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<東京怪談・PCゲームノベル>


殺虫衝動『影の擬態』


■生還者■

 初夏の風は、こんなにも心地いいものだったか。
 藤井葛は本来、外で身体を動かしている方が性に合っているはずだった。ネットゲームに憑かれ、卒論に追われる毎日は、いつしか葛を箱の中に閉じ込めたのだ。それはけして悪事ではないし、葛は負い目を感じていない。
 だが――。
 彼女は時折、自分の影を確認してしまうようになった。
 その日の影は大人しかった。葛はほっと息をつき、デジカメを河川敷へ向けた。最近、ふらりと外に出かけるようになって初めて見つけた楽しみだった。
 それまでの人生ががらりと変わった、というほどのことでもない。
 だがそれは安らぎであった。些細で他愛もないこのときを、おそらく人は幸福と呼ぶのだろう。葛がデジカメのメモリーに収める風景と同じ――些細なものだ。昼間は平和な景色を取り込み、夜はその写真をフォトレタッチソフトで加工する。ネットゲームにログインする時間は少なくなり、小さな風景に触れる時間が増えていた。
 ネットゲームが悪なのではない。ゲームをしているそのときも、葛は大概幸福だ。
 ただ、少し違った毛色のものに新鮮味を感じているだけだった。
 それでも――それだけにすぎないのだとしても、充分だ。
 影のあのおぞましい揺らめきを見ずにすむのなら。

 藤井葛の影は、彼女が不愉快な思いをしたり、怒りを覚えたり、ネットゲームでPKの噂を聞くたびに、わらりわらりと揺らめいた。かさこそと音を立てもした。
 そして――姿を現すこともある。
 その姿を思い出したくはない。見たくはない。信じたくもない……。

 ゼミ仲間である長屋は消えたが、自分は消えずにすんでいる。それも、幸福なことだ。
 長屋の行方は未だに掴めない。
 葛は、ひとりだけでこれらの問題と戦っているわけではなかった。長屋の方は警察も動いているし――葛には、相棒が出来ていた。
 その人物とは、出会ったあの日からたびたびメールや電話で連絡を取り合っていた。
 あの男もきっと、自分のように怯えている。
 影を恐れ、先を危ぶんでいる人間は自分ひとりだけではない――そう思うと、葛は少しだけ気が楽になるのだった。
 御国将、
 それが『仲間』の名前である。つまらなさそうな顔の、ぶっきらぼうな中年だ。


■コンタクト■

「来たのか」
 葛がそばに立つと、将はそんなそっけない反応を示した。しかしながらその眠たげな目はどこか安堵したような様子でもあった。
 一連の事件に『動きがあった』というメールを受けて、葛は久し振りにアトラス編集部へ足を運び、直接将と顔を合わせていた。将は相変わらず無愛想な顔で、少し疲れているようで、しかし元気そうだった。
「調子はどうだい?」
「おまえこそ」
 ふたりは同時に、互いの影へと視線を落とした。
 影は、影であった。ふたりは噴き出した。
「大人しくしてるようだね」
「いいことじゃないか」
 葛は影が時折揺らめく理由を見つけだしたのだった。確証はないが、そうでなければならないような答えに辿り着いたのである。
 影は、心のうちにしまいこんでいた負の感情が大きくなると、きまって揺らめいた。まるで、苛立ちや嫌悪感を喰っているかのように。
 理由さえわかれば(たとえ漠然とした理由であっても)、手懐けるのはさほど難しいことではなかった。将も自分なりのやり方で影と付き合っているらしい――ふたりは、元気でやっている。消えずに生きているのだ。
「――それで、動きって?」
 将はそれを聞いて、「ああ」と呻き声のような返事をした。
「『平』を知ってるか」
「『たいら』――あ、最近見るようになったね」
 葛はゴーストネットOFFのBBSを思い出した。
 ムシ関連スレッドで最近見かけるようになった、『平』というキーワード。人物名であるらしい。本名なのかハンドルなのかもわからない。
 『平』と名乗る人物からのメールは、ムシ関連スレッドを出入りしている一部の人間に届いているらしかった。このやり取りの少し前から話題にのぼっている。
 しかし気がかりなのは、そのメールを受け取り、平に会いに行くと書き込んでいたものが、その後ぱったりと書き込みをしていないことだった。
 平自身は書き込みをしていない(と思われる)が、スレッド住人たちはその名を囁き続けていた。蟲と接触した人間に、平はメールを送りつけてくるらしい。たびたびそのメールアドレスは掲示板上に晒された。ころころアドレスを変えているようだったし、疑わしい都市伝説の域を出ないものであったが、将はそんなメールアドレスのひとつにメールを送りつけてみていたのである。葛の薦めもあった。情報とは、掴むものだ。待っていても、流れついてくるのは使い回された古いものばかりである。

