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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


かくれおに

【0】いーち、にーい、さーん、しーい…
「――――見つけた」

 聞こえた声に、深山亜希(みやま・あき)はハッと目を覚ました。慌てて周囲を見渡して、ここが自分のベッドの上だという事に気付く。ほう、と息を吐いた直後、ぶるっとその身を震わせてきつく両肩を抱いた。
 ひんやりとした感触の残るうなじ。
 それが意味するものを、彼女は怖れと共に思い出す。
 夢の中。
 伸びてきた腕。
 捕まれた首。
 そして――囁かれた声。
 もう何度、同じ夢を繰り返しただろう。その度に彼女は恐怖する。
 いつか、もしその声が自分を振り向かせたら。もし夢が現実になったら。
「いや……誰か……助けて……」
 いったいどうなってしまうのか――――。


「――なるほど…」
 目の前に座る少女の話を聞き終え、草間武彦は小さく溜息を吐いて深々とソファーへと腰掛けた。。その顔には些かうんざりといった表情を浮かべている。
 どうしてこの事務所に来る連中は、こんな変な依頼ばかりを持ち込むんだ。ここは普通の探偵所だ。そういう事はそっち専門のところへ行け!
 そんな内心の憤慨とは別に、彼は改めて営業用の顔を作る。実際問題、客の選り好みをしている程、この事務所の財政はあまりよろしくなかった――有り体に言えば火の車――
からである。
「それで、一体当方にどのようなご依頼を…」
「お願いです。どうか私をあの夢から守ってください。このままだと私…誰かに連れ去られてしまいそうで……ッ!」
 少女の懸命の懇願。言ってる事は支離滅裂とはいえ、明らかに何かに怯えているのは間違いない。長年の経験から草間はそう感じた。
 やれやれ、と彼は頭を軽く掻きながら、少女の顔を上げさせる。
「分かりました。その依頼、お引き受け致しましょう。まあその…どこまでやれるか分かりませんが…」
 言葉を濁した草間だったが、彼女にとってはそれでも嬉しかったのだろう。パッと表情を輝かせた顔を草間へと向けたのだった。
「あ、ありがとうございます!」
 思わず抱きつかれた事に苦笑しつつも、今回の依頼事に適したエージェント達のリストを頭の中で思い浮かべていた。


