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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


かげふみしようよ


■序■

 暑さも落ち着き始めた午後6時、
 血しぶきと肉片は飛び、住宅街の一角をひどく汚してしまった。犠牲者はごく普通の――いや、気立てが優しいと評判の中年男性だった。

 月間アトラス編集部には、同じ地区からの同じような内容の投書が続いていた。
「夕方、『かげふみ』と名乗る少年と会った」というのである。少年は影踏みをして遊ぼうと誘ってくるのだそうだ。投書人はいずれも誘いを断って、何事もなく帰路についている。ただ、その少年が持つ不可思議な――そして異様な様相が気がかりで、こうして投書をしたのだそうだ。
 その少年が目撃されている地区で、今日、惨殺事件が起きている。
 麗香にはピンと来るものがあったらしい。まったく、こういったとき、彼女の勘の良さはほとんど神がかり的だ。
 いつものように三下を呼びつけようとした彼女は、
「……あ、忘れてたわ……」
 そう呟き、口をつぐんだ。つい3分前に彼の原稿をシュレッダーに突っ込んだことを思い出したのである。これ以上三下の原稿を遅らせることは出来ない。
 誰か他に――
「御国くん!」
 30分前に原稿を提出してきた、中年の記者に白羽の矢が立った。……否、立ってしまった。デスクで茶をすすっていた御国将は、ぴくりと飛び上がった。
「……何ですか?」
「さっきの原稿、OKよ。ということで、手は空いてるわね?」
「……ええ、まあ」
「じゃ、調査、お願い」

 影が絡みそうな事件を追うことになるとはと、将はつくづく自分の運命を呪った。
 しかし、自分ひとりだけでこの事件を追うのは心もとない。
 彼はマグカップを置いて、携帯を取り出した。かげふみと名乗る少年と、惨殺事件との関与を調べる、この何とも危うい調査……さて、誰が呼びかけに応じてくれるのだろうか。


■ある種の救難信号■


 武神一樹と海原みそのの二人は、御国将と何らかの縁があるらしい。ここのところしばらく会ってはいなかったが、ふたりはアトラスで変わらず仕事を続けている将を見てほっと胸を撫で下ろした。
「その溜息……あいつを知っているらしいな、みその」
「ええ。将様はきっとお節介だと仰るでしょうけれど、気にかけておりますの」
「あいつは爆弾を抱えてるようなものだからな」
「でも、お元気そうですよ」
「まあ……そう、か?」
 一樹が見る限り、将は元気はつらつとしている様相ではない。あの男はひどくぶっきらぼうで、いつも何か苦虫でも口に含んでいるかのような顔をしている。
 だがみそのの『目』には見えるのだ――将の、心と身体が健康的に活動しているという『流れ』が。血や気や思いの流れは、取り立てて大きな障害も抱えていなかった。
 将はすでに先客に今回の事件について説明しているところだった。
 サングラスをかけた若い男だ。この編集部との関わりも長い一樹だったが、初めて見る青年だった。みそのは――彼の流れを見て、即座にこの青年が人間ではないということを把握した。
 先客は、ミラー・Fであった。命を持たない造られた『知能』そのもの。身体は、セラミックやステンレスや合成皮膚で出来たかりそめのもの。
 武神一樹と海原みそのの姿を認めて、将が軽く手を上げた。
「……すまんがこいつに影踏みのルールを教えてやってくれないか」
 彼は挨拶を後回しにし、ミラーを指差した。

 将の呼びかけに応じた人間は、あと一人いた。
 この場にはいない。今野篤旗という学生で、すでに現場周辺に行って地道な調査を始めていた。特に単独行動を好む性質といったわけではなく、むしろ協調的であり、だからこそ今回のこの依頼を快く引き受けたわけだが。
 まだ昼だ。噂が真実であるならば、かげふみと名乗る少年が現れるまではまだだいぶ余裕がある。電話で将から聞いた限りでは、どの目撃情報も夕方5時すぎあたりからで、例外はなかった。影がのびる時間に、かげふみは現れる――。
「夏休みやし、ええですよ。影踏みですね?」
『影踏みをして遊ぶのか? 俺の頼みを聞いてくれるのか? どっちなんだ』
「両方ですわ」
 将はぶっきらぼうな声色の男だったが、根まで無愛想なわけではないことを、篤旗は何故か声から読み取ることが出来た。
 とりあえず現場での調査を一手に引き受けて、篤旗は情報を集めに走り出していた。


