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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


−繃−

<序>

 夜毎、悪魔は舞い降りる。


『夜の絞殺魔 投稿者:Mao-N 投稿日:2003/06/**(wed) 18:21

 知ってるか? 最近話題の「絞殺魔」のコト。
 都内の某予備校に通う女たちが、予備校帰りに次々と何者かに首を絞められて殺されているという話。
 警察の発表じゃ、金品を奪われている様子も乱暴をされた様子もないことから、変質者か通り魔か? ってみてるようだが、本当の所はどうなんだろうな?
 報道されている限りでは、凶器は「ロープのような物」とか言われているようだが、これも本当の所はどうなんだろうな?
 警察やマスコミの言う事を鵜呑みにしていたのでは、犯人はいつまでたっても見つからないかもな。
 俺が小耳に挟んだウワサによると、被害者が死ぬところを薄暗い路地で見かけたヤツは「急に首のあたりをかきむしりながら一人で苦しみはじめた。その時誰かが近くにいたとは思えない」とか言っているらしいが――ソレはあくまで「ウワサ」だ。
 本当に目撃者なんかがいたのかどうかも怪しい。誰かが適当な事をほざいているだけかもしれない。
 だが、もしそれが「ウワサ」ではなく「真実」だとしたら?

 本当に、変質者か通り魔なんているんだろうか?
 首を絞めた痕は、確かに「細長い何かで絞められたもの」かもしれないが、凶器は本当にロープなんだろうか?

「絞殺魔」なんて呼ばれているくらいだ。
 本当は魔物が闇に潜んで、女たちの魂を食らっているのかもな。

 もし退屈してるなら、俺と共に被害者が出てる予備校を見に行くか?
 隠れ散らばっている点と線とを見事に結ぶ事ができれば、犯人が見えてくるかもしれないしな。
 まあ、それはお前の頭と腕次第、というところか。』

 書き込み内容に目を通し終えると、このサイトの管理者である瀬名雫は右手の人差し指を顎先に当てて数度素早く瞬きをした。
 最近マスコミをにぎわせているこの事件。当然のことながら雫も知っている。
 だが、そんな噂がある事は知らなかった。
「これはちょっと調べてみる価値あるかもね」
 本当に魔物なんかが出てきたら、死人が出ているのに不謹慎ではあるが、ちょっと面白いではないか。怪奇データに新ネタを追加できるというものだ。
 よしっと声を上げて雫は椅子から勢いよく腰を上げると、雫はくるりと振り返った。
「誰か調べてきてよ。ね?」


<厄介事>

 がくり、と。
 ついていた頬杖が崩れる。
 モニターを眺めていた湖影虎之助は、その書き込みを見て思わずテーブルの上に突っ伏していた。
 見覚えのある――いや、見覚えどころか、ロクな記憶を引っ張り出すことが出来ない、ある種因縁めいたそのハンドルネーム。
『Mao-N』。
「まーたーアイツかー……」
 唸るように低い声で呟く。
 ちらりと、雫がそんな虎之助を見やった。いつもは端正なその顔を思いきりテーブル上に伏せ、大きなため息をついている。顔は見えずとも、その様子からして多分、表情は曇っているんだろうなと想像はできる。
 何が彼をそうさせるのかイマイチ分からなかったが、ふと、雫はずいぶん前に同ハンドルネームで書き込みがあったことを思い出した。そしてその時、彼が調査に行ってくれた事も。
「湖影さん、今回もコレ、行ってくれるの?」
 その言葉に、ゆるゆると頭を上げ、動きにあわせるように目の前に落ちてきた前髪を整った指先で気だるげにかき上げる。そして切れ長の目でもう一度モニターを見、ふうとまた一つため息をこぼす。
 聞かれるまでもなく、そして雫に「調べてきて」と言われるまでもなく、この書き込みの主の名を見た時からもう心は決まっていた。
「ああ、行くよ。この書き方はルシフェルの方だし……なんかまた内容も厄介なことだし」
 なんでこうもアイツは厄介事ばかりに首を突っ込むのだろうと、苦笑を禁じえない。
 というより。
(アイツ自身が一番厄介なんだけどな)
 胸の内で一人呟き、ずいぶん前にこの書き込みの主と会った時のやりとりを思い出す。
 兄を殺すために手を貸してくれないか、と。
 真顔でそう言った、アイツ。ほんの一欠けらの冗談も混ぜずに。
 モニターに浮かび上がる『Mao-N』の書き込み。「一緒に見に行くか?」と書いているということは、この事件に首を突っ込めば嫌でもヤツと顔を合わせるということだ。
 そしたらきっと、もう一度あの問いを吹っかけられるに違いない。
 あの問い――「兄を殺す手助けをしてくれないか」と。
 前は冗談だろうと無理矢理笑って流し、ヤツに失望の眼差しを向けられたが、今、虎之助はその胸の内にしっかりとヤツへの解答を用意していた。
 からんと、傍らに置いていたアイスコーヒーの中で氷が軽やかな音を立てる。水滴がびっしりとついたそのグラスを手に取ると、虎之助はゆっくりとスツールから腰を上げた。そして思い出したように雫に言う。
「さてと。それじゃ行くとするかな。『今から行きます』ってレス入れといてくれるかな?」