【1】も〜い〜か〜〜い?
「……ええ、そう。お願い出来るかしら? じゃあそちらの方を任せるわね」
 受話器の向こうの相手にそうテキパキと告げる妙齢の美女。興信所の事務員であるシュライン・エマだ。
 落ち着いた雰囲気と中性的な容貌は、こんな薄汚れた事務所――薄汚れてて悪かったな!(草間談)――に、とんと似つかわしくない。もっとも、本人はそれほど気にした事はなく、むしろ今彼女にとって気になる最重要項目は、興信所の台所事情であった。
「それじゃあ、また後で」
 何度か会話を繰り返した後そう締め括り、彼女は電話を終えた。ふぅと息をつき、ソファーへと視線を移した先に、幾分緊張気味に座る依頼人の姿が映る。その様子に僅かな苦笑を零すと、彼女は静かに近付いて背中を軽く叩いてやった。
「そんなに緊張することはないわ。私達も協力するから、一緒に頑張りましょうね」
 そう言ったシュラインの言葉を皮切りに、依頼の為にと集まった海原みなもとウィン・ルクセンブルクも元気づけようと声をかけた。
「私もなにが出来るという訳ではありませんが、お手伝いくらいは出来ると思いますので」
「そうね。亜希さんが不安に思う気持ちも分かるから…是非協力させてね」
 三人の女性に励まされ、亜希はようやく肩の力を抜いた。傍目に見ても彼女が安堵したのが解る。それぐらい、この事務所を訪れてからの彼女は酷く緊張していたのだ。
 みなも自身、口にしたように夢に関しては何も干渉できないのだが、やはり同年代の女の子に対して少しでも力になれれば…と思って、草間からの連絡に応じた。ふわりとした黒い長髪が緩やかに揺れる様は、どこか水に浸されているように見える。
 そんな彼女と対照的に、豪奢なプラチナブロンドを靡かせているウィン。その豊満な肉体を優雅にしならせながら、微かな笑みを浮かべつつ依頼人をじっと見ている。
 その美貌に見初められ、何故か赤くなった亜希の態度に、内心可愛いわね…などと思ったりしているとは誰も気付かない。勿論、依頼の最中に手を出そうとは思っていない。それぐらいの節度は、彼女にもある。
「それで…早速で悪いんだけど、いつ頃からその夢を見始めたのか教えてくれるかしら。後、その時期に何か変わった事がなかったかどうか?」
 まず、シュラインが口火を切る。
「見始めた時期ですか? そうですね…一月ぐらい前からだと思いますが、特に変わった事と言われても……」
 片手を頬に当てて考え込む亜希。
「何か買ったモノってないですか? あと、その声に聞き覚えは?」
 みなもの問いに、彼女は黙って首を振る。先のシュラインの言葉にも特に思い当たる事はないようだ。
「それじゃあ、夢に見る場所には憶えはないかしら?」
 電話で連絡を取った他の調査員から確認して欲しいと言われた事を、シュラインは尋ねる。その言葉に、亜希は小さく「場所…場所…」と呟きながら、必死で夢の記憶を辿ろうとしていた。
(さて…どうしようかしら……)
 依頼人とのやりとりの横で、ウィンは自らの掌をじっと見つめる。この調子では亜希自身から手掛かりと言えるものは聞き出せそうにない。そうなると、自分にとっての残る手段は一つ。依頼人の深層心理を探ることだ。
 ウィン自身の力である心を読みとる力――テレパシーやサイコメトリーと呼ばれるもの――を使えば、それは容易い。が、その能力を多様する事を彼女自身、よしとしていない。あくまでもそれは、最終手段であるべきだ。
(とりあえず、もう少し話を聞いてから――)
 そうウィンが考えた時。
「あっ」
 声を発したのは、亜希。
「何か思いだしたの?」
 尋ねたのは、シュライン。みなもとウィンは亜希の次の言葉を待つ。
「一ヶ月前、確かお母さんの実家に行ったんです。お祖父ちゃんのお墓参りに」
 そう告げた、彼女の声。
 シュラインは違和感を憶え――何かしら、この感じ…声が少し震えてる。まるで言いたくない事を言ってしまった、みたいな……。
 みなもは純粋に手掛かりが見つかったと喜び――やはり理由があったのですね。後はその理由を調べれば大丈夫、ですよね……。
 ウィンは不意に飛び込んできた意識に驚き――そう……拒絶する、というわけね。言葉にするなら、『立チ入ルナ』ってところかしら……。
 三者三様。その反応は、今回の事件に何か裏がある事を、彼女達は確信した。
 おもむろにウィンがスッと立ち上がる。
「亜希さん、少しいいかしら?」
「え? あの…」
 そして、彼女は亜希の隣に腰を下ろすと、掌を静かに額へ翳す。いきなりの動きに驚く亜希だが、その不安を和らげるようにウィンは優雅に笑みを浮かべた。
「あなたの…深層心理、探らせて貰えないかしら? 勿論、今回の依頼に関するもの以外は絶対に関与しないと約束するわ。どう?」
「そんなコトが…」
 出来るんですか?
 言いかけた言葉を彼女は飲み込む。真摯に見つめるウィンの表情に、嘘偽りは感じられない。シュライン達にしても、ウィンの言葉を疑っていない。
 おそらく出来るのだろう。そう思った途端、生まれた葛藤。
 夢から逃れたい。だけど、心を覗かれる事への怖れ。
 そして暫しの逡巡の後、亜希は静かに目を閉じた。
「……お願い、します」
 小さな呟き。
 直後、ウィンは自らの意志を込めた掌を、そっと彼女の額に触れさせた。そして自分も目を閉じる――。


