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<東京怪談・PCゲームノベル>


獣の棲む街:死線
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夕闇が薄く、東京の街に訪れかけている。
埃と低くスモッグのせいで、街はどこか霞んでみえた。ヒロトはそんな街を背中に抱き、両手をだらりと下げてビルのはずれに佇んでいる。
「俺が憎いか?」
みなもの青い瞳に宿る激情を見つけて、ヒロトが嘲笑った。
「憎くて、殺してやりたいんじゃないの?やってみろよ。俺をここから突き落してみろって。簡単だろ?」
見せびらかすように両手を広げる。話しているうちにヒロトの呼吸は荒くなり、痙攣を起こして顔の筋肉がピクピクと引き攣った。ヒロトの表情は、ゴムで出来た精巧な人形のように生気がなく、それが見ている者に違和感を与える。
「自然淘汰、って言うだろ。弱いやつは強いヤツに呑まれていく。世の中強い者、うまく立ち回ったものだけが生き残れるんだ。正しいことをしていれば救われるとか、そんなのはアホと臆病者の言い逃れだ。使えない奴らは、生きるのに値する人間の犠牲になって、少しでも俺たちの役に立つくらいしか出来ないんだよ」
追い詰められたことで開き直ったのか、ヒロトはみなもたちに囲まれながら、東京の街を背にしてへらへらと笑っているだけだ。最後には瞬間移動で逃げるつもりだとしても、まるで危機感を感じていないヒロトの様子は、それだけでもうそ寒い。
だが、みなもの心中で湧き上がった怒りはその程度のことでは収まらなかった。常は温厚で穏やかな彼女だが、一度そのたがが外れてしまえば、感情を抑制することも難しい。冷ややかな光を瞳に湛えて、みなもはヒロトを視線で射抜いた。
「ヒロトさんの言うとおりかもしれません」
多くの人間が夢見るような平等で平和な世の中など存在せず、世界は格差と不平等と、弱肉強食の原理で出来ている。弱いものは強い者の庇護なくしては生きるのは難しく、その庇護も気まぐれにあるかないかの不安定なものだ。
人は動物とは違うのだと言う者もいるが、現実はやはり異なっているのだとみなもは思う。正義が存在しないのと同様に、悪もまた存在しない。強い者だけが生き残ることが出来る、結局世の中とはそういうものだ。
「でも、あたしは怒っています。見ず知らずの人たちに手を出しているだけなら、捕まえて警察に届けるだけでした。でも、あたしの友達に手を出しましたね。それは赦せることではありません」
言い放たれた言葉の冷ややかさに、見開かれて白目ばかりが剥き出しになったヒロトの眼球は、爬虫類のような無機質さを持ってギョロギョロと動いた。それでもヒロトが鼻を鳴らしたのは、みなもがまだ子供だと侮っているからだろう。みなもの怒りを、ヒロトは首を振ることで軽く流した。
「結局、自分たちさえよけりゃどうでもいいんだろ」
言いながら、ヒロトの薄い唇には笑みすら浮かぶ。
「いいんだ、そうだよ、それが人間だもんな。よくわかってんじゃないの」
言い返そうとしたみなもを芝居がかった身振りで押し留めて、ヒロトはクツクツと喉の奥で耳障りな笑い声を立てた。
「他のヤツがどうなったって、どうせ自分には関係ないとか考えてんだろ。もし殺人が法律で悪いって決まってなかったら、お前は俺のしたこともどうとも思わなかったんじゃねえの?かわいそうになぁ。殺された奴らはかわいそうだよなァ。せっかく世のため人のために死んでくれたのに、その程度にしか思われてないんだよ」
「何が…!」
「否定なんかできないだろ!?」
みなもの言葉を荒げた声で遮って、ヒロトは激しい感情が宿る瞳でみなもを睨み据えた。
「ガキが、俺に説教なんかするな。何もわかってないくせに」
食いつくような勢いでヒロトは台詞を吐き出す。
「お前は自分が正しいつもりでいるのかもしれないけどな。結局お前は俺とおんなじだよ。自分の友達さえ無事ならそれでいいってお前と、俺と、いったいどれだけの差があるんだっての。自分の周りさえよけりゃそれでいい、それがお前の友情かよ、正義かよ?そんな甘いことを言ってるガキが、偉そうに俺に文句をつけるな!」
鼻息も荒くそこまで言い切ってから、途端に発作のようにヒロトは笑い出した。肩を震わせ、はじめは声を堪えていたが、やがて腹を抱えて哄笑する。
気が狂ったように笑い続けるヒロトにかっとなって、足を踏み出しかけたみなもの肩を、誰かが掴んで止める。それを見ていたヒロトは、悪質な含み笑いで顎を持ち上げた。
「変わんねぇよ、俺もお前も。違うのは勇気だけだ。思うとおりに行動できる勇気が、俺にはあったってだけのことなのさ。命乞いして、助けてって泣き叫ぶ奴を殺すんだ。…お前には出来ないだろ」
その言葉を耳にした瞬間、みなもの中で何かが弾けた。
かろうじて残っていた理性の片鱗は、たちまちのうちに湧き上がる感情に呑まれて消えてしまう。
みなもの知り合いを、友人を傷つけた時点で、すでに彼女の中で岡部ヒロトは「害をなすもの」としてしか認識されていなかった。罪を犯しておいてなお死者を貶める言動も、罪悪感の欠片もないその態度も、すべてがみなもの気持ちを逆撫でする。
みなもの心の中で何かが動いた。
ざわりと、それは密度をもって心の底でさざなみ立つ。水を操る時には多少なりとも感じる感覚だったが、今回はそれがタールでも含んだかのように重い。その理由を、みなもは考えないで済ませた。
「怖い顔して睨んだってなんにもならないぜ。悔しかったら、俺とお前が同類じゃないってことを証明してみせるんだな」
自分と同類だと言われて歪んだみなもの表情をさも可笑しそうに眺めたヒロトは、声を上げて笑った。
「人殺しは罪だって言うんだよな?確かに罪だよ。俺がやってることは犯罪だよ。それくらいの自覚はあるさ、俺はバカじゃないからさ」
人差し指でみなもを示して、ヒロトは呼吸をしにくそうに言い募る。
「でもな…お前、…おまえだよ。自分のしてることが正しいとか思ってんだろ。間違ってないとか思ってんだろ?それが大きな間違いだっつうの……」
続けながら、ヒロトはどこか喋りにくそうに手で口元を撫でた。怪訝な顔をするが、まだ言葉を続けようとしている。
気づいていないのだ。みなもが、ヒロトの周囲だけ空気中の水素を結合させて酸素濃度を減らしていることに。風の通りも良いビルの屋上である。誰もみなもの使う力など、思いも寄らなかったに違いない。
「正しいもへったくれも、ないんだよ。俺を殺した瞬間、……お前は俺と同類なんだ。正義も、悪もないっていったな?……そのとおりだよ。どんなえらそうなことを言おうが、お前が俺に殺意を抱いたら、その時点でお前、俺とおんなじだ…」
ヒロトの顔がみるみる色を変じていく。空気を求めるように手が宙を掻いて、ヒロトの身体が揺れた。
(眠るように、逝ってもらいます)
膝からカクンと力が抜けて、落ちていくのを何の感慨も無く見つめた。酸素欠乏症は、酷い場合には数分で命に関わる症状を引き起こす。ヒロトが死に掛けているのを、みなもは手に取るように感じた。
「おい!」
と、強い力で腕を引かれ、みなもはよろめいて我に返った。
「何してんだ、テメエ」
はっとして顔を上げる。眉間に皺を刻んだ太巻が、痛いほどにみなもの腕を掴んで彼女を見下ろしていた。
「どうしたの?」
怪訝そうな慧の声には答えず、太巻はヒロトを振り返る。身体のバランスすら取れなくなったヒロトの身体は、そよぐ風にも面白いほどに揺らいで、まさにビルから落ちていこうとするところだった。
「捕まえろ。落ちちまうぞ!」
直ちにそれに反応した時雨が、その場から姿を消してヒロトの身体を掴みに走った。