「昨日――というか、今日だな。夜の2時に、メールをよこしてきた。どんな細工だか知らんが、お前のところに転送できなくてな」
 将はメーラーを起動し、問題のメールを開いた。


  差出人:平
  件名:待っている

  ウラガ君へ。
  興味を持ってくれて嬉しい。本日21時、鳩見公園で会おう。


「あなたが蟲持ちだってことを知っているのかね。……誰かに言った?」
『……いや。まさか』
「まさかね」
 ふたりはほとんど同時に肩をすくめた。
 平が待ち合わせに指定してきたのは、ここのところ血生臭い事件が相次いでいる公園だ。わざわざここを指定しているのだからと、将は信用している。葛が将の立場にあっても、きっと会うだろう。
「……行くのかい?」
「そう考えてる。お前ならどうする?」
「行くね」
「じゃ、決まりだ。だが問題がある」
「なに?」
「嘉島っていう刑事が、今夜会いたいって言ってきてな」
 将は携帯電話をちろちろと振った。彼の顔色には翳りがあった。
 平には気がねなく(まるで旧知の仲の人物であるかのように)会おうとしているが、その刑事とは会うのをためらっているらしい。
「その刑事も、この話で?」
 葛は顎でパソコンを指した。『この話』――ムシの話、だ。
 将は頷いた。
「俺の記事を読んで、個人的にムシを調べてるんだと。きっと変わりもんだな」
「動いてるのは、もう私たちだけじゃないってことじゃないか。いいことだろ? ……不安なのはわかるけどさ」
 葛は自分の影に目を落とす。
 考えたくはない。
 自分が将に会ったことで、蟲に憑かれた可能性があることなど。


■牙の刃■

 嘉島刑事は、将より若干年上らしい、中肉中背の男だった。ピーター・フォークのコロンボを思わせるいでたちであったが、コロンボと違い(或いは将に似て)、いささかぶっきらぼうな態度であった。将には何度も会いたいと願い出ていたらしい。葛の一喝のおかげで、ようやく嘉島は将に会えたのだ。めでたいことなのかもしれない。
 場所は、鳩見公園の茂みが見える喫茶店だ。21時までという制限つきで、将と葛は嘉島と会った。
「……娘さんかい?」
 将の隣でコーヒーを飲む葛を見やり、嘉島はそんなことを口走った。葛はコーヒーを噴出しかけ、将は慌てたようにかぶりを振った。
「ちがう――いや、ちがいますよ。仕事を手伝ってもらってるだけです」
 嘉島は東京の裏で息づく蟲のことを(まだ)知らない。無論、将と葛に何があったのかも。刑事は「ふうん」と言ったきりで、それ以上追求してはこなかった。
「最近、埼玉じゃ蒸発や殺しが多くなった。同僚はみんなバカにするが、おれはあんたの記事が気になってね」
「はあ……どうも」
「消えた人間や死んだ人間は、大体パソコンを持ってて――インターネットをやってた。おれも最近勉強したもんでね、多少はネットのことがわかってるつもりだ。……共通項はお察しの通り、『ムシ』だよ」
 葛と将はちかりと目を見合わせた。
 素人ではなかなか掴めない情報だが、さすがは警察か。
「そして、『平』だ」

 時刻は、午後8時30分。
 葛は鳩見公園を見ていた。
「将さん、私、先に公園に行ってるよ」
 葛は竹刀ケースを抱えて立ち上がり、返事も待たずに喫茶店を出た。


 立ち去るクミノの背中を見て、嘉島が首を傾げる。
「変わったお嬢さんだな」
「ええ、まあ」
 将は肩をすくめ、話を続けることにした。これ以上葛との関係を突っ込まれると面倒なことになる。
「……実はこれから、平と会うことになっています。俺に話があるとかで」
「やめといた方がいいと思うんだがなあ」
 嘉島はばりばりとうなじを掻いた。
「何故です?」
「勘だよ」
「……ああ、『刑事の勘』というものですか」
「そう思うのは自由だ。ともかく、おれは反対する」
「黙っていては、事態は良い方向に動きませんから」
 将は渋面で――いや、もとよりそういう顔なのだが――反論した。先程の葛のことばに絞られた、その受け売りではあったけれども。


