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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


異端な友情物語

「お前、よくそれで破門にされないよな……」
 開口一番、書類やら何やらに埋もれるデスクに頬杖をついた草間が、溜息をつくかのように目の前の聖職者を見上げた。
 ――ユリウス・アレッサンドロ枢機卿猊下。
 ローマ・カトリック教会の高位聖職者にして、本来なればここにいるべきではないような人物だった。
「……教会(うえ)には内緒にして下さいね? ばれるとさすがにまずいですから」
 ユリウスは暢気に優雅に微笑むと、はたはたと手を振ってみせる。
「もうばれてるんじゃなかったのか? 教皇辺りに」
「その辺は適当にフォローしておきましたのでご安心を。――昨夜聖下から連絡がありましたけれど、適当に笑って誤魔化しておきましたし」
「それで良いのか、オイ」
 無駄だとはわかっていても、思わずつっこみを入れてしまう。
 しかしこのままでは、話のペースがユリウスに掻っ攫われてしまう事もわかりきっていた。蟻地獄に嵌らないうちに、と、草間は薄めすぎた珈琲を啜りながら、
「で、何で俺の所に」
「いやぁですねぇ。わかっていらっしゃるくせに……相変わらず意地悪サンなんですから♪」
「――気色悪いからやめてくれ」
 緩みきった青い瞳に、疲れすら覚えてしまう。ユリウスとはそれなりに長い付き合いがあったが、一度でもこの枢機卿に勝った事はあっただろうか。
 あらゆる所で。
「何もね、私だって、遊びでやってるわけじゃあないんですよ? 悪魔の召還だなんて。こーいう事は命がけなんですから……ん、数年前には死にかけた事も――」
「ちょっとマテ。数年前にもやったのか! しかも、死にかけただなんて話――!」
 聞いてないぞ。
 あまりにも意外といえば意外すぎる話に、そう続けようとしたその矢先、
「……翌日胃もたれで半日ほど寝込んでしまいましてね」
「死ね。マジで死ね」
 照れたように頬を掻くユリウスに、草間は半ば本気で怒ってしまった。
 それでも、このままでは埒が明かないと、必死に息を整える。
「――で、悪魔なんて召還してどうするつもりなんだ……」
「どうって、友人なんですよ。友人。ですからたまに、お話したくなって当然でしょう?――ただ彼女、忘れっぽくて。私の事も、会って暫く話をしないと思い出してくれなくて。ちゃんと手順踏まないと呼ばれてくれないんですよ。全く、十年近くも付き合いがあるって言いますのに……少しくらいは簡略した儀式で呼ばれてくれたって良いと思いません? しかも彼女を呼ぶ儀式っていうのもなかなか面倒でして、私一人ではどうも心許なく、」
「お前……嫌われてるんじゃないのか? 実際」
「そんな事ありませんって」
 僧衣の――なぜか司祭用の僧衣だったが――ポケットから取り出したチョコレートを口の中に放り込みながら、幸せそうに頬を緩める。
 持参した紅茶を啜りながら、ソファにより深く身を沈めると、
「――で、お茶会をやろうと思ってるんです」
「悪魔と一緒にお茶会って……」
「あぁそれから、チェスもやる予定でしてね。この前負けたきりなんで、今回は勝たないと」
「……あー、もう良い。手伝ってやるからさっさと帰れ」
 どこまでもマイペースな友人に、草間はぐったりと項垂れる事しかできずにいた。