 最先端の人工知能であるミラー・Fは、最先端であるがゆえに、産まれたての赤ん坊のようなもの。しかもレトロな事象についての知識が乏しく、一樹と将はまず始めに『影踏み』のルールを教えるはめになっていた。実はみそのも遊びについてはほとんど何も知らず、彼女はただにこにこしながら、ちゃっかりミラーと一緒にルールを聞いていた。
「……では、影を踏まれた者は本来死ぬべきではなく、次の『鬼』にならねばならない、と」
「……殺されてたまるか、『リアル鬼ごっこ』じゃあるまいし」
「御国……読んだのか、あの本……」
「駄目か? 別に『感動した』とは言ってないだろ。読んだだけだ」
「殺すというのが、一緒に遊んでいただいた方に対するかげふみ様なりの感謝の仕方かもございませんよ?」
「あのな、みその、そんな屈折した考え方の奴はなかなか妖にもいないんだ……覚えといてくれ」
「待て。……昨日死んだ中年はかげふみが殺したと考えているのか?」
 将のもっともな(または、今更な)問いかけに、一樹とみそのとミラーの三人が声を揃えた。
「ああ」「ええ」「はい」
「……」
「ミクニさんは関連性がないとお考えですか?」
「いいや。俺もそう思ってた。だからとっとと出かけよう」
 将は空になったマグカップをデスクに置くと、面倒臭そうに立ち上がった。
 彼はつくづく見た目で損をしている人間だ。一樹は苦笑いをしてしまった。一応やる気はあるのに、誰よりも乗り気でないような様子にみえるのだ――御国将という男は。
「そうだ、ミラー、『影踏み』の必勝攻略法を教えとこう」
 ロッカーに向かう将の背中を見送ってから、一樹はミラーを見上げて口を開いた。
「は、助かります」
「あ、わたくしもお聞きしとうございます。運動は不得意でして……」
「よし。……とにかく、北に向かって逃げるんだ。そうすれば――」
 何故か一樹は声を落とし、ひそひそと攻略法を話し出した。
 子供の、しかももう滅びかけた遊びだ。一樹はなつかしかった。『影踏み』をして遊んでいた頃の記憶と感情が、静かにもどってくる。この記憶が惨殺事件に結びついてしまうのが哀しい。
 そして遊びを知らないみそのとミラーにとっては、新鮮だった。


■影がのびる17時■

 かげふみという少年は、東京のはずれの住宅街に、数日前から現れていた。篤旗が手に入れた情報が確かなものであるならば、かげふみは伝承や由縁とは無関係の存在だ。
 目撃情報は意外なほど多かった。
 かげふみは黒い野球帽をかぶった7、8歳の少年で、どういうわけか顔かたちが記憶に残っていないのだと、目撃者は口を揃えた。少し季節はずれな藍色のジャンパーに、汚れた黒いジーンズ、黒いスニーカーと、ほとんど影のような色彩であるらしい。
『ぼく、かげふみだよ』
 唐突にそう名乗って、
『ねえ、かげふみしようよ』
 唐突にそう誘ってくるのだ。
 昨日死体で発見されたのは、この辺りの家をまわっていた健康食品のセールスマンだった。彼は人当たりがよく、話も上手かったので、会社でもその力は評価されていたようだ。近所の父母は、よく彼が子供にたかられているのを見たという。
 しかし誰も、かげふみと彼が一緒にいるところは見ていなかった。
 篤旗は調べる範囲を広げてみた。
 かげふみという少年は『あたらしい存在』だ。
 だが、『影踏み』という遊びは遥か昔から存在し――影は、光が生まれた瞬間から存在している。
 篤旗は殺人現場近くの図書館で、埃と手垢まみれの妖怪事典や妖怪絵巻を紐解いた。
 影と人間の恐怖は非常に密接な関係にある。人間はどういうわけか、黒いものを恐れ、ときには惹かれてしまうもの。
 その想いが、絵や文や記録として残っている。
 それが影法師、影女、
「……『影鰐』」
 島根の伝承によれば、海面に映った船乗りの影を喰う『影』が、時折海に現れたそうだ。日本に鰐はいない。この『鰐』は、実は鮫なのだという。影鰐は影でしかないが、船乗りの影に咬みつけば、影の持ち主は確かに傷つき、最後には頭から喰われてしまうのだそうだ。
「かげふみ君は、まるで『影鰐』やな」
 篤旗はすでに、気立てのいいセールスマンを殺したのはかげふみだと確信していた。そう、少し離れたアトラス編集部で、4人がすでに確信していたように。
 篤旗は運良く、運の悪い死体第一発見者に会うことができ、死体の状態を聞いていたのである。