<再会>

 待ち合わせの時間を指定した覚えはなかった。それとも、雫がレスを入れる際に「今から行く」と書き添えてくれたのだろうか?
 件の予備校前に着いた虎之助は、そのエントランスにいる青年を見て無意識に一つ溜め息を漏らした。やや強い雨足がそのかすかな吐息をかき消す。
 入口の分厚いガラス扉の締切側に黒づくめの総身を預けて腕を組み、人待ち顔でもなくぼんやりと軒先から滴り落ちる雨垂れを眺めている青年。
 彼があの書き込みの主「Mao-N」こと七星真王である。
 傍らを通り過ぎて予備校へ入って行く生徒らしき者たちに目もくれもせずぼーっとしている様は別に変わったところもなくどこにでもいる若者なのに、彼の抱える事情を知る虎之助からしてみれば、あまり「普通の青年」とは言い切れない部分があった。
 兄を殺したがっている、異様な人物だ。兄弟思いな虎之助からしたらそんなのは理解不能である。
 そんなとんでもない兄弟になど、できれば関わりあいになりたくはないのだか……。
(とりあえず、事件の調査はしないとな)
 気を取り直し、進む思考とは逆に止まってしまった足を進め、エントランスに向かう。靴底とアスファルトの間でかすかな水音がする。
 考えてみれば、一流大学にも余裕でパスできるくらいの成績を保っていた虎之助にとって、予備校はまったく縁のない場所だ。殺人事件が起きている生臭い予備校だが、なんだか新鮮に感じる。
 軒下に入ると、虎之助は傘を閉じて青年の前に立った。そしてぼんやりと宙を見ている青年の黒い瞳の前でひらひらと手を振る。
 その時ようやくそこに虎之助がいると気付いたのか、彼は目を細めた。そして虎之助を見、わずかに眉を上げる。
「まさか、お前が来るとはな」
 ひどく意外そうな声だった。それもそうかと虎之助は内心で呟く。
 兄を殺す手伝いをしてくれ、と言われたのを曖昧に断ったのだから。
 そんな虎之助の肩越しに視線を動かし、彼はいつもの人をなめたような笑みを浮かべる。
「しかもお前一人か。女が犠牲になっているから来たのか? それとも」
 虎之助の顔を首を傾げるようにして間近にのぞき込み、ニヤと笑う。さらりと伸びた横髪がその頬にかかる。
「俺に会いに来たか?」
 その言葉に、虎之助はわずかに肩をすくめた。
「相変わらずだな、ルシフェル」
 それは七星真王の、別人格の名。温和な主人格「ミカエル」とは異なる、兄の命を狙う苛烈な人格のことだ。
 ミカエル、ルシフェルというのは、彼の主人格が雫の掲示板に書き込んだ「自分の別人格について調べてほしい」という依頼を請けて向かった者たちのうちの一人がつけたあだ名である。
 虎之助の言葉に、ルシフェルは白けた顔をして前髪をかき上げ、片方の肩を少しだけ上げた。虎之助の反応が冷静すぎて、彼にしたらつまらなかったのだろう。
 そんな彼らの横を、予備校の生徒らしき少女が通り過ぎようとして――ふと、虎之助の顔を見て立ち止まった。小さな声で「あっ」と呟く。
 どうやら、モデルの湖影虎之助だと気付いたらしい。こんなところで何をしているのかと追求されたら面倒だなと考えた時。
 するりと。
 虎之助の腕に、ルシフェルが自らの腕を絡めた。そしてにっこりと彼らしからぬ微笑を浮かべ。
「早く行こうぜ、虎ちゃん。俺とデートする約束だろう?」
「ちょ……っ、お前なに言って……」
「デートコースは虎ちゃんにお任せだな。早く行こうってば、ダーリン」
 はずかしげもなくそんなことを言い放ち、ルシフェルは虎之助の腕を引いてエントランスから雨空の下へと歩き出す。頭上から降ってくる雨に、慌てて虎之助はネイビーブルーの傘を開いた。ワンタッチ式の傘なので、片腕を取られていても問題なく差せる。
 ちらりと、虎之助は肩越しに少女を振り返った。
 少女は口許に手を当てて何度も瞬きをしている。さしずめ「信じられない」とでもいったところだろうか。……いや、まあ、信じられても非常に困るが。
 思わず浮かべてしまった苦笑が、彼女にどう見えたかは――謎である。