 草間によって呼び出された面々は、ユリウスに連れられるがままに、教会の庭をゆるりとどこかに向かって歩いていた。
「……本当、綺麗なコね。召還よりあっちの方が、よほど面白そうだわ」
 風に流れる妖艶な呟きの主は、天慶 美空(てんぎょう みそら)であった。紫色のスーツに、黒髪が更に彼女独特の雰囲気を醸し出している。美空は緑色の瞳で、別の女性と会話をしているユリウスの方をじっと見やっていた。
「でもあの人、ちょっと問題のある人ですから」
 その横で、うーんと腕を組んだのは雪ノ下 正風(ゆきのした まさかぜ)――緑色の髪に、黒い瞳がどこか聡さを感じさせる青年であった。
 正風は、これとは別件でユリウスによって酷い目に遭わされた魔女の息子でもあった。ちなみに今回、母親によって『一発は殴ってきなさい』とかけられた呪いにより『すいません、あなたにツッコミを入れろと言う呪いを掛けられたんです――悪魔召喚ってやったらいけない人だろあんたはっ!』と、謝りながらもユリウスに繰り出したパンチがかわされたのは、つい先ほどの事でしかない。
 今回はアトラスの編集長に記事を書けと言われ、母親にはあの聖職者を不幸にして来いと間接的に言われての参加だった。
「見た所確かに、かなりの変わり者ではありますね」
 のほほん、と笑顔で白衣のポケットに手を突っ込んだのは、典型的な日本人容姿の久遠 樹(くどう いつき)であった。ただし、特筆すべきは当然の如く身に纏った白衣に、にこやかな笑顔であったが。
 ――そういう久遠さんもかなりの変わり者です、よね?
 普段から白衣を着て歩く人なんて……と、口には出さずとも苦笑しているのは、海色の髪と瞳の少女、海原(うなばら) みなもであった。手作りのお菓子や霊水、そうして衣装≠詰め込んだ鞄をしっかりと抱きしめるその姿は、この教会でも良く見かけられる。
 お茶会も、楽しそうだし。
 それに、悪魔の少女と友達になれるのも、また一興かと思ったのだ。今回の依頼を受けるのには、みなもには何の不都合点も無かった。
「……ええ、前回もとってもお世話になりましたので、今回はお手伝いさせていただこうかと思ったんです」
 不意に、愛らしい少女の声音が風に乗って届いてきた。
 みなも達の少し前の方でユリウスと言葉を交わす、さながら見目華やかな日本人形のような少女、榊船 亜真知(さかきぶね あまち)――古風な長い黒髪に、どことなくミスマッチな金の瞳。しかしそのコントラストと軽やかな身のこなしが、その鮮やかさを際立たせていた。
 亜真知は、先の草間からの依頼で、ユリウスに滞納金の納金を催促しに来たばかりであった。とは言え、世話になったのは事実であり、
「私も色々と本を貸していただいていますから。たまには恩返しをさせていただきませんと、」
 そういう意味では、この司書の女性――綾和泉 汐耶(あやいずみ せきや)とも参加理由が一緒であった。
 汐耶は、中性的な顔立ちに、黒の髪と青い瞳が良く似合っている女性であった。当然の如く着こなしているパンツルックに、そこはかとない知性的な雰囲気が似つかわしい。
「――ええ、それは助かります」
 しかし、礼儀正しい二人の言葉に何を感じたのか、ユリウスは苦笑しながら答えを返す。
 どうやら、多少なりとも後ろめたい気持ちがあるらしい。
 ……ただしその要因は、様々であったが。
 今回の目的は、草間の言っていた通り悪魔の召還であった。故に、この教会のシスター・星月 麗花(ほしづく れいか)には、午後からお茶会をやるとだけ伝え、事を内緒にしてあるらしい。彼女のいない時間帯を狙って庭にやってきた全員は、やがて、
「さ、お入り下さいな」
 ユリウスによって小さな小屋のような場所へと案内された。
「やっぱりここですか……」
 思わず呟きを洩らした汐耶は、無論この場所の事を良く知っている。
 ……禁書を読んだり召還したり……普通ならいつ宗旨替えをしてもおかしくはないのに、
 汐耶がこの枢機卿の事を、変わった人だと頭の中で定義付けた一番の理由が、ここには眠っていた。
 一見すれば、ただの地下書庫。しかし、そこに眠っているのは、数々のキリスト教からすれば、の異端書。
「それでも枢機卿でいらっしゃる辺りだけは、さすがというべきでしょうね」
「……だけ、って、強調なさりませんでした?」
 その言葉だけで、汐耶の言いたい事を悟ったのか、ユリウスがこそり、と呟きを洩らす。
 しかし、汐耶にこれ以上何を言っても痛い言葉しか返ってこないのは知っている。諦め半分に、話題を摩り替えることにした。
「結局私がやるんですか……」
 ぐったりと溜息をつきながら、地下書斎の扉へと手をかける。
「はぁ、面倒くさいですねぇ……できればどなたかに代理で召還していただきたかったんですけれど。だって儀式って疲れるじゃないですか――」
「伯爵様……」
「言うだけ無駄ですわ、海原様」
 伯爵様って、どうしてこう――……
 頭を抱えた瞬間、亜真知に首を横にふられ、みなもはさらに脱力してしまう。
「まぁ、仕方ないですか。適当に終わらせてしまえば良いですし」
 どうしてこの人って、いっつもこうなんだろう……。
 会えば会うほど、この人の性格がわからなくなっていくような気がする。
「それにしても、神父様が悪魔を召還だなんて」
「まぁ、色々とあるんですよ。悪魔ってひとくくりにしても、別に悪い悪魔ばかりじゃあありませんし」
 横から樹に指摘され、ユリウスがうーん、と返す。
「旧教(うち)の教義じゃ悪魔にされてる悪魔も、別の宗教から見た時に神様であったりもするわけですし。まぁ、今回は――実際にも悪魔ではありますけれど」
