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乙女ゴコロは問答無用っ!
ドカン! という破壊的な音を上げて部屋のドアが開かれても、隼の目はディスプレイから離れず、手も端末のキーボードを鮮やかに叩き続けていた。
続けて、ドスドスと迫力のある足音と共に、何者かが背後から近づいてくる気配……
振り返らなくても、誰かはわかる。というより、今までの人生において、そんな遠慮のない奴は1人しか知らないから、今更振り返る必要もなかった。
そして……
「は〜や〜ぶ〜さぁーーーーっ!!」
自分の名が呼ばれ、何者かが背中から抱きついてくる。
「ぐえ」
その力は……予想していたよりも3割くらい強かった。誤算があったとしたら、そこだろうか。
「落ち着け馬鹿野郎! 絞め殺す気かぁーーーっ!!」
喚いてじたばた暴れると、なんとか戒めが解かれる。
軋みを上げていた肋骨をさすりつつ振り返ると、そこにいたのはやっぱりウルトラ可愛い同居人(彼女本人の弁)の桜夜だった。なにやら両手を顔に当てて、ふるふると肩を揺らしている。
「……どうした?」
気乗りしなかったが、一応聞いた。無視などしたら、命がいくつあっても足りない。そんな事は身に染みてわかっている。
桜夜は、か細い声で……
「ねえ……アタシって不細工?」
いきなり、そう尋ねてきた。
「…………は?」
とたんに、隼の眉が寄る。
真っ先に頭に浮かんだのは「何の罠だろう?」という疑念だ。
桜夜は、相変わらず肩を震わせつつ、顔を覆った指の隙間から隼を見上げている。
「…………」
「…………」
そのまま、しばし静かな時が流れ……
「何よっ! 乙女が泣きながら帰ってきたってのに! 他にかける言葉はないのっ!!」
先に口を開いたのは、桜夜の方だった。
「……おまえ、別に泣いてなんかないだろ」
「うるさいっ! そーいう細かい事なんかどーでもいいのよ! なにさ! 隼の馬鹿! アホ! 間抜け! この××××××(検閲削除)!!!」
嘘泣きで震わせていた肩が、今は本物の怒りで揺れている。
「こうなったら……」
「な、なんだよ」
「浮気してやるっ!!!」
びし、と人差し指を隼の顔のど真ん中に突きつけ、高らかに宣言してみせた。
「はあ……?」
「止めても無駄だからね! この甲斐性なし!!」
一方的に言いまくると、あとはくるりと背を向け、部屋のドアへと歩いていった。
ばきっ、と、物凄い音と共に閉じられたスチールドアの蝶番が一瞬にして弾け飛び、斜めに傾いで止まる。
「…………」
隼は、しばしその様をただみつめるのみだ。
……一体、なんだったんだ……?
理由も何も皆目わからない。
1人でやってきて1人で怒って1人で出て行ってしまった桜夜……
何事かを尋ねる隙さえなかった。
まあ、こんな事は大して珍しい出来事でもないのだが……しかし……
「……」
腕を組み、やや難しい顔をする隼。
彼の頭の中では、扉の修理費と、桜夜の言った『浮気』という文字がくるくると回り始めていた。
──数時間後。
「……ふう」
飲み干したサプリ飲料の缶をくしゃりと握り潰し、自動販売機脇のゴミ箱へと放る桜夜。
その顔は、多少晴れ晴れとしていた。
派手さと露出を20%程増した服に着替えて真っ先に繁華街へと飛び出して来たのだが、人通りの多い道を歩き始めて5分とたたないうちから、次々と何も知らない犠牲者──いや、彼女の魅力に惹かれた男達が寄ってきては、口説き文句を言いつつ桜夜に迫ってきた。
……いわゆる、ナンパだ。
ただ歩いているだけでも目立つ美少女なのに、思わせぶりな視線を道行く男達に振り撒いたりもしていたからたまらない。
不良っぽい奴、真面目そうな奴、仕事帰りのサラリーマン、赤ら顔のスケベオヤジ……等々、レベルも種類も様々な男達が、誘蛾灯に引かれる虫みたいな勢いで、桜夜の前にやってくる。
一方の桜夜の方はというと、居並ぶそいつらの中からこれはというのを選んでは、食事や買い物やカラオケにと連れ回し、思う存分遊び、飲んで、食って、歌って、踊って、貢物までさせて……最後はポイっと捨てた。
そこらへんは、血も涙も容赦もない。
もっとも、いかにも遊んでいそうな奴とか、女を食い物にしていそうなのとか、ヤクザっぽいのとか……きちんと相手を選択している。それに関しては、桜夜の目は確かだった。
かくして……見事なまでに憂さを晴らし、今は一息ついていた所というわけである。
「さて、では後はかーるくデザートでも食べたら帰ろっかなー♪」
などと言いつつ、人ごみへと目を向ける。
デザート、とは、おそらくそのままの意味ではないだろう。
この場合は、やっぱり新たな獲物となる可哀相な男性を示す言葉に違いない。
「ん〜、あれはパス。あれはイマイチ。あっちは30点……なかなかいいのがいないわね。こうなったらあそこで女の子に声かけてるキャッチのお兄さんについてって、店ごと占領しちゃおっかな……」
ニコニコ笑顔で、そんな事を呟く桜夜。
冗談でなく本気なのだから恐ろしい。
が……そんな美少女の背後に近づく、暗い顔をした男達の集団があった.
