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<東京怪談ノベル(シングル)>


SFXな猫(2)

 バイト二日目。
 朝の訪れに、ゆったりと眠気は退いていき――。
「おはよう」
 声に、目覚める。
「あ……。おはようございます」
 まだ少し霧のかかった頭で答えて、あたしは起き上がった。
「ん……」
 視界に映る肉球。
 ――………………え?
 鏡を前にして、さらに驚いた。
 目の前にいるのは、首輪をつけた猫。
 ――そうだった。
(あたし、猫の格好してるんだ)
 ということは、つまり、裸に近い状態で一晩を過ごした訳で――。
 急に、羞恥心がこみ上げてきた。
 心の中で声にならない声を出しながら、あたしは慌てて自分の身体が隠れるようにうずくまった。
 そのまま辺りを見渡す。
 服はどこにあるんだろう。
(この際、何でもいいから……)
 あちこちに目をやっていた結果、棚の上で視線が止まった。
(あったぁ!)
 駆け寄ってみると、確かにあたしの制服だった。
 着てみると、全身メイクのせいで少しくすぐったい。だけど、着られないことはない。
(あとはボタンを閉めて……)
 ――と思っていたら、不意に生徒さんに腕を掴まれ、あっという間に制服を剥ぎ取られた。
「メイクが乱れちゃうから、服は着ちゃ駄目」
「そうですか……わかりました」
 それでは、今日明日はこの姿で過ごさなければならない。
 バイトなのだから、仕方ないのだけれど……。猫を被る――という言い回しが浮かんでは消えていく。
「そう言えば、今日は何をするんですか?」
 あたしの不安そうな顔を見て、生徒さんは余裕たっぷりに微笑んだ。
「大丈夫、今日は何もしなくていいの」
 ――本当に、そうなのかなぁ。
「ホント、ホント。今日一日そのメイクのままでいてもらって、肌に与える影響が見たいだけなのよ」
 と、生徒さんは笑っている。
「でも、ホラ、そうすると今日一日みなもちゃん暇でしょ? だから私達が校内を案内してあげるわ」
 ――何だか声が上ずってるけど……。
(ここで騒いでも仕方ないし、バイトだって立派なお仕事だし)
 一応、信じなくちゃ。
「じゃあ、そろそろ朝食にしようか」
 生徒さんの一人が、朝食を運んできてくれた。


 朝食は、和食だった。
 焼き魚を前に、あたしは箸が上手く持てずに四苦八苦。
 肉球が邪魔して、中々箸が思い通りに動いてくれない。
 それでも何とか頑張って魚の身を掴んでも、今度は口の周りのメイクが邪魔をする。
 あたしはあたしなりに努力しているけれど――傍から見たら『猫が魚にじゃれついている』図そのもの。
(食べにくい……)
 しかも生徒さんはご飯を食べずに、一斉にあたしを眺めている。
 見守られているというか――観察されているような……。
「あの、今だけ肉球を取るっていうのは駄目ですか?」
「勿論」
 あっさり返された。
「猫の気持ちになって、頑張ってね」
「猫の気持ちって……どんな風にすれば……?」
「そうね、例えば――にゃあって言ってみて」
「にゃ、にゃあ」
「うっわー猫そっくり! 大丈夫、魚くらい食べられるわよっ」
 ――何だかとてもアバウト。
「……自力で努力します」
 一時間くらいかかって、ようやく完食。
 猫の道は、まだ遠いみたい。


 それから数時間は、穏やかに過ぎた。
 生徒さんの持ち物の大きな黒い帽子を被らされてびっくりしたり、気味の悪いマスクを見せられて小さな悲鳴を上げたり。
 生徒さんはとても優しい。
 ただ、気のせいかな――やたらとあたしを見てくるような……。
 そんな気持ちで、迎えたお昼。
 昼食に出された学食ラーメンは、焼き魚よりも辛かった。
 何せ汁物だから、手元が狂う毎に汁が跳ねてしまう。
 口の周りもベタベタする。行儀良く食べることなんて、絶対に不可能。
「これもやっぱり、猫の気持ちになって食べるんですか?」
「トーゼン」
 猫の気持ち、猫の気持ち――意識するほど、汁が零れていく。
 努力はしているんだけど、ね。
 にゃぁ。