<殺?>

 しばし無言で、二人は歩き続けていた。駅前のロータリーにある噴水まで戻ってきた所で、ようやく虎之助は先を歩いているルシフェルに声をかけた。
「どこまで行くんだ? いい加減腕、放してもらえるとありがたいが」
 予備校からずっと腕を引っ張られていたのである。空いた手で差している傘は、先を歩くルシフェルと自分を半々くらい雨から守ってくれていた。
 何が悲しゅーて男と相合い傘なんだ、と胸の中でボヤいているのを知ってか知らずか――とりあえずルシフェルは傘を差しかけられるのは当然の事としか思っていないようである。
 ――傲慢。
 そんな二文字が頭に浮かぶ。
 もっとも、彼のそんな態度は今にはじまったことではない。判っているからこそ、虎之助もあえて何も言わないのだ。……言ったところでどうせ、嫌味な笑みを浮かべて「嫌なら放っておけばいいだろう」と言い返されるのは明らかである。
 自分の思考に意識を向けていた虎之助は、ルシフェルが振り返って何かを言っていることに今更気付いた。は? と問い返すと、ルシフェルはわずかに眉を寄せ、不機嫌そうな顔になる。
「自分から話しかけておいて人の話を聞かんとは……整っているのは顔だけで頭のほうはスッカラカンか?」
「お前な……」
 遠慮も何もないその言い種に、げんなりと虎之助が溜め息をつく。
「褒めるか貶すかどっちかにしろ」
「褒められるだけありがたいと思え」
「ありがたくなんかあるか」
 憮然と言った虎之助に、ルシフェルが機嫌を直したように小さく笑う。
 なんというか……喜怒哀楽の激しいヤツである。
 駅前は、夕方という時間帯のせいか、会社帰りらしきスーツ姿の男の姿がよく目につく。制服姿の学生の姿が少ないのは、夏休みのせいだろう。代わりに私服姿の若者が多い。やたらと肌を露出させた少女たちが甘ったるい舌ったらずな声で話しているのが聞こえる。
 そんなざわついた空気が漂っている駅の構内に一度入り、傘を閉じる。ルシフェルが虎之助の傍らで肩にわずかばかりついた水滴を手で払った。そしてくるりと顔を虎之助に向ける。
「さて。そろそろデートコースを聞かせてもらおうか虎ちゃん?」
「デートコースってお前……っていうか『虎ちゃん』はやめろ」
「かわいいだろう?」
「かわいくあるか」
「じゃあダーリンにしておくか?」
 真顔で言うルシフェルに、虎之助は即座に答える。
「却下」
「ワガママだな、虎ちゃんは」
「だからやめいと言うに」
 秀麗な顔を少し歪めて嫌な顔をする虎之助のその反応が面白いのか、ルシフェルはツンと虎之助の頬を指先でつついてにっこりと笑った。
「とーらちゃんっ」
「お前なぁ……」
 ルシフェルの手をすげなく払いのけ、今日で何度めかの溜め息をまた漏らす。
 なんだかコイツのペースにすっかり巻き込まれてしまっている。じゃれている場合ではないだろうと自分に言い聞かせ(虎之助にしてみれば好きでじゃれているわけではないのだが)、前髪をかき上げて今し方歩いてきた方へと視線を向ける。
 その横顔を見、ルシフェルも笑みを消して真顔に戻る。
「さて、そろそろ真面目にデートコースを聞こうか。何から調べる気だ?」
 言われて、さっきから彼が言っている「デートコース」というのが「調査方針」の事だとようやく分かり、虎之助は苦笑する。
 が、その笑みもすぐに消えた。少し思案して、そうだな、と口を開く。傍らにいるルシフェル以外の者の耳に届かないよう、周囲の雑踏に紛れるように少し声のトーンを落として。
「その予備校に通う女性だけが狙われるってのが気になる。何か理由があるんだろうな」
「だろうな」
「しかも、犯人の姿は見えない。となると、霊か念か、ってところか」
「……と、お前は考えたわけか。それで、どこから調べるつもりだ?」
 自分がどう考えているかは口にせず、ゆったりと腕組みしてほんのわずかだけ虎之助の肩に寄りかかるようにしながら、ルシフェルは首を傾げる。
「予備校関係者に話を聞きたいなら、簡単に中には入れるな。話を聞き出せるかどうかは分からんが」
 確かに、二人なら生徒を装って予備校内に入り込むのはたやすいだろうと、虎之助が考えた時。
 ルシフェルがいるのとは逆の肩に、周囲のことなどまったく気にもせず携帯電話に向かい何事かを大声で喋っている中年サラリーマンが軽くぶつかった。そのまま謝罪もなしに、男は周囲の雑音にかき消されないように電話に声を叩きつけながら足早に去って行く。
 短く、虎之助は舌打ちした。
 いい大人が、マナーを守ることはおろか、謝罪すらもまともにできないとは。
 それからもそのサラリーマンはすれ違いざま人にぶつかり、やはり謝罪なく歩いていく。迷惑そうにぶつかられた者たちがその男を振り返っている。
 やれやれと呆れがちに吐息を漏らした時。
 ふわっと。
 周辺の空気がわずかに冷たくなった気がした。妙なその気に、思わず傍らにいるルシフェルを見やる。
 そして、ぞっとした。
 虎之助の肩先に頭を預け、ルシフェルは唇の片端を吊り上げて笑っていた。ひどく冷めた笑みを浮かべながら左手を軽く持ち上げ、人差し指を、何かの形を描くように動かしている。
 その動きを目で追っていた虎之助は、やがて指先が描く模様が何か解り、動きを止めさせるように思わずその手を掴んだ。
 描いていたのは、逆さまの星型。
「お前……!」
 途端。
 遠くから中年男の「うわあっ!」という声が上がった。驚いて虎之助が声の方を見る。
 さっきのサラリーマンが、濡れたベージュ色のタイルの上に倒れていた。
 それを見て、虎之助は素早くルシフェルに顔を向け直した。
 ルシフェルは酷薄な笑みを浮かべている。ゆっくりと虎之助が掴んでいた手を持ち上げると、そこにどこからか飛来した一羽の大きな鳥が舞い降りた。
 真紅の、鷹。額には金の逆さ五芒星。
 それを見て、虎之助はあの中年に悲鳴を上げさせたのがルシフェルの仕業だとすぐさま理解する。
 カッとなり、虎之助は掴んだままのルシフェルの左手を引いた。なんだ? とでも言うようにルシフェルが視線を虎之助に返す。
「お前、一体何をしたんだっ!?」
「何って」
「式神を使って何したって言ってんだよ!」
 紅い鷹はルシフェルの式神だ。
 強く手を掴まれ、ルシフェルが眉を寄せる。
「痛い、虎ちゃん」
「お前は……っ」
「別に大した事じゃないだろうが。お前にぶつかったのに謝らなかったから仕返ししただけだろう?」
 何が悪いんだと言わんばかりのその言葉に、虎之助は厳しい顔になる。
 まるで子供のようだ。まともに善悪の判断ができないのかコイツは?
「大した事ないってお前、人の命を奪っておいて……」
 言いかけた、その時。
 倒れた男の元に駆けつけた駅員の声が聞こえた。
「ああ、よかった。怪我はありませんか?」
 へ? と虎之助は男を見る。男は上体を起こし、頭をかきかき苦笑していた。
「いやぁ、いきなり電話が爆発したからビックリして」
 駅員に見せるように、手の中にある携帯電話を差し出している。その携帯電話からは細い煙が立ち上り、バッテリーが本体から外れ、液晶画面が割れ、ボタンのいくつかが弾け飛んでいた。
「人の命が何だって?」
 すぐ近くからの声に、しばし呆然としていた虎之助はルシフェルに顔を向け直す。
「あ、あれ? 殺したんじゃあ……」
「殺したんじゃない。壊しただけだ。式に命じて」
 携帯電話を。
 遠くから、駅員が男に電話を使いながら歩くことをたしなめている声が聞こえる。先程男にぶつかられた若者が「ザマァミロ」などと毒づいているのも聞こえた。
 ルシフェルが唇をわずかばかり尖らせるようにして虎之助の顔を半眼で見据える。
「殺したほうがよかったか?」
 ……どうやらほんの少し怒っているらしいルシフェルに、虎之助は困ったように頭をかりかりとかいた。
 お前の性格を知っていたらどうみてもアレは殺したように見えるだろう、とか。
 そんなことするためだけに式神を使うな、とか。
 あんな怖い顔してたら勘違いされても仕方ないだろう、とか。
 いろいろと言い返す言葉は浮かんだが。
 浮かんだのだが――
「……悪かった」
 結局、ここは素直に謝っておくことにした。