「ものッすごかったんだ。まるで映画。『デッドコースター』観た? あんな感じ。グシャグシャ。夢見そう」
 しかし、若い発見者の語り口は熱かった。若さゆえの好奇心と興奮が、恐怖を上回っているのだろうか。それとも、『影踏み』も知らない現代の若者は、これくらい『死』に無頓着なのだろうか?
「ええと、凶器はどんなもんか、わかりまへんでしたか?」
 篤旗の言葉の柔らかなイントネーションに、若者は先程からにやにやしていた。馬鹿にしている風ではなかった。ただ、京ことばがめずらしく感じられているだけだろう。
「ナイフとか、そんな感じには見えなかったな」
「じゃ、鈍器ですか?」
「かも。あっと……そういや……足跡がたくさんついてた。スニーカーの足跡がさ、血でベタベタ周りに残ってんの! しかも小さいわけ」
「はあ、なるほど。子供くらいの、ですね」
「そそそそそ」
 若者は小刻みに頷いて、必要以上に肯定した。
「どうも、おおきに。充分ですわ」
 篤旗もまた、確かな手ごたえを感じて、微笑んでいた。

 そして、篤旗は血塗られた現場に向かっていた。
 まだ現場の道路は封鎖されており、パトカーも二台ほど停まっていた。一般人が近づけたものではない。
「……あ、どォもォ」
 黄色のテープによる結界の前で佇む四人の男女を認めて、篤旗は手を振った。
 眼鏡をかけた和装の男性、何故か黒レオタード姿の少女、サングラスをかけた長身な青年に、つまらなさそうな中年の男。
 ……まず間違いなく、『同業者』であり、『今回の仲間』だ。