■虫潰し■

 人気の無い鳩見公園、午後9時。
 住宅地とはまだ離れているここは、喫茶店やブティックが集まった閑静な商店街だった。午後8時にもなると店は閉まり始め、静けさを帯びてくる。9時にはすっかり静まりかえるのが常だった。おまけに今朝方死体が出たばかりだという。葛は昼間の鳩見公園を知らないが、おそらく今日は昼間も人通りがほとんどなかったのではないだろうか。今このときのように。
 鎮まりかえった公園の茂みで、葛は息と気配を殺していた。この公園はなかなかの広さを持っているが、待ち合わせをするならば――噴水のある広場が適当だろう。葛が身を隠す茂みからは、広場がよく見える。
 しかし、午後8時半すぎから葛はそこに身を潜めているが、目立った気配も感じ取れずにいた。この公園が物騒であることは世間にも広まっているせいか、通り抜けようとする人も現れていない。皆遠回りをしてでも、明るい歩道を通っている様子だ。
 平らしき人物も、将もまだ現れなかった。
 ――そろそろ、約束の時間だけどねえ……
 葛は腕時計を見やり、溜息をついた。……将は、刑事との話を切り上げた頃だろうか。

 竹刀ケースから葛が取り出していたのは、真剣だった。
 特に目的もなく貯めていたバイト代で購入した、無銘の刀だ――
 影を使うことも出来るかもしれないが、それだけはやりたくなかった。
 それだけは……
 恐ろしい……
 影に命じたが最後だ、
 自分がどうなるのか、見当もつかない……

 かさこそ。


 葛が振り返るのと、茂みを切り裂いて1匹の蟲が飛び出してくるのとは同時だった。
 葛の目に飛び込んできたのは、66対の脚を持つ蜂だ。毒々しい山吹色と、影の黒が縞模様を描いていた。尻から飛び出した針は、ささくれ立っている。蜘蛛のような顎と、9つの複眼。血管が飛び出した翅は、かさこそと音を立てていた。
「ちっ!」
 またしても、葛の身体は素晴らしい俊敏さで動いた。蜂の突進すら、彼女は避けたのだ。しかし攻撃をあっさりとかわされた蜂は、その目に宿る苛立ちの色を一層強くし、わずかに大きくなったのである。ぞわぞわと脚を蠢かせ、ぎちぎちと針を構えた。
 茂みの中で、ただひたすらに呪詛を絞り出す男が居るのに、葛は気づいた。いつからそこに居たのだろうか? まるで蟲のようにわいて出てきた。
「くそっ……くそっ、来てほしくなかった」
「……『平』かい?」
「――来やがった何で来たんだ来なければいいと思ってたのに何で来たんだ何であいつの言う通りになったんだ来ちまいやがってああ、ああ、ああ、来やがったな!」
 葛の問いへの答えはない。代わりに、ぶぇん、と蜂が舞い上がる。
 葛はすらりと刀を鞘から抜き放った。
 ――何度来ても同じだよ。私はかわすし、逆に斬りつけてやるからね。
 蜂の目と、その翅の唸りが忌々しい。吐き気がする。見ているといらいらしてくる。
 かさこそ、
 かさかさかさかさ――
「う――」
 いやな頭痛に、葛は刀を取り落として、頭を抱えた。
 一ヶ月ぶりの痛みだ。
 もう二度と味わいたくはなかった!

「藤井!」

 聞き覚えのある声も、いやに遠くから投げかけられている。
 ――将さん!
 草むらに落ちた日本刀と、揺らめく自分の影が見えた。ぶんぶん唸る蜂の翅音、かさこそと蠢く自分の影、
「おまえ、おまえも……」
 茂みの中から聞こえてくる、戦慄を秘めた囁き。

「ウラガ! 藤井を助けろ!」

 蜂が葛に針を向けて突進するのを、突如現れた影が食い止めた。
 影はぎらぎらと赤く輝く複眼を持った百足の形をしていた。異様なあぎとが蜂の頭に食らいつき、ばりばりと咬み砕く。蜂の脚が落ち、翅が破れた。だが蜂もまた必死に抵抗した。百足の腹に、針がずぶりとめり込んだ。う、という低い声と共に、少し離れたところで誰かが倒れた。
「将さん……!」
 葛は声を絞り出した。
 ふつふつと肌が粟立ち、影から脚が伸びる。その光景から目をそらし、葛は日本刀を拾い上げた。同時に、百足がぱっと蜂を開放した。
 とどめをどうぞ、そう言わんばかりの動き。
 傷ついた蜂が動き出す前に、葛は日本刀を振り下ろした。物体を切り裂く感触が、葛の腕に伝わってきた。蜂の甲殻は蟲のものだった。ひどく、硬かった。
 ――まったく、厄介な相手だね……! さっさと消えな! 見たくもないんだ!
 腰が伸びてしまった刀を、葛は振り上げた。ひどい苛立ちと敵意と怒りとともに。