<答えの提示>

 再び雨の中を相合い傘で予備校へと向かいながら、さっきの騒ぎで中断された「デートコース」についてを、虎之助はルシフェルに話していた。
「殺された女性たちの霊はまだ現場に残ってそうだけど」
「だが、残っていたとしても」
 言いかけたルシフェルの言葉に、虎之助は頷く。
 殺された霊は、確かにそこに残っている可能性はある。だが、おそらく、話を聞くことはできないだろう。
「恐怖と、あと負の感情なんかでいっぱいだろうからなあ……」
 そんなものに包まれながら死を迎えた被害者たちのことを思うと、胸が痛い。歯噛みするのを堪えるように、整った指先で自分の唇をついと撫でる。
 そんな虎之助の肩を、ルシフェルがぽんぽんと叩いた。
「だから、お前が来たんだろうが。これ以上そんな被害者を出さないために」
 その言葉に、虎之助は驚いたようにルシフェルの顔をまじまじと見つめた。ルシフェルがわずかに顎を持ち上げて目を細める。
「なんだ?」
 問いに、しばし考えるように口ごもる。ややして。
「……お前、好奇心でこの事件に首突っ込んだわけじゃないのか?」
 興味本位で「退屈なら俺と共に」云々と書き込みしたのかと思っていたのだが――さっきの言葉は、ただ興味本位だけで調べに来た奴のセリフじゃない。
 ルシフェルは、フンと鼻を鳴らして笑うと、片手を傘の下から出して雨を手のひらで受けた。それはまるで照れ隠しのようにも見える。
「……前に言ったことがあるだろう。俺にとって、死者の声はうるさいものなんだと」
 前に西瓜とメロンの護衛をした時の事だ。
 ああ、と虎之助は頷く。そして目で先を促した。
 雨粒を手で受けながら、ルシフェルは続ける。
「それは、俺が「真王」が祓ったモノ――殺されたりして浄化できずこの世に残り、悪さをする霊たちの意識がこり固まって生まれた者だからだ」
 それは初めて彼に会った時に聞いた話である。ルシフェルとミカエルはただの多重人格ではなく、ミカエルが行った退魔の仕事の結果生まれた人格がルシフェルなのだと。
 ルシフェルは横顔を向けたままさらに続けた。
「だから、分かる。殺された女たちの恐怖が」
 指で銃の形を作り、その銃口――人差し指を自らのこめかみに当て、ルシフェルは虎之助へ顔を向け、唇を歪めて笑った。
「真王が祓ったモノたちが死んだ時の記憶が、俺の中にはすべてあるからな」
 その言葉に、虎之助は切れ長の目を見開く。
「……お前、それでよく正気でいられるな」
 自分も死者の霊を自らの中に入れ、話を聞くことができる。その霊の意識を垣間見ることもできる。死ぬ瞬間の意識は……できればあまり触れたいものではない。すさまじい恐怖や怒りなどが荒々しく渦巻いている場合が多いからだ。
 なのに、そんな記憶を無数に有しているとは……。
 自分だったら気がふれているかもしれない。
 虎之助の言葉に、ルシフェルは小さく声を立てて笑った。
「狂っているじゃないか。ルシフェルと呼ばれている俺とは血が繋がっていないとはいえ、一応は「兄」である男を殺したがるなんて……正気の沙汰じゃないだろう?」
「あー……」
 確かにその通り、と答えることはできなかった。
 黙り込み、ポケットからハンカチを取り出して、ルシフェルの、雨で濡れた手のひらに乗せる。そして荒っぽく水滴を拭ってやりながら口を開く。
「そういや、お前の兄貴に脅されたぞ。お前についたら殺すってさ。お前が狂ってるっていうなら、兄貴も相当イカれてるな」
 ルシフェルは、手のひらを拭く虎之助の手を眺めながら無表情と無言を保った。構わず、虎之助は言う。
「俺は、お前らなんかに関わりたくないと思ってる」
「心配するな。お前に期待などしていない」
 さっきまでのような声音ではなく、どこか突き放すような口調だった。それにわずかばかり目を眇め、虎之助は拭いていたルシフェルの手をハンカチごと掴んだ。
 怪訝そうにルシフェルが虎之助を見る。
「なんだ?」
「本当は、巻き込まれるのはごめんだ。ごめんなんだが……」
 どういう顔をすればいいのか困った末、結局、苦い笑いを浮かべて。
「まあ、しょうがないから付き合ってやるよ」
 虎之助が発したセリフに、ルシフェルが目を瞠った。それに、慌てて言葉を足す。
「ただし! 俺は兄貴を殺さないで済む道を見つけたい。俺は殺す為に付き合うんじゃないからな。いいな?」
 きっと、ミカエルは兄を殺したいなどとは思っていないはずだ。
 なのに、もし自分の別人格が兄を殺したとなれば……激しく苦悩するに違いない。きっと自分の中に自分とは別の人格があると気づいた時以上に。
 じっと真顔で自分を見ているルシフェルに、虎之助は言い聞かせるように目を見据えて言を継ぐ。
「ミカの為にも……お前の為にも、殺さなくていいなら人なんか殺すな」
「ミカの、為……」
 何かに迷うように、ルシフェルは雨がはねるアスファルトへと視線を落として黙り込む。 虎之助の決断に対して、それでいいとも悪いとも、言わなかった。
 そうこうしている内に、予備校の建物が見えてきた。その隣にある喫茶店からだろうか、雨の匂いに混ざってコーヒーのいい匂いがしている。
 ぽん、と。
 気を取り直して、虎之助は予備校を見上げながらルシフェルの頭に手を置いた。
「ま、とりあえずは予備校に潜入するとするか。これ以上お嬢さんに危害及ぼされる前に片付けないと、な」


<潜入>

 二人が何食わぬ顔で予備校潜入を果たした時、ちょうど休み時間だったらしく、何人もの生徒が廊下を往来していた。廊下の隅に設えられた休憩所に向かう者、もう目的の授業を受け終えたのか足早に出口に向かう者。さまざまな生徒たちが二人とすれ違う。
 とにかく、情報を集めたくてここに来たのだが――さて。誰に声をかけたものか。
 成績で悩み自殺した者などがいないか。同じ予備校の生徒を狙うのならそういう線もあるかと思ったのだ。
 ……やはりそういう話なら、生徒よりは校の関係者に聞くべきか。
「虎ちゃん」
 そこらを歩いている講師はいないかと視線を巡らせていた虎之助は、傍らからルシフェルに呼びかけられて振り返る。もうその呼称についてツッコむのを諦めた虎之助である。嫌な顔をすればするほど、喜びやがるからだ。
 ルシフェルは窓から外の様子を伺うようにしている。
「関係者に話を聞くならしばらく入口で待つほうがいいぞ」
「なんでだ?」
「学苑長がいる」
 窓の外を指差され、虎之助も外を見やる。確かに、一人の中年オヤジがいるにはいるが……。
「なんであれが学苑長だって分かる?」
「ネットでここのサイトを見たら、アイツが学苑長として写真付きで出ていた」
 なるほど、予習済みというわけか。
 そのルシフェルの言葉に従うように、虎之助は踵を返した。


