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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『親友』

 ドアを開けると陽の香りがした。
 陵・彬(みささぎ・あきら)は額の上に手を翳し目を細めて天を見上げる。
 そこに鎮座する太陽は燦然とした輝きを放ち天を支配していた。降り注ぐ陽光はまぶしく、何処か誇り臭いような香りを孕んでいる。
 乾いたばかりの洗濯物の香り、干して取り込んだばかりの布団の香り。
 その朝は光輝と心地良さに満ちていた。
「さて」
 小さく呟いた彬はそのまま軽い足取りで敷居をまたぎ外界へと見を躍らせる。天気のよい朝は、気分というものの天気も晴れ易い。正にその典型のような朝だった。とんとんと軽い足音を立ててアパートの敷地を出た途端にその遭遇があった事もまた、気分の天気をクリアにさせるに十分な出来事だった。
「あれ?」
「よお」
 キッと小さく音を立てて彬の目の前で自転車が止まる。
 赤茶の短髪と同色の瞳。髪の色と同様に派手なつくりの容貌がにっこりと彬を見て微笑む。
「なんだ? 今からガッコかよ?」
「ああ、あんたこそバイト?」
「まあな」
 互いの行動を理解しているかのような軽いやりとり。
 実際彬はこの青年について、少なくとも立場や名前、場合によってはその日のスケジュールまでもを把握している立場だった。その青年――草壁・鞍馬(くさかべ・くらま)もまた条件は同じである。住む場所も同じアパートなのだ、情報も行き交いやすい。
 鞍馬はクスリと笑うと己の後ろを彬に示した。
「なんだよ?」
「乗れよ」
「へ?」
「俺まだ時間に余裕あっし。送ってってやんよ」
 軽い口調でそう言われ、彬は僅かに眉間に皺を寄せた。
「ガキや女の子じゃあるまいし。送られるほど弱くも子供でもないよ俺は」
「別に女子供しか送っちゃいけねえ法もねえだろ。いーから乗れって」
 すいと伸びてきた手があっさりと彬の荷物を取り上げる。
「おい!」
 抗議の声に、鞍馬はクックと低く笑いを落とした。
「さて彬。おまえの荷物は預かった。無事に帰して欲しくばさっさと後ろに乗るがいいぜ?」
 にまりと挑発的に鞍馬は笑む。彬は小さく息を落として肩を竦めた。
「あんたなあ……。そっちこそ子供みたいだろ」
「言ってくれるねえ。ああ、要求はもう一つあるんだぜ?」
「なんだよ?」
 問いかけに、鞍馬はぱちんと片目を瞑って見せた。
「俺を遅刻させたくなくば、だ」
 その脅迫に、彬は苦笑し灰色の髪を揺らせて頷いた。つまり要求に大人しく従った。



 風が頬の横をすり抜け、髪を巻き上げていく。
 軽快に走る自転車の後ろは確かに快適で、少々の不本意さや強引さなど問題にもなりはしなかったが、それでも彬は口に出しては文句を言った。
「ったくなんであんたはそう人の世話ばっか焼くんだよ?」
「なんでも何もこんなもん世話でもなんでもねーだろ」
 軽い答えだけが背中から返ってくる。
 その背中は大きく、しがみ付いていても小揺るぎもしない。身体つきは細いくせに長身なせいだろうが。
 微かに雄のコンプレックスを刺激され、彬は更に唇を尖らせた。
「大体あの脅迫はなんだよ?」
「あん?」
「だから『俺を遅刻させたくなくば』ってのは。そんなもん脅迫でもなんでもないだろ」
 単にあんたの事情で。
 そう言ってやると、鞍馬は器用に自転車を走らせつつもくるりと彬を振返った。
「脅迫でもなんでもない?」
「そうだよ」
「じゃ、何でお前俺の後ろに乗ってるわけよ?」
「……」
 なんでも何も。
 それは勿論鞍馬をバイトに遅刻などさせたくなかったからであり、あそこで自分が自転車の後ろに乗らなければ決して鞍馬が再びペダルを漕ぎ出す事など無い事を知っていたからだ。
「荷物が、あったからだよ」
「ま、そういう事にしといてやろう」
 低く笑い、鞍馬はまた視線を前へと移した。
「効果絶大だろ?」
 何処か笑いを含んだその声に、思わず彬は頬を赤らめた。



 いつもいつもこうだ。
 気付けば自分の前にこの背中はあり、自分を庇い、自分を補佐し、自分を助ける。
 いつもいつも。
 それはこんな清清しい天気の朝ばかりでなく。
 分かっているこの背中がなければ自分は立ち行かないという事は。
 なんだかんだと自分はまだまだ子供で、その子供の部分をこの背中はいつも容易く庇う。
 あまりに自然で麻痺してしまいそうになる感覚だが、麻痺させてはならない感覚。

 その問いかけの答えを知っていながら。
 いつもこの思いが浮かぶ度にしてしまう問いかけ。

「悪いな、いつもいつも」
「親友だろ?」

 単純で明白で。
 眩暈がするほどその理由は優しい。



 彬はコツンと鞍馬の背中に額をぶつけた。
 しがみ付く手にきゅっと力を込めても、やはりその背は小揺るぎもしない。
「なあ……」
 答えが分かっていても、また、その言葉は口を付いて出る。
「なんで…他人の為にそこまでできるんだ?」
「……だって、お前と俺は親友だろ?他に理由なんてねぇよ」



 それだけの筈など、ないのに。
 分かっているのに。
 その優しさにいつも騙される、いつもいつも。

 騙されていたいからだ。深い事情などこの『親友』の深い心の奥等覗き込む事などせずに。



「そっか」
「そうだぜ」
 会話は途切れた。
 しかし自転車のスピードは落ちる事無く、二人を目的地へと運んでいった。



 そこに鎮座する太陽は燦然とした輝きを放ち天を支配していた。降り注ぐ陽光はまぶしく、何処か誇り臭いような香りを孕んでいる。
 乾いたばかりの洗濯物の香り、干して取り込んだばかりの布団の香り。
 その朝は光輝と心地良さに満ちていた。



 その存在は、きっと明日もまた光輝と心地良さに満ちている。

 親友という、その存在は。