■鴉が哭くから■

「なるほど、『影鰐』か。よく気がついたな、こんなマイナーな妖怪に」
 篤旗が集めた情報に、一樹は感嘆していた。
「『まんが日本昔話』あるでしょう」
「ああ、なつかしいな」
「それで一度『かげわに』やっとったんですわ。こわかったなあ」
 篤旗はなつかしそうに微笑んだ。
 だがその笑みもふと消えて、青い瞳はまじめなものになり、御国将を捕らえた。
「かげふみ君は特に相手を選ばんと、誘ってきはるようです。実際に誘われてみませんか」
「ああ、まあ」
「危険ですが、効率的です。実行しましょう」
 即座に行動に移そうとするミラーを、一樹は少し慌てて引きとめた。
「待て待て、問答無用で吹っ飛ばすのはよくない。向こうにも事情があるかもしれないからな。とりあえず、話を聞いてから対処を考えよう」
「了解しました」
 ミラーは敬礼でもしそうな調子で一樹の言い分を受け入れ、くるりと機械的に一行に背を向けて歩き出した。
「……何だかターミネーターみたいなやつだな」
 ぼそりと将が呟いた。その言葉に、みそのはにこにこしながら顔を上げる。
「あの方はお人形ですよ」
「なに?」
「機械で出来ています」
「……『みたいなやつ』じゃなくてそのものだったか」
「なら、独りで行かせても問題ないだろうな」
 一樹は端からミラーを心配してはいなかった。只者ではない者とばかり知り合うさだめにあるので、ミラーの力量もまたある程度は期待していたのである。
「御国、お前は独りになるなよ」
 しかしそんな一樹が笑って、将にはそう言ったのだ。
「子供扱いか」
 無愛想な将が、明らかにムッとしたような表情を見せた。みそのが将の影を思わず見下ろす。あ、と声を上げもした。
 篤旗はみそのにつられて、将の足元の影を見た。そして初めて、将がただの記者ではないことを知ってしまった。
 影が――将の影が、動いている。人の形ではなくなっている。いつから、将の影は、将の形を捨てていたのだろうか? しかも鳥肌が立つほど気持ちの悪い形になっていた。
「あーあー、悪かった。そうイライラするな。大変なことになるぞ」
 一樹は苦笑を浮かべ、将の背をばしばし叩いた。影は見ないことにしている。
 そして、将を押し出すようにして歩き出した。
 みそのがそれに続き、篤旗は歩きながらすこし控えめに将に尋ねてみた。
「あの、御国さん……」
「……」
「御国さん、ムカデの幽霊さんにとり憑かれてはりますか? それとも御国さん、ムカデの化身さんですか?」
「……あんまり俺が落ちこむようなことは言わないでくれ」
「わたくしがお話ししましょうか」
 事情を知っているのは、一樹に将にみそのだけ。篤旗はみそのを見下ろし、微笑みながら頷いた。
 御国将の影は、蠢く百足の形になって、長く濃く地面にのびていた。
 もう、影ものびる時間になっていたのだ。
 いつのまにか、かげふみの時間になっている。


■遊び方■

「ぼく、かげふみだよ」
 はじめにかげふみと邂逅したのは、先行していたミラー・Fだった。
 『異様な様相』カテゴリに、かげふみの容姿データを収める。
 人相、スキャン不能。リードエラー。人相データの記録は不可能。
 黒色の野球帽、藍色のジャンパー、黒いジーンズ、黒いスニーカー。
 待て。
 スニーカーをスキャン。
 スニーカーに付着している液体は血液と断定。
「かげふみしようよ」
「はい」
「ほんとうに? ありがと、おにいさん」
 かげふみは嬉しそうに――にい、と笑った。
 その笑顔が邪悪なものなのか無邪気なものなのか、ミラーには判別しかねた。
「でも、ふたりだけでかげふみするのって、つまんないよね」
「はい、多人数でのプレイが理想的なゲームとカテゴライズしました」
「おにいさん、ひとりだけじゃないよね? ――あのうしろからくるひとたち、おにいさんのともだちでしょ?」
 かげふみが、ミラーの背後を見ていた。
 ミラーはその視線を追う――
 一樹と篤旗が駆け寄ってくる。将は、危なっかしい足取りのみそのの手を引いていた。まるで親子のようでもあった。
「あのひとたちといっしょにやりたいな」
 かげふみは嬉しそうに微笑んだままだ。

「……かげふみだな」
「うん。ぼく、かげふみだよ」
 駆けつけた一樹の問いに、かげふみは微笑みながら答えた。
「みんなでかげふみしようよ」
「よし」
 一目で、一樹はかげふみが妖であることを見抜いた。しかし、多くの妖に携わってきた一樹も初めて見る存在だ。どう対処したものか困ったが、とりあえず、一樹はかげふみの要求をのんでみた。
 篤旗が一樹と同時に走り出したのは、ミラーが人間ではないものと向かい合っているのを知ってしまったからだった。機械よりもムカデよりも危険な存在であると踏んだ。何しろ、ミラーの前の少年には体温などなかったからだ――篤旗の青い瞳は嘘をつけない。
 一方、みそのは――急に走り出した一樹と篤旗を追うのにかなりの体力を使ってしまっていたが、少年を『見る』のは造作もないことだった。
「将様……」
「どうした――何を見た?」
「……あの子は、『想い』ですよ。一途で……純粋です。でも……想い込みすぎは、毒です」