「おい、そこの女……」
「うん? なーに?」
天使の微笑で振り返ると、そこにはいかにも悪そうな面構えをした、10数人もの男が……
「……あの馬鹿、何やってんだか……」
そこから100メートル程離れた所で、力なくため息をついた少年がいた。隼だ。
手にした携帯の液晶画面には、男達に囲まれて、近くの路地へと入っていく桜夜の姿が映っている。
見た目は普通の二つ折り携帯なのだが、電話、写真、通信、GPS機能などはもとより、TV受信、及び20倍ズーム機能つきTVカメラ、高性能集音マイク、赤外線カメラ、動体探知機……等々、さまざまな仕掛けが施された品であり、ほとんど007が持っているようなシロモノだ。
実は某N社が開発した次世代型携帯にオリジナルの機能を内包させた、世界に一台しかない端末機器なのである。
これは、隼が暇つぶしに某N社の重役連中の女性関係を調べ上げ、詳細なレポートにして送りつけたところ、向こうから『どうぞお使い下さい』と進呈された物だったりするのだが……まあ、それはこの際置いておこう。
半径数十メートル以内のいい男は無条件で探知する桜夜レーダー(本人談)を避けるため、たっぷり100メートルの距離を保ちつつ、彼はこれで尾行と監視を行っていたのであった。
「ったく……しょうがねえなぁ……」
苦い顔で頭を掻きつつ、隼もまた、その路地へと近づいていく。
……手遅れにならなきゃいいが……
と、彼は考えていた。
桜夜が、ではない。
それ以外の者が、だ。
「……てめえ、さっきはよくも恥かかせてくれたな」
桜夜の目の前で、怒りの形相を隠そうともせずにそう言う男。
一方の桜夜は……
「あんた、誰?」
真顔で、すぐにそう問い返した。
「ふざけんな! 1時間前に散々メシ奢って買い物まで付き合ってやったろうが! 馬鹿高い銀のリングなんか買わせやがって! おかげでこっちはカード破産寸前だ! しかもそれでいて手も握らせねえでとっとと姿くらましやがって……どういうつもりだってんだよ!」
叫び声が、狭い路地にこだまする。
「あー、いたっけ、そんなの。でもよく覚えてないや。あはははは」
「笑い事じゃねえ! コケにしやがってこのアマ! ただじゃおかねえぞ! おい、てめえら!!」
男が周囲に目をやると、他の者達がさっと桜夜を取り囲んだ。幅2メートルもない路地なら、包囲も簡単だ。
「……覚悟しやがれ。全員で嫌って言うほど可愛がってやらあ」
下卑た笑い顔を浮かべる男達……
「ふーん」
桜夜は、それらの顔をさっと見回して、あからさまに顔をしかめた。
「いい男ばっかりなら、そのお誘いも大歓迎なんだけど……あんた達じゃあねぇ……パスパス」
「なんだとこのアマぁ!」
「その口利けなくしてやるぜ!」
怯えた気配などまるでない様子に、逆上した男達が一斉に襲いかかってくる。
「それにさ……女を口説くのに数を頼みにするなんて、下の下じゃない。あたし……そういうの大嫌いなんだよね」
小さく呟き、口元に微笑を浮かべた。
ぞっとするほどに美しい表情と共に、何かがひらりとその場に舞い始める。
季節外れの、桜の花片……
と──
「やめろ馬鹿野郎っ!」
不意に新たな声がして、路地の片隅から空き瓶が詰まったビールケースが丸ごと飛んでくる。
「どわぁっ!?」
それは、見事に男達のうちの1人の顔面に真正面からぶち当たり、派手に吹き飛ばした。
投げた人物は……
「あれ? 隼、どしたの、こんな所で?」
「……そりゃこっちの台詞だ。つーかお前、一般人相手に式神なんぞ使おうとしやがって……殺す気か?」
「大丈夫よ。馬鹿は殺しても罪にならないから」
「それを裁判所で堂々と言ってみろ。もれなく精神鑑定してもらえるぞ」
「そっか。ね、精神科のお医者さんって、いい男多いかな?」
「…………あのな」
笑顔で尋ねてくる桜夜に、全身の力が抜けそうになった隼であった。
「て、てめえ! いきなり何しやがる!」
「やかましい、雑魚はとっとと消えやがれ」
「なんだと!」
