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調査コードネーム:ダブルブッキング
執筆ライター :水上雪乃
調査組織名 :草間興信所
募集予定人数 :1人〜4人
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「駆け落ちを手助けする、ねぇ」
草間武彦が下顎に右手を当てた。
考えているのは、むろん値上げされたタバコのことではなく、依頼内容のことである。
古風な言い方をすれば、ロミオとジュリエット、というところだろうか。
憎しみあう両家の子女が恋に落ちてしまう。
人間の心というモノは状況では縛れないモノだから、こういうケースもあるのだろう。
「だいたい、家同士が仲悪いったって、本人には関係ないよなぁ」
怪奇探偵の呟き。
恋愛など、それこそ本人同士の問題だ。
肉親とはいえ他人が口を挟むべきではない。
「それが名家ってヤツなのかねぇ」
背負うべき家名もなく、身軽きわまりない草間としては、金持ちの考えることは判らない。
そしてそれ以上に判らないのは、
「だったら、どうしてこんな依頼を受けるんですか? 兄さん」
冷えた麦茶を手渡しながら草間零がデスク上の依頼書に視線を送る。
二通。
ひとつは、駆け落ちしようとする若者たちからの依頼。
もうひとつは、恋人たちを引きはがそうとする女性の親からの依頼。
ダブルブッキングだ。
本来なら、決してやってはいけないことである。
「何か考えがあるんですか?」
「料金の二重取りをしようと思っただけだ」
「本気で言ってるなら、兄さんを嫌いになります」
軽く両手をあげて降参のポーズを作る怪奇探偵。
零が柔らかく微笑した。
「両家が和解できれば、問題のほとんどが解決しますよね。これ」
「ああ」
「そこまで考えて受けたんですか?」
「愛し合ってるモノを引き裂くのは可哀相だろ?」
「優しいですね」
「ほっとけ」
照れたようにそっぽを向く。
机の上では、書類がエアコンディショナーの風に揺れていた。
茂木家と中山家。
それが、今回彼が煙に巻かなくてはいけない家の名前だった。
※水上雪乃の新作シナリオは、通常、毎週月曜日にアップされます。
受付開始は午後8時からです。
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ダブルブッキング
結婚というものは、なかなかに難しい。
恋愛中にはさほど問題とも思われない家柄だの親戚づきあいだのという事柄が浮上するからだ。
家に嫁ぐ。
そんな言葉もある。
本人というよりも、これは周囲の問題なのだが。
西洋的な価値観からいえば奇妙なことではあろう。結婚など本人同士が望めば他人の口の挟むべきことではない。
たとえそれが肉親であっても同じだ。
だが、旧来の日本的な価値観ではそういうわけにはいかないのも事実である。
「夫婦別姓なんてのが言われて、だいぶ経つけどね」
シュライン・エマが肩をすくめて見せた。
いつもの事務所。
新調したエアコンディショナーから送り出される風が黒い髪をくすぐっている。
「なかなか法律も整備されませんよね」
「ま、それがこの国の政府の特徴でもありますから」
くすくすと笑い合うのは八雲純華と高屋敷任那。
これにライ・ベーゼと海原みなもが加わり、総勢五名の実行部隊となる。
男性は黒い瞳のユダヤ人だけだ。
ハーレムみたいな状況だが、ベーゼとしてはべつに楽しくもなんともない。
女三人よればなんとやら。
今回は四人もいるのだから、そのパワーに押されがちになってしまうのは、むしろ当然の結果であろう。
「べつに政府を弁護する気はないですけど、微妙な問題ですからね」
みなもが常識人ぶったことを言う。
最年少なのだが、識見は高く思慮は深い。
もっとも、
「夫という「男」の姓を名乗るのは嫌で、父親という「男」の姓を名乗るのはオッケー。なかなか矛盾に満ちた考えでは、ありますけどね」
これは皮肉というには毒のありすぎる意見だろう。
一面の真理ではあるが。
夫婦別姓を求める女性は、別に男の姓を名乗るのが嫌なわけではない。長年慣れ親しんだ姓を捨てるのが嫌なだけだ。
さらには、所有物のように見られるの嫌なのだろう。
夫婦は主従ではなく対等であるべきである。
これまで使っていた姓を捨て、親戚づきあいに奔走し、舅や姑に気を遣う。
結婚したくない女性が増えるのは当然だ。
わがままだろうか?
些末事だろうか?
