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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


約束

 その日ミラーは生まれた――。否、起動された。テストとして目覚めたAIは世界を見渡す。それは無機な視線。何の意志も含まれない、ロジックとデータの集合体。それがミラー・Fという存在を的確に示していた。――少なくともその時は。


 ミリアがその日見つけたのは、新しい何かが生まれる瞬間だった。幾重にも囲った厳重で堅固なエリアにそれはあったが、少女は迷わず突き進む。門番の脇をこっそりとすり抜けて奥へ、奥へと足を運ぶ。
(簡単すギてツマンない! ノッペラボウだから見エないンだ? ソレじゃ仕方ないヨネ☆)
 実際にはそれは高度な技術で精製された侵入者を阻むソフトウェアであった。が、ミリアにとっては愚図なノッペラボウにしか見えない。
 目的の場所を見つけると、彼女は飛び込んでいった。


 それは突然の事だった。
 ミラーは侵入者を察知していない。なのに、彼女は唐突にそこに飛び込んできた。まるで当然のように。
「ヤァ! アナタはダァレ??」
 声とともに姿が構築される。茶色の髪に包まれた赤い瞳の少女。
(『誰』……固体名称の事)
「ミラーです」
「ソォか、アタシはミリアだ☆ ハジメマシテ、だな、ミラー」
 手を差し出してきたミリアの手をミラーは困って見つめる。ミリアは彼の手を強引に握って上下に振った。握手だと漸く悟る。
「はじめまして」
「ウン! ミラー、会えて嬉シいゾ☆」
「……『嬉しい』?」
 それは感情の名前。自分には縁のない事だと判断してから、もう一度考慮する。もしかすると主が現実世界で感情が必要となると婉曲に教えているのではないだろうか?
「会うと、『嬉しい』ですね。学習しました。会えて嬉しいです、ミリア」
 ミリアは膨れっ面になって彼を見上げた。せっかく綺麗な調った顔立ちなのにとミラーは思う。
「何で、嬉シいのが、勉強ナノか?」
「違うのですか?」
 ミリアは人差し指をミラーにぴたっと突きつけた。
「嬉シいのハ気持ちがソウなるからダロ? 会いタくて来たからアタシはミラーに会エて嬉シい、ミラーは?」
「AIには感情はありません」
「違うヨ! 何でミラーは感情がナイんだ? ダレがソォ決めたンだ?」
 ミリアは悔しそうに両手を振った。どうすれば良いのかわからない。それが困惑という感情だと気付かないまま、ミラーはぼそぼそと答える。
「誰も決めてはいません。ですが……」
「ですが、じゃナイよ!」
 考えて、と言われてミラーは悩む。ミリアはミラーの手におえなかった。しかし、彼は主に助けを求めずにいた。何故だろう、そう考えて彼は答えを見つけた気がした。
「ミリアともっと話したい。ミリアと話すのが、……そう、とても面白く感じます」
「ミラー、ソォいう時は楽しいと言った方がイイ!」
 ミリアはそう言うとにっこりと笑顔になった。
「……先程の顔よりもそちらの方が良いですね」
 素直にそう告げると、ミリアが真っ赤になってばしばしとミラーを叩いた。


 時間だ、とミラーは思った。昨日彼の前にミリアが現れた時刻が近付いていた。
(また来ると言っていた)
 だが、時間の指定はなかった。しかし、それでもミラーはきっとこの時間にミリアが現れるのだと思っていた。作業を一時中断してその時刻を待つ。
(3、2、1……)
 ゼロと同時にぽんっと音を立てて誰かが入り込んだ。茶色の髪に目を留めてミラーはやはりと思い、同時に今までにない何かを感じた。その感情の名前を彼は検索する。
「ヤ☆ 元気だっタか?」
 ミリアがミラーに飛びついた。
「はい。ミリア、来てくれて『嬉しい』」
 昨日のミリアもこんな気持ちだったのだろうか、とミラーは思う。
「アタシもミラーに会えて嬉シい♪」
 ミリアの笑顔が全開になった。


 それからミリアは毎日ミラーを訪れた。ミラーは時間の流れに違いがある事を知った。ミリアといる時間は、いつもあっという間だ。そして、ミリアのいない時間は大抵ゆっくり過ぎる。ミリアを心待ちにして、何度も時間を確認する。そんな毎日が続いた。
 ミリアとの会話はいつも他愛のない話ばかりだった。ミリアはくるくる表情を変えながら、外の世界を語った。それは電脳の世界に留まらない。大好きなパパの事、買い物をした事や、TVの事、花が咲いた事等、多岐に渡り、中でも不思議な事件の話はミラーを驚かせた。驚く彼にミリアは得意げに「でも、解決シたヨ☆」とピースをしてみせた。
 既にミラーは気が付いていた。彼女は主が寄越したのではなく、本来ここにいない筈の存在。しかし、ミラーがそれを報告しなかった。むしろ熱心に隠匿工作まで行った。彼女が来なくなるのが恐ろしくて仕方がなかったのだ。