【2】まぁだ、だよ〜
「……ああ、解った。こっちの方は俺らがやっておくさ。…ん、ああそうだ。まあ、とりあえず気を付けてやるさ。一応、こっちが聞きたい事も聞いといてくれよ」
 携帯を片手に一際高い声で喋る男。見た目整った顔立ちに、金色に染めた髪、派手な色使いのスーツを洒落に着崩した格好は、どこから見てもホスト風。
 が、その実は、日々精神修行を怠る事なく――夜遊びとも言う――陰陽の術にて食い扶持を稼ぐ――失礼、陰陽の術を生業とする青年陰陽師・真名神慶悟である。
 今彼は、草間からの依頼を受け、依頼人である深山亜希の実家に訪れていた。本人への質問は、同性という気安さから女性陣が受け持つ事となり、男性陣は彼女の周辺調査を担当する事になった。
「――で、どうです? この辺り一帯は?」
 慶悟の横から尋ねてきたのは、彼と同様に長身の――こちらは一転して和服の似合う落ち着いた雰囲気を纏っている――男、葉車静雷である。若干十九歳にしてのこの落ち着き振りは、自ら古書店の店長をやっているからだろう。それにしては、多少派手めな顔立ちではあるが。
 その金色の瞳を四方にちらつかせる静雷に、慶悟はくわえ煙草のまま言葉を返す。
「いや、特に何もなさそうだな。こうして『視』ても不穏な空気は見当たらな……」
 言いかけて、彼は口を閉ざした。唐突に煙草を手に持ち替え、素早く身構える。その雰囲気を静雷もいち早く察し、一気に緊張を高める。
 慶悟は符による式神を、静雷は従えし精霊を周囲に配し、人には感じ得ない気配を探る。
 どこにでもあるありきたりな住宅街。
 その中で、一筋の残り香めいたものを彼らは捕らえた。
「――それほど昔のもの、という訳でもないようですね」
 読み取れた気配は微々たるもの。静雷にとって過去を読める程強いものではない。
「そうだな。流石にこの程度じゃあ、影響と言えなくもないが…」
 少なくとも、依頼人に人以外の存在が関わっている、そう慶悟は確認する。ならば彼に出来る事は災いを排除する事。
 取り出した符を交差する路地を四方で囲むように貼っていく。
「まあ気休め程度だがな」
「でもこの気配、それほど危険な感じは受けませんよ?」
「だから、念のためさ」
 二人はそう語りながら、目の前のインターホンを押した。ここまでやってきた本来の目的、依頼人の過去に何かがあったかどうかを確認する為に。
 インターホンが鳴って数秒の後、パタパタとスリッパの音が玄関へと近付く。
 そして。
「どちらさんでしょうか?」
 声とともにゆっくりとドアが開いた。


【3】おにさんこちら
 閉じた目蓋の裏を閃光が駆け抜ける。
 それは最初の衝撃。
 人の心に触れる時、常にそれは訪れる。元々、他者からの侵入を受け付けない心というものへ、無理矢理押し入る行為なのだ。その拒絶反応は当然の事。
 ウィンは、静かに気持ちを落ち着けて自らの精神を亜希の中へとダイブさせていった。
 暗闇が続く中、所々に瞬く極彩色の光。その中に記憶の欠片が、まるでテレビのように映し出されていく。
(この辺はまだ表層意識ね…)
 さっきまでの記憶。ここ数週間の出来事。現実に体験したもの。
 夢の記憶はまだ現れない。
 もう少し奥へ。そう思って、更に奥へと彼女は潜る。
 読み取れる時間には限りがある。それを越えてしまえば、依頼人の少女に取り返しのつかない負担を与えかねない。そうなってしまえば、精神を繋げている自分すら危うくなる。下手をしたら戻ってこれない可能性だってある。
(早くしなければ)
 心を強く持ち、更に深く潜ろうとした時。
 不意に彼女の意識を掠めた光景。ハッとそちらに集中すると、すぐさま飛び込んできたのは――夢の情景。
 人気のない場所――鳥居があるという事は神社だろうか。随分と寂れた景色。どこかの田舎というところか。
 佇む少女の姿――おそらく亜希本人だろう。見た限り、今より少しだけ幼い感じを受ける。
 少女が歩き出した途端。
 一転して闇一色へ。怯える少女。包む気配は濃厚。
(何か…いる)
 ウィンは確信する。それを突き止めるべく、静かに少女へ近付き――。
 首筋に触れる手が見える。恐怖におののく顔。振り返る。驚愕に目を見開き。
(相手の顔は――?)
 闇の中。目を凝らす。
 刹那。
 届いた声。