だが、立場を逆にして考えたとき、それに耐えられる男性は多くはない。
「と、話がそれちゃったわね。私たちが考えなきゃいけないのは、社会全体のことじゃなくて、茂木家と中山家に挟まれた可哀相な恋人たちのことよ」
シュラインが微笑する。
やや居心地が悪そうに、興信所所長が鼻の頭を掻いた。
男としては耳の痛い部分もあったのだろう。
「ちなみに、なんで両家は仲が悪いんですか?」
そんな怪奇探偵の様子を青い瞳の端に捉えながら、みなもが訊ねた。
「きっかけは、些細なことらしいわね」
軽く頷いて応えるシュライン。
すでに、ある程度は下調べしている。
こういうときにこそ怪奇探偵の人脈が役に立つのだ。
否、こんな事くらいにしか役に立たない、というべきか。
「どんなことがあったんです?」
興味津々の体で純華が身を乗り出す。
「えっとね‥‥」
コンピューターのディスプレイを見ながら、説明を始める事務員。
ぞろぞろとスタッフが周囲に集まってきた。
中山家と茂木家は、もともと不仲だったわけではない。
むしろ仲が良かった方だろう。
どちらも元は華族である。そしてその制度が無くなってからは、ともに紡績で財を成した。
好敵手、という表現がしっくりくるような関係だったらしい。
互いを尊敬しあい、認め合っていた。
関係がこじれるのは、昭和のはじめ頃である。
それぞれの家が持っている会社を合併させようという話が出たのだ。
そして、たいして珍しくもない話だが、結婚によって結びつきを強めようということになった。
中山の娘を茂木に嫁がせる、というわけだ。
「‥‥今の状況とは、ちょうど逆になるわけですね」
任那が腕を組んだ。
中山家の娘と茂木家の息子。たしかに立場が今とは逆だ。
それに、本人たちよりも周囲が積極的という状況も逆説的である。
「でも、親が子供を支配しようとしている事実は、同じですね」
黒い瞳に嫌悪の光をちらつかせるベーゼ。
彼にとっては、日本的な価値観というものは奇妙きわまりない。
「続けるわね」
日本的価値観を持つもう一人の外国人が言った。
結局、その結婚と合併は流れることになる。
理由は、茂木の息子が中山の娘に婚前交渉を要求し、それによって傷ついた娘が自殺してしまったから。
何故そんなことくらいで、という考え方もできるが、当時の価値観としては珍しくない。
ともあれ、中山家は、茂木によって娘が殺されたと考えた。
茂木家は、婚約者同士のことを家の問題にすり替えるな、と反論した。
かくして両家は、互いを徹底的に嫌うようになる。
「ううーん。微妙な問題ですね」
みなもが形の良い顎に右手の人差し指をあてて考え込む。
感情的な対立なのだが、人死が出ているとなると縺れた糸を解きほぐすのは難しいかもしれない。
七〇年以上も前の話に拘泥するな、と説得して効果があるかどうか。
「そういえば、今回って男の人の家からは別れさせるように言ってきてないんですかー?」
ふと心づいたように、純華が口を開いた。
軽く頷くシュライン。
今回の依頼は二つ。
駆け落ちを手助けして欲しいという恋人たちからのもの。
そして、娘たちを別れさせて欲しいという茂木家からのもの。
「おかしな話ではありますが、ただ単に二人の関係を知らないだけという可能性もありますね」
と、ベーゼ。
「そこはなんとも言えません。が、先ほどの話をきいてひとつ判ったことがあります」
ごく控えめに任那が発言を求める。
「それは?」
シュラインが促した。
「茂木家が娘を中山家に嫁がせたくない理由は、おそらくは臆病です」
「どういうことですか?」
「子供を縛っているだけなんじゃないかなぁ」
みなもと純華が、口々に言う。
「かつて、中山家の娘が自殺しました。それと同じことが起きないとは、残念ながら言えません。そしてそれ以上に」
「中山家のものたちによって娘が酷い目に遭わされる、というのもあるでしょうね」
引き継ぐ形でベーゼが語り、任那が頷いた。
嫁いびりがあると判っている家に嫁がせるなど、普通の親が許容できることではない。
まして、もはや政略もなにもないのだから。
「なるほど。逆もまた真なり、かも」
シュラインの認識は、苦い。
仮に中山家が復讐と企むとしたら、むしろ結婚を歓迎するのではないか。そう思い至ってしまったのだ。
「まさかとは思うけど、ね」
「でも、きっちり調べた方が良さそうですね」
慎重にみなもが返し、仲間たちが頷いた。
年齢や経験の差こそあれ、感覚が鈍くてはこのような仕事には従事できないのだ。
