われ、時間に追われ。生きていく気力がなくなったと、遺書に書かれていた。そして、一人では死なないから怖くない、と。
「まさか‥‥な」
 葛が永萌に顔を見合わせると、彼女は頷いた。
「死者がまだ人を欲して、死に追いやっているのかもしれません」
 緊迫した空気が一瞬張り詰めた。
 だとしたら、これ以上死者を増やさない為にも、彼らを止めなければ。
 慌てて押し間違えないように気をつけて、仲間にこの事を伝える為に携帯のボタンを押した。

●蠢く闇
 薄闇が天のヴェールを広げる。
 高いビルの影が、一層辺りの闇を濃くしてるように見える。
「流石にこの時間だと人気ないなぁ」
 下に広がる光景を見渡して、月斗が呟いた。
 夜になり、高橋がいるビルに行くと、快く中に入れてくれた。そんなに霊力が強くない幽霊なので、物理的な効果を及ぼすような事はできなかったので、ビルの管理人がよく鍵をかけ忘れているトイレの窓から侵入したのだ。
 大きな通りだと、車の往来が絶える事のなかったような気がしたが、深夜となると少ない。
 幽霊の高橋に、影を見かけた時間を聞いて、それに合わせて見張っているのだ。
「どうだね?」
 その高橋が皆に声をかけた。このビルに来る事は間違いない。人目がある入り口で待ち構えるよりも、必ず来る屋上で待ち構えていた方が都合がよく、また幽霊が入り口にいては、その幽霊――高橋の安全も怪しいので、ここまで来てもらった。
「今のところ来る気配はないですわね」
 霊的な力の流れを見ていた撫子が微笑んだ。
 霊視――。
 撫子が持つ、力。
 自殺の起こったビルに入り、現場を『視た』のだが、霊的な痕跡が濃く残っていた。どす黒く渦巻く小さな闇。それが、残されていた、傷痕。
 多少時間がかかっているのに、こう強く『残って』いるという事は、本体はもっと強い怨念を纏って来るだろう。それならば、発見も容易いものだ。
「結界も破られていませんし、こっそり侵入された形跡もありませんわ」
 霊符を『妖斬鋼糸』――神鉄製の鋼の糸、妖などの切断・捕縛や霊的結界張る術具も兼ねる――を織り上げ、このビルの周囲に結界を張っている。
 余程の力がない限り、この結界を破るのは難しいだろう。
「でも、それだと肝心の影が来ないのかも‥‥」
 心配そうに、みなもが霊水が入った瓶を握り締めて、呟く。
「あれ程の力を持っているのなら‥‥結界は破れられるでしょう。ですが――」
「その分、あいつもダメージを受けて、俺達のところに来たときには虫の息、って、事だろ?」
 悪戯そうに笑って、月斗が撫子の言葉を継いだ。
 その通りだと、撫子は頷く。
「でも、本当に虫の息という状態になるのでしょうか?」
 永萌は、自分が見た、現場の痕跡を思い起こす。
 怨念の残りかすといえども、そんなに長く持たないものだ。強い感情とは言え、周囲の様々な感情に押し流され、散ってしまう。
 なのに、その霊的な痕跡は次第に強くなっているように見えた。
 幻を見破る、浄眼。
 その気になれば、現実的、という幻を通り越して、隠されたものも視る事ができる。
「もしかして‥‥あいつは殺した人の魂を取り込んでいるのか?」
 眉を潜めて葛が言った言葉に、月斗は頷く。
「現場には『自殺者』の魂も、欠片も残されていなかった。本当に死ぬ気がなかった奴らなら未練だらけだろうし、死ぬ気があったとしても‥‥『自殺』した魂が大人しく彼岸へ行けるワケないしな」
 一息おいて。
「その魂自体がない、って事は‥‥その黒い影が喰った、んだろうな」
 ただ、取り込む為に殺しているのか。それとも、殺す為に取り込んでいるのか。
 それはわからない。
 影の本体は、間違いなく五年前の集団自殺した者達の魂だろう。同じような境遇の者を殺し、取り込んでいる。死んだ時の恨みは会社への恨みか、仕事への恨みか。
 その思いは取り込んだ魂も共通しており、力をつけている。
「‥‥油断はできませんね」
 自分達の前に現れるだろう、影に対して恐れはない。だが、怨念の強さを実感し、哀しいと思った。
 ふと、家に残してきた妹の事が気になる。きちんと戸締りはしたのか、ちゃんと夜更かしせずに寝ているか。不安はつきない。
 だが、そんな事を心配している自分に笑う。ちゃんと余裕がある証拠だと。
 必ず、これ以上影の行為をさせない為にも、怨念を解放する為にも頑張らねば。
「来たみたいだ」
 下を覗いていた葛が皆に知らせる。二体の影が、このビルに入ろうとしていた。
 バチッ、と音がしたと共に青白い閃光が走る。
「結界が破られましたわ」
 厳しい表情を見せて、撫子が警告した。それ程の力を持っている、と。
 五人は屋上の扉を見つめ、影が来るのを待ち構える。


