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金に光る夜
□オープニング□
「だから、猫ですわ。猫!」
目の前に座った柔和な女の言葉に俺は当惑した。
どうしてこんな分からん人種がやってくるのだろう?
「家出か何かじゃないのか?」
「いいえ、さっきから言ってるじゃないですか。彼は猫になったんです」
「事件なら、警察に行ってみたらどう?」
「警察が取り合ってくれないから、ここにいるんですわ」
女は一瞬語尾を強したが、またにこやかにしゃべり始めた。心配している――というよりも見つかることを前提として、ただ会えなくて困っているだけという印象を受けた。
広重学は卒業を控えた大学4年生。恋人である沢井曜子とは高校時代から付き合い、就職して落ち付いたら結婚しよう――という話まで出ていた仲だった。周囲の話からもケンカをしたり彼が浮気をした形跡はない。
順調な人生の流れ。学にも曜子にも問題はなく、このまま何事もなく年月が過ぎる。そのはずだった。
3日前、卒論の相談で曜子がアパートのドアを開けた時から、二人の状況は変化する。
「学……いないの? あれ?」
鍵も掛けず、薄く隙間の開いた扉の中は、何もかもがやりかけの生活だった。
主がいないだけでまったく違和感のない部屋。湯気の上がっているコーヒー、読みかけの新聞。万年床らしい布団の膨らみ。先ほどまで確実に学がいたと知らせる空間と雑貨達に、曜子は彼は猫になったと思った。
なぜかは説明できない。
ただ、バスタオルがくるりと渦高く巻いてあり、そっと触れると暖かかった。それだけ。
でも信じているのだと言う女を前に、俺は手帳開いた。並んだ名前を一瞥し、零に調査依頼書を机に置くように言った。
「俺の優秀な仲間がお手伝いしますから、詳細をここに」
この女は苦手だ――誰かに頼む方がいい。
手伝ってくれそうな人物のページを折り曲げると、冷めてしまったコーヒーを口に運んだ。
□本編□ ――シュライン・エマ編
本当に心配ではないのかしら?
私は横を一緒に歩いている曜子に目を向けた。彼女は微笑を浮かべ、アスファルトに靴音を響かせている。結婚まで誓いあった彼がいなくなったというのに、どうしてこんなにも笑っていられるのだろう。
しばらく見つめた後、メモ帳に視線を落とした。武彦さんから聞いた情報が書いてある――沢井曜子と広重学。上手くいっていたという話ししか出て来ない。彼に借金取り追われるような経歴もなければ、就職や学業で悩む理由もない……。
彼女の言葉を借りれば「猫になった」というのも、あながち信じられないことでもないのかもしれない。それほどに、彼の失踪は理由も意味もないものだったのだ。
私は足を止めた。曜子が同じく足を止めて、石作りが威圧感を放つ図書館を見上げている。
「彼が好きだった本…分かるかしら?」
「ええ、もちろん! いつも一緒に借りに来てましたから」
古い館内に似合わず玄関は自動ドアになっている。そこを入り、彼女の示す棚を調べた。彼が好きだったのは物語。史実に沿ったものではなくク空想の世界を描いたものだった。
中に猫の描写があるものがないか調べたが、膨大な蔵書に阻まれ見つけ出すことはできなかった。曜子もすべてを把握しているわけではないようで、埃にくしゃみをしては首を傾げている。
私は思案して、ひとつ思いついた。
「ねぇ、彼は期限を守って返すタイプだった?」
「ええ。あ、でもここのところ卒論で忙しかったから……」
「じゃあ、あるかもしれないのね」
長い黒髪を揺らして曜子が頷く。目が真摯に訴えている「どうか、ありますように」と。私も何だか気持ちが同調してくる。
いやね、恋人なんかいないのに……。
出会ってからずっと変わらなかった曜子の笑顔。今は少し祈りの表情に変わっていた。
司書の女性に声をかけた。
「ええと、広重…学様ですね」
カタカタと音を立ててキーを叩いた後、パソコンの画面を見ながら司書が続ける。
「1冊借りられてますわ。期限は……あら? ずいぶん前に切れていますわ。今日、代わりに返却されるのですか?」
私は丁寧に謝罪すると、メモ帳に画面から読み取った本の題名を記した。
学が返していない以上、彼の部屋にあるか、別の図書館を探すしかない。しかし、本に影響を受けたとするなら、部屋にあると考える方が妥当だ。
曜子を伴って、何度も調査した学の部屋へと足を向けた。
開いたドアから見える景色はまったく変わっていない。パンプスを脱いで本棚の前に立った。そして、中央の棚に横置きされた1冊の本が目に止まる。こんな本、あっただろうか? まるで探した時には姿を消していたかのように――。
今、曜子の手の平に乗せられたモノ。それは充分にヒントになりうるもの――「髭を揺らせば」の名を持ち、装丁に猫をあしらった小さな文庫本だった。
内容を読むと短編集のようで、いつくかの猫に関する物語が記されているらしい。中で気になったのは本の表題になっている「髭を揺らせば」――人に使われることに不満を覚えている男が、自由きままな猫になる夢を見続け、最後には戻れなくなる――という話だった。
折り目が付き、幾つかの染みも見受けられる。何度も読み返した証拠だ。
「彼は猫になりたかったんじゃないかしら?」
「――分かりません……私、彼が不安を感じていたなんて知らなかった」
曜子の顔が曇った。
「ただ、いつも猫を見かけたら、『いいなぁ〜猫は』って。…好きなのって聞くと、『別に』って答えてた……」
途切れ途切れになる言葉。蘇ってくる記憶が、たくさんあるに違いない。
本当は彼女も不安でいっぱいだったんじゃないだろうか?
