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<東京怪談ノベル(シングル)>


SFXな猫(3)




 人は変わるもの――と国語の先生が言っていた。
「それは、良い意味で変わる時と、悪い意味で変わる時の二つ」
 その時は何となく頷いていただけだったけど、今は少し違う。
 ――良い悪いの判断のつかない方向へ変わる時もある。
 そう思いながら、あたしはそっと耳に触れる。
 ――羽のように柔らかな耳。猫の格好は、違和感を感じないほどあたしに馴染んでいた。
(この格好は、もう慣れたけど……)
 今、この状況だけは――。



 あれは、バイトを終えて二日後のこと。
「……え?」
 電話の相手へ向かい、あたしは戸惑いの声を上げた。
「いや〜つまりね、前回のバイト以来、どうも生徒さんが君を気に入ったらしくてさ。是非また来て欲しいとのことなんだ。今夏休みだし、時間の都合もつきやすいだろう?」
「た、確かに空いていますが……」
 問題はスケジュールのことじゃない。
 ――あのときの記憶が蘇る。
 初日に猫の格好をして、翌日には庭を歩いて……。
 後半は慣れてきたとは言え、今思い出すと恥ずかしい。
(あれをもう一度やるの……?)
 バイト終了日、生徒さんから「また呼ぶね」と言われたこともあって、もしかしたらとは思っていたけど……。
「頼むよ。バイト料も弾むし、君しかいないんだ」
 そう言われると、断り辛い。
 ――ものは考えようかな。一度経験したバイトなら、やりやすいと言えるもの。
「わかりました」
 とあたしは返事をした。
(前回のときも、後半は慣れてきていたし。多分今回も大丈夫)
 ――ただ前回同様、トイレをどうするかが問題だけど……ね。


 それから数日後、あたしは前と同じように生徒さんが待つ専門学校へ行った。
(今回は何の格好をするのかな?)
 前回は猫だった。
 でもあのときは初めてだったし、初心者向けの軽いお仕事だったのかもしれない。
 今度は前回よりも強烈な格好をさせられたりして――。
(まさかね)
 笑って打ち消した。
(いくらあの生徒さんたちだって、あたしをからかうような真似はしないよね)
 あたしはそう思っていた。
 ――再び生徒さんたちに会うまでは。


 生徒さんは、満面の笑みで迎えてくれた。
「みなもちゃんおはよう。待ってたのよ」
 あたしは手をつかまれ、椅子に座らされた。
 生徒さんのテンションが、妙に高い。
(なんでこんなに楽しそうなんだろう……)
 何となく、身構える。
 そんなあたしの思いを知ってか知らずか、生徒さんはバッグから缶ジュースを取り出して、渡してくれた。
「冷えているわよ」
「ありがとうございます」
 礼を言ってから、頬に缶ジュースをあてる。ひんやりと冷たい。
 外の暑さから背中が少し汗ばんでいただけに、心地良かった。
「暑かったでしょう?」
 生徒さんの声が、頭上から落ちてくる。
 涼しい日が続いていた中、今日は雲も無く、気温は三十度近い。
 それを生徒さんは気にしているようだった。
「ごめんね。こんな暑い日に、こんな――」
 生徒さんは手を伸ばすと、あたしの額に掌をくっつけた。さっき缶ジュースを持っていたためか、生徒さんの手は冷たくて気持ちが良い。
 身体の熱が引いていく感じがして、うっとりする。
「いえ、大丈夫です」
 冷たさを額に感じながら、あたしは言った。
「暑いの、得意なんです」
 本当はちっとも得意なんかじゃないけど――生徒さんに気を使わせたくなかった。
「本当に大丈夫?」
 尚も訊ねる生徒さんに、あたしはにっこりと笑ってみせた。
「はい」
「そう。それならいいんだけど……」
 そう言うと、生徒さんも微笑んでくれた。
(良かった)
 と思っていると、生徒さんはおもむろに道具を取り出した。
 茶色くて分厚い毛のようなものと、硬い角と、ごちゃごちゃと置いてある。
(これは何かな?)
 あたしはその中から、赤くて丸い妙な物体を拾い上げた。
「ああ、それは今回のチャームポイントよ」
「そうなんですか?」
「だってほら、歌にあるじゃない。“暗い夜道はピカピカのお前の鼻が役に立つのさ”」
「トナカイですか!?」
 声が上ずる。
(トナカイの格好をするの? この季節に……)
「一体、何のために……?」
「需要があるのよ〜」
「どこでですか?」
「え? うん。まぁ、色々よ。色々」
 ――嘘だ。百パーセント嘘だ。
(だって、目元が笑っているもん)
 どうりで、やたらと暑さを気にする筈だ。生徒さんが気にしていたのは、外の暑さよりも今からするトナカイの格好での暑さだったのだ。外が暑かった上に、これからもっと暑い思いをする羽目になるのを、気にしていたのだろう。
「じゃあ、始めましょうね」
 生徒さんは、あたしの額からブラウスの襟に手を移した。