「さてはこの女の連れだな!」
「構うこたぁねえ! やっちまえ!」
隼のいきなりの登場に面食らった男達だったが、圧倒的な数の優位には自信があったらしい。逃げずに隼にも殴りかかってきた。
「ったく……色気に迷うにしても相手を選べってんだよ……アホ共が……」
「……なんか言った、隼?」
「うんにゃ、何も。それよりお前は何もするな。そこにいろ、いいな!」
桜夜にそう告げると、最初にかかってきた奴の顔面をカウンター気味の拳でぶちのめす。
ごっ、と小気味のいい音がした。
「きゃー、いいぞ隼ー! がんばれー♪」
「野郎っ!」
「一斉にかかれ!」
美少女の黄色い声援を一身に受ける隼に、ますます頭に血を上らせた男達が、修羅の形相で向かってくる。
「……やれやれ」
ため息交じりで、それを迎え撃つ隼。
路地に怒声と鈍い音が響き……やがて静かになるまで、それ程の時間はかからなかった。
「……相手が俺でよかったな。感謝しろよ」
最後の相手を背負い投げの要領で地面に叩きつけ、そう言ってやる。
白目を剥いて気絶した男が果たして感謝したかどうかは謎だが……とにかく、それで終わりだった。
「凄いぞ隼ー、強い強いー♪」
「……はいはい、あんがとさん。さ、とっとと帰るぞ」
ぱちぱち拍手してくる桜夜に冷たく言うと、後はさっさと背を向けて歩き出す。
すぐに後をついて来ると思っていたのだが……
「……」
16歩進んだところで、隼は立ち止まっていた。
背後の困ったお姫様の動き出す気配がまったくない。
それどころか、
「なによ……冷たいんだから」
そんな、声。
ため息混じりに振り返ると、案の定頬を膨らませてそっぽを向いていた。
「……何があったかは知らんが、こんだけ好き勝手したら少しは気も晴れたろ。もういい加減にしとけ」
「なによ! わかった風な事言わないでよ! あたしブスって言われたんだぞ!」
「はあ? 誰だよ、そんな命知らずな事言える奴は」
「……この前の依頼で会った、5歳くらいの女の子」
「………………そんなんで機嫌悪くしてたのか、お前……」
「そーよ! 悪い!!」
キッと睨まれて、内心どっちが子供なのやらと思う隼だ。
「相手は子供なんだろ、忘れちまえ、そんな事」
「やだ!」
「ダダこねるなよ」
「こねる!」
……何を言っても、簡単にはききそうもない。
さてどうしたものかと、言葉を選んでいると……
「…………じゃあ、こうしよう」
「ん?」
ふと、桜夜の方からなにやら提案してきた。
「隼がアタシのこと世界で一番カワイイって言ってくれたら、いいかもしんない」
「……………………なんだと?」
「というわけで、言って」
「……言ってって……」
「ほら、早く!」
大きな瞳でじっと見つめられ、せかされる。
「……」
なんとなく、頬のあたりがヒクついた。
少なくとも隼の方には、そんな言葉を口にする義務も理由も論理的な整合性すらもない。
しかし……
「……」
じっとこちらに目を向ける奴には、そんな理屈など通じるわけもなく……
「あーその、なんだ……」
「なによ?」
「他のことじゃ、駄目なのか?」
「ダメ」
「……そうか」
どうやら、他の道などないらしい。
乙女心に、やはり理屈は通じない。そういう事か……
かなり疑問はあったが……隼は結局あきらめた。
柄にもなく顔を赤くした上、斜めに構えてその台詞を口にした彼の姿は、お世辞にも格好いいとは思えなかったが……
「上等♪」
彼女の方は、満足したらしい。
「よぉーし、じゃあ早速帰って一緒にお風呂にでも入ろっかー!」
「…………よしてくれ」
一気にエネルギーを使い果たした隼を引きずるようにして、意気揚々と桜夜が路地を後にする。
彼女の気持ちを代弁するかのように、薄桃色の花片がその場で美しく舞い踊り、地面で気を失っている男達へと優しく降り注いでいたとの事だ。
■ END ■
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