空中で時雨に掬われたヒロトの身体は、今はぐったりと昼の熱を残したコンクリートの上に横たえられている。警察と同時に救急車も呼ばなくてはいけないと、シュラインは携帯電話を持ってその場を離れている。時雨はエリゴネとともに、意識を失ったヒロトの傍に居た。
「どうして……」
止めたんですか、とみなもは彼女の周りに残っていた太巻と慧に呟いた。夢から覚めたかのように、みなもの心から激情の嵐は去っている。取り残されたような空虚感とともに、やはりヒロトを殺しても後悔はしなかったのではないかという思いが未だに心に引っかかった。
「海原さん、だっけ?」
僅かに腰をかがめるようにして、黙ってタバコを吹かしている太巻のかわりに慧がみなもを見つめる。
「ヒロトは、確かにうらまれて殺されても仕方ないことをしたわよね。授かった特殊な力を使って、間違ったこともした」
教職にあるせいだろうか、慧の諭す言葉は柔かい。反感を覚える前に、みなもは素直に頷いていた。
「殺されても、あんまり同情できる人間じゃないってことに関しては私も同感よ。…でも、怒りや憎しみに任せて私たちは力を振りかざしてはいけないと思うのよ。それが、たとえどんな正しい理由のもとに行われたことだったとしても」
そう言って、慧は傍らの太巻を仰ぎ見た。
きつい台詞の一つでも返ってくるのかと身構えていたら、太巻はちらりと慧とみなもを一瞥し、広い肩を竦めて見せただけである。
「胸を張れない過去なんて、無いほうがいいに決まってる。それに、全てを背負うには、お前はまだ若すぎるだろ」
そうして燻らせる紫煙は、薄く棚引いてどこまでも、東京のコンクリートの背景に流れていくようだった。