 この間の時間は、あたしを不思議な気持ちさせる。
 自分が自分でなくなるような感覚と言えば伝わるかもしれない。
 別の生き物にされていくのを、あたしは長時間見続け、感じ続ける。
 その変化は顔から始まり細部に渡って行き、気持ちの面まで変化をもたらす。
 別の生き物にされていく感覚。
 ――そっと生徒さんを眺めてみる。
 生徒さんは慣れたもので、あたしの身体を動かないように固定しながら、しなやかに手を動かしている。
(凄いなぁ……)
 だけど、あたしが余裕をもって生徒さんを見ていられるのは、ほんの数秒。
 その後は全身の肌にクリームのようなものが塗りこまれていくのがくすぐったくて、声をこらえるのに必死だ。
 身体を固定されているから、前回のように身体を動かすことも出来ない。
 今あたしに出来るのは、じっと目をあけていること。
 ――目を瞑ると、生徒さんの手の感触が幼い頃に怯えた得体の知れない生き物に思えてくるから。
 生徒さんから目を離し、天井に視線を移す。
 少しの恐怖心とまだ残っている羞恥心の混ざった、波立つ感情を飲み込む気持ちで、喉をごくんと鳴らした。
 

 気持ちが落ち着いてきた頃に、作業は完成した。
「完璧でしょ?」
 そう言って生徒さんが見せてくれたあたしは、確かに完璧なトナカイだった。
「はい」
 あたしは頷いた。
 本当によく出来ている。
(あたしじゃないみたい……)
 もうあまり恥ずかしくない。
 むしろ楽しいかもしれない。
 だって、朝は普通のあたしだったのに、今はトナカイの姿で――短時間で普段の自分とは違う感覚を味わえるなんて。
 そう思えば、生徒さんに見られているのも気にならない。視線が心地良く感じるときもあるくらい。
(コスプレをしている人たちも、こんな気持ちなのかな)
 三日間の拘束は少し辛いけれど、その分お給料も良いし、違う自分になれる。素敵なことかもしれない。
 少し暑いけれど、それは我慢。
 トイレも……何とか耐えよう――と思った。
 残り二つのバイトも、二つ返事で引き受けた。


 一度決意を固めてからは、生徒さんにからかわれながらも、頑張れた。
 作業の間は天井を見つめながら、龍になり、マンティコアになった。
 ――龍は、トナカイよりも皮膚が分厚いためか、作業中から肌が汗ばみ、それを生徒さんが拭く――ということを繰り返した。
 エアコンをつけても中々部屋は涼しくならないし、完成してからは外に出たので余計だった。
 顔は特に被り物っぽくなっていたので、息が篭りやすい。
 暑さから漏れる溜息の音まで篭り、その音は長い時間耳に残った。
 肌だけじゃなくて、身体の中から熱を帯びて、呼吸すら熱を宿していた。
 ――マンティコアは、“人食い”という意味で、ライオンの身体と人の顔をした幻獣。蝙蝠のような羽を持ち、蠍のような毒針がある。
 つまり想像上の生き物な訳で、これはもう完全に生徒さんに遊ばれているとしか思えない。
「何に使うんですか?」
 訊ねても、生徒さんは答えない。
 代わりに、肌が強い上に潤っていて綺麗だとか、髪がさらさらだとか撫でているとシャンプーの香りがして気分が良くなるとか、指先が細くてしなやかだとか、ひたすらにあたしを褒めていた。
 褒めてごまかしながら、生徒さんはさっさと作業を進めていく。
 何が何だかわからないうちに、姿を変えられてしまった。
(生徒さんには敵わないなぁ……)
 鏡に向かって、苦笑する。それさえも楽しめた。
 ――三日目がくるまでは。