 扉が開いた。


 縛。

「ハッ!」
 瞬時に撫子が妖斬鋼糸を操って、影に踊りかかる。
 月光に淡く輝く鋼糸は、舞うように影の周囲を取り巻き、一瞬にしてその身体を束縛する。
「実体がなくとも、この鋼糸からは逃れませんわ」
 そう、影は文字通り影であり、実体はなかった。
 蠢く影。その奥から聞こえる怨嗟の叫び。所々紅く光っているのは、死者の瞳だろうか。

 斬。

 血の刃が、人を捕まえていた腕のような部分を斬り取った。
 浄化の血。
 妖の存在には浄化の効果を与える、永萌の血。
「こっちは大丈夫です!」
 永萌は、意識ないサラリーマンの身体を抱えて、少しでも影から離れようと引き摺る。
 影は逃がすか、と、触手を伸ばそうとするが、永萌の前に葛が立ちはだかる。
「そうはさせるか!」

 光。

 葛が振りかざした護符から、雷光が発せられる。
 前の依頼で使った護符が余っていたから持って来たのだが、今回も役立ったようだ。ただ、違う種類の護符であったようだが。
 雷光は影を後退させ、更に撫子の妖斬鋼糸の上から拘束の網を織りなす。

 暴。

「おとなしくしてください!」
 みなもが持ちし瓶から、水が暴れるように飛び出す。透明な水の鎖は、影を多重に取り囲み、まるでオブジェのように縛める。
 三重の束縛。
 これでも尚、影は縛めから逃れようともがき、撫子、葛、みなもの三人は引き摺られまい、と、足を踏ん張る。
「か弱い女性に、いつまでもこんな事をさせるつもりだ!」
 葛が叫ぶと、月斗は呪符を空に放ち、影の周囲に舞わした。

 轟。

 呪符は浄化の炎となり、影を包む。
 影から幾つもの叫びがあがるが、次第に弱くなり、聞こえなくなった。炎が止むと、影はあらかたもなく、何も残ってはいなかった。
「十二支の式神を喚び出す程じゃないだろ?」
 焦げた匂いもなく、何かいた形跡はない。式神を使わなくても充分だ、という月斗の力はこれで窺い知れる。
「何、格好つけてんだよ!」
 軽く月斗の頭を叩く、葛の息は荒い。
 護符の力とはいえ、慣れぬ力を使い続けるのは消耗するのだろう。しかも、一瞬ではなく、拘束する為に護符を使い続けたのだから。
「痛ぇんだよ!」
 怒鳴りあう二人の様子に笑う、永萌の耳にサイレンが聞こえた。
「あら‥‥こっちに向かってる様子ですわね」
 撫子が赤い光が来る方向を見て、皆に言った。幸か不幸か。消防署がすぐ近くにある。轟音と吹き上がった炎を見て、火事だと思われたのだろう。
「大変!」
 みなもが慌てて声を上げた。
 このままここにいたのでは、当事者と思われかねない。いや、実際に当事者なのだが、不法侵入とか放火とか、そういうのが脳裏に過ぎる。
「逃げるよっ」
 月斗の頭を抱えていた葛が叫ぶと、永萌が「どうやって、ですか?」と、首を傾げた。
「隣のビルに飛んで」
「それができるのは、あんただけだろうが!」
 月斗が葛の腕を振り解き、叫んだ。
「式神の力で姿を眩ませる事ができるのがある。それを使って逃げよう」
 そうやって、ビルを脱出すると、近くの交番の横に、意識を失ったままの次の犠牲者になりえただろうと、思える人物を横たえさせる。
 これなら、ただの酔っ払いのように見えるだろうし、実際に酔っ払いだったようだ。息が酒臭かった。