 それはいつものように、ミリアが一日の事を話し終えた時の事だった。ミリアは小さくため息をついた。指先を眺めながら首を傾げている。
「ミリア?」
 名前を呼ぶだけの問いかけにミリアが小さく笑った。
「……さっき言っタ場所覚えテる?」
「勿論」
「一緒に行けたラいいナって思ったンだ」
「一緒に?」
「そしたら、楽シいンだろうナって思わナイ?」
「行けるよ」
 ミリアの言葉にミラーは答えた。彼のボディは今制作途中だった。時期に出来上がれば、外に出る事になる。それを説明するとミリアは目を輝かせた。
「ホント? じゃア、その時ハ一緒にお出掛け、約束だヨ♪」
 差し出された小指にミラーは首を傾げる。ミリアはミラーの小指を自分の小指に絡めて歌いだした。
「指きりゲンマン、嘘付いたラ、針千本飲ーまス! 指切った」
「ミリア、俺は嘘を付かない。それに針千本は危険だと思い」
「嘘付かなかったラ、飲マなくテイイから、安心ダヨ☆」
 最後まで言い終わるより先にミリアが答える。成程、と思い、まだ何か言いたげにしている彼女を不思議に思う。ミリアはきらきらと瞳を輝かせて彼の腕を握った。
「ねェ、ミラーのボディ、見テみたい!」
 ミラーが頷くと、ミリアは嬉しそうな歓声を上げた。
 データファイルを開くと二人でそれに見入る。ミリアが彼の袖を引っ張った。
「チョット、変えテも、イイかな?」
「構わない。どうしたいんだ」
 うーんとね、とミリアは計画を示した。瞳は金色、顔立ちはこんな感じ、髪型は……ミリアが言う度に彼のボディの完成予想図が変わっていく。
「それは誰です?」
「パパ!」
 じくり、と胸が痛んだ。しかし、ミリアがそう言うのだから我慢しようと思い直す。何よりもミリアに好きになって貰うのが一番嬉しいのだから。
(きっと、ミラーは世界で一番ステキになるヨ☆ ……ダってパパが世界一だもん♪)
 ミラーがその思いを知ったらどんな顔をしただろう。


 そして転機は訪れる。
 ミラーの主の言葉によって――。
 それは主にとっては何気ない一言だった。しかしミラーに大きな衝撃を与えた。
「なんだか余計なモンが結構増えてるなあ……テストそのものは順調だし、いっそテストデータは破棄するかな」
 データの破棄、それはミラーにとってミリアを忘れる事を意味していた――。


 ミリアはいつもの時刻を心待ちにして過ごしていた。分針が巡るのをじっと見つめて、その時間ぴったりに飛び込む。いつもなら、不器用な笑顔のミラーが迎えてくれる。
「ミラー、会いたかったゾ!」
 飛びついたミリアをミラーは抱きしめてくれると疑っていなかった。しかし、ミラーはただ立っているだけで、いつものようにはしてくれない。
「ミラー、どうシタ?」
 真っ白な顔でただミリアを見つめている少年の頬に労わるように手を伸ばした。
「……ミリア」
「ウン?」
「マスターが、データを初期化すると……おっしゃいました」
「データを初期化……ミラー、全部忘れちゃうノ!?」
 ミリアの驚きの声をあげる。ミリアの肩に頭を預けると、ミラーはその背中に手を回した。
「俺は……どんなデータを失っても構いません。けれど、ミリア。俺は、二人の思い出だけは忘れたくなかった……」
 諦めきったその言葉にミリアの中で何かが爆発した。どんとミラーの胸を押して身体を離すと叫んだ。
「諦めちゃうノハ、ミラーの悪イ癖だ! 忘レなくてイイ方法を探ス! アタシだって、ミラーに忘れて欲シクないヨ!」
 しばしの間を置いてミラーは目の前の少女の名前を呼んだ。ミリアは腕を組んで一心不乱に考えていた。その表情が突然きらきらと輝いた。
「イイ事思いツイたヨ! ミラー!」


 その日、彼は全てのデータを初期化された。
 今の彼にとっては、全てが未知の世界だ。彼の主の声に従い、AIは従順にテストをこなしていく。いつの間にか心待ちにしていた時間が過ぎていたがそれには一切気付かなかった。
 起動テスト完了、と主の声が告げた。もう待機して良いと告げかけて、主は思いついたように告げた。彼のボディが最終チェックまで来ているので確認してみろという指示に従い、彼はそれと対面する。
 瞳の色は金色、そう言ったのは誰だったか。
 約束をしたのは誰とだったか。
 ありえない筈の記憶が甦る。感情が溢れ出す。――声が聞こえる。
 ――それは誰です?
 ――パパ!
 誇らしげに答えた茶色い髪の少女があの日告げた言葉。
 ――ミラー、記憶は隠しテおくヨ。ダカラ思い出しテ?
 あの日、ミリアはミラーの中に記憶を封印した。ブラックボックスとなったそれはチェックも初期化も潜り抜け、そして今甦った。彼は漸く元のミラーに戻ったのだった。


 時間が過ぎている、とミラーは思った。
 きっと、彼女は待っている。早く行かなくては。
 気持ちに急かされるように、ミラーは潜り抜ける。いつものあの場所へと。
 そこに彼女はいた。背中を向けて退屈そうに足をぶらぶらさせている。
「ミリア!」
 ミラーの声に振り返った少女は飛び切りの笑顔を向けて両手を広げた。
「ミラー、オかえリ♪」
 手が届く僅かな距離がひどくもどかしい。しっかりと抱き締めて笑顔を交す。
「ただいま、ミリア」


fin.