 あたしは途切れ途切れに息を吐いた。
 呼吸すらままならないほど緊張している。
(何でこんなこと……)
 自分の手元に目を落とす――視界に入る作品名『猫娘』の文字。
 今日は先生に見せるための披露会なのだ。
 ――さっきから、あたしは前を向くことが出来ないでいる。
 生徒さんは口々に「前を向いて」と言うけれど――前には先生が立っていて、長いことあたしを眺めているのだ。
(前が見られない……)
 本当なら、マンティコアが終わったときにバイトは終了する筈だったのに。
(どうしてこんなことに……)



 当然、トナカイも龍もマンティコアも、三日目には披露会があった。
 あたしはみんなの前で座らされ――集まってくる視線に耐えかねてうつむいては「前を向いて」と叱られた。
 生徒さんの視線には一種の快感を覚えていたけど、先生に見られるのにはためらいがある。
 その上、先生は見るだけじゃなくて、あたしの腕を掴んだり、抱き寄せて近くで眺めてくる。
 そうしながら、ここは良く出来てるとか、ここの出来が良くないとか評価するのだ。
 先生はあたしを一つの作品として見ているのに対し、あたしは違う。身体に先生の手が触れる度に、心臓の動きが速くなったし、先生があたしを近くで眺めているときには、息をとめていた。
(……早く終わりますように……)
 ただひたすらに願った。
 だから、マンティコアの披露会が終わったとき、安心して力が抜けた。
 これで一段落。
 シャワーを浴びて、早く帰ろう――と思っていると、先生の視線に気がついた。
 じーっと、あたしを眺めている。張り付くような視線に赤面する。
(あたし、何かいけないことしたのかな……)
 不安になっていると、先生は微笑んであたしを抱き寄せた。
「貴方達、良いモデルを見つけたわね」
 先生はあたしの頬を両手で包んで、あたしの顔を穴の開くほど眺めた。
 ――顔が赤くなる。息を飲んだ。
 その様子を見て、先生は目を細めた。
「この表情が良いわ。やっぱりモデルはこうでなくちゃ、つまらないわね」
 笑い声を上げてから、あたしの耳近くの髪に指を絡めた。
「可愛いわ」
 あたしは何て返していいかわからず、戸惑っていた。
(生徒さんにそっくり……)
 あたしは完全に玩具にされている。
(敵わない……)
 あたしの沈黙をよそに、先生と生徒さんが話している。
「トナカイ、龍、マンティコアね。これで全部?」
「いえ、最初に猫の格好をしてもらいました」
「あら、そんなの見てないわよ」
「すみません、すっかり忘れていて……」
「駄目じゃないの。ちゃんと見せてもらわないと」
「わかりました。それじゃあ……」
 生徒さんが横目で、あたしをちらりと見る。
(嫌な予感……)
「明日、やりますので」
(え!?)
 そんな急に決められても……。
「そうね。頼んだわよ」
 あたしは先生の腕を掴んだ。
「あの、困りますっ」
「あら、どうして?」
「だって……そんな急に言われても……」
「明日は予定があるのかしら?」
「いえ……。でも、あの、心の準備が……」
 先生はニヤリと微笑んだ。
「それなら余計に明日が良いわ。楽しめそうだもの」



「みなもちゃん。前を向いて」
 生徒さんの声がかかる。
「はい……」
 おそるおそる、前を見る。
 ――と、先生と目が合った。
「可愛いわよ」
 ――再び目を逸らす。
 先生がそんなことを言うから、あたしは前が見られないのに……。
 勿論、先生はわかっていて言っているんだろうけど。
(絶対、からかわれてる……)
 大体、披露会を始めて一時間は経っているのに、先生は一向にあたしに近づこうとしない。一メートルほど離れた所に立ち、眺めているだけ。からかって遊んでいる。
 披露会になっているのか、なっていないのか……。
 あたしうつむいたまま。
 ――急に気配を感じて顔を上げると、先生が傍にいた。驚いたせいで一瞬呼吸が止まる。
 先生はあたしの頭を撫でた。
「はい、これでお終い。帰っていいわ」
 縮こまっていた身体が、楽になった。
 息をゆっくりと吐く。
(ようやく終わったぁ……)
 シャワーを浴びて帰ろうっと。
「あ、ちょっと待って」
 先生が、カップに入った紅茶をくれた。
「ごめんなさいね、疲れたでしょう?」
「――いえ……」
 身体は疲れていない。恥ずかしさで心はクタクタだけど……。
「本当にごめんなさいね。今度はここまでひどくしないから」
「――え?」
 ――……今度?
「また、お願いするからね」
 先生はあたしの手から空になったカップを受け取ると、にっこりと微笑んだ。