 地下だけあってか、ひんやりとした空気が纏わり付いてくるかのようだった。ユリウスは、全員が室内に入った事を確認すると、静かに扉の閂を下ろす。
 辺りに暗闇が蟠った。
「随分と厳重に閉めるんですね」
 誰も来ないと思いますけれど。
 付け加えられて、
「あぁでも、上にはシスターもいるわけですし。後で紹介しますけれど、彼女、結構怖いんですよ……バレたら又怒鳴られちゃいます」
 軽く笑い飛ばす。
 近くの棚から取り出した蝋燭立てに蝋燭を差し込み、マッチを擦る。火薬の香りに、蝋燭の炎が灯った。
「えぇっと、儀式道具でしたらジョッシュさんに送ってもらってから、全部地下にしまいこんだはずですから、上に忘れ物はありませんよね――それでは行きますか」
 場所が場所だけあってか、流石にこの人数では狭苦しい事この上ない。壁の代わり、と言わんばかりに左右に並ぶのは無数の本棚であった。なにやらジャンルも異教くさい事を、この地下書斎の整理を手伝わされた事のある汐耶やみなもは良く知っている。
 見回しながら、思わず口を開いたのは汐耶であった。
「……あの、」
「はい?」
「この前整理したばっかりでしたでしょうに……」
 ひっそりと、暗闇の中で怒りを手の内に握り締める。ざっと目を通した所だと、本棚は多少――いや、かなり乱れていた。
 見目は良くとも、並びがおかしい。この枢機卿が大事な本を整理不十分で紛失し、大騒ぎしていた事は記憶に新しいというのに、
 どうして同じ事を何度も何度も……。
 素直に呆れながら、
「いやぁ、この前ちょっと、色々と調べ物を」
「……Aの次にZが並んでしまうような随分な£イべものだったんですね」
 随分な、に十分なアクセントをきかせ、腕を組んで再び周囲を見回す。
 思わず肩を落としたユリウスに、ふと周囲の空気も和らいだ。
 ――そうして。
 そうこうしながら歩く事暫く、一行が辿り着いたのは分厚い扉の前であった。
「ここが?」
 扉の上へ上へと視線を這わせ、メモをとりながら正風が呟く。
 その横から、白衣のポケットに手を突っ込んだままの樹が、へぇ、と笑った。
「……ごく普通の扉ですね」
「そりゃあ。何も、物々しく扉に魔法陣を描いたりはしませんよ。私は魔術師じゃあありませんからね〜」
 ささ、どうぞ、と扉の向こうに全員を誘い入れると、ユリウスは扉をそっと閉めた。ポケットからもう一本蝋燭を取り出し、手元の炎を移すとみなもに手渡す。
 何も言われずとも、みなもはもらった火を、壁から突き出る燭台へと移して回る。ユリウスもユリウスで、左から時計回りに火を配り――
 丁度扉の向こう側、ユリウスとみなもとが出会った瞬間、殆ど全員が驚きを露にした。
「……随分と本格的なんですね」
 淡く、光が揺れていた。その中で、魔術師ではない℃メの物にしては、やたらと本格的な儀式空間が静かな揺らぎにたたずまっている。
「ソロモン王の――ね、」
「おや、お詳しい。さすがです」
「えぇっと、どういう事でしょう?」
 ユリウスと正風との会話に、ふとみなもが疑問を投げかける。
 正風は何の事もない、と微笑むと、
「旧約聖書は読んだ事、あるかい?」
「まぁ……少しくらいでしたら」
「ダビデ王、って出てきただろ? まぁ、詳しくは割愛するけど――とにかく、ダビデ王の息子さ。ソロモン王はね。ユダヤ人の王様で、エルサレム神殿の建造者。で、この人は、随分とお国を繁栄させた王様なんだけど、だからこそ、かな。随分と根強い伝承の持ち主でね」
 オカルト作家などをやっていると、嫌でもこの手の話しに詳しくなってしまう。
 部屋の中心のあの魔法陣――間違いない、な。
「その国の繁栄は、悪魔の力を借りてのものだった、という伝承ね。ソロモン王が悪魔を使っていたって言う――。神殿を建てさせるのにも、アスモデウスという名前の悪魔を使ったという話よ。……尤も、伝承でしかないけどね。けれども実際、ソロモン王の関係する魔術書(グリモワール)は数多いわ。後の魔術師達がその名を冠しただけのものもあるけどね」
 汐耶が正風の言葉の後を引き継いだ。
 円と十字で心の安定を象徴し、四分割の構造を取る魔法陣の形。『ソロモン王の小さな鍵(レメゲトン)』には、これと同じ魔法陣(マジック・サークル)が乗せられていたはずだ。
 その奥には、悪魔の召還の為に必要な黒鏡。
「正風さん、汐耶さん、そこまでご存知でしたら、代わりに召還して下さりません? そのご様子ですと、きっと儀式についてもご存知なのでは?」
「私は遠慮しておきます。封印能力しかありませんしね」
「俺も遠慮しておきます」
 いくら霊が見えるとは言え、それとこれとは又別問題でもある。
 それにこの人、心の底から面倒くさがってるだけだろうし。
 この人の我侭に付き合ってたら……。
 数ヶ月前、このユリウスの所為で酷い目に会った母親の顔が、ふ、と脳裏を過ぎ消えた。
 ああ、母さん……。
「むぅ、皆さん冷たいですね〜。あぁ嫌だ、疲れる事は――」
「そういえば私、色々とお菓子作って持ってきたんです。スコーンですとか……ジャムも作ってきたんですよ」
 再び愚痴り始めたユリウスに、一見何の脈絡も無さそうな樹の言葉が飛ぶ。しかし、
「さぁ、さくさくとやりましょうか」
 ――もの見事に樹の思うつぼであった。
 お菓子の話に、ぐっとユリウスが気合を入れる。
 手の平を返したかのように颯爽と魔法陣の方へと向い出したユリウスの背を見つめながら、やれやれ、と樹が笑顔で息を吐いた。


