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<東京怪談ノベル(シングル)>


光と闇の構図(闇)

 闇だけが支配する世界に、ある時ぽっと白い光がともった。
 ……いや。
 それは、光ではなく、ひとつの顔だ。
 白く、美しい貌(かお)が、ふわりと浮かび上がり、静かに目が開かれる。
 瞳の色もまた、漆黒だった。
 白磁のような一点の曇りのない肌の中に、たとえようもなく深い色の双眸がふたつ。
 あとは、周囲の闇と同化したかのように黒一色である。
 長い髪も、衣装も、全て……
 彼女の名は、ステラ・ミラ。
 何ひとつ見えぬはずの底なしの暗黒の中で、その目がふと動いた。
 ここは、時すら迷う深遠の牢獄。
 上も下もなく、空間に満ちた分子のひとかけらすら出口を見出せずにやがて腐り果て、原初の闇へと還っていく……そんな場所である。
 そのような地に、生物など……いや、何者の存在も許されるはずがない。
 しかし『そいつ』は確かにそこにいるのだ。
 人間の作り出した時間という概念が、およそ馬鹿馬鹿しいものとしか思えぬくらいの悠久の果てから、この永遠の獄舎に封じ込められているのである……
「……もうしばらく、このままですか?」
 綺麗な、しかし感情のほとんど感じられない声が、静かにそう尋ねた。
 刹那──

 ──!

 その場を『なにか』が揺るがし、駆け抜ける。
 姿の見えぬ狂おしい太鼓の連打。
 おぞましいフルートの単調な音色。
 ……あるいは、声であり、意思であったのかもしれない。
 普通の人間なら、気配だけで狂死するほどの悪意の奔流と共に、真正面からそれらがステラの全身へと襲いかかる。
「……そうですか。お変わりないようで、なによりです」
 が、ステラの長い髪が微風に当たったかのようにふわりと揺れ……それだけであった。無論、表情にもまったく変化がない。
「形なく、知られざるもの。闇の原動者。混乱であり、思考と形態を破壊するもの。創造のアンチテーゼ。四元の火の究極的な消極面……そう呼ばれた貴方です。もう少々、眠っていた方がよろしいでしょう」
 見えざる漆黒の彼方へと向けて語られる、ステラの言葉。
 それが確かならば、この場にいるものの名は……アザトース。
 気の遠くなるような太古の昔に、遥かなる星々の世界から、この惑星に押し寄せてきたもの達がいた。
 おぞましき力を持ち、次元すら歪める能力を秘めた恐怖の具現者である彼等は『旧支配者』と呼ばれ、この地の『旧神』と呼ばれる存在達と、凄まじい戦いを繰り広げる。
 結果として、『旧支配者』達は様々な地に、様々な形で放逐、もしくは封印される事となったわけだが……そんな彼等の中心の座に君臨していたのが、アザトースである。

 ──!!