中山裕也と茂木美鈴のカップルは、とくに強い印象を探偵たちに与えなかった。
どこにでもいるような、平凡なカップルである。
ただ、少しだけ陰があるように見えるのは、血の桎梏か先入観か。
「必ずしも良い結果になるとは確約できません。その点はご承知おきください」
念を押すようにシュラインが言う。
五人のスタッフが選択した解決法は、駆け落ちの手助け、ではなかった。
もちろん理由はある。
なるべくなら祝福されて結ばれた方が良い、ということ。
駆け落ちを成功させても、その後、怯えて暮らさなくてはいけない、ということ。
そして国外にでも逃げない限り、いつか必ず見つかってしまう、ということ。
他にも細々とした理由があるが、二つの依頼を解決させようと思えば、双方の家が仲直りするのが最も近道だ。
駆け落ちさせては家からの依頼を果たせないことになるし、別れさせてはカップルの依頼を反故にすることになる。
草間興信所としては、相互に矛盾する二つの命題を解決しなくてはならないのだ。
だから、
「純華ちゃんやライくんの案はボツね」
厳かにシュラインが命じたものだった。
なにしろ、かかっているのは数人の人生だ。
中途半端に何か仕掛けて、それがヤブヘビになったときが怖い。
人生は、CM入り六〇分のドラマのようには都合良くいかない。
迂遠なようでも、ここは話し合いで解決すべきだろう。
カップルの代弁者として、探偵たちが関わるという形で。
「まあ、仕方がないでしょう。オレも強行するつもりはないです」
やや不分明な表情で頷くベーゼ。
シュラインの処置に不満だったわけではない。
ただ、彼自身、親の都合を子に押しつけるという行為が嫌いなだけだ。
子は親の所有物ではない。
産んでもらったこと、育ててもらったことには感謝すべきなのかもしれないが、それでも、子供は独立した一個の人格である。
親だからといって支配して良いということには、けっしてならない。
とはいえ、子の幸福のために親が犠牲になる、というのでは筋が通らないのも事実だ。
「うん。みんなが幸せになる方法が一番いいよね」
純華も頷く。
このふたりの提案は、かなりのラインで似通っていたのだ。
純華案の方が少しだけ穏当な手段だが、それでも、美鈴の両親に脅しをかけるという根幹部分に変化はない。
「二人の愛が何ものにも負けないだけ強ければ、きっと親御さんも理解してくれるはずです」
物事の明るい面だけを捉えるように任那が言った。
「ええ。本当に」
みなもが応え、シュラインもまた頷いた。
四つの青い瞳が単純ならざる光を放つのは、これまで多くのことを見てきたから。
幸福も不幸も。
些細な行き違いや誤解で壊れる愛を見た。
愛して愛して、ついには相手を殺してしまった人間を見た。
死してなお、だれかを想い続ける者を見た。
人間の心は方程式では解けない。
だからこそ人は苦しみ、懊悩し、愛するものの心変わりを疑う。
それを何千年という間、続けてきた。
そしてこれからも、ずっと続いてゆくのだろう。
「不便なイキモノよね‥‥」
おそらく人間の心には、深刻な罠が仕掛けられているのだ。
失わなくては大切さに気がつかない、という。
そうなる前に気づかせなくてはならない。
他人の親子関係に口を出すのは野暮なことだとは自覚している。
だが、幸福になって欲しい。
駆け落ちという逃げではなく、正面から現実と向かい合って欲しい。
あるいはシュラインは、このカップルに自分自身の姿を重ね合わせていたのかもしれない。
家という障害はなくとも、人種という障害を立ち塞がっているから。
「何かと大変ですが、頑張りましょう」
不意に任那が微笑した。
この上なく不器用に。
むろん、青みがかった髪の女子大生に、シュラインの心理を忖度することはできない。
してもいけない。
恋愛だろうと友情だろうと、それはひとりひとりが自分で感得しなくてはならないことだからだ。
「ふふ‥‥そうね。頑張りましょ」
短い笑いの後に応えた美貌の事務員は、もう普段通りの彼女だった。
そして数日。
中山、茂木、両家の関係者を集めて会談が催される。
この場合、一方の家だけを説得しても意味がないから、双方の歩み寄りのため参集してもらったのだ。
もちろん、ぶっつけ本番で賭博に出るような怪奇探偵たちではない。
ここに至るまでの間に、充分な根回しをおこなっている。
じつのところ、そのために数日の時間をかけた。
会合をもつだけなら即日にだって可能だったのだが。