だから、わざと笑顔を振り撒いて、不安にならないように、彼はすぐに見つかるんだと信じたかったんじゃないだろうか?
理解できなかった曜子の心がやっと分かった気がした。私はすっかり暗くなった街を、彼女の背を押しながら歩いた。
「猫を探すなら、夜に限るわ」
「ええ……」
「視点を変えましょ。彼は猫にあこがれていた……なら、猫が集まる場所にいるかもしれないわ」
「はい、そう…ですね」
明らかに元気を無くした曜子を気遣いながら、私は前日に調査していた猫が集まる場所を転々と探していった。すでに日付が変わろうかという頃、小さな噴水に辿りついた。
そこは住宅街の一角で、本当に小さな噴水だった。30センチにも満たない水のリングと、ほんのりと色を発してる光源。近所でも知られていないのか、人影はなかった。もちろん猫の姿も――。
ついに曜子の目から大粒の涙が零れ落ちた。
「あたし、本当は彼とこのまま付き合っていくこと…迷っていたんです。彼を信じよう、あたしを幸せにしてくれるのは彼なんだって、信じようって。何度も心に誓った――でも、不安が消えなくて……」
嗚咽の混じった声で、曜子はしゃべり続ける。私は、ただ傍に立って耳を傾けていた。
ここで止めさせてしまっては、彼女の中にシコリが残る。例え彼が見つかっても、ずっと心に薄衣を着せたまま暮らしていくことになるだろう。
迷うこともあるわ……。
私は自分を顧みた。1歩を踏み出せないでいる私、現状から離れるのが恐い私。曜子の姿は自分と重なって見えた。
「学は知ってたんだわ。だから猫になって私の前から消えてしまった……」
「好き…なのね」
「もちろん! もちろん…好きだわ。……ずっと付き合ってて、感情なんかより空気みたいになってた。学がいない世界なんてあり得ないのに……あたし、気づかなかった。ずっと気づいてなかった」
飾り石に寄りかかって泣き崩れた細い体。私はそっと組んでいた腕を外し、肩を叩いた。そして、
「もう充分よね。出てきたら?」
私の言葉に曜子は泣き顔を上げた。視線の先に捕らえたもの――それは、彼女の捜し求めた、ヒョロリとした手足、黒い髪、銀縁の眼鏡……その奥にある少し細い目。人の姿のままの愛しい恋人、広重学の姿だった。
「ま、学……どう…し、て?」
曜子が視線を学から離し、私に向けた。真実を話す時が来たのだ。
「あなたが興信所を去った後、すぐに彼が来たの。あなたの依頼と一緒に彼の依頼も受けたのよ」
彼女の目が、今度は彼を見つめた。その目に促されるように、学は口を開いた。
「僕は知っていたんだ、曜子」
潤んだ瞳を見開いて、一瞬たりとも彼の姿を見失わないように見つめている。彼女の心が手に取るように分かった。
私はこれ以上感情に流されるのを恐れて、後ろを向いた。声だけが、ふたりの気持ちを知らせている。
「僕は、君が不安に思っていること…知っていたんだ」
「あ、あたしは……」
「君は誰にも言わなかったよね…でも、分かってしまったんだ。だって一生……好きな人だからね」
衣擦れの音と、嗚咽の混じった曜子の泣き声。
「いいんだ。僕は曜子が僕を探してくれただけで――」
私は雲に隠れていた満月が、ゆっくりと姿を現すのを見ていた。
頃合を見計らい、振り向いた。もう、彼も彼女も泣いてはいない。緩く微笑んで、手をしっかりと握り合っている。
「あらあら、一件落着のようね」
滲んでいた雫をそっと指先で隠し、ふたりの背中を押した。
――長い影が寄り添って、遠ざかって行く。
「報告は明日のつもりだったけど……、今日覗いてみようかしら」
きっとしっかり者の妹に怒られながら、また椅子に座ったまま眠っているに違いない。
静まりかえった深夜の道。
金に光る月に照らされ、長い影が私の前を歩く。
少し浮き足立った背中を、月は空から笑っているのかもしれない。
□END□
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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+ 0086 / シュライン・エマ / 女 / 26 / 翻訳家&幽霊作家+
時々草間興信所でバイト +
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■ ライター通信 ■
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シュラインさん、2度目のご参加ありがとうございますvv 杜野天音です。
今回は完全個別作品――ということで、本当〜に楽しく書かせて頂きました。
やぁ、個別作品は格別で、どうしても心がウキウキしてしまうのですよ。
間違えて受注窓をオープンした訳ではありませんので、ご安心を。
「金に光る夜」如何でしたでしょうか?
プレイングに「彼女は本当は不安なのでは?」とあったので、こういう流れになりました。
本を調べる――というのが、とても良いキッカケとなり、ストーリーをすんなりと作ることができました。ありがとうございます!
そしてご希望通り、ハッピーエンドで(*^-^*)
シュラインさんのシナリオでは、現実的な話になりましたが、同時に参加されています
「八雲純華さん」の方では幻想的に仕上げております。
よかったら読み比べて下さいませvv
それではまた、新たなシナリオでお会いできることをお祈りしています。
ありがとうございました!
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