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<東京怪談・PCゲームノベル>


殺虫衝動『影の擬態』


■序■

 御国将がメールを受け取ったのは、某月某日。
 そう言えば、昨日もワイドショーは殺人事件の報道に時間を割いていた。ここのところ立て続けに起きている殺人事件は、いよいよ世間の人々にとっても深刻な問題となりつつあるようだ。
 全く、世間は始動に時間がかかる。
 だが一度問題になってしまえば後はずるずると解決まで一直線だ。時事を動かすには、まず世論。
 将とコンタクトを取ろうとしているのは、件のメールの差出人だけではなかった。埼玉県警の嘉島刑事もだ。最近、よく電話をかけてくる。彼は知りたがっているだけの様子だった。

 ムシは、一体、何なのだ。

 将はあの日から影を恐れている。時折ちょろりと視界をかすめる蟲にも、いちいち飛び上がりそうだ。
 とりあえず、三下が一番危ないか。ムシを見せてはならない。いや、編集長もか。彼女もなかなかストレスを抱えていそうだ。
 びくびくしながら1日また1日と食い潰していく――それもまた、大きなストレスに繋がる。
 解決しなければ。自分のためにも、世間のためにも。
 ことの真相を知る者とともに。いや、その力にすがりたい。

 ムシを、殺せ。

 メールに記されていた待ち合わせ場所は、つい最近傷害事件があった現場のすぐ近くだった。


■発見■

 最近物騒になったとは言っても、戒厳令が敷かれない限り、東京の街は何も変わらず動き続ける。というよりもむしろ人々は駆り立てられているのか。自分に何らかの不幸が降り掛からない限り、東京に行って仕事をしなければならない、買い物をしなければならない、遊ばなければならないと。
 殺人事件が何件起きようが、通り魔が何人人を傷つけようが、桜塚第二予備校がその門を閉ざすことはないし――生徒が家に篭もることもない。生徒たちは事件の噂を囁きながら今日も予備校にやってくる。
 綾和泉匡乃もまた、教師として桜塚第二予備校の門をくぐるのだ。

 しかしこの予備校はひと月のうちにふたりの教師を失った。歪みの渦中にあることを、多くの人間が知ることはない。
 匡乃は、このふたりどころの話ではないのかもしれないと踏んでいる。生徒が急に姿を見せなくなるのはさほど珍しいことではない。だがこの時期に消えた生徒の中には、消えたふたりの教師と同じ事情を抱えたものがいるに違いない――彼は改めて、問題の大きさを認識させられていた。

 消えた教師は、古文担当の枡田と、その友人の小野間だった。匡乃は枡田の後釜を務めるはめになった。枡田の失踪が、匡乃が動くきっかけとなったのだ。小野間が消えたのは匡乃が一連の失踪事件の調査を始めた直後のことだった。
 お陰様で事件の真相に近づくことが出来ていた匡乃は、二人目の失踪者・小野間を探し出すことが出来た。とても『無事』とは言えない状態だったが、肉塊になって発見された枡田よりははるかにましだった。
 最初に消えた枡田真哉は、死んだ。匡乃は不可抗力だったと諦めることが出来ていたが、小野間を探し出そうと彼を駆り立てたのは、無意識下にあった口惜しさだったのかもしれない。


 小野間は予備校を辞め、故郷・長野で静養している。
 匡乃には感謝しているらしく、その後もたびたび連絡をよこしてきた。だいぶ元気にはなったようで、相変わらずネットには頻繁に顔を出していると言っていた。
 匡乃はあれから古文と歴史の教鞭をとる毎日をつつがなく続けていたが、その日に小野間から来た電話が、一ヶ月ぶりに匡乃を動かした。


■誘われるもの■

『たいら、って知ってるかい?』
「いえ……ネット筋の情報ですか?」
『うん』
「ネットにはあまり詳しくないもので」
『そうか。……「平」っていう人間が、最近ネットのムシ関係のBBSとかでは話題になっててね……』
 親切な小野間は、かいつまんで平の説明をしてくれた。
 
 ムシ関連スレッドで最近見かけるようになった、『平』というキーワード。人物名であるらしい。本名なのかハンドルなのかもわからない。
 『平』と名乗る人物からのメールは、ムシ関連スレッドを出入りしている一部の人間に届いているらしかった。
 しかし気がかりなのは、そのメールを受け取り、平に会いに行くと書き込んでいたものが、その後ぱったりと書き込みをしていないことだった。
 平自身は書き込みをしていない(と思われる)が、スレッド住人たちはその名を囁き続けていた。蟲と接触した人間に、平はメールを送りつけてくるらしい。たびたびそのメールアドレスは掲示板上に晒された。ころころアドレスを変えているようだったし、疑わしい都市伝説の域を出ないものであった。