 声なき叫びが、不可視の力となって荒れ狂っていた。
 星ひとつをたやすく破壊してのける憎悪が、悪意が、あるいは理解不能の意思が、嵐となって空間を揺るがす。
「……」
 その只中にあって、微塵も揺るがぬ美しい眼差し……
「寝相は少々良くないようですね……」
 小首を傾げて漏らした呟きが、そっとその場に流れた。
 それが……相手にも聞こえたのかもしれない。
 不意に、ステラの周囲に何かがぼうっと浮かび上がった。
 淡い光を放つ、大小さまざまな球体……
「貴方は……全てにしてひとつのもの、ですか。なるほど」
 のんびりと見回し、ステラが言った。
 ──全てにして、ひとつのもの。またの名を、ヨグ・ソトース。
 旧支配者達がかつて突破せしところであり、星辰が巡り、再び彼等が通るべき道筋……とも伝えられている。
 腐れ果てた不定形のアザトースの魂魄をその中に含み、じっと帰還の時を待ち受ける戸口なのだという。
 球体はステラの外側でゆらゆらと揺らめき、あるタイミングで一斉に襲いかかってきた。
 物理の法則などまるで無視した存在である彼等がもたらす破壊は、はたしていかなる形を取るものなのか。
 炎か、凍結か、あるいは虚無への帰結か……
 ……結果は、そのいずれでもなかった。
「……」
 無言のままにステラが手をかざすと、そこに現れたわずかなきらめきの中に消えていく。
 開いた掌の中にあるのは、銀河と、星々のまたたく世界だ。
 不意に生じた小さな宇宙に、異世界のものどもは次々に吸い込まれ、どこかへと旅立っていった。
 が……それでも、球体の数は一向に減る気配がない。
 ヨグ・ソトースは、全てにしてひとつ──つまり、どこにでも存在する。
 そんなものを跡形もなく消し去る事など、神の名を持つものですら、できはしないだろう。
「……仕方がありませんね」
 やがて、ステラもすっと手を降ろした。同時に、宇宙もまた消失する。
 何事もなかったかのように舞い続ける、色とりどりの球体……
 しかし……ステラは既に、そんなものを見てはいなかった。
 じっと闇の向こうに目を向けつつ、懐から何かを取り出してみせる。

 ──!!

 声なき波動が、また空間に駆け抜けた。
 そして、球体が次々に消えていく。
 恐れるように、敬うように……全て。
 彼女が手にしているのは、三日月型の短剣であった。
 刀身が銀の光沢を帯び、なにやら意味不明の文字がびっしりと刻まれている。
「バルザイの偃月刀(えんげつとう)です。一応、持参してきました」
 そう告げると、横一文字にステラが刃を走らせる。

 ──!!!

 どこかで何かが爆ぜる音。
 絶えがたい、不協和音。
 鋼の牙が、固いものを噛み砕く咀嚼の響き……
 空間全てが震え、悶え、悲鳴を上げ、歓喜した。
 狂った楽師達の奏でる、この世のものではありえない狂想曲……
 唐突にそれは始まり、終わる。
 後に残るのは、冷たい死の静寂……
 ……それだけだった。
「残念ですが、星はまだ貴方達の復活を示してはいません。ところで……これから死せるルルイエの都の王の下にも出向く予定なのですが、何か伝える事はありませんか?」
 最後に、ステラが問う。
「……そうですか、わかりました」
 すぐに頷いたが、意思の疎通があったのかどうかは不明だ。

 ──イア、イア、ハストゥール、ハストゥール、クフスヤク、ブルグトン、ブルトラグルン、ブルグトン、アイ、アイ、ハストゥール……

 やがて、そんな声が流れ、この場には決してありえるはずのない風が吹いた。
 そして、現れた時同様、黒衣の麗人は忽然とその場から姿を消したのである。


 ──夜。
 街を見下ろす高いビルの屋上に、1人の女性の姿があった。
「綺麗なものですね……」
 夜空を見上げ、そっと呟いたのは……ステラである。
 天気は、雲ひとつない晴天だ。
 中天にぽっかりと三日月が浮かび、その周りを無数の星々が彩っている。
 懐から、月と同じ形をした刃を取り出し、空に掲げた。
 刀身は、まるで長い年月を野ざらしで過ごしたかのように、ぼろぼろに腐食している。
 たった一太刀、あのもの達に向かって振り下ろしただけの結果が……それだった。
「時が満ちれば、彼等は目覚める。それは、おそらく誰にも止められはしないでしょう」
 1人、語る相手もなく、囁いた。
 が、まるでそれにこたえるかのように、緩やかに風が流れる。
「その時は、この星、この宇宙、この次元そのものが、無事では済まないかもしれませんね……」
 さらりと言った台詞は、その内容とは裏腹に、いつもと口調が変わらない。表情も、微塵も揺らいではいなかった。
 ステラの手の中で、音もなく崩れ去り、塵となって散じていく偃月刀……
「無くしたくはないものです。空の星も、地上の星も……」
 深い色を湛えた瞳は、いつしか眼下の街の明かりへと向けられていた。
 ひとつひとつに、人の生活が感じられる灯火。
 それもまた、星空に負けず劣らず、地上でまたたいている。
「…………」
 後は、ステラも何も語らず、それぞれの星を眺めていたようだ。
 闇に浮かぶ光の中に、何を見、何を思い、何を感じていたのか……
 そんな事は、誰一人として分からないだろう。
 ただ、月の光を浴びた横顔は、それらの輝きにも決して負けてはいなかった。
 ──ステラ・ミラ。
 謎多き、永遠の探求者にして、華麗なる鉄面皮である……