●残り香
 後日、撫子の姿が新宿御苑にあった。
 日傘を差した、和服の美少女。道往く誰もが注目し、後ろを振り返る。その周囲の気配に気付く事なく目指す先はとあるビル。
 先日皆で戦った、高橋と言う幽霊のいるビルである。
 元々寂れたビルであったせいか、誰にも咎められる事なく、中に入る。お供えの花束と饅頭――高橋の好物らしい――を持って、屋上に出ると、既に先客がいた。
「あら、皆さん」
「あ、撫子さんっ」
 みなもが喜んだかのように声を上げて、撫子に駆け寄る。
 永萌と葛も、風に吹かれる髪をおさえながら傍に近づいてきた。
 どうしたのか、と尋ねる二人に撫子は、「お供え物をしに」と答える。
「皆さんは、どうされたのですか?」
「あぁ、何となく、な‥‥」
 葛の言葉に、みなもと永萌の二人も頷く。
「これで終わったのか、と思えなくて‥‥」
 永萌は不安そうに辺りを見回す。苦労したとはいえ、本当に影を倒す事ができたのか。何とも言えぬ不安が纏わりつく。
「そう‥‥ですわね」
 確かに、手ごたえはあったと思う。だが、思ったよりもあっけなかったような気もする。
 あの時は慌てて逃げ出したので最後まで確認できなかった。
 こうやって、四人の一抹の不安が集まる。ただの不安ならまだしも、四人とも感じていれば確固たるものとなる。
「そういえば、高橋さんはどうされました?」
 このビルに来た目的を思い出し、声に出して撫子が尋ねるが、誰も知らないと言う。先日、余裕がある時に尋ねた時に、高橋は昼間は屋上で景色を眺めてると言っていた。
 少々年季が入れば、昼間でも幽霊は現れる事ができるらしい。
 そこへ、聞き覚えのある声が皆にかけられた。
「どうしましたか? くくくっ‥‥」
 高橋――いや、高橋であったものといえばいいか。
 元の害のない幽霊だった面影はなく、凶悪な表情を四人に見せている。そして、影が高橋の周囲を取り巻いていた。
「まさか‥‥」
「えぇ、そうですわ。あの時の影ですわね」
 みなもの言葉を、撫子は緊迫した面持ちで肯定する。己の霊視は、先日倒した影と同じものを見せていた。
「‥‥影が、残っていたのですね‥‥。そして、取り込まれてしまったのですね‥‥」
 哀しそうに、永萌は高橋を見た。
 あの時、全てを浄化する事ができなかったのだろう。そして、残り香ともいうべき影の残骸に、ビルに残った高橋の霊体が取り込まれてしまった。
「ひょっとしたらあんたがいたから、影が集まった可能性もあるんじゃないかと思って、祓いに来たんだが‥‥」
 階段へと続く扉から、月斗が現れた。
「逆に取りこまれていたとはな。――草間のツケであっちに送ってやるぜ」
 呪符を高橋に向けて放つ。
「生者は生者の、死者は死者の領域がある。そいつを侵しちゃあ駄目だろ」
 子供なのに皮肉気な笑みを浮かべると、最後に送る言葉を放った。
「それが例えどんな形であっても、な」
 ニッ、と月斗が笑うよりも早く、十二神将が一斉に高橋だったものを取り囲む。そして、次の瞬間――霊は消え去った。
 消えゆく靄が完全に消滅したのを確認すると、葛は月斗に飛びかかる。
「おーまーえーはっ。最初ッから全力でやってれば、こんな事はなかっただろっ!」
「やめろっ、乱暴女ッ! いてっ、痛ぇってっ!」
 悲鳴を上げる月斗を、三人の女性は可笑しそうに眺める。
「そういえば、あの時も自分だけ楽そうにしてましたね」
 みなもが思い出して呟くと、撫子と永萌と顔を見合わせて、ニヤッ、と笑った。
「やーめーろーっ! 少年虐待だっ!」
「ただのスキンシップです」と、永萌。
「ただの教育というものですわ」と、撫子。
 青く晴れた空の下、月斗の悲鳴は絶える事がなさそうであった。


□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【1252 / 海原・みなも / 女 / 13 / 中学生】
【0328 / 天薙・撫子 / 女 / 18 / 大学生(巫女)】
【0778 / 御崎・月斗 / 男 / 12 / 陰陽師】
【1669 / 朝生・永萌 / 女 / 17 / 舞師(兼高校生)】
【1312 / 藤井・葛 / 女 / 22 / 学生】


□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
 大変長らくお待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。
 基本はシリアスでいて、時にはコミカルなノリでしたが、如何でしたでしょうか?
 何かご感想、もしくは要望などありましたら、テラコンか、クリエイターズ・ルームのファンレターにてお願いします。
 それでは、またのご参加、心よりお待ちしております。