『ぼくはダメ元でメールを送ってみたんだ……平に』
「ほう」
『そしたら、返信があったんだよ……』
「どんな?」
『……会いたい、って。ただ、待ち合わせ場所が少し遠かったし……ぼくはこんな状態だから……』


 匡乃が小野間を見つけだすことが出来たのは、協力者が居たおかげもあった。
 枡田を探し出すために動いていた矢先、怪我の功名とでも言うべき出会いがあったのだ。匡乃は、御国将というひとりの記者と知り合うことになった。彼は月刊アトラスにて、ネットに広がる『ムシ』についての記事を担当し、調査を続けている。こういった仕事が長いようで、ぶっきらぼうではあるが頼りになる男だった。
 おそらく、『平』のことも既に知っているだろう。
 遠く長野まで行って小野間に会うのはさすがに面倒だ。匡乃は月刊アトラス編集部へ足を運んだ。

「おまえか」
 匡乃がそばに立つと、将はそんなそっけない反応を示した。しかしながらその眠たげな目はどこか安堵したような様子でもあった。彼は相変わらずつまらなさそうに仕事をしていた。主にネットで情報を集めているため、ほとんど編集部から出ることはないようだ。匡乃は、将がいないわけはないということを前提にして編集部にやってきた。その考えは正しかった。
「また誰か知り合いが消えたか?」
「それはまた、ご挨拶ですね」
「おまえがただ世間話をしに俺に会いに来るとは思えないからな」
 そう、前に会ったのは確か、小野間が消えたとき。
 そして、酒を奢ってもらったときだ。この一ヶ月で、二度会っている。
 匡乃は以前、将にスーツの袖を台無しにされていた。いろいろあったのだ。弁償してもらう代わりに奢ってもらったのである。将は酒を飲んでもぶっきらぼうなままで(むしろより無口になった)、匡乃は少しがっかりした。酔えばきっとこの男は面白いことになると思い、そういう条件を出してみたのだが。
 そういった過去から、将は「余程のことがない限り、綾和泉匡乃は来ない」という結果を導き出したらしい。自分をそう分析されるのは匡乃にとってあまり愉快なことではなかったが、彼はさほど態度を変えなかった。
「では、お望み通り本題に入りますか。……『平』と接触はしましたか?」
 そのとき初めて、将は『面白い』反応を見せた。
 素晴らしい反応速度で、パソコン画面から匡乃への身体の向きを変えたのだ。眠そうな目も見開かれていた。
「何で知ってる?!」
「別に知人はあなただけではありませんよ」
「……」
 将は口をへの字に結ぶと、パソコンに向き直った。彼は黙ってメーラーを起動し、一通のメールを開封する。


  差出人:平
  件名:待っている

  ウラガ君へ。
  興味を持ってくれて嬉しい。本日21時、鳩見公園で会おう。


「ほほう」
「昨日の――いや、今日か。夜中の2時に届いたんだ」
「……行くのですか?」
「そう考えてるが――」
 将の言葉は、携帯の着信音に遮られた。
 将は面倒臭そうな顔(いや、いつもそんな顔なのだが)で携帯を取り出したが、ディスプレイに表示された名前を見て、出る気になったようだった。匡乃に軽く目配せすると、彼は席を立ち、普段は誰も居ない応接間に入っていった。彼は周囲が五月蝿いと電話に集中できないらしい。彼自身の声も非常にぶっきらぼうなので、相手から聞き返されるのも煩わしいのだそうだ。自分がハキハキ話す努力をしたら済むことなのではと、よく尤もな突っ込みをされるらしい。現に匡乃も突っ込んだ。
 将の背中を見送って、匡乃はメールが開かれたままのモニタに目を移した。
 平――。


 将は5分ほどしてから戻ってきた。電話の相手は埼玉県警の嘉島――殺人課の刑事だそうだ。将の記事を見て『ムシ』に興味を持ち、密かに動いているのだという。
 将の顔はどうにも複雑そうで、曇っているようにも見て取れた。
「どうかしましたか?」
「ああ。会いたいって言ってきた――今夜、な。電話ではもう何度か話してるんだが、会ったことはないんだ」
 翳る将の顔を見て、仕方のない人だ、と今朝美は微笑んだ。
「会うか会わないか……迷っていらしたのですね」
「もしこれが、その……伝染病みたいなものだったら――」
「今頃麗香さんも三下さんも皆蟲持ちですよ」
 匡乃の微笑みに、将は何かを言いかけていた。
 確かに。
 だが、見る限りでは、将のものの他には誰の影も揺らめいてはいない。将の影もまた、今は単なる影だった。彼はあの日から、うまく影を手懐けているらしい。
「自分を信じて動いてみてはいかがですか?」
 匡乃は将の背を押してみた。
 真実は、掴みに行くものだ。待つものではないはずだ。将もそれを知っているはずである。だから匡乃は、そう言ってみたのだった。