『――――見つけた』

 そして世界は霧散し、ウィンの意識は急激に引き戻された――。


【4】手の鳴るほうへ
 バッと手を放したウィン。荒くなった呼吸を何度か繰り返し、ようやく大きく息を吐くと、自分をじっと見つめる二つの視線に気付く。
「……大丈夫ですか?」
 少し心配そうなみなもの声。それに応えるよう、ウィンは静かに微笑んだ。
「ええ、これぐらいいつもの事だから」
 ふと横を見れば、依頼人は横になって目を瞑っていた。どうやら力を使いすぎたせいで、気を失ったようだ。
(ちょっと強引にやりすぎたかしら)
 内心で反省しながら、素早く彼女の体調を確認する。とりあえずただ気を失ってるようだから、なんとか大丈夫なようだ。
 むしろ。
「それで…何か解ったかしら?」
 シュラインの問いにウィンは小さく頷いた。
 見てきた事を話すのに、彼女が気を失っているのは好都合だった。おそらくあまり聞かれたくない話であろうから。
 ウィンはそう判断し、まず二人に断りを入れる。
「とりあえず夢の方は確認出来たわ。ただ、これから話す内容を決して彼女自身に伝えないで欲しいの」
「え? どうしてですか?」
「夢にも色々あるのよ。普段の思い、未来への望み、そして――」
「――消したい過去の記憶、というわけね」
 シュラインが続けた言葉に黙って頷くウィン。そのやりとりを見て、ある程度をみなもも察する。
 二人が理解した事を確認して、ウィンは静かな口調で夢の内容を語った。
「場所はどこか神社の境内。多分、彼女の母親の実家でしょうね、一ヶ月前というきっかけを考えると。そこに立ってる彼女は今よりは少し幼かったわ。そして、彼女を捕まえに来る相手は」
 一旦、言葉を切る。
 先程見た記憶を何度も反芻し、確信を得る。
 そしてウィンは、ゆっくりと口を開いた。
「――相手は、彼女自身の姿だったわ」
「え?」
「どういうこと?」
「さあ。それ以上はさすがに……。ただ、実際にその夢を見る場に立ち合わない事には、これ以上は無理ね」
 それは誰もが考えていた事。これ以上彼女自身から情報が得られないならば、実際に立ち合うしかない。
 が、どこまで夢に対抗出来るのか。そんな一抹の不安が心に残る。