「ぼく、おにになってもいいよ」
「お待ち下さい。通常、鬼はジャンケン等の事前ミニゲームの敗者が担当するはずですが」
「鬼をやりたいのか?」
「みんなおにをやりたくないから、じゃんけんでまけたひとがやるんでしょ? ぼく、みんながいやがるからやってあげようっておもったんだよ。それじゃだめ?」
 かげふみは小首を傾げてそう言った。目深にかぶった野球帽のひさしに隠れて、目は見えない。だがそのとき、確かに、その目が将を見た気がした。
「いいよね、おじさん」
「……なんで俺に聞くんだ」
「おじさんがいちばんとしうえだから。あそぶときは、いちばんとしうえのひとのいうこときかなくちゃ」
 この、かげふみは――
 古き良き言いつけを守っている。
 人の嫌がることをすすんでやりましょう、年上の人の言うことを聞きましょう。
「……お前がそれでいいならな。ただし、俺の影は踏みにくいぞ。勝手に動くからな」
「いいね、おもしろそうだね」
 かげふみは杳とした顔いっぱいに笑みを浮かべて、ちょこんとしゃがみこんだ。

「いーーーーーち」

「逃げよう」
「納得がいきませんが」

「にーーーーーい」

「ただ遊びたいだけかもしれない」
「そのはずですわ」

「さーーーーーん」

「満足するまで遊べば消えるか? その保証は?」

「しーーーーーい」

「ない」

「ごーーーーーお」

「でも『やっぱりやめる』言うたら怒りますやろなあ」

「ろーーーーーく」

「あの、そろそろ逃げた方がよろしいのでは……」
「みそのさん、さっき危ない走り方でしたなあ。僕、おぶりましょか?」

「しーーーーーち」

「御国、とりあえず逃げろ」
「それがよさそうなんだが、俺の影が……」

「はーーーーーち」

「北の方角はあちらです」
「わかった。ミラー、御国の影にも注意してくれ」

「きゅーーーーう」


■影、踏んだ■

「じゅう!」

 走り出していた将が、ものも言わず唐突に転んだ。
 まるで後ろに引き倒されたような転び方だった。
「かげふんだ!」
 その宣言通りに、かげふみの足は将の影をしっかり踏んでいた。将の影は、彼の苛立ちと怒りを受けて、いよいよ激しく暴れ出していた。かげふみは将の特別な影が気に入ったらしい。一度足を離してから、今度はぴょんと飛び上がり、どしんと両足で踏みつけた。
「ぅお……」
 将が篭もった呻き声を上げた。
 次いで、血を吐いた。かげふみの足の下で、百足の形をした影が痙攣している。踏まれたムカデのように震えていた。かげふみの足から逃れようと、必死になってもがいている。
 将もまた逃れようとしていたのだが――どういうわけか、まるで身体が地面に張りついているかのように動かなかった。
「なあんだ。やっぱり、ただのかげじゃん。かたちがちがうだけだ」
 足を振り上げ、
「ほら、おじさん、つぎ、おにだよ!」
 どしん。
「おきてよ、ほら、ふんでるでしょ!」
 どしん。
「よせ! 踏むのをよせ」
 一樹が戻ってきて、かげふみを制止した。
 将はげほごほと咳こみ、のろのろと半身を起こした。見れば、緑色のシャツは血と泥で汚れていた。

 篤旗とミラーは、将に起きた異変を見て足を止め、次の瞬間には、くるりと踵を返して逃げてきた道を引き返し始めた。
「御国さんが怪我を!」
「影を踏まれていただけのはずですが、確かに胸部と腹部に損傷を受けています」
 まったくこの世には、一体どれほどのアノマリーとイリーガルが存在するのだろうか? ミラーは走りながらそんなことを計算していた。
「ほんとに、あの妖怪さんはなんでこんなことしはるんでしょうなあ」
「遊びたいだけだと、かげふみ様のこころの流れは申しておりますわ」
 篤旗の背で、みそのが囁いた。
「もう長いこと『影踏み』をしていないから、力の加減がわからなくなっているのかもしれません」
「ああ、もう、かげふみなんて、ようしはりませんものなあ」