 ──翌日。
 カラコロとドアのカウベルが鳴ると同時に、
「おかえりなさいませ」
 にこやかに微笑んだ美青年が会釈をしてきた。
「ひとつ、聞いてもいいですか?」
「なんでしょうか」
「何故です」
「……は?」
 いきなりまじまじと見られ、男はそう尋ねられた。
「何がでしょうか?」
「もう昼近いというのに、お客様が来た様子もありませんね」
「ああ、それでしたら……」
 ──いつものことです。と、正直に言いかけて、なんとか言葉を飲み込む。
 この店、古書店の『極光』は、ただでさえ静かな郊外に位置している上に、扱っている物にも少々の問題があり、人によっては店そのものの存在が見えなかったりもする。
 万が一見えたとしても、入口のガラス越しに映るのは、整理しても整理しきれないおびただしい古書の山と、ステラが蒐集した古今東西の妖しいグッズの数々だ。
 狂った人形師が自らの魂を封じ込めた人形だの、キャトルミューティレーションに遭って以来、何故か生きたままの状態を保ち続けている牛の生首だの、本当に宇宙をひとつ封じ込めた天球儀だのと、そうとは知らない者が近づいたりしたら、それだけで命の危険があるような品々ばかりである。あまつさえそんなのが窓辺で堂々と虫干ししてあったりするからたまらない。
 人間というものは、おのずと『本当の』危険には近づかないものなのだ。
 ここの品々は、現代人が忘れつつある原初の野生の勘にすら完璧に訴え、マキシマムの危なさを感じさせる。
 なので……心ある者の多くは、そう簡単に来店しようなどとは思わないのである。
「何かと手狭に見えるせいかもしれません。折りを見て、模様替えなどしてはどうでしょうか?」
「……なるほど。それもいいかもしれませんね」
 当り障りのない返答を選んだ従者に、小さく頷くステラであった。
「それはそれとして、蓮様の方の仕事はどうでしたか?」
「はい、特に問題もありませんでした。そちらのご用事の方は如何でしたか?」
「こちらも特に何も、変わった事はありませんでした」
「そうですか」
「ええ、そうです」
 微笑みを浮かべた顔と、まるで無表情のそれが向かい合う。
 どちらの場合も、普通の尺度で考えれば、十分以上に大した事であり、変わっている事なのだが……彼等にとってはそれが素直な感想なのだろう。
「では、早速模様替えを始めましょうか」
「は? あの、これからですか?」
「そうです、善は急げと言います。それに……」
「……何ですか?」
 尋ねると、ステラはいつもと変わらぬ口調で、
「当店の繁盛は、蓄えた知識を世に還元するという意味もあります。それでいて我々の生活費にもなる……即ち、世のため人のため、そして私達のためです」
 淀みなく、そう言ったのだった。
「……世のため人のため、ですか」
「その通りです」
 なんとなく自分達らしくない言葉のような気もしたし、主が本気でそんな事を言ったのかもわからない。
 しかし……それも悪くはないと、彼は思った。
「かしこまりました。及ばずながら努力します」
「何を言うのです。及ばないのでは困ります。粉骨砕身努力なさい」
「……は」
 かくて、無限とも思える素晴らしいアイテムの数々との格闘が始まる。
 果てのない戦いの末に、栄光の勝利への道は見えたのか……
 ……少なくとも、今のところその報告はないようだ。
 主と従者の戦いは続く。
 世のため、人のため。そして、自分自身のために──

■ END ■