「成績を苦に自殺した者?」
 建物の三階にある、学苑長室。
 その部屋の中央にある応接セットの黒革張りソファに腰を下ろして、入口で捕まえることに成功した学苑長の高倉という男は緩く首を振った。
「いいや、そういう生徒はいませんね。仮に成績で悩んでいても、死んだりせずに別の学校へ移るでしょう」
 確かに、それもそうかもしれない。
 となると、成績苦で自殺した者の霊、という線はないか。
 霊ならば自分の中に下ろして縛し、なだめて話を聞いてやり、凶行を止められるかと考えたのだが。
 高倉と、ガラス製のローテーブルを挟んだ真向かいに腰掛けている虎之助は、さてどうしたものかといった風情で腕を組み、目を宙に向ける。
 ルシフェルはというと、ソファに座りもせず窓の外を退屈そうに眺めていた。
 そんなルシフェルを、高倉が見る。
「君たちも草間興信所から来たと言っていたね」
 ……そうである。
 高倉と最初に会った時、事件について聞きたいと率直に言った所、相手は「君たちは?」とひどく胡散臭げに二人をねめつけたが、次には何かを思い出したように表情を和らげて「君たちも草間興信所から来たのかね」と言ったのである。そこでそれ以上胡散臭がられる前にこれ幸いと「はい」と答えたのだ。
 虎之助は愛想笑いを浮かべながら高倉の様子を伺う。
「そうですが、何か?」
「いや、そっちの彼がね、興信所との仲介をしてくれた青年と似ている気がしたんだよ」
 その言葉に、虎之助は双眸を見開いた。すぐさま反射的にルシフェルを見るが、ルシフェルはそんなこと気にも留めていないのか、ガラスの向こうに視線を留めたままである。
 似ている青年。それはおそらくルシフェルの――いや、「真王」の兄だ。
 虎之助に走る微妙な緊張に気づかず、高倉はゆっくりと足を組み上げた。
「とりあえず、しっかり頼むよ。これ以上悪い評判が立ったら我が校としても困るからね」
(亡くなった生徒のためではなく、学校のため……か)
 経営者としてはそれも仕方のないことだとはいえ、なんとなくやるせない気持ちになる。
 ソファから腰を上げると、虎之助は礼を述べて頭を下げた。そしてルシフェルに声をかける。
「行くぞ」


<一休み>

 また再び駅前まで戻り、予備校周辺の事件現場だった場所を回って霊の存在を確認した二人は、調査現場を一つだけ残し、近くにあった喫茶店で軽く遅めの夕食を取っていた。
 霊は、やはり虎之助が考えていた通り、すさまじい恐怖や悲しみ、怒りに囚われていて、まともに話を聞くことができなかった。喉の辺りを何度も何度もかきむしりながらその場に残っている彼女たちを、虎之助はどうしてやることもできなかったのだが、ルシフェルが術を使い、その場から解放してやっていた。
 ――浄化させるという方法ではなく、跡形もなく霊魂をこの世から消し去る、というかなり暴力的な方法ではあったが。
 それでも、ルシフェルはルシフェルなりに彼女たちがここで苦しみ続けるよりはマシだと思ってやったことだと思いたかった。
 西瓜の事件の時もそうだったが、彼はただ態度が悪い口が悪いと言うだけで、霊に対して優しさが全くないというわけでない。大体、彼自身が言っていたように死する時の気持ちがよく分かるなら、苦しんでいる霊に対して冷淡にできるわけがない。
 そう考えると、やはり「存在を消し去る」という一見冷酷そうに見える方法とはいえ、それが彼なりの優しさなのだろう。
 闇が増すにつれ人工的な光が増えて行く街並み。それを窓際の席で頬杖をついて眺めながら、虎之助は浅い吐息を漏らす。駅前は、まだ人通りが多い。
 何故事件現場の近くでもある予備校横の喫茶店ではなくわざわざ駅前の店に入ったのかといえば、ただ単にルシフェルが「そこの店はダメだ」と予備校横喫茶店に対して意味不明のダメ出しをしたためである。何がダメなのかと聞いても「俺が嫌だからだ」という、ワガママ以外の何物でもないご意見しかその口からは出てこなかった。
 あまりにも嫌だ嫌だと言うので「入ったことがあるのか」と聞くと「ない」と答える。
 ……入ったことのない店の一体何が嫌だと言うのか……。
 そこら辺が謎のままだったが、まあこちらの店のパスタとコーヒーが非常に美味かったので、とりあえずはそのまま流してやることにした。
 というか。
(なんで俺、コイツのワガママにばっかり付き合わされてんだろ……)
 なんとなく、ルシフェルも自分相手にならワガママを言っても許されると思っていそうな感がある。これが女性ならまだしも、なんで野郎なのに律儀に付き合っているんだろうと、自分で自分が不思議でならない。
 頬杖をついたまま、大きなため息をつく。それに、ちらりとルシフェルが視線を寄越した。
「なんだ? 食いすぎたか? モデルなんだったら体型維持に努めんとな」
「あいにく、食ったからってすぐに太る体質じゃないもんでね」
「顔がいいというのは得だな。顔だけで世の中渡っていけるだろう?」
「お前はもう少し人に対する遠慮だとか愛想だとかを覚えろ。世の中渡って行くためにな」
「それは俺の役目ではない。ミカがその辺は上手くやれる性格だからな」
 片手で頬杖を付いたまま、白いティーカップに残ったミルクティーを口に運び、ルシフェルはまた窓の外へと視線を移す。そのカップの中の液体が、ミルク多めな上に砂糖四杯入りの激甘ティーだということに、虎之助は苦笑をこぼす。クールな性格から甘い物はダメなのかと思いきや、意外や意外、激甘党らしい。砂糖を四杯放り込むのを見て、目を丸くしたものである。
「お前こそ、そんな甘いモノ飲んでて大丈夫なのか?」
「ミカが甘い物を受け付けん奴だから、バランスは取れている」
「ホントにお前ら正反対だな」
「そうだな。俺がミカと同じ性格だったら、多分那王も俺を殺そうとはしないんだろうが」
 ぽつりと呟いたその言葉に、虎之助は怪訝そうな顔をする。
 今の言葉だと、彼らの兄が狙っているのは「真王」ではなく「ルシフェルのみ」というように聞こえたが?
「もしかして、鶴来が殺そうとしているのってお前だけなのか?」
「殺そう、というより、消そうとしているというほうが正しいが。俺は本来真王の中にあるはずがない意識だからな。可愛い弟の中に変なモノがいるということが、奴には許せんのだろう。俺を消すためならどんな嘘もどんな汚い事も平気でやるぞ、アレは」
 ティーカップをソーサーに戻すと、ルシフェルは席を立つ。そして白い壁に掛けられている時計を見やった。針は九時前を差している。もちろん午後の、だ。
「急げ、虎ちゃん。最後の現場に行くぞ」
「おいっ」
 レシートを引っつかむルシフェルの手から素早くそれを抜き取り、虎之助も席を立った。何をそんなに急いでいるのかとわずかに目で問うと、ルシフェルは出口に向かいながら答えた。
「次の被害者を出したくないんだろう?」
「!」
 その言葉に、虎之助はレシートと財布から素早く抜き出した五千円札をレジに叩きつけると、釣りはいいからと言い置き、弾かれたように店を飛び出した。