 昼食後、生徒さんの言うことを聞いて、庭に出てみた。
 この時の生徒さん、ものすごーく楽しそう。
「猫も板についてきたでしょ?」
 なんて聞いてくる。
(そりゃあ、少しは慣れてきたけど)
「少し、猫っぽく歩いてみない?」
 ――猫っぽく?
「別に意味はないんだけどね。でも、ほら、せっかくだし」
 何がせっかくなのかはよくわからないけれど――よく見ると生徒さんの右手にはデジカメが握られている。
(きっとあたしの猫っぽい映像を撮りたいんだろうなぁ)
 朝はあたしが不安そうにしていたから、言い出しに難くて言わなかったのだろう。
(やらなくちゃ、ね)
「こうですか?」
 これもお仕事。
 手を芝生について、猫のようなポーズをとってみた。
「そうそう! そんな感じで、少し歩いてもらえる?」
「はい」
 言われるままに動く。
 猫がいつも見ている景色に、いつも感じている土の感触。
 それだけじゃなくて、早朝の雨のために辺りには草の香りが濃く漂っている。
 一歩動くたびに、その香りと、熱気が身体に吸収されていく。汗と毛が混じり合う。
(暑いなぁ……)
 そっと背中に手を触れる。
 背中は汗ばんでいた。湿度が高いせいか、しっとりとした汗。それが、息遣いに変わっていく。
(少しずつ、猫の気持ちが解かってきたかも)
 息を潜め、鳴いてみたいくらい。
「はい、撮れたわよ」
 生徒さんはデジカメを鞄にしまった。これで写真撮影は終わりらしい。
「シャワー浴びる?」
「いいんですか?」
「勿論よ」
 今は動くと汗が零れ落ちる状態だったから、喜んで浴びさせてもらった。
 その心地よさと言ったら――ここから出たくないって思うほど。
(気持ちいい)
 全身が潤っていく感覚、と言えばいいのかな。
(水を与えられた植物って、多分こんな感じ)
 その心地よい流れが、指先にまで広がっていく感覚。
 それが髪を濡らして、足へと落ちるのを繰り返している。


 夕食は、生徒さん達がお寿司の出前をとってくれた。
「美味しいです」
 箸もなかなか上手に持てるようになって、三十分で食べ終えた。
 生徒さんも驚いていたけど、あたし自身が一番驚いた。
(慣れって凄いなぁ)
 時間が経てば、大体慣れてくる。
 勿論例外もあるけれど――。
 例えばトイレ。
(思い出したくない……)
 気絶するかと恐れたくらいの出来事。
 その間、鼓動の音だけが大きく聞こえた。
(これだけは、もう絶対に体験したくない――)
 そう思った。


 そして三日目。
 ようやくバイト最終日。
 朝からメイクを剥がす作業。
 単純作業ではあったけど――剥がす段階では少し肌がむず痒くなった。
 初日のように身体をよじったりはしなかったけど――足首から始まって腿の辺りまで来たときに、あたしは生徒さんに訊いてみた。
「自分で全部剥がしちゃ駄目ですか?」
「駄目」
 ――やっぱり。
(確かに数人で剥がした方が早いのかもしれないけど)
 気のせいかな、断られた理由は別のところにある気がする。
(からかわれているというか、反応を遊ばれているというか……)
 ――気のせいだと思いたい。
 あたしの不安をよそに、生徒さん達はあたしの肌をチェックして、驚きの声を上げた。殆ど肌荒れを起こしていないらしい。
「ご苦労さま」
 生徒さんの一人が、駅まで送ってくれた。
(もうあの学校へ行くこともないのかなぁ)
 別れを前に、初日からぼんやりと回想してみる。
(妙なバイトだったけど、今思えば面白い体験だったのかも……)
 名残惜しさを少し感じながら、切符を買った。
「それでは……」
 あたしの言葉に、生徒さんは満面の笑みを見せた。
「ええ。またね」
 ――……………………え?
「また呼ぶからね」
「…………はぁ」
 もしかしたら。
(さっき見た校舎、何度も見ることになるかも――)


終。