【5】もういいか〜い?
「まったく変な家だったな」
「そうですね〜少しは警戒してもよさそうなものですのに」
 一度、興信所へ戻ってきた慶悟と静雷。
 扉が開くなり聞こえてきた声は、幾分ぼやきの色が含んでいた。
「お帰りなさい。どうだった?」
 真っ先に出迎えたのは、興信所の事務員であるシュライン。主たる草間は、奥の方で書類の山に埋もれてそれどころではないようだ。
 さっそく応接室に集まって、打ち合わせを始める五人。依頼人の亜希は既に退出している。
「彼女の母親の実家の方を少し調べてみたんだけどね、一つ奇妙な事件があったわ」
 シュラインがインターネットで調べた資料を彼らに見せる。
 そこに書かれていたのは、十七年前に起きた村の近くにあったとある別荘での失踪事件。そこに人がいた形跡を残したまま、煙のように消えてしまったのだという。当時、神隠しだと騒がれ、結構なニュースにもなったのが、結局失踪した人達は戻ってこなかった。
「彼女がこの村へ行き、そして夢を見始めたのだとしたら…関係ありそうなのはこれぐらいね」
「とにかく実際に立ち合うしかないな。一応、家の周辺には護符を幾つか貼り付けておいたが」
 果たしてどこまで有効なのか。慶悟自身、それほど自信がある訳じゃない。
「それにしても変な家だったな。俺らが訪ねていっても、何の疑いも持たずに色々喋ってくれたしな。まあ、大した情報はなかったが」
 その口調には、怪しむ気配がある。
 どちらにせよ現状は、当初の提案通りに寝ずの番をしながら原因を探る他ない。
「夢関連はひのの得手なんだが……」
 静雷は知り合いを思い浮かべながら、そんなコトを呟く。
 だが、今ここにいない者を考えてもしょうがない。引き受けた以上、自分に出来る限りの事をするだけだ。
 そして彼らは、夜を待つことにした。


【6】もういいよ〜
 夜も更け、辺りはすっかり暗くなる。
 照らす月を眺める影が一つ。木々の枝の狭間でじっと静かに佇んだまま。
 もの言わぬ骸のように。道端に転がる小石のように。
 気配を殺して、ただひたすらに時を待つ――覚醒の瞬間を。



 じっと息を殺し、亜希の部屋の中でウィンは壁に背を預けた格好で座っていた。そして、シュラインとみあおも同じようにベッド脇で待機している。互いに沈黙し、ただじっと時が過ぎるのを待つ。
 当初、夜中の女性の部屋を訪れるのを避けた慶悟と静雷だったが、依頼人である亜希の計らいで二人とも部屋の中で待機する事になった。勿論親には内緒で、窓からの侵入となったわけだが。
「見つけた、か……」
 ふと呟く静雷。
 全員の視線が彼に集まる。
「あ、いや…言葉通りなら深山を捜してる誰かがいるんだろうが……」
「でも、私の見たのは彼女自身の姿でした。それが何を意味しているのかは、まだ解りませんけど」
 ウィンの言葉に一同は考え込む。
 追う者と追われる者。それが同一人物であるという。
 勿論、夢の中でのこと。見えない何かが姿を借りている事もある。
「私、やっぱり鬼がいるんだと思います。それがなんらかの力を使って、亜希さんの姿を借りて夢を見せているのではないかと。よく言われてるのは、かくれんぼの鬼は寂しいから追いかけるといいますし…」
 語尾がどこか悲しげに、みあおが自分の考えを口にする。
 だが。
「私はあの時の違和感が少し引っ掛かったわ」
 シュラインの考えは少し違った。
「あの時?」
「ええ。一ヶ月前の事を口にしたとき、声に奇妙な違和感を感じたの。それがなんなのかまでは解らなかったけど」
「それは私も同じだわ。言葉と一緒に、ご丁寧に意識の方で拒絶されたから」
 ウィンも軽く同意し、その時感じた事を話してみせた。
「……成る程、立ち入るな、ですか。これはひょっとして…」
 静雷が口を開きかけた、その時。
「シッ!」
 不意に感じた気配。すぐさま慶悟が懐から符を取り出す。
 『禁厭夢魔符』――一般に悪夢を払う札として用いられるそれを、眠っている亜希の額へ貼り付ける。
「急々如律令――悪夢よ、疾くと去れ!」
 他者からの干渉を抑えるべく発した言葉。意志を持つ言霊は、それだけで力を持つ。霊視を交えてその力を振るい、なんとか具現化しようと試みた。
 だが、確かに異質な気配はあるものの、それを取り除く事が出来ずにいた。どうやら内部から追い払うしかないようだ。
「どうやら夢に入るしかないようね」
 次第に汗を流し始める亜希を見て、ウィンは心配そうに口元を歪める。そして、おもむろに額へ手を翳すと、制止する声も聞かずにそのまま意識をダイブさせた。
「やれやれ、しょうがないですね。彼女一人では流石に心配ですから、俺も行ってきますよ」
 精霊の力を借りてね。
 それだけ言い残すと、静雷もまた意識を彼女の内へ飛ばした。
 倒れ込んだ二人と眠り続ける少女。彼らを守るように朧な光が囲む。おそらく静雷が仕掛けた不喪神達による守護結界だろう。
 後は二人に任せるしかない。
 そう考えた矢先、慶悟はとある気配に気付く。
「シュライン、みなも」
「え?」
「なんですか?」
「――ここは任せる」
 それだけ言い残すと、彼は素早く窓から飛び出した。
「ちょっ…真名神君!」
 シュラインが止めるのも聞かず、彼の姿はすぐに夜の闇の中に消えていった。
「…いったいなんだっていうのかしら?」
「……さあ?」
 残された二人は、困惑した表情で互いに見合わせた。



