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−想−
どこかで、蝉が鳴いていた。
なにがあっても季節は変わらず巡りつづけているのだということを、改めて思い知る。
「あー、今日も随分暑いなぁ」
縁側にごろりと寝そべり、長身痩躯の青年が団扇をぱたぱたと揺らしていた。
彼の名は、九夏珪という。
「夏だから、当然だな」
珪は、傍らで長い足を組んで涼しい顔で書物に目を落としている親友――雨宮薫に、恨みがましい視線を送った。
「絶対零度な回答ありがと。無視されなかっただけマシかもねー」
そんなおどけた物言いを、薫は無言のままサラリと受け流す。
天宮家。
室町時代に興った民間陰陽師の一派で、現在は表舞台からは消えてしまったものの、今もなお続く陰陽道の名門である。
その本家に、ふたりはいた。
広い敷地を持つ古い邸宅で、手入れの行き届いた庭には道場や、修行に使う術場などがある。
薫は天宮家の次期長であり、珪もまた久我家という陰陽道の一派に籍を置く陰陽師だ。
天宮と久我は旧知の仲であり、それゆえにこうして交流もあった――とはいえ、ふたりがお互いに陰陽師であると知ったのは、ごく最近のことなのだけれど。
◇
珪が陰陽師としての能力に目覚めたのは、ほんの数年前である。
幼少より霊感が強く、周囲を巻き込まぬよう、そして誰にも心配されぬように自分で対処できるようになりたい――そう願って、辿り着いたのが陰陽道だった。
その後、現在師匠として仰ぐ久我直親の元で修行を始めて、今に至る。
中学時代からの親友である薫が陰陽師であることは、草間興信所での依頼を受けるようになってから知った。
それまでも薄々感じてはいたが、敢えて追及する気にはならなかったし、珪もまた自身の能力のことは話題に上らせなかった。
性格は正反対ではあるが、互いに信頼し合う仲――それで良かった。
薫が陰陽師だと知っても、珪は驚かなかった。
『うわーっ、似合いすぎーっ!』
とケラケラと笑うと、親友はたいそう苦い顔をしていたけれど、それは本当のことだった。
いつでも冷静で、頭が良くて、決断力もある――そんな薫が陰陽師の名家の次期長であることは、どこも不思議に思えなかったから。
そして、何度か同じ依頼に携わるようになって、薫の陰陽師としての能力の高さも思い知らされた。
実力も、知識も――同じ歳なのに薫は長としての素質が十分備わっているのだと、修行を始めたばかりで未熟な珪にもすぐにわかった。
珪の師匠である直親も薫のことは認めているようで、珪には声がかからない仕事にも、ふたりは共に行く。同等の存在として。
それが、ひどく羨ましかった。
早く薫と肩を並べられる日が来ればいいと、何度願ったことだろう――。
◇
薫は、生まれたときからすでに将来を約束されていた。
天宮家の次期長。
幼少の頃、この世を去った両親にかわり薫を育ててくれている祖母を継ぐこと。
そのために、ひととおりの武術と陰陽術をたたき込まれ、祖母にいわれるがままに様々な仕事を請けてきた。
普段は学生として学校に通ってはいたが、守人である雨宮隼人以外には心を許せる者はいなかった――珪と出会うまでは。
いつでも冷静で大人びていると称される薫とは反対に、天真爛漫な男で、はじめは正直、あまり好きではなかった。
だが、いつしか珪は薫にとってかけがえのない存在になっていた。調子に乗られると癪なので、絶対に言ってはやらないつもりだけれど。
珪が陰陽師だと知った瞬間、薫は思わず頭を抱えてしまった。
『お前も陰陽師だったか……』
呻くようなつぶやきの裏に隠された気持ちは、何だっただろう。
唯一無二の友には、この世界を知らないでいて欲しかったという落胆と――もしかしたら、同じ立場にさらされることでより理解し合えるのではないかという期待……?
珪は陰陽師としてはまだまだ未熟だが、互いの家を行き来するようになってから気付いたことがある。
それは、薫にない優しさや明るさを持つ珪を、ひどく羨望しているということだ。
誰に対しても屈託のない珪は、薫の祖母ともうち解けて喋る。薫でさえ話したことのない学校でのこと、仕事のこと――まるで、本当の祖母に接するように。
それが、羨ましくて。
無い物ねだりだと知っていても、なお――。
◇
「おまえ、夏は好きだと言っていた筈だろう?」
書物――最近になって蔵から出てきた古文書から目を上げ、やれやれと肩をすくめた。
ごろりと寝返りを打ち、珪は眉間にしわを寄せる。
「そうだけど、暑いものは暑いのっ」
バカバカ薫のバカ、というわけのわからない罵声に、薫は嘆息した。
メガネの縁を押し上げ、書物を閉じる。
「たしか西瓜があると聞いたな。食べたければ自分でもらってこい」
「ええっ、いいの!?」
弾かれたように身を起こし、至極嬉しそうに珪は立ち上がる。
――と、珪は、廊下の奥でハタと視線を止めた。
「あ、おばーちゃん!」
おばーちゃん――すなわち、薫の祖母にして、天宮家の現当主。彼女をこんな風に呼べるのは、何処を探しても珪しかいない。
静かに居ずまいを正して、薫はそちらを向いた。
「御祖母様。いかがなさいましたか?」
「直親から電話があった。至急、支度をして来て欲しいそうだ」
「……はい、直ちに」
要するに仕事の要請だった。こうして呼ばれることは、多々ある。
立ち上がる薫は、珪に視線を送った。ふたりのあいだならばわかる、薫の精一杯の謝罪だ。
「怪我しないでね、薫。帰ってくるまでの間、オレ、おばーちゃんに師匠からこの間教わった術を見てもらってるからさー」
珪は、明るく笑って薫の肩を叩いた。
――自分のペースで進んでいけばいい。いつか薫に追いつけるように。
「心配は無用だ。御祖母様、珪を頼みます。それと……帰ったら、偶には一緒に西瓜でも」
頭を下げる薫に、当主が眩しそうに目を細めるのが気配で分かった。
――できることから始めればいい。珪にはなれなくても、薫は薫だ。
「うわ、それって薫が帰ってくるまで西瓜食べちゃ駄目ってこと?」
この世の終わりのような顔をする珪に、薫は、唇の端をほんの少しだけ上げる微笑で答えた。
◇
出掛ける薫も、それを見送る珪も、どこかすがすがしい気持ちだった。
互いに無い物ねだりをしているとは知りつつも、それを越える信頼が二人の間にある。
それだけで十分だから――。
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