■ふたりの探求者■

 嘉島刑事は、将より若干年上らしい、中肉中背の男だった。ピーター・フォークのコロンボを思わせるいでたちであったが、コロンボと違い(或いは将に似て)、いささかぶっきらぼうな態度であった。将には何度も会いたいと願い出ていたらしい。匡乃の一言のおかげで、ようやく嘉島は将に会えたのだ。めでたいことなのかもしれない。
 場所は、鳩見公園の茂みが見える喫茶店だ。21時までという制限つきで、将と匡乃は嘉島と会った。
「最近、埼玉じゃ蒸発や殺しが多くなった。同僚はみんなバカにするが、おれはあんたの記事が気になってね」
「ムシですか」
 匡乃が尋ねると、嘉島は煙草をくわえながら生返事をした。
「消えた人間や死んだ人間は、大体パソコンを持ってて――インターネットをやってた。おれも最近勉強したもんでね、多少はネットのことがわかってるつもりだ。……共通項はお察しの通り、『ムシ』だよ」
 匡乃と将はちかりと目を見合わせた。
 素人ではなかなか掴めない情報だが、さすがは警察か。
「そして、『平』だ」

 時刻は、午後8時40分。

「……これから、平と会うことになっています」
「本当か?」
 嘉島が身を乗り出した。疑っているというよりは、心配している節だった。
「御国さんにお話があるそうで」
「やめといた方がいいと思うんだがなあ」
 嘉島はばりばりとうなじを掻いた。
「何故です?」
「勘だよ」
「……ああ、『刑事の勘』というものですか」
「そう思うのは自由だ。ともかく、おれは反対する」
 将は黙っていた。嘉島は将に会いにきたのに、肝心の将はあまり喋らず、匡乃が話している状態だ。嘉島はどちらが御国将なのか、ちゃんと把握してくれているだろうか。内心で苦笑を浮かべつつ、仕方なく、匡乃が代わりに反論した。
「黙っていては、事態は良い方向に動きませんから」
「しかしなあ、消えた人間や死んだ人間の6割が、平からメールを受け取ってるんだ」
 嘉島は明らかに苛立ち始めているようだった。
 匡乃はそこで、あの気の流れを見出し、はっと一瞬息を呑んだ。
 この、ざわついた――ぎちぎちと蠢き――爛々と光る赤い目玉たち――牙――脚――鱗――ムシだ、ムシだ、ムシだ、ムシだ。
 嘉島が突然、顔色を変えた。だがすぐに、彼は立ち直っていた。

「何か見たか?」

 将はようやく、重そうに口を開く。
 嘉島は顔をしかめると、席を立った。


「会うべきじゃなかったか」
 はあ、と将は溜息をついた。彼の前のコーヒーカップには、まだ6分目まで中身が入っている。彼はろくに喋らず、ろくに飲んでいなかった。
 匡乃はあえて何も言わなかった。憶測でものを言いたくはなかったのだ。


■虫潰し■

 人気の無い鳩見公園、午後9時。
 住宅地とはまだ離れているここは、喫茶店やブティックが集まった閑静な商店街だった。午後8時にもなると店は閉まり始め、静けさを帯びてくる。9時にはすっかり静まりかえるのが常だった。
 将と匡乃は喫茶店を出ると、歩いて鳩見公園の広場に向かった。
 街灯の白い光が、ふたりを照らし出す。深淵よりも深い影が地面に落ちている。

 かさこそ、

 その音を聞いて、ふたりは立ち止まった。
 かさこそかさこそ、かさかさかさかさ、
「来るな」
 かさかさかさ、
「くそっ……くそっ、来てほしくなかった」
「平か?」
「なんで来たんだ」
 かすれた将の問いにも、男の声は答えない。
 茂みの中から、ただひたすらに呪詛を絞り出すだけだ。かさこそという薄気味の悪い音とともに。
 来やがった何で来たんだ来なければいいと思ってたのに何で来たんだ何であいつの言う通りになったんだ来ちまいやがってああ、ああ、ああ、来やがったな!
 それはまるで、自分に言い聞かせているかのよう。
 自分に呪詛をかけているかのようだ。
「御国さん!」
 匡乃が警告する。
 それと同時に、茂みを切り裂いて、1匹の蟲が飛び出してきた。66対の脚を持つ蜂だ。尻から飛び出した針は、ささくれ立っている。蜘蛛のような顎と、9つの複眼。血管が飛び出した翅は、かさこそと音を立てていた。
 短い悲鳴を上げて、将が倒れた。蟲が彼の身体に組みついたのだ。ぞわぞわと脚が蠢き、将の身体を戒め、ぎちぎちと針を動かす。