 ――広がる闇の空間。
 落ちる感覚と、引き戻される感覚。相反する二つに、思わず目眩を起こしそうだ。
 先行するウィンに追いついた静雷は、視線で軽く合図を送る。
 そして。

 降り立った場所は、ウィンが以前見た場所と同じ。広がる闇にぽつんと浮かぶ古びた境内。
 逡巡する間もなく、二人は素早く駆け出した。目の前に見える亜希の元へ。
「亜希さん!」
 呼んだ声にハッと振り向く彼女。その首を掴む腕。
 ウィンが強引に彼女の体を引っ張る。
 と同時に、静雷は手に構えた妖刀・風魔でその腕を斬りつけようとした。寸前で腕は離され、距離を取るべく後ろへと後ずさる。
「さて。答えていただきましょうか。何故、彼女の夢に現れるのか、その理由をね」
 静かに告げる静雷。闇の中でも煌めきを放つ白刃の切っ先を、ゆっくりと相手に向ける。
「さっさとここから出て行きなさいよ!」
 亜希を庇いながら、ウィンが珍しく激昂を上げる。きつく睨み付ける視線は、美人ゆえにどこか怖さを増す。
 だが、そんな二人に対して、どこか涼しげに立つ亜希そっくりな少女。口元に浮かべる笑みは、真っ赤な唇に彩られている。放つ気は、明らかに人ではない。
 くすくすくす……。
 木霊する小さな笑い声。
「理由なんて――『私』が一番よく知ってるじゃない」
 その目は、明らかに亜希だけを見ている。その事に恐怖したのか、震えながら亜希は首を振る。
「知らない……あなたなんか、知らない……」
「どうして? 私は『私』の事、なんでも知ってるわよ」
 目の前の少女は、亜希の事を『私』と言う。
 果たして、その意図は?
 困惑を隠せない静雷とウィン。一体、亜希自身に何があるというのか。
「どちらにしても、亜希さんを悩ませるものはなんであっても追い出すだけよ」
「同感だ」
 静雷が無造作に剣を振るう。それを人間離れした跳躍で容易く避けた。
「追い出せるわけ、ないじゃない」
 そう呟いた少女は、素早く亜希の背後へと降り立つ。ウィンがそうと気付くより先に、少女は亜希を背中から抱き締めた。
 そして。
「だって私は『私』なんだもの……」
 謎の言葉だけを言い残して、少女の姿は煙のように消えた。
 気付いた時には、その場に亜希だけが倒れていた。その姿は、先程までの幼い姿でなく、今の彼女の姿になって。
「……消えた?」
「いったいあれは……」
 疑問とも、不安とも。
 なんだか未消化な気持ちのまま、だが、もはや二人に出来る事は何もないだろうと直感で理解する。そして、依頼人が夢を見る事もなくなるだろうと。
 深く溜息を吐いて、静雷は剣を納める。ウィンも静かに肩の力を抜く。
 二人は、後ろ髪引かれる思いながらも、その場を後にした。