I

 遙か、昔の話。
 科学の影が、まだまだ薄い時代。錬金術が横行し、世界では天動説が信じられていた。
「我等が謙遜の念を持ちて、この円に入らん――」
 神秘というものが――信じる事の難しいものが、今よりもずっと、人々の心を支配してやまなかった時代だ。
 しかし、
「……わたくし、はじめて見ましたわ……」
「何をよ?」
 無意識のうちの呟きに、美空の問いが返ってくる。返されて、亜真知は呪文を読み上げるユリウスの方をじっと見つめながら、
「ユリウス様の真面目な姿って……」
 どんなに科学というものが、そうして、化学というものが、この世の原理を証明しようとしても、証明しきれない神秘≠ニいうものはどこにでも存在している。
 そこまで考えて、亜真知は余計に感動してしまう。
 ……これも、
 これも十分、現代の神秘、ですわよね――。
 その姿を見下ろして、美空は頬に手を当てながら、
「思うのだけど、あのコはそんなに」
 上手くは言えないのだけれど、
「何と言うか……怠慢で甘い物好きでとりとめがなくて、その――」
「天慶様。ユリウス様に関わって幸せになった方のお話を、少なくともわたくしは、聞いた事がありません」
 静かに首を振った。
 あらそう、と苦笑する美空の横でも、似たような会話が繰り広げられている。
「ユリウスさんが……真面目だなんて……」
「あぁでも、儀式の時間帯とか服装とかは結構適当みたいですから。それに普通、こーいうのって一人でやるじゃないですか。それをこんなに大勢集めて……」
「となりますと、やっぱり適当なお方だ、という事でしょうかねぇ」
「まぁ、そういう事じゃないかな」
 驚く汐耶に、正風、樹と言葉を続ける。
 ユリウスのこの姿にさほど違和感を覚えていないのは、この空間ではみなものみであった。
 ……伯爵様も、真面目な時は真面目な方、ですからね。
 と。
 不意に、亜真知と正風とが、びくり、と肩を震わせた。
 こちらの話を聞いていたのか、ユリウスの呪文がぴたり、と一瞬止み――
 その沈黙を破り、
「東の監視人の名におきて、我、東の門を開かん――」
 何事もなかったかのように再開される。
 誰ともなく、ほっと一息を吐いた。
 ――聞かれてるのかと思った――
 そのまま暫く、全員の言葉を失う中、ユリウスの呪文だけが淡々と響き渡る。
 周囲と一緒に沈黙しながら、ふとみなもには考える事があった。
 そう言えばあたし達、一体何の為に呼ばれたんだろ……。
 儀式の手伝いをする予定が、結局は何もすべき事がないなどと。
 ――まぁ、他の方達は皆……それぞれ、事情があるみたいだけど……。
 やたらとハイスピードでメモをとっている正風。
 にこにこの笑顔のまま、正風のメモに時折何やら指摘を入れている樹。歳が同じなだけあってか、この二人はあっという間に打ち解けてしまったらしい。
 なんともいえない、艶かしさすら感じられる視線でユリウスを見つめている美空。
 それでも周囲の本棚の並びが気になるのか、そちらにちらちら視線を送っている汐耶。
 そうして、
「あれ、榊船さん?」
「え、はい、何でしょう?」
 ……あれ?
「あの、いえなんか、気配、と言いますか、その……」
 何か、違和感? みたいなのが……。
 しかし、亜真知に微笑み返されて、何をどう言えば良いのかわからなくなってしまう。結果、何でもないです、と微笑んで、みなもは言葉をはぐらかさざるを得なかった。
 視線を逸らされ、亜真知は再びユリウスの方へと視線を戻す。
 儀式の進行は、この上なく順調。いよいよ召還の為の呪文も唱えられ始め、見るものが見れば、空間に別の空気が混じり始めているのも良くわかるはずだった。
 無論、それにはユリウスの召還の腕が確かだから、という理由もあるのだが、
 ――まぁ、一応、という事ですわね。
 実はみなもの覚えた違和感は、ある意味では正しかったのだ。亜真知はこっそりひっそりと、儀式全体のサポートを行っていたのだから。
 亜真知が神、または神に近い存在である事を知っているのは、ごく一部の人達だけであった。あるいは、己自身も本来は人間でない美空や、もしかするとユリウス辺りも気が付いているのかも知れないが、つまりは亜真知にとって、見えない所から空間に特定の作用をもたらす事は、造作もない事でしかないのだ。
 普段はあまりやりませんけれど。
 力の乱用は、好きではない。
「っと、ようやくお出ましなようね」
 不意な美空の呟きに、全員がふ、と意識を一点に集中させた。
「……あぁっと、皆さん、注意して下さいね」
 最後の呪句を唱え終わるなり、ユリウスは落ち着きもなく、しかし、儀式を執り行っているのがまるで冗談であるかのように、のほほんと背後を振り返った。
「彼女、怒ると怖いんですよ」
 ふ、と、一歩左に下がる。ユリウスという壁を失い、全員の視線から確認できるようになった黒鏡が、うっすらと輝いていた。
「へぇ――」
 簡単の声を洩らしたのは汐耶であった。文献では確かに、この系統のものに数多くお目にかかっている。がしかし、
 実際に見るのなんて……はじめて、ね。
 苦笑する。
 全く、この枢機卿(ひと)は。
 カトリック教会の高位聖職者にして、悪魔召還などをやってのけるなどと。
 ゆっくりと、じっくりと時間をかけて、空間の空気が鮮やかに変わってゆくかのようだった。濃縮されたような、かつて味わった事のない、心地。
 そうして。