<雨中の殺意>

 雨足は強くなっていたが、傘を差すのももどかしくなり、虎之助はそれをルシフェルに差し出して一人、先にダッシュで現場に向かった。
 急げと言ったにも関わらず、どうやらルシフェルは虎之助だけ先に現場に行かせて、自分は後でゆっくりと様子を見に来るつもりらしい。
 まあ別にそれでもいいかと思う。とりあえず、事件を目の当たりにすれば犯人はわかるだろう。モタモタしてはいられない。
 記憶している事件現場に向け、角を一つ曲がる。
 場所としては、駅前は駅前なのだが路地を一つ後ろに入っているためか車の通りも人通りもほとんどない。雨が激しいからではなく、おそらく普段からこんな感じなのだろう。
 行く手を阻むように強さを増す雨を鬱陶しく思いながら目を細め、駆ける。雨音だけが周囲に満ちている。
「っ!」
 その雨の向こう。
 幾つかの人影が見えた。薄暗くてよく分からないが、こちらに背を向けて立っている男が一人、髪の長い女性が二人、そしてもう一人男がいる。何やら、女性二人が首元に手を当ててもがいているように見える。
 こちらに背を向けている男が、何かを叫んで嗤っているようだった。近づくにつれて見えてくる。暗い茶色のスーツを纏った男の背中と、少し距離を置いて向かい合うように立つ黒いスーツの男。そしてその隣で苦しんでいるのは。
「あれは……!」
 見覚えのある女性だった。自分の髪が首に絡みつき、どうやらそれが喉を絞めつけているらしい。
 ようやく、虎之助にも事件の形が見えた。
 犯人は、この、こちらに背を向けている男だ。その男が何らかの力であの髪を操っているに違いない。
 黒スーツの男が、動いた。どうやらこの犯人らしき男に直接攻撃をしようとしているらしいが……。
 それより先に。
 猛ダッシュした虎之助は、勢いをそのままに、思い切り犯人の背中に蹴りを見舞っていた。
 そして、げしりと容赦なくうつ伏せに倒れた犯人の背中を雨と泥で汚れた靴底で踏みつけ、濡れて乱れた前髪をかき上げてから右腕の肘のところに左の手のひらを当て、右手の人差し指と親指で顎を挟み、ひどく冷め切った顔つきでその男を見下ろして。
「ったく、ステキなお嬢さん二人に向かって何しやがるんだこの野郎は」
 吐き捨てるように言った。
 その場にいたのは、おそらく、学苑長が言っていた「草間興信所から来た」者たちだろう。男が倒れたと同時に喉を絞める髪から解放されて足から崩れ落ち、咳き込んでいるのはシュライン・エマと海原みなも。そして、黒スーツの男は、ルシフェルの兄・鶴来那王だった。