【7】見ぃつけた
 僅かな気配を頼りに、慶悟は夜の闇を疾走する。
 そして、ようやく見つけた相手に向けて、恫喝する形で質問した。
「悪障為すは何ゆえか。事と返事次第では調伏と為すが、如何か!」
 凛とした声が静かな夜に響く。その声に促されるように、ゆっくりと闇から現れた姿は、まだ年端もいかぬ少年。
 が、ただの子供でない事は、放つ妖気ですぐに解った。まして、その額からまっすぐに伸びた角こそが人外の妖――古来より畏れられた鬼である事を証明する。
「……鬼、か」
「…………」
「何ゆえ彼女を害す?」
 再度の問いにも、相手は黙したまま何も語らない。ただじっとこちらを見ているだけ。
 仕方なく攻撃に転じようと、呪符を取り出す。
「もう一度、問う。何ゆえ彼女に仇為すか」
 返答は、ない。
 仕方ない。
 そう考えて、呪符を投げつけようとした、その時。
 小さな鬼は、じっと視線を合わせたまま、唇を動かした。まるでスローモーションのようにはっきりと慶悟の目に映ったその形。
「ま、待て!」
 ハッと気付いた次の瞬間、相手の姿は闇の中にかき消えていた。慌てて周囲を見渡すが、既に気配自体もいなくなっていた。
「逃がしたか。しかしさっきの言葉は一体……」
 たった一言言い残した言葉が、慶悟の脳裏をぐるぐる回る。一体その言葉が何を意味しているのか。

『――原因は彼女だよ――』

 慶悟がその意味を知るのは、皆と合流してからとなる。



「――そうか」
「ええ、武彦さん。ちょっと消化不良だったんだけどね」
 シュラインの溜息混じりの言葉に、興信所所長である草間は、ソファーで気むずかしい顔を浮かべていた。
「亜希さんもあれ以来夢は見なくなったみたいだけど…結局原因は解らず仕舞いだったわ。真名神君が見つけた鬼の子供っていうのも気になるし」
「その夢の中での出来事も、か…」
 書類を整理するシュラインの後ろ姿を、草間は黙って見つめている。
 調べてきた事、そして見聞きした事から合わせて、おそらく亜希自身に何らかの秘密があるのだろう事は予想に難くない。
 だが、はたしてそれ以上突っ込んで調べてもよいものなのかどうかの判断を、シュライン達は決めかねていた。依頼人自身、夢を見なくなってからは、それ以上調べるのを断ってきたからだ。
「私は『私』か……ひょっとすると彼女は…」
 そこまで言いかけて、草間は口を閉ざした。
 仮に彼女が、人ではなかったのだとしても、それを暴き立ててしまってよいものかどうか――勿論、全ては想像に過ぎないのだが。
「これから、何もなければいいのだけれど」
 そう最後に締め括り、シュラインはまとめた調書をファイルへと綴じだ。


【END……?】


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■  登場人物(この物語に登場した人物の一覧)   ■
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【0086 /シュライン・エマ   /女/28/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【0389 /真名神・慶悟     /男/20/陰陽師】
【1252 /海原・みなも     /女/13/中学生】
【1588 /ウィン・ルクセンブルク/女/25/万年大学生】
【1683 /葉車・静雷      /男/19/古書店店長(兼大学院生)】

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■   ライター通信                ■
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お久しぶり、もしくは初めまして。ライターの葉月十一です。
この度は、私の依頼にご参加いただきましてありがとうございます。
そして、納品が遅れまして申し訳有りませんでした。

久々に出した依頼【かくれおに】、如何だったでしょうか?
今回、皆様のプレイングがほぼ一本道だった事もあって、このような形になりました。
明確な正解を書かれた方がいらっしゃいませんでしたので、完全な解決にはなりませんでした。続きの依頼を近い内に上げる予定ですので、もし次回も参加してみて下されば、嬉しいです。

気が付けば、先月の涼しさはどこへやら、すっかり夏といった感じの暑さになってますね。
おかげでこちらはかなり夏バテ気味ですが(苦笑)、皆様も体調を崩すことなく、健康には十分注意してお過ごし下さい。