(……だれぇ?)
 不意に。
 声が、聞こえた。
「……ついに枢機卿と悪魔との密会、か」
 鏡の前についに現れた悪魔≠フ姿に、急ぎ正風がメモを走らせる。
「あー、レポにするのは構いませんけれど、私の事は内緒にして下さいね? あ、後、枢機卿って書くのもタブーですよ? 何せ日本にいる枢機卿って言いましたら、私と白柳猊下しか――」
「わかってますって。ちゃんとその所は考えますから」
 そんな事を書こうものなら、自分までスキャンダルに巻き込まれてしまう。 
 それでも一応、と正風に適当に釘を刺したユリウスは、再び鏡の方へと向き直った。
 ――そこに立っていたのは、一見するだけなればごく普通の少女であった。見目は十代前半。古風な服装に赤髪碧眼が良く似合う。
 少しばかり感慨も深く、
「タリアーナ、お久しぶりです」
「……アンタ誰?」
「うわやっぱり」
 おっとりと話しかけた瞬間切り替えされて、ユリウスはがっくりと項垂れた。
 あぁ、全く、この人はいつもこうなんですから……。
「何よぅ、その態度! あたし、昼寝してたんだからさ! 何でたかがヒトの魔術師ゴトキに一々呼び出されなきゃいけないわけ?! 信じられないワ!」
「相変わらずですね〜。威勢が宜しくて。それでもって、私はユリウスなんですけれども、」
「誰それ! 知らないってーのそんなニンゲンっ! しかも何その格好! 神父服ってアンタ、せーしょくしゃの分際でふざけるのもいい加減にしなさいよねっ! 絶対呪い殺してやるんだから! いやもう本当腹立つっぅぅぅぅぅうううううっ!」
 ぴしぃっ! と、どこから取り出したのかもわからないような短剣をユリウスに向かって突き出しながら、怒りに怒る少女の姿に、
「――どうやら随分と嫌われているようですね?」
「まぁ、いつもあんな感じですから」
 汐耶に問われたユリウスが苦笑する。
「っつー事で殺す! 絶対殺す! アンタのよーな輩は放っておくとろくな事無いのよネ!」
「いやぁ、あのですね、タリアーナ。うーん、やっぱり覚えてないですかね、あぁ、そうだ、落ち着いて考えたらあなた、きちんといつも思い出してくれるじゃないですか。ほら、冷静になって、ね?」
「うっさいなぁ。あたしはせーしょくしゃなんて大ッ嫌いなんだから! しかも聖職者に呼ばれるだなんてこのあたしのプライドがっ!!」
「悪魔さんにも色々と事情があるんですねぇ」
「そこの男もしみじみとしないっ! ってゆーかなんかそこのせーしょくしゃに雰囲気似ててムカツクわ!」
 怒りの矛先が、不意に樹の方へと向けられた。
 ――と、その途端。
「タリアーナ、g6のキングを追い込むのに、h5にルーク、f4にキング、e5にクイーン、f7にナイトがあるわ。――一手でチェックメイトにして頂戴」
 ふと、少女に話をふったのは美空であった。
 途端、静けさに、蝋燭の炎の揺らめきが鮮明になる。
 手の平を返したように黙り込んだタリアーナはしばり考え込むそぶりを見せ、
「……はいはいはいっ! h8にナイトで! ってあ、」
 挙手しながら、我に返ったかのように美空と亜真知との方に大きく見開いた視線を向けた。
「美空に亜真知じゃん。お久しぶり〜。何年ブリだったっけ?」
「そうね、しばらくぶりじゃないかしら……わすれっぽいって聞いていて、もしかしたらあなたじゃないかしら、って思っていたんだけど……本当にそうだったのね」
「そうですわね、しばらくぶりかと」
 確かに相当久しぶりの再開ではあるのだが、美空の方はともかく、実は亜真知としては、年数の方にはあまり触れてほしくはなかった。
 ――何せ、あまりばれて楽しいことじゃあありません。
 亜真知の、そうして美空の本当の姿は人≠ナはないのだ。言うなれば、目の前に現れたタリアーナにも似た存在。
 しかし、亜真知の方はそれを内緒にしてやってきている。
「……知り合いなんですか?」
「ええ、巫女なんかをやっておりますと、何かとタリアーナ様のような方にお会いする機会もありまして、」
「ウソつき。アンタの事はたまぁに見てたけど、目覚めるその前からあたしとは知り合いだった――」
「それで、ついこの前知り合ったばかりなんです」
 秘密をばらし始めたタリアーナの口を塞ぐ事の不可能さは、亜真知にも良くわかっていた。仕方なく強硬手段で、問うてきた汐耶に、笑顔で事実を霧隠しにしてしまう。
 汐耶は少しばかり、釈然としないものを覚えながらも、
「まぁ、そういう事も――あるのよね、」
 きっと。
 タリアーナの姿を失礼ではない程度に凝視し、見目は普通の人間だし、と腕を組む。
 てっきり正直、触角や尻尾などが生えているのではないか、と思っていた部分もあったのだ。尻尾はスカートに隠れているだけだという可能性があるにしろ、今の所、触角については見当たらない。
「ってあ! わかった! アンタあの馬鹿枢機卿のユリウス・アレッサンドロだ!」
 その時不意に、ぽむっ、と悪魔の少女が手を打った。
 枢機卿が、困ったように頬をかく。
「いえまぁ、思い出していただけて嬉しいですけど、その、馬鹿枢機卿って……」
「だって本当の事だし。せーしょくしゃの中でもなんかすっごく異端っぽくて、てっきりあたしがカバリストだと思ってたあのユリウスだよね! うわぁ、お久し〜。会いたくなかったワ」
 ユリウスは、まるで立場がありませんね、と苦笑しながら、差し伸べられた小さな手を、久方ぶりに握り返すのだった。


