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<東京怪談ノベル(シングル)>


嵐のあと

 視線が痛い。藤井・葛(ふじい かずら)は小さく溜息をつき、目の前に置いてあるレモンティをストローでかき回した。すっかり溶けてしまった氷のせいで、紅茶というよりも色つき水という状態に近くなっている。葛は黒い前髪をかきあげ、緑の目を何度も瞬きさせた。
「あのパワーは……凄い」
 葛のレモンティの向こうには、冷め切ってしまった珈琲が置かれている。砂糖もミルクも入れられてはいない、真っ黒な液体。折角、いい豆から抽出されたであろう珈琲なのに勿体無い、と葛は思ってしまう。口をつけたのは2・3回だけ。喉を潤す程度だった。
「あれだけ喋れば、喉も渇こうものなんだけど」
 先程までの状況を思い出し、葛は再び溜息をつく。

「んもう、信じられないんだから!」
「ちょ、ちょっと。声が大きい」
 葛は慌てて友人を諌めるが、友人の耳には入らないようだ。ぐっと握られた手が、テーブルの上で小さく震えている。
「あいつ、どうしてああいう言い方しか出来ないのかしら?もう、サイテーなのよ!」
「そ、そうなんだ」
 意気込む友人に、葛はただ合いの手を入れるくらいしか出来ない。それすらも、目の前の友人に聞こえているのかどうかも分からなかった。
(声、かけるんじゃなかったかな)
 ぼんやりと葛は考える。昨日、友人は何故だか元気が無かった。何を言っても、小さな溜息が付きまとっていた。力なく笑う顔も、無理して話すその姿も、何を取ってみても葛が心配になる要素を充分に含んでいたのだ。一日置いてみて、やっぱり気になった葛は友人に声をかけてみた。何があったのかは知らないけれど、話だけでも聞かせて、と。友人は、最初は遠慮がちに、そして時が進むごとにだんだん意気込んで話し始めたのだ。友人の、彼氏の話を。話、というよりも愚痴を。
「サイテーもサイテー!もっと、優しい人だと思ってたのに!」
 友人はそう言って、テーブルに拳を叩きつけた。先程まで小さく震えていた拳だ。まるで、震えていたか弱い拳が本来の目的を思い出したかのように。
「……そうなんだ」
 周りがじろりと見てくる。幸い人は少ないので追い出される事はないが、普通に視線が痛い。突き刺さるようだ。友人はそんな事は全く気にならないようだ。彼氏の話をするのに夢中で、周りなど見えていないのだ。
(凄いな)
 葛は普通に感心する。勿論、周りの視線は痛いし、この愚痴が延々と続くと思えば多少うんざりもする。だが、逆に友人をそんなにもさせるというのは凄い事だ。一人の人間について、たくさんの事を考え、感情を覚えている。
(せめて、俺に恋愛経験があれば少しはアドバイスなり何なりできるんだけど)
 残念ながら、葛には恋愛経験が無い。アドバイスもできるはずも無く、できるのはただただこうして友人の話を聞いている事だけだ。興奮した友人の話を、時々合いの手を入れて聞くだけ。完全な聞き手状態。
「……と言う訳なのよ」
 話す事で大分落ち着いたらしい友人の様子を見て、葛は口を開く。合いの手ではなく、葛自身の言葉を。
「……じゃあ、もう彼氏の事は嫌いになったの?」
 葛の質問に、友人は不意を付かれたようだった。一瞬戸惑い、口に持っていきかけた水のコップを一旦テーブルに置く。暫く考え、それから小さく笑う。
「そうじゃ、ないんだよね。それなら、話は凄く簡単だったんだけど」
(なら、もし嫌いになってたら……今までの長い話は無かったんだな)
 葛はそう考え、それは違うかもしれないと再び思い直した。友人は目の前で笑っている。あれだけ文句を言っていた彼氏を嫌いになったのか、と聞かれて小さく笑っている。照れたような、それでも悔しそうな笑みを浮かべ。
(……綺麗だな)
 友人の顔を見て、葛はふと思う。友人は、綺麗に笑っているのだ。文句を言いつつも、嫌いにはなれないという不条理がそこにあるというのに。
(不条理だからこそ、綺麗なのかも)
 恋愛は、ネットゲームとは違う。ゲームなら、レベルを上げて、イベントをこなし、その内仲間と絆を深めたりして……。レベルが上がるのは戦闘を勝ち抜いてくるからだし、イベントは時間をかけてといていくからだし、仲間とはそういう事を共にやるから絆は深まる。全て条理に適っているのだ。恋愛は不条理だ。そういうものが何も無く、それでも存在をしている。不条理の美しさが、そこにはあるのだ。
「ああ、もうこんな時間なのね」
 友人がやっと時計を目にし、慌てた。葛もつられて時計を見る。最初店に入った時から、5時間も経過していた。店員の視線も痛くなるはずだ、と葛は苦笑する。
「葛、長い時間ごめんね。有難う」
「少しは、気が晴れた?」
 葛が尋ねると、友人はやはり綺麗に笑う。
「少し、ね」
(あれで少し、か)
 葛は思わず苦笑し、慌てて出ていく友人を見送ったのだった。

「有難うございました」
 伝票を持って行き、払うと店員は無愛想に挨拶をした。
(無愛想だな。接客態度悪い……)
 思ってから、ふと葛は気付く。5時間も居座っていれば、しかもその間あれだけ騒いでいれば仕方の無い事なのかもしれない。小さく葛は苦笑した。
(難しいな)
 晴れた外は、陽射しが強い。ずっと室内にいたため、眩しさを感じてしまう。葛は光を避けるかのように影に目線をやる。避けた先にあったのは、デパートのウィンドウに並ぶ洋服達だった。ひらりとしたレースのついたものや、大人っぽいシンプルなデザインのもの……様々な服が綺麗にディスプレイされている。
「服、か」
 ウィンドウに映る自分を見て、葛は小さく呟く。ウィンドウの向こうにディスプレイされたマネキンと比べ、なんと自分は違う事だろう。TシャツにGパン、化粧気の無い顔。全てが無造作で、地味だ。不意に綺麗に笑っていた友人の顔が思い浮かぶ。綺麗に笑う友人、綺麗に飾られた窓の向こう。
(大違い、だな)
 葛は小さく溜息をついた。無頓着、という言葉が綺麗な友人と重なって出てきた。
「明日は……ちょっとくらい……」
 綺麗な笑み、地味な自分。
「ちょっとくらい、服装に気を使ってみようかな」
 ちょっとくらいは、無頓着ではなく、無造作ではなく、地味ではなく。あの綺麗に笑った友人ほどではなくても、綺麗に飾られたマネキンほどではなくても。少しだけ、地味ではない自分を知ったとしてもいい筈だ。
「うん、ちょっとくらいは気を使って……」
 葛が決意したその瞬間、ぐう、とお腹が鳴った。幸い近くに人は無く、また騒音が多くて聞かれる事は免れたが、それでもお腹が鳴ったという事態は変わらない。
「お腹すいたな」
 ぽつり、と葛は呟く。先程の決意など、どこかに行ったかのようだ。否、別にどこかに行ったわけでは無い。ただ、重要度が変わっただけだ。今は綺麗になる事よりも、寂しいお腹を満たす事の方が重要なのだと。
「ご飯……」
 葛は再び呟き、ショウウィンドウに背を向けて足早に歩き始めた。今はただ、迫り来る空腹を満たす為の飯屋を探す事こそが最重要事項だったからである。何を食べようか、と考えながら葛は再び小さく笑うのだった。妙に晴れ晴れとした気分で。

<嵐の後の清々しさにも似て・了>