<導き>

 何度も咳き込み、ようやく落ち着きを取り戻したシュラインとみなもは、虎之助に踏みつけにされたままの犯人――宮野猛を見た。
 すでに自らの罪を全て暴露してしまったからだろうか、しばらくは暴れもがいていたものの、今はもう踏みつけられるがまま、おとなしく汚れた水溜りの中に頬を沈めていた。噴火した火山の如く、胸の内にわだかまっていたモヤモヤとしたものが、暴露とともにとりあえず鎮まったのだろう。
 げしりともう一度その背を踏みつけ、虎之助は覇気なくされるがままになっている宮野を見下ろす。
 こいつが予備校の講師で、女生徒との交際のもつれで一人目を殺害してから、何となく長い髪の女子生徒が講義をしているクラスにいると殺意を覚えるようになり、次々と犯行を重ねていたということをシュラインとみなもから聞き、さらに怒りを募らせた虎之助である。
 踏みつけられて、ぐぇ、と宮野がカエルが潰れるような声を上げる。
 みなもが眉をしかめて少し非難するような目で虎之助を見た。
「もう足を下ろしてあげてください」
「……また変なことしようとしたら蹴るだけじゃすまんからな。すぐにお前を潰してやる」
 諌められて、虎之助は剣呑な言葉を吐きながらもゆっくりと足を下ろした。宮野がのろのろと体を起こす。
 その前にみなもがしゃがみこみ、スカートのポケットから取り出した白いハンカチを彼に差し出した。
「顔、拭いてください」
 自分を殺そうとしたものにまで優しく接する事ができるみなもに、シュラインは苦笑を浮かべた。そして落ちている自分とみなもの傘を拾い、みなものものを本人に手渡す。
 二人の首筋には、赤い筋がくっきりと浮かんでいる。それが痛々しくて、虎之助は自分に傘を差しかけてくれたシュラインの喉を指差した。どれほどきつく絞められたか一目で分かるというものだ。
「大丈夫ですか?」
「ええ、なんとか。来てくれて助かったわ。でも、どうしてここに?」
「雫ちゃんの掲示板に書き込みがあったんですよ。この事件の調査をしないか、と」
「ああ、あの掲示板ね」
 肩にかかる黒髪を背に払いのけながら呟くシュラインに、虎之助は彼女もあの書き込みを見ていたのだと知る。
 それにしても……と、みなものハンカチで泥水で汚れた顔を拭いている宮野を見、虎之助が厳しい表情のまま濡れた前髪をかき上げる。
「よくもまあそんな理由で関係ない女性まで殺せたもんだな」
「最近は、誰でも容易く人を殺したりできる「闇」の方へと落ちてしまうから……怖いわね。何が引き金になるかわからない」
 柳眉を寄せ、シュラインも宮野を見下ろす。
 みなもは、しゃがみこんだまま小さく頭を振った。そしてまっすぐな眼差しで宮野を見る。
「あなたは生徒のみなさんの「大学入学」という夢をかなえてあげるというすごい仕事をしているんです。だから、しっかり立ち直って、もっと多くの人の夢を叶えるお手伝いをしてあげてほしいです」
 一人では成しえる事ができないかもしれない夢を、実現させるためのサポート役。実際に、彼が今まで教えた生徒の何人もがその夢を叶えて大学生活を送っているはずだ。
 宮野が、まっすぐすぎるみなもの視線から逃げるようにうつむく。罪人にとって、その視線はきっと、何よりも痛いものだろう。
「でも、俺は……」
 濡れた両手を見下ろし、震える声を宮野が紡ぐ。
「俺は、もう、だめだ」
「ちゃんと罪を償ってください。逃げるのも、諦めるのもダメです。亡くなられた女性の家族のかたたちは、あなたの犯した罪で、言葉にできないほどの痛みを背負ってしまわれたんですから」
 逃げる事も諦める事も、許されない事だと。
 幼さを感じさせない青い断罪の眼差しで、みなもは言う。
 宮野が、もう一度みなもを見た。そしてがくりとうなだれる。その腕を引き、みなもは彼を立ち上がらせた。
「あたしが一緒に警察に行きます。自首、しましょう」
「俺は……俺は……」
 もう、宮野には逃げる気力も抵抗する気力も、攻撃を繰り出す気力もなくなっているようだった。それは諦めではなく、どこか途方に暮れているようである。
 芽生えた殺意の種は、きっとみなものまっすぐすぎる穢れのない瞳の前に、崩れ去ってしまったのだろう。
 立ち上がった宮野の腕を支え、みなもがシュラインと虎之助を振り返る。そして事の成り行きを静かに見守っていた鶴来へと視線を移し。
「あたし、一緒に行きますね」
「お一人で大丈夫ですか? 俺も行きましょうか」
「平気です。あたしには味方がついていますし」
 傘の下から空を見上げる。降り頻る雨足は弱まる気配を見せない。水を操れるみなもにとって、これ以上強い味方はいないだろう。宮野の手の内を解した以上、もう油断して首を絞められることはないはずである。
 ぺこりと頭を下げて、みなもは宮野と共に歩き出す。
 シュラインと虎之助は顔を見合わせた。
 とりあえず、これで事件は解決……だろう。