II

 その後暫く、連れ出したタリアーナと共に、全員が太陽の光と再開した頃。
「皆さんこんにちは。今日はどうも、いえ、今日も≠ヌうも、猊下がご迷惑をおかけしているようで……」
 ユリウスが聖堂の扉を開けた途端、振り返る少女の影が一つ。
 この教会のシスターである、星月 麗花(ほしづく れいか)であった。
 彼女はユリウスの保護者よろしく、ぺこぺこと頭を下げながら、
「私、星月と申します。えぇっと、」
「私は久遠 樹と申します」
「俺は雪ノ下 正風です。どうぞ宜しく」
「私は天慶 美空。あなたも随分と可愛いコなのね」
 美空の視線に戸惑いつつも、よろしく、と呟いた麗花の視線が、その隣へと向う。
 ――タリアーナ。
「……ん、あ、あたし? あたしはタリアーナってーの。今日は遥々、この馬鹿ユリウスに呼ばれてそりゃあもう気の遠くなるほど遠くから遊びに来てやったんだ」
 宜しくぅ☆ と麗花に手を差し出すその横で、
「いえですから、馬鹿って……」
「うっさいな。いーじゃんよ、あんた本当に馬鹿だし。ね〜、麗花ちゃんだってココロの中ではそう思ってるんじゃあないの〜? この馬鹿に付きあってたら、胃袋が幾つあってもぜ〜んぶ胃潰瘍になっちゃうワ」
「……タリアーナ、あなた、どこでそんな単語を……」
 きょとん、と立ち竦む麗花には聞えないように、こっそりとユリウスがタリアーナへと耳打ちする。
 タリアーナは悪戯っぽく微笑むと、
「内緒☆」
 屈む形になっていたユリウスの頬へとキスを――
「いけませんこのキス魔っ!」
 ぱしん、と、頭のてっ辺を軽く叩かれ、やーい、照れてらぁ♪ と麗花の方へと駆け寄って行った。
「――あら、ユリウスさん、あなた、意外と照れ屋サンなのかしら?」
「別にそんなんじゃあありませんよ。ただ、戒律とかもありますでしょう」
「今更戒律って何かしらね。悪魔を召還しておいて……」
 くすくすと妖艶に笑う美空に、まぁ、それもそうかも知れませんけれど――とユリウスが微笑み返す。
 美空はふ、と、皆がそれぞれ思い思いの方へと散り始めたのを見回しながら、
「ところで、今回はチェスの勝負があると聞いたのだけれど」
「勿論ですとも。何の為にタリアーナを呼んだと……私、少し前に彼女と勝負して負けてしまったんですからね。今日は勝たないと」
「まぁ、あのコは――タリアーナはゲームには強いもの。私も一度、勝負してみたかったのよね」
「おや、でしたら美空さんもチェス、やります?」
「端からそのつもりよ? 本当に召還されたのがタリアーナだったら――って、そう思っていたのよ」
 本当久しぶりに会ったわね……それにしても。
 ちょこちょこと亜真知と麗花とについて歩くタリアーナに、美空は知らず微笑んでいた。
 何年ぶりだったかしら? ねぇ。
 それじゃあ、手始めに、
「それじゃあユリウスさん、お相手願えるかしら?」
「へ?」
「チェス、よ。手始めにいかが?」
「――それも良いですね」
 交わった視線に、ユリウスが深く頷く。美空を適当な席に座らせると、チェッカーボードを取りに聖堂を出て行った。
 その横を、お茶の準備を始めたみなも達が通り過ぎる。
「久遠さんは本当にお料理が上手なんですね。是非あたしも教えていただきたいです」
 いつの間に着替えたのか、姉から借りた純白のメイド服を身に纏うみなも。どことなく天使を彷彿させるその姿は、先ほど麗花にも褒められたばかりであった。
「いえ、ただの趣味ですよ。作っているうちに上手になるものです――みなもさんのクッキーもとっても美味しそうでしたよ。是非食べさせてくださいね?」
「ハーブを入れてみたんですけれど……上手く焼けてるかどうか少し心配です」
 はにかむみなもに、樹も心なしか笑顔を深くした。手前の方のテーブルに菓子類を並べながら、
「今日は随分と楽しそうなお茶会になりそうですね」
 聞いた話によれば、タリアーナは相当チェスが上手らしい。樹も樹で、頭を使うゲームは得意なのだ。
 是非お相手させていただきませんと。
「はい、お茶の方、持ってきました」
 気合を入れる樹の横から、鮮やかな振袖の亜真知がお盆を差し出した。麗花と共に入れてきたお茶を、各々の席に並べて行く。
「あの、わたくしもお菓子の方、持ってまいりましたの。ロッククッキーなのですけれど、」
「わぁ、美味しそう……! あたし、亜真知さんのクッキー大好きなんです!」
 身を乗り出したみなもに、亜真知も顔を綻ばせると、
「わたくしも海原様のお菓子、大好きなんです。今日も楽しいお茶会になりそうですわね」
 尤も、以前のお茶会がどう楽しかったかというのは――ある意味では、説明しにくいのだが。
 準備を終えると、亜真知も席に着く。それから暫く、汐耶と正風を連れて麗花も席に腰掛けた。
「……駄目ですね。本を見ているとどうにも、」
「ここの本はどうも配置がおかしいですからね。探しにくい事この上ないですよ……」
 どうやら聖堂の隅にある本棚を整理していたらしい。少しばかり息を切らす汐耶に、全くもって、と、正風が頷いた。
 申し訳無さそうに話を聞きながら、麗花がユリウスと美空とを呼ぶ。
「猊下、天慶さん、お茶会の準備ができましたよ〜」
「……先にはじめてて下さい。私、今取り込んでましてね」
 通路を挟んで向こう側の席から、腕を組んだユリウスが返す。その向かいでは、美空がチェッカーボードを見つめて微笑んでいた。
 麗花が思わず、眉を顰める。
「珍しい……こんなにお菓子も沢山あるのに」
 テーブルの上には、麗花の引っ張り出してきた教会にあったお菓子の他、樹のスコーンとお手製のジャムに和菓子、みなもの香りも芳しいハーブクッキー――尤も、ハーブの苦手な人の為にハーブなしのクッキーも用意してあったが――、そうして、亜真知のナッツの入ったロッククッキーが積み上げられて並べられていた。
 これでユリウスが飛びついてこないのは珍しい。
 どうやらユリウスは、チェスに真剣に悩みこんでしまっているようだった。
「――待ったなしですか」
「勿論」
 思わず、どれほど白熱してるのかと、麗花は立ち上がってユリウスの後ろからチェッカーボードを覗き込んだ。
「……でしたらf4に……あぁ、でもこれですと次でチェックメイトに……!」
 テーブルに頬杖をつき、じーっと考え込むユリウス。その横から、亜真知がふ、と、
「f7にポーンを進めれば良いのではありませんか?」
 指摘する。
 するとユリウスは納得して、
「あぁ、確かにそうですね〜。さすが亜真知さん。こうしとけばビショップがここまでこれないわけですね」
「――それじゃあ、クイーンをf7へ」
「……待ったなしですよね」
「勿論」
 美空の頷きに、再び悩み始めたユリウスへと、
「――何も、コレをこっちに動かせば良いだけですよ、ユリウスさん」
 今度は樹が、指摘した。
 ……猊下ってもしかして、チェス、弱い?
 観戦しながら、思わず口を噤む麗花は、
 あれ?
 不意に、別の事を思い出す。
 そういえば、
「タリアーナさんは……?」
「タリアーナ? 彼女なら麗花さんと一緒に、」
「いませんでしたよ。ね、亜真知さん? 途中でどこかに――」
「あたしならここにイルじゃん。んもう、皆して心配しなくたって、あたし、何も悪戯したりしないって」
 ふわり、と。
 声音と共に、空から垂れた、赤い二つの長い髪に、
「――っきゃあああああああああああああああああああああああっ!!」
「駄目ですっ! タリアーナ様っ! スカート捲れてますわっ!」
 麗花が空を、指出した。
 ――腕を組んで逆さまになり、チェッカーボードの上にふわり、と浮いているタリアーナの方を。
 膝丈のスカートがずるりとひっくり返っているのを気にも留めていない彼女に、慌てて亜真知が指摘を入れるその横で、
「……いけないわねぇ、あなたも女のコなんだから……」
「全く、こっちの世界に来てるんですから、そーいう事はお止め下さいな。そもそもタリ――」
「ぐえぇぇぇぇいかぁあああああああっ! うっ、浮いてるっ! 浮いてますよっ?! うっそぉぉぉぉっ!」
 タリアーナをくるりと正方向に一回転させる美空の台詞に、ユリウスの軽い説教と、麗花の驚く声とが割り込んだ。
 ――確かに、
 この場で唯一、麗花のみは知らないのだ。
「超能力のようなもの、ですよね? タリアーナさん?」
 星月さんにタリアーナさんの正体が知れたら――
 麗花はこれでいて、カトリックの敬虔な修道女でもあった。慌ててフォローを入れようとしたみなもの言葉に、
「ん、超能力じゃなああああい! みなもったら、そんなインチキくさいものと一緒にしないでよ! あたしは列記とした――」
「タリアーナ様っ!」
「別に良いじゃないー。麗花にだって『知るケンリ』はあるんでしょ〜! ねぇ麗花、聞いてよ! それに実はさ、亜真知だって美空だってね〜!」
「あああっ、そういえば早くお茶にしないと冷めてしまいますわね、皆さんっ」
 相変わらず、チェッカーボードの上の空中に胡坐をかいているタリアーナの良く回る口に、亜真知は慌てて話題を逸らそうと、するりと先ほどのテーブルを指差した。
 その先では、暢気に正風と汐耶とがお茶を飲み、菓子をつまんでいた。
 そこだけには、静かな空気が流れている。
「――ええ、俺の母も、ユリウスさんには酷い目に遭わされたみたいで……」
「あの人、いつもああですよね。こっちまで滅入ってしまいます――本は返しに来ないし。おかげで本の整理が遅くなるって言ったらもう、」
「綾和泉さんも苦労していらっしゃるようですね」
「苦労と言いますか……あぁ、もう、」
「わかります、ええ、本当に……お互い大変ですよね」
「あの、聞えてるんですけど?」
 流れてきた二人の会話に、思わずユリウスはつっこみを入れてしまう。
 しかし汐耶はじっとユリウスの方を振り返ると、
「ウソは申しておりません」
 きっぱりと言い放ち、そのまま、正風との会話に意識を戻してしまう。
「……私って、」
「ユリウスが悪い。あんたはいっつも他人にめーわくばっかりかけてサ。ねぇ、麗花もかわいそー! こんな男と一緒にいたら、他の男が寄り付かなくなるよ〜!」
 とんっ、と地に足をつけ、タリアーナが麗花を見上げる。見上げられて、そうですね、と至極真面目に頷く麗花に、ユリウスが重く溜息を付いた事は付け足すまでもない。