 葛の影が――
 そのとき、べりべりと地面から離れた。


■ウラガと、   ■

 蜂はばらばらの黒い破片となって地面に降り注ぎ、音もなく茂みの中へと帰っていった。茂みの中では、汚れたTシャツを着た男がひとり、血を吐いてのびていた。その身体の下には影がある。とりあえず生きてはいるようだが、事情は聞けそうもない。
「将さん!」
 将もまた、植え込みの向こう側で倒れていた。葛が呼びかけると、こちらは呻きながらも立ち上がり、げほげほと咳き込んだ。
「大丈夫かい?」
「助けに入って、逆にそれを聞かれるなんてな。情けない……」
 彼の足元に影はなく、代わりに、傍らに巨大な百足が寄り添っていた。
「ウラガ……って呼んでたね」
 葛はふと思い出し、苦笑した。
 将は口元をぐいと拭った。その手の甲に、血がついていた。
「こいつの名前だ。またでかくなりやがって」
 将はべしりと百足の頭を叩いた。将の蟲はぎちぎちとそこに佇んでいる。その赤い目は禍禍しいものだったが、どこか空虚でもあった。以前葛が見たときのように、露骨な苛立ちや敵意はなかった。
「名前をつけたらだいぶ言うことを聞くようになった。……お前もやってみたらどうだ?」
 将は、葛の後ろに佇む影を顎で指し、少しばかり控えめに提案してきた。葛の顔色から、気持ちを汲んでくれたらしい。
 葛はそっと振り返り――
 かちかちと顎を鳴らす巨大な侍蟻を見て――
 物も言わずに、鞘に収めた刀を振り上げた。侍蟻は、慌てたようにざぶりと草むらに潜り込んだ。たちまち蟻は影になり、葛の足元に戻ったのだった。
「……ウラガって、あなたのハンドルじゃないか」
「俺であることには変わりないからな」
 将は、奇妙な答えを返してきた。



 あの夜以来、鳩見公園での物騒な事件はぱったりと止んだ。ただし、鳩見公園に限っての話だ。血生臭い事件は後を立たず、平の噂も消えることはない。
 将から葛のもとにメールが届いたのは、夜間に鳩見公園を通る人が現れ始めた頃のことだった。


  差出人:ウラガ
  件名:世話になった

  藤井へ。
  この間は世話になった。有難う。調子はどうだ?
  昨日なんだが、平からこんなメールが届いた。
  例によって転送できないから貼りつける。

  >差出人:平
  >件名:ようこそ

  >ウラガ君へ。
  >きみのムシを見た。それと、娘さんも。
  >面白い娘さんをお持ちのようだな。
  >だがとにかく、我々はきみを受け入れる準備を終え、
  >きみは我々と目的をともにする権利を勝ち取った。
  >おめでとう。『殺虫倶楽部』にようこそ。

  向こうは高みの見物を決め込んでいたようだな。
  俺は変わらず取材を続けるつもりだ。
  そうだ、俺に接触してきた埼玉県警の刑事も消えちまった。
  俺は疫病神かもな。

  で、アリに名前はつけたか?


 葛は頬杖をつきながら、ポテトチップスを食べながら、『返信』をクリックした。
 自分の影は見ないことにし、かちかちという音も聞かないことにしていた。

 とりあえず、平に言ってやりたい。
 あのぶっきらぼうな蟲持ち男は大事な『相棒』であり、私の父親ではない、と。
 あとは――付け足しのような将の質問に答えてやろうか。




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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【1312/藤井・葛/女/22/学生】

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               ライター通信
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 どうも、モロクっちです。
 藤井さま、続編への早速のご参加、有難うございます! 『殺虫衝動』第2話をお届けします。今回は、『平』との接触、そして将との再会でした。蟲持ちPCさんは今のところ藤井様だけです。楽しく書かせていただきました。
 お任せとのことでしたので、迷いましたが、サムライアリ型にさせていただきました。別種のアリの巣を乗っ取る凶暴なアリです。藤井様のサムライアリは、アリどころか他の蟲まで狩ってしまうほど強力ですけどね。
 もしよろしければ、近日受注開始の第3話にもご参加くださいませ。
 ご自身の影に名前をつけるか否かは、藤井様次第です。ちなみに『ウラガ』は、海上自衛隊が保有する巡視船の名前です。将はフネ好きですから……(笑)

 それでは、この辺で。
 またお会いできれば幸いです。