<終――殺意に枷をつけたのは>

 去って行く二人の背中を見送ってから、虎之助は、今の今まで何かを忘れていることに気づいた。
 なんだっけ、と視線を彷徨わせながら考えて――それが鶴来那王の姿を捉えた時、瞬時に頭の中に閃光のようにその「忘れているもの」が浮かぶ。
 アイツはどうしたのか。
 何だか、ひどく……ひどく嫌な予感がする。
 一刻も早く、その姿を見つけないといけないような気がするのだ。
 シュラインがその自分の手に傘を握らせた事も気を止めず、虎之助は周囲を見回していた。シュラインは鶴来の方へと素早く駆け寄り、鶴来の差している傘の下に入っている。何事かを話しているようだった。
 が、それよりも。
(一体どこ行ったんだ、ルシフェル!)
 まさかこの場所に辿り着けずに道に迷っている、などということはありえないだろう。ヤツも、事件の起きた現場は全て記憶していたのだから。それに、喫茶店を出る時に、めちゃめちゃ自分もここへ来る気マンマンだったはず。来ていないわけがないのに。
 どこで別れたっけ? と記憶をほじくり返していた時。
「鶴来さん!」
 シュラインの悲鳴に似たその声に、虎之助は振り返った。
 その目に映る、光景。
 倒れている鶴来。濡れた地面に膝をつき、右頬を赤く染めたシュライン。
「鶴来……!」
 すぐさま自分もそちらへ駆け寄ろうとした。
 が、その行く手を阻むように、何かが目の前を過ぎる。何かと目で追うと、それはシュラインにより抱き起こされた鶴来の胸と左肩の上に、音も無く降り立った。
 真紅の、見事な二羽の鷹。
 禍々しいほどに、その額にある金の逆さ五芒星が輝いている。
 その鷹が――式神が、誰の物であるかを知っている虎之助は、鋭く闇を斬るように眼差しを転じる。
「ルシフェル!」
 視線の先には、電柱に取り付けられた粗末な街灯が生み出す明かりの下に傘を差して立っている青年がいた。虎之助の険しい声に、シュラインが鶴来に向けていた目を上げる。
 ルシフェルは、ゆっくりと傘を持つのとは逆の手を持ち上げた。すると、鶴来の胸に止まっていた鷹が音もなく羽ばたき、その手の甲に舞い降りる。
 それを肩に移すと、ルシフェルはシュラインと鶴来の方へと歩み寄った。思わず、鶴来を守るようにその腕で体を抱きしめ、近づいてきた青年を睨みつける。
「貴方なの? 鶴来さんに何かしたのは」
 だが、そんなシュラインに構わず、ルシフェルは片膝を折って身を少しかがめ、手を伸ばして鶴来のスーツの胸ポケットに指を突っ込んだ。そして中から、小さな瓢箪を取り出す。
「抵抗も反撃もせずみすみす呪詛を受けるとは……馬鹿なヤツだな。力がないわけではないだろうに」
 鼻で笑い、鶴来の術具の一つである小瓢箪を軽く宙へ投げてから再びキャッチして手の中に戻し、ブラックジーンズのポケットに突っ込んで立ち上がる。そして、どこへともなく歩き出した。
 すぐさま虎之助はその後を追いかける。
 角を曲がった所で、その肩を捕まえることに成功した。
「ルシフェルお前……っ、殺すなと言っただろうが俺は!」
 怒りをはらんだその声に、ちらりとルシフェルが虎之助へと視線を返す。そして、唇を歪めて冷笑を浮かべた。
「誰がお前のいう事を聞くと言った?」
「な……っ」
 言葉に詰まる。
 確かに。
 確かに、自分が「殺すな」と言っただけで、ルシフェルはそれに従うなどと言うことは一言も言っていない。
 だが、心のどこかでは「大丈夫だろう」と思う自分がいたのである。
(コイツが俺のいう事を聞くと、俺は思い上がっていた?)
 何を言っても無駄なのだろうか、コイツは。
 胸に、なんとも言いようのない思いがこみ上げる。
 肩から、わずかに震わせながら手を離す虎之助を、ルシフェルはしばし冷めた笑いを浮かべて眺めていたものの、やがて口許に拳を当てて小さく笑った。
 ひどく、愉悦に満ちた声だった。
 驚いて、わずかにうつむけた視線を持ち上げる。
 ルシフェルは、傘を虎之助に差しかけながら空いた手を伸ばして虎之助の頭にポンと置いた。
「俺は那王を殺していない」
「へ?」
 虎之助は目を瞠った。思わず両手でルシフェルの肩を掴んでゆさゆさと前後に揺する。両肩に式神が止まっていたものの、そんなことは気にはしなかった。
「お前、殺してないのか?! ホントに?! ホントにか?!」
「うるさいな。後で那王の近くにいた女にでも聞いてみればいいだろうが。第一、お前に嘘をついても何の得もない。……お前が言った事を無視してガタガタ文句を言われるのも鬱陶しいしな」
 右目を細めて、本当にうるさそうに片耳を塞ぐ。
 面倒くさげに紡がれた言葉は、自分が殺すなと言ったから殺さなかったのだと言っている。
(俺の言う事を、聞いたのか?)
 自分の言葉が、彼の鶴来への殺意に枷をつけたのか?
 けれどそれを問う間を与えず、ルシフェルは真顔に戻った。視線が虎之助の肩を通り過ぎ、どこかを見ている。
「だが、かなりのダメージは受けているだろうな、那王の奴」
「何?」
「普段から持ち歩いているはずの呪詛避けの人形(ひとがた)を、今日は持っていなかったようだからな。まともに呪詛を被ってしまっているだろう。今回の件が俺の差し金でないと思い、油断していたんだろうが」
 いくら自分が力をセーブしたとしても、きっとタダでは済むまい。
 そう付け足すルシフェルを、虎之助は彼の肩を掴んだまま、間近に眺めていた。
 しばし遠くを見るように逸れていた黒い瞳が、虎之助の瞳を見る。
 そしてじっとその顔を見て――ルシフェルは自分の首筋に手を伸ばし、そこに掛けていた銀色の細い鎖をひっぱった。音も無く、鎖が切れる。
 その銀鎖を、虎之助に差し出した。鎖には黒い珠が吊るされている。黒真珠かと思ったが、それよりももっと黒い。黒曜石……?
「何だ、コレ?」
「鎖は後で買い換えろ。珠はなるべく肌身離さず持っておけ」
「だから、何だよコレは」
 受け取って、手のひらの上に鎖と珠を乗せる。街灯に照らされて、つるりとした光を宿している黒珠。
 ルシフェルは、肩に乗せた鷹の一羽の頭を指先でなでながら、顔を駅前の大通りの方へと向ける。そちらの方から、救急車の音が聞こえてきた。どうやらこちらに向かって近づいてきているらしい。鶴来を迎えに来たのかもしれない。
「多分、那王が回復したら……お前、狙われるだろうからな」
「は?」
 言われて、思い出す。真王についたら殺すと言われていた事を。
 たとえそれが、那王の命を狙う手助けをするわけじゃなくても、だろう。
 ルシフェルの横顔から、手の中の珠へと視線を落とす。
「これが何とかしてくれるのか?」
「お守りだ。大事にしろ」
 言って、ルシフェルは虎之助の手に傘を押し付けると、そのまま雨の中へ駆け出す。
「おい、ルシフェル!」
「じゃあな」
 たった一言だけ残し、振り返りもせず駅前の交差点を駆け抜けて行く。その姿はすぐに人の中にまぎれて見えなくなった。
「……お守り、ね」
 一人残された虎之助は、半信半疑のまま、その黒珠へとまた視線を落とす。けれど、自分の言う事を聞いて鶴来を殺さなかったルシフェルの事だ。きっと、これは本当にお守りなのだろう。そう、思える。
「ったく。困った奴だな」
 唇を彩るのは、微苦笑。
 闇の中で鈍く光る黒珠は、まるでルシフェルの目のようだった。
「ま、せいぜい命を守ってもらうとするか」
 言って、虎之助はその黒珠に軽く口付けると、手ごとポケットの中に突っ込み、帰途に着くため駅に向かって歩き出した。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0689/湖影・虎之助(こかげ・とらのすけ)/男/21/大学生(副業にモデル)】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?

 湖影虎之助さん。大変ご無沙汰しております。お元気でしたか?
 再会できてとても嬉しいです。
 またしてもこのどうしようもないNPCにお付き合いいただき、ありがとうございました(笑)。
 例の質問の答えを持ってきてくださったことで、草間興信所側のNPC・鶴来那王の命がかろうじて助かっています。
 もしあの答えがなければ…彼は迷うことなく呪をかけていました。そして今回、興信所側には鶴来を守れる人がいなかったため、そのまま呪殺が成されてしまったでしょう。
 今後、その遠まわしに命を助けた人に狙われるハメになりそうですが…強く生きてください虎之助さん(笑)。

 …しかし「虎ちゃん」という呼び方はどうなのでしょう…(笑)。気に入らんという時はそう遠慮なくご連絡ください。次から改めさせますので(笑)。
 最後に渡されたモノについては、作中でルシフェルが語っているとおりです。持っておいていただけると安心かと。当然、逢咲のシナリオでしかその効力は発揮されませんのでご注意を。

 もしよろしければ、感想などをお気軽にクリエイターズルームかテラコンからいただけると嬉しいです。今後の参考にさせていただきますので。

 それでは、今回はシナリオお買い上げありがとうございました。
 また再会できることを祈りつつ、失礼します。