III

 激戦だった。
 しかし、
「っきゃああああああっ?! うそっ! うっそぉぉぉぉぉっ!!」
「チェックメイトよ、タリアーナ」
 美空の緑目が妖艶な光を湛え、タリアーナをにっこりと見つめた。
 ――敗北に絶句する、タリアーナの方を。
「これでポーカーのカリは返したわ。二度も続けて私に勝てるとは思わないことね」
 長い沈黙を伴う試合の末に、美空の操る白のクイーンが黒のキングを追い詰めた。黒マスの上で勝ち誇る彼女を、タリアーナは恨みがましくじっと凝視しながら、
「あぁもう腹立つッ! ってゆーか何よぉ! ずるいっ! ずるぅぅぅいぃぃぃぃぃ!!」
「私は不正なんて何一つやってないわよ? ずるい、って言われても、ねぇ」
 タリアーナの心中を悟っていながらも、わざわざくすりと瞳を細める美空に、ぷいっ、とそっぽを向いた。
 ぷぅ、と頬を子どものように膨らませながら、
「んじゃあ次はユリウス! あんたと勝負したろーじゃないの!」
「いえ、私は遠慮しておきます……」
 指差したその方向には、暢気にお茶を嗜むユリウスの姿があった。
 もはや、ゲームの方にはあまり興味が無いらしく、正風や汐耶、みなも達と、長閑な雑談に花を咲かせている。
 当然の如く、タリアーナの怒りに火がついた。
「何よぅ! アンタ、あたしと勝負するためにわざわざあたしの事呼んだんでしょぉぉぉっ?!」
「今日は主が忙しいようで、御加護もあまり……ですから、後日改めて」
 胸の前に十字を印し、嗚呼、主よ、と、亜真知のクッキーを手にしたそのままで祈りを捧げる。
 その横では、汐耶と正風とがこっそり言葉を交わしていた。
「……相当滅入ってるようですね」
「天慶さん、強かったですからね。ユリウスさんもなかなかの腕前だけど……及ばず、って所かな」
 かりがねの貧乏人でも呑みやすいものを――と、微笑ましい冗談≠ニ共にみなもが持ってきたキロ千円のお茶には、ご丁寧にも紅茶と和茶との二種類があった。
 樹の和菓子の程よい甘さに、正風は湯飲みを手に取ると、
「尤も、暫くすれば立ち直っていらっしゃると思いますけれどね」
「全くです」
 みなものクッキーを齧りながら、ユリウスを一瞥した汐耶が一つ頷いた。
 拍子抜けするほどの落ち着きように、
「うわもう何よそれユリウスのばかバカ馬鹿っ! 麗花! 聞いてよ! この馬鹿ユリウスったらね――!」
「穏かじゃあありませんねぇ、タリアーナさん」
 ふ、と。
 不機嫌最高潮のタリアーナに水を注したのは、美空の向かい側――タリアーナの元いた席に腰掛けていた樹であった。
 樹はタリアーナの事をちょいちょいっ、と呼び寄せると、
「チェス、やりませんか?」
 更に笑顔を深める。
 美空は樹の行動に、無言のままに席を立ち、ユリウス達の方のテーブルへと移る。
 そうして開いた向かいの席に、タリアーナはしばし言葉を失った。が、
「……勿論!」
 タリアーナは、軽い足取りで樹の方へと駆け寄ると、勢い良くチェッカーボードの前に腰掛けた。
 樹が、いつの間にか並べなおしておいた黒のチェス駒を手に取る。
「それじゃあ、私からですね?」
 ポーン一つを二歩前進させると、眼鏡のブリッジを押し上げた。
 さて、ね、
 ゲームはこれからですよ、タリアーナさん?
 同じくして、ポーンを一つ前に前進させるタリアーナに、思わずチェス駒を選ぶ手にも気合が篭もる。
 先に油断した方が負け、なようなものですからね。
 どんなに小さな所でも、決して気を抜いてはならないのだ、こういうゲームは。
 ゲーム開始と同時に、沈黙の中に沈み込んだ二人に気を使ったのか、みなもがお茶と菓子を二人の横に並べる。
 再び席に戻ってきたみなもに、亜真知がお疲れ様でございます、と頭を下げた。
「皆様、勝負事となりますと夢中になりますものね」
 素直に悪くない、と、そう思う。
 しかも、あそこに座っているのは暫くぶりの友人であった――
 後で、タリアーナ様にもお手合わせを願うと致しましょう。
 小さく口元を綻ばせ、湯飲みを手にする。
「……何か良い事でもあったんですか?」
「いえ、ただ楽しいなって、そう思っていただけです」
 紅茶を嗜む天使姿のみなもが、ふと、振袖姿の亜真知に問いかける。
 亜真知はふ、と顔を上げると、みなものクッキーを手に取り、
「海原様のクッキーも、とても美味しいですしね」
 かりりとその端に齧りついた。
 そんな彼女の様子に、みなももふ、と考える。
「あたしもチェス、もっときちんと教えてもらおうかな……」
「少し教えてもらえばすぐにできるようになりますよ。チェスには良い教本も沢山ありますから、一人ででも上達できますしね」
 汐耶が微笑みかけてきた。
 そうですよね、と、彼女の話に首を縦に振るみなもに、
「チェスの歴史は古いですからね。それに、『Gens Una Sumus』は国際チェス連盟の合言葉にもなっていますし」
「……えと、」
「人間皆、一つ家族――とでも訳せば良いかな? ラテン語なんですけれど、要するにチェスのルールは世界共通ですから」
 知っているだけで、外国の人ともチェスが楽しめるのよ?
「――そうだ、後でチェッカーボードを貸してもらって、一緒にやりません? やりながら覚えるのが、一番早いですから」
「是非お願いします!」
 ぺこりとみなもが頭を下げる。
 汐耶はお茶をもう一口啜ると、
「きっと海原さんでしたら、すぐにユリウスさんにも追いつくと思いますよ?」
 冗談めいた笑顔で、スコーンを手に取るのだった。