「以上のような状況から、ご子息ご令嬢は深く愛し合っており覚悟もできています」
二組の中年夫婦を等分に眺めやり、シュラインが口を開いた。
会話と交渉は、もっぱら彼女が担当する。
他のメンバーは、睨みを利かせる形で沈黙している。
ひとつには、学生である任那や純華やみなもでは、交渉役として容儀が軽すぎるという事情もあった。
中山家にしても茂木家にしても、一応の社会的成功を収めている人々だ。
社会に出てすらいない学生が説得して、翻意するはずがない。
年齢だけならベーゼもシュラインと遜色ないが、口下手と内向的な性格が災いして、やはり交渉役には向かない。
ごく自然に役割が決まり、こうしてシュラインが説得に当たっているのである。
とはいえ、この会合はあくまで形式だ。
茂木家はベーゼと純華。中山家は任那とみなも。それぞれが個別に説得し、一応の合意は引き出してあるからである。
表面に出ない事柄にこそ、探偵の真価があるのだ。
「過去のことは過去のこと。そういって片付けてしまえば、それによって、我々は未来をも放棄してしまうことになる。とはウィンストン・チャーチルの言葉ですが、ここは曲げて水に流していただきたく思います」
シュラインの言葉は続く。
「先の見えない不況の中で両家の絆が深まるということは、幾重にも喜ばしいことかと考えます」
これは功利的な面だ。
交渉というものが取引の側面を持つ以上、正論だけを並べても意味がない。
しっかりと利益を誘導することによって成功率もまた高まる。
子供たちの結婚については、すでに許諾を取り付けてあるから、それをこの場でもう一度確認し、さらには感情的にもつれている両家の関係を修復する。
それが探偵たちの狙いだった。
「ちょっと欲が深いような気もしますが」
とは、みなもが笑いながら言った台詞である。
たしかに強欲だ。
七〇年以上も続いている反目の歴史に終止符を打とうというのだから。
だが、その難事を舌先で解決するのが、怪奇探偵の仕事だ。
中山裕也と茂木美鈴の結婚を奇貨として、妄執に決着をつける。
駱駝の背骨を折った一本の藁にするのだ。
これが、草間が彼らに無言のうちに託したことである。
「あなた方の尽力には、感謝の言葉もありません」
やがて、茂木家の当主が口を開く。
エピローグ
グラスの中で氷がからんと鳴った。
「‥‥結局、どちらの両親とも同居しない、ですか」
やや苦みを込めた表情で、任那が椅子に背を預けた。
「妄執の鎖、断ち切れませんでしたね」
「人間って難しいよね」
ベーゼと純華も嘆息する。
三人の初仕事は完全成功とはいかなかった。
「仕方ないです。というより結婚を認めてくれたんですから、まあ〇点ではないでしょう」
くすりとみなもが笑う。
アイスコーヒーのグラスを掲げて。
「思うんだけど、あの二人に子供ができたら変わるんじゃないかな?」
書き込んでいた報告書から顔を上げ、シュラインが言う。
示唆性の強い言葉だった。
「そうですね‥‥孫は可愛いものですから」
言った任那が窓の外に視線を移した。
ゆっくりとだ。
なにも焦ることはない。
少しずつ少しずつ、変えてゆけば良い。
見上げる空はどこまでも青く。
彼方に積乱雲を発生させていた。
夏は、本番だった。
終わり
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/ シュライン・エマ /女 / 26 / 翻訳家 興信所事務員
(しゅらいん・えま)
1252/ 海原・みなも /女 / 13 / 中学生
(うなばら・みなも)
1660/ 八雲・純華 /女 / 17 / 高校生
(やくも・すみか)
1735/ 高屋敷・任那 /女 / 18 / 大学生(退魔剣士)
(たかやしき・みまな)
1697/ ライ・ペーゼ /男 / 25 / 悪魔召喚士
(らい・ぺーぜ)
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■ ライター通信 ■
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お待たせいたしました。
「ダブルブッキング」お届けいたします。
夏です。
恋の季節です。
にもかかわらず、陰鬱な内容です☆
楽しんでいただけたら幸いです。
それでは、またお会いできることを祈って。
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