□―――夕暮れ(回想)
父と母がぼそぼそと話をしている。まだ小さかった彼は廊下に突っ立って、子どもながらに両親が真剣な話をしているのだと理解して、台所に入っていきかねていた。いつも彼を竦ませる母の鋭い声が聞こえる。
「だからね、あなた。お義母さんいつになったら死んでくれるの?」
「さあな」
「さあなじゃないわよ!あたしたちにいくらも財産を残してくれないっていうのに、このまま生きられたんじゃ金食い虫よ」

そして、沈黙が忍び寄ってくる夕闇のように家に満ちた。それが少年が大好きだったおばあちゃんに関することだと分かったので、彼はじっと息を詰めて立ち尽くしていた。少年の祖母は、このところぼうっとしてばかりいるようになった。少年が声をかけても、上の空でどこか遠くを見つめている。
少し前は少年の手を引いて散歩に出かけて、駄菓子屋でお菓子を買ってくれたりしたものだ。祖母がそうして買ってくれる、小さな容器に入った白い粉末や、イカの干物が、少年は大好きだった。
そういうことを、気がつけばもう長いことしてもらっていない。祖母は宛がわれた和室に万年布団を敷いて、そこに寝たきりになって久しい。少年は中に入れてもらえず、たまに母の鋭く祖母を罵る声を遠くから聞くだけだ。そのたびに、怖くなって少年は必死で祖母の無事を祈った。幼い少年で感じ取れるほど、母は祖母を嫌っていたのだ。

「…保険金が」
ボソリと父親の低い声がする。
「母さんが死ねば、保険金が下りる」
また、しんと静まり返った。体重が移動して廊下が音を立てないように、彼は身動きするのも必死に我慢した。言い訳めいた母の声が、そのときばかりはさすがに少し後ろめたそうに聞こえる。
「だって、ねえ。ヒロトの学費だってあるし」
「…そうだな。可愛い孫のためなら、あの人も本望だろう」
「そりゃそうよ。年を取って何の役にも立たないんだから、それくらいしてもらわないと」
お互いが互いを奮い立たせるように、両親は声を潜めてそんな言葉を交し合っていた。

その会話が持つ意味を、まだ小さかった少年は知らなかった。
それから間もなく祖母が死に、少年を撫でてくれる暖かい手も、飴をくれる優しい眼差しも、ふっつりと途切れてしまった。
父も母も、祖母が逝去してからは酷く晴れ晴れとした顔をしていた。新しい家も買い、まるで人が変わったように生活習慣がかわり、服装が変わった。学校も、通いなれた公立校から、電車を乗り継いでいかなくてはいけない私立の学校へと変わってしまった。
それ以降の母の口癖は、「あなたのためなんだから」というものである。少年は何年もそれを聞かされて育ち、知らぬうちに、その言葉を祖母の死の間際に両親が交わしたあの恐ろしい会話へと結び付けていった。
けれどやがてはそれも内に含んだ狂気のなかに消えていった。
岡部ヒロトは、そうして大人になった。
しかしそれも、もはや誰も知ることのない物語である。



「獣の棲む街」:END


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
・1252 / 海原・みなも / 女 / 13 / 中学生
・0461 / 宮小路・皇騎 / 男 / 20 / 大学生(財閥御曹司・陰陽師)
・1549 / 南條・慧 / 女 / 26 / 保健医
・0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
・1493 / 藤田・エリゴネ / 女 / 73 / 無職
・1564 / 五降臨・時雨 / 男 / 25 / 殺し屋

NPC
 ・太巻大介(うずまきだいすけ)/ 紹介屋 /人より余計に酸素を使って生きているらしい

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■         ライター通信          ■
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お待たせしました!そして長々お付き合いありがとうございます。本当にお疲れ様でした&ありがとうございます。
こんなに長いこと付き合っていただいて、バチあたらないでしょうか!神様に感謝するのもアレですので、シナリオに参加していただいた皆様に心から感謝をささげたいと思います。なむー。
そういえば今回の件で酸素過多と酸素欠乏症をこっそり調べてきましたよ。といっても一夜漬け知識なんですが!
それによると、酸素の過剰摂取による酸素過多は、眩暈や死への恐慌などを招きつつも、命に別状は見られないそうです。スキューバダイビングやってもこれで安心ですね!
逆に酸素欠乏症はアカンようで…みなもちゃんがヒロトに仕向けたのはこっちにしてしまいました!(良かったのか…)。元々空気中の酸素濃度は20%くらいだったと記憶してるんですが、酸素欠乏状態というのは、大体その半分以下のことを言うそうです。
何やら勉強させていただきました。
何はともあれ、三部作、長いのにしかも暗いのに!付き合っていただいてありがとうございました!

在原飛鳥

追記:
後日談は……ひそりと、忘れた頃に間を空けて受け付けたいとおもいま…(殴)(計画性皆無)
「そんなん困るよ!迷惑!」という方がいらっしゃいましたら、こっそりお知らせいただければ、メールでご報告いたします。予定の立たないライターですいません!!(人間失格)

在原飛鳥