「悪くない……悪くないわ。三下君の原稿があがらなくて正直ハラハラしていたのだけれど、この原稿なら完璧ね。それじゃあ、来月号から掲載、という事で」
「ありがとうございます、碇編集長。そう言ってもらえると、俺としても書いた甲斐があったって思いますよ」
 『悪魔の密会』
 原稿用紙の一ページ目にそう書かれた分厚い原稿は、ざっと麗花によって目を通され、満足気に編集長の机の上へと放られた。
 連載にして、五回分。悪魔の召還の儀式の様子から、チェスやお茶会の詳細まで――事細かに、しかも面白く書き上げられた原稿は、
「きっと人気になりますよ」
 くすり、と、碇と正風との会話に口を挟んだのは、今日も白衣姿の樹であった。どうやら碇に用事があったらしく、ついでに、と言わんばかりに正風に付いて来ていただけなのだが、
「私もその原稿は雪ノ下さんに読ませていただきましたけれど、とても面白いと思いましたしね」
 白衣のポケットに手を入れる、最強の卓上ゲーマー。正風は知らず、
「あんた、ゲーム強いよな、本当」
 苦笑した。
 この原稿にある通り、樹の勝敗記録は最強を誇っていた。ユリウスには勿論の事、タリアーナにも勝ち星を一つも譲ってはいない。
 チェスの他、将棋やオセロなどもやったものの、その記録は相変わらず。
「……偶々ですよ」
「そうは見えないが」
 この薬師、普段はただ単に笑っているだけのようにも見えるが、はっきり言って底知れぬものがある。
 そうして心底関心されている事には欠片も気が付いていないのか、
「あ、そうでした碇さん。私、お菓子の方を持ってきたんです。差し入れです――っと、この正風さんの原稿にあるお菓子と同じものですよ。碇さんでしたら、気になさるのではないかと思いまして」
 樹が編集長の机に、箱を一つ差し出した。
 傍にいた三下も呼び寄せて、一緒に食べましょう、と正風の事もさそう。
「……雪ノ下さん?」
「――あ、あぁ、俺もいただこう、かな」
 二度目の問いかけで、ぼっとしかけていた正風の意識が急に現実へと引き戻された。
 ふと、
 内心呟いた言葉に、気がつけば思考が別の方向に傾いていた。
 底知れぬもの、か。
 ちなみに。
 正風が教会を出た途端、ふ、と、母の呪いが再発したのか、体が勝手に動き出し、ユリウスにもの見事なツッコミのコークスクリューパンチが決まった事は、この原稿の知らない所であった。
 ……ああ、母さん。
 そういえば母さんの恨みも底知れないって、良くわかったような気がしたよ……。
 遠い視線で、樹のその向こう、遠い窓越しの空を見上げる。
 ――どうやら今日の一日も、一応平和に過ぎ去って行きそうであった。


Finis



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            I caratteri. 〜登場人物
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<PC>

★ 海原 みなも 〈Minamo Unabara〉
整理番号:1252 性別:女 年齢:13歳 クラス:中学生

★ 久遠 樹 〈Itsuki Kuon〉
整理番号:1576 性別:男 年齢:22歳 クラス:薬師

★ 雪ノ下 正風  〈Masakaze Yukinoshita〉
整理番号:0391 性別:男 年齢:22歳 クラス:オカルト作家

★ 榊船 亜真知 〈Amachi Sakakibune〉
整理番号:1593 性別:女 年齢:999歳
クラス:超高位次元生命体:アマチ・・・神さま!?

★ 綾和泉 汐耶 〈Sekiya Ayaizumi〉
整理番号:1449 性別:女 年齢:23歳 クラス:司書

★ 天慶 美空 〈Misora Tengyou〉
整理番号:1531 性別:女 年齢:27歳
クラス:天慶家当主護衛役補佐


<NPC>

☆ ユリウス・アレッサンドロ
性別:男 年齢:27歳 クラス:枢機卿兼教皇庁公認エクソシスト

☆ 星月 麗花 〈Reika Hoshizuku〉
性別:女 年齢:19歳 クラス:見習いシスター

☆ タリアーナ
性別:女 年齢:999歳 クラス:悪魔



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          Dalla scrivente. 〜ライター通信
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 まず初めに、お疲れ様でございました。
 今晩は、今宵はいかがお過ごしになっていますでしょうか。海月でございます。今回はお話の方にお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました。
 ユリウスによって不幸になる方々が増え続ける今日この頃、しかし、今回のメンバーは、どちらかと言いますとつっこみの方に比重を置けそうな方々ばかりでしたので、少しばかり悲しいユリウスを書いていてとても楽しかったです。
 チェスの方、あたしは実は実際にプレイした事が無かったりします。いえ、コンピューターを相手にする事はあるんですけれども、身近にそういう事ができる人ってなかなかいないようでして、と申しますか、あたしは最強にチェスが弱かったりしますので(滝汗)勝負をしても勝敗は見えていると言いますか……(滝汗)

>みなもちゃん
 いつもお世話になっております。今回は愛らしい天使風メイド服との事、あまり描写の機会が無くてすみませんでしたが、とてもお似合いの事と思います。タリアーナが黒なので、余計に対照的ですよね。
 美味しいハーブ・クッキーもありがとうございました。キロ千円のお茶は相変わらず素敵です(笑)もしかしてみなもちゃんの中では『ユリウス=貧乏』という方定式が成立しかけているのでは、と思ってみたりします。実際清貧がモットーな教会、最近は献金も減る一方ですから、お金の回りに関しては麗花が苦労しているのやも知れません。その上猊下は日々新しいお菓子屋さんを見つけてきては買ってくるわけですし……(滝汗)
 タリアーナはやんちゃで乱暴な所がありますけれど、又機会がありましたら宜しくしてやって下さりますと幸いでございます。

 では、乱文となってしまいましたがこの辺で失礼致します。
 PCさんの描写に対する相違点等ありましたら、ご遠慮なくテラコンなどからご連絡下さいまし。是非とも参考にさせていただきたく思います。
 次回も又どこかでお会いできます事を祈りつつ――。


08 agosto 2003
Lina Umizuki