「御国、10数えろ」
「……おまえ、俺の状態をよく見てくれ……たぶんアバラが……」
「数えるんだ。お前が鬼なんだから」
 一樹は半ば、将を睨みつけていた。
 その瞳にひとつの考えのようなものを見出して、将は――
「……いち……」
 数えだした。


「わあい!」
 かげふみは歓声を上げた。
「やっとにげるばんだ! わあい! かげ、ふんでごらんよ!」


 影が、のびていく。
 夕焼け空を烏が飛んでいく。
 やがて橙の空は紫となり、藍となり、そして黒い影そのものになって――

 かげふみの姿は、消えていった。


「そうか、ずっと逃げる方にまわりたかったんですなあ……」
「きっと、しばらく鬼役にはなりませんでしょうね」
 みそのを下ろして、篤旗は首と肩を慣らした。みそのは13歳にしては豊満な体つきで、背負って走るのはなかなか骨が折れたのだ。何度ミラーと交代しようと思ったことか。しかし一度役を買って出た手前、どうも妥協できなかったのである。
「大丈夫ですか? 肋骨を一本骨折していますよ」
「多分大丈夫じゃない。……おすすめの病院を教えてくれ」
「データを検索します」
 ミラーはまず『大丈夫じゃない人間は支えるべき』だという結論をはじき出し、げほげほ咳きこんでいる将に肩を貸した。
 将は呻き声のような礼を言ったあと――
 どしん、
「影、踏んだぞ」
 ぼんやりとかげふみの後ろ姿を見送っていた一樹の影を、唐突に踏みつけた。脂汗が浮いていたが、その顔には不器用な笑みがあった。
 一樹は我に返り、振り向いて、笑った。

 かげふみは、『影踏み』そのものだった。
 一樹と篤旗は、暮れゆく街の影を見て、ちょっとした慕情に駆られていた。
 いつ、かげふみは逃げるのに飽きるだろうか。
 いつ頃、また『思い出せ』とばかりに姿を見せるのだろう――いつ頃、忘れてしまった人間たちに、八つ当たりをしにくるのだろうか。
「ミラー、みその、『影踏み』のルール……覚えててくれるか?」
「ええ。御方にもお話ししますわ」
「消去しない限り、俺のデータは消えることはありません」
「僕も忘れまへんで。こわかったから」
「忘れられるか。くそ、……いつつつつつ」

 一樹は、予定ではこの仕事が終わったあと、この面子で一杯呑みに行くつもりであった。
 しかし行き先は、ミラーが薦める整形外科だった。


(了)

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【0173/武神・一樹/男/30/骨董屋『櫻月堂』店長】
【0527/今野・篤旗/男/18/大学生】
【1338/海原・みその/女/13/深淵の巫女】
【1632/ミラー・F/男/1/AI】

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               ライター通信
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 モロクっちです。『かげふみしようよ』をお届けします。
 今野様、はじめまして!
 武神様、みその様、ミラー様、いつも有難うございます。
 最初はスプラッタなホラーにする予定でしたが、どうも懐古心くすぐる内容にいつのまにか変わってしまいました。夏なのに……(?)。将の影も暴れずにすみ、会話もどこかほのぼのとしています(笑)。楽しんでいただければ幸いです。
 本文中にある『まんが日本昔話』のくだりは本当です。『かげわに』……怖かったんですよ、当時のわたしにとっては。子供向けのアニメなのに、まんが日本昔話なのに、血が出ていたのです(笑)。最近は血も死も怪我も当たり前ですけどね。
 影踏み、缶蹴り、隠れんぼ……わたしたちは、覚えていましょう。