 何とか将が影の中に閉じ込めていたあの蟲が、動き出した。

「ウラガ!!」
 将が叫んだ。
「大人しくしろ!」
 それから、匡乃に助けを求めた。
「綾和泉! こいつを! 頼む!!」

 ――まったく、仕方のない人だ。
 匡乃は苦笑した。
 ――自分で自分を御すことが出来るのに、それに気づいていないなんて。
「御国さん、僕が片付けるのはその蜂だけですよ。後はご自分で。『それは、あなた自身なのだから』」

 匡乃は言いながら手を伸ばし、ささくれた針を将に向けている蜂に触れた。
 悪意と敵意と苛立ちが、ぞわぞわと皮膚を逆撫でる。
「気づいてしまえば、つまらないものなのですよ」
 蜂が淡い光に包まれた。蜂は悶えながら草むらに落ち――黒い影となり、するすると茂みの中へもどっていった。
 匡乃がその動きを追って茂みの向こうを覗いてみると、ぶつぶつと囁きながら震えているTシャツの男がうずくまっていた。
「来やがった何で来たんだ来なければいいと思ってたのに何で来たんだ何であいつの言う通りになったんだ来ちまいやがって」
 どうも、話は聞けそうにない。


 そのときにはすでに、将の影がわらりと裂け、巨大な百足になっていた。
 だがその蟲は、ぎしぎしと唸ってはいるものの、将や匡乃を傷つけようとはしない。
「ウラガ?」
 匡乃は微笑みながら、大人しい百足を見つめた。愛らしい容姿ではないが、その空虚な従順さはどこか微笑ましい。
「名前をつけたんだ。……そしたら、言うことをよく聞くようになってな」
「名前は強い『呪』ですからね」
 将の蟲はぎちぎちとそこに佇んでいる。
 匡乃が踏んだ通り、この蟲は『呪』であり、『呪』によって縛ることができる。すべては将自身が抱えている問題に過ぎない。あの蜂もそうなのだ。
 将は面倒臭そうに、蟲の頭を小突いた。
「戻れ、ホラ。まったく、またでかくなりやがったな」
 ぎゅう、と地面に押しつけた。
「ウラガ! 戻れ!」
 蟲が地面にめり込んだように見えた。次の瞬間には――将の足元に、影が戻っていた。匡乃はその様子を見て微笑む。
 面白い。

 21時半になったが、誰も姿を現さなかった。


■ようこそ■

 匡乃は日と衣装を改めて、月刊アトラスに顔を出した。
「おまえか」
 匡乃がそばに立つと、相変わらず将はそんなそっけない反応を示した。
「今日は特に何も用はありませんよ。近況を伺いに来ました」
「何だ、そうなのか」
 将は意外そうな声を上げた。
「また嗅ぎつけたんだと思ってたぞ」
「ということは――」
「まあ、見てくれ」
 将はメーラーを開き、受信メールボックスを匡乃に見せた。


  差出人:平
  件名:ようこそ

  ウラガ君へ。きみの蟲を見せてもらった。
  それと、お仲間も。
  頼りになる友人をお持ちのようだな。
  彼とも会いたいものだ。今度は、直接。
  だがとにかく、我々はきみを受け入れる準備を終え、
  きみは我々と目的をともにする権利を勝ち取った。
  おめでとう。『殺虫倶楽部』にようこそ。


「だ、そうだ」
 将は肩をすくめた。
「俺が特に何もしてなかったことも、向こうは見てた。それでも何か知らんが勧誘をしてきてる。……どう思う?」
 問われて、匡乃は皮肉っぽい微笑みを浮かべたまま――考えこんだ。
 そして思い出したように、言いにくそうに、将が呟いた。
「あとな、……あの嘉島って刑事、消えたらしい」

 かさこそ、

 見れば、ウラガが将の影の中で蠢いていた。




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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【1537/綾和泉・匡乃/男/27/予備校教師】

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               ライター通信
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 どうも、モロクっちです。
 綾和泉さま、続編へのご参加有難うございます! 『殺虫衝動』第2話をお届けします。今回は、『平』との接触、そして将との再会でした。
 もしよろしければ、ようやく受注を始められた第3話にもご参加くださいませ。ちなみに『ウラガ』は、海上自衛隊が保有する巡視船の名前です。将はフネ好きですから……(笑)

 それでは、この辺